なにが不満なのか。
・・・不満がないのが、不満なのかもしれない。
スノウ ドロップ
「おめでたい席だっていうのに陰気な顔だな、良太」
オレを見下ろして、竜が言った。
「母親の結婚式に めでたいも何もないよ」
上から見られるのが嫌でオレが立ち上がると、反対に竜は腰を下ろした。
今日 親子になる義父は、カクテルバーを経営していて、竜はその店でバイトしている。
「ママ寂しいよ~って?」
竜はニヤッとオレを見上げた。
「ば…!んなわけないだろ!」
中学生にもなって、そんなことを言う男はいない。
竜は急に身長が伸び始めたオレを面白そうに見ている。
竜のいつものからかいを、オレはいつものように聞き流すことが出来なかった。
オレの母親は、短大を卒業してすぐに結婚した。
二十歳でオレを産んだ。
父親は 高校のときの同級生だったと聞いている。
オレが生まれた日、車に轢かれて死んだ。
雪の降る。 冬の寒い昼。 たぶん、今日のように。
静かに白く積もっていた。
「あ、良太、お前ここに居たのか」
そう言って、ネクタイを歪めながら待合室に入ってきたのは、今度オレの父親になる男だ。
母とは友人の結婚式で はじめて会ったと聞いている。
「あんたは どこに行ってたの」
暢気に言う彼に、彼の母親が声を掛けた。
これからオレの祖母となる人だ。
「全く落ち着きのない」
呆れたように言った。
花婿の待合室に肝心の花婿が居なかったのだから、当然だろう。
オレの祖母になる この人は、母の結婚が決まったときに初めて紹介された。
『 あなたが良太くん? 』
にこにこと柔らかい声で話し掛けてきて、隣りで母が緊張を少し解いたのがわかった。
夏に訪れた義父の実家は、都心を少しだけ離れた まだ緑の残る小さな街にあり、古い木造の家はクーラーがなくとも涼しい風が流れてきた。
オレが寝てしまったあとの祖母と母の長い長い話は知らない。
私たち家族が増えたのよ、と帰り道、母は微笑んだ。
オレの本当の父親は孤児だった。
母の両親は父との結婚を反対して、未だにオレを認めていないらしい。
小さい頃に会ったことはあるそうなのだが、覚えていない。
母が多くを話したがらなかったのでオレも訊かなくなった。
「良太」
もう一人、家族になる人。『おじいちゃん』がオレを呼んだ。
オレが何?と言って近寄ると制服のネクタイを直してくれた。
大工である彼の指は、太くて ささくれ立っているけれど、とても器用に動く。
遊びに行った その場で木のオモチャを作ってくれた。
翼をもった木の鳥はオレの部屋の天井から吊り下げてあって、今度の新しい部屋でも飛ばすつもりだった。
無口で気難しい顔をしているが、オレの頭を撫でる仕草は優しい。
『おばあちゃん』、『おじいちゃん』と呼ぶようになったのは、祖母がそう呼んでほしいと言ったからだ。
これは後で祖母がこっそり教えてくれたのだが、
『 おじいちゃんの希望なんだけどね、自分じゃ言えないのよ 』
と、いうことらしい。
「良太、お母さんが探してたぞ」
彼が言った。
様子を見ていると、緊張していないようで実は落ち着きがなかった。
「こっちに行くって言ってから来たんだけど」
「お前がついてなくてどうするんだ?」
「来たら、居なかったから悪いんだ」
ふん、と言ってやった。
ドレスを着た母の傍は、なぜか居辛かった。
竜が急に立ち上がる。
「ウェディングドレス見てこよっと」
ぐいっとオレの腕を引く。
「良太も」
「え、」
オレは引かれるままに部屋を出た。
「オレはいいよ」
「あほ。そんな陰気な顔してるくせに」
「・・・・・・」
「今更、母親の結婚が嫌だとか言い出すんじゃないだろうな?」
「違うよ」
じゃあ、何が不満だ? と、竜が目で訊いた。
義父に会ったとき、オレは別に何も考えなかった。
母が男と会わせた意味だとか。彼がどういうふうにオレを見ているか、とか。
オレはそんなことに興味がなかった。
始めたばかりのサッカーに夢中で、母がわからない話も彼が理解してくれたのが嬉しかった。
もう五年も前になる。
彼は母の恋人で、オレにとってどういう存在になりえるのか段々判ってきたけれど、
その前に、彼はもう友達だった。
ずっと欲しかった『兄』みたいに思っていた。
父になる、と言われてもピンと来なかった。
好きだし、まぁいいか、と思ったくらい。
不満なんてない。
口は悪いけど、宿題を教えてくれて、サッカーに付き合ってくれる義父。
やさしい祖父母。
夏休みにいく田舎の家。
ずっと、ほしかったもの。
「おおー!」
母のウエディング姿に、竜が感嘆の声を上げた。
「ね、ね、綺麗でしょ?」
母の友人であるメイさんが自分のことを自慢するように言った。
メイさんは、母の高校時代からの友人で、オレの死んだ父親のことも知っている。
中学の制服を着たオレを見て、父親にそっくりだと笑った。
こうして、死んだ父のことを知っている人が居るというのは不思議な感じだ。
人は、オレの姿に父を見る。
オレの中には何も残っていないのに。
雪の中、息子が生まれた病院に駆け付けて。
たった一度だけ、オレを抱き上げた父親。
憶えているわけもない。
「良太」
母がオレを呼ぶ。
ウエディングベールを上げて、綺麗に化粧された顔。
鏡の前に座っている。
無言で近づくと、母は少し腰を浮かせてオレの首に腕を回した。思わず屈んだオレを、そのまま抱き締める。
二人きりの家族だった。
オレは、それしか知らなかった。
母は夫と引き換えに両親を失い、オレが生まれて夫をなくした。
・・・・・・母さん。
オレも、恐い。
嬉しくて とても恐い。
幸せそうに見つめ合う花嫁と花婿を、オレはぼんやりと見ていた。
メイさんは目を潤ませながら、良かった…と何度も呟いている。
窓の外の雪は、変わらずしんしんと降り続けた。
「義父さん」
改まって、呼んだ。
いつもは名前で呼んでいた。
「母さん、義父さん。おめでとう」
「ありがとう、良太」
満面の笑みで、母が応える。
オレは首を回して、まだオレより身長のある義父を見た。
オレと義父が並ぶと兄弟にしか見えないらしい。
何度かそう言われたことがある。
「義父さんに最初のお願いがあるんだけど、いい?」
「なんだ?」
「殴らせて」
「・・・・・・」
お、間抜け面。
「はーはっはっは! 親子の契りってヤツさぁ!!」
オレは高笑いをして指を鳴らした。
「結婚式 終るまで待ってやったんだから感謝してほしいぜ」
にや~っと笑う。
「りょ、良太??」
母はワケもわからず息子と夫になった男を交互に見た。
「なるほどね・・・」
義父もニッと笑った。
「が、大人しく殴られてやるほど、俺はお人よしじゃないんだな♪」
タキシードを脱いだのを見届けて、オレは彼に殴りかかった。
オレが、 母さんを守るんだと思っていた。
父さんが居なくても、オレが居るから。
オレがずっとずっと家族だから。
「おー、いってぇ・・・」
義父は切った唇を舐めて言った。
彼はひらひらとオレをかわしていたが、一発だけ殴らせてくれた。
そう、くれた、んだ。
ニッと笑ったとき、彼はもうすでにオレの考えていることがわかったんだろう。
店の準備をする義父を横目で見ながら、オレはカウンターで宿題をやった。
二人が結婚する前からしていることだ。
開店すると、店から追い出されて二階に上がらなくては ならなかったが、
母が仕事で遅くなったり、出張のときなどオレはよく遊びに来ていた。
「マスターまだ痛いわけ?」
竜が義父に訊くと、彼は、
「口を大きく開けたりするとな。ったく、手加減しやがれ」
と、オレの髪をグシャグシャと かき回した。
「良太、宿題 終ったか? 教えてやるぞ?」
竜が言った。
もちろんタダじゃないけどな、と付け加える。
「残念でした、自力でもう終りました~!」
俺が言うと、竜はチッと舌打ちをする真似をした。
コトン、と義父がオレの前にグラスを置いた。
「?」
グラスに入っているのは、白い・・・カクテル。
「アルコールは一滴だけ、な」
誕生日だから、と彼は言った。
「忘れてた・・・」
自分の誕生日なんて。
オレの驚いた様子に、義父がバカだなぁと笑った。
初めてオレが受け取る、『父親』からの誕生日プレゼントだった。
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