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しかし今回の旅は、なんと恥ずかしいことにセンチメンタル・ジャーニーなのである! ある人ヘの切ない思いを胸に旅に出るのだ。 「ある人」といっても、そのヒトはオトコではないことは申し述べおく。 私はその方面のヒトではないのだ。 切ない思いなどと書くと、いいトシして何を言っておるのか!などとお叱りを受けそうだが、実は本当にそうなのだから仕方がない。 ばかめばかめと言われそうだが、どうもやっぱり馬鹿のようだ。無念無念・・・ 切ない思いは叶わないから切ないのだ。 叶わぬ思いは、胸を焦がすのだ。 いとしいグレートヒェン・・・(ゲーテ著「ファウスト」より) てなわけで、苦しい思いを胸にイタリアを旅してきました。
6月11日夕刻、私は成田空港へと向かった。 なんと私はリッチにも、成田エクスプレス3110円也を利用してしまったのだが、指定席の隣の席は中国人らしき佳麗の女の人であった。 佳麗のヒトといっても、もう55は過ぎたであろう加齢のヒトである。 中国での過激な反日デモは記憶に新しい。中国では最近反日感情が渦巻いているやに聞く。 せっかく中国のヒトが日本に来てくれたのであるから、よい印象を胸に帰国して欲しい。 そのように考えたワタクシは、さっそく声をかけてみたのであった。懐柔策である。 女性は香港の人で、英語ができ少し日本語を話すこともできた。 そして私たちは成田までの1時間を楽しくお話して過ごしたのであった。 イタリアのスリは香港でもひどく有名らしく、気をつけろ気をつけろ気をつけろと再三忠告された。 けれども、やがて話題は日本の右翼の話になった。 日本人と話すからには、どうしても右翼の話はしておかなければならない、と思い詰めているようなのだ。 右翼といっても、ヘンな車で軍歌や演歌をがなりたてる意味のない人たちの事ではない。 ジュンイチロー・コイズミやシンタロー・イシハラは中国でもたいへん有名な右翼だそうで、現地の人たちは真剣に怒っているそうだ。 日本人の友達もいるが、右翼と右翼でない日本人を分別して考えているのだと言った。 私は日本人には「男」と「女」と「その中間」がいると思っていたが、「右翼」と「右翼でない日本人」という分け方は初めて知った。 何だか燃えるごみと燃えないごみのようである。佳麗のヒトの話は、「右翼の日本人が多くないことを願う」という話であった。 なるほど、中国のヒトの気持ちはやはりそうであったかという思いを強くしつつ、新聞やテレビでない直接の意見が聞けたことはよかったのであった。 しかし、香港人というか中国人である彼女にとって、私の話にはショックな面もあったようである。 私の東京⇔ローマ往復チケットは7万円であるが、彼女の香港⇔東京往復チケットは日本円で12万円したそうで、彼女は電卓をたたきながらため息を漏らした。 日本における価格破壊は進んでいるようだ。 彼女の便はノースウェスト航空とのことで、お話できてよかったと言いつつ別れた。 |
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新しい香港国際空港 <ここで問題です> 上の写真は、東京経由どこ往きでしょう? 答はもうちょっと下にあります。
<上の問題の答> 東京経由 ニューヨーク/J.F.ケネディ空港往き |
さて、私の飛行機はキャセイ・パシフィックの香港乗り継ぎ便であるが、香港ではイミグレーションとの無意味なタタカイが待ち構えていた。 以前香港に来たのは十数年も前のことであり、今では空港も新しく立派になっていたが、雰囲気自体も変わっていた。 そこでは、中国軍の兵隊のような人間が警備を行っていた。 警備が物々しいというのか、私の荷物がX線検査装置を通ると私はストップをかけられ、荷物を改められた。 いったん成田で検査を受けているのに、なぜストップをかけられるのかわからなかった。 いったい何が問題なのであるか!と思っていると、検査官はキビシイ声で日本語で「ハサミ!ハサミ!」と言った。 確かに私は旅行用の折り畳み携帯バサミを持っていたが、数センチほどの小さなものだ。 「これは危険ではない。必要なものだ」と私は主張した。 検査官は「日本でよくても、香港では機内持ち込みできないのだ」と高圧的に言った。 昔の香港はにこやかであったが、今回は全然ニコヤカでなく、軍隊調である。没収廃棄だと言う。 廃棄されてはもったいないので、No!と拒否すると、14日間預かってくれることになった。 しかし、そこでさらに私は「危険ではない!」「使うのだ!」「見逃せ!」などと主張したのだが、これがよくなかった。 私の主張は預かり手続きをしようとしていた女性係官の怒りを買い、彼女は歯をむき出しにして怒ってしまったのだった。 失礼ながら日本の女性も怖かったりするが、中国の女性はなんというかもっと直接的におそろしい。 本当に歯をむき出すのだ。 もしかするとこの一件でワタクシは「右翼の日本人」に分類されてしまったかもしれない。 ハサミひとつで無益なタタカイであった。 意味のないことでワタクシは中国当局と対立し、日本に対する印象を悪化させてしまったかもしれないことは、「右翼でない日本の方々」にすまぬすまぬの気持ちで一杯である。 しかしこのとき私は香港イミグレーションの重大な抜け穴を発見してしまったのであるが、それはヒミツである。香港からローマに向かう機内では、隣に白人の大男が座った。 これは悲しむべきことである。 12時間ものフライトで、ただでさえ狭苦しいエコノミークラスで、隣に大男がいたらどんどんはみ出してくるに決まっているのである。 大男が太っちょでないのはせめてもの救いであるが、いかにして私の席に対する侵略を防ぐべきか、私は防衛戦略を急速に練り上げなければならないのであった。 しかし、結局私の心配は杞憂に終わった。 この大男はどことなくシュワルツェネッガーに似ているのであるが、そのシュワちゃんの反対側の隣には奥さんらしき人が座っており、シュワちゃんは奥さんのヒザの上に覆いかぶさって寝てしまったのである。 そうして私は大男の侵略から免れることができたのであった。
そういえばイタリアはマンマの国である。 マンマと奥さんは違う気もするが、シュワちゃんにとって奥さんはマンマのようなヒトなのだろう。 イタリアの海を舞台にした「グレート・ブルー(完全版はグラン・ブルー)」という映画を見たが、その映画でも大男のジャン・レノは無精ヒゲを伸ばしマンマに甘えていたのであった。 そうかそうか、イタリアはそういう国なのかと少し納得した次第である。 シュワちゃんにはマンマのような奥さんがいるが、けれども私は一人異国の地を行く旅人である。 切ない思いを胸に、遠く旅の空で心は彼女の姿を求めているのだ。 メフィスト 太 郎 メフィスト 太 郎 メフィスト 太 郎 メフィスト 太 郎 メフィスト 太 郎 |
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(注)為替レートは1ユーロ≒132円である。 手数料10%は高すぎないかい? 乗車券はカードでも買える。 イタリアでは、カードでの支払いや キャッシングをおすすめする。 |
現地時間翌日朝6時(6月12日(日)AM6時)、飛行機はローマ・フィウミチーノ空港に着いた。 フィウミチーノ空港は、正式にはレオナルド・ダ・ビンチ空港というらしい。 日本円で1万円のみ両替、手数料を差し引くと68ユーロにしかならなかった。1ユーロ147円の計算である。(注) ふざけんな、バーロという感じであるが、カネがなくては仕方がない。 まずは映画「終着駅」の舞台であるテルミニ駅へ向かう。直通1等列車10ユーロ、30分ちょい。 テルミニ駅には終着駅というひなびた雰囲気はほとんどなかった。近代的な駅である。 今日は駅周辺で宿をとる予定である。明日の朝は鉄道でナポリへ向かうのだ。 しかし、安宿を何軒か当たったが、いずれもフル!満室と言われてしまう。 最初の1軒目は仕方ないかと思ったが、2軒目、3軒目もフルとなると、いったいどうしたの?どうしちゃったの?という気分になってくる。 もしかして僕は今日泊まれないの?そこらでねんね?段ボール箱は?などと段ボール箱にも目を配る。 かつて旅先で泊まれなかったことは1度しかない。 しかしローマの安宿は何故かこの時期、繁盛しているようである。 欧米の学生は既に夏休みに入っているのであろうか。 さらに飛び込みを重ね、何軒目かの宿に入ると、ついに部屋が発見された。空いていると言う。 しかし、1泊85ユーロであると言う。予算は40ユーロ・・・ お断りして帰ろうとすると、ちょっと待てと呼びとめられた。 「安い部屋を探しているのか?」と聞くので、その通りだと答えると50ユーロに値下がりした。 部屋を見せてもらうと、室内にトイレ・シャワーがなかった。共同トイレ・シャワーである。 トイレ・シャワーなしで50ユーロはお断りと言って出ようとすると、再びちょっと待てと言う。 いくらならいいのか聞かれ、トイレ・シャワー付で40ユーロを提示したら、なにやらフロント氏は電話をかけていたが、結局向こうから断られてしまった。 宿探しは続く。 しかし結局満室ばかりだった。 |
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(注)14号室、客数1名、85ユーロと 書いてはあるが・・・ |
法律により部屋には宿泊の値段を記載した証明書を掲示しておかねばならないのだが、そこには確かに一人1泊85ユーロと記載されていた。(注) 40ユーロで泊まれたのでまだいいのであるが、ヨーロッパはやはり物価が高い。 半年前のスリランカでは、500円も出せば結構な部屋に泊まれた。 この40ユーロの部屋は3畳もないスペースで、ベッド、洗面台、せせこましい机などが貧相に置かれている。 この部屋にいると、なぜかすまぬすまぬと反省をしなければいけないような気になってくるのだ。 出獄の日はいつであろうか・・・・ この部屋を出たらきっと真っ当な道を歩んで見せると誓いを新たにするのであった。 まあ、出獄の日は明日であるはずなのだが。 テルミニ駅で明日のナポリ行きの列車を調べ、チケットを買った。 駅構内には、テルミニ駅を発着する電車の時刻表があちこちに貼ってある。 2等席のみの「ディレット(準急)」で、ナポリまで10.12ユーロ。2時間半ほどの行程だ。 チケットを用意したので、今日はローマの街を散策することにする。 ローマ市内は到るところ名所だらけなので、地図なしで歩いても必ず何かを見てしまうことになる。 見るつもりがなくても、結局観光してしまうのだ。 とりあえずコロッセオ方面へぶらぶら歩いていくことにした。 するとたちまち古ぼけた教会が出現した。 ガイドブックを見ると、この教会はミケランジェロが云々と書いてある。 どうやらさっそく観光名所にぶち当たってしまったようなのだ。 この教会はとても古いものなのだ。 しかも、ミケランジェロが出てきたからには、もっとえらいに決まっているのだ。 したがってワタクシは、たいそう感心して教会を見た。 写真をお見せしたいが、別に撮りたいとも思わなかったので撮っていない。すまぬすまぬ。 この教会は、古代ローマの遺跡をそのまま活用したもので、廃墟のような外観を持っているのだ。 ローマは歴史がそのまま現代に残っている由緒正しい街である。 |
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ローマの街並み 手前は美しいゴミ箱 2005年6月のコロッセオ 曇っている・・・ |
しかし、観光名所でなくても、ローマは街並み自体が美しい。 黒い石畳の道、狭い路地、さりげなく止まっているポルシェ。 どこを見ても絵になる感じなのだ。 東京のゴミ箱は汚いが、ローマのゴミ箱はなぜか絵になる。 ローマの街並みに見とれ、しばらく歩くとたいそう立派な宮殿があったので、ガイドブックを見ると「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」と書いてある。 イタリア統一を記念し、1911年に完成したそうだ。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世は初代イタリア王らしい。 イタリア統一は1861年のことだそうで、イタリアは国としてはアメリカよりもずっと新しい国だったのだ。 その宮殿に登ると、ローマの古い街並みが一望に見渡せる。 宮殿からはコロッセオも見えたので、次はコロッセオに向かった。 コロッセオには乞食がおり、ローマに乞食は珍しくないが、コロッセオの乞食はいかにも乞食という乞食であって、実に乞食らしい立派な乞食なのだ。 しかし本物の乞食がここまで乞食らしいはずもなく、私はたちまちのうちに「これは乞食パフォーマンスなのだ」と喝破した。 見ているとこの乞食パフォーマンスの人は、一定の間隔で確実に何枚かのコインをゲットしているのだ。 明らかに繁盛しているので、コインはあげなかった。 コロッセオには、乞食のほかにカップルもいた。 わざわざヒトの前で抱き合い、何故か私が通りかかるとキスを始めるのだ。おのれおのれ。
Ich kann sie nie vergessen, nie verlieren Ja, ich beneide schon den Leib des Herrn, Wenn ihre Lippen ihn indes berühren. |
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ローマの街並み |
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ピッツァ・ナポリターノ 後日ナポリで食べたマルゲリータ 生地の違いがわかるだろうか? うまい!! |
申し遅れたが、イタリア到着後初の食事はブリオッシュとカップチーノ。 飛行機が現地時間の朝着だったので、テルミニ駅のバールでいただいた。1.3ユーロ。 バールでは、お客も「ボンジョールノ」とまず挨拶するのが印象的だ。 ブリオッシュの定義はよくわからないが、菓子パンのようなイメージだ。ネットで調べると、「バターと卵を普通のパンより多く使ったパン」だそうで、マリー・アントワネットのセリフとして有名な「パンが食べられなければ菓子を食べればよい」の菓子とは、このブリオッシュのことらしい。 私が食べたのは中にクリームが入っており、クロワッサンでできたクリームパンのようなものだった。 もちろん甘いが、なかなかうまい。朝食や間食にちょうど良い。 昼食はコロッセオ近くのピッツェリアでいただいた。 ピッツェリアとはその名の通り、基本的にピッツァを食べさせる店のこと。 本格的なピッツェリアは夜しか営業しないそうだが、昼間やっている店もあり、ピッツァ以外のメニューを出す店もある。 日本で有名な「スパゲッティ・ナポリタン」はイタリアにはないが、「ピッツァ・ナポリターノ」はあったので、それをいただいた。 材料は、マルゲリータにアンチョビが加わったものである。 このピッツァ・ナポリターノの生地は薄く、カリカリとしていた。 悪くはなかったが、後日ナポリで食べたマルゲリータは外側がもっちりと厚く、内側に行くにしたがってサクサクと薄くなって、全くの別物であった。 夜は、宿の近所のTavola Caldaで食事をした。 このTavola Caldaというのは、お惣菜がブッフェのようにプレートに並べられており、指をさせば盛り付けてくれる店である。 それほど高くなく、好きなものを選んで食べられるのが重宝だ。 しかしご想像の通り、特別旨くはない。下手にパスタの類を選ぶと、乾燥していることもある・・・ マカロニが歯にガキッというのは悲しい。 この日は何を食べたか忘れてしまった。すまぬすまぬ。 |
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そういえばすっかり忘れていたが、今回の旅は単なるセンチメンタル・ジャーニーだけではないのだ。 会社で「ウォーキング・キャンペーン」というのをやっていて、毎日1万歩以上歩かねばならないのだ。 特に私には、旅行中「1日3万歩」が課せられているのである。 所属全員の平均歩数が勝負なので、私は所属の期待を一身に背負っているのだ。 行く手に何が待ち構えようとも、私は歩かねばならない。タクシーを利用してはいけないし、バスに乗ってもいけないのだ。 片手にカメラ、もう片手には心の花束を持って、万歩計をカチカチ言わさねばならないのである。 心の花束とはナニカといえば、グレートヒェンへの思いである。 歩くことに疲れて、「センチメンタル」の部分を忘れてしまってはいけないのである。 で、初日の歩数は6,953歩。 家から成田へ行き、その後はずっと飛行機に乗っていたのだから仕方がない。 しかし2日目の今日は、穴埋めのため53,047歩を歩かなければならなかったのだが・・・・ 27,817歩である。 穴を埋めるどころか、穴があいてしまっているではないか! ただ歩くだけでなく、カメラと花束を持って、時折ガイドブックなども取り出して右往左往七転八倒していると、結構疲れるのである。 しかし明日もがんばって歩かねばならない。 今頃職場では、私の「歩き」に期待している人々がいる・・・ サラリーマンのつらいところである。 とりあえず今日はお休みなさい。 |
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8:49発D2387 D2387運転席 安全確認をする車掌さん 田舎の駅 |
しかしそうは言いながら、3日目の今日はナポリへの列車に乗ってしまうのだ。ナポリまで歩いて行く訳にはゆくまい。 昨日時刻表で選んでおいたのは、8:49発D2387。 Dというのは日本ではディーゼルだが、イタリアでは「ディレット」の略らしい。 「ディレット」はガイドブックでは準急と訳されている。 全席2等の自由席で、特急券も急行券もいらない。 ついでに言えば、イタリア国鉄の駅に改札はない。ホームまで誰でも自由に出入りできる。 じゃあタダ乗りできるじゃんか、と言えばその通りで、しかしタダ乗りがばれるとかなりの罰金が取られるのだ。一応車内の検札は回ってくる。 切符は電車に乗る前に、駅の自動印字機を使って自分で乗車印を入れておく。 出発前に列車の写真を撮っていると、運転士から運転席へと招かれた。 ユーロスターなどの国際特急ではなく、全席2等のディレットの写真を撮っていたことが評価されたらしい。 運転席に座り、写真を撮ってもらった。 どさくさにまぎれて何かレバーを引いてしまえばよかったが、運転はさせてもらえなかった。 列車は定刻を4分遅れて発車。 始発駅であるが、定刻通りに発車しようという気持ちはないようだ。 むしろ定刻通り発車しないことに誇りを抱いているフシがある。 定刻どおりに動いてはイタリア的ではないのだ。 客席は4人掛けボックスシート、空いているので1人で占領した。 ローマを出るとすぐに、車窓はのどかな田園風景に変わり始める。 のどかな車窓を眺めながら、ゆったり2時間半の乗車である。 ナポリまでほとんど田園風景が続き、山や畑や海、古代ローマの水道橋などが現われる。私は当然ながら先頭車両に乗ったのだが、車掌室などというものはなく、車掌さんも大きなカバンを持って客席に座っている。 駅に止まるたび扉を出て安全確認し、大きく手を振ってスルドク笛を吹くと出発だ。 車掌さんは行きも帰りも女性だった。 列車は走りながら軽快に音楽のように汽笛を鳴らす。 日本で汽笛を聞くことは少ないが、イタリアなど外国の列車ではリズミカルな汽笛が汽車旅の雰囲気を盛り上げる。踏切などなくても線路を横断し、あるいは線路を歩いている人もいるからだろう。 やがて少しずつ乗客が増えてきて、ボックスシートの斜め向かいには若い女性が座った。 田舎の駅のホームには見送りの友人が来ていて、手を振ってチャーオ!などと言っている。 話しかけようと思ったが、言葉が通じそうもないのでやめた。イタリアで英語はあまり通じない。 列車はやや揺れながらもグイグイ進む。左側通行でけっこう速い。 窓の外は銀色のオリーブ、まばゆい太陽、丘には麦藁が円筒形に丸められている。 ある駅で拳銃を持ったおまわりさんが2人乗ってきた。 車掌さんが応対し、携帯電話で何事か話している。 何を言っているのか当然わからないが、車掌さんは最後に「オッケーイ」と言って電話を切った。 おまわりさんは列車の端から端まで見廻って行ったようである。 何があったのかよくわからないが、田園の中で拳銃は不似合いである。 しかし何事もなく列車は光の中を南へ向かって進んだ。 |
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ナポリの街角 |
ナポリの街は薄汚れて喧しく、街にはにおいがあった。 腐臭を織り交ぜながらしかし、決して腐ってはいない下町の匂いである。 そこは生命力と生活力のむせ返るイタリア南部の都である。 しかしあなたはゴミ捨て場のそばに寄ってはならない。 なぜなら、そばに人がいようがいまいが、上空からは黒く巨大なゴミ袋が降ってくるからだ。 5階・6階の窓から、それは爆弾のように落ちてくる。 「ゴミは白い半透明の袋に入れて捨てましょう」と言っても、聞く人はおそらくいない。 しかし窓から捨てるのだから、合理的といえば合理的である。 わざわざ階下へ降りる必要がない。 部屋の中では下着だけで過ごす人も、表へ出るためズボンをはく必要がない。 したがって、ナポリの人々は甚だ合理的である。 ゴミの収集日はいつか知らないが、路傍のゴミ捨て場には常にゴミが錯乱しており、それがナポリの味を醸し出している。 そうした中をしばらく歩き、本日泊まるべき宿を見つけた。 ローマと違い、部屋は空いていた。バス・トイレ付で1泊35ユーロ。 ローマに比べれば、はなはだ快適な部屋である。 しかし、部屋はなぜか13号室であった。 今朝ローマからナポリへ向かう列車も、13番ホームであった。 そして今日は、6月13日の月曜日である! ここにきて急速に「13」という数字が意識され始めた。 思い起こせば昨日の夜は、日本で買ったビックコミックの「ゴルゴ13」も読んでいたのである。 なんという偶然であろうか。 「ゴルゴ13」など読むのではなかったと後悔された。 しかし人間から見たらこれは偶然かもしれないが、実は神から見たら必然の出来事なのかも知れぬ。 イタリアは神の国である。 あるいは、これは何かの警告なのではないか。 テレパスを使って未来に危険がないか、察知を試みた。 私は時折将来の危険を探ってみることがあるのだ。 未来に危険があれば、必ずわかると信じているのだ。 今まで未来に危険を感じたことはない。 そして私はこれまで、さしたる危険に出会ったことはない。 したがって、未来に危険がなければ何も感じないのだ。 今回も取り立てて未来に不安は感じられなかったので、私は安心した。 しかしそのことを人に話すと、なぜか口の悪い人は「馬鹿」と言い、口のいい人は「お気楽」と言うのである。 悟りを開いたワタクシの「神の統計論」は、なかなか凡人には理解し得ぬのである! ところで、「ナポリを見て死ね」という言葉があるが、「ナポリを見たら死ぬ」という言葉もあるそうだ。 私は言う。「ナポリを見たら100年以内にはおそらく死ぬ」 私の部屋は13号室であったが、結論としては、おそらく私は100年以内に死ぬということである。(悲) ナポリではさっそく旨い昼食を摂ることにした。 ナポリは美食の都であると聞く。 アジアでは「食は広東に在り」と言うが、イタリアでは食はナポリにあるのだ。 ここで魚介の料理を食べぬ手はない。 実際のところ、ナポリの海の幸はおそろしく美味かった。 貝も海老も魚も、それ自体の味が濃いのだ。 これは以前、モロッコなどに行った時も感じたことである。 もしかすると、本当はこれが普通の魚介の味なのかもしれない。 日本では養殖やら冷凍やら、筍お構いなしの漁獲やら、似てるが違う魚の輸入やらで、味の抜けたようなのばかりになってしまっているのかもしれない。 大量生産のツケではないか。残念なことである。 |
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魚介のリングイネ 魚介のズッパ 食後のカフェ (エスプレッソ) |
ナポリのリストランテで食べたのは、魚介のリングイネ、魚介のズッパ(スープ)。 スープは日本語で「飲む」もの、英語では「食べる(eat)」ものだが、この魚介のズッパはまさに食べるものである。 皿に大量の魚介がこれでもかと乗っている。 スープというより「ソース」とでも言うべきトマトベースの液体には、魚介の味がギュッと詰まっている。 マテ貝、アサリ、ムール貝の味の濃さ、深さ。 特に細長いマテ貝の滋味が光る。 貝というものは、噛みしめるとこんなにも味が充実しているものなのだ。 アサリだって、中国から輸入して三河湾にちょっと撒いてさっと採って、「三河産」などといっているものとは味が違うのだ。 殻付のエビも然り。 日本で冷凍養殖むきエビのエビチリなど食べていると、エビの味を見誤る。 安い中華料理屋のエビチリなど、エビの形をしたジェリー・ビーンズである。 魚も、外見がスズキに似たのは脂が乗っていたが臭みはなかった。 氷魚(コマイ)のような魚は身がホロホロとくずれ、淡白な味わいだった。 しかし忘れてならないのが、トマトである。 魚介の味つけをするトマトスープ(ソース)と、中に入ったプチトマトが感心ものだった。 このトマトにはしっかりした酸味があり、トマトの中に太陽の存在を感じさせた。 ほんの少し鄙びた感じのするところが、如何にも素朴な畑で育ったようで感激させるのだ。 最近は、食べると畑が思い浮かぶような野菜は少ない。 思うに、野菜も品種改良をあまりに重ねてはいけない。 甘いばかりのトマトは平面的である。それは本物の食物でなく、健康的でない気がする。 イタリアのトマトは、単純ではない味わいのトマトだった。 失敗だったのは、魚介のズッパと魚介のリングイネを組み合わせてしまったことである。 魚介のリングイネも魚介のズッパと同様の味付けであり、似た料理を重ねてしまった感がある。 日本料理なら、肉じゃがと肉豆腐を頼んでしまった、というところか。 ちょっと勿体無かったことである。 TT しかしあなたもせっかくナポリに行ったなら、食に重点を置くことをオススメする。 黒い石畳のせまい路地。 洗濯物が建物と建物の間に干されている。 上を見上げれば、建物の狭間で青空が細長い。 人通りは少ないが、道行く人々はいちいち抱き合って挨拶をする。 自分自身で住みたいとは思わないが、味わいあるナポリの下町である。 |
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(注)正確には、マフィアはシチリア島の組織。 ナポリの組織はカモッラというらしい。 窓から顔を出す少女と小さな女の子 |
車はボロいものが多いが、時おり狭い道幅一杯にピカピカの黒ベンツなども走っている。 サングラスをして黒服に身を纏ったイタリア男たちは、日本人から見るとまるでマフィアのようだ。(注) 月曜日の昼下がりである。 暇をもてあましたのか、一人の少女が声をかけてきた。 日本で言えば中学生くらいの女の子だろうか。 彼女は英語など話さないし、私はイタリア語を理解しない。 それでも彼女は私を手招きし、私は彼女に誘われ路地裏へついて行った。 そこには彼女の友だちがおり、建物の2階の窓が開いて洗濯物の陰からは小さな女の子も顔をのぞかせた。 私は少女たちから好奇の目で眺められ、なんだかよくわからないが、自分がメズラシイ動物にでもなった気がした。 さらに別の少女が出てきて、彼女は少し英語が話せた。 名前を聞かれたので答えると、英語のできる彼女はみんなに何かを言い、少女たちは楽しそうに笑った。 どうやら「英語が通じた」とでも言っているらしい。 彼女たちは、何かがわかったかのように一人一人うなずいて私の名を呼んだ。 いちいち名前を呼ばれても困るが、暇つぶしに遊んでいるのだろうと思い、彼女たちのスナップを撮らせてもらうと、皆まんざらでもなさそうに喜んでくれた。 彼女達はカメラに気をつけろと言っているようだった。 彼女たちと別れ、路地を曲がるところで振り返って手を振ると、少女たちもいっせいに大きく手を振った。 女の子達がいっせいに手を振ると、薄暗いナポリの路地裏に明るい花が咲いたようだった。 下町というものは、よくわからなくて面白い。 |
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ナポリの下町風景 |
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下町のそぞろ歩きを終えると、夕方にはナポリの観光名所サンタルチア港へ向かった。 しかし海岸沿いの道で、ワタクシはある事件に巻き込まれてしまったのだった。 それはバイクに乗った二人の若い男であった。 ひとり佇むワタクシのそばに、人はいなかった。 そのバイクは背後からワタクシに近づくと、追い抜きざま、二人乗りの後ろの男がペッとつばを吐いたのだ。 おお!何たることだサンタルチーア!! 唾がワタクシのカメラにかかったではないか! ワタクシの目玉は、普段の3倍に見開かれた。 タタカイの時である! しかし何ごともなくバイクはそのまま走り去ってしまった。 おのれおのれ。 わざとであるとは断言できないが、どうもわざとやったと思われる。 もしかすると、私のカメラをひったくろうとしたが私が振り向いたので諦めて、代わりに唾を吐きかけたのかも知れぬ。 二人乗りバイクによるひったくりの話はよく聞く。 「バイク+二人乗り≒ひったくり」をイタリアの公式というのだ。 ワタクシは危うく公式にはまり、公式は例題により証明されて練習問題を解かねばならなくなるところであった・・・ 何のことかよくわからないかもしれないが。 とりあえずカメラをフキフキして、むかつきながらもサンタルチア港へ向かったのである。 |
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サンタルチアの恋人たち |
しかし夕日を浴びるサンタルチアの周辺は広々として、とても気分がいいのであった。 ナポリ湾を隔てた海の向こうには、ヴェスーヴィオ火山がその雄姿を見せている。 この港は世界3大美港の一つであると言う。 有名な卵城には、結婚式を挙げた花嫁がいた。 繊細で真っ白いドレスが陽光に輝いている。 ドレスがなかなか美しく、素晴らしいドレスである。 しかしドレスが美しいと言うと、ドレスの中のヒトが美しくないように聞こえるかもしれないが、ドレスに身を包んでいるヒトも端正な美人である。 さっきの下町の少女たちも、あと何年かしたらこのようになるのであろうか。 さらに何年かしたら、あそこにいるおばさんのようになるのであろうか。サンタルチーア。 ドレスの裾を持つ役の小さな女の子が、なぜか泣いていた。 美しい花嫁以外にも、この周辺には観光客の見るべきものがいろいろある。 簡単に紹介すると、ヌオーヴォ城(アンジュー家の城)、王宮、サン・カルロ劇場、ガッレリア、休憩には芸術家が集ったというカフェ・ガンブリヌス、など。 ローマのコロッセオ同様、この辺りでもカップルはひたすらキスを繰り返さねばならないらしい。 しかし夕陽に染まるナポリ湾を背景に金色の髪を輝かせて抱き合うカップルの姿は、とても絵になるのでまだ許せるのであった。 夜は例のTavola Caldaというスタイルの店で食事した。 タコとキスしても仕方ないがイイダコを煮たもの、パスタ(マカロニ)のトマトソース、ライスコロッケ、ドリンクで10.6ユーロ。 タコの煮たのは当地の名物料理らしいが、この店で食べたものはコメントに値しない。 しかし、きちんと調理されたものはなかなかの味わいであろうという片鱗は感じられた。 本日は25,897歩。 やはり3万歩には足りなかった・・・ 今日はヴェスービオ周遊鉄道というのに乗って、ソレントへ向かうことにする(地元ではソッレントと発音する)。 周遊鉄道といっても普通の鉄道であり、郊外とナポリをつなぐ通勤電車となっている。 したがって、朝のこの時間は、ナポリ駅に着くと大量の乗客をどっと吐き出す。 逆に、ナポリから郊外へ向かう電車はガラガラである。 先頭車両に乗り、運転席のすぐ後ろの席に陣取る。 席は日本の公園にあるようなプラスチックのイスで、4人掛けボックススタイルになっている。 イスのせいであまりリラックスできないが、すいている車両の運転席の後ろというのは気分がいい。 客車と運転席の間の扉は、開けっ放しである。 運転士は出発の前に十字を切るが、走り始めると今度は歌を歌い始める。 路面電車(トロリー)は車と同じで右側通行だが、電車は左側通行である。 しかし私は見てしまった。 扉が開けっ放しなので乗客は運転士に気軽に話しかけるが、すると運転士は後ろを向いたまま話をしながら走るのだ。 線路に象などがいたらどうするのであるか!と日本人は考えてしまうのだが、線路に象はいないのである。 前を向いたまま話をすればよさそうだが、お話する時は相手の顔を見なければ失礼なのである。 発車の前に十字を切っているので、まあ大丈夫なのだろう。 運転士が運転中に恋人と愛を語らうようなイタリア映画があったと思うが、実際それはイタリアでは特別ではないのだと理解した。 少なくとも線路はあるので、前を見なくてもソレント行きが何故か大阪に着いてしまう、ということはなさそうなのだ。 線路でトラックがエンコしてたらなぜか天国に着いてしまうかもしれないが、ソレントは天国のようなところと聞くので、大きな違いはあるまい。 運転中に携帯メールしてクビになったJRの運転士がいたが、それでも福知山線のような大事故を起こす日本の鉄道は不思議だ。 そして私はまたもや見てしまった。 このヴェスービオ周遊鉄道の線路は、狭軌である。 それは日本の鉄道よりもさらに狭いようなのであった。 このようなところで狭軌に出会えるとは、実にジツに懐かしい。 ローカル駅を幾つか過ぎると、乗客がだんだん増えてきた。 おばさんが多いが、サングラスをかけてゴッド・ファーザーのような話し方をするおじいさんもけっこういる。 重く低い声、ゆっくりしたしゃべり、日焼けしてしわくちゃだが力強さを感じさせる手の甲、イタリアのおじいさん達はなかなかカッコいい。 「あなたはゴッド・ファーザーですか?」 「誰がゴッド・ファーザーなのですか?」と思わず聞いてしまいたくなる。 ところで、このヴェスービオ周遊鉄道の駅と駅の間隔はけっこう狭い。 東京の東急池上線か大井町線のようなイメージなのだ。 したがって、池上線に何人ものゴッド・ファーザーが乗っているところをイメージすれば、大体の雰囲気はつかめるであろう。 しかし郊外に行くにつれ駅は減り、列車はスピードを上げ始めた。 右カーブを曲がる時には、左側の車輪からキョリキョリと音がする。 遠心力でシリがずれるが、F1ドライバーのようにカーブの方向へ頭を傾け、ぐっと耐える。 なかなかカッコいいではないか。 しかしプラスチック製のイスはシリが滑りやすい。 そこが楽しい。 左手にヴェスービオ火山を見て、ナポリ湾に沿って右カーブを繰り返しながら、やがて列車は終点ソレントに着く。 |
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ソレント インドの映画撮影 |
緑の中、いたるところにレモンが生っている。 太陽を浴びて輝く黄色いレモンは、妙に心をときめかす。 街の中をレモンが香るようで、しかしもちろんトイレの芳香剤ではない。 今日はアマルフィ海岸に沿って移動し、アマルフィの街やラヴェッロを経てサレルノからナポリに戻る強行軍なのだ。 駅前のバス停でバスの時間を調べ、ソレント滞在は1時間半とした。 海辺へ出ると太陽は雲に隠れてしまったが、ソレントは美しい街であったと申し述べおく。 ソレントへは、ナポリなどからの船も発着している。 ソレントからアマルフィへ向かう道は日光「いろは坂」のようで、しかしいろは坂よりぐっと狭く危険なのだ。 カーブの度にパラパパラパと警笛を鳴らし、対向車に注意を呼びかける。 海側の車窓は大変絶景なのだが、わずか数センチ?横は断崖である。 落ちたら死ぬのは間違いないが、時おりこのバスは空を飛んでいるのではないかと思われる。 その恐怖と絶景の落差に、やがて私は車に酔ってしまったのだった。なんということだサンタルチーア。 そこですかさずワタクシは軟体動物となり、昨日食べたタコのようにグニャリグニャリと揺れに身を任すことで、すばやく回復したのだった。 この軟体動物化作戦は、乗り物酔いに圧倒的な戦果をもたらすのだ。 心の中で「私はタコ私はタコ」とつぶやきつつ、身も心も軟体動物化することが肝要である。 そしてアマルフィもまた美しい街であった。 ここへはインドの映画撮影隊がロケにやってきていた。 インドチックというかヒンドゥチックな音楽をかき鳴らし、グラマラスな女性が軟体動物化して腰をくねらせて踊っているのだ。 私は知っているが、インドは大変な映画大国なのだ。 ここまでロケにやってくるからには、力の入った映画に違いあるまい。 腰をくねらせているこの女性は、インドの国民的女優なのではあるまいか。 すかさずカメラを向けるとカメラ目線をくれ、にっこり微笑んでくれるのであった。 ところで、インドの女優は色白でなければいけないと言う。 「インド・ヨーロッパ語族」などというが、それと関係あるのか知らないが、インド人の中にはものすごく色白な人もいるのだ。 「インド人もびっくり」などと言っているおじさんや、頭にターバンを巻いている「印度カレー」のおじさんだけが印度人という訳ではないのだ。 生物学的には、インド人は白人(コーカソイド)であると言う。 彼女もまた、白人のようなヒトであった。 撮影を横目に、オープンテラスで摂る軽食もなかなか優雅だ。 いただいたのはピッツァ1/4片と、オレンジのフレッシュジュース、レモンのフレッシュジュース。 出来合いのピッツァはいかにも出来合いらしいが、フレッシュジュースはとても美味しい。 バールには色鮮やかなオレンジやレモンが置いてあり、注文するとすぐに絞ってくれるのだ。 ストローでジュースを飲みながらヤシのような木を眺めていると、リゾートしている気分になる。 実際にはナポリの安宿に泊まりちっともリゾートではないのだが、ほんの一時だけリゾート気分を味わう。 バールで落ち着いた後、海に背を向けアマルフィの街中に入ってゆくと、「あ、前にテレビで見た風景だ」と思う。 南イタリアの風光を紹介するテレビに出ていたのだ。 確かメインの道路をはずれて迷路のような路地裏を登っていくと、やがて山の中腹へ出て、ぱぁっとアマルフィの美しい海岸線を眺めることができるのだ。 観光客は誰も路地の中へ入っていかないが、私は知っているのだ。ばかめばかめ。 しかしその迷路のような路地を登ってゆくと、私はただ道に迷った。 ただ意味もなく道に迷うのは、まるで私の人生のようである。 さんざん苦労して右へ左へ登ってゆくと、やがて人の家の玄関に行き当たった。 玄関の脇にはわずかな庭があり、洗濯物が干してある。 色っぽいパンティは干してなかった。 しかし、風に揺れるその洗濯物の向こうに、すばらしい海の眺めが広がっているのであった。 ここの住人は、こんな絶景を眺めながら洗濯物を干せるのだ。 洗濯とはかくも素晴らしいものであったのかと、目からウロコの落ちる思いである。 ウロコの落ちた目には、この世の美しさがひときわ新鮮に映るのであった。 私は洗濯物の背後から蒼碧の海に向かって叫ぶ。 鳥のように自由に空を翔け、永遠の青の天空をゆけるなら 私は喜びのうちに誉め讃えよう。自由という名の神を! (ミュージカル「エリザベート」より) テレビで見た風景とはちと違ったが、しかしなかなか楽しい迷路の旅であった。 (後編へ続く ) トップページに戻る |