すりらんか旅行記 〜光り輝く島〜Sri Lanka

スリランカ最南端を目指せ! 前編

 

(このページの目次)

最南端を目指せ!  (0日目)

熱帯の印象

お断り・・

出発・・・     (1日目)

深夜のコロンボ市内観光

スリランカの印象

コロンボのイラン人 (2日目)

宿から駅へ・・

駅のキャッチセールス

スリランカの鉄道

ライス&カリー初体験

Thunder真夏の夜の雷

 

(後編へ続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熱帯のイメージ

 

 

 

 

ヘンな仮面

下段はどことなく日本的?

 

 

 

スリランカのビール

「スリー・コインズ」

日本のビールと変わらないが、

ややコクのあるタイプ

第1回目の機内食

 

 

 

 

 

 

第2回目の機内食

 

 

経由地マーレにて

(搭乗した飛行機の尾翼)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スリランカ到着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道に迷い焦るマヘイジ

道を尋ねるマヘイジ

頑張れマヘイジ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿泊した部屋

天井でプロペラのような扇風機がゆっくりまわっているが、嵐を巻き起こすこともできる優れもの。

宿での朝食

イチゴジャムは特筆すべきことに日本の氷イチゴの味がした。

氷イチゴをトーストに塗って食べるイメージである。

湖畔のお散歩

向こうに見えるのは仏教寺院

向う岸でイラン人に出会った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発までのんびりお茶

宿で働く少年達と私

トゥクトゥク

ガソリンを入れているところ

 

 

 

 

駅前の道路

 

 

 

おじいさんになりかけの

おじさん(セナさん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2等車両

 

3等車両

 

切符の点検

 

列車は海岸線を行く

 

 電車でGo!

車窓の風景はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライス&カリー

 

後から出てきた豆のカレー

 

チリソース

カレーに加えて食べる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄雲を透かして見える

夏のオリオン

 

旅データ

2004年12月9日(木)〜同16日(木)   為替レート:1Rs≒1円

 

スリランカ旅行記@〜スリランカ最南端を目指せ!

いよいよ旅行に行ってしまうのだ。

待ちに待った「夏休み」である。

日本は夏でないが、スリランカは年中夏だからいいのである。(注1)

今回の旅の目的は、スリランカ最南端を目指すことである。

インド最南端のコモリン岬同様、そこはヒンドゥの聖地である。

スリランカは仏教の国なので、廃れてしまってたいした聖地ではないそうだが、最南端であればそれでいいのである。

最北端、最西端、最東端などにあまり興味はないが、最南端はとてもよい。

なぜよいのかよくわからないが、南と聞くとコーフンするのだ。

紅茶好きの人には、「セイロンまで行ってなぜ茶畑を見ないのであるか!」とお叱りを受けそうだが、見ないのだ。(注2)

宝石好きの人には、「スリランカでなぜ石を買わないのであるか!」とお叱りを受けそうだが、プレゼントする相手は特にいない。(注3)

とにかく私は南を目指す。

私の本能は、常に南を志向しているのだ。

私は知ってしまっているが、私を含めてある種の人間は、血が騒いで南を目指さずにはおれないのだから。(注4)

 

今回のそのほかの旅の目的は、以下のとおり。

○妖怪に出会う(いれば)

○海を見てポケットに手を突っ込み、なぜか岩などに方足をかける

○スリランカコーヒーを探す

○スリランカカレーを食べる

○機内食を食べる

○屋台の食べ物を食べる

○熱帯の果物を食べる(どりあん!ジャックフルーツ!完熟マンゴー!)(注5)

○珍しいものを食べる

○何でも食べる

 

食べることが多いが、旅の楽しみを激しくスルドク追及してしまうのだ。

 

 

(注1)平均気温は年間を通じて30℃前後。

(注2)見ないように気をつけるが、うっかり見てしまったら仕方がない。

(注3)光り輝く島スリランカは、島全体が宝石でできているとも囁かれる。

実際にサファイア、ルビー、キャッツアイなどの有数の産出地らしい。

しかし宝石と言っても、ワタシにとってはサクマのフルーツドロップのようなものだ(何を言ってるのかよくわからないかもしれないが)。

(注4)しかし、だからと言ってそれは南極大陸を意味しない。

ある程度南へ行けば、今度は北が好きになるはずなのだ。

太古に遡れば、日本人には北方系の人や南方系の人やその他系の人がいるのだ。

(注5)日本人の中には、ドリアンがうんこ臭いと言う人と、かぐわしい芳香がするという人がある。

    おそらく私のように南方系の血が強い人間にとってのみ、ドリアンはニッコリ微笑みかけるのであろう。

    「うんこ臭さ」がかぐわしいと言うつもりはない。

 

 

 

スリランカ旅行記A〜熱帯の印象

熱帯。

むぅわっとする大気を求めて、私は南を目指してしまう。

モンスーン。

南の熱、南の蒸気、べたりとした南の海の風。

湿気た熱帯の中に、私は私の全身とその思念のすべてを浸すのだ。

体を包む生命の空気。

緑は濃く、液体のように滴り落ちる。

そこには生命の力が、気となってみなぎっている。

焼けて赤茶けた大地を踏みしめ、佇むだけでじんわり汗を流しながら、生命浴をする。

静かに、しかし常に生命の気配を孕みながら、時折風が吹く。

暑さと、静けさと、風の攪拌。

誰もいない。

しかし、私はここで一人ではない。

生命の何ものかが、私を見ている。

ここは文明の多くあるべきところではない。

空は青く、多くの息吹がこだまする。

大地には緑、そして海は紺碧にして無数の命を育む。

生命の騒々しさ、人ではない何ものかの情念、気配。

腐りかけた汚物の中さえ、そこは生命のありかなのだ。

そのような中においても生命は存し、生命の働きにより汚物は浄化されてゆく。

「印度に呼ばれる」という言葉があるが、私はスリランカに呼ばれたということだろう。

旅の目的のひとつ、「妖怪と出会う」というのはそういうことである。

それはさておき、スリランカには、カレーがある。

カレーは私のこよなく愛するもののひとつである。

夏と、海と、果物と、カレーその他・・・

つまり、スリランカには私の愛するものがてんこ盛りなのである。

だから私が行かない訳はない。

 

南(スリランカ最南端)まであと1万キロ(たぶん)。

 

 

スリランカ旅行記B〜お断り

あらかじめ断っておくと、今回の旅行では当初の目的のうち

 

○妖怪に出会う(いれば)

○どりあん、ジャックフルーツを食べる

 

という2つは達成できなかった。

ヘンな仮面(悪魔祓いに使うらしい)はあったが妖怪はいなかったし、ドリアンとジャックフルーツも季節外れのようだった。

地元の人たちはドリアンが好きなのだと思っていたが、結構嫌いな人がいるのでびっくりした。(注1)

なお、「茶畑は見ない」と書いたが、車の窓からついうっかり見てしまったことを正直に告白しておく。

 

 

 

 

(注1)タイの人たちはたいていドリアンが好きである。

ドリアンの話をすると、「アローイ(うまい)」と言って相好を崩す。

 

 

 

 

スリランカ旅行記C〜出発

12月9日。

スリランカ航空UL461は、成田を発った。

そこには、「太郎、カムバック!」と泣き崩れる若くきれいな女性の姿はなかった。

I left alone・・・ left for Indian Ocean・・・ TT(悲)

太郎は一人さびしく空を旅するのであった。

しかし、隣の席には日本のおばさんが座り、恋には落ちなかったが楽しくお話させていただいた。(注1)

 

さて、飛行機といえば当然にして機内食を食べなければならない。

寝てても嫌でも、たとえ孤独に泣き濡れていようとも機内食は出されてしまうのだ。

Beef or Sea food?

あくまでもにこやかに、スチュワートが私に尋ねる。

Both。私は静かに答える。

そんなときも、スチュワートの笑顔がくもることはない。

曇ることはないが、しかしきっぱりNo!と答える。

そうして私は、Beefのみをいただくこととなった。

昔は、機内食といえば、けっこう贅沢な食べ物だった。

ビーフステーキといえば、必ず「そいつはすてーき」などと言うおやじがいたものだ。

しかし今では、少しばかりの高級感を装ったチープな食べ物に他ならない。

チープな食べ物とは言いながら、私はおいしくいただいた。

牛肉の味付けは諸味ソースで、デザートのマンゴーケーキが機内食のわりに甘すぎずいけていた。

 

腹が膨れると、私は寝た。

飛行機の中で寝るコツは、とにかく寝てしまうことだ。

機は新婚旅行のメッカ、モルディブを経由するため若いカップルが多い。

僕なんか起きてたって仕方ないんだ、ふんだふんだといじけて寝ると、よく寝られる。

寝て起きると、第2回目の機内食が待っていた。

今度は Chicken or Fish? と聞かれたので Chicken と答えた。

チキンにはインドやスリランカの炊き込みご飯、ブリヤーニが添えられている。

サフランで美しく色づけされた高級なご飯だ。

印度にはプラウという同様な炊き込みご飯もあるが、高級さではブリヤーニよりやや落ちる。

タンドーリチキンは本格インド料理店で出されるものよりどことなく日本的な味付けが感じられ、パサパサとはしていなかった。

タンドーリチキンの味がご飯にしみてうまい。

 

飛行機は経由地マーレについた。モルディブの島である。

このハネムーナーの多さには、熱海や宮崎もかなうまい。

しかし、このうちの何割かは、いずれ別れていくのだ。

私はそれを知っているのだ。ばかめばかめ。

私は夜のモルディブの風景を見た。

暗くて何も見えなかった。

機内食はもう出ないのであろうか。

モルディブからコロンボまでの間に、機内食は出た。(注2)

サンドウィッチの軽食である。

ついに来たのだ。

 

 

(注1)人のことを勝手におばさんと呼んでいるが、自分も既におじさんである。

    帰りの便で再会することを約束し、7日後に再会した。

(注2)モルディブ〜コロンボ間は1時間25分。

 

 

 

スリランカ旅行記D〜深夜のコロンボ市内観光

現地時間12月9日23時過ぎ(日本時間12月10日午前2時過ぎ)、飛行機はスリランカに着いた。

空港で5万円をスリランカルピー(以下Rs)に両替。

1円は0.977Rsだったので、48,850Rsを入手した。

銀行がいくつもあるので念のため確認したが、レートはどこの銀行も同じだった。

Rs約1円と考えると、非常にわかりやすい。

 

夜中なので、ホテルの手配を空港出口の旅行案内所に頼むことにした。

12月から3月はオンシーズンのためホテルは混んでいると言うが、コロンボ市内の安宿に何件か電話してもらい、「レイク・ロッジ」というところに決定。

宿代、朝食代、宿までのタクシー代込みで3300Rsだった。

若干マージンを上乗せされているが、さっさと寝たいのでOKした。

 

タクシーはなかなか新しかったが、運転手も新しい。

名前はマヘイジ。21歳だそうだ。運転免許は1年前に取ったと言う。結婚はしていない。

それはともかく、さっそくドリアンは好きかと聞くと、「No」と言った。

南のオトコの風上にも置けないオトコである。

しかしドリアンは1個500Rsくらいであると言う。あのドリアンが500Rsなら安いものだ。

マヘイジは、この車は日本でいくらぐらいかと聞いてくる。「ニッサンサニー」だそうだ。

200万Rsだと答えると元気がなくなったので、いくらで買ったのか尋ねると1000万Rsだと言う。

1000万Rs≒1000万円のように思われる。

???

私は頭の周りにたくさんの「?」マークを回転させた。

何かがおかしいのではないか。ドリアン2万個分である。

じゃあガソリンは?と聞くと、1ℓ70Rsだと言う。

じゃあ、ベンツは?と聞くと、5000〜6000万Rsだと言う。

トヨタは?と聞くと、1500万Rsと言う。

なんとなく、つじつまは合っているような気がする。

しかし、何かが間違っているに違いない。(注1)

 

ヘンな話をしながら、車は走り続ける。

空港からコロンボ市内までは約45分。

ちょうど45分経つ頃、車は市内へと入った。午前1時前である。

着いたと思う。

しかし市内に入ったが、いつまでたっても何故か車はレイクロッジに着かない。

なんだか同じところを繰り返し走っているようでもある。

う〜む、と私はひそかにうなった。

マヘイジは道に迷ったのであった・・・

マヘイジは道行く人に道を聞きながら、なお迷い続ける。

道を聞くとたくさんの人がたかってきて説明してくれるらしいのだが、さらに迷い続ける。

大きな病院で道を聞くと、病院の警備員らしき人が車に乗り込んできて道案内をしてくれるのだが、結局彼も一緒に迷うことになる。

レイクロッジにはいつまでたっても着かないが、あれは寺とか教会とかタウンホールとか説明をしてくれ、なんだか市内観光のようである。

いつの間にか午前2時(日本時間午前5時)を回っている。

しかし、表通りから1つ路地に入ると、ついにレイクロッジは発見された。

やれやれである。

マヘイジと警備員のおじさんと、レイクロッジ発見の記念写真を撮った。

こうして旅行第1日目は何とか無事に過ぎた。

 

 

(注1)今思うとマヘイジは1桁間違えていたに違いない。

“Million”を100万ではなく10万と思っていたのではないか。

 

 

 

スリランカ旅行記E〜スリランカの印象

スリランカ(スリランカ民主社会主義共和国)の印象は、インドとは全く違う。

同じ南アジアのインドの隣国だが、インドのようなイメージで考えると大きく間違う。

スリランカが島国であるせいか、仏教国(仏教徒76.7%)であるせいか、シンハラ人が多数民族(人口構成比81.9%)であるせいか、まぁいろいろ理由があるのだろうが、スリランカはインドよりも穏やかで豊かで、天才かキチガイかよくわからないような無茶はしない。

 

以下はあくまでもインドなど他の発展途上国との相対的な比較である。

 

○車は中古車が多いが、完全なおんぼろ車は少ない(錆びてガタピシいいながら煙をもうもうと噴出す車は少ない)。

○市内の建物はボロイものもあるが、腐食して崩れかかっているとまでは言えない。

○ゴミは多いが、街全体がゴミ捨て場のようではない。

○道路のいたるところに穴が開いているが、穴の数はやや少ない。

○外国人に対して値を吹っかけるが、そうした中でも無茶なぼったくりはせず節度がある。

○無茶な勧誘まではしないし、しつこくはない。

○時間を守る。

 

総体的な印象としては、好印象である。

 

 

スリランカ旅行記F〜コロンボのイラン人

さて、今日は旅行第2日目である。天気は薄曇。鉄道に乗って南を目指すことにする。

スリランカでもバスが主流であり鉄道はあまり発達しておらず、鉄道はコロンボを中心に放射状に走っている。

つまり、全ての路線は他の路線と接続することはなく、行き止まり路線である。

その中で、南へ行く鉄道はひたすら海岸線に沿って走る。

右側に座席を取れば、気持ちの良い海の眺めを楽しみながらの旅になる。

山岳を走る鉄道とこの南へ向かう鉄道は、スリランカでも最高の車窓を楽しめる路線であると言う。

イギリス殖民時代の鉄道の線路幅は広く(広軌)、スリランカは鉄道ファンにはこたえられない国と思われる。

時刻表によれば14時の列車があるようなので、宿での朝食後、湖畔を散歩する。

レイクロッジの名の通り、すぐそばに湖(池?)があるのだ。

 

散歩をしていると、ほぼ50mおきぐらいに声をかけられる。

物売りではない。単なるあいさつだ。

こちらも気分よく挨拶して、ゆっくりと朝の景観を楽しむ。

仏教寺院の前で、色の白いひげ面の男に出会った。

イラン人の旅行者であるという。

なるほど、確かにイランにはアラブ系の人種やロシア系のような膚の白い人種が坩堝のように混在している。

私もイランを旅したことがあるので、しばしイランの話をする。イランにあるエスファハンは、かつて世界の半分と謳われたペルシャの美しい首都である。

宮殿の話、川の話、歴史ある橋の話、イスラム寺院の話・・・

やがて彼はイスラム教徒であると言った。イラン人なら大抵そうなのであろうが。

宗教は何かと聞かれたので、無宗教だと答えた。

スリランカは仏教国だが、1割弱のムスリムもいる。彼は宣教師なのであろうか。

なぜ無宗教なのかと聞くから、理由なんかないと答えると、彼は天を仰いで全く信じられぬというしぐさをした。

そして一緒に旅行しないかと誘われたが、丁重にお断りした。

宗教の話はカンベンして欲しいし、宗教の話にかこつけて実は彼はホモかもしれない。

世界にホモは決して少なくないのだ。私はそれを知っているのだ。

これまでの貧乏旅行の経験では、パンツを下ろされかけたこともあるし、股間を触られたこともあるし、ほっぺたやお尻を撫でられたことはいくらでもあるのだ。

彼らの常套手段は、まず普通にお話することから始まって、やがて手をつないできたり足を触ってきたりするのだ。

私はきっと美少年なのであろう。

今では歳をとった青年(=中年)だが、今でも美少年の面影が残っているに違いない。

彼は重ねて、「もっといろいろ話をしてあなたから勉強したい」と言った。

いったい何を勉強するつもりか知らないが、私は勉強されてしまいたくはなかったので、「イスラム教に興味はないし、行かなきゃならない」と言って断った。

すると彼は、「無宗教なのはよくないことだ。この世で善行を重ねれば天国へ行け、悪いことをすれば死後ヘンなところへ行ってしまうのだ」と言った。

死んだらNothingだと言うと、彼は絶対そうではないと力強く断言した。

そして私たちは「天国で会おう!」と言って別れた。

一応彼はホモではなかったらしい。

 

 

スリランカ旅行記G〜宿から駅へ

湖(池?)を一周して宿へ帰った。

一周する間に、いったい何人もの人々とカタコトのお話をしただろうか。

彼らは「日本も仏教の国だ」と言うから、そうだと答えると彼らは喜ぶ。

スリランカは小乗教で日本は大乗の国であるから、ちと違うとは思うのだが。

発展途上国といっては失礼だが、人々が気さくだからこういう国の旅は面白い。

 

荷物をまとめチェックアウトの準備だけ済ませると、宿の食堂でゆっくり紅茶を飲んだ。

グレードの高い紅茶は輸出用なので、現地で飲まれる茶葉は「ダスト」と呼ばれる等級の低いものである。

しかし、渋みが全くなく、飲みやすい紅茶であった。

日本の番茶のイメージだろうか。

香りもそこそこあり、気軽に飲むにはちょうど良い。日本で飲むティーバッグの紅茶よりは上等な飲み物である。

 

やがて宿で働いている少年達が寄ってきたので、彼らと一緒に写真を撮った。

← しかし、彼らは写真を撮るのに失敗した(真ん中は私である)。

彼らは夜中になると、番をかねてかロビーのソファなどで眠っている。

 

お昼になったのでチェックアウトして、同じ宿に泊まっていた陽気なフランス人にも別れを告げ、私は駅へ向かった。

コロンボ・フォート駅である。

南へ向かう列車は14時のはずだが、チケットも買っていないし早めに行って大衆食堂か屋台で飯を食おうというつもりである。

道路でトゥクトゥク(スリーウィーラー)と呼ばれるオート三輪車を捕まえた。

東南アジアや南アジアではよく見られる乗り物である。

タクシーよりも安く庶民の便利な足となっているが、外国人の場合はよくぼったくられる。

メーターなどはないので、行き先を告げて乗る前に値段を交渉しておく。

このオート三輪車はインド製で、なぜかガソリンがすぐなくなる。

現地の物価からするとガソリンは高いので、多分最小限にしか入れないのだろう。

レイクロッジからコロンボ・フォート駅まで100RsでOKした。

 

 

 

 

スリランカ旅行記H〜駅のキャッチセールス

コロンボ・フォート駅の周辺は雑踏であった。

人々が行き交い、車が警笛を鳴らし、露店は道にはみ出て商いをしていた。

猥雑さでは劣るが、駅前の雰囲気は昔のバンコク・ホワランポン駅に似ていなくもない。

まずチケット売り場を探すと、道行く人から「どこへ行くのか」と声をかけられた。

南だと答えると、「それなら5番の窓口だ、次の列車は2時過ぎだ、切符を買ったらこっちの入口から入って3番のホームだ、駅の中では軽食も食べられる」と、いたく具体的でわかりやすい。

そして「ヒッカドゥワは外国人旅行者が多くて物価も高い、それよりもアンバランゴタのアクララが静かでのどかで美しい」と教えてくれた。

さっそく窓口で切符を買う。

アドバイスにかかわらず、とりあえずヒッカドゥワ駅まで80Rs。(注1)

ヒッカドゥワまで急行で2時間半乗るのだが、80円はなかなか安い。

改札をくぐると、小柄なおじいさんになりかけのおじさんが声をかけてきた。

どこへ行くのかと聞くので南だと答えると、それならアンバランゴタのアクララがとても良いという。

たちまちにして頭脳明晰にして天才肌で、実際に天才かもしれないワタクシは彼らがグルであることを喝破した。

彼らはワタクシをどうしてもアンバランゴタのアクララに連れて行きたいようなのだ。

アンバランゴタのアクララ。

果たしてそこに何が待ち受けているのだろうか・・・

駅構内の軽食食堂でスリランカのピリ辛コロッケなどを食べながら、おじいさんになりかけのおじさんとよくよく話をし、目玉の奥に何があるかよくよく覗き込んだ。

そうして私は、アンバランゴタのアクララへ行くことになった。(注2)

 

 

(注1)ヒッカドゥワはアンバランゴタの一つ先。

(注2)彼らは常套的にノートブックを見せてくる。そこには世界各国の旅行者が様々に感想を書き連ねている。

しかし、例えば10人に1人の外国人に親切にして良い感想を書かせ、9人の外国人からボッタくる手口もあるので注意が必要だ。

    ノートブックを読み、相当の分量があり、欠落がなく、日付もコンスタントであることを確認し、旅行者と撮った写真や彼らの目を見てこの話に乗ってみることにした。

 

 

 

スリランカ旅行記I〜スリランカの鉄道

スリランカの鉄道は大変すばらしい。

今はなき、古き良き時代がそこにある。

チョコレート色の車体、油のにおい、年代物のディーゼル機関車。

スリランカの鉄道は、日本の旧国鉄が失ってしまった旅情の塊である。

線路はイギリス殖民時代の広軌。

走りはじめるとわかるが、この線路が上下に波打っているのもたまらない。

座っていると、時として座席がトランポリンのようにもなる。

ガッタンといって走り出すのではなく、まずガガガガーン!という衝撃があって、それから一呼吸してゆっくり動き始めるのもなかなか良い。

そして海岸沿いをひた走る車窓の景色や、絶えず止むことのない汽笛の音がすばらしい。(注1)

かくも素晴らしいスリランカの鉄道とその魅力だが、感想はそれぐらいにして話しを進めよう。

 

定刻の少し前、南へ向かう列車は煤けた駅構内にごーん!と進入してきた。

スリランカの列車は、走っている間も扉を開けっ放しである。

そこで席を取るコツは、列車が止まってから乗るのではなく、列車とともにホームを走り列車が動いているうちに飛び乗ることである。

おじいさんになりかけのおじさん(これからはセナと呼ぶことにする)がこれをやってくれた。

進行方向に向かって右側、最高の席が私のために用意された。

やがて切符の点検があり、若い女性の係りが一人一人切符を確認してゆく。

写真を撮らせてくれと頼むと恥ずかしがるのだがNoとは言わず、1枚撮らせてもらった。

 

走り始めると窓からの風が気持ちいい。

線路沿いがスラムのようになっているのは各国共通である。

うっかり顔など出していると、スレスレまで出っ張った掘っ立て小屋のトタン屋根で首が飛ぶ。

街を出てしばらくすれば、広大な海の風景が車窓を飾り、調子を上げた汽笛も音楽のようである。

やや曇ってはいるが、時折夏の薄日が差してくる。

波間がきらきらと光る。

しかし私は見てしまった。

海岸線は恋人たちの愛の語り場である。

波打ち際の岩肌に腰を下ろし、若い男女が日傘の影で抱き合っているのである。

明るい南の空の下、ただひたすら抱き合っている恋人たちは、好ましく健全である。

つい彼ら彼女らの幸せを願ってしまう。

そして海や熱帯の樹々を背景にした車窓は目まぐるしく変化する。

やがて、空は明るいのに大粒の雨が落ちてきた。

窓枠にかけていた腕がビシッ!ビシッ!と雨粒に撃たれる。まるで弾丸である。

しかし、雨は10分後にやんだ。そして太陽は一層輝きだしたようである。

思ったのだが、スリランカは「光り輝く島」という意味であるが、人々の光り輝く笑顔でもある。

 

 

(注1)線路は半ば道路のように人々が歩いているので、常に汽笛を鳴らしながら走る。

 

 

 

スリランカ旅行記J〜ライス&カリー初体験

セナ(おじいさんになりかけのおじさん)のゲストハウスに着いた。

1泊500Rsである。部屋は悪くない。

ホットシャワーは出ないが、ここに泊まることにした。

田舎であるが、ビーチも近く静かである。

まだ夕方だったが、昼は軽食だったのでさっそくライス&カリーを頼む。

ゲストハウスでは、奥さんが料理を作って持ってきてくれる。

実はスリランカに来てこれが初めてのライス&カリーである。

奥さんの手料理なので、ジモティーの食べるライス&カリーということになる。

あぁ、さぞや辛いのであろう、期待で胸がドキドキする。

 

出てきたカリーは5種類。

カリー1種類につき、具も1種類である。

日本のように、1つのカレーにニンジンやらジャガイモやら肉やら入れないのである。

チキンのカレーなら具はチキンのみ。

当然、具によってカレールーも異なる。

そして、その異なる5種類のカレーをご飯にまぶして食べるのである。

いかにもうまそうではないか。

 

ところで、5種類のカレーはいずれもベジタリアンであった。

キャベツのカレー、豆のカレー、唐辛子のカレー、ナスのカレーなどである。

唐辛子のカレーは、丸ごとの青唐辛子が具になったカレーである。

私の目玉は丸く光った。

このカレーは、青唐辛子が丸ごと入っており、そして唐辛子しか入っていない!

これから私は、ヒーヒー言ってしまうのであろうか。

ヒーヒー言いながらもその旨さに食べることを止められず、食べても食べても満腹できないという餓鬼道に落ちてしまうのであろうか。

おそろしいことである。

しかし、食べてみると辛くないのであった。

もちろん少しは辛いのだが、辛いもの好きを自認する私にとって、これしきのものはなんともないのであった。

私は文句を言った。

これは辛くない。ワタクシはスリランカンを食べたいのである!

すると、この唐辛子のカレーは辛いはずだという。

私は、カレーの青唐辛子をムシャムシャと食べて見せた。

両手を広げ、辛くな〜いと言った。

次からは旅行者向けに手加減するのは止めて欲しいと頼んだ。

私の願いが通じたのか、真っ赤なチリソースを持ってきてくれた。

このチリソースは、なかなか辛い。

なかなか辛いが、しかしこの程度で私をヒーヒー言わすことはできない。

次の勝負を楽しみに、私はスリランカのライス&カリーをおいしくいただいた。

 

ところで、スリランカのカレーは、スパイスがパウダー(粉)になっていない。

粗っぽく砕かれたスパイスが半ば原形を留めてカレーの底に沈んでいる。

そして味付けの秘密は「乾燥魚」である。カツオのような魚が開かれて干されて乾かされているのである。

スパイスはスパイス屋さんで丸のまま売られ、乾燥魚は乾物屋?さんの軒先に釣り下げられて売られている。

乾燥魚のダシのせいか、スパイスの香りの裏においしい旨みがある。

 

 

スリランカ旅行記K〜Thunder真夏の夜の雷

夜になった。夜は暗い。

夜が暗いのは当たり前だと思うかもしれないが、私たちは夜が暗いということを知らない。

夜が暗いとは、こういうことを言うのだ。闇と言う言葉が、はじめて理解できる。

闇は密度を持っている。

液体のような闇。

闇を切り拓いて車が走る。黒いエーテルの中を航行する潜水艦のようだ。

はるかなヘッドライトがぽつねんと、しかし鮮やかに際立って見える。

光と闇の境目があいまいにならず、一線を画している。

闇はこんなにも濃密で、一条の光はこんなにも強い。

 

空を見上げると、薄い雲を透かして星々が見える。

やがて雷が鳴り始めた。

星空を稲妻が走る。

星空が見えているのに、空を稲妻が走るのだ。

いや、走ると言うのは正確ではない。

炸裂する爆弾のように、全天が光る。

星空を照らした一瞬の後、重い雷鳴がとどろく。

 

やがて停電した。

デジカメの液晶画面が、まるで懐中電灯のように明るい。

デジカメの光を頼りに、バックパックから本物の懐中電灯を取り出した。

スピーカー付ウォークマンの明るい歌声が闇の中を踊る。

この時僕は部屋でスリランカのFM波を聴いていたのだ。

男女のデュエットは、何の苦もない幸せなだけの恋を歌っているのだろう。

22:40、ディーゼルの夜汽車が汽笛を鳴らしながら通った。

雷が去ると、いっせいに虫が鳴き始めた。

 

 

 

(続く)