「そろそろお開きにしよう」
 主役はとっくにダウンし、周りもそろそろ店じまいする頃だ。寝ている人間をたたき起こし、重い腰を上げる客たちを見送る。
「師匠、シグさん。ウィンリィをよろしくお願いします」
「確かに預かった。じゃあ行こうか、ウィンリィちゃん」
 持ちやすいように布で包んで持ち手をつけてやったワインを抱え、「明日、帰りに寄るわ」と言って幼馴染は通りを歩いて行った。足元はしっかりしているようだ。
 彼女たちを避けるようにヒューズの背後に立っていたマスタングがため息をつく。
「君の周りの女性はおそろしいなあ」
「日頃の行いのせいだろ。あ、ヒューズさん、さっきはありがと。おかげで乱闘にならずにすんだ」
「乱闘って君ね……」
 肩を落とすマスタングをぱしんと景気よく叩き、ヒューズは「どういたしまして」と微笑む。
「酒は楽しく飲みたいからな」
「何? ヒューズ、私のためじゃなかったのか?」
「当然。なんで俺がお前のために働かにゃならんのよ」
「友達甲斐の無いやつだな……じゃあ、エドワード。また明日」
「へいへい。せいぜい気をつけて帰んな。……って明日も来んのかよ!」
「お許しが出たからね」
 二度はねえからな、との牽制は聞こえたのか否か、マスタングはヒューズと並んで帰って行った。まったく、彼はどこまで本気なのだろう。
 客を全員送り出し、店内に戻るとハボックが積み重ねた皿を運んでいた。
「浸けとくだけでいいよ。朝になったらオレがやっとくから」
「でも大将、けっこう量あるから一人でやるのは大変でしょう。アルは明日一日使いものにならないと思いますよ。俺、皿割るほどは飲んでませんから」
「……そうか? じゃ、頼む。とっとと終わらせちまおう」
 大皿をお盆代わりに小皿を重ね、テーブルのあちこちに置かれているグラスを回収していく。グラスや瓶は一つも床に転がっていない。あれだけ酔っていたのに行儀のよい常連たちだ。
「悪かったな。結局、酒出したり料理作ったりで忙しかったろ」
「いーえ。手の込んだものを作るわけでなし。それに楽しかったですからね」
「そっか。……ん? この匂い……お前ひょっとして――」
「へへ。秘蔵のアレ、いただいちゃいました」
 常連の一人が持ってきたのだという。独特の香りが飲んだあとも身にまとわりつくので好き嫌いが別れる代物だ。市場に出回らないのを伝手で一本だけ手に入れて、大切にしていると前に話していたのを聞いたことがある。
「いつの間に!」
「大将がウィンリィちゃんとドアに向かって話していたときですよ。あー、うまかった」
 味を思い出しているのか、ハボックは半ば陶酔している。
「いいなー、ちくしょう! あれ、すっげえうまいんだよなー」
「あれ? 飲んだことあるの?」
「あるある、一回だけな。……残ってないかな、その辺のグラスに一口くらい」
「大将……無理です、残ってませんて」
 きょろきょろと店内を探す雇い主を情けなく思ったのか、ハボックの顔には苦笑いが浮かぶ。
「そういや、アルに水は飲ませましたか? アルコール薄めとかないと」
「あんまり気持ちよさそうに寝てるから起こすのも気が引けてさ。もうそろそろトイレに起きるだろうから、そしたら飲ませるよ」
「いま行ってきたらどうですか?」
「大丈夫大丈夫。これ片付けてから行くから」
 それからしばらく、洗い物に没頭した。大量の洗い物には慣れているから二人とも手際はいい。積み上げていた汚れた皿は、三十分もしないうちにぴかぴかになって棚に仕舞われた。
「一服してけよ。いまお茶いれるから」
「折角だけどもう帰るよ。大将はアルの面倒見てやれって」
 ポケットから煙草を取り出して加えたハボックは、一人暮らしの寝床へと帰っていった。店から出たところで煙草に火をつけるのだろう。
「さーて、オレも寝るか。その前に、アルフォンスに水を――」
と、ドスン!と頭上で大きな音がした。何かが倒れた。人みたいな。
「アルフォンス!」
 慌てて階段を駆け上がった。青年がベッドから落ちたんじゃないだろうか。腰を打ってないか、頭は大丈夫か。
 ドアをほとんど蹴破る勢いで開けると、青年がうつぶせで倒れていた。与えた彼の部屋から上半身を出した状態で。
「アルフォンス! アル!」
 駆け寄って抱き起こす。頭を打っているかもしれないので、そっとそうっと慎重に。顔面が床にぶつかっていたが、暗くてよく見えない。顔を近づけてほんのわずかな月明かりを頼りに探った。
 小さな小さな声がする。どうやら水がほしいと言っている。
「すぐやる。でもちょっと待ってな。頭は打ったか? 痛くないか?」
「……はにゃがひたひれす」
「はにゃ? ああ、鼻か。じゃ、顔面激突だな。頭は大丈夫そうだ。とりあえず起こすからな、つかまれ」
 青年は背が高い。ひょろひょろっと伸びているように見えるが体重はだいぶある。おまけに力が抜けているので重い。さっきハボックに言われたときに水を飲ませとけばよかった、と後悔してももう遅い。
 えいやっ、と勢いをつけて青年を起こすと肩に腕を回させて引きずった。持ち上げるのは無理なので青年の足は床をすっている。どうにかベッドまでたどり着くと、青年に呼びかけた。
「アルフォンス! オレもう無理だから頑張ってくれ! ほらベッドだぞ!」
「ふああーい」
 起きているのか寝ているのか疑わしいような返事だったが、青年はどうにか自分でベッドに倒れ込んだ。
「いま水持ってくるからな」
 グラスに水と、濡らして絞ったタオルを手に戻ると、だらんとベッドに横たわった青年がうっすら目を開ける。
「水だぞ。飲めるか?」
 うー、とも、あー、ともつかないが多分返事をしているのだろう。問答無用で青年の上半身を起こし、グラスを青年の口元に寄せて傾ける。しかし水はグラスからこぼれるだけで青年の喉は動かない。
「おーきーろー! そして飲めー!」
 頬をぴたぴたとたたいても結果は変わらない。しょうがないので顔を簡単におしぼりで拭いてやって水を口に含むと、青年の口に近づいた。一瞬、これであの野郎とアルフォンスが間接キスだ、と思ったが仕方が無い。可哀想に。うがいをしておけばよかった。
 指先で青年の唇をこじあけて、含んだ水を流し込む。ごくり、と喉が鳴った。もう一度繰り返す。今度も青年は飲んだ。
 意識があるのか無いのか、青年は与えた水を素直に嚥下する。雛にエサを与えている気分になって、酔っ払いの世話をしているというのになんだかこの状況を微笑ましく思った。
 何度も何度も繰り返しているうちに、いつの間にか青年の腕が背中に回されて、引き寄せられた。
「こら、水が零れる――」
「のどかわいた。もっと……」
「起きてんなら自分で飲め」
 水がゆれているグラスを押し付けたが青年はうわごとのように、もっと、と繰り返すばかりだった。どうしようもなく、他にやりようもなく、さっきまでと同じように青年に水を与える。とうとう中身が空っぽになったが青年の腕は解けない。
 青年の身体に乗り上げる格好になって、このまま暴れたらたぶん青年ごとベッドの脇へ転落だ。
「……あーもー、しかたねえな」
 諦めて、靴を脱いで、ベッドの上にちゃんと寝転がった。足元で丸まっている毛布を引っ張って、自分たちの身体にかける。朝までこのままでいるしかないだろう。
「アルフォンス……お前、寝相悪かったんだな……」
 喉の渇きがおさまって楽になったのか、気持ちのよさそうな寝顔だ。すーすーと穏やかな寝息を聞いているうちに、眠気が襲ってくる。
「おやすみ、アルフォンス」

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