うさぎのダンス 
    或いは、うさぎ(仮称ユウキ)に対する幾つかの推論
【例えば 遠征隊長 飯田弘氏】

 MHK交響楽団 アシスト・コンダクターを兼ねる、富士見市民交響楽団 常任指揮者が、代役とはいえ突発舞台デビューを飾った日より、暫らくのちのある日。
「あー、すっかり春だ、なぁ?」
「初夏だと思いますが、何の用ですか?」
 呼び止められること、早数分。
 人生の先輩を盾に呼び止められたが、いっこうに話が進まない。どころか、始まらない。
「一体、何の用なんですか?」
 次にこの問いで、なんの進展もみられなければ立ち去ろうと、5度目の決意。つまり、すでに4度決意するも、立ち去ることが出来ないでいるのは、誰の影響なのだろうか。
「用ってほど、構えたもんじゃなくてな。
 って、おい。待てよ」
 慌てた声を出したのは、今度こそ、潔いほどの勢いで背を向けたからだ。
「ったく、おまえさんは短気だな。
 ほら、用件は、これだ」
 差し出されたのはプレゼントという感じの袋ではない。と思えるのなら、何科でもいいから医者に行くべきだと勧められる程度には立派なプレゼント仕様である。無言で促されて、中を覗き、眩暈がした。
「いい、だ・・・・」
 桐ノ院にとって驚きを面にだすという屈辱的反応を楽しんでいる飯田と、その反応を予想していた中身を等分に眺めると、相手先間違いのプレゼントというわけではないらしい。
「殿下にゃ、必要はないとは思うだけどな。
 まぁ、この先、なにがあるか判らんのが人生ってやつだ」
 わざとらしく、ポンと肩を叩かれた。
「で、なんですか、これは?」
「見ても判らんのか?」
 問いに問いで返された。これがなにであるのか判らないほど歪んだ幼年期を過ごしてきたとは思ってない。
 これは、間違いなく、うさぎだ。よくは覚えていないが、ピーターラビットとかいったうさぎに似ている気がする。ご丁寧にもシースルーラッピングを施してくれている都合上、しっかりと目が合ってしまう。
 ただ、桐ノ院が聞きたかったのは、なぜ、これを自分が貰わなくてはいけないのか、だ。
「確かに殿下には、才能がある。しかしな、惜しいかな。ないのは豊富な人生経験だ。
 そこでだ、人生経験豊かなおにーさんが助言をしてやるんだ、ありがたく拝聴しろ」
 いやだといっても語るのが、飯田という人間だ。
 彼にとって、自分という存在がオモチャになりつつあるのを自覚している。
 それに、先日はいろいろと迷惑をかけたし、かけられた。その貸しを返していると思えば、耐えられる。これで貸し借りなし。自分のような人間には、そのほうがよほど精神衛生上落ち着ける。
 諦めた桐ノ院にとうとうと語る飯田に、つくづくと思う。
 季節は、多少過ぎたが、春だ。
 春になると危ない人間が町を徘徊するというから、その一種なのだとこの場は諦めよう。しかし、悠季には絶対に近づかないように言い聞かせる。それだけ譲れない。
 仕方なく、この場は大人しく拝聴させていただいているふりをして、頭の中では、今フジミで演奏しているリス・プレを振っていた。が、それも限界がある。そもそも、暇ではないのである。
「――――だから、気休めに持っていれば落ち着くだろ?
 コン・マスほどの愛嬌はないんだけどな、これでも2番目に美人を選んできたんだ、妥協してくれ」
 帰るためのタイミングを狙って、まったく聞いていなかった話に戻れば、このうさぎよりM響コンサートマスターのほうが愛嬌持ちだといってのける彼は、やはり、あぶないと再確認して、お人よしに分類される悠季にどうやって納得せさようかと頭を巡らせていると。
「殿下、時間はいいのか?コン・マスが待ってるんだろ」
 突如に常識人ぶりの配慮にありがたく乗らせてもらうが、結局、なぜ。うさぎなのか。
 聞き出すことは出来なかった。
 しかし、桐ノ院にとって大事な事は、悠季を待ち合わせの場所である泉岳寺の駅で待ちぼうけを食らわせていることである。
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