ミラージュホビー
MR35309 
ソ連 OT-134/T-26C戦車


ソ連 T-26C戦車について 
スペイン内戦で共和国派側に提供されたT-26は、当時最強の対戦車戦闘能力を持つ45mm砲によって、ファシスト側に参戦したドイツのI号戦車やイタリアのL3/33といった機銃しか持たない軽戦車を圧倒した。 また、1938年の満州・ソ連間の国境紛争である張鼓峰事件では257輌(他、BT-5が81輌、SU-5自走砲が13輌)が投入され、日本軍との戦闘で9輌が完全撃破され76輌が損傷(うち現地で修理可能な物39輌)の損害を出している。 損傷は日本軍によるものだけでなく、(後に初期のT-34やKVが陥るのと同様の)工作精度の低さからくるギアボックスや乾式クラッチの故障によるものも多かったという。 この後、ノモンハン事件でもBT戦車と共に日本軍相手に戦っている。
さらに1937年型として、側面が傾斜した新型の「円錐型砲塔」タイプが登場。スペイン市民戦争で火炎瓶攻撃を受けた経験から、エンジンの排気口に後方がメッシュ付きで開口したフードが付けられた。 また後には車体側面にも傾斜装甲になった1939-40年型が登場している。 もっとも、当時の状況を忠実に再現した映画『冬戦争』ではその後ろ側から火炎瓶を投げ込まれ炎上させられるシーンがあり、またそれ以前のノモンハンでも同様に火炎瓶にやられているので、根本的な解決には至っていなかったようである。 実際冬戦争では、対戦車砲とフィンランド兵の肉迫攻撃により大きな損害を出しており、途中で増加装甲を装着している。
T-26は出現当時は比較的強力な戦車であったが、(後に少し強化されるが)15mmという主装甲の薄さと88馬力のエンジンパワー不足による速度の遅さにより、ソ連軍戦車兵には評判が良いとはいえなかった。 またBT戦車同様に、機関部付近への榴弾の直撃でガソリンタンクが燃え上がることも多かった。それでも本車は1938年夏の段階で約8500輌、最終的に12000輌以上と言う、当時世界で最も多く生産された戦車であった。
フィンランド軍に捕獲使用された1933年型、奥はヴィッカース6t軽戦車を武装強化したT-26E、これらは独ソ戦の初期に大変な損害を出し、生き残った車輌はBT戦車と共に満州国境の守りに回され、1945年8月の満州侵攻の際に久々に実戦に登場することとなる。 ヨーロッパからのT-34などの移動が遅れたためこの時点で1461輌が実戦配備されており、戦闘や故障で全損34輌、工場で修理可能なもの122輌、現地で修理可能なもの33輌の損害を出している。
装甲戦闘車両が不足していたフィンランドにとってソ連軍からの鹵獲車両は貴重で、特にT-26は各形式合わせて100両以上が鹵獲・運用されており、数的にはフィンランド戦車部隊の主力戦車であった。 また、先に輸入していたビッケルス(ヴィッカース 6トン)軽戦車にT-26の戦車砲を載せて強化、これをT-26Eと称して使用した。


ソ連 OT-134戦車について 
KhT-134とも言う。傾斜装甲型のT-26 1937年型がベースで、ノモンハン事件や冬戦争での経験から、45mm砲を残し車体前面左側にM1938火炎放射器を搭載する。しかし車内スペースの関係で砲弾・燃料ともに減少し、中途半端な戦闘力となってしまい量産されずに終った。

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