すりらんか旅行記 〜光り輝く島〜Sri Lanka

スリランカ最南端を目指せ! 後編

 

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(このページの目次)

南へ・・・    (3日目)

スリランカ最南端

熱帯雨林へ    (4日目)

シンハラージャ

5日目はのんびり (5日目)

ニゴンボ旅の終わり(6日目〜)

 

 

 

ゴールの博物館

ゴールの果物屋さん

ゴールの教会

ゴールの時計塔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーラをつけて60Rs

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灯台からの眺め

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

象使いのヒト

 

象さんはギロリと睨んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左が米粉から作った麺、

下がライスで右がパン。

真ん中はポルサンボラ。

 

 

しっぽの長いサル

カメレオン

葉っぱバッタ

でかい毛虫?

自生のうつぼカズラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲストハウスの子ども

ゲストハウスの台所

ココナツを削っている

アーノルドと犬のブッラと私

スパイス屋さん

ダシになる乾燥魚

新鮮な魚。乾燥前?

 

 

 

 

老漁師ダサの孫娘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アヌラ夫妻の家で

後ろの青いのは蚊帳

 

 

目玉焼きを作るウパリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海沿いの線路と建ち並ぶ家々

地面に洗濯物が干されている

 

ルカと夜のヒッカドゥワで。

国内では知った人もあるかも

しれないので顔はヒミツ

 

 

 

アンバランゴダ

ようやく晴天に恵まれ

金色に輝く広大なビーチ

 

 

 

 

 

 

ロブスターを獲りに行く

 

駅の切符売り場

簡易食堂車と車内販売の写真

は車窓風景にあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニゴンボ

1800Rsのホテル

 

 

 

ニゴンボのビーチ

浜辺のカタマラン

カタマランで沖へ

空に映えるカタマランの帆

漁をするカタマラン

カタマランを操る

岸へ戻る

 

蛇使いのコブラ。体長数メートルのアナコンダもいた

 

 

 

 

 

スリランカ旅行記L〜南

旅行3日目の今日は、マータラのデウンダラ岬を目指すことになっている。

なっているというか、昨日そう決めたのだ。

デウンダラ岬はスリランカ最南端の地だ。

3日目にして早くも、旅行の目的を達成してしまうのである。

セナの息子のナンダナは、スリランカのガイドの国家資格を持っており、彼と話をして今日の予定を決めた。

ニッサンの8人乗りバンと運転手、それにガイド1名がついて5000Rsだった。

私1人なのだから8人乗りのバンは必要ないし、5000Rsは高いと思うが、まぁいいのだ。

ナンダナは生後2ヶ月の娘を病院に連れて行くので、ガイドは弟?のアジットがする事になった。

彼もガイドの資格を持っている。モグリのガイドは厳しく取り締まられるそうだ。

 

朝食にエッグカリーを食べて、9時に出発した。

スープのようなエッグカリーは、色は黄色いのだが、ほかのカリーよりも辛かった。

ゆで卵が丸ごと2つ入っており、底には砕いたスパイスがたくさん沈んでいる。

辛いながらも何故かマイルドで、うまい。

 

「ゴールロード」と言う通りがあり、この通りはコロンボからゴールへ向かって南西海岸をずっと走っている気持ちの良い道路だ。

スリランカでも重要な幹線道路なのであろう、この道路には穴ぼこは少ない。

南へ走り、ヒッカドゥワを抜け、海岸線を見ながらゴールへ向かった。

日本の中古車が大量に輸入されており、ミニストップの配送車などが走っている。

ゴールは歴史ある街で、かつてオランダが砦を築いていたが、その後イギリスがオランダに取って代わったと言う。

古い時計台や砦、野放しの牛や博物館などを見て回った。

インドには目の血走ったノラ牛のような汚い牛がたくさんいるが、ここの牛は毛並みがよい。

インドの道路は糞だらけだが、そんなに糞は落ちていない。

インドにはバクシーシ(布施)を求めるこじきのような人がたくさんいるが、ここには少ない。

あんまりインドと比べてはインドに失礼だが、しかしまぁそういうことなのだ。

 

ゴールを過ぎて、私は車の運転をさせてもらった。

海に沿った眺めのよい道路なので、ついドライブしてみたくなったのだ。

スリランカは日本と同じく、右ハンドル左側通行の国である。

なかなか楽しい。

♪Thunder Birds are go!♪

 

しかし、ものの10分としないうちに、建物の陰からおまわりさんが飛び出してきた。

「止まれ!」とジェスチュアをする。

私の目玉は見開かれ、しばしまばたきを忘れた。

なんということだ。サンタルチーア。

よくわからないがどうやらワタクシは、スピード違反で捕まってしまったらしい。

彼らは日本のネズミ捕りのように、下り一直線のスピードが出てしまうようなところで、建物の陰に隠れてスピードガンを構えていたのだ。

制限速度は50キロだそうである。

穴ぼこは少ないとはいえ、穴ぼこがあいている道路で50キロ以上出せるのはここ以外にはありえない。

そのほとんどありえない中の唯一ありえるところで、彼らはコソコソと隠れてネズミ捕りをしていたのだ。

私は目に見えない穴ぼこにはまってしまった気持ちが強くした。

ところでワタクシは国際免許証を持っているが、去年の9月に発行してもらったものだ。

確か有効期間は1年だったのではないかと記憶する。

もしかすると、有効期間が1年であると仮定するならば、よく計算しないとわからないのだが今は12月なので1年を超過している可能性がある。

計算に手間取りながら何事もないように国際免許証を取り出すと、アジットがさささっと警官のところに走った。

警官の耳元で何事か猫なで声で話している。

なんだかハエのように手をすっている。

もしかすると見逃してくれと言っているのであろうか。

やがてアジットは、早く車に乗れと言う。

そしてブブブーとエンジンを吹かして、何事もなくワタクシたちは去った。

あのおまわりさんは幻だったに違いない。

あとで聞くと、アジットは元警官だそうだ。スピード違反は本来220Rsの罰金であると言う。

元警官のよしみと私が外国人であることで大目に見てくれたようだ。

 

焦ったあとは腹が減るので、デウンダラ岬のあるマータラの街で昼食をとった。

スリランカンの食べる大衆食堂だ。

ライス&カリーにコーラを頼んで60Rs。

ご飯の周りに何種類かのカリーがかかっており、ポルサンボラが付け合せに出てくる。

写真には写っていないが、ポルサンボラはココナツの繊維?を唐辛子やライムで和え、カツオブシ(乾燥魚)で味付けしたもの。

酸味があってさっぱりしている。わりと辛い。ココナツの食感が良く、とてもおいしい。

写真ではわからないかもしれないがお皿はラップで包んであり、食べたあとはラップを捨てれば洗わずにすむという仕組み。

ここら辺はインド的発想であるなという気がする。合理的である。

スリランカカレーは期待するほど激辛ではないので、チリソースを加えていただいた。

 

 

スリランカ旅行記M〜スリランカ最南端

デウンダラ岬には、特に何もなかった。

ただ白亜の灯台がそびえていた。

持参の方位磁石を取り出すと、南を示す針はきっちりと岬の先端、海の沖合いを指し示した。

何もなくてもかまわない。ここは確かにスリランカ最南端である。

ここからはあと少しで赤道である。

なんとなく海の上に赤い線が引かれているのが見える気がした。

海の沖のほうから、潮風が吹きつけてくる。

私はポケットに手を突っ込み、なぜか岩などに片足をかけた。

スリランカを船にたとえるならば、私は今船の舳先にいる。

タイタニックよりもでかく、しかも沈む心配のない船の舳先である。(注1)

海の風は、どうしたわけかいつも懐かしく感じられる。

前世の記憶によるものか、あるいは遺伝子DNAの過去の記憶か。

スリランカ最南端の地をしっかり踏みしめると、灯台に登った。

この灯台は一般公開されていないが、燈台守にチップを渡すと特別に中へ入れてくれる。

その螺旋階段はとても長い。

てっぺんまで行くと、ランプに直接触って手垢をつけることもできる。

天気は曇っていたが、灯台からの眺めは悪くなかった。

こうしてワタクシは、今回の旅行の主要目的を達成した。

達成感に酔いしれ、満ち足りた気分で帰りはメリッサの浜辺で紅茶を飲みながらのんびりし、ヒッカドゥワの大衆食堂で夕食を食べて20時過ぎに帰った。

 

 

(注1)これを書いたときは沈まないと思ったのだが・・・

その後インド洋津波で沈んだも同然になったことを思うと、本当に何があるかわからない。

 

 

 

 

スリランカ旅行記N〜熱帯雨林へ

翌日は、シンハラージャのレインフォレスト(熱帯雨林)に行くことになっていた。

なっていた、というかナンダナと話をしてそのように決めたのだ。

行きの飛行機の機内誌に、このレインフォレストが素晴らしいと書いてあったので、相談してみた。

ぜんぜん知らなかったが、このレインフォレストは世界遺産であるらしい。

朝7時に出発するという。

それほど遠くないが、道が悪いので時間がかかるとのことだった。

 

翌朝になってみると、旅行4日目の今日も天気は今ひとつである。

昨日と違う8人乗りのバンに運転手がつき、ナンダナがガイドになった。

バンは悪路の中を行くが、私は横になりさっさと寝た。

気持ちよく寝ていると、ナンダナが起きろと言う。

外を見ろというので外を見ると、象がいる。

象の茶色っぽいお尻が窓のところでアップになっている。

セクシーかどうかはわからないが、なかなか迫力がある。

象とはいっても野生の象ではなく、象使いに飼われた象である。

村の子供たちも象のそばに集まってきている。

象使いは象をどこかへ連れてゆく途中らしい。

象使いは先が曲がって尖った鉤を持っている。

象が言うことをきかないと、あの鉤で引っ掻いてしまうのだ。

あぁ、かわいそうな象さん。

 

しかし、歩いている象さんの正面にカメラを持って立ちはだかると、象さんはワタクシをギロリとにらんだ。

目を見ればわかるが、明らかに象さんはワタクシをニラんだのである。

あまり象さんの真ん前に立ちはだかってはいけないらしい。

けれども象さんは鼻で私をひっぱたいたりはせず、歩みを止めた。

見るからに、「けっ、しようがねぇなぁ」という雰囲気が漂っている。

象さんの思考が、私にはありありとわかってしまった。

「全くこの日本人はよう」と思っているに違いないのだ。

動物と人間は、間違いなくコミュニケートできることを私は確信した。

バシバシ写真を撮って、象さんの鼻の下に入れてもらい、なぜか象さんの口から息を吹きかけてもらった。

息は少し生暖かかったが、特に口臭は気にならなかった。

エチケットには気をつけているらしい。

運転手が、「この象はレディである」と言った。セクシーなサービスだったのだろうか。

 

象使いに100Rsのチップを渡し、私は再びバンの人となり、眠る人になった。

しかし、そのまま眠っておればよかったのだが、途中でうっかり起きてしまった。

そして、ついつい窓の外を見てしまうと、そこには茶畑がうねうねと広がっていた。

茶畑は見ないと言ったのに、つい見てしまったのだ。

男が二人組みで、袋を背負って茶葉を摘んでいた。

朝のせいか、天気も悪いせいか、茶樹の周りに霧がまといついているようにも見えた。

このあたりの茶葉は「ルフナ」と呼ばれ、低地産であるが香りが強く (個性あるスモーキーな香りが特徴だそうだ)、特にアラブ諸国で好まれるらしい。

飲み方は、ミルクティなどに向くとされる。

 

ところで朝食は、ドライブインのようなところでライス&カリーを食べた。

運転手はブレッド&カリーを頼み、カリーを平皿に取ると食パンをちぎってカリーにこすりつけて食べた。

食パンは日本の食パンと同じようなものだった。

ナンダナはヌードル&カリーで、ヌードルは米粉から作ったもの。ストリングホッパーと言うらしい。

特にコシなどはないが、カリーには合う。

食後の紅茶は、ジンジャー風味の砂糖があらかじめ入れられていた。

 

 

 

スリランカ旅行記O〜シンハラージャ

何十種類もの固有動植物が見られるという、シンハラージャ森林保護区に着いた。

その固有生物種の豊富さが、世界遺産としての根拠のひとつという。

入場料は外国人575Rs。高いが仕方がない。

管理所でシンハラージャ保護区のレンジャーが案内について、別に400Rs。

 

このレンジャーは恐ろしく目が良い・・・と思ったが私の目が悪すぎるのだろう。

何も気づかずに歩いていると、あそこを見ろ、ここを見ろと教えてくれる。

教えられて初めて気づくのだが、やけに尻尾の長いサルやらカメレオンやら巨大チョウチョやら尺取虫やらやけに元気な欧米観光客(おばさん)やらいろいろいる。

ヘビは出なかったが、毒蛇も多いと言う。

25種類が毒蛇で、7種類が毒のないヘビだそうだ。

しかし、彼には発見できなかったが、ワタクシは「葉っぱバッタ」を発見してしまったのだ。

葉っぱよりも葉っぱみたいなバッタである。

たった1回だけだが、彼にここを見ろと教えてやると、「おぅ、グラスホッパー」と言った。

 

山道の散策は、気持ちいいが疲れ、疲れるが気持ちいい。

しかし、ワタクシは知らない間にヒルにやられてしまっていたのだ。

このヒルというやつは、全くタチが悪い。

吸い付かれても痛くもかゆくもないのだが、血が固まらない。

やられたことに気がついたのは、実は宿に帰ってからなのだが、ソックスが血にまみれていた。

100円ショップで買った100円ソックスだが、無念無念とつぶやきつつ捨てた。大損害である。

当のヒルはすっかり満腹したのであろう、もうどこにもいなかった。おのれおのれ。

 

話はシンハラージャに戻る。

わずか3時間半の散策だったが、森林のにおいはとてもよかった。

この森には、たくさんのお医者さんがいると言う。

お医者さんの木である。なにげなく生えている木が、実は薬であったりすると言う。

そういう木々は、「○○のお医者さん」とか呼ばれるらしい。

 

道端に、私の心を妙にひき付ける葉っぱがあった。

それまで私は動植物には触らなかったのだが、その葉っぱだけは触りたくなった。

いかにも「触っていいのよウッフン」と言っているようであった。

そして触ってみると、その葉っぱは毒だと言われた。

なんということだ、サンタルチーア。

よりによって唯一触ってみたくなった葉っぱが毒だったとは。

この葉っぱは、オハダに良くないらしい。ウルシか何かの仲間なのだろうか。

ある種の動植物が身を守るために毒をもつからには、毒を持つという事を知らしめなくてはならない。

してみると、このウルシは私をして、広く人間に知らしめてやろうとしたのではないか。

知らしめてかつ、マヌケな日本人を笑ってやろうとしたのではないか。

生命と言うものは侮れないものである。

 

山から帰ると、散策の終了を待っていたかのように雨が降り出した。

屋根のあるところに辿り着いたとたんに雨粒が落ちてくるのは、人生のヨロコビのひとつである。バカメバカメ。

しかしこの雨は、スリランカ国内で何人もの死者を出した季節外れの豪雨だったのだ。

豪雨の中をバンで帰った。

道は川のようである。ところどころ池のようになっている。

そして、道の両側に臨時の滝が出現していた。

いつもは滝でないそうだが、臨時のわりに日光華厳の滝のようで、たいしたものである。

途中の食堂で、Fried Riceを食べた。

Fried Riceはスリランカでも一般的な食べ物である。

しかしこのチャーハンを食べるときは、スリランカ人もスプーンで食べる。

すっかり暗くなってから宿に着いた。この晩は、眠りに落ちるまでずっと雨だった。

 

 

スリランカ旅行記P〜5日目はのんびり

旅行第5日目になった。

朝起きると雨は止んでいた。今日は宿の周辺でのんびりするつもりである。

 

宿といってもゲストハウスなので、アットホームな雰囲気だ。

2階建ての家の2階部分が客室である。

宿の番犬ブッラは、チキンカリーの骨を与え何度かなでてやったことで、私の後をついてくる忠実な部下になった。

ブッラに限らずスリランカの犬は、人間をきちんと信用している。

インドや他の国であるように、どこか怯えて不幸であるという印象はない。

基本的にスリランカが豊かなためであろう。

 

宿の粗末な部屋に住んでいるフランス人のアーノルドは、近所でシナモンを栽培しているそうだ。

ベルギーに近いフランス北部の出身で、年は30代前半であろうか。

実家の数キロ先が国境だそうだが、ヨーロッパに国境はないと言う。

彼は酒好きで、夜にはいつもビールやココナツで造った酒アラックを飲んでいる。

これまでにあちこち旅をしたようで、潜るなら紅海が素晴らしく、特にジブチが良いそうだ。

彼は英語を話し、いつもとても陽気だ。彼といると話の輪ができて面白い。

 

今日から宿泊客としてイタリア人のルカがやってきた。

人から紹介されて泊まりに来たという。

ルカは写真好きの36歳で、3週間の休暇だそうだ。ニコンの80−200mmf2.8に2倍テレコンバータをつけている。

イタリア的なるものについて、そしてパルミジャーノレジャーノ、グラナパダーノ、デロンギのことについて教えてもらった。

彼の出身地こそパルミジャーノレジャーノの生産地だそうだ。

 

彼らと朝の挨拶をすると、私はセナに連れられてスパイス園を見に行った。

いろいろな木や草が植えられており、どれも素晴らしい芳香がする。

そこらに生えているスパイスを削ったり折ったりして、香りを嗅がせてくれるのである。

大航海時代、スパイスをめぐって欧州各国が狂奔したのは無理もないと思う。

生きたスパイスの香りはジツに実に素晴らしい。

虫除けのスパイスや虫刺されに効くスパイス、口臭除去のスパイスもあった。

さらにお腹のところだけ痩せるスパイスや、ハゲに効くスパイスというのもあったが、少しばかりウソ臭い。

しかし、なぜか彼らは私にハゲに効くスパイスを勧めてくれた。

 

今回の旅で妖怪には出会えなかったが、伝統的な悪魔祓いの仮面を集めたマスクミュージアムにも寄った。

帰りがけにはマーケットでコーヒー豆を買ったが、コーヒー豆はスパイス屋さんで売られていた。

どこの国でも市場は活気に満ちていて面白い。

しかし、良い豆を求めて何軒も回ったのだが、良いコーヒー豆はどこにもなかった。

どの店のコーヒー豆も小さく、粒もそろっておらず、虫が食ったりしていた。

基本的にロブスタ種であるが、質が悪すぎる。100gだけ買った。

かつてのコーヒー生産国の面影は、もはやどこにもなかった。

また、どの果物屋さんを見ても、お目当てのドリアンもジャックフルーツも置いていなかった。

季節外れのようで残念である。

スイカとパパイヤを1個ずつ買って70Rs。スイカは小玉で縞のないタイプ。

パパイヤはそもそも味の緻密な果物ではないと思っているが、このパパイヤはなかなか美味しかった。

バナナは種類がいくつもあるようで、スターフルーツやみかんやりんごなども売られていた。

魚屋の魚はとても新鮮で、カツオやサワラやアジのような魚がピカピカ光っていた。

何より目玉がフレッシュで、明らかに獲れたてである。

売場の台の上で跳ねるのではないかという感じがした。

 

昼ごろに帰ると、宿でエッグカリーを食べて午後の散歩をした。

散歩には犬のブッラがついてきた。私の歩く方角を見定めると、振り返り振り返りしながら案内人のように先を先導する。

その後犬のブッラを帰すと、私は駅へ向かった。

駅までの途中にある広大なビーチがとても素晴らしい。

黄金色の砂浜が弓なりに、はるかに連なっている。

そして見渡すかぎり誰もいない。

曇っているが、天気がよければまさに砂金のように輝きだすだろう。

今回の旅行はあまり好天に恵まれないが、今年の12月は天候不順だそうである。

 

しばらく行くと浜辺の近くに家を建てているおじいさんに呼ばれ、紅茶をご馳走になった。

おじいさんは、漁師のダサと名乗った。

目が少しショボショボしており、なんとなく「老人と海」に出てくる老人のイメージだった。

孫の娘さんが愛らしい。

建築中の家が自慢のようだったが、流木のような柱はやけに細かった。

 

ダサと別れて道を歩いていると、途中でウパリに会い、彼のトゥクトゥクで駅まで送ってもらった。

せまい町でほとんど一本道なので、道を歩いていると知った顔に出会うのだ。

ウパリはセナの宿の近くでレストラン兼ゲストハウスを経営しており、セナの一家とは親戚?のようだ。

半ば白くなりかかっているあごひげが印象的である。

 

駅前はマーケットになっており、マーケットを抜けて海へ出ると漁師の掘っ立て小屋がたくさん建っている。

この国では、漁師はどうも割に合わぬ職業のようだ。

スリランカにもカーストがあると聞くが、見る限り漁師の家はどの家も廃材を集めて作った掘っ立て小屋である。

写真を撮っているとその内の一つの家に招かれて、何か飲み物をと聞かれたのでやはり紅茶を所望した。

とてもまずい。水が悪いようだ。加熱はしてあるので、無理して笑って飲んだ。

アヌラという若い漁師の家で、生まれたばかりの女の子がいた。

チップをねだられたわけではなかったが100Rs渡すとアヌラは喜び、今からカツオを獲って来てやると言った。バーベキューにするとうまいのだと言う。

しかしサカナをもらっても困るので丁重に断った。美しいタカラガイを貰った。

一緒に写真を撮ると、アヌラは「絶対に絶対に絶対に写真を送って欲しい」と言った。

必ず送ると言うとアヌラは喜び、日本人で目の輝く人は少ないが、彼が喜ぶと本当に目が輝くのが面白い。

 

夕方はウパリと約束していたので5時には戻った。

彼は300uで1300$(13万円強)の土地を買えと言っているのだ。

600$で家を建てるという。

スイス人が隣に家を作ったというので、スイス人の家を見せてもらった。

ビーチサイドの好立地で、非常に眺めがいい。

ウパリが「あそこ!」と指差すので見ると、波の間にウミガメがいた。

私が「非常にいいところだが、津波の恐れはないのか」と言うと、彼は激笑した。

私は盛んに津波のリスクについて言及した。

そのたびに彼は、「No tidal wave」ときちんと否定するのだった。

ここまでしか来ない、彼はそう言って波打ちぎわを指し示した。

土地は外国人が買うと税金がかかるので、名義はスリランカ人にすると良いという。

興味深い話ではあるが断った。

また来た時に結論を出せ、とウパリは言った。

 

事後談になるがその10日後、スマトラ地震の大津波がスリランカを襲った。

スリランカでは4万人に近い人が死んだと言う。

南西海岸は東海岸ほどではなかったが、多くの家が倒壊し押し流されたと聞く。

波打ちぎわのスイス人の家はどうなったであろうか。

ウパリは無事だったであろうか。

今思うと、私がスリランカに呼ばれたのはウパリに警告を発せよということだったのではないかという気もする。

十分な警告ができたとは思わないが、しかし私の訪問がウパリに何らかの影響を及ぼしていれば、それは大きな因縁の輪の中の小さな因縁の一つというものであろう。

もしかして今頃私は、スリランカで予言者として釈迦仏の再来と言われているのではないだろうか???

 

しかし、このスリランカで多くの犠牲者が出たことは自然と言わなくてはならない。

なぜなら、たくさんの人々が波打ちぎわに掘っ立て小屋を建てて住んでいるからである。

また、コロンボから南へ向かう幹線のゴールロードは海岸線をひた走り、ゴールロードに沿って集落も連なっている。

そして鉄道も海岸線を走り、駅周辺には当然多くの人々が住んでいる。

老漁師のダサは生きているであろうか。

はにかんで見せた彼の孫娘は無事であろうか。

細い流木のような柱で建築中だった彼の家は、もはや消えているであろう。

喜ぶとあからさまに目の輝く若い漁師のアヌラは助かったであろうか。

砂浜の家には、若くきれいな奥さんと生まれたばかりの女の子がいた。

セナのゲストハウスは大きな被害は受けなかっただろうか。

そしてナンダナやアジットやアーノルドや、まだスリランカを旅行中のルカは大丈夫だろうか。

メールの返信は今のところない。

(その後、1月13日にルカから返信があった)

 

話は旅行記に戻る。

夜はそのルカと、夜のヒッカドゥワに夜出した(津波で今はほぼ壊滅状態という)。

私はビーフステーキを食らったが、ナイフで切れないのに閉口した。

ヒッカドゥワは外国人旅行者が多いというが、鄙びたビーチリゾートであり、パタヤやプーケットのようではなかった。

こうしてのんびりブラブラして5日目を終えた。

 

 

 

 

スリランカ旅行記Q〜ニゴンボ旅の終わり

旅行第6日目の朝の天気は良かった。

この日私は、ニゴンボへ向かうことにした。

明日の夜は日本へ帰る飛行機に乗らなければならない。

ニゴンボは空港に程近い高級ビーチリゾートである。

ここでは、カタマランと呼ばれる帆掛け舟を見ることができる。

空港で両替した5万円(48,850Rs)がまだ相当余っているので、最後の晩は少し高級なところに泊まり、贅沢をしようという心積もりである。

高級とはいっても、私が泊まったのは1泊1800Rsのリゾートホテルである。

しかしこの宿には、きちんとしたレストランがありプールがあり半プライベートビーチがあり、私の部屋にはエアコンがありホットシャワーがありセッケンがありトイレットペーパー(新品)がありタオルがあり電話があり机がありイスがありベッドがあった。

ベッドがあるのはフツーかもしれないが、ミニバーには酒もあった。

シャンプーはなかったが、ホテルとしてあるべきものはほぼ完備した素晴らしいホテルだった。

ホットシャワーがなくセッケンがなくタオルがなくトイレットペーパーなどがない宿から移ってくると、王侯貴族になった心持ちがする。

旅行の最後はそのように豪華なホテルライフを送るのだが、話は当日第6日目の朝に戻ろう。

 

朝はゆっくりチキンカリーとエッグカリーを食べ(私はエッグカレーが気に入ってしまっていた)、食後はのんびりビーチを散歩した。

ライス&カリーはとにかく辛いものを所望する私に、奥さんが笑いながら「Very very hot!」と言って持ってきてくれたが、まだまだである。

散歩したビーチはようやく好天に恵まれ、想像通り黄金色に輝くようで美しかった。

漁師が捕まえたロブスターを見せてくれた。

かなり大きいのが岸から歩いていける岩場で取れてしまうようなのだ。

 

さて、今日は再び列車の旅である。

11時過ぎの時間に合わせて駅へ行ったが、列車は予想通り混んでいて、席に座れない。

スリランカ人の真似をして、簡易食堂車のテーブルにどっかり座ることにした。

この食堂車では紅茶やジュース、お菓子、パン類などを売っている。

車内販売の少年から既にスナックを買って食べていたのだが、列車が動き出すと目の前で食べ物がガタタンガタタンゆれるので食欲に負けてカレーパイを買わざるをえなかった。20Rs。

パイ皮がサクサクして、中のカリーが多すぎないのがいい。

カレーパイを食べ終わると、依然としてうまそうな食べ物がゆれているので、カレーパンを買わざるを得なかった。20Rs。

日本のカレーパンのような揚げパンではなく、しっとりとして肉厚なパンだが、グッと噛みしめると心地よい歯応えを返してくる。スパイシーなカリーがこのパンによく合う。

食べ終わったあとも電車はゆれる。

そして、依然として私の目の前で食べ物がゆれているのである。

どうも座るところが良くなかった。

しかしここで私は、またもや真実を悟った。

目の前で食べ物をゆらゆらされると、人間というものは食いついてしまうのだ。

パン食い競争はジツに人間の習性に適った競技なのだ。パン食い競争でなくても、目の前にパンをつるされたら、必ずやヒトは食いつくであろう。

そのほかにもいろいろな車内販売が威勢の良い声を張り上げて売りにくるのだが、我慢した。

このリズミカルな物売りの声は、一種の風物である。

 

コロンボで乗り換えニゴンボへ。

コロンボまでしか切符を買っていなかったため、出口で超過料金15Rsをとられる。

コロンボからはバスで行こうと思っていたのだが、列車の接続がよかったのでそのまま乗り継いだのだ。

駅員は、「最初からニゴンボまで買っていればあと5Rsだったのに」と言った。

スリランカの鉄道料金は良くわからないが、こうして私は10Rsを損した。

10Rs損したが、しかしニゴンボで私は、先ほど述べたように旅行終盤の豪華なホテルライフを送るのである。

たとえばホテルで私は、ロブスターを頼んだ。

朝見たロブスターが脳裏に焼きついていたのである。

この宿は1泊1,800Rsだが、ロブスターは2,200Rsである。

ボーイが「2,200Rsですが」と念を押すように言う。

「このオヤジは220Rsとカン違いしてはいまいな」という目つきが明確である。

なかなか失敬な雰囲気が漂ってくる。

こういう雰囲気は、主に肌で感じられる。

そこで私は、「2,200RsOK、私はこれが食いたいのである!」と言った。

するとボーイは力強く「イェッサー」と言い、

私はボーイの目が急速に尊敬のマナザシに変わっていくのを見逃さなかった。

スリランカでは旅行者はみんな「サー」だが、この時ボーイは特に力のこもった言い方をした。

一般的に欧米の旅行者は、オランダ人に限らず吝嗇である。

ホテルのレストランでも、ちまちま安いものを食べていることが多い。

そこで私は、「自分はロブスターのために2,200Rsを払える人間なのである!」ということを示すために、心持ち胸を張った。

 

しかし出てきたロブスターのグリルは、まあまあうまいのだが、たいしたことはなかった。

塩とガーリックを主体とした味付けは強すぎず、ロブスターらしいじんわりした旨みは感じられるのだが、やや臭みもあった。

日本人は、ロブスターなら何でも「うめいうめい」と言うわけではないのである。

そもそもロブスターはそれほど緻密な味の食べ物とは思わないが、それでも上等のロブスターはもう少し繊細で、繊細でありながらもう少ししっかりしているはずである。

そういう訳でロブスターとしてはたいしたことなかったが、一応ロブスターには違いないのでそれなりにはうまかった。

翌日の昼は、カニのカリーを食べた。

これはカニが二尾丸ごと入っており、食べるのは大変だがなかなか美味しかった。

カニはワタリガニの仲間のようで、高級なカニではないのだろうが臭みもなくクセもなかった。

ワタリガニと同系列の味だが、ワタリガニよりも味がしっかりと濃く、身の質感もワタリガニより密であった。

足の付け根の真っ白い身を食らうと、新鮮なカニのにおいと共にほこっとして充実のうまさなのだった。

身を割った時にカレーソースが付かないようにして、カニの身から出てくる味をそのまま楽しむのが良い。

生クリームを使ったと思われるどことなく南フランス風?のカレーソースは、ジンジャーの風味が特徴的だったが他のスパイスや味と調和しており、突出しているということはなかった。

このカレーソースはご飯にかけるとなかなかのやり手である。

スリランカのカリーは、インドカリーやタイカリーよりも日本人の口に合う。

このレストランでは、ビーフステーキも食べた。300Rsほど。

 

旅行終盤の贅沢はなんと食べ物にとどまらず、日本に帰る日の朝にはカタマランにも乗った。

カタマランは味わい深い帆掛け舟で、漁に使われている。

30センチ?ほどの非常に細長い胴体で、バランスをとるための木が横に出っ張っている。

こいつは風に乗ると案外早い乗り物で、スルスル沖に出てしまう。

あっという間に岸ははるかに霞んでしまった。

晴れた日の帆船からの眺めは爽快である。

海が穏やかなせいもあってあまりゆれないが、波がくると水を切る舳先から時折しぶきが風に舞う。

しぶきは陽の光を受けて、小さな虹が現れたり消えたりして美しい。

広い大海原の中で空を見上げれば、こげ茶色の帆が濃く青い空に対照的に良く映える。

陽気なカタマラン乗りはテキパキと処理して、自在に船を操る。

進む方向を変えるときは、帆から出ている紐を結びつける位置を変える。

すると風を受ける帆の向きが変わり、同じ風でも船の進む方向は異なる。

 

途中で、海の色の変わるところがあった。

南の海らしいエメラルドグリーンの水と、にごった感じのやや黒い水である。

色の違う二つの海水は、混ざり合うことなく境界を作っていた。

それぞれ外洋の水と、リーフから流れ出た水らしく、カタマラン乗りは「この辺りには魚がいっぱいいる」と言った。

1時間ほど気持ちよく風に乗って、最高の海を楽しんで岸に帰った。

 

岸に着くと海で泳ぎ、ビーチでのんびりし、ホテルの周辺を散歩した。

気持ちのよいものである。

ヘビ使いやらサメの歯売りやらの物売りが来るので「俺はリラックスしたいのだ」と言って冷たくあしらうと、「お前はメイドインジャパンだ」と言われた。

日本のメーカーさんには、あまりリラックスしてばかりではない製品を作ってもらいたいものだ。

とはいえ、このスリランカでも電気製品などはサムスンやLG電子の独壇場のようだ。

一人旅と思しき東アジア系の若い女性がいたので「Hello!」などと声をかけると、完全無視された。

 

夕方になると、お決まりのように天気が悪化してきた。

雨の中を空港に向かった。

けっこう贅沢も楽しんだつもりだったが、それでも13,000Rsほどあまった。

航空券が往復5万円だったから、現地で遣ったお金37,000Rsと合わせて9万円もかかっていない。

あまったお金でお土産を買った。

スリランカは、私的には近年にないヒットであったと思う。

帰国後10日にしてスマトラ島沖大地震の津波が襲ったことは残念である。

スリランカだけで4万人(注1)に近い死者を出したと聞くが、これから知り合った人々に手紙を出すつもりでいる。

 

 

(注1)初めにこれを書いたときは「1万人」だったのだが、新たなニュースにより書き直しを繰り返してついに4万人になってしまった・・・

 

 

 

(終わり)

 

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