Cの誘惑 2
 なんすか、ホント。
 三重野さんに問い詰められて、前畑さんは、なんでそんなカッコをしてるのかしぶしぶと語り始める。


 ホント、信じられないのは、前畑さんだって。
 わざわざ廊下でコートを脱いで、手にもって入るのは、美学が許さない、ってなんの美学っすか?それで、そのまま廊下に置いてきたって。
 三重野さんの教育的指導で、そそくさと、三重野さんがいうには不健全な服装を着替えにいって、戻ってきたときにはコートまで羽織ってるあたり、やっぱりかなり無理をしてた、と。・・・・・・言いたくはないっすけど、年齢を考えてくださいって。

「あんたも、用があるから先に行っててなんていっときながら、先にくるか?」
「この時間にいるってことは、同じ電車じゃない」
「当たり前でしょ。何年付き合ってると思うの。あんたの考えてることなんかお見通しよ」
 腰に手を当て、えっへんと無意味にえばる。三重野さぁーん・・・・・・
「ってことは、居たんっすか?
 なら、最初から止めてくれても」
 俺の哀願にも、指の代わりに、丸めたピースをメトロノームのように振って、
「甘いわね、イガちゃん。
 事を起こす前に止めても無意味よ。決行を先延ばしにするだけ。
 事の最中に乱入してこそ、断念させられるのよ」

「・・・・・・なんっすか?」

「そうよ」
 半信半疑な俺に、きっぱりと、三重野さんは請け負った。
「で、なんで色仕掛け?あんたの守備範囲外でしょ?」
 とは、前畑さんに。それは、俺も聞きたい。
 今の言動からはとても信じられないが、M響チェリストのおふたりにとって、俺なんか、まだまだお子様なのである。もうひとつ踏み込んでいえば、常々「30過ぎなきゃ男じゃない」と主張する前畑さんに色仕掛け、と言えるものなのか、アレは?される筋合いはないはずなんだ。
「うーん?青田買い?」
 本人としては可愛らしさを狙ってるつもりで首を傾げてみせるポーズも、丸めたピースを振りかぶる三重野さんに慌てて言い繋ぐ。
「延原さんがいなくて、飯田さんもなきフジミで、チェロパートを、いえ、五十嵐くんを立派にリードしようと思って?」
 それでも疑問形のつく前畑さんの言い分に、三重野さんはピースを振りかぶる気力もなくした。
「それで、どうして、色仕掛け。
 ん?なんで、飯田さんがいないの」
「よくぞ聞いてくれました。
 えっへん」
 別に前畑さんが得意がる必要はないっすよ。
「こないだの壮行会での、殿下のチョー問題発言」
 延原さんの壮行会には欠席だった三重野さんに、桐ノ院さんが春から渡欧する旨を簡単に説明。


「飯田さんが、代フリをするんですって」
 と、纏めたけど、それは、まだ確定じゃないっすよ。
「だから、チェロのパートリーダーは不在。早い者勝ち、あるいは、イガちゃんの逆指名」
「飯田さんが、パーリーの座を手放すと思う?」
「代フリといえど、飯田さんは、首席チェロのイガちゃんひとりを贔屓できる立場じゃなくなるもの。
 それにねぇ?
 殿下が渡欧となったら、もれなく守村さんも渡欧よね。誰が後任か知らないけど、飯田さんが面倒をみなくちゃ、誰がフォローしてあげられるの?
 だから、残ったわたしたちで、イガちゃんのフォロー。誰が考えても、それが世の道理よ」


 三重野さんは、しばし考え込み。


「そうね」
 あっさりと同意。
 しかし、俺は頷けない立場なんである。
「なんなんっすか、その先輩も渡欧って?」
「驚くこと?少し考えなくたって、判りそうなものじゃない。
 殿下のあれだけの入れ込みようからして、絶対にそう。例えるなら、ふたり、手に手を取って逃避行」
 逃避行ってなんっすかってツッコミと。
 ロマンティックぅ〜。と歌う前畑さんは、無視っ。
「じゃ、じゃ、俺の代理って?」
 俺と同じフジミ欠席組の前畑さんは当たり前だけど、三重野さんまで、驚く。
 あれ?三重野さん、壮行会にこなかったから、フジミにいったと思ってたんだけど、違ったのか。
「土曜日にコン・マス選挙があって、代理コン・マスに就任したんッすよ、俺」

 これまた、簡単に説明すれば、ふたり、仲良く、ごにょごにょと相談しあって、つまりと、結論出した。

「コン・マスのイガちゃんは、飯田さんのものでも、首席チェロのイガちゃんは、わたしたちのものってことね?」
「そうよ、だから。わたしたちから、わたしのものにしたかったのよ。
 まぁ、今この瞬間まで、イガちゃんが、コン・マスになってたのは知らなかったけど」
 はぁ。それで、逆指名狙いの色仕掛け、ですか。
「・・・・つまり、抜け駆け、か」
「なんとでも、健全な青少年には最も有効な手段だもの。胸の谷間で悩殺よ」
「たかが、Cカップの分際で、大きく出たものね、あんた」
「三重野・・・・・ソレ、D以上がいえる捨て台詞」
 フフンと、三重野さんが鼻で笑った。
「それが、あんたの甘いところよ。
 芸術家の端くれであるイガちゃんなら、AAカップにしか誘惑されない男なのよ」

 ええっと?もしかして、指差されて、断言されてる?俺?

「まぁ、それでも、いいけど」
 前畑さんっ。よくないです。せめて、ふっくらBカップは、ほしーっすよ。俺だって。
「でもね、三重野。
 どっちにしろ、あんたには無理。元に戻ることは出来ない。そして、いくら励もうとも、前を行くわたしを追い抜くことは出来ないのは、真理」
 前畑さんは、勝ち誇り、高笑いで。

「つまり、イガちゃんは、わたしのもの」

 へう?
 不意をつかれて、抱き寄せられて―――だから、ムネがっ。

「こ、んのぉー」
 ふたたび、三重野さんに叩かれた。
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