第53回歩こう会「函館・札幌間を歩く」(2005.7.0日掲載)
  日 時:平成8年8月9日(土)~16日(金)
  参加者:小島 木村
  総歩行数:389,619歩

  8月9日 
  10:30函館空港着
  羽田では離陸待ちの飛行機が列をなし、飛行機の中で30分待たされ離陸する。3000円増し
 
のスーパーシートに着席。朝食が豪勢なこと、席の広いこと、スープのほかにコーヒーをおかわりする。
  空港から函館駅に向かう。防潮堤沿いでは、帽子を押さえて歩く風の中、頭の上3~4mのところをカモメが、何十羽と風上に向かって飛んでゆく。羽ばたきもせず、ヨットが風上に向かって進むように、人が早足で歩く速度で私たちを追い抜いていく。電光表示板には気温21度の数字。
  旅館“越前屋”に荷物を置いて函館見学をする。1865年北門警備のため幕府が建造した五稜郭に行く。榎本武揚、大鳥啓介らが官軍に最後の抵抗を行った函館戦争の最後の根拠地である。掘割の幅は矢が難なく城内まで届きそうに思えるほど狭く感じた。途中、土方歳三の地碑を見学する。本人の写真が置かれ、花が添えてあった。最後まで武士としての意地を通した、士族出ではないが、武人を目指した人である。
  函館山からの夜景を予定したが、霧のため断念。魚市場近くで夕食。同行した歩友Kさんが食べた定食のニシンの大きいこと。尾と頭が皿からはみ出していた。
17:30旅館“越前屋”着。歩数28,316歩。
夜はタオルケット一枚では寒く、掛け布団をかける。冷気で窓は開けられない。

  8月10日
  旅館“越前屋”7:00発→国道5号線→18:30森駅着 種田旅館泊 歩数60,985歩。
  朝5時半に起きる。風があり気温は東京の10~11月頃か?。肌寒いが気持ち良い。函館~森町間の国道はカーブが多く、山がせまり、東北地方の国道4号線に印象が似ている。ただし、
 
道は行けども行けども果てしない。
  駒ヶ岳(1133m)は山頂付近がはげ山である。先般、水蒸気爆発を起こしている。大きくはないが、独立峰のため、平地の中ですくっと屹立しているのが印象的であった。
  5号線に面した種田旅館は、昭和初期に建てられたと思うような木造旅館である。高い天井、廊下は一部傾げ、内壁のひびから中の土が見える。旅館の中はアンモニア臭が漂う。子供のころ、どの家にもあった臭いだ。風呂の洗い場には、10mm前後の船虫のような虫が何十匹と動き回っている。お湯をぶっかけるとタイルのスキマに逃げていった。パンツ、靴下、半袖シャツを洗濯する。すすぎ水の冷たいこと。洗面器に入れたお湯で手を温めながらすすいだ。翌朝、半袖以外は乾かなかった。

  8月11日
  7:40種田旅館発→国道5号線→16:25八雲町“八雲旅館”着。歩数43,133歩。
  海岸に沿って歩く。天候は曇り。漁師の家並みが続く。昆布を干している家が多い。ガラス製・樹脂製の直径40~50センチの丸浮きが道路に何十個と山をなして、所々に無造作に置かれている。ニシンの碑が建てられていた。案内板には、設置された当時は、あまりにも大漁が続き、合意の上で地中に破棄した。その時に建てた供養碑である。しかし現在のニシン漁は激減している、と書いてある。
  気温は肌寒く、歩いている分にはちょうど良いが、休憩すると寒くなる。

  8月12日
  7:45八雲町“八雲旅館”発→国道5号線→17:00長万部町“温泉旅館モリカワ”着 歩数44,669歩
  右側は海岸と函館本線、左側は広大な牧場。その中を行く道は、延々と地平線まで続く。磯の香りが漂う。ときおり、乳牛の強烈な糞臭が襲う。たまに通る自動車は、いつまでも景色の中から消えない。

  ここで拙歌
  飛ばし去る車を追えば音は消え 
     景色の中に点と融けゆく

  長万部町“温泉旅館モリカワ”の夕食はカニづくし。量が多くて食べ切れなかった。

  8月13日
  6:00長万部町“温泉旅館モリカワ”発→国道5号線→国道37号線→(静狩峠)→18:45虻田町“松よし旅館”着 歩数64,591歩
  国道の温度表示は19度。霧雨が時折続く。同行した歩友のKさんカッパで蒸れてパンツまでびっしょり。静狩峠付近では、廻りの山の上半分が霧で覆われ、とうきび畑、牧場、サイロ、赤い屋根の家が、ポツンポツンと見え隠れる。
  静狩峠を越えると日差しが強くなる。出発時間より6時間近く給水なし。のどが渇くため、礼文町に寄り道し、インスタントラーメンとパンで昼食。一息つく。礼文駅は無人駅、駅前も2~3軒の商店があるだけで、人気がない。もとの道に引き返す気力が無い。落石のため通行止めになっている道を、近道になると判断し、行くことにする。海岸沿いの通行止めの道路では、カゴメがのんびり何匹も護岸にとまり、2~3m近づくまで逃げない。目の前にある島は、カモメの営巣地らしく、群れをなしている。勘に頼っての歩きであったが国道37号線にでる。

  8月14日
  6:00虻田町“松よし旅館”発→国道37号線→国道230号線→(洞爺湖)→(留寿都村)→19:30喜茂別町“民宿おふくろさん”着 歩数62,621歩
  虻田~留寿都間は、ながーい上り坂、ながーい下り坂、ながーい平坦道の繰り返し。日差しは強く暑く、道路の照り返しもきついが、日陰で休むと、汗はたちまち引く。留寿都村には、場違いと思われるような大きなリゾートタウンがある。山のふもとに20階以上の高層ホテルが見えてきたのには驚いた。国道230号線をはさんで、右側にスキー場のリフトがあり、左側は絶叫マシーンが数多く稼動していた。その間をゴンドラで結んでいる。
  喜茂別町手前で、バイクに乗った機器課のT君に出会う。広い北海道で会うとは奇遇である。我々が、歩き始めてから230キロを歩いているあいだに、彼のバイクの走行距離は2000キロ以上を記録している。
  予約した中山峠ユースホステルに着く時間が、今の調子では夜中の11時頃になることが判明する(着けたとしても)。電話でキャンセルする。電話案内で、最も近くで、唯一の宿舎であった“民宿おふくろさん”を紹介してもらう。

  8月15日
  6:00喜茂別町“民宿おふくろさん”発→国道230号線→(中山峠)→16:00定山渓“定山荘”着 歩数49,889歩
  喜茂別町から中山峠まで約18km。遅い車専用の車線を延々と併設する上り坂を、ただのぼる。テントや寝袋を積んだバイクに乗った若者が、片手を挙げて、日焼けして真っ白な歯を見せ、次々と挨拶をくれる中、亀の歩みで歩いてゆく。
色あざやかな頭の鳥、中型の鳥、雀に似ている鳥が、路肩で何ヶ所も死んでいた。車にぶつかったのか。
  中山峠を過ぎると、雨足が強くなる。上だけカッパを着たがパンツまでびしょ濡れ。途中の定山渓トンネル(1110m)は、管理道路も狭く、消火栓などの障害物に当たりながら歩いた。トンネルは配筋が露出し、壁面も平面がでていない。これまで通ってきた北海道開発局のトンネルは、円形ではなく馬蹄形である。大半が壁面を鋼板パネルで応急処理している。古平トンネルの崩落事故の一因もトンネル側にあるのではないか。
  「渓流荘」に4時に着く。ここは道職員組合の保養所である。浴場は露天風呂をいれ4種類。今までの最高の旅館。O-157菌の発生のため、生ものは出せないといい、代わりに柳川鍋をサービスしてくれた。

  8月16日
  8:00定山渓「渓流荘」発→国道230号線→13:50札幌大通り公園着 歩数35,415歩
  定山渓から札幌まで下るのみ。台風の影響か、歩き始めから風が強い中を歩く。小休憩を取っただけで、大通り公園まで歩き通す。札幌市街に入ると、信号待ちが多くなる。このたびにペースがくずれ、疲れが増す。体力は残っているが、足の裏が痛い。
  大通り公園では、札幌夏祭りを開催中。盆踊りと各造園会社の花壇のコンペが行われていた。ベンチに横たわると心地よい風があり、眠気に襲われる。この2月に出張で来た時は、雪祭りの準備中であり、防寒服を着込んで、雪に足をとられながら歩いたことを思い出す。

  そごうデパートで昼食。飛行機の出発時間まで余裕があり、サウナに行くことにする。ジェット泡風呂・水風呂・乾気サウナ・湿気サウナ・打たれ湯がある。疲れも一掃、気分爽快、背中のあせもの毒素も出たみたい。



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