菩 薩(2013.3.26) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脳から分泌される脳内物質は、100種類以上見つかっているという。東邦大学医学部統合生理学教授 有田稲穂氏の著書『「心のバネ」を強くする』参1には次のように記している。 << 精神、心に関わる脳内物質について医学的な研究を進めていくうち、私が特に注目した3つの物質があります。 ひとつはドーパミンです。これは「快」を求め、「渇望」し、意欲的にものごとを行う気持を起させる物質です。 もうひとつはノルアドレナリン、命を脅かすストレスから逃れるために、ストレスによる「不快」「不安」「怒り」を感じさせる物質です。 そして3つ目は、私の研究テーマであるセロトニンです。セロトニンは「快」や「不快」をコントロールし、心を安定させる働きがあると言われる脳内物質です。 私は、この心に関わる3つの脳内物質を「心の三原色」と定義しました。 人の心の状態は快と不快との間、また高揚と落胆との間、どこかのポジションに必ずあるはずです。「心の三原色」はそれぞれの働き具合によって、人の心の状態に大きく作用しているものと私は考えています。>> そしてさらに、ドーパミンとセロトニンについて次のようにも記している。 << 私たちの長い人生のなかで、行動を決める指標は変化します。 若いころは、高い目標を設定し、それを成就して、また目標を設定して、ということを繰り返します。そして、ある程度の年齢に達したら、目標が「人のため」になにかをすることに変わるのです。子どものため、家族のため、地域のため、まったく知らない人のためのボランティアであっても、「人のため」になにかをすると、脳は不思議なくらい安定します。まさに「情けは人のためならず」で、人のためにしたなにかは、ひるがえって自分の心の充足、安定のためになるのです。 この2つの指標、前者は「ドーパミン的」であり、後者は「セロトニン的」であると言えます。 ドーパミンの目標は「自分のため」ですが、セロトニンの目標は「他者のため」です。周囲にいる人に対してなにかをすることで、相手が喜んでも喜ばなくても、セロトニンの作用によって自分は満たされます。私たちの脳は、そのようにできているのです。>>
これは、自分の悟りよりも他者の救済を優先する「菩薩の利他行」にも通じるのではないか? と単純に考え、菩薩についてもっと知りたいと思った。 仏教の誕生 仏教は、今から2500年前に釈迦族出身の王子、本名ゴータマ・シッダッタによって始められた宗教である。ゴータマ・シッダッタは、ヒマラヤ山脈のふもと、今のネパールのルンビニで生まれた。ゴータマ・シッダッタは29歳のとき、地位や財産、妻子を置いて出家し修行の道に入った。出家するに至る動機のひとつとして、王子がまだ若いときに経験した「四門出遊」の物語が伝えられている。王宮には東西南北に四つの門があった。その門にまつわる話である。脚色しているが次のようなものである。 ある日、王子がある門から出てゆくと向こうから、背が曲がり、杖をついて、皺だらけの顔をした、痩せた人がとぼとぼとやってくるのに出会った。王子は付き人に「あの人はどうしたのか」とたずねた。付き人は、「あれは老人です。人は年を重ねるとだれでもあのようになるのです」と答えた。王子は考え込んでしまった。 またある日、ほかの門から出てゆくと、人が横たわっていた。顔は青ざめ、目はうつろで痛みをこらえながら苦しそうに息をしている。王子は付き人にたずねた。「あの人はどうしたのか。何があったのか」。付き人は「あの人は、病にかかっているのです。病はだれでもいつか、突然にでもかかります」と答えた。王子はふさぎこんでしまった。 また後日、三つめの門から出てゆくと、葬儀の列に出会った。運ばれている人は、青黒く変色し異臭を放って腐りかけていた。付き人が「あれは死人です。どんな身分の人も、どんな財産があっても、どんな善いことをしても、いずれ人は死を免れることはできません」と王子の問に答えた。王子はショックを受けた。 今は若く健康であり、何一つ不自由のない生活を送っていても、いずれ「老・病・死」が避けられないことを知った王子は、深く悩み苦しんだ。 その後、四つ目の門を出た。そこでは髪やヒゲはのび放題、ぼろ布をまとい、あばら骨が飛び出ているほど痩せてはいるが、何も憂いを感じない顔つきと生き生きとした目をした人に出会った。付き人は「あの方は身一つになって出家した、修行者です」と答えた。王子には感じるものがあった。 成長するにつれ、人生についてますます思い悩み、苦悩を深めた王子は、その解決のため出家し、修行の道に入ることを選んだ。 当時のインドではバラモン教の思想が浸透していた。バラモン教には多くの神がいたが、最高神はブラフマン(梵天)である。ブラフマンは、この世界の秩序・宇宙の根本原理を司る。個人本体にはこれに対応して、永久不変の存在であるアートマン(我・霊魂)が存在した。このブラフマンとアートマンが合一(梵我一如)することで、苦しみからの離脱が可能であった。しかし、アートマン(我・霊魂)は汚れ、欲望に満たされた肉体によって閉じ込められている。この肉体を苦行によって苦しめることで、アートマン(我・霊魂)は肉体から自由になるとされた。 通説によれば、出家した王子は、修行者として6年間、死と隣り合わせの苦行をこころみたが、苦行では解決しないことを知った。苦行をやめ、体力を回復したのち、心を集中することに専念した。このとき何かがひらめいた。何を。この世界を構成するものをどのように認識するのか、その認識の仕組みを悟ったのかもしれない。さらに心の集中を続け、「苦」が生ずるメカニズムを「縁起」という理法で明らかにし、つづいて「縁起」の理法で苦を滅した。ブッダ(目覚めた人)となったのである。このときブラフマン(梵天)とアートマン(我)は、ブッダの心から消失し、否定すべきものとなった。
その縁起のメカニズムは、「十二支縁起」注1として今に伝わる。その後、王子が苦行をやめたとして、王子のもとを去っていった、かっての修行の仲間であった五人に初めて説法を行った。苦の原因は「煩悩」であること、その「煩悩」を消滅させる具体的方法である「四諦八正道」注2を説いた。この6人が仏教教団の始まりとなる。
現存経典のうちの最古の経典に属する『法句経(ダンマパダ)』や『経集(スッタニパータ)』がある。『法句経』には、これを次のような偈(詩句)で示している。 おのれこそ おのれの救護者 おのれを措きて 誰に救護者ぞ よくととのえし おのれにこそ まことえがたき 救護者をぞ獲ん (『法句経』160番 友松圓諦訳)参2 さらに、先ず修行をして、それから人を導けと次のような偈を残している。 先ず自分を正しくととのえ、 次いで他人を教えよ。 そうすれば賢明な人は、 煩わされて悩むことは無いであろう。 (『法句経』158番 中村元訳)参3 釈迦時代の仏教 「釈迦時代の仏教」とは、ここでは大乗仏教運動が起こる以前の仏教をいう。 紀元前1500年ごろ、中央アジアに住んでいたといわれるアーリア人たちが、アフガニスタン、パキスタンをはじめインド・ガンジス河流域まで進出してきた。インドに進出したアーリア人たちは、後にカーストと呼ばれる、アーリア人を中心とした身分制度をつくりあげた。アーリア人のバラモン(司祭)を最上位とし、王侯、武士、商人などもその下に甘んじた。 アーリア人の世界観では、この世のすべての現象にはそれぞれの神が宿っており、その神意によって世界がなりたっている。太陽や月、雨なども神があり、太陽が東から昇り西に沈むなどの自然現象だけではなく、人間の営みも神が司っている。バラモンだけが願いを神に届けることができ、また神意を伺うことができた。 出生によってのみバラモンとなることができる、これも神意とされた。 これに対し、釈迦は人の行為だけに目をむけた。『経集(スッタニパータ)』には、これを次の偈で示している。 生まれによって賤しい人となるのではない。 生まれによってバラモンとなるのでもない。 行為によって賤しい人ともなり、 行為によってバラモンともなる。 (『スッタニパータ』142番 中村元訳)参4 このような釈迦の平等感があり、革新的な思想は、王侯・貴族・裕福な商人などの知識階級が支持した。彼らは出家修行者や教団を支え、仏教が広まる一因となった。 古代インドでは、輪廻と業(カルマ)の思想が一般的であった。輪廻とは生ある者が生死を繰り返すこと。業とはその輪廻を在らしめる力である。 並川孝儀氏は、「釈迦は、輪廻について語らなかった。否定も肯定もしなかった」、と『経集(スッタニパータ)』の最古層に属する章の偈と、古層に属する章の偈の比較から導き出している。 『経集(スッタニパータ)』の成立には諸説があるが、釈迦の死後半世紀、あるいは100年〜200年の範囲でつくられ、当初は口伝であった。現存するどの文献よりも古く、仏教が興った時代や、釈迦にもっとも近い時代を反映する資料として極めて高い評価を得ている経典である。 並川孝儀著『スッタニパータ』参5には、次のように記している。 <<(釈迦は)過去や未来の存在を否定したわけでもないであろう。それらへの思いは、ただ妄執や苦しみだけを生み、苦しみの原因となる煩悩を消滅させるには妨げであると考えたのである。あくまで、説法の目的は「今、ここで」の実践的態度を強調することにあった。だからゴータマ・ブッダは、過去や未来の有無を否定することも、肯定することもない「中道」の立場から、過去や未来に対して判断を停止するという姿勢を保っていたのではないかと考えられる。その結果、輪廻観に対しても同じ姿勢をとったと考えるのも、至極当然のことといえよう。>> しかし、釈迦亡きのちの仏教は輪廻を肯定し、仏教思想のなかに組み込まれることになった。 << 仏教教団も当時のインドの人々が圧倒的に信じていた世界観・人生観の根本である輪廻思想を決して無視することはできず、むしろ教団の発展のためには否応なしに受容しなければならなかったという社会的な背景があったと想像できる。その結果、教団においては輪廻を受け入れつつ教理が多様化し、展開したのであろう。>>・・・並川孝儀著『スッタニパータ』参5より 仏教に組み込まれた輪廻では、命あるものは、業の力により、六道(天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)の間で生死を繰り返す。善いことをしても、悪いことをしても、その思いが業の力を生み出す。善いことをすればその業の結果として、天に生まれることができる。しかし天にも寿命があり、老・病・死の苦しみから逃れることはできない。 仏教ではこの輪廻からの離脱(解脱)を至上目的とした。その輪廻を生み出す業を生まないためには、業の力となる思いを生む煩悩、この煩悩を消すことだけの生活スタイルが求められた。出家し修行に専念することである。「自分の問題は自分で解決しなさい」という峻厳なものであり、何か不思議な力が救ってくれるというものではなかった。 しかし、誰もが出家者になれるものではない。健康で意志堅固で条件に恵まれた人に限られる。女性や老人、病人など本当に救いの必要な弱者は取り残された。このような状況のもとで、釈迦が亡くなってから500年後の紀元前後に、出家至上主義の仏教を小乗仏教と批判して、大乗仏教運動が起きた。 これについて、佐々木閑著『般若心経』参6では、釈迦時代の仏教を“釈迦の仏教”と呼んで、次のように記している。 << 大乗仏教の登場には、修行の道に入りたくても入れない人々の気持ちに応えるという側面もあったのです。 日本はほぼ完全な大乗仏教国で、「祈って救われる仏教」がスタンダードだと思われていますが、それに比べておおもとの「釈迦の仏教」がどのくらい厳しいものか、例を挙げて説明しましょう。 たとえば、心に大きな苦しみを抱いていて、仏教の助けを借りたいと思っている人がいるとします。大乗仏教ならば、毎日仏像に向って祈りを捧げるとか、仏の名前を一心に唱えるとか、お経を読むとか、いろいろな方法はあります。とにかく仏の力を信じ崇めれば救われるという思いがあります。しかし、「釈迦の仏教」はそのようなわけにはいかないのです。 本気で仏道に励みたいと思ったら、出家して「サンガ(僧団)」と呼ばれる組織に入らなければなりません。そのためには、仕事も、地位も、財産も、家族も、それまで持っていたものすべてを手放さなければいけません。よほど決意がなければできないことです。まずここからしてハードルが高いのです。 なぜ在家ではいけないかというと、「釈迦の仏教」は自力で修行し、自力で煩悩を滅し、自力で自分を救うことを求めます。その実現のためには毎日瞑想を続け、悟りを目指して自分の心と向き合わなければなりません。これは並大抵のことではなく、そのための集中した生活に入らなければ無理なのです。>> 菩薩の誕生 釈迦が亡くなって500年、紀元前後に、出家至上主義を自利に専心する小さな乗り物、小乗仏教と非難する人たちが出てきた。彼らは、出家でも在家でもブッダを目指せるとして大乗仏教運動を起した。そして自分たちの正当性を主張するため、次々と大乗経典を創作した。 例えば、大乗経典として人気のある『般若心経』がある。ここでは、「釈迦時代の仏教」を教理面から支えた「アビダルマ(ダルマ=法、の研究の意:論書)」 ―― ここには人がこの世を認識する仕組み ・・心身を構成する五蘊、認識する器官としての六根、認識する対象としての六境、結果として生じる六識・・ などの関係が詳細に記され、出家者の修行の指針となった。 ―― に書かれた五蘊、六根、六境、六識注3などは空であるとし、さらには釈迦が苦労して得た「十二支縁起」、「四諦八正道」などのメカニズムも空と断じた。 「釈迦時代の仏教」期、釈迦が亡くなってから、釈迦を讃えるために、釈迦の前世の生涯を描いた物語、ジャータカ(本生譚)がたくさん作られた。釈迦は菩薩(詳しくは菩提薩埵=悟りを求める人)として、幾世にも渡って生きとし生けるものを救ったという善行(利他行)を集めた物語である。その無数の利他行の結果、今生で真理に目覚めてブッダになった。 本来、この菩薩という言葉は、釈迦の前世のことを指した言葉である。大乗仏教では、この菩薩に注目した。出家、在家にかかわらず、「悟りを求める心を起し、利他行を積んで仏になる」、と固い誓いをたてれば“誰でも”菩薩になれると説いた。 さらに、観音、地蔵などの諸菩薩は、人びとを救う誓いをたて、救済に尽くしている菩薩とされ、菩薩信仰も生まれた。 なお、スリランカ、タイ、ビルマは、熱心な仏教国である。しかし、これらの国は、「釈迦時代の仏教」期に伝わった仏教であり、菩薩信仰はない。 菩薩の願い 毎朝、読誦しているお経の一つに『修証義』がる。『修証義』は、日本曹洞宗の開祖である道元禅師の著書、『正法眼蔵』の中の文句を主として集め、信仰実践の書として、明治24年(1891)、曹洞宗宗務局から発行された。 その「第四章 発願利生」には、次のように書いてある。 << 衆生を利益すというは四枚の般若あり、一者布施、二者愛語、三者利行、四者同事、是れ即ち薩埵の行願なり、・・・>> (人びとを助けるという仕方には、四種の智慧の実践があります。一つ目は広く施すこと(布施)であり、二つ目は愛の言葉(愛語)であり、三つ目は人助け(利行)であり、四つ目は相手の立場になって導く(同事)ということです。これは菩薩の願いの実践なのです・・・) 菩薩の利他行には、布施・愛語・利行・同事の四つがあるとし、次のように記している。 布施とは貪らないことである。ささやかな金銭や物、たったひと言の教えでも人にさしあげ、その働きを真実ならしめる。渡しに船を置き、橋をかけ、人の暮らしを治め、産業に努めるのも、本来、人の役に立つ布施の利他行である。 愛語よく廻天の力あることを学すべきなりという。面と向かって真心や愛のある言葉を聞くと、人は喜びが顔にあらわれ、心がゆたかになる。陰で真心のある言葉を聞くと、心に刻み魂に銘じて感動する。憎い敵を説きふせ、権力者同士を和解させて争いを回避させるのも、愛の言葉が根本である。 慈しみの心で、赤ちゃんを見るような気持で、言葉を使うのが愛語による利他行である。 利行ということは、身分の上下にかかわりなくだれにでも、困っている人を助ける手立てを働かせることである。「人助けを先としたら自分が損をする」と、愚かな人は言う。しかし、そうではない。人助けというのは真実世界の働きである。平等に、助ける者も助けられる者も救われる。無心に助けずにはいられない痛みに突き動かされる利行による、利他行である。 同事ということは、逆らわないということである。 自分の立場にも逆らわず、相手の立場にも逆らわないことである。たとえば、釈尊はさとりにいながら人間の言葉で語り、悲しみをともにしたように、相手の気持ちを自分のほうへ融和させて、その後、自分の慈悲と智慧を相手に同化させて導いた。このような道理をつくした配慮をすることである。同事とは相手の立場になって導くという利他行である。 年齢を重ねると、「人のため」に何かをしたいという心境が強くなる、と文章の初めに記した。人のために何かをすることは、心を満たし、心の安定にも寄与するという。「菩薩の願い」を、無理なく自然体で楽しく行いたい。
注1. 無明(無知) →行 →識 →名色 →六処 →触 →受 →愛 →取 →有 →生 →老死
四 諦
八正道
注3. 五蘊
六根・六境・六識
注1〜注3は、佐々木閑著『般若心経』参6から
参 考 有田秀穂著『「心のバネ」を強くする』ぱる出版参1 友松圓諦訳『法句経』講談社学術文庫参2 中村元訳『ブッダの真理のことば感興のことば』岩波文庫参3 中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫参4 並川孝儀著『スッタニパータ』岩波書店参5 佐々木閑著『般若心経』NHK出版参6 佐々木閑著『仏教は宇宙をどう見たか アビダルマ仏教の科学的世界観』化学同人 佐々木閑著『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』NHK出版新書 小堀光詮著『菩薩の道をあゆむ』春秋社 丘山新著『菩薩の願い』NHKブックライブラリー 中村元監修 奈良康明編集 石上善應編著『仏と菩薩』 水野弘元著『修証義講話』曹洞宗宗務庁 中野東禅監修『曹洞宗のお経』双葉社 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップページにもどる |