旅行中の夫婦に代わり、店番をしていたのは夫婦の一人娘だった。戦後に生まれたのと、こっちが帰るのが年に一、二度ということもあって、会うのは両の手で足りるほどの回数だ。それでも客商売の家の子ゆえか、遠くから目ざとくこちらを見つけ、出迎えてくれる。
「いらっしゃい。ひさしぶり、エドワードさん。ずいぶん髪伸びたね」
「そっちは背が伸びた」
「やだなー、エドワードさん。こういうときは『綺麗になったな、見違えたよ』くらい言ってくれないと」
「前から綺麗だったんだから、今更そんなこと言うまでもないだろ」
 背が伸びて手足もすらっとした少女は、元から整って大人びた顔立ちをしていた。だから思ったままを言ったのに、少女はムッと拗ねてそっぽを向く。
「口のうまい人ってヤだな。あなたみたいな人に真顔で言われたら、冗談なのかなんなのかわかんなくなっちゃう」
 えいっとよそ見をしながら投げられた物を受け取ると、水玉模様の紙に包まれた飴だった。
 二つあるので一つを青年に渡すと、彼は苦笑いを浮かべていた。
「こういう人って困りますよね」
「ほんっとそうだよね。あなた、よくわかってる。これ、も一つあげる」
 少女は小瓶の中からカラフルな飴をつまむと今度は投げたりせずに青年に渡した。
「で、お買物の中身はいつものでいいのかしら、エドワードさん」
「オリーブ油があったらそれも頼む」
「わかりました。ちょっと待ってて」
 パタパタと店内を駆け回る足音がなんだかいやに変則的だ。
「足、痛いんだろ」
 少女はびくっとして振り返る。
「べ、別になんともないよ。さっき、ちょっと転んだだけで」
 取り繕うように笑顔を作ってみせるが、完全に失敗していた。
「医者は?」
「お店空けるわけにはいかないもん」
「湿布は?」
「切らしてる」
「売ってるだろ」
「……だって売り物だもの」
 溜息が出た。
「見せてみろ」
 小さな椅子に座るように促すと、少女はあわてて首を横にぶんぶん振る。
「ヤだ! 絶対にイヤ!」
「わがまま言うな」
「ちがうもん! ……エドワードさんの馬鹿! にぶちん!」
 きゅっと歪められた瞳からは今にも涙がこぼれそうだ。
 仮にも若い娘が家族でも恋人でも医者でもない男に足をさわられるのはあまりいい気分ではないだろうが、と手をこまねいていると、青年が椅子の前にさっと膝をついた。
「エドワードさんはそっち向いててください。僕が見ます」
「アルフォンス……何で?」
「いいから、とっととそっち向いて」
 腑に落ちないが言われたとおり、店の入り口に立って外を眺めた。背後からは椅子のきしむ音、ここは押すと痛い?とか感覚わかる?とか短い会話が聞こえる。少女も今度は素直に診断をあおぐことにしたようだ。
「エドワードさん、今日座りっぱなしで腰が痛いので湿布買ってもいいですか?」
 こっちを見るなという言いつけを守って、青年たちに背を向けたまま了承する。
「そういやばっちゃが包帯も買って来いって言ってたな」
「ほ、包帯なら薬箱にあるからいい!」
 客二人が何をしようとしているのか少女も気づいたようだ。場所を聞いて薬箱を取ってきた青年が少しして「もういいですよ」と言った。
 椅子に座って靴下をすでに履いている少女はうつむいてじっとしている。
「ごめんなさい……エドワードさんはわるくないの。ちょっと恥ずかしくって……」
 それでなぜ青年ならいいのかと疑問に思ったが、少女が顔を紅くしているのを見て、聞くのはやめることにした。なんだかかわいそうだ。
 少女の指示に従っていつもピナコが頼むものとオリーブ油の瓶を袋につめる。
「親御さんはいつ帰ってくるんだ?」
「明日の昼って言ってた」

「これから腫れてくるかもしれないから、お医者さんに見てもらったほうがいいよ」
 青年の言葉に少女は首を振った。
「お医者さまは隣村に行ってる。お産だから、今日はもう帰ってこないと思う」
 転んだばかりの頃はまだ痛みがあまり出ていなかったのだろう。少し時間が経ったからだんだん痛みが増してきたようだ。顔をしかめている。
 店を閉めるか聞いてみると、「ダメ」と返ってきた。
「配達をほとんどお休みしてるから、お店まで買いに来てくれるひとがいるもの。……でも、どっちにしろこれからちょっとだけお店空けちゃうんだけど」
「その足で出かけるのか?」
「一軒だけ配達に行かなくちゃ。足がわるいおばあちゃんだから、そこだけは行くって約束してるの」
 青年を見つめると、しゃがんでいた彼は「僕はここで待ってますよ」と答えた。言いたいことは視線ひとつで伝わったらしい。
「じゃ、そのばあちゃんちに持ってくもん、教えてくれ」
 そんなことしてもらうわけにはとかなんとか言い募る少女をなだめ、品物を袋に入れると、馬を借りて乗った。
 馬なんて乗るのは久しぶりだが、人に慣れた温厚な馬は、トンとたたくと静かに歩きだす。届け先の老女はこの土地にずっと住んでいるからじゅうぶん顔見知りだ。少女のかわりに来たと理由とともに告げると、腫れによく効くという膏薬をもたせてくれた。
 馬を走らせて店に戻ると、軽やかな笑い声が聞こえた。
「すっかり、仲良くなっちゃって。やっぱり若者は若者同士か」
「なに言ってんの、おじさんくさあい」
「おかえりなさい、エドワードさん」
 並べた椅子に座って青年と談笑していた少女は、片方を靴でなくスリッパに履き替えていた。
「腫れたか?」
「……うん、ちょっとだけ」
「ばあちゃんからよく効く薬もらってきたぞ」
「ほんと? 助かるなあ、きっとすぐ治っちゃう。エドワードさん……ありがとねっ」
 はにかむ姿が愛らしい。そうやっていると大人びた風貌が一気にこどもっぽくなる。そこに顔を出した客があった。
 いらっしゃい、と立ち上がろうとした少女は、片足に体重を乗せた途端、バランスを崩し、隣にいた青年に縋る。青年は軽い体をなんなく受け止め、元の椅子に座らせた。
「おねえちゃん、足けがしたの?」
「ちょっとひねっちゃっただけ」
 8歳くらいの幼い少年の心配そうな顔に笑って答えると、少女は壁際の棚にある麻袋を指した。
「そこに入ってるけど、一応中見てくれる? もし足りないものがあったら言って」
「うん」
 少年は麻袋を引きずりおろして口を開けると中を覗き込んだ。なんとかが一つ、二つ、と数えて確認を終えると、口を結んで、よっこらせと担ぎあげたが、なんだか足元がよろめいている。
「いつもより多いけど大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ!」
 青年を見ると、もう何が言いたいかは十分わかっているらしく「どうぞ」と快く頷いてくれた。
「お前、家どこ?」
 知らない男でも少女がうちとけた様子を見せているせいか、少年は警戒しない。あどけない表情で見上げてくる。
「ここの坂をずーっと行ったとこ」
 ロックベル家へ行く道とは違う坂を下ったところにあるのだという。少年が指さした先に、家が数軒見えた。この距離ならば歩いても30分で行って帰って来られるだろう。先ほどの老女の家よりもずっと近い。
 腫れて痛む足と、小さなお客さん。少女はそれらと遠慮を天秤にかけて、前者を取った。
「このお兄さんが荷物ちょっと持ってくれるって」
「お兄ちゃんが? っていうかお兄ちゃん誰?」
 首を傾げる少年に名前とピナコの家に滞在していることを教えると、少年は「おーとめいるの家のひとだ!」と声を上げた。
 麻袋をもう一枚借りて、中身を半分こにすると、ひとつを少年に持たせた。
 店を後にし、少年と並んで歩く。半分こにした袋はいつもよりも軽いとうれしそうだ。だから重みのせいではなさそうだが、少年は片足を少し引きずるようにしている。まるで、ねんざでもしているみたいに。
「お前も足痛いのか? 捻った?」
 ううん、と少年は否定した。
「生まれつき、おれの足ってホネがおかしいんだって。ちょっとずつ歩けなくなってくってお医者さんが言ってた。だから、そのうちオートメイルにするんだ」
 少年はまったく何でもないことのように、淡々と言った。
 機械鎧の足は自分も同じだ。こどもの体で、機械鎧の手術をするのも同じだ。ただ違うのは、自分は生身の足をあっという間に失ったけれど、彼は少しずつ機能を失っていく。
 歩けなくなる、という言葉にまったく恐怖を感じている様子がないのは、歩けなくなることがどういうことかを知らないからか、それともすでに克服したのか。
 後者であるはずがなかった。だって彼はまだこどもだ。
 己の心に生まれたのが、同情や憐憫であったのは否定出来なかった。
 でも彼がどう思っているにしろ、『たいへんだな』とか『かわいそうに』なんて言えるわけがない。だから、「お揃いだな」と笑ってみせた。
「おそろい?」
「そ。オレは機械鎧の先輩だよ」
 立ち止まってズボンの裾をめくると、少年の目が輝いた。
「かっこいい!」
「そうか?」
「うん! ぴかぴかしてる! えっと、ピナコさんが作ったの?」
「最初のはな。今のこれは、ピナコばっちゃんの孫のウィンリィが作ったんだ。軽くて丈夫なんだよ」
「ふううん。ウィンリィってかみが長くてきれいなおねえちゃんだよね? ぼくも作ってもらいたいなあ」
「必要になったらそうしな」
 空いた手で頭を撫でてやると少年は、楽しみだとはずんだ声で答えた。
「お兄ちゃんはなんでオートメイルにしたの?」
「お前くらいの年に、怪我しちゃったんだよ」
「わあ、それじゃお兄ちゃんはぼくのすっごく先ぱいだね!」
 再び歩き出した少年が轍につまずきそうになったので、襟を捕まえてバランスを戻すと、少年がかついでいた麻袋を取り上げた。
 だめだと取り戻そうとする少年に「最近、体なまってんだ。体力作りさせてくれ」と言い訳すると、少年は「しょうがないなあ、お兄ちゃんっておじさんくさい」と、さっきの少女のようなことを言った。
 親がこうやってこどもを歩かせるのは、足を動かしたほうが機能の衰えの速度がゆるまるからなのだろう。あるいは、どちらにせよ避けられないことならば、いまのうちに生身の足で歩く喜びを味あわせたいのか。
 己の場合はどうだったかと振り返ると、少年とはまったく状況が違った。倒れてくる木に挟まれ、左足は無残に潰れた。回復の見込みなど、医者が診るまでもない。
 もう歩けないのか、と漠然と思ったところにピナコが「歩きたいなら作ってやる」と二つ目の選択肢をくれた。それは光だった。弟を、アルフォンスを探すことを生きがいにするための一つの手段。
 戦火でも無事に焼け残ったロックベル家の作業場で、小さな機械鎧が誂えられた。
 手術の痛みはよく覚えている。
 この子があの痛みを感じるのが、せめて少しでも先でありますように、と祈らずにはいられなかった。

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