仏性(ぶっしょう)・天台本覚(ほんかく)思想2014.9.24
 木村清孝氏は、「キリスト教では、人間を超えたものとして神を考えるが、(人間と)仏との関係はどうか」という質問に対し次のように答えている。

<< 神は存在するもの、仏は成るもの、そこに大きな違いがあると私は考える。阿弥陀仏(あみだぶつ)も仲間であるというのが大乗仏教では基本的な考えで、三千の仏があるとも言う。釈尊が偉大であったため、我々がいくら修行しても阿羅漢(あらかん)に達するのが精一杯という(とら)え方も生まれるが、大乗仏教では確実に仏に成ると考える。あえて仏に成らない菩薩(ぼさつ)が生まれてくる。菩薩の坐に留まるということが、大乗の利他(りた)的、あるいは慈悲的な精神を重視する考え方の一つの現れと思う。>>・・・『仏教徒フォーラム』日本仏教懇話会より

 

キリスト教をはじめとした一神教では、絶対的な神の存在を信じることを前提とした宗教である。これに対し、仏教は、今から2500年前に釈迦族出身の王子、本名ゴータマ・シッダッタによって始められ、ゴータマ・シッダッタ自身が修行によりブッダ(目覚めた人・悟りに達した人)になったように、基本的には各人がブッダを目指す宗教である。

 

仏性(ぶっしょう)如来蔵(にょらいぞう)思想

各人が修行によって悟りを目指すといっても、すべての人が悟れるわけではない。

出家し、釈迦のもとで修行する比丘(びく)1には、約250戒(比丘尼(びくに)は約350戒)にもおよぶ守るべき規則があった。250戒のなかでも最も重く、僧団追放になる四つの戒、「四波羅夷(はらい)がある。この四つの戒は、

1.他者と性的な交わりをおこなってはならない。

2.他人の物を盗んではならない。

3.人を殺してはならない。

4.自分が悟っていないことを知りながら故意に自分は悟っていると言ってはならない、という戒である。

悟るということがいかに難しかったかが、この4番目の戒を定めたことからもわかる。

1比丘(びく)とは出家し受戒した男性を指す。僧とは梵語(ぼんご)のサンガの音訳である僧伽(そうぎゃ)を略したもので、本来、比丘(びく)比丘尼(びくに)の僧団を指す。

修行をかさねても悟りにははるかに遠く、修行に疑問を持ち、やめたいと思う人も出てきたに違いない。このような状況で生まれたのが仏性(ぶっしょう)如来蔵(にょらいぞう)思想である。

末木文美士著『日本仏教史』では次のように記している。

<< この凡夫(ぼんぷ)と仏の距離を圧縮するという点で重要な役割を果たしたのが、如来蔵・仏性の思想である。如来蔵も仏性も意味するところは同じで、衆生のなかに内在する成仏の可能性のことである。元来の仏教ではこのようなものを想定する余地はないが、(略)仏の悟りと凡夫の距離がきわめて大きく考えられると、修行をつづけてもいつになったら悟りに達するかわからず、修行への意欲が失われることにもなりかねない。そこで、凡夫と仏を結ぶものとして如来蔵・仏性がたてられることになる。すなわち、凡夫のなかにも仏の性質が内在しているわけであるから、要は煩悩(ぼんのう)の曇りを(ぬぐ)い去って内在している仏性を顕現(けんげん)させればよく、修行に時間がかかっても仏性が失われることがないから、その点不安をいだく必要がないわけである。この思想は、インドやチベットの大乗仏教では主流とはならなかったが、中国・日本ではほとんどすべての仏教思想がこの上に築かれているといってよいほどの大きな勢力となった。(略)

仏性思想自体はもともとインドに由来するものであるが、中国・日本と渡ってゆくうちにさらにいっそうの展開を示すようになる。その一つは、凡夫から仏にいたる距離を圧縮してゆく傾向である。>>


  天台本覚(ほんかく)思想

大乗仏教では、“煩悩(ぼんのう)菩提(ぼだい)(=悟り)”、あるいは“生死(しょうじ)(=迷い)即涅槃(ねはん)=悟りの境地)”などという言い方をする。

煩悩(ぼんのう)がそのまま悟りの縁となり、生死(しょうじ)がそのまま涅槃(ねはん)の縁となる。煩悩があるから悟りがあり、生死があるから涅槃がある。煩悩も生死も仏の世界のあらわれであり、この現実の世界がそのまま仏の悟りをあらわしているとされた。

この思想は、日本の中世の天台宗においてさらに展開され、凡夫(ぼんぷ)本仏論をも生み出した。のちに “天台本覚思想”と呼ばれたものである。

「この現実の世界に生きる凡夫こそ仏のすがたである。日常の行為・生活のほかに、とりたてての修行は必要ない」とまで極論された。

この本覚思想について、先の末木文美士著『日本仏教史』で次のように記している。

<< その後院政期注2になると、「仏性」にかわって「本覚」という語が多用されるようになるとともに、その内容もすっかり変わってしまう。それはどういうことかというと、「本覚」が単なる内在的な可能性ではなく、現実に悟りを開いている、という意味に転化してしまうのである。すなわち、衆生のありのままの現実がそのまま悟りの現れであり、それとは別に求めるべき悟りはない、というのである。それゆえ、もはや悟りを求めて修行する必要はなく、修行によって悟りを求めようとする立場は始覚門とよばれて、低次元の考え方とされる。さらに、それは衆生の次元だけの問題ではなく、これは「草木国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」といわれて、中世の歌曲などで愛好される。

こうしてきわめて汎神論(はんしんろん)的な世界観が形成されることになる。>>
  2院政期:平安時代後期、白川上皇(1068年)から鎌倉幕府成立(1192年)までの約100年(引用者注記)。


  道元

鎌倉時代初期に生まれ、日本の曹洞宗の開祖になった道元(1200-53)は、最澄(さいちょう)が開いた天台宗の比叡(ひえい)(たず)、14歳で出家した。通説では、天台三大部3書かれているという本来本仏性(ほんらいほんぽっしょう)天然自性心(てんねんじしょうしん)(人は生まれながらにして清浄で、もともと悟りを得ている)、ということが道元には釈然としなかった。「人は悟りを得ているなら、なぜつらい修行をしなければならないのか」、という疑問を持った。その疑問に答える人は比叡山ではみつからなかった。

3天台三大部とは、中国天台宗の開祖である(ちぎ)(538-597)が著した『法華玄義(ほっけげんぎ)、『法華文句(ほっけもんぐ)、『摩訶止観(まかしかん)をいう。また法華(ほっけ)三大部ともいう

 

日本の臨済宗の開祖は栄西である。その栄西が開山である建仁寺を、18歳の道元はたずねた。栄西の高弟である明全(みょうぜん)に師事し、24歳で明全とともに入宋した。中国天童寺の如浄(にょじょう)のもとで修業し4年後に帰国した。

帰国後、修証一等(しゅしょういっとう)修証一如(しゅしょういちにょ)(修行と悟りは一体のもの)、本証妙修(ほんしょうみょうしゅ)本来悟っている上での修行)を唱えた。

通常、修行は証(悟り)を得るための手段とされるが、道元は、修のなかに証を見、証のなかに修のあることを説いた。そして、本来すべての人々に備わってはいるはずの悟りを顕現(けんげん)させる本道が、坐禅修行であると揚言(ようげん)した。そして次のように悟りと修行について述べている。

<< この法は人人(にんにん)分上(ぷんじょう)にゆたかにそなわれりといえども、いまだ(しゅ)せざるにはあらわれず、(しょう)せざるにはうることなし >>・・道元著『正法眼蔵 弁道話』

(この悟りは、人々に豊かに備わってはいるが修行しないと現れない。悟らなければ、悟りがどういうものかを体得できない)

 

悟りがどういうものかを体得してない私は、この「悟りの上での修行」を、「手とその働き」に置き換えて類推した。

誰でも持っている手は、物をつかんだり投げたり、手話をしたり、絵を描いたり、料理をつくったり、ハンドルを握ったり、弓を引いたり、数限りない働きをする。これらは手を使いこなすことで、手が持っている本来の働きの一端が顕現(けんげん)したのである。

サンデーモーニングというテレビ番組をよく見ている。ゲスト出演した元プロ野球選手のピッチャーが、握ったボールを手のひらから数ミリ単位で離すことで、それぞれ球種が変わってくるというようなことを話していた。投球を工夫し練習することで、新たな手の働きが現れたのである。

「手は誰でも持っている。しかし手を使わなければ、手の新たな働きは現れない。手の新たな働きが現れなければ、手の働きの新たな価値を知ることはできない」。

悟りへ到る道ではなく、悟りそのものの道を、修行の(ともしび)をかかげて確認しながら歩む。

道元の言う「悟りと修行」は、このような関係とみてよいのだろうか。


  道元の悟り

成仏(じょうぶつ)」という言葉がある。岩波仏教辞典(第二版)では、次のように解説している。

<< 仏・ブッダとなること。悟りをひらくこと。仏教でいうところの真理(伝統的に <> と呼ばれる)に目覚めること。<作仏(さぶつ)> <得仏(とくぶつ)> <成道(じょうどう)> <得道(とくどう)>などと訳される。()

中国・日本において大乗各宗の成仏の捉え方は多様であるが、衆生は本来仏性(ぶっしょう)(成仏するための因子)を有するという如来蔵(にょらいぞう)思想などを背景に、この肉身のままに釈尊と同じ悟りの境地を体現できるとする <即身成仏(そくしんじょうぶつ)> という考え方が根底にある。即身成仏を説く代表とされる密教では、歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)の過程を、真言を唱えることによって代替できると考え、成仏を身近な位置に引き寄せた。このような発想は、表現は一様ではないにせよ、華厳(けごん)宗の疾得(しつとく)成仏の説や、天台宗の初住位(しょじょうい)での成仏、また、禅宗の <直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)> つまり、自己の心〈清浄なる本性〉を徹見することが成仏に結びつくとする頓悟(とんご)の主張などにも通底しよう。さらには、念仏の功徳により阿弥陀(あみだ)仏の安楽(あんらく)世界に往生してから成仏すると主張する浄土教でも、成仏が手の届き易い位置にする点では同じ流れに属すると考えられる。特に、浄土真宗では <往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)> 、すなわち、往生がそのまま成仏であると考える >>

このように、日本の各宗派により成仏(悟りをひらくこと)については、多くの捉え方がみられる。

私は臨済宗系の坐禅会にも参加している。正式会員になると師家(しけ)から公案(こうあん)が与えられる。公案とは、師が弟子を試み、指導するための問題を意味する禅語である。私は坐禅会の責任者に、公案と悟りの関係を聞いてみた。公案に答えること、それが悟りであると言っていた。公案となる禅語は数百あるそうである。


それでは「道元の悟り」とはどのようなものなのだろうか。

道元著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう) 現成公案(げんじょうこうあん)』には、つぎのような一文がある。

<< 仏道をならふというは、自己をならふ(なり)

   自己をならふというは、自己をわするるなり。

   自己をわするるというは、万法(まんぽう)(しょう)せらるるなり。 

    万法に証せらるるというは、自己の身心(しんじん)および他己の身心(しんしん)をして脱落(だつらく)しむるなり。>> 

仏道修行とは、自己を(きわ)めることである。

自己とはなにか、何を指して自己というのか、自己を究めていくとこれが自己だという絶対的な存在がないことがわかり、自己にとらわれない境地に到達する。   

 自己にとらわれない境地になると、自己が独立して存在しているのではなく、自己はあらゆる存在・事象に関係し、そのはたらきを受けていることを悟る。

自己があらゆる存在・事象に関係し、そのはたらきを受けていることを悟ると、自己と自己以外が一体であることにいたる。

 

これが本来の自己に目覚めることであり、世界の真のありようであると気付く。「この目覚め気付きを体得し、しかもさらに行持(ぎょうじ)続けることが仏の心であり、その心を保ち続ける」、これが道元の揚言する悟りの上での修行ではないのだろうか。 


 追 記
 道元著『正法眼蔵 坐禅儀』には、
 << 坐禅は習禅(しゅうぜん)にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚(ふぜんな)修証(しゅしょう)なり >>
 という一文がある。
 例えば“習字”というと、文字を正しく、美しく、速く書くための手段である。

坐禅は、精神統一や瞑想のための手段としての“習禅”ではない。命と心を開放する安心(あんじん)の教えの門である。不染汚心(ふぜんなしん)(人間的意志が働きだす以前のあるがままの心)で坐る。悟りの上での修行を信じ、確かめ続けていくということである。

 

不染汚心(ふぜんなしん)で坐るということはどういうことであろうか。私は次のように理解している。

坐禅には、今までの経験・知識・価値判断などの意識や分別を持ち込まない。いかなる思いが浮かんでも、浮かぶに任せ消えるに任せて一切取り合わない。期待・疑問・感情などを持ち込まず、心のはたらきを()め「ただひたすら坐る」ことである。


 これは、坐禅のときだけではなく、「ただひたすら掃除をする」、「ただひたすら提唱(法話)を聞く」、「ただひたすら音楽を聴く」、「ただひたすら歩く」など、日常生活においてもできることがあると思う。

参 考

木村清孝『凡夫の道と菩薩の道』H20.5.20『仏教徒フォーラム』日本仏教徒懇話会

編集=平川彰その他『講座大乗仏教6如来蔵思想』春秋社

岩波講座 東洋思想第十二巻 『東アジアの仏教』岩波書店

栗田勇著『最澄と天台本覚思想』作品社

末木文美士著『日本仏教史』新潮文庫

高崎直道監修『如来蔵と仏性』春秋社

佐々木閑著『出家とはなにか』大蔵出版

袴谷憲昭著『本覚思想批判』大蔵出版

浅草寺仏教文化講座第58集 頼住光子『道元に学ぶ』

『岩波仏教辞典(第二版)』岩波書店

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