日本海軍 戦艦 山城1942(やましろ)



【 日本海軍 戦艦 山城1942について】 
日露戦争後、充分な賠償金を得られなかった日本は、戦勝したにもかかわらず戦費の債務などで経済は逼迫し、軍備への予算は充分ではなかった。しかし、列強各国海軍の動向は弩級艦から超弩級艦建造整備の時代に突入した。大国である英国、ドイツに加えアメリカまでも超弩級戦艦の建造整備という事態に、日本海軍は明治43年に超弩級戦艦4隻、超弩級巡洋戦艦4隻の建造案を政府に提出する。この建造案で、超弩級戦艦の第一陣として建造されたのが扶桑、山城である。山城は大正6年(1917年)3月31日竣工。竣工時世界最大の戦艦として、そして36センチ砲12門を舷側方向に指向できるという艦砲射撃力に全世界から注目を浴びた。さらに、日本の戦艦として初めて方位盤照準装置が装備されていた。しかし、完成後の1916年5月に起きたジュットランド海戦の戦訓で、ワシントン条約の締結などによって艦隊主力艦という地位を維持するために本艦は近代化大改装を実施、昭和5年から昭和9年末まで4年にわたって実施された。改装工事により、艦尾は7.3m延長され、航空兵装は艦尾に設けられるようになった。このため、第3砲塔は改装前と同様の後方係止のままのため、扶桑よりは安定した艦橋基部となった。戦争突入後も、南雲機動部隊支援のため、小笠原沖まで出撃。翌年4月のトゥーリットル東京空襲時に近海まで出撃した以外は内海にあった。

【 星のコメント 】 
大砲の多い戦艦です。艦橋などの構造物がごついです。開戦間もなくの姿を再現しているので、対空兵装は多くなく、すっきりした艦で組立はしやすかったです。




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