地図上での島の名は四十島といいます。昔は穴が2つ開いた島として地元の人たちに親しまれてきたのですが,今はごらんのとおり崩壊のため見る影もありません。
 周囲が約140mで面積は約1,200 平方米の島で所有者は愛媛県でありましたが平成17年7月29日松山市に譲渡されました。
 島の周りの潮の満ち引きの時点では、潮の流れが速く最大4ノットにも達し時には渦も見えます。
 子規が「初潮や松に波こす四十島」と詠んでいるとおりひとたび風でも吹けば瀬戸内とはいえ凄まじいものであります。
 四十島がタ−ナ−島の愛称で呼ばれるようになったのは、夏目漱石著作「坊っちゃん」に由来します。
 以下関係の文章をご披露します。
−−前略−−「あの松を見たまえ、幹がまっすぐで、上が傘のように開いてタ−ナ−の画にありそうだね」と赤シャツが野だにいうと、野だは「全くタ−ナ−ですね。どうもあの曲がり具合ったらありませんね。タ−ナ−そっくりですよ」と心得顔である。−−中略−−
 すると野だが「どうです教頭、これからあの島をタ−ナ−島と名ずけようじゃありませんか」とよけいな発議をした。赤シャツは「そいつはおもしろい、われわれはこれからそう言おう」と賛成した。−−後略−−

 
上の写真は正岡子規の「初潮や松に波こす四十島」の句碑が高浜町一丁目、蛭子神社境内に建立されている。

 上の写真は、漱石が英国で見たタ−ナ−の絵画である。