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美味しんぼ「日本酒の実力」のおかしなところ

この章を書いたきっかけ

 グルメマンガの金字塔である「美味しんぼ」は、 食文化に多大な影響を与えてきました。 私もこのマンガから多くの影響を受けましたし、 アニメ版も好きなアニメの一つです。 ところが、先日、某古書店で美味しんぼの54巻 「日本酒の実力」を読み直したところ、 昔は気がつかなかったおかしな部分が目につきました。 そのため、コミックを買って帰り、おかしいなあと思った原因を じっくり探ってみることにしました。

その結果、
古い資料を参考にしているので連載当時でも時代遅れになっている
特殊なものに関する統計を一般的なもののように扱っている
話を展開させるために矛盾が生じている
という、三つの違和感を感じる原因があることが解りました。

 ここでは、「My First BIG 美味しんぼ[季節感たっぷり!秋の夜長に日本酒編]」を基に 「日本酒の実力」(本誌掲載1995年 ビッグコミックス「美味しんぼ」54集収録)の おかしな所を挙げていきたいと思います。(ページ数は原稿の真中にふってあるもの)

日本酒の実力<1>

 山岡の行きつけの店「岡星」で間違ったワイン蘊蓄を披露する客を嘆き、 後日、日本酒と料理の相性を説くところから物語は始まります。

P12
山岡
「特に、テレビなんかで大々的に宣伝している酒には、 がっかりさせられるものが多いから、 日本酒が低く評価されるのも、 当然といえば当然なんだ。」

 この発言自体は別におかしくはありません。 (テレビで宣伝できるほど大量に売れる酒=低価格酒が 山岡が美味しいと思うほどの味だったら、 高いお酒の立場がないと思いますが。) ですが、この発言には重要な意味があります。 これが「ほんもの酒を!」 (1982年2月 編著:日本消費者連盟 発行所:三一書房) という本の主張の引用だからです。 「日本酒の実力」が書かれた1995年には完全に時代遅れになってしまっており 変な部分を生み出す一因になっているのです。

P13
山岡
「むしろ、料理との相性の幅は、日本酒のほうがずっと広い。 ワインにはどうしても合わない料理というものがあるが、 日本酒に合わない料理というのは考えられない。」

 とりあえず、カレーとナンを食べながら日本酒を飲みたくありませんし、 ピザなど油の強い食べ物ともあまり合うとは思えません。 近城のセリフのように贔屓の引き倒しでしょう。 そもそも、日本酒と言っても濃醇なもの、端麗なもの、香りが高いもの、 香りがおだやかなもの、辛口なもの、甘口なものと色々ありますし、 ワインにも赤ワインと白ワインの別、甘口と辛口、ライトボディ、ミディアムボディ、フルボディなど色々あります。 一口に日本酒はどうのとか、ワインはどうのとか言い切れるとは思えません。

P19
山岡
「えらい!お腹に赤ちゃんがいるのに、酒蔵訪問とは。 将来立派な酔っぱらいに育つことだろう。」

 妊娠中にアルコールを摂取すると、 胎児性アルコール依存症となる危険性が高まるなど、 胎児に悪影響を与えるとされています。 影響力のある漫画なのですから、少しは配慮した方がよかったのではないでしょうか。

日本酒の実力<2>

 江戸一番の醸造元を山岡たちが訪ねる章です。 そこで、極亜テレビの金上が蔵を乗っ取ろうとしていることを知ります。

P7
均野(兄)
「私どもで造る酒を全部、金上が新たに 買収した酒造会社に売れ、と言うのです。」
「金上は買収した酒造会社を大々的に売り出すために、 酒がたくさん必要なのです。」 「その会社だけでは金上の必要とするだけの酒が造れないので、 私たちの酒をよこせと言うのです。」
P36
「しかも金上は品質はどうでもいいから 今より三倍の量の酒を造れ、と言うのです。」

 有能な経営者であるはずの金上が考えることとは思えません。第一話で
P19 栗田 「そうね。最近評判がよくて、普通のお酒屋さんでは手に入らないようだから・・・・・・」
というように、江戸一番は地酒として名高く一部でプレミア販売もされていそうな設定です。 普通なら、他から持ってきた酒に江戸一番のラベルを貼って出荷するでしょう。 それに、江戸一番の長所は高い品質のようなのに、長所を殺すような指示をするでしょうか? そもそも、量を確保したいならば手造りで少量の生産しかできない江戸一番を乗っ取るよりも 近代的な設備で大量に生産できる会社を買収した方がコスト面で圧倒的に有利ですし、 得られる量も天と地ほど違います。 この理にかなわない展開は、山岡に次の台詞をいわすためのものでしょう。

P7
山岡
「本当に汚い話だ。」
「でも現実に、日本酒の世界では長い間行われていることだよ。」
「"桶買い"と言って、大きな酒造会社が小さな酒造会社の造った酒を 桶ごと買って、それを自分の酒の名前で売るんだ。」

 かつて、大手酒造会社が全国各地の中小酒造会社から桶買いをしていたことや、 その酒に自社のラベルを貼って出荷していたことは事実です。 しかし、「行われて"いる"こと」ではなく「行われて"いた"こと」です。 この話が描かれた95年当時、未納税移出(桶売り)は、 中小の酒造会社→大手酒造会社という流れではなく、 大手酒造会社→中小の酒造会社という流れがメインになっていました。 自ら醸造することができなくなった酒造会社が集約製造に参加という形をとり 大手酒造会社が造った酒を移入していたのです。
 そもそも、大手酒造会社が桶買いをしていたのには理由があります。 戦後長い間、酒造米は、1936(昭和11)年の生産数量を基準に割り当てられていました。 そのため、企業の販売能力と割り当てられる米に大きなギャップが生じ、 大手酒造会社は中小酒造会社の酒を買わねば製品を確保できませんでした。 しかし、1969(昭和44)年産米から酒造米が自主流通米制度に移されたことにより 状況は大きく変わります。 過渡的措置としての生産数量自主規制を経た後、 1973(昭和48)年からは造石権のようなものは消滅し、 酒造会社は自ら醸造する数量を決められるようになったのです。 そのため、売り手と買い手のパワーバランスが変わり、 中小酒造会社が桶売りしていた酒は、 大手酒造会社が自製した酒とのコスト競争に晒されるようになりました。 その結果、大手酒造会社に桶売りするのは半永続的に取引をする 限られた蔵元だけになりました。
 既に過去のものになったことをわざわざ持ち出す意味がわかりません。

P18
山岡
「でも、実際は今でも三増酒は大量に造られているんです。 それどころか、日本酒業界で"普通酒"と言えば、三増酒のことなです。」

 国税庁の「市販酒類の成分等について」によると、 かつては増醸酒が市販酒の80%以上を占めていました。 しかし、1992年(平成4年)の級別制廃止以降は、 平成5年を除いて糖類非添加の酒が市販酒の50%以上を占めています。 普通酒にも増醸酒でないものが増えており、 三増酒だけが普通酒ということではありません。

P19
山岡
「日本の酒造業界は、酒税を徴収するために、大蔵省の監督下に置かれています。」
「大蔵省は、酒の質には無関心です。まがいものの酒でも、たくさん造れるほうが 酒税をたくさん徴収できるから良い。」

 国税庁(国税庁が発足する以前は大蔵省)には、国立醸造試験所 (現在の独立行政法人 酒類総合研究所)という機関があり、 酒類に関する研究や調査などを行ってきました。 山廃もとや速醸もとを開発したのは、醸造試験所です。 蔵元の後継者の多くも醸造試験所の講習を受けています。 けして酒の質に決して無関心だったわけではありません。

P21-P22
山岡
「今、俺は「大手の酒造会社は三増酒を造っていた」と言った。」
「じつは大手の酒造会社は三増酒を最近あまり造らなくなっているんです。」
.
銀高
「へええ。」
.
二木(祖父)
「大手の酒造会社も反省したのだな。」
.
山岡
「だったら偉いもんです。ところが、そうじゃない。」
「大手の酒造会社は、三増酒よりもっと巧妙でもうかる酒の造り方をはじめたのです。」

 ついさっきまで、 「実際は今でも三増酒は大量に造られているんです。」 などと現在形で増醸酒のことを語っていましたが、 不思議なことに過去形で語っていたことになっています。
 「三増酒よりもっと巧妙でもうかる酒の造り方」とは、本醸造酒のことですが、 本醸造酒を世に広めたのは、大手メーカーだけではありません。 そもそも、一ノ蔵や越乃寒梅など初期の地酒ブームの主役たちの 主力商品は本醸造酒でした。 それに、大手の酒造会社だけが本醸造酒を販売してるわけではなく、 アルコール添加酒を造っている蔵元で 本醸造酒を造っていないところはあまりありません。

日本酒の実力<3>

 金上の乗っ取りを阻止するために江戸一番に対する融資を二木父子に頼む章です。

P2
二木(父)
「旨味が足りないですな、味が固くてキリキリする感じだ。」
近城
「すっきりしているようには感じるけど、それは「ロ」の純米酒に比べて 味が薄いせいだってことがわかるよ。」
銀高
「純米酒のようなふっくらした感じがしません。痩せた味だ。」

 確かに、すっきりとしすぎて味が固い本醸造酒はありますが、 全ての本醸造酒がそうでしょうか? 一口に本醸造酒と言っても、私がこれまでに飲んだものだけでも 端麗なもの濃醇なもの甘いもの辛いものなど色々ありました。 決して、「旨味が足りない」「味が固くてキリキリする」「味が薄い」 「ふっくらとした感じがしない」「痩せた味がする」ものだけではありませんでした。 また、逆に純米酒でも味が固くて薄いものにであったこともあります。 蔵元によって酒質は違いますし、同じ蔵元でも商品毎に違う場合もあります。 どこの蔵元のどの製品をモデルにしたかは解りませんが、 それで本醸造酒の全てを語るというのは暴論ではないでしょうか。

P4
山岡
「たとえば、これはある酒蔵の例ですが、精米済みの白米1トンから アルコール度数17パーセントの純米酒が2100リットルできるそうです。 含まれてるアルコールは約350リットルということになります。」

 国税庁の「平成17酒造年度における清酒の製造状況等について」によると、 純米吟醸酒は13,400トンの白米から27,781キロリットル造られており、 その平均アルコール度数は17.8度です。 白米1トンあたりに直すと、 アルコール度数17.8度の酒が約2,073リットル造られており、 それに含まれるアルコールは約369リットルです。 つまり、ある酒蔵の例というのは、純米吟醸酒の平均よりも 得られるアルコールの度数も量も低い、とても特別な純米酒ということになります。 平成7年当時と純米酒の基準が大きく変わり、単純に比較的ないのですが、 純米酒は25,403トンの白米から53,962キロリットル造られており、 平均アルコール度数は18.3度です。 これも白米1トンあたりに直すと、 アルコール度数が18.3度の酒が約2,124リットル造られており、 それに含まれるアルコールは約389リットルということになります。 このように特殊なもの(おそらく純米大吟醸酒)を 純米酒の代表として語っていいのでしょうか。

P4-6
栗田
「この純米酒を、本醸造酒にするとしましょう。」
「その純米酒に添加していいことになっている120リットルのアルコールを加えると、 アルコール度数が高くなりすぎるから、水で割って全体を元通りの17パーセントの アルコール度数になるように調整すると、 できるお酒の量は2806リットルになります。」
「つまり、純米酒を本醸造酒にすると、33.6パーセント生産量が増えるわけです。」

山岡
「同じ量の米からでも本醸造酒用に造る酒は、 純米酒よりたくさんできる造り方をするし、 本醸造酒のアルコール度数は15パーセントから16パーセントが一般的だ。」
「となると、本醸造酒の実体は今の単純な計算が示すものより、 もっと本物の酒から遠いものになる。」

二木(祖父)
「糖類こそ混ぜないが、アルコールと水で薄めた 本物とはほど遠い酒を"本醸造酒"などと呼ぶとはな・・・・・・・」

 このくだりには二つ問題があります。 まず、第一は、
水で割って全体を元通りの17パーセントの
アルコール度数になるように調整すると
本醸造酒のアルコール度数は15パーセントから16パーセントが一般的だ。
.
となると、本醸造酒の実体は今の単純な計算が示すものより、
もっと本物の酒から遠いものになる。
.
糖類こそ混ぜないが、アルコールと水で薄めた
本物とはほど遠い酒を"本醸造酒"などと呼ぶとはな・・・・・・・
という部分です。 この説明では、純米酒は加水せずアルコール度数17パーセントで販売されているが、 本醸造酒は加水してアルコール度数16パーセントにして販売されていると 勘違いしてしまう人が多いでしょう。 しかし実際には、一般的な純米酒の原酒時のアルコール度数は18パーセント前後ですし、 一般的な商品は、それに加水をして 15パーセントから16パーセントにしてから販売されています。。

 次に問題なのは、
同じ量の米からでも本醸造酒用に造る酒は、
純米酒よりたくさんできる造り方をするし、
という部分です。 これも「平成17酒造年度における清酒の製造状況等について」からですが、 白米1トンから造られるアルコールは、 純米吟醸酒で約369リットル、純米酒で約389リットル、 吟醸酒で約448リットル(添加されたアルコールを除くと約344リットル)、 本醸造酒で約480リットル(添加されたアルコールを除くと約365リットル) となっています。 つまり、本醸造酒は純米酒よりもアルコールが多く得られるように 造られているわけではありません。

P13
山岡
「じつは、「ニ」の吟醸酒と「ヘ」の大吟醸酒には、 アルコールが加えられているのです。」
「俺も不思議に思って何人かの杜氏さんにたずねたら、 本醸造酒を造るときとは違った目的があるようだ。」
「もろみの中に含まれている”吟醸香”をアルコールが完全に 引き出してくれる、と言うんだ。」
「だから、添加する量も本醸造酒よりははるかに少ない。」
「アルコールを加えると味が淡麗になる、とも言います。 「淡くすっきりと綺麗な味になると言うわけです。」
.
二木(父)
「それもおかしい!単にアルコールで薄めて味が薄くなったのを、 淡麗になったと思い違いしてるだけなんじゃないのかね?」

 国税庁の「平成17酒造年度における清酒の製造状況等について」によると、 本醸造酒の白米1tあたりの純アルコール添加量は114.9Lであり、 吟醸酒の白米1tあたりの純アルコール添加量は104.5Lであります。 吟醸酒の方が少ないものの「はるかに少ない」というわけではありません。
 また、アルコールを添加すると、 糖類は添加した量に比例して減ってしまいますが、 アミノ酸や有機酸類はそれほど減らないので 単純に味が薄くなるということはありません。
また、本醸造酒にアルコールを添加することは、増量という意味もありますが、 吟醸酒と同じく香りや味などを調整するという意味があります。
(参考:協和発酵 アルコール事業部 清酒へのアルコール添加の効用

純米酒・アルコール添加酒のアルコール製成数量比較
白米1tあたりの製成数量(L)アルコール度数(%)白米1tあたりの純アルコール(L)白米1tあたりの添加純アルコール(L)白米1tから造られた純アルコール(L)
純米酒(美味しんぼ基準)2100L17%350L0350L
純米吟醸酒2073.2L17.8%369.0L0369.0L
純米酒2124.2L18.3%388.7L0388.7L
吟醸酒2360.3L19.0%448.4L104.5L343.9L
本醸造酒2423.7L19.8%479.9L114.9L365.0L

P14
山岡
以前、日本酒の世界で大変な権威を持っている酒の博士が、 ”酒は淡きことを水のごときを持って良しとする”と言った。

 酒の博士とは、故坂口謹一郎博士のことですが、 越乃寒梅を水のように良いお酒だと賛辞しましたが、 日本酒は水のように淡ければ良いなどとは言っていません。

P14
山岡
「日本人は、権威とされる人の言うことには、 無条件にありがたがって従うおかしなところがある。」

 美味しんぼという漫画の自己批判でしょうか?

 また、こんな風に書いた後で、 実在の人物を「日本酒最高の権威」と紹介するのは 失礼だと思わないのでしょうか。

日本酒の実力<4>

 海原雄山が日本酒に未来がないと講釈をたれる章です。

P14
山岡
「その級別制度が廃止になると、 今度は酒造会社が勝手に級別を作り始めた。」
「それが、この"特撰"とか"上撰"とかいうものなんです。」
(中略)
「問題は、それぞれどんな基準でつけているのか、 判然としないことだ。」

二木会長
「冗談じゃない!それじゃ混乱するばかりだ!」

二木父
「以前の級別制も、酒税のことを主に考えたいい加減なものだったのに、 今度のこの表示は、もっといい加減で何が何だかわからないよ!」

二木まり子
「あきれるわね、お酒の業界の人って、 どうしてこんなデタラメなことばかりできるのよ!」

 雁屋節が冴えている名場面ですが、 実は「特撰」「上撰」「佳撰」はいい加減につけられているわけではありません。 参考小売価格を基準につけられています。 (特撰・上撰・佳撰とはなにか?) 2007年現在だと、佳撰なら一升瓶で1643円、 上撰なら一升瓶で1887円が標準的な価格となっています。 少し調べれば解る事なのですから、ちゃんと取材してもらいたいものです。

P15
雄山
「フランスでは、ワインの中身の表示に関しては、厳しい規定がある。」
「ラベルを見れば、どんなブドウを使ったワインか、 どんな品質のワインか、どんな等級か、はっきりわかるし、信頼がおける。」

 確かにフランスワインのラベルを見れば、産地や等級などはすぐに解ります。 しかし、ブドウの品種は書かれていない場合が多く、 AOCだけで何百もある産地とそこで栽培されているブドウを 覚えているか調べるかしなければブドウの品種は解りません。 (裏ラベルなどに記載されている場合もあります。)

P15-16
雄山
「一番の問題は、純米酒と純米吟醸酒は、 両方合わせても全出荷量の5.7パーセントしかないことだ。」
「残りの94.3パーセントの酒は、アルコールや糖類を添加したまがいものの酒だ。」
「美食倶楽部では、アルコールや糖類を添加した酒はいっさい認めない。」
「いい酒を選ぶのは、大変な苦労だ。」
「こんな滑稽で不幸な話があるだろうか? たとえばフランスでワインを選ぶときに まず”純ブドウワイン”を選ぶところから始めなければならず、 しかも、その純ブドウワインの比率が、 すべてのワインの中のわずか5.7パーセントしかない、 などという事態になったら、フランス人は革命を起こすだろう。」

 ラベルを見ても判断できないことが多いので、 補糖や補酸をしていないフランスのワインを選ぶのは案外面倒です。 しかし、そのためにフランス人が革命を起こしたとは聞いたことがありません。

 また、補糖していないワインを探すよりも、 ラベルに「純米酒」「純米吟醸酒」などと書かれている 日本酒を探す方が何百倍も楽でしょう。 それに、海原雄山が足を運ぶような酒販店に陳列されている日本酒のほとんどは 特定名称酒でしょう。特定名称酒の1/4は純米酒か純米吟醸酒なのですから、 探すのが面倒というのは、ただの物臭な人の言い分ではないでしょうか。

P21 山岡
「先生は国税庁の醸造試験所で研究生活を送られた後、 民間のさまざまな醸造関係の会社で活躍された 日本酒最高の権威だ。」

 日本酒の実力<2>のP19で「大蔵省は、酒の質には無関心です。」と書いたのに 醸造試験場の存在は知っているようです。 また、「日本人は、権威とされる人の言うことには、 無条件にありがたがって従うおかしなところがある。」 と書いておいて人を権威と紹介するのは、いかがなものでしょうか。

日本酒の実力<5>

 穂積忠彦氏に日本酒に望みがあることを示すためのヒントをもらう章です。 しかし、穂積氏の話というのが連載の12年以上前の著書からの引用なので 色々おかしいことになっています。

P6
穂積
「たとえば、今日ここにあるお酒は、日本酒全体の中ではほんの一部分だ。」
「そのほかの大部分のお酒は、私に言わせれば”一見清酒風アルコール飲料”でしかない。」
「アル添酒や三倍増醸酒、桶買い、意味のない級別制度などについては、みんなも知ってるね?」

 わざわざ漫画に実在の人物を出すのですから、 穂積氏に取材に行ったと多くの人は思うでしょう。 しかし、これ以降の穂積氏の話は、 1983年に出版された「穂積忠彦・本物の美酒銘酒を選ぶ」 (1983年1月10日第一刷 著者:穂積忠彦 発行所:健友館) からの引用がほとんどです。 そのため、桶買いや級別制度など95年当時でも 過去のものになっていた出来事に言及しています。

P7-9
穂積
「そして新たな問題が白糠糖化液だ。」
「玄米を精米すると、いわゆる普通の糠が出て白米となる。」
「良い酒を造るには、白米をさらに削る。この時に出る粉を白糠と呼ぶ。」
「この白糠に含まれるデンプンに科学的な処置をして糖化するとできるのが、「白糠糖化液」だ。」
「白糠は、白米を削ってできるクズだから、値段はべらぼうに安い。 それをブドウ糖や水あめなどの糖類のかわりに添加すると安上がりなうえに、 ”「白糠糖化液」の原料は米だから糖類添加ではない”という理屈も成り立つ。」
「さすがに日本酒造組合中央会は、「白糠糖化液」を使用したときは、「醸造用糖類」と 添加物表示をすることに申し合わせた。」
「ところが、それは法的な強制力を持たない、業界の自主的な申し合わせにすぎないし、 もうひとつおかしいのは、”白糠糖化液を使ってはいない”という表示が、禁じられていることだ。」

 新たな問題と穂積氏が言っているので、 読者の多くは「日本酒の実力」が掲載された 1995年当時に問題になったと思うでしょう。 ところが、これが新たな問題だったのは、 「穂積忠彦・本物の美酒銘酒を選ぶ」が出版された83年当時の話です。
 また、法律によらない自主規制に疑問を呈していますが、 日本酒造組合中央会が白糠糖化液を醸造用糖類と表示するように定めたのが1982年、 穂積氏が執筆していたのが82年の年末なので、 申し合わせが実際に守られるかどうか解らなかったので、そう書いたようです。 89年の「日本酒すべてがわかる本」(1989年2月1日第一刷 著者:穂積忠彦 発行所:健友館) の前書きをみると、
この米ヌカ糖化液は清酒醸造家の中央組織である日本酒造組合中央会の 「清酒の表示に関する自主基準」によって 「醸造用糖類」と原材料表示されることになって、昭和五十七年七月十日から実施され、 今日に至っている。
と書かれていますし、それに続いて、 清酒の級別制廃止を前に、白糠糖化液を使っている酒造家が 現在の特定名称酒に白糠糖化液を使用した酒をひそみ込ませようと 原材料表示を醸造用糖類から見直すように陳情したとも書かれています。 申し合わせが有名無実ならば、そんな陳情はする必要はありません。 その陳情は受け入れられず、2006年には白糠糖化液を 糖類とすることが酒税法にも明記されるようになりました。 美味しんぼは、参考にした本の出版後、問題の件がどうなったかを著者に聞かないのでしょうか。

P9
穂積
「いくつもの酒造会社が、”三増酒を造るのはやめた”と宣言している。 しかし、業界全体で使用している醸造用アルコールの量は ほんのわずかしか減っていない。」
.
山岡
「三増酒を造るのと同じだけのアルコールを使って、 いっさい糖類を加えない酒なんて辛くて飲めたものじゃないから、 何かで調節するしかない。」
.
二木
「何かって、ほかには考えられないわよ。 白糠糖化液を使っておきながら、 糖類添加表示をしないお酒があるのよ!」

 1995年当時に販売されていた糖類非添加酒の中に 白糠糖化液を使った三増酒が混ざっていると誤解されやすいくだりです。 しかし、これも先に述べたくだりと同様に1983年当時の話です。 これは、1981年に月桂冠や菊正宗などが 三増酒全廃を宣言したことをさしていると思われます。 「穂積忠彦・本物の美酒銘酒を選ぶ」のP246-247にある 「第12表戦後の清酒生産状況」によると、 1981年度の白米1tあたりの原料アルコール(100%アルコール換算)は249L、 1978年度は255L、1973年度は270L、一番多かった1958年度が311Lなので 確実に添加されたアルコールは減っています。

P9-10
栗田
「ちゃんと法的な規制をしないからいけないんだわ。」
.
山岡
「いや、一番いけないのは、日本酒にアルコールの添加を認めていることだ。」
「アルコールの添加があるからこそ、糖類の添加も生じてくる。」
「アルコール添加が諸悪の元なんだ。」

 本醸造酒や吟醸酒など糖類を添加しないアルコール添加酒が存在している以上、 あまり説得力がない言葉のようにみえます。 そもそも、本来これは一般的なアルコール添加酒を批判する言葉ではありません。 「穂積忠彦・本物の美酒銘酒を選ぶ」の中で三増酒とブレンドするために、 そのままでは飲めないほどアルコールを添加した酒を批判している文の 引用なのです。

P118
穂積
「そのとおり。」
「しかも添加される醸造用アルコールは、サトウキビの廃糖蜜を発酵させてつくられるんだ。」
.
近城
「廃糖蜜?」
.
山岡
「オーストラリアの製糖工場を取材したとき見たじゃないか。」
「黒褐色でどろどろした、コールタールのような代物だ。」
.
栗田
「砂糖をしぼった後の残りカスね。」
.
穂積
「食用にならない廃物を発酵させて作るアルコールだから、安くできる。」
「原料が原料なので、不純物が混じると匂いが悪くなるから、徹底的に精製する。」
.
近城
「冗談じゃないよ。米を磨いて造ったお酒のつもりでそんなアルコールを飲まされるなんて!」
.
穂積
「だから、私は言うんだよ。今の日本酒の大半は、”一見清酒風アルコール飲料”だって。」

 色が同じように黒いからといって、 廃糖蜜は発ガン性のあるコールタールのような 代物では決してありません。
 また、先に書いたように、穂積氏が批判する一見清酒風アルコール飲料とは、 三増酒及び、三増酒と混ぜる為にアルコールを大量に添加された酒のことです。 穂積氏は、著書で本醸造酒や吟醸酒のことをどちらかと言えば推奨しています。 純米酒以外を認めない美味しんぼと、条件付きで認めている穂積氏の違いが 後に大きな矛盾を生み出すことになります。

P10-11
(穂積氏のお勧めの酒が次々と紹介されていきます)
「亀の翁」吟醸 新潟県・久須美酒造
「出羽桜」雪漫々 山形県・出羽桜酒造
「千代の園」 熊本県・千代の園酒造
「達磨正宗」 岐阜県・白木垣助商店
「郷乃譽」花薫光 茨城県・須藤本家
「黒龍」二左衛門 福井県・黒龍酒造
「八海山」 新潟県・八海醸造
「雪中梅」 新潟県・丸山酒造場
(※太字はアル添酒)
.
栗田
「先生、ご自分のお子さんでも見せびらかすみたいに、自慢げで幸せそうで・・・・・・」
.
二木 「先生の日本酒にかけた愛着が、ここに集まっているのね。」

 千代の園の大吟醸と雪中梅の吟醸はアルコールが添加されたお酒です。 直前にあれだけ批判していたアルコール添加された日本酒を 勧める穂積氏と、それを大げさに感動した眼差しで見つめる人たち。 とてもシュールな展開です。

P13
穂積
「ほら、あなたの思い出の酒があっただろう?」
.
澤村
「はい。」
「越の華」大吟醸(新潟県・越の華酒造)
「私がこういう店を始めようと思ったのは、この「越の華」に出会ったからです。」
「この酒に惚れ込むことで、日本酒に開眼したのです。 こんなに良いお酒をみんなに飲んでもらいたい、 みんなに知って欲しい、そう思いました。」
「同時に、日本中を歩いて、ほかにも良いお酒を探すことを始めました。」
.
栗田
「ひとつのお酒に出会ったことで、ご主人の人生が変わったのね。 何というすばらしいことでしょう!」
.
山岡
「先生、これが先生のおっしゃる、大事なことのひとつですね?」

 越の華の大吟醸もアルコールが添加されたお酒ですが、 そんな矛盾は気にせずに話は続きます。

P17-P19
海原
「美食倶楽部で愛用している、「鶴の里」の、純米酒だ。」
「これがどうした?」
.
栗田
「海原さんは「鶴の里」がお好きなんですね?」
.
海原
「灘や伏見の大手が金もうけ第一主義のクズ酒を造り、 日本酒の伝統を破壊する愚行を重ねているのを尻(原文は尼)目に 北陸の小さな町でしっかりと伝統の酒造りを守り続け、 こつこつとその技術に磨きをかけ、驚嘆すべき酒を造り上げた。」
「20年ほど前から、そのすばらしさが日本中に知れ渡り、 本当の酒は、地方のまじめな蔵元の造る酒の中にあるという事実を、 多くの人たちに正しく認識させた功績のある蔵だ。」
「まさに鎌倉時代の刀工、岡崎五郎正宗の鍛えた太刀のように、 気と力がみなぎっていて、すさまじい切れ味。」
「と言って荒々しさは皆無で、味わいは繊細極まりなく、 風味のひだが織りなすあでやかさは日本的な美意識そのもの。」
「惜しむらくは、「鶴の里」も吟醸酒には、吟醸香を引き出し 風合いを軽くするためと言って、ほかの蔵の吟醸酒に比べれば ほんのわずかとはいえ、アルコールを添加していることだ。」
「だから吟醸酒の方は、美食倶楽部に置いていない。」
「どんなに苦労して造っても、醸造用アルコールを添加してしまうと、 世界的な水準では「リキュール」に分類されてしまい、 フランスの白ワインとは同列には並ぶことのできない酒類として 扱われてしまう。じつに残念なことだ。」
「今まで酒造りの改良に果敢な挑戦を続けてきた「鶴の里」が、 純米だけの吟醸酒造りに挑戦したとき、 「鶴の里」は世界の銘酒になるだろう。」
.
栗田
「吟醸酒に対するアルコール添加を除けば、大絶賛ですね?」
.
海原
「うむ、私が「鶴の里」に出会ったのは、日本酒にうんざりして、 あきらめかけたときだったから、よけいに衝撃が大きかったのだろう。」

 鶴の里となっていますが、P17の一番下のコマにある蔵元の外観などを見るに、 明らかに石川県にある菊姫合資会社をモデルにしています。 このマンガに紹介されている他の蔵元は、 蔵元の実名と実際の商品が紹介されていますし、 純米酒以外にアルコール添加酒を出していても何も書かれていません。 (アルコールを添加した商品を紹介したりしてますが。) 菊姫だけがこのように書かれるのは、「酒の効用」(BC「美味しんぼ」4巻収録)で 菊姫 大吟醸が紹介されたからでしょう。 例によって、純米酒を持ち上げる内容ですが、そこで菊姫の大吟醸が紹介されています。 しかし、純米大吟醸酒ではなく大吟醸酒なので醸造アルコールが添加されています。 その言い訳として、このくだりを書いたのでしょう。
 ところが、上記のように、日本酒の実力でもアルコール添加酒が紹介されています。 しかも、「再起の時!!」(BC「美味しんぼ」61巻収録)でも アルコールが添加された喜久酔 特別本醸造が紹介されています。 実は作者がアルコール添加酒と純米酒の違いが解っていないのでしょうか? それとも、本当は添加されていようがいまいがどうでもいいのでしょうか? 権威あるグルメマンガなのですから、はっきりさせてもらいたいものです。

日本酒の実力<6>

 二都銀行の銀高を説得するために酒販店ときき酒会に連れていく章です。

P7
二木(祖父)
「失礼ながら埼玉県の深谷市という、決して大きくはない街に、 大手酒造会社の酒とは比較にならないすばらしい酒が、 華やかにけんを競っている。」
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P17
銀高
「私が未来がないと思っていたのは、この50年間日本を牛耳っていた、 大手酒造会社主導の日本酒業界のことだったことがわかりました。」
「こっちは新しい日本酒の世界です。」
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P18
山岡
「大手主導の三増酒やアル添酒が跋扈していたのは、”日本酒旧時代”。」
「俺たちは、”日本酒新時代”を迎えたんだ。」

 大手酒造会社の酒=三増酒&本醸造酒などのアル添酒
地方の酒蔵の酒=本物の酒(この漫画では純米酒)
ということを主張していますが、 大手酒造会社も純米酒や純米吟醸酒を造っていますし、 この漫画で推奨された蔵元の過半はアルコール添加酒を造っています。

P18-P19
銀高
「木村さん山岡さんの言葉を証明するようないい酒造りをしている酒蔵は、 本当にたくさんありますか?」
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木村
「ありますとも」
「埼玉の「神亀」。群馬の「群馬泉」。茨城の「武勇」。 静岡の「喜久酔」。鳥取の「日置桜」。香川の「悦凱陣」。」
「どれも”味のまちだや”お奨めの酒です。間違いなく”日本酒新時代”です。」

 日本酒新時代の酒はアルコールを添加していないはずなのですが、 静岡「喜久酔」の絵には、特別本醸造と描いてあります。 簡単なチェックぐらいしないのでしょうか?

なぜ「日本酒の実力」は多くの問題点を抱えたのか?

 ここまで書き連ねてきたように、美味しんぼ「日本酒の実力」は数多くの 問題点を抱えています。最後に、なぜ「日本酒の実力」が これらの問題点を抱えるに至ったか考察してみたいと思います。

資料が古い
 穂積氏の言葉などが83年の「穂積忠彦・本物の美酒銘酒を選ぶ」からの 引用であるように 全体的に資料が古いようです。 おそらく、「酒の効用」を書いた時の資料を使い回したのでしょう。 十年を経て、級別制廃止などの大変革があり、完全に時代遅れになってしまっています。
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対立する意見の同居
 美味しんぼは、三倍増醸酒やアルコール添加酒を非難し、 純米酒を日本酒新時代のほんものの酒と賞賛しています。 ところが、「澤村」「よね源」「マチダヤ」の主人や穂積氏は、 三増酒のことは非難するものの、 吟醸酒や本醸造酒などのアル添酒までは排除していないようです。 そのため、山岡などとアルコール添加酒を非難した直ぐ後に アルコール添加酒をお勧めの酒として紹介するなど、おかしなことになっています。 多くの人の意見を採り上げることは良いことだと思いますが、 作中の矛盾はなくしてもらいたいものです。
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大手メーカーへの過剰なバッシング
 大手の酒造メーカーに批判されるべき点があるのは確かです。 しかし、事実でないことを書き批判したりするのは、ただの言いがかりです。

 これらの要因が、美味しんぼ「日本酒の実力」を おかしくしているのでしょう。 グルメの権威とも言えるマンガなのですから、 色々気をつけてもらいたいものです。


参考文献
My First BIG 美味しんぼ[季節感たっぷり!秋の夜長に日本酒編]
 作:雁屋哲 画:花咲アキラ
My First BIG 美味しんぼ[酔うぞ〜!とことん酒編]
 作:雁屋哲 画:花咲アキラ
穂積忠彦 本物の美酒名酒を選ぶ 著者:穂積忠彦
ほんものの酒を! 編著:日本消費者連盟


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最終更新日2007年12月7日