代替ウォリアーズ


 嵐、といえばハボックにとっては気象用語ではなく、こどもを指す方になじみがあった。
 まったく困ったことに、そのこどもが東方に顔を出すときは二度に一度の割合で騒動をともなって来る。トラブルが好んで彼につきまとうのは、その生い立ちからくるのだろうか。
 ともかくも、今回もエドワード・エルリックとその弟アルフォンスの来訪は、嵐の如く。


 セントラルから直接の命令を携えて来た大尉を車で駅まで送ることになったハボックは、出掛けに上官に声をかけられた。
「もうそろそろ鋼のが着く頃だから、帰りについでに拾って来い」
「へーい」
 一応上官命令なので、びしっと答えるべきなのだろうが、内容が内容だ。気負うような命令ではないから、ハボックは気の抜けた返答をした。その様子を胡散臭そうにセントラルの大尉が眺めていた。
 後部座席に乗った大尉とは特に話すことがあるわけでもなし、黙って運転手の役目を果たして安全運転を心がけるハボックに、当の大尉が話しかけてくる。
「さっきマスタング大佐がおっしゃっていた『鋼の』とは、あの鋼の錬金術師のことか?」
 あのもそのも、鋼の二つ名をいだく錬金術師なんて一人しかいねえよ、と心中でひとりごちてハボックは生真面目を装って簡潔に答えた。
「はい」
「最年少で国家錬金術師に合格したと中央でも有名だ。さぞかし腕がいいのだろうな。マスタング大佐も良い駒を手にされたものだ」
 言葉の後半に棘があった。自分の上官はあちこちに賛同者協力者の類を得ているが、それ以上に敵も多い。その大半は本人が鼻で笑ってしまうような、ただわずらわしいだけの存在で、おそらくこの大尉も上官にとってはその部類に入るのだろう。
 しかしはたして、この男にエドワードが決して駒ではないことを教えていいものか。
 迷った挙句、ハボックは口を閉ざし、黙々と前を見据えるふりをしてバックミラーに映る男の表情を垣間見る。
 男も別にハボックの返答を要しているわけではないから、沈黙をとがめることはなかった。
「あんな風に礼儀正しくおとなしいこどもならば、扱いもたやすいだろう」
 その言葉はあまりにハボックの意表をつきすぎた。へ……?などという間抜けな反応をせずに助かったが、ハボックはこっそりとしきりに首を傾げる。
 エドワードがおとなしい?あのエドワードが?豆といわれただけで暴れ出すあのエドワードが……?
 疑問符だらけのハボックにちっとも気づかないのか、大尉は「国家錬金術師試験の前に、一度会ったことがある」と話を続ける。
「会ったといっても道を聞かれただけだがな。あのときは軍の敷地内にこどもがいることに驚いたが、あとから知ったよ。それが鋼の錬金術師だったことに。道を教えたらたいそう丁寧なお辞儀をして去って行った」
 絶対、猫かぶってた。でっかい猫。
 納得の行く答えをはじき出してハボックはほっと胸をなでおろした。一体あのこどものどこをどう見たら「扱いやすい」などと思うのか。
 エドワードはあれでいて、礼儀正しくすべきときはそれなりに振舞う頭の良いこどもであるし、己の利害と一致するならば命令におとなしく従うだろう。現に、マスタング大佐からの指令には嫌々ながらも従って、ほぼ完璧に任務をこなしている。しかし、それは相手があの上官だからで、生半可な人物に彼を使いこなすことは出来ない。と、ハボックは思っている。自分でも彼に対する評価はちょっと甘いかな、とも思うが。
 少なくとも、いま後ろに座っているこの大尉にはとても彼を駒のように扱うことは出来ないなと考えて、ハボックは気づかれないように小さく笑った。


 汽車に乗る前に本部へ連絡するという大尉を待とうとしたハボックは、当の本人から「ここまでで結構」と告げられて、それならばと一人でホームへ向かった。エドワードが乗ったという汽車が時間どおりに着くならば、あと五分もすれば汽車が滑り込んでくるはずだ。
 火をつけないまま煙草を銜え、ホームに出ると何やら端の方が騒がしい。人だかりが最も煩い場所を遠巻きに眺めている。遅くなることはあっても早く着くことは滅多にない汽車が、すでにホームに停車していた。
 習い性になったような予感に従うままに人だかりをかきわけると案の定、暴れるこどもと鎧のコンビがいた。地に這っている男が五人。まだ立っているのは兄弟の他には三人。ハボックがそう見てとった次の瞬間、エドワードの手刀が男の首の後ろに沈んだ。これで残りはあと二人。
 手を出すまでもない、とハボックが見物人を決め込むと、ちらっとこちらを見たエドワードがニヤリと笑んだ。
「随分と余裕のあることで」
 小さく呟いたハボックに、今度はアルフォンスが男の腹に拳を叩き込みながら会釈をした。ハボックが軽く手を上げて振る頃には最後の一人が地に這っているありさま。兄弟それぞれ一人につき四人を相手にしたとして、五分で大の男が四人ものされてしまうとはちょっと情けないんじゃないかとハボックは思う。それだけエルリック兄弟が強いということでもあるが。
 見物人たちの温かい拍手に迎えられ、照れながら兄弟が向かった先はホームの柱の影で、そこまで来るとエドワードはすとんとかがんだ。
「もう大丈夫だよ」
 こんな顔をするのか、とハボックが驚くくらいに優しい微笑みを浮かべたエドワードは、柱の影で震えていた小さな女の子の頭を左手でぽんぽんと撫でた。ありがとうございました、と頭を下げる母親に二人は「無事でよかった」と口々に言って、近くだったら送ろうかと申し出た。ハボックの方をちらりと見て。
 つまり、俺に送らせようってわけね。
 ハボックは煙草を無造作にしまうと、苦笑いをしながら彼らに近づいた。
「少尉、久しぶり」
「久しぶりだな、大将、アルフォンス」
「こんにちは、ハボック少尉」
「車で来ただろ?この人たち送ってくれよ」
 母娘は一旦は遠慮したが、奴らの仲間が他にいないとも限らない旨を指摘すると、「お手数かけて申し訳ありません」と言いながら承諾した。
 慌しく近づいて来た憲兵たちが、その場にいた軍服姿のハボックに状況の説明を求めて来たが、ハボックも来たばかりで前後関係がわからない。横からエドワードが口をはさんだ。
「こいつらが、この子を攫おうとしたんだ」
 エドワードとアルフォンス曰く。
「汽車が止まってみんなが降りようとドアを開けたところで、あいつらが乗り込んできてさ。いかにも怪しい感じだったから、こりゃ何かあるなって思って注意してたら、同じ車両に乗ってたこの子を母親の手から奪い取って連れ去ろうとした。で、俺は窓から飛び出して」
「僕は昇降口から出て、兄さんと挟み撃ちにしたんです」
 というわけだった。
 身なりの良い母親と娘を見るからに、娘を誘拐して身代金を請求しようという腹づもりだったのだろう。白昼堂々と衆人環視の前で攫おうとは、意表をついてかえって斬新な計画だったかもしれないが、彼らにとって不運だったのは、母娘と同じ汽車にエドワードとアルフォンスが乗っていたことだ。
 地面で気絶していた男たちがちらほらと意識を取り戻し始めたが、彼らはすでに憲兵によって縄で両手を縛られている。それに気づいた彼らは、エドワードとアルフォンスを視界に納めると舌打ちをした。
 彼らの護送は憲兵に任せることにして、ハボックは兄弟と母娘を送ることを憲兵に告げ、歩き出した。しかしいくらも行かないうちに、エドワードが、ふと立ち止まる。
「あ、荷物、汽車ん中置きっぱなし」
 先に行っててくれと言い置いて、エドワードは赤いコートを翻し、汽車に向かって走っていった。小さい後姿が人波に消えかけたとき、エドワードに向かって体当たりの勢いで駆けて行く男が見えた。通行人が男にはねとばされる。憲兵の「待て!」という声が聞こえた。
 エドワードがさっき地に沈めたばかりの男が、憲兵の手を振り払って逃げたようだった。縄で縛ったはずなのに、男の両手は自由だ。
「エド!横だ!」
 ハボックの声にエドワードが右を見た。男の手にはきらりと光る鋭いものがあった。男とエドワードの間に、どうしたらよいのかわからず立ち尽くしたままの女性がいた。男はナイフを右手にしっかりと持って、真っ直ぐにつっこんでくる。女性を避けようとするそぶりは微塵もなかった。
 エドワードは、間一髪で女性と男の間に身を滑り込ませる。
 ナイフとエドワードの距離は、0センチだった。背筋が凍りつく。
 ハボックの位置からは、ナイフがそのままエドワードに吸い込まれていくように見えた。思わず、足が止まった。ナイフが人に埋まる、鈍い音が聞こえた気がした。エドワードにつきとばされて、女性が地面に倒れた。
「兄さん!」
 アルフォンスの厳しい声でハボックが我に返ると、右手を大きく振り払ったエドワードが、その勢いのまま男の鳩尾に拳を叩き込んだ。地面に落ちて、カランと音を立てたナイフには血の跡はなかった。
 代わりに赤いコートの袖が、数十センチに渡って切られ、エドワードの腕の動きに合わせてひらりとはためいた。


「大丈夫だよ。ほら、怪我なんてしてないだろ?」
 自分を助けてくれたお兄ちゃんが刺されてしまったと思って火がついたように泣き出した少女を、エドワードは困り顔で慰めた。疑う少女に、袖をまくって機械鎧の右手を見せる。
「……おーとめいる?」
「そ。よく知ってるな。機械鎧で硬いから、ナイフなんかじゃ傷もつかないぞ」
 エドワード位のこどもが機械鎧をつけているのは珍しいが、少女は幼いのでその珍しさに気づいていない。おまけに、彼女は鋼の右手を恐がるようなこともなかったので、エドワードの説得は実にスムーズに行った。
 車に乗ってからは、エドワードとアルフォンスの間に座ってご満悦だった。
 母娘を家まで送り届けると、中へ入ってお茶でも、と誘われたが、てっきり受けるものと思っていたハボックの予想を覆して兄弟は辞退した。
 気を遣わせてしまった、とハボックは内心苦笑する。
 勤務中のハボックは、いくらお礼といってもお茶や食事の類は遠慮するのが常だ。しかし兄弟を司令部に連れ帰るのが今の仕事なわけで、彼らを置いて一人、先に帰るわけにもいかない。必然的に、兄弟を外で待つということになる。
 かといって、すまないなどと謝るのも野暮なので、結局こんな風に言うしかない。
「お前らが来ると、いっつもトラブルが起きるなあ」
 行きに大尉を乗せたときとは別の気持ちで安全運転を心がけるハボックは、バックミラー越しに兄弟を眺めた。
 兄の方はすかさず「いっつもじゃねえ!」と反発して、弟の方は「うーん、でも意外と当たってる気がする」と頷いた。
「エド。本当に怪我はなかったのか?」
「ないよ。コートが破れたりちょっと埃で汚れたくらいで」
 前をしっかり見つつも、先ほどの出来事を反芻していたハボックは、少し心配になる。あのときは幼い少女が泣き出してしまって、そっちに気を取られて忘れていたが、何に危機感を抱いたのかを思い出したのだ。
 あのとき、決してエドワードは女性と男の間に自らの身体を割り込ませなくてもよかったということを。
 エドワードの動体視力ならば、ナイフの矛先に鋼の右手を差し出すだけで充分で、何も身体ごとで受けとめる必要はなかった。むしろ、目測がずれる可能性が増して、かえって危険だ。
 ずれても自分の身体で受けとめればいい、とエドワードが考えなかったとは、ハボックには言い切れない。
 かといって、
「気をつけろよ」
と指摘して言ったところでエドワードから返って来るのは
「へーきへーき。アルいるし」
で、アルフォンスはといえば「兄さんはいっつもそうなんだから。何回注意してもなおらないんだよね」とハボックの危惧を肯定してしまってくれた。彼が何よりも大事にする存在が注意してもこの状態なのだから、エドワードにとって、さっきのような戦い方はすでに身に染み付いてしまっているのだろう。
 とすれば、ハボックにこれ以上何か言えることはない。
 それでも、ハボックは思う。
 次に来るときには、少しくらいはその癖を直してくれ、と。
 それ以前に、着いた早々トラブルに巻き込まれるのは勘弁してくれ、と。
 しかし、次にエドワードがイーストシティを訪れたときは、ハボックの予想とは別の意味で静かな嵐が起こったのだった。

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