きこうき2969回.  2011年10月12日(水)はれ。

ついに、その時は来た!!

セミナー後、今日の夜の呼吸法は、あと1ヶ月で気功の稽古に毎日通い続けて16年になるが、始めての体験だったのだ☆☆☆

暴走!? いや覚醒!?

その感覚というか予感は、朝の稽古から、何となく感じていた☆
特別、気合いを入れて、稽古するぞ!!という気持で臨んだわけでもなかったのだが、セミナー後にフルに稽古できる日だったので、すごく楽しみにしていたのだ。
過去の経験からしても、セミナー後は、自分の変化が少しづつ感じられていたからだ。

大きな期待をしていたわけでもなかったのだが、思いがけず、大きな変化が訪れた☆☆☆

始めに円運動をいつもよりも多めにやって、身体が膨らんだ状態での呼吸法だった。
いつものように、自分の頭では何も考えず、いつものように呼吸法をするはずだった。
ところが、はじめに息を吐いて、そこから吸いあげていく時に、
自分の背骨が震えてきて、何か得体のしれないビーストのようなものが、ゾクゾクと上がっていく感覚があったのだ。
その驚きで、自分で息を吸い上げようなんていう感覚は全くなくなっていたのだが、勝手に背骨の中をビーストが這い上がってくるような感覚があった(@__@)
そして、頭の天辺まで上がって、スルスルスルと丹田に下りた。

そこから息を吐く時だが、いきなりワーッと広がっていく感覚がして、だんだんと口が開きっぱなしになっていた。

自然と、舌が出て来て、その時の感覚は、まさに身体内部が筒抜け状態☆☆☆

そして、ドテッ腹に風穴が開いたようなスースーする爽快な感覚♪

こんな呼吸がはじめから、最後まで途切れることなく続いて、自分で呼吸法をしているという感覚が全く消えて、何かの力というかエネルギーが自分の身体の中でそうさせているような感じで、言葉で表現するのは難しいのだが、とにかく自分自身の頭がその呼吸にビックリしてしまった(@__@)

先生がまだ呼吸法を始められて、お一人でやられていた時に、あと一呼吸でやめて寝ようと思っても、勝手に何かが上がってくる感覚があった。と言われていたが、先生はお一人でそういう感覚をしかも、短い年数で体験されたというのは、驚きで、自分が今日、それと似た感覚を始めて味わう事で、先生の呼吸のすごさを再認識した!

やっと16年稽古を続けてきて、呼吸法の入り口に入れたという感じだ☆☆☆

セミナーで気エネルギーは確実に半端なく膨らんでいる☆

このエネルギーを減らす事なくつなげていくと、今日のようなすごい気の世界を体感する事になるのだ!

まさに、このたびのセミナーは「プレミアム気功セミナー」だったと、驚嘆したのだ☆☆☆

ネコキックさん「きこうき」


塾長 談
セミナーで培った純度の高い“気エネルギー”を持ち越しての、体験でしたね。

このたびのような体感を「カンヌケ」、肉体感覚が一切無い完全なる抜け!というのです。

カンヌケを体現するには、イメージだけではどうにもなりません。仮に成ったと思っても、それは錯覚にしか過ぎません。独りよがりです。

心のこもった、深い深い呼吸法の継続が伴ってこそ、真に「カンヌケ」を体現できるのです。焦ってもダメです。着実なる一呼吸の継続こそ近道です。

呼吸法は身体内部の緊張・詰まりを繰り返し繰り返し抜く作業なのです。気の通りの良くなった部分は必ず快感(電気を帯びた風のような清涼感)が生じます。いわゆる、風邪をひいて詰まった鼻が、なにかの拍子で抜けたとき「スーッ」と快感が生じるような感覚です。

人間のからだは、日々の生活でストレスやアクが、溜めまいと思っても溜まるようにできているのです。それを思うと、それを流す作業(呼吸法)がいかに大事なことかと、思い知らされるのです。

ネコキックさんは入門当初は病気との戦いであったのですが、それを見事克服し、着実に16年かけて「カンヌケ」を体現されたというのは実に素晴らしいことです。

ご本人さんは、「稽古すること事体が楽しくて、毎日通っている。」と言っていますが、実にそれが神髄なのです。日々の稽古で身体はかってに変わる!

この先、自分への働きかけを怠らず継続していくならば、近い将来、必ず百会の大爆発につながります。大いに期待するところです。

武澤あつよし
●注 〈百会の大爆発〉・・スースー、シャワシャワ、ビリビリ、チリチリ、ジンジンといったレベルではなく、火山の大爆発!のごとく、ドッカ〜ン!!ときます。その前兆が、全身の毛穴から気が吹き出る、吹き出る気がありありと見える、目を開けていられないほどシャワシャワと、やたら百会から吹き出る気を強く感じる。そういった状態が私の場合、一年ほど続いたのち、運良く体験できたのです。なぜ運良くかと言うと、その時、もう一呼吸で止めて寝よう、止めよう、止めようと思いつつ、カラダが止めさせてくれなかったからです。頭の指示通り一歩手前で止めていたら、その後体験出来てたか疑問です。
しかしこれは、無心で瞑想呼吸法を繰り返し続けるならば、誰にでも可能性のあることなのです。