86回あるこう会 「八丈島一周を歩く」2020.5.12掲載)

平成12428日から52日にかけて、八丈島を一周した。

総歩行数118,808歩(歩行距離90km)

 

428日(金)

竹芝桟橋から、2230発「すとれちあ丸」3700トンに乗船。「エッ」と思うほど小さい。船は満員のようである。釣り客とダイバー客が多い。30余年前に「椿丸」という船で大島に行った。あのときは海が荒れていて、一晩中、船酔いに苦しんだ。後で「椿丸」は1040トンであったことを知る。指定席として乗り込んだ一等船室(14,360円)は船窓があり景色が見えるが、小さな敷布団と毛布が用意された9人部屋でのざこねである。2等船室は(7,180円)一等船室の下、特等船室は(21,540円)は一等船室の上にある。船は心配したほどゆれることもなく、翌朝530に三宅島着。乗船客のほとんどが下船した。

(参考)

1853年、ペリー提督率いる4隻の米国艦隊が、江戸湾入り口の浦賀沖に姿を現した。当時の日本帆船は50トン程度にあったのに対して、黒船の蒸気船サスケハナ号は2400トンもあり、日本人は心底驚愕した。

 

429日(土)

930八丈島底土港着。ビロー椰子が街路樹として植えられている道路を30分歩いて民宿「三根名古荘」に入る。もうすぐ80歳であるという話好きで元気なおばあさんというよりおばさんが、娘さんと協力して経営している。朝夕まだ冷えるのでコタツがいれてあるという。宿泊客は我々を含めて6名。息子が三鷹の牟礼で寿司屋をしているとのこと。同行の小島さんと同じ町内とわかって、しきりにその寿司屋を知らないかとたずねてきた。

喫茶店で昼食をとり、八丈富士に向う。八丈富士は標高844m。登山口より約1800段の階段を息を切りながら登る。頂上は一周1.3kmの外輪山になっている。約1時間かけてお鉢巡りをする。お鉢巡りでは、何かにつかまりながら歩かないと体が倒されそうな強風が吹きつけてきた。風は冷たく、ウィンドブレーカーを着る。底まで100mはありそうな火口を覗くと目がくらむ。火口には池が四つあり、その周りに低木がうっそうと茂っているのが印象にのこった。頂上から離れると風はピタッとなくなる。八丈島は風が強い地域だそうである。帰路立ち寄った「牧野ふれあい牧場」では、4機のフランス製の発電用風車が回っていた。八丈富士は、島で一番高く島の中心地が一望におさめられた。長さ1800mの滑走路が町を貫いて二分している。

1600民宿「三根名古荘」着。20,078

 

430日(日)

840民宿「三根名古荘」を発。「八丈島歴史資料館」見学。資料館は旧八丈市庁舎跡を利用。八丈島は先史時代より人が住んでいたとのこと。土の中に埋もれた状態で、完全な形の縄文人の骨が展示されていた。この骨からは、どんな姿・形だったのか想像もつかない。美人も一皮むけば、ただの醜い骨のかたまりであるのがよくわかる。八丈島は流人の島として有名である。江戸時代250年間にシマ送りになった人数は1900人。年間約8人。意外と少ない。島流し先が佐渡ヶ島ではなく、八丈島と言い渡されると、お白州の場にほっとした空気が流れたそうである。佐渡ヶ島は死刑よりつらい地獄の金の採掘労役。これに対し、八丈島は女も自由の天国といわれていた。第一号は関ケ原の戦いで敗れた宇喜多秀家だそうである。

神湊(かみなと)港近くの釣り船やで、何人もの釣り客が釣り上げた1mちかい目鯛を、一人何匹も発送する準備をしていた。歩友のKさん曰く、あんなの送ってどうやってさばくのだろう。

八丈島の西側を一周したが、食堂はもちろん自動販売機もない。昼食は持参のバナナ一本のみ。民宿のおばさんが、食べるところはあるよとの言葉を信用して、食料を用意しなかった。民宿のおばさんが、食べるところはあるよとの言葉を信用して、食料を用意しなかった。

1630民宿「三根名古荘」着。32.745歩。夕飯でクサヤを出してくれた。おばさんは自慢して「クサヤの本場は新島である。しかし新島のクサヤはほんとに臭い。以前もったことがあるが、あまりの臭さに食べずに捨ててしまった。八丈島のクサヤは匂いが少ないしその上うまい」


  51日(月)

1630民宿「三根名古荘」発、民宿で昼食用に握り飯を用意してもらう。雨天のため雨具をきて出発。登龍道を登り、約1時間半で標高312mの登龍峠に着く。登龍峠には広場が設けられ、休憩所や身障者用のトイレも用意されている。展望台からは、八丈富士、八丈小島、底土港、停泊している「すとれちあ丸」が見える。天気が良ければ三宅島、御蔵島も見えると案内板に書いてある。登龍道の名は、下から見上げると道路がくねくねと龍が登っているように見えることからきている。峠付近で雨が止んだが冷たい風が吹いてくる。下りは冷たい霧の中、人の気配はなくたまに自動車が通る。小鳥が遠く近くで鳴き、我々の単調な靴音を聞きながらの歩行である。

 1400仲之郷の民宿「自由が丘」に着く。荷物を置き、町営の温泉場への道を聞く。大した距離ではないと思っていたら、町営温泉「やすらぎの湯」は急坂を30分下った先の海岸近くにあった。途中露天風呂があったが、海水議の着用が必要であった。帰りも汗を流しながら30分かけてもどった。われわれ以外は自動車で来ていた。温泉はナトリウム泉で塩辛い。1600民宿「自由が丘」に着く。34,651


  5
2日(火)

840荷物を民宿に預けて、東京電力の地熱発電所を見学に行く。地熱発電所は993月に運転を開始したばかりである。発電出力3,300kw。島内の最低電力需要(深夜)をまかなうことが可能とのこと。最大電力需要(夏・昼間)は約10,000kwだそうである。同じ敷地内に、高さ4050メートルはありそうな風力発電用の風車がユックリ回転していた。地熱発電の廃熱を利用した、町営の大規模な温室が近くに建設中であった。

無形文化財になっている黄八丈織元工房の見学、日露戦争の戦勝を祝って建造された大阪トンネルを通り、玉石垣、宇喜多秀家の墓の見学、丸十水産でのクサヤの買い物、都立八条植物公園により、1630八丈空港着。31,384歩。1730発エアニッポン航空機に搭乗。1815羽田空港着。

 

その他

島の周遊道路にや主要道路には、500mおきに位置を占めす道標が設置されている。歩道は、火山岩をスライスした平石がきれいに敷き詰められ、並木にはビロー椰子が植えられている。観光に力を入れているのがわかる。しかし名所・旧跡の案内板が不親切で、何度か道に迷った。ゴールデンウイークにかかわらず、観光客はあまりにも少ない感じがした。土産物店やレストランも閑散としている。歩いていると建設業の看板がやたらに目についた。市の中心部から歩いて30分ほどのところに、坪15千円で土地が売られていた。

 


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