雪の華
前編
幸せ。
限られた時間だと知っていたからこそ
大切な人といる一秒一秒が宝物だった。
”時が止ってしまえばいいのに”
御伽噺に憧れる子供のような願いをずっと
抱いていた
儚い夢のように
消えてしまう雪のように・・・
※
「いやぁ・・・。本当に美男美女だなぁ」
「・・・高野さんそんなこと言ってもたまっているツケははらってもらいますよ」
雪の夫の陽春がコップを拭きながら言う。
「もう。陽春たら。その命令口調、まるでお医者さまそのままよ」
2年前まで白衣を身に纏っていた夫の衣装は
今は白いエプロンに変わっていた。
「そうだぞー。マスター、奥さんの言うことはきかにゃ。わっはっは」
陽春の知り合いが長年続けていた店を雪達夫婦が引き継いだ。
・・・ううん。引き継いだといったら聞こえては良いけど・・・。雪の我がままを
夫が聞いてくれたと言ってもいい。
”普通に暮らしたい。限りある時間なら普通の当たり前の暮らしがした・・・”
雪の願い。
いつ、止ってもいいこの心臓を抱えている雪の願い
”俺の夢はお前がずっとずっと生き続けてくれることだ”
夫の陽春はそれを叶えるため、自分の夢を捨て、
この店を開いてくれた。
嬉しかった。雪は嬉しすぎて
”もう・・・死んでもいい・・・”
雪が漏らした一言に彼は
”バカ・・・縁起でもないこと言うな・・・”
彼の手は震えていた
雪を抱きしめてくれる手が・・・
でも・・・申し訳ない気持ちでいっぱいだった・・・
彼の有望たる将来を雪が・・・奪ったことに変わりはないのだから・・・
「・・・き。雪?どうした?」
「えっ・・・。な、なんでもないわ・・・。ちょっと疲れただけ・・・」
雪の何気ない返事に
彼はひどく心配そうな顔をする。
「疲れた・・・?本当にそれだけか?どこか都合がわるいところはないか?
薬はちゃんと飲んだか・・・?」
雪がちょっとでも疲れたりだるそうな顔をすると
過保護な親のように大げさなほどに心配する。
・・・でも無理もないのだ。
安定していても
発作は突然やってくる。
その恐怖と不安を
雪以上に・・・彼は感じている。
雪の主治医だった彼が一番・・・雪の体の状態をよく知っているから・・・
「だ、大丈夫よ。もう・・・。子供じゃないんだから」
「・・・。そうか・・・ならいいんだが・・・。ここはもういいから
休め・・・。夕飯も俺がつくるから・・・」
「ごめんなさい・・・。今日は雪の当番なのに・・・」
「・・・。コラ・・・。その”ごめんなさい”は禁句だっていったろ・・・?
今度いったら本当に怒るぞ・・・」
「でも・・・」
うつむく雪を・・・彼の大きな両手が包む。
「俺は・・・。お前が生きていればいい。生きて・・・
笑ってくれたらいい・・・。笑って笑って・・・。楽しい気持ちを
いっぱい・・・一緒に感じたいんだ・・・」
「陽春・・・」
「・・・。俺に変な遠慮するな・・・夫婦なんだから・・・」
「うん・・・。ありがとう・・・。本当にありがとう・・・」
「夫婦にはお礼の言葉なんていらない・・・。さ・・・。
今日はもう休もう・・・」
彼に抱き上げられ、雪はベットに寝かせられた。
「眠るまでそばにいるよ。安心していいからな・・・」
握り締められる彼の手ぬくもりからは・・・
誠心誠意の優しさと注いでくれる愛情が伝わってくる・・・
自分のずるさを感じながらも
雪は・・・
彼の優しさに身をゆだねてしまう・・・。
”笑顔でいてほしい”
彼が与えてくれた幸せ・・・。
でも幸せな幸せなほど
雪の中でめぐる葛藤。
”じゃあ、雪は一体彼に何を与えてあげられるだろうか・・・?”
パタン・・・。
彼は雪が眠ったことを確認すると
静かに・・・部屋を出た。
雪はドアの音で目が覚めてしまった。
眠りから覚めるといつも思う・・・
”目が覚めたとき・・・。元気な体に入れ替わっていたりしないか”
そんなばかげたことを・・・
カーテンから夕日がもれる。
薄暗い暗い部屋が・・・雪の心の葛藤を激しくかき混ぜる。
雪はたまらず、起き上がり、鏡をあけ、自分の顔と向き合った。
また・・・少し痩せた。
目の下は青白く・・・。お化粧をしてもどこか病的に見える。
こんな雪が彼にしてあげられること・・・
何だろう・・・
大の子供好きな彼・・・。本当は小児科医になりたかったんだそう話していたほど。
この体では子供など当然無理・・・
父親にしてあげることもできない。
それどころか・・・
「晩御飯さえ・・・。まともに作ってあげられない・・・」
妻として。夫の食事をつくりたい。朝晩、作ってあげたい。
ほかほかのご飯をお茶碗にもり、一緒にいただきますを
したい。
子供をつれてピクニック。運動会にお遊戯会。
当たり前の夫婦の絵。家族の生活・・・。
雪には・・・できない。
せめて・・・。せめて・・・。雪ができることは・・・。
雪は鏡台の引き出しを開けた。
『生命保険受取証』
こんなものを彼がみつけたらきっと・・・怒るにちがいない。
破り捨てるに違いない
でも・・・でも・・・。
「・・・」
雪は万年室を取り、受取人の欄に陽春の名を書いた。
こんなの・・・本当の愛じゃないかもしれない。
でも・・・雪が彼に残せるもの・・・
残せるもの・・・
何でもいい。奇麗事じゃなくていい・・・
”お前の笑顔が見ていたいんだ・・・”
雪が残せるもの・・・。
命の代償のお金と・・・
笑顔だけ。
彼のために一秒でも生き抜いて生き抜いて
たくさんの笑顔を残そう・・・。
「・・・。ねぇ・・・。雪の心臓・・・。お願いだから・・・
一日でも長く長く・・・動いていて・・・。お願い。お願いだから・・・」
自分の胸に手をあてる。
確実に聞こえてくる鼓動・・・
これが・・・いつか止る・・・。
止って・・・
止って・・・。
(・・・嫌・・・ッ!!!!!!)
湧き上がる恐怖を毛布にくるまって薄める・・・
この恐怖と戦っているのは雪だけじゃない・・・。
(そうよ・・・。私は・・・)
それでも治まらない震え・・・。彼に知られないように早く眠るために雪は
薬を飲んで眠った・・・。
眠ってそして明日は・・・明日こそは夕食をつくってあげよう。
明日こそ・・・
※
平日の商店街。
外出するときは極力人ごみをさける。
「えっと・・・。じゃがいもとにんじんください」
商店街にきていた。
新鮮だ。
小さい頃から病院が雪の家だった。
商店街には色々なお店があって雪はまるで子供のように
うきうきしている。
おもちゃ屋さん
本屋・・・
前に一度、陽春と一緒に来たことがある。
子供用にはしゃぐ雪に彼は
”雪って・・・。少女趣味だよな”
だなんて皮肉を。
彼の方がずっと少女趣味だと思った・・・
そして雪は目的の夕飯の買出しに八百屋に立ち寄った。
(今夜こそ、夕飯つくるのよ)
”重いものを持つなんて”
彼と一緒に来ていたらきっとそういうに違いない。
「なんてべっぴんさんな・・・。よっしゃ。おまけいっぱい
しとくからなー」
八百屋のご主人がしゃがいもを3こ、おまけに袋にいれてくれた。
「ありがとうございます。ご主人」
「これ!でれでれすんじゃないよ!あんた!」
夫婦満座みたいなかけあい。
何だか憧れる・・・。
雪達こんな夫婦になれたら・・・。
街で通り過ぎる中年夫婦や老夫婦を見るたび、そんな願いが浮ぶ。
「ばあちゃんよ。辛くないかい?」
「なぁん。大丈夫」
「さ、ワシの手につかまれ」
ハナミズキの花が綺麗な歩道。
老夫婦が手をつないでゆっくりゆっくり歩く・・・。
しわの分だけ、夫婦の涙と苦楽がある・・・。
そんな言葉が似合う年まで・・・一緒にいられたら。
羨ましそうな目できっと雪は老夫婦の背中を見ているのだろう。
横断歩道。
信号は赤。
雪は・・・ふと考えしまう。
自分がいなくなって・・・。彼の隣にいる人は誰だろう・・・と。
どんな女性・・・?
”私がいなくなっても・・・幸せになってね”
”バカなことを言うな・・・。後にも先にも俺には・・・
お前だけだ・・・。お前だけだ・・・”
陽春がそういったとき、雪は嬉しかった。
口では”彼の幸せを・・・”といいながら。
陽春の隣に座る”未来の女性(ヒト)”に・・・嫉妬していた。
(私・・・。こんな思考ばっかり・・・。駄目だ。マイナス思考
は・・・。早く帰えらなくちゃ・・・。早く・・・。陽春に・・・会いたい・・・)
会いたい・・・
「危ないッ!!」
(えッ・・・?)
「きゃッ」
誰かが雪の手を引っ張った。
その瞬間・・・トラックが雪の目の前を突き抜けた・・・
「飛び出す気ですか!?」
「え・・・」
呆然としてしまった雪。見ると信号は赤だった。
そして雪を助けたのは・・・
「大丈夫ですか!?」
水色の風船。
水色のマフラーをした小柄な女の子だった・・・