第133回歩こう会「箱根を歩く」(2006.4.18掲載) | ||||||||||||||||||||||||||
大きなウォーキング大会では、㈳日本ウォーキング協会発行の機関紙「あるけあるけ」をよく参加者に配っている。この機関紙は月1回発行され、全国のウォーキング大会の案内や、ウォーキングに関する情報を満載している。 「あるけあるけ」の2004年10月号には、その年の5月に神奈川県ウォーキング協会の会長に就任した、江尻忠正(えじりただまさ)氏の紹介が載っている。江尻氏は1964年の東京五輪の競歩代表選手として50㌔競歩に出場し、日本人最高の22位に入った人である。 記事では、当時、朝4時に起きてまず38㌔歩く。午前8時から午後4時ごろまで工場で仕事をし、毎晩30~40㌔の練習を終えてから帰宅する。休日には110㌔歩く。昼間普通に仕事をやりながら毎日平均80㌔を、1年間歩き続けて五輪に臨んだという。 取材したエッセイストの佐藤嘉尚(さとうよしなお)氏は、以前調べた間宮林蔵の師匠である測量家・村上島之丞の伝説的な健脚の話・・・1日に30里(120㌔)を10日も20日も歩き続けても平気だったという ・・・これは歴史によくあるおおげさなホラ話であると思っていたが、今回の取材で納得できたという。 江尻氏は、身長173㌢。当時の歩く速度は時速12㌔、歩幅は最高時125㌢であったという。 ちなみに、私は身長166㌢。歩く速度は4.0~5.5㌔、歩数計の歩幅設定は76㌢である。 機関紙「あるけあるけ」には、“歩友の広場”という投稿欄がある。“歩友”という言葉を知り、早速パソコンに単語登録した。 4月初めに、歩友であるKさんと箱根を歩いた。住んでいる渋谷区の保養所に宿泊し、2日間箱根を歩く予定であったが、2日目はどしゃぶりになり歩きは中止した。
新宿で高速バスに乗り、箱根の金時山登山口で下車し、二つのゴルフ場に沿って歩き湖畔に着く。湖尻(こじり)水門から、芦ノ湖を半周する全長11㌔の芦ノ湖西岸のハイキングコースに入る。このコースは何回か歩いているが、いまだに歩く距離の感覚がつかめない。 湖尻(こじり)水門からしばらく歩くと、深良(ふから)水門に着く。芦ノ湖の水を、静岡県側深良村(現裾野(すその)市)へ通水する、箱根用水トンネルの取り入れ口である。新田開発のため、江戸時代初期の1670年に、4年の歳月をかけ、今風にいえば“民活”で完成した、長さ1342㍍、高低差9.8㍍のトンネルである。完成にいたるまでの難工事と幕府からの圧迫の様子を描いた映画を、若い若い時に見た覚えがある。 資金を提供した江戸浅草の商人である友野与衛門、深良村の名主大庭源之丞は、トンネル工事で主導的な役割を果たしたが、工事完成後行方不明となる。幕府の手により殺されたという伝承もある、と資料には書かれている。 芦ノ湖は神奈川県側にあるが、水利権は今でも静岡県にある。 軽車両なら通れるくらいの道幅が途中まで続き、そして人ひとりしか通れない道幅になる。歩道の左手には、広葉樹や低木樹の途切れから、平地(ひらち)や絶壁の前に湖水が見え隠れする。右手の山側では、大きく育った杉や檜(ひのき)が歩道をおおい、真夏には日影(ひかげ)をつくり涼(りょう)を呼ぶ。 杉や檜(ひのき)の根に、靴底をぶつけながら歩く細い道は、あるカーブに差し掛かる。そして目の前に、見覚えのある平地(ひらち)と湖水が現われる。ここに来るとある光景が浮かび、思い出し笑いが出る。その話はあとでする。 箱根・芦ノ湖周辺の歩行は、お気に入りのコースである。 小田原を基点とした、奥湯河原コース・根府川林道コース・足柄幹線林道コース・最乗寺を経由するコース・旧東海道コース、また御殿場を基点としたコースなどを利用して、芦ノ湖方面へ向かう。複数回歩いたコースも多い。
アジサイの季節、浅間山から鷹巣山のあいだは、続くアジサイの花の中にハイキングコースができる。 汗まみれの真夏、浅間山の頂きに近づくにつれて、昼間にもかかわらず「カナ・カナカナカナーッ」とヒグラシが仲間を呼ぶように鳴き、それに答えて別の木から鳴き返す。聞いているだけで足取りは軽くなる。 帰りは、タオル付き650円、一般の日帰り客にも提供している、早雲山駅近くの新宿区の保養所の温泉に浸(つ)かり、極楽を味わう。ケーブルカー、登山電車と乗り継ぎ、小田急のロマンスカーでコーヒーなどを飲みながら、ウトウトしながらの帰宅となる。 この箱根・芦ノ湖歩行には、小田急電鉄の株主優待制度で発行される、全線優待乗車券を利用している。 先ほどの、あるカーブに差し掛かると思い出し笑いが出る、の続きである。 女性1人を含む会社の仲間4人で、この芦ノ湖西岸のコースを歩いたことがある。歩行記録を見ると、20年前の昭和62年7月11日の夏の季節である。 4人の中では一番先輩のミセスが、先頭を歩いていた。カーブに差し掛かったところで、「アラッ」と声を上げて立ち止まった。続いた人も立ち止まっている。ヘビでも出たのかと私も近寄っていくと、前方20~30㍍離れた湖水際の平地(ひらち)で、男がパンツをあわてて引き上げているところであった。アベックが対岸からボートで渡ってきて、シートを敷いてコトにおよんでいたのである。こんな所に人が来るとは思わなかったのであろう、また、上にハイキング用の道があるとは思いもよらなかったのであろう。しばらく待ってから、目を向けないよう、チラチラ見ながら、通り過ぎたのを思い出す。 このあと2日は、会社の昼食時間での話題として提供してくれた。それだけではない、20年後の今も、話題にのぼる。 ウォーキングは、健康にも良いし、頭の活性化にも良い。さらにはこのように、目の保養にもなることがある。 参 考 機関紙「あるけあるけ」の江尻氏紹介の記事から抜書きする 「『競歩』と通常の『ウォーク』は別物だと思っている人が多い。『定められた距離をいかに早く歩くかを競う競技』が競歩であり、それは次のふたつである。 ①一歩進むごとに、競技者の前足は、後足が地面から離れる前に地面に接していなければならない(リフティング)。 ②支持脚は、それが垂直になったとき、少なくとも一瞬は真っすぐ(すなわち膝が曲がっていないこと)でなければならない(ベント・ニー)。 よく考えると、普通に歩いていればこの条件は自然にクリア出来る。 江尻さんは言う。『競歩は通常のウォークの延長線上にあるものであって、別物ではありません。いかに早く歩くかを競うのが競歩で、競わなければ通常のウォークとなんら変わりないのです』 そして歩くときに「リズム」「バランス」「パワー」が三拍子揃うのが最高なのだ、という。誰にでも自分のリズムがあり、私たちは日常生活を無意識のうちにそのリズムに合わせているものだが、歩くときにもそのリズムを維持できているかどうか。またバランスとは、精神のバランスや前後のバランス、右足と左足のバランスがうまく取れているかどうかであり、パワーとは文字通り基礎的な筋力や体力のことだ。 この三要素が揃えば、競歩でも一般の歩きでも歩くのが楽しくケガをしない。・・略 自分のリズムを維持するのに、江尻さんはしばしば小学唱歌を歌うという。 『そのときの気分で<あかとんぼ>だったり<ふるさと>だったり、あるいは美空ひばりや藤山一郎の<青い山脈>なんかもいいですね。歌うことで距離や速度の計算が出来るんです。そうすればちょっとピッチが速すぎるななどということが自然に分りますし、気持ちにも余裕がでます』。 1964年10月18日。東京オリンピック競技競歩のあの日。日本代表のトップアスリート江尻忠正選手がどしゃぶりの雨の中を『♪ゆうやけこやけーの赤とーんーぼー♪』と歌いながら必死に世界の強豪アスリートたちと競っていたのかと思うと、何だかジンとくる」 と、紹介記事を終えている。 追 記 2020年5月4日付けの朝日新聞朝刊に、「競歩 速さは自転車並み」との見出しで記事が掲載されていた。 記事には、 【 日本陸連の関係者は「競歩のトップの選手の速さは、ママチャリを一生懸命こいだ時の速さと同じくらいだと思ってもらえれば」と話す。 なぜ、そんなに速く“歩ける”のか。競歩は細かくルールが定められ、常にどちらかの足の裏が地面についた状態で、踏み出した足は着地してから垂直になるまで、まっすぐに伸ばさないといけない。腰や肩をくねらせながら歩く独特のスタイルが特徴だが、そこに速さの秘密が隠されている。腰と肩を沈めることで踏み出す足に体重が乗り、強い推進力が生まれるとされる。「世界一美しいフォームと評される鈴木は「体に一本の軸があるイメージで、関節を柔らかく動かせばきれいに速く歩けます」。 長距離界を席巻している「厚底シューズ」も、競歩では無縁だ。「(厚底の)反発力で跳ねると、まともにあるけない」と選手たち。走るのとでは足の使い方が根本的に違うといい、跳ねるような動きをすれば反則を取られるリスクも高まるからだ。 多くの競歩大会では、約1割の選手が失格となり、完歩できずに終わる。一見、地味なスポーツだが、歩くことを突き詰めると、奥が深い 】 速さの比較
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