夕方4時半。『はやつき食堂』の暖簾が再び、つるされる。昼の11時〜2時までがランチタイム。午後5時〜9時までが居酒屋と変わる。
全体的に白い色で統一してあり、こじんまりとした店内。カウンターと座敷の席が3つ在るくらいだ。
そのカウンターで締め切りが近いレポートに頭を抱えているのは、早月食堂の看板娘(本人談)、定時制高校生雫(16歳)だ。
今日の5時までに提出しなければ、今学期の単位にもかなり影響する。
「あう〜。どうしよう・・・。もう、時間がなーい!!」
「自業自得でしょ!ほら、もう、お店あけるんだから、あんた、邪魔よ、邪魔」
包丁で雫をつつく、ちょっと危ない割烹着の美人おかみ(これも本人談)で雫の母でもある千寿子。この早月食堂に嫁に来て早20年近く経つ。
雫が小6の時、夫の孝文が亡くなってから、雫を育てながらこの店を切り盛りしてきた。
「うお〜い。千寿子さん。風呂のせっけん、きれとったぞ」
店の奥から、ステテコ一枚の上半身裸のロマンスグレーの男出現。
「もーーーっ!!じいちゃん!!なんちゅーかっこうしてんのさ!」
「はて?いかんかったかいの?けっこーいけてない〜♪」
妙なギャル語を発する北島三郎似のこの男。雫の祖父・孝文の父親でもある米次郎だ。
「はい。義理父さん、5秒以内に何か着てこないと今日のナイター中継見せませんよ?よろしいですか?」
再び、千寿子はきらりんと包丁を光らせる。
「は、はひっ!千寿子少佐!早月米次郎、今すぐ着衣を着てきますであります!」
米次郎、千寿子少佐に敬礼!して、すたこらとテレビのある居間へと戻っていった。
巨人と長島茂雄を崇拝している米次郎にとって、ナイター観戦中止は何よりも効果がある罰である。
「ったく・・・。あのじっちゃまがかの伝説的な料理人の『早月米次郎』かね。包丁がないてるよ」
「そういうあんたは単位に泣くんじゃない?もう、授業の時間じゃないの?」
「えっ」
時計の針、5時、15分前。
「うぎゃあ!また、連続掃除当番2冠王になっちまう!いってきま〜す!」
突風の如く、店を飛び出していった雫。
「・・・。レポート未提出2冠王、決まりだわね・・・」
カウンターには書きかけのレポートがひらりと風になびいた。
キーンコーンカーン・・・。
校門から沢山の下校する生徒が出てくる。
その人の波をかきわけて逆送する自転車、一台。
「遅刻だーーーっ!!」
学校の時計の針、五時1分前。
雫、3階の自分の教室までめいっぱい走るって登る!
ガラガラッ!
教室のドアを開けると・・・。
「おしい〜!!あと1秒速かったらセーフだったなぁ・・・早月」
担任の剛田先生ことブルは、ご自慢の腕時計を雫にチラッと見せる。
「はあ・・・」
雫はがっくり。
「はあい!みんな、またまた今月の掃除当番は早月雫さまと決定いたしました〜♪拍手ーーー!」
「おおっーーー」
一声に拍手喝采を受ける雫。とほほ・・・といわんばかりに席に着く。
雫の席は教室の窓際の一番後だ。ちょうど、桜の木が窓越しに側に見える。もう、散っているが。
「うふふっ。掃除当番2ヶ月連続おめでとう!雫ちゃん」
「ふんっ・・・。めでたかないよ!もう・・・誰がこんな決まり作ったの!」
「はあい♪クラス委員長のわ・た・し」
金髪、耳にピアス3つ開けてるこのちょっと派手めな女の子。雫の友人の本田真穂(18歳)。実は、子持ちのママである。
今で言う『ギャルママ』かな。
小柄で童顔な雫が一人息子と似ているらしく、お気に入りらしい。
「ねーね。それよりさ、レポート持ってきた?写させてよ〜」
「しょうがないなぁ・・・もう・・・」
リュックの中を探すがレポート用紙は見あたらず・・・。
「ありゃま・・・。家にに忘れてきた・・・」
「ええっ。そんなーーーっ。何やッてんのぉーっ」
「・・・。今日は厄日かな・・・とほほのほ・・・」
レポートに泣かされ、掃除当番2冠王GET。
何とも大忙し(?)日々。しかし、雫はこんな毎日が楽しい。
雫の夢は調理師。
この学校には調理師養成過程があり、一般科目と特別科目の授業がある。そして、卒業すると『調理師免許』をもらえるのだ。
昼間は店の手伝いをしている雫にとっては格好な条件で、即、この学校を希望した。
『夜間定時制』。何年か前、そこを舞台にした映画があったが、それとはかなり、違う。
確かに年齢層はある。20代のものもいる。
進学校からなぜだかわざわざここへ転校してきたものもいれば、高校中退した真穂の様に子持ちもいる。
まさしく十人十色だ。
ただ、割と共通するのは全員、様々な事情を抱えたている者多いということだろうか。
それでも、少人数制のこのクラスは、何十人もいる教室よりかなり、気持ち的には楽である。ちなみに雫のクラスは全部で15人。
15人15色ということになる。
「ふう・・・。帰ったら、またレポートが待っているか・・・。ん?」
ため息をついて何気に机の中をまさぐって引っ張り出してみると・・・。
「なに、これ・・・?」
水色の一通の封筒・・・。宛名は『早月雫様』だ。
(ラブレター?!・・・。んなわきゃないわな。だとしたら、不幸の手紙?!ちょっと時代遅れだけど、あたしゃ、恨まれる覚えなんてないよ)
裏を返すと稲葉高広とある。
「稲葉・・・?」
(稲葉って誰・・・?しらないなぁ・・・。ん?稲葉?)
雫はくるっと自分の椅子の背もたれの裏をを見た。
『1−B稲葉』
夜間部は昼間部普通科の教室を共用している。
「・・・」
「早月!何ぼっとしてんだー?男の事でもかんがえてたんかー?」
「なっ。違いますよっ!」
雫はあわてて手紙を教科書にはさんだ。
「んなわけないわな〜。そんな気配しねーもんなぁ。ま、とりあえず、今は、教科書18Pの三行目から読んでくれや」
「はい。でも、うちにたまってるつけ、速く払ってくださいね!」
ブルは早月食堂の常連だ。それ+千寿子ファンらしい。
「ありゃまあ、コレはいたいとこつかれたな、わっはっは。千寿子さんにまた顔見に行くと伝えてくれ」
「・・・。はい、今度は付けを払うと伝えておきます」
「さーて。授業、授業っと・・・」
雫は、教科書を読み終えると手紙をささっと鞄に入れた。
一体何が書いてあるのか、この手紙・・・。雫は家に帰ってから中をみることした。
その頃。校門の前に、スーパーの袋を両手に持った長身の少年が校舎をじっと見ていた。
その視線は、ちょうど雫の教室がある方向だ。
「ねぇ、お兄ちゃん・・・。」
「あ、いや、ごめん。ちょっとな・・・」
「お腹減ったよ。早く帰えろう。お母さんも待ってるよ」
「そうだな。オフクロが待ってるな・・・」
少年の顔が一瞬、暗くなる。
「私、半分、持つね」
妹らしき女の子は片方の袋を両手で持つ。
「危ないからきおつけろよ。しずく」
「はあい!」
その夜は暗い空に小さな光りがいつにも増して瞬いていた。