智之・T

10月12日の秋季気功セミナーに夫婦で参加させて頂いた。
 その時感じたことを少し書いてみる。

 僕たち夫婦が「武澤塾」に通い始めたのは、今年の8月。その少し前、元の職場のOB会で同僚であったOさんと一緒になり、近況を話し合う中で妻のことになり、妻が体調を崩し2年近く、これまでいろいろと病院や治療院に行ったが、目立った効果もなく病名もはっきりしないまま憂鬱な毎日を送っている・・・などと、僕としては恥ずかしい話であるが少し弱音を吐いた。それを聞いたOさんは、自分が永年親しんでいる「気功」を勧めてくれた。Oさんは心底心配してくれて、直ぐにでも妻を「呉」に連れて行くべきだと、気功のすばらしさと自分の気功との深い関わりを熱っぽく話してくれた。それが僕たち夫婦の「武澤塾」の気功入門のきっかけである。それから週2回の広島から「呉」通いが始まったのだ。

 そして、セミナーに参加。参加者が多いので少し驚いたが、2か月の間に顔なじみになった方もおられ少し安心した。Oさんももちろん参加している。

 最初の瞑想呼吸法は、何とかついて行くことができて、僕も少し上達したかなと内心喜んだが、息を吐きながらよ〜く考えてみると、今日は初めての方もおられるので、先生のていねいな説明入りで、吐く時間、吸う数時間も短くされたのだと気がついた。

入門から2か月、見よう見まねでやってきたが、細く長く吸った息を細く長く吐くことが、こんなにむつかしいものとは思ってもみなかった。
 息継ぎを何回してもよいと言われているが、最初は「男の沽券に拘わる」とつまらぬ意地を張って一呼吸でやろうとして、途中でハァハァゼィゼィ、ぶっ倒れそうになったことがあり、今は好きなだけ息継ぎをしている。とは言ってもやはり限度があると思うが。

 午後の呼吸法は、息継ぎをしながらユッタリを心がけてやったにも拘わらず、汗をかいてしまった。周りを見ても汗をかいた人はいない。やはり、息が詰まって、力が入りすぎたのだろうか。
僕は「吐く」ほうが難しく感じる。恐らく吐くときは5回以上は息継ぎをしていると思う。これが多いのか少ないのかは分からないが、「四元・止息」に戻ったときなど途中息継ぎをしても苦しいことがある。早く先生に次の「ソクシン」と声をかけてもらいたいときがある。周りの人が「スーーー・・・」と細く長く静かに息を吐く音を聞いていつも感心している。

 僕は細く長く静かに吐くには、口から「スー」と音を立てて吐くより、鼻から静かに吐くのがいいのではないかと思っていたが、セミナーでの先生の話ではやはり口から吐くべきとのこと。その方が抵抗があり細く長く吐けるということか。今は、息継ぎをしながら「スー」とやることにしている。

 ストレッチも僕は苦手だ。足を大きく広げて(といってもせいぜい90度くらいしか広がらない)前屈、そして、割坐して後に倒れるやつ、悲鳴を上げそうだ。僕は生来からだが堅く人から「鋼鉄のような身体」と言われていた。そのような身体だから、なかなか「気」を感じにくいのではないかと思っている。からだ中でビリビリ、ジンジンと感じる人がうらやましい。
 ただ、セミナーをきっかけに、少しだけであるが手のひらに「気」らしきものを感じるようになったのは、大きな収穫であった。

 対気を楽しみにしていたが、参加者が多かったせいか、短かったのが残念であった。
 セミナー中に強い光を見ることも、強い風が吹き抜けることも無かったが、「気」が、「光」が、「風」が、と考えるうちはまだまだ「気」を極められないということかも知れない。ただ、ひたすら呼吸に集中してみようとなどと勝手に思った一日であった。
都合により一日しか参加できなかったが、次回は二日間参加しようと思っている。どんなに成長しているか、来年春が楽しみである。

妻からひと言
 武澤先生、城本先生、ありがとうございました。
 お陰様で、少しずつですが元気を取り戻しています。
 セミナーはほとんど休まず頑張ることができました。2か月前の自分では
 考えられないことです。
 お茶の時間には、いろんな方とお話ができてとても楽しかったです。
 来年のセミナーでは飛んでいる自分を体感したいと思っています。
 私にとって信じられないくらい充実した一日でした。