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『 俺、結婚するから 』


一昨年の夏は、そんな息子の言葉から始まった。
どうやら息子に真剣に付き合っている人がいるらしいと気付いていた私は、大した驚きもなくその言葉を受け入れた。
むしろ、ずいぶん決心が遅かった、と思ったほどだった。




オレンジ スカイ



「ばあちゃーん! コレもう採っていー?」
とうもろこし畑の中から、ひょいっと顔を出して、孫の良太が訊いた。
夏の暑い日差しに目を細めながら、私は両手を上げて丸を作る。

息子の選んだ女性には、子供がいた。

それが、いま私の趣味の畑仕事を手伝ってくれている良太だ。


『 旦那は事故で亡くなったらしい 』
『 その人は、俺より二つ年上で 』

息子はゆっくりと焦らずに言葉にした。
いつからこんなに落ち着いた表現が出来るようになったのだろう。
大学に入って、家を出て、親には成長があるようには思えないものだけれど。

『 子供がいるって会わされて、一応、悩んだりもしたんだけど 』

『 ……でも、俺、なんか納得したんだよな 』

ストン、と何かが収まるように。

いま考えると、きっと私たち夫婦もそうだったのだろう。
自然に受け入れた。


「こんにちはー」
玄関から声がした。
裏の畑で作業をしていた私と良太は、休憩にしようと表へ向かう。
「あれ、メイさん」
「良太?」
二人が驚いた声を上げた。
メイさんと呼ばれた女性は良太の母の友人である。良太の母が忙しいときに赤ん坊だった良太を世話したこともあったそうだ。
「なんでメイさんがここに?」
「あ、私は仕事でね」
この家は普段 私たち老人二人きりで住んでいるので、バリアフリーを考慮してリフォームしようということになって頼んだのだ。
大工の夫は、そんなことは自分でやると言ったが、やはりその分野に詳しい専門家の意見が欲しい。
そのことを義娘に話すと、一之瀬メイさんを紹介してくれた。
「良太はどうしてここに?」
「夏休みだから遊びに来た」
都心に住む良太は私たちがいる海の街が好きらしく、よく訪れた。
出会ったときは まだ小学生だった彼も、もう中学二年生になっていた。

息子は、一昨年の夏、結婚するという女性とその息子である良太を連れてきた。
彼女はしっかりした感じの、しかし品の良い柔らかな物腰をした女性だった。 聡明そうな澄んだ目をした彼女を私は一目で気に入った。

一般的に、結婚相手はその親を見ればわかると言うが、私たちは彼女の親ではなく息子を見るという、なんとも不思議なことになった。
良太は、まっすぐに伸びた向日葵のように、顔を上げて私たちを見た。
屈託のない笑顔を見せる少年を少し驚いた気持ちで見つめた。
父親をなくして育つことは、多かれ少なかれ影のようなものを背負わせるのではないかと私は思っていた。
しかし、そんな私の考えは全く的外れなものだったようだ。
死んだ父親似だという、細かいことに拘らない性質と、子供らしい好奇心。
母親似の目は、恐れなく真摯に ものを見る。

私の息子は小さい頃から自分を意識している子で、まあ、悪く言えば少し格好をつけたがる所があった。
私に似ているといえば、似ているのかもしれない。 夫は夫で、人付き合いが苦手な無骨な人間である。
だから、良太のような自然体でいる少年に私たち夫婦は惹き付けられた。

義娘となった良太の母は、両親から結婚の反対を受けて勘当されていた。
良太が生まれて夫が死んだときに一度だけ会いに行ったが、良太を認めないその態度に、本当に別れを決めたそうだ。
『 孫を…あんな、汚いものでも見るみたいに… 』
彼女は、そう呟いた。
良太を見れば、彼女がどんなに慈しんで育てたのかがよくわかる。


「じゃあ、お邪魔します」
一之瀬さんはそう言って、玄関を上がり、一部屋一部屋 見ていった。
「丁寧な造りですね…」
感心したように言う。
「ええ、夫の父親も大工だったので」
「あ、そう仰ってましたね」
「いろいろと大変だったらしいですよ」
この家を造ったとき、義父があれこれと拘り、義母はいつまでも家が建たないのではないかと思ったそうだ。
呆れ、でも誇らしそうに話した義母の顔が浮かぶ。
それは、とても昔のような気もするし、つい昨日のことのような気もする。

私がふっと思い出に浸っていた間、一之瀬さんは一つの写真に目がいったらしい。
仏壇にあるそれを見ている。

「娘です」

手を伸ばして、その写真を取った。
私の娘が、麦わら帽子を被って笑って写っている。
手にした向日葵は、食べ物ばかりの畑に情緒がないと彼女が植えたものだ。

私の、初めての子供。

同じく 初めての孫になるはずだった、小さな命と共に 逝ってしまった。


「いつまで寝てんだよ」
奥の部屋から、良太の声が聞こえてきた。
「いくら昨日 仕事から直行したっつっても、もう昼だぞ」
「………」
「えーい!ごちゃごちゃ言うな! 昼飯の時間だって!」
奥から聞こえてくる声に、私と一之瀬さんは顔を見合わせて笑った。
「息子も お店が休みになって今朝方 来たんですよ」
義娘の方は大きな仕事が入って抜けられないらしく、まだ来ていない。
お盆には来るだろう。

「あ、じゃあ、私はこれで。またご連絡しますね」
「あら、お昼 食べていきません? 急ぎでないのでしたら」
「え?」
「どっちにしろ車で会社に帰る途中で お昼を食べるでしょう? だったら うちで」
「え…、と、……じゃ、お言葉に甘えさせて頂きます」
単に仕事の関係だけというわけでもないので、断れなかったのかもしれない。
私は彼女の明るいハキハキした感じが好きで思わず誘ってしまったが、彼女にしてみれば迷惑だったかと思った。
しかし、どうやら彼女は良太が心配だったらしい。
義理の父と祖父母に囲まれてガツガツとご飯を食べる良太をホッとしたように見ていた。
成長期でどんどんと身長が伸びている良太は、胃袋に穴が空いているのではないかと思えるほどよく食べた。
「食い過ぎ・・・」
息子は寝起きであまり食欲がないのだろう、そんな良太をげんなりと眺めていた。
「海で泳いできたから。一休みしてからまた行くし」
そんな義父の様子もなんのその、彼は元気に言った。
ちりん…と風鈴が鳴る。
庭でたくさんの向日葵が咲いていた。
「持っていかれます?」
眩しそうに花を見る一之瀬さんに、私は言った。
「え、いいんですか?」
「ええ。たくさん有りますし」
「嬉しい! 自分の部屋が味気なくて、花でも買おうかな、と丁度いま見ながら思ってたんですよ。ありがとうございます」
彼女の顔に社交辞令でない笑顔が浮かんだ。

私は小振りの向日葵をいくつかまとめた。
その向日葵は、娘が初めて植えてから毎年タネを蒔いている。
彼女が死んだあとも、それは続けていた。

流れの止まってしまった娘の時間。
生まれるはずだった生命。

私たちはたくさんの気持ちを膨らませながら、誕生を待っていた。


行き場をなくした想い。


彼らを身代わりに思っているわけではない。

でも、たぶん、救われた。

ストン、と、何かが落ち着いた。



家族なのだと、自然に思えた。



「じゃあ、行ってくる」
良太が、縁側でサンダルを履きながら言った。
今日は花火大会があり、海で知り合った同世代の友人たちと行く約束をしたらしい。 最近はサーフィンも教えて貰っているという。
暗くなり始めた道を駆けていく後姿を眺めた。
「はぁ…あんたにもあんなときがあったのよねぇ…」
私が感慨深く言うと、息子は何言ってんだか、と笑った。
「あら、いいもの作ってるわね」
「ちょうど思いついて」
息子は棚から色々取り出して、カクテルを作り出した。 私もお酒が好きなので、息子はこうして飲ませてくれる。


それは、夏の空と同じ色をしていた。

切ったオレンジの果実を、グラスの縁に掛けた。


電話が鳴った。
「はい。……ああ、うん。お疲れさん」
義娘のようだ。
「良太は花火大会」
しばらく会話したあと、息子は電話を切った。
「明日には来れるってさ」
そう言うと、縁側に腰掛ける私の隣りに座った。

ドーン、と花火の音が聞こえてくる。
暗闇にぼんやりと浮かぶ向日葵の向うに、明るい光が見えた。









― end or start ? ―



はにぃ ベイベー


バーテンダーの母。実は最強に酒が強い。
時間としては、良太が義父と初めて会ったのが小学三年生で、結婚が中一冬、この話が中ニ夏。



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(「祐」、「エロエロマシンガン」です)




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