核兵器はボタンを押せばいつでも発射できる準備ができており、使用することを目的に配備されています。1950年には朝鮮戦争で、1962年のキューバ危機、1965年はベトナム戦争、1973年の第4次中東戦争、1991年の湾岸戦争などで実際に核兵器使用が検討されたといわれます。
ベトナムで敗れた米軍総司令官は「アメリカの失敗は核兵器の使用をしなかったこと」だと発言しましたが、核兵器使用の手を縛ってきたのは、朝鮮戦争時のストックホルムアッピール(世界5億人が署名)
をはじめ、ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキの世論と運動です。
イラク攻撃は核開発の誤報で開始されました。誤報によるミサイル発射が寸前で中止されたこともあります。複雑な技術システムは誤作動をはじめさまざまな事故と隣り合わせです。これまでも爆撃機からの水爆落下事故、核兵器搭載機の墜落、原子力潜水艦の沈没、核兵器工場での事故など、さまざまな事故が発生しています。戦争以外にも、誤報や誤操作、誤作用で核兵器が発射される危機は常に存在し、人類は核の恐怖と同居しています。この点でも核兵器は廃絶以外にありません。
核開発や実験は、これにともなう被害者を出し続けてきました。日本では1954年3月、アメリカの水爆実験による、ビキニで操業中のマグロ漁船、第五福竜丸の被爆があります。この太平洋のビキニ環礁はじめ、フランスの実験場ムルロア環礁、旧ソ連のセミパラチンスク、アメリカのネバダなどでは、強制移住や住民の深刻な健康障害を生み出しています。
また、ウラン鉱山や核物質製造工場の労働者、開発・実験に従事した軍人・軍属などにも放射線被害が及んでいます。