部屋の前に、怒った男が立っていた。
彼は、私の顔を見ると ますます不機嫌そうに眉を寄せた。
はにぃ ベイベー
「ああ、メイさん、この間は どうも有難うございます」
仕事帰りに馴染みのバーに入ると、その店のマスターが私を見つけて そう言った。
彼は私の友人と結婚していて、先日 子供が生まれた。
「日向ちゃん、元気?」
「元気ですよ。 今ごろは良太が泣かされてるんじゃないかな」
「あはは、いい お兄ちゃんしてるんだ〜」
共働きの両親が忙しいときには、いつも面倒を見ているのだという。
良太は友人の死んだ夫との子供で、マスターとは血の繋がりはないが、仲の良い父子だった。
昔は少し治安の悪い場所にあったマスターの店も、彼女との結婚前に移転した。
彼女と付き合い始めて、その息子である良太が訪れることが出来るようにするためだ。
新しい店に目途がつくまで、ということで二人の結婚は遅れたが、去年の冬にやっと式を挙げた。
友人の一度目の結婚は両親に反対されていたし、若くお金がなかったこともあって、式をすることは出来なかった。
みんなで集まって、ささやかな祝いの席を設けた。
若い夫婦は、私の高校のときの同級生だった。
「はい、どうぞ」
マスターは私のためにオリジナルで作ってくれたカクテルをテーブルに置いた。
本当のところ、私は あまりアルコールに強くない。
お酒が強かったら、飲み会も絶対に楽しいのにな、と思っていた。
勧められても、すぐに気持ち悪くなってしまう私は断るしかないのに、ノリの悪い人間だと思われてしまう。
人と話したり知り合ったりすることは好きなのに、アルコールに弱いということが邪魔をする。
「あの…ごめんなさい。今日はアルコール抜きでもいい?」
私はカクテルの色や香り、そういった付随するものが好きだ。
マスターはそれを知っていて、いつもアルコール度の低い、私仕様のものを出してくれる。
「いいですよ」
彼は にっこりと微笑んだ。
友人の一人目の夫と、彼は まったく違う。
私の同級生でもあった、死んでしまった彼は、まるで太陽のように笑った。
陽の光のようにキラキラと存在が眩しかった。
高校のとき彼に憧れる女の子たちは沢山いて、でも、並び立つ彼女も、優雅で穏やかな物腰で、その憧れの中にいた。
彼ら二人は誰からも羨まれた恋人同士だった。
彼の特殊な生い立ちから、彼女の両親は結婚に反対した。
家族の居ない彼と、彼女は早く結婚をしたいと願ったが、彼は首を縦には振らなかった。
自分のために彼女と家族を引き離すことは出来ない、と。
彼は根気強く彼女の両親を説得しようと試みた。
彼女の方は、ひとりで部屋に帰る彼の後姿を見たくなかった。
彼女が短大を卒業した年、二人に子供ができ、彼らは反対されたまま結婚せざるを得なかった。
その後 良太が生まれ、交通事故で彼は死んだ。
良太を抱え両親の援助も受けられない状況は、どんなに大変だっただろう。
私を含め彼女の友人たちは協力を惜しまなかった。
良太がまったく人見知りをしない子供に育ったのは、彼女の友人たちが入れ替わり立ち代わり面倒を見ていたせいかもしれない。
良太は、死んだ彼に よく似ていた。
ほとんど触れ合うこともなく別れてしまった父親なのに、彼そっくりに笑う。
「あれ、メイ?」
声がして振り返ると、そこには、たった今 考えていた友人が立っていた。
仕事が終って寄ったのだろう。
復帰したばかりで忙しいのだと聞いた。
昼は彼が子供の面倒を見て、夜は、彼女が見る。
二人とも駄目なときは良太が世話をしていた。
今日は店の近くにある家に帰る前に、夫の顔を見に来た、という所か。
「あーあ、いつまでも新婚で羨ましい〜〜」
私が芝居がかった口調で言うと、彼女はふふん、と笑った。
「いーでしょ」
「うわーイヤミだわ〜」
付き合いの長い私たちの間はいつもこんな感じだ。
彼はそんな私たちを面白そうに見ている。
コトン、と彼女の前にグラスを置いた。
その仕草を見て、私は先日 二人の家に遊びに行ったときのことを思い出した。
私が着いたとき、彼ら二人は丁度 買い物に出ていて、良太が出てきた。
中学二年生になった彼はすっかり身長が伸びて、私は少し見上げなくては ならなくなっていた。
『 ごめん、二人ともまだ帰って来ないんだ 』
苦笑しながら居間に私を案内し、何かを出そうとキッチンに行く。
久し振りに訪れた家は、すっかり赤ん坊の匂いに満たされていた。
ミルクの匂いだろうか。
少し甘い香り。
『 オレンジでいい? 』
良太は お茶やコーヒーを出すのが面倒だったのか、そう訊いた。
『 何でもいいけど…別に気を使わなくてもいいよ? 』
私はそう言ったが、良太はオレンジジュースを注いだグラスを持ってきた。
コトン、と私の前に置く。
『 あ… 』
思わず、声が上がった。
『 え? 』
良太がその声に顔を上げる。
『 なんでもない、びっくりしただけ。 グラスの置き方がそっくりだったから 』
『 何、それ 』
良太が不審そうに眉間にシワを寄せた。
その表情に、また私は驚く。
そう、良太の仕草が、彼の義父であるマスターにそっくりだったのだ。
不思議だな、と思った。
彼は 実の父親と同じ笑顔、義父と同じ表情をするのだ。
良太が最近するようになった少し悪戯っぽく笑う顔は、マスターがよく良太にするものと同じだ。
良太本人は気がついていないのだろうが、彼は、二人の父親とそっくりな笑顔を 両方 持っている。
良太の母である友人は、どんな気持ちで息子を見ているのだろう。
私には、本気で好きになった、と自信をもって言える人が、一人しか居ない。
二人の好きな男が、彼女の中ではどんな風に同居しているのだろう。
良太の中で矛盾せずに存在するように、彼女の中でもそうして二人いるのだろうか。
「あ…これ、新作?」
以前はメニューになかった名前を見つけて、私は訊いた。
「よく気がつきましたね」
彼は何か企んでいるかのように、軽く笑った。
こういう表情のときは本当に何か考えている。
友人の方もクスッと笑ったところから、なにやら訳ありのようだ。
「なによ?」
「いや、それは この間 萩(シュウ)さんが来て、作ったんです」
その名前に、私は、たぶん嫌な顔をしたと思う。
萩は…、まあ、なんというか、恋人、だ。
そう言ってもいいだろう。
元同僚で何年か前に独立した。
同じ会社にいるころ、話が合って飲んだりしている内に なんとなく関係を持ってしまった。
朝 目覚めたときは、思わず 二人で顔を見合わせて苦笑した。
しかし、二人とも特定の相手がいなかったこともあり、別にお互い誰に罪悪感があるわけでもない。
そのままズルズルと続いた。
クリスマスも誕生日も、恋人らしいことは した。
でも、いつ この関係は終わるのかと考えていた。
始まりがなかったから、終わりもないのだろうか。
自然に連絡を取らなくなって、それで済むのだろう。
それに、私には、はっきりと彼を好きだと思う自信がなかった。
ある程度は好きだと思う。
きっと今現在、誰よりも大切だ。
でも、ただ一人、好きだった人とは、あまりに自分の気持ちが違う。
長い間、私は、幼馴染が好きだった。
彼は、家の隣りにある電器屋の息子で、私の家は定食屋だった。
いつも隣りに居て、いつまでも隣りにいると思っていた。
それは、中学のとき。
彼が部活のマネージャーから告白された、という噂を聞いた。
いつものように夕食を食べに来た彼に問い質すと、付き合うことにしたという。
私はショックを受けた。
そして、ショックを受けた自分に更に驚いた。
気づかなかっただけで、ずっと私は彼を好きだったのだ。
無我夢中で、それを彼に告げた。
好きだ、と。
彼は困ったように私のことは兄妹のように思っているだけだと言った。
私は失恋に泣いたが、彼が彼女といるところを見てもどうということは なかった。
だから、私は兄が取られるようで怖かっただけだったのだと納得した。
彼は変わらず私の家に夕食を食べに来たし、悩みや進路の話をしてくれた。
結局、彼は高校が離れて彼女と別れたが、私は告白されて初めての彼氏が出来た。
恋人が好きだったし、大切だと思ったが、ちょっとした喧嘩から、色々なことを不満に思うようになり、別れた。
お互い、そんな風に恋人が居たり、居なかったりした。
本当に、ただの仲の良い友人だと思っていたのだ。
『 俺、結婚するんだ 』
そう告げられたとき、私は何故か口が利けなくなった。
おめでとう、と言いたいのに、言葉が出てこない。
口は開いているのに、舌が動かない。
何より、目の前が、突然、曇った硝子窓ごしであるかようにボヤけた遠い世界に なっていた。
そう、私は ずっと彼の隣りにいると思っていた。
いつまでも一番 近い場所にいるのだと思っていたのだ。
彼に恋人が居ても、私の場所は変わらなかった。
それを、譲り渡さなくては いけない。
『 初めまして 』
彼女は、そう言って笑った。 綺麗な人だった。
冴えないように見える彼には、勿体無い。
彼女は、彼の指に色気を感じた、と言った。
女同士の会話の中。
私には ただの指にしか見えていなかった、それ。
彼女は、それに何よりも触れて欲しくて、そして、彼に触れたかったのだと。
驚いた。
そして、泣いた。
私は、近くに居た。
でも彼女は、違うのだ。
近く、傍、じゃなくて。
重なり合った存在なのだ。
馬鹿みたいだった。
ずっと、一番 傍にいるつもりになっていたなんて。
萩と寝たのは、すぐその後だった。
他の男としたこともある この行為は、私には何の意味もなかった。
彼と彼女には、存在を重ねるものだったのに。
それとも恋人たちは、そう思っていてくれたのだろうか?
今になっては、もう判らない。
恋は楽しかった。
面白かった。
当たり前だ。
自分の心は ずっと彼の傍にあって、恋人と喧嘩しても別れても、いつも私を思ってくれる、一番 大切な人は別に存在していたのだから。
ごめん、と それまでの恋人たちに心の中で謝った。
『 俺を、見てない 』
別れを切り出した彼らの中に、そんな私に気づいていた人達がいたことを、初めて知った。
「萩さん、最近 忙しいみたいね。 あんまり会ってないんだって?」
友人が言った。
「あー、…うん」
私は曖昧に頷いた。
本当は、何度かメールを貰っているのだが、返事を出せずにいる。
なんて書こうか迷っている内に、日にちだけが過ぎて、これでは無視をしていると思われても仕方がない。
始まりがなかった関係は、これで終ってしまうのだろうか。
このまま、私が返事を出さずにいたら。
終電で帰った。
アルコールは飲んでいなかったが、洋服からは軽く香った。
エレベーターを降りて、ぎょっとする。
部屋の前には、今しがた考えていた、萩の姿があった。
「明衣」
萩は私に気がついて、不機嫌そうな顔を上げた。
( …怒ってる… )
普段 萩は無表情で感情が判りにくい。
それだけに、怒っていることが確実に判るときは、本当に激昂していると考えて間違いないのだ。
すぐには何かを言うつもりはないのか、大人しく私が部屋の鍵を開けるのを待っている。
私たちは付き合いも長いというのに、お互いの部屋の鍵も共有していない。
二人とも、自分の場所に勝手に入られることを嫌う。
たぶん一人暮らしが長いことも関係しているだろう。
「…ごめん、忙しくて、返事 送れなかった」
自分が悪いということは自覚していたので、一応 先手を打って謝る。
しかし、静かに怒っている萩は、
「いくら忙しくたってメールぐらい送れるだろうが」
と、取り付く島もない。
本当を言えば、もう少し考える暇が欲しかった。
急いで結論は出したくない。
でも、萩は理由を知るまでは帰らないだろう。
突然、何もかもが面倒になった。
「・・・萩。 単刀直入に訊くけど」
「なんだよ」
不審そうな顔。 不機嫌なのは変わらない。
「私のこと、好き?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は? 」
思いっきり、間抜けな声を出した。
眉間のシワの数は確実に増えている。
「私、萩のこと好きかどうか判らないんだよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、っそう 」
少しの沈黙のあと、いつも通りの無表情の顔が戻ってきた。
だから嫌なのだ、萩は。
会社では冷静だとか出来る男とか言われていて、独立した後だって、会社を成功させている姿に感嘆の声も多い。
でも、私はそんな萩になんの関心もなかった。
自分の感情を出さない男は、いちいち真意を測らなくてはいけない。
それでいて、こっちのことは見透かしたようだ。
彼は、そんなことはなかった。
傍にいると何を思っているのか、お互いに すぐに判った。
「明衣、お前は好きでもない男と寝るのか」
変に、低い声で問われた。
「んな訳ないでしょ」
「・・・じゃ、好きなんじゃないのか?」
呆れたように言われる。
「うー・・・だから、そういうことを言ってるんじゃなくて・・・」
どうやって、説明したらいいのだろう。
私は、萩といて、満たされない。
いま一番 好きな人で、それは本当だ。
興味がなかったけれど、話せば色んな事が出てきて、ちょっと眼を細めて軽く笑うのがすごく好きだった。
会いたいとも思うし、触れたいと思う。
でも、哀しい。 淋しい。
そう感じる。
彼といたときの安心感は、ない。
そんなことを考えていた私を、萩は睨んだ。
ギリッと歯軋りが聞こえそうなほど強く口を噛み締めて。
・・・一瞬、殺されるかと思った。
そう感じるほど、暗い眼だった。
「あいつと比べるな」
萩は私の手首を掴んだ。
「つっ・・・!」
握り締められた場所が、痛い。そのまま、床に縫い付けられた。
部屋のライトは彼の背に隠れて、陰になった彼の表情はよく見えない。
「結局…お前は…!」
彼は押し殺した声で何やら訳のわからないことを呟き、キスしてきた。
何度も触れた、唇。
なのに。
何か違う。
「しゅう・・・!!」
私はその違和感が怖くて必死に逃れようとした。
萩はそれを許してはくれなくて、嫌がる私の声を飲み込むように重なりを深くした。
顔を逸らそうとする私の頭を萩は固定して、私は自由になった片手で彼を押し返そうとしたが、びくともしなかった。
彼の肩を必死に叩いた。 怖くて堪らなかった。
電話が、鳴った。
その音にビクッと萩が離れる。
私を見下ろす彼は、自分でも何をしたか判らない、茫然とした顔だ。
帰ってきてから何の操作もしていなかった電話から、セットしたままの留守番メッセージが流れた。
『 ・・・ただ今、留守にしております・・・ 』
『 メイ? 私だけど・・・ 』
さっき別れてきた友人だ。
『 何かあった? ・・・話、聞くから・・・。 また電話するね 』
心配してくれたのだろう。
多くを言わないけれど、彼女らしい。
萩は、深く、溜息をついた。
「明衣・・・俺と、別れたいのか?」
どこか、諦めたような声。
「萩・・・?」
「・・・くそ!」
彼は力任せに壁を叩いた。
「無理強いして、悪かった」
無理強い・・・?
たった今の、こと、だよね?
「・・・ちょっと!」
立ち上がった萩に慌てて飛びついた。
タックルになっていたかもしれない。
「別れたい、なんて言ってない!」
「・・・え」
「言ってないでしょ!!」
「え、あ、まぁ・・・」
今度は反対に、私が萩を押し倒した形で上から睨みつけた。
「さっきの答えは?」
「・・・さっき?」
「『私のことが好きか』って訊いたでしょ!!」
わかっていない萩に私は憤慨して言った。
「・・・・・・お前、それ・・・本気で訊いてる?」
萩がぼんやりと訊き返した。
「本気に決まってんでしょーが!」
この男は何をトボけたことを言っているんだ。
こっちがこんなに必死に訊いているというのに、本気かどうかもわからないのだろうか。
「・・・好き、って、言ったよな?」
「言ってない」
「いや、絶対 言った」
萩は むっつりと不機嫌に言い返した。
「ないよ」
「・・・言った」
「いつ」
「・・・・・・・・・はじめっから言ってる」
はじめ?
「・・・まさか・・・うわ言みたいな・・・あれ?」
「本気にしてなかったのか・・・」
・・・するわけない。 酔っ払った、初めてのときだ。
しかも、それ以来 聞いたこともなかった。
ん?
・・・ってことは、萩は、はじめから・・・
「そーだよ、同期で入ったときから好きだったよ」
ヤケクソのように萩が言った。
「幼馴染の話を嬉しそうにするのも知ってたし、そいつが他の女と付き合ってるのも知ってた。
・・・諦めればいいのに、って思ってた。でも、それは俺の望みで、
そいつが結婚するって泣く明衣を見たら抑えが利かなかった」
相変わらず不機嫌そうに言う萩を、私は呆気にとられて見つめた。
お酒の弱い私に、ほどほどのアルコールで付き合ってくれる萩は、いつも いい話し相手だった。
だから、その日は結婚の話を聞いたこともあって 少し飲みすぎた。
酔っ払って泣き始め、訳のわからないことを愚痴る私に、萩が「俺は一之瀬が好きだから」と慰めてくれたのだ。
優しい奴だなぁ、と私はますます泣けてきて、もう戻れないアイツの隣りより萩の腕の中の方が気持ちいい、と思ったのだ。
・・・そうだった。
そのとき、なによりも安心できる場所だと思った。
「・・・慰めてくれただけだと思ってた・・・」
「・・・・・・」
萩が、溜息をつく。 眉間には いつものシワ。
私はムッとした。
「萩は判り辛い!! そんな不機嫌そうな顔している男が自分のこと好きだと思うわけないじゃない!」
「あ?」
「萩って、いつも嬉しいんだか悲しいんだか、なに考えてるか判らない!!」
私が怒ったように言うと、萩も、
「判らなかったら訊けばいいだろうが!」
と大きな声を出した。
「だいたい、好きな女がいつまでも他の男を想ってて、自分のことを好きにならないのに、機嫌よく出来るわけないだろ!」
「私がいつ、まだアイツが好きだって言ったのよっ!」
腹が立って、クッションを投げつけた。
萩はそれを軽く受け止める。
「感情が顔に出なくて、悪かったな! 出せるもんなら出してる!!」
「言ってくれればいいでしょ!! そしたら悩まなくてすんだのに・・・!!」
もう一つあるクッションを投げつける。
・・・まったく、いい歳した男女が、何をやってるんだろう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・ふ」
無言で睨み合ったら、なんだか馬鹿馬鹿しくなって、笑いが込み上げてきた。
萩も同じだったのだろう。
私の好きな、眼を細める仕草をして、軽く笑った。
「萩、髪ぐちゃぐちゃ」
髪を整える振りをして、そのまま首に抱きついた。
「・・・・・・」
あのときと同じ、満たされる場所。
結局、自分の幼馴染への気持ちにさえ長年 気づかなかった私は、鈍いんだろう。
萩に好かれているかどうか判らなかったから、萩と居ても哀しかった、淋しかった。
それは、つまり、私の大切な人はとっくに萩だったということで。
「明衣、あいつは、生まれたときから一緒にいて、
話さなくてもなんでも判ってくれたかもしれない。
でも、俺は、まだ判らない・・・ってこう言うのも本当は悔しいんだが・・・」
萩は私を抱き返して、そう言った。
「俺、表情が乏しいって よく言われる。 判らなかったら、今日みたいに訊いて?」
優しい声。
いつも この声を聞いていたのに。
なんだか、自分の気持ちに折り合いがついて、妙にスッキリした気分だった。
「今日、お店で新しいカクテルの名前を見つけた」
私が言うと、萩は固まった。
「・・・あそこのマスター、鋭いんだよ・・・」
急な仕事で私が遅れていったとき、萩が一人で待っている間に作ってくれたのだという。
「しかも、意地が悪い」
「え?」
確かにあそこのカクテルは面白い名前ばかりだけど、『 意地が悪い 』?
『 はにぃ ベイベー 』という少し頭の悪そうな名前のカクテルの、どこが?
「もしかして・・・わからないのか?」
「何が?」
「・・・いや・・・」
萩が鈍い…という顔をしたのは判った。
「なによ」
「別に・・・」
あ、また一人だけ判っているような顔をして。
「今、訊けって言ったばかりなのに・・・」
「 単に、俺の気持ちを知らなかったのは明衣だけだった、ってことだよ」
これ以上に ない、最上級に不機嫌な顔。
・・・照れてるわけ、これは?
「・・・やっぱり、わかんない」
「何が」
むっと顔を上げた萩だったが、私はそれには構わず告げることにした。
決心がついたから。
「私がメールの返事を送らなかったのは、迷ってたことが あったからなんだけど」
「・・・何?」
嫌な予感がする、といった顔で萩が訊いた。
「私と、結婚しない?」
そう言って、私は最上級の笑顔でプロポーズをした。
― end or start ? ―