ザザン・・・。

ゆっくりと波は打たれ、引いていく。

夜の砂浜は息をはく音も響くぐらいに静寂に包まれている。

かごめ一人きりで歩く。

波打ち際を。

不思議と気持ちが落ちついた。

寂しいくらいに静かなのに。

でも・・・。

胸の奥はまだ痛い。

犬夜叉のあの背中と桔梗と呼ぶ声と。

覚悟した筈の痛みなのに。

割り切った筈の切なさなのに。

この痛みと切なさと闘う力が湧かない。

生温かい海の風がかごめの髪をかすかに揺らす。

そっと口にくっついた髪を耳にかけたとき、かごめの視線が足下で止まった。

「!」

波打ち際に、血だらけの海鳥が横たわっていた。

真っ白な羽根が、赤くそまっている。

かごめはあわてて、制服のスカーフで海鳥をつつんだ。

「これで・・・。大丈夫かな・・・」

かごめは小屋にもどって傷薬をとってこようと思ったが、血が流れ出し、誰かが抑えていないと止まらない。

かごめは傷の具合を確かめたら、傷はかなり深く、緑色に変色して腐りにかかっていた。

かごめはぎゅっと包む。

まるで、母鳥が卵を温めるように。

「しっかりして」

海鳥の傷口が、痛々しい。

かごめの胸の奥がまた、きりきりと

痛み出す。

治まっていた痛みが。

「頑張って!」

海鳥に言っているのか。それとも自分に・・・?

今にも消えそうなこの小さな命にかごめは必死に声をかける。

「死んじゃだめだよ!頑張って!」

今は自分が頑張れない。

でも、もし・・・。この手の中の海鳥が、生きてくれたなら・・・。

生きてくれたなら・・・。力が湧いてくるかもしれない。

「お願い・・・!死なないで・・・ッ!」

かごめは何度も声をかけた。

そのかごめの声に・・・。

海鳥が少し反応した。

「そう・・・!頑張って・・・!」

羽根がピクッと動き、片翼が開いた!

かごめの重い心も一瞬、パアッと軽くなる。

「そう!がんば・・・」

上がった片翼は、パタッと地面につく。

同時に海鳥の赤い目玉も、白目をむいている・・・。

「・・・。お願い・・・。もっと頑張って。お願い・・・」

かごめは海鳥を何度もさすったが海鳥は動かない。 「お願い・・・死なないで・・・。悲しすぎるよ・・・」

息絶えた海鳥の体はまだ温かいのに・・・。

でも確かに、小さな、命が、かごめの腕の中で・・・。

消え・・・た。

心のダムでせきとめていた筈の涙は、小さな命が消えて、一気にあふれ出す。

波に小さな粒が落ちて、波紋が幾つもできる。

幾つも幾つも・・・。

「う・・・」

かごめは波打ち際で、小さく背中を丸める。

海鳥を包みながら・・・。

何がこんなに悲しいんだろう。

何がこんなに切ないんだろう。

海鳥が息絶えたから?

犬夜叉と桔梗の事を考えるから・・・?

いや違う。

海鳥を救えなかった自分が

犬夜叉と桔梗の事を割り切れずにいる自分が・・・。

なさけなくて。頼りなくて・・・。

胸からどうしようもない、どこにも置けない気持ちが

涙と一緒にあふれ出して、止められなかった。

しゃがみこみ、うつむいて肩を震わせるかごめ。

泣き顔を見せないように、小さく、小さくちぢこまって・・・。


本当は・・・。こうして一人で泣きたかった。

誰もいない、誰も知らない場所で・・・。

でも。

あいつの前で涙なんかみせたら・・・。

あいつが苦しむだけ。

あいつに涙は見せられない。

だから・・・。今だけ、ほんの少しの間だけ


少しだけ・・・泣かせて・・・。


少しだけでいいから・・・。

かごめの涙が落ちる水面に、夜空の星が揺れている。

“こんなに星がでていっけ・・・?”

かごめはゆっくりと顔を上げた。

そこには無数の小さな星大きくが輝いていた。

力一杯に。 「すごい・・・」


“ねぇお母さん。人って死んじゃったらどこへ行くの?”


“どこへって・・・。それはみんな高い高い所にある星になるのよ”


“どうして?”


“だって高い所からなら、大好きな人達の事がどこからでも見えるでしょ?だから星になるのよ”

子供の頃、母と交わしたこんな会話がよぎる。

大人が“死”について子供に説明するためによく交わす会話だけど、今はなんだか素直に本当にそうなのかもしれないと思える。

無数に光るあの星々が、消えてしまった生き物たちの命なら、なんて沢山の命が消えたんだろう。

思えば・・・。

自分がこの不思議な世界にきて、

奈落との戦いで、幾つの命が消えていったんだろう。

奈落が生み出した妖怪達に奪われた村人、動物たち。

そして、敵とはいえ、自分達も妖怪達の命を殺めた・・・。

消える命に敵も味方もない。

残るのは無念の思いだけ・・・。

・・・。桔梗。


“じゃあ、かごめは一番星になりたいな”


“どうして?”


“だって一生懸命光っていれば、みんな、かごめの事忘れないから!忘れられちゃったらかなしいもん”

犬夜叉の“一番星”は・・・きっと桔梗なのかもしれない。

忘れて欲しくないから必死に今でも光っている・・・。


「一番星・・・か」

見上げる星の光が切ない。

桔梗が一番星なら・・・

あたしは?

あたしは・・・何だろう。

一番星の想いが姿形になったただの生まれ変わり?

「違う・・・。あたしは・・・」

あたしは“星”じゃない。

だってあたしは・・・。

生きているから。

かごめは腕の中の海鳥を見た。

動かない。

飛ばない・・・。もう・・・。

海鳥もあの中の星になるのだろうか。

小さい星に・・・。

でも、かごめ知っている

海鳥は最後まであきらめなかった。

最後まで頑張った。

生きようとしていた。

あたしは・・・それを知っている。


消えてしまった命。

“星”ではない生きているあたしができること。

それは・・・。

“星”を忘れないこと。忘れないで、生きること。

生きて、大切な人のために何ができるか探し続けること。

“星”ではなく、人間として。

“桔梗”ではなく、かごめとして。


かごめとして、あたしは生きていきたいから・・・。


日暮かごめとして・・・。

そのかごめの気持ちを、優しく強く見つめるように輝く、夜空の星。

いつのまにか、涙はさわやかな海の風に乾いていた。

かごめは海鳥を海に帰すため、深いところまで歩こうと海の中へ入っていく。

チャポン・・・。

チャポン・・・。

その時。

「かごめえええーーー!はやまるんじゃねぇえーーー!」

「え?」

どこからともなく、猛スピードで犬夜叉が走ってきてかごめをぎゅっと抱きしめた。

「バカやろう!何考えてんだ!」

「はぁ・・・?あんた・・・。何か勘違いしてない?」

「か、勘違いってお前・・・」

「あたしはただ、この子を海に帰そうとしただけ」

「この子・・・?」

かごめは腕の中の海鳥を犬夜叉に見せた。

「さっき、波打ち際で死にそうになってたの。手当しようって思ったんだけど、その前にうごかなっくなったの・・・」

「ふう・・・」

犬夜叉は安心してその場にぺたんと座り込んだ。

「なに、あんた、あたしが死のうとしたとでも思ったの?」

「んなっ・・・。おめーが紛らわしいことすっからだろッ!けっ」

「はやっとちりなんだから。でも、心配させてごめんね」

「・・・。べ・・・別に謝ることねぇ・・・」

そうだ・・・。かごめが謝ることはない・・・。謝るのは・・・。

「この海鳥ね。犬夜叉。最後の最後まで、頑張ったんだよ。生きようって・・・。頑張ったの・・・」

「だから何でい」

かごめは海鳥の羽根を優しく撫でながら話す。

「あたし・・・。忘れない。この子の温もりと真っ白な羽根も・・・。最後まで頑張ったこと・・・」

「・・・」

俺だって忘れない。かごめの温もりも優しい匂いも、誰より大きくて強いことを。

「ねぇ。犬夜叉。一緒にこの子を海に・・・還してくれる?」

「べ、別にかまわねぇけど・・・」

「ありがとう・・・」

海鳥を包むかごめの両手の上に犬夜叉の手が重ねられる。

犬夜叉の手にもかごめの温もりが伝わって・・・。

チャポン・・・。

二人の手からゆっくりと・・・海鳥の体が離れた。

波に揺られて、海鳥はゆっくりと、ゆっくりと海に帰っていく。

白い羽根が一枚落ちた。かごめの服に付いていたもの。

かごめはその羽根をぎゅっと握りしめた。

「ねぇ。犬夜叉」

「なんだよ」

「犬夜叉も・・・。忘れないでね。あの子のこと」

「・・・」

忘れるもんか。かごめの温もりに包まれて海に帰った命。

かごめの優しい匂いのついた命。

「要するに忘れなきゃ・・・いいんだろ・・・。忘れなきゃ・・・」

「うん」

「けっ・・・」


二人は・・・

米粒ほどになるまでずっと見送った。


そして、星になるまで・・・。

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