遍路独り旅(2) |
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今回の遍路は2回目である。平成16年4月6日に東京駅から徳島駅行きの夜行バスに乗り、翌7日、一番
参りを終えて、5月16日に帰宅した。40日間の遍路行である。この間、体重は7キロ減り、ウェストは10センチ細くなった。ザックの重量が6キロ強なので、ちょうどザックの重量分、体重が減り、何も持たないで歩いたと同じ条件になったが、体が軽くなった実感はない。 旅館や札所で一緒になった人に、歩き遍路は2回目だというと、2回もするその動機を聞く人が何人かあり、私は次のような意味のことを話した。 前回、夏に歩いたこともあり、歩き遍路は少なく、ほとんど一人だけで旧道や山道の遍路道を歩いた。道に迷わないように、遍路標識やガードレールに貼られた小さな遍路シールを、ひとつも見逃すまいと気を配り、例えば“この道はおかしいかなと思う直感”に気を配る。そして毎日が肉体的疲労の連続である。この時、強く感じた緊張感を再体験したかった。ストレスを癒すのではなく、ストレスを与える、お大師様から“活”を入れてもらいたいからである。 遍路に接する人々 数年にわたってではあるが、これまでに東京から北海道、九州、新潟まで歩いている。これらの歩きでも体力の限界まで歩くことがあり、体への負担は歩き遍路とかわりない。しかし、これらと遍路として歩いている時の大きな違いは、人々の歩き遍路に接する優しさを感じることである。
ある山村で、村はずれの幅2mくらいの坂道を、電動車椅子に乗ったお婆さんが上がってくる。電動車椅子がよくこんな坂道を上がれるなと感心しながら、近づいてきたお婆さんに会釈をすると、「ちょっと待ちんしゃい、どこから来たんね、私はもうお参りできんけん、ジュースでも買うて飲んでください」、と120円くださった。 中山峠を越えて重い足取りで部落に入ってきた時、お婆さんが近づいてきて、手を合わせながら、「気いつけてゆきんさい。がんばってな」、と言われ、その言葉のやさしさが心に沁みる。 街の中を歩いている時、これお接待にといって500円下さり、すぐ立ち去った作業服の中年の男性。貝を錦の布で包み、小鈴の付いた手作りのストラップをお接待だといって渡して下さった老人。札所の境内で、おにぎりと果物とジュースを入れたビニール袋を配っている人たち。店から出たところで出会い、お接待させてくれと、その店で買ったばかりのヤクルトをビニール袋から取り出してくれた女性・・・。 特に山村や農漁村では、行きあう人に会釈をすると笑顔が返ってくる。お気をつけての言葉が返ってくる。 これらの歩き遍路に向けられる姿勢は、心を和ませ、勇気を与えられる。 歩き遍路の人たち 民宿などの宿帳や、休憩所に置かれた遍路ノートに書かれた年齢や感想文を見ると、八十八札所を一度にまわる「通し打ち」の歩き遍路は、時間と費用に余裕のある60歳以上の定年退職者が圧倒的に多い。 宿舎では、毎日洗濯機を借りる。熟年者の中には洗濯機の使い方を、私に教わる人が何人かいた。多分、洗濯機など使ったことがないのであろう。奥さんが亡くなったらどうするのだろうかと人ごとながら心配である。
今年、第二の定年を70歳で迎えた、愛知から来たYさんは通し打ちをしている。この遍路行のために重さ20キロのザックを担いで、河原を毎日20キロ歩いて鍛錬してきたそうである。“遍路ころがし”と呼ばれる最初の難所である12番札所 東京から来た72歳のIさん。6回目の遍路行であるという。始めから終りまで私と前後して歩いたが、コルセットをし、革靴で歩いている。若いときに無理がたたり腰骨がずれているという。このため階段を降りる時は、一段一段カニの横歩きである。朝5時前に出発し、時間で距離をかせいでいる。何回か一緒になった宿では、毎晩ビール2〜3本と日本酒を飲み、同宿者にも振舞っていた。山道などでジュース缶やペットボトルが落ちていると拾って歩いていた。毎回、同じ宿に泊まるらしく、どの宿でも顔なじみであった。宿の女将さんの話では、独り身で、会社に貢献したということで経済的には余裕があるそうだ。本人は、ここ1年前から遍路を終えて自宅に戻っても、体重が元に戻らないと話していた。 27番札所の 遍路を終えたのち、60日かけて中国のシルクロード・ 携帯電話大のGPS(全地球測位システム)携帯端末をザックのポケットに差しこんで歩いている遍路がいた。相部屋になったその人は、ノートパソコンを取り出して、使い方を見せてくれた。携帯端末からデータをパソコンに入力すると、パソコンにインストールされた地図画面上に、白い線となって歩いた軌跡が描かれる。その白い線に矢印をもっていき、クリックするとその場所の緯度・経度と歩いた時刻が即時に示される。北海道をオートバイでツーリングしたときに、山中でも自分の位置が分かり、非常に役立ったそうである。 区間を限定して巡礼することを「区切り打ち」という。ゴールデンウィークや夏休みを利用して歩いている。今回、ゴールデンウィークに何人かそういう人に会ったが、4年目だという人や、10年ぐらいかかるかもしれないという人にも出会った。西国三十三観音巡礼、秩父三十四観音巡礼、坂東三十三観音巡礼を終えているという千葉から来た人もいた。
納経所
私が直接見聞きしたのは、納経帳と掛け軸に墨書・朱印をしている歩き遍路が、次の札所の納経所で、掛け軸のほうに墨書・朱印がされていないことを指摘され戻ってきた。納経所の人に事情を話し墨書・朱印をもらっていたが、その納経所の人は、確認しないあなたが悪い、ここに戻ってくる人は、娘さんをいじめた人が多い。あなたもそうでしょう、などと言っている。ひとことの謝りの言葉もない。納経帳と掛け軸を預け、墨書・朱印費用800円を先払いして頼んでいるのに。宿屋で一緒になったその人は、あの時、往復にタクシーを使用したので5000円かかったと言っていた。 納経所によっては、車で来た人から駐車料金や参道補修代を納経時に徴収することがある。歩き遍路かの確認もしないで要求された、と気を悪くした人の話も聞いた。 一部の納経所では墨書・朱印をしてやるのだという態度が見られる。この一部が札所全体の納経所の印象を悪くしているのは、残念ながら事実だと思う。札所は遍路の通過点であると思ったほうが良い。“遍路は札所から札所の空間が修行の場所である”と言われるが、まったく同感する。 宿泊所 私の場合、宿泊は民宿・旅館が主であり、宿坊・ビジネスホテルが続く。 高速道路などが開通し、道路事情がよくなると、車は遠くまで移動が可能なので、団体客は、設備の良い都市の旅館やホテル、宿坊などに宿泊する。札所近くの設備の悪い旅館などは敬遠するようになる。徳島県と高知県の県境にある民宿の女将さんが、神戸あたりから来る客は一泊していたが、明石海峡大橋ができた後、日帰りできる圏内になり、何軒か民宿が廃業したと話していた。 民宿だけでは成り立たないのか、ほかの仕事もあるので、世話は二人しかしないと断られたこともある。
遍路を相手にする民宿や旅館は、建物や設備が古いままのところが多いが、女将さんや親父さんは、話し好きで親切である。朝食は、早いところは6時から引き受けてくれる。さらに出発が早い場合は、朝食用のおにぎりや弁当を作ってくれる。洗濯は毎日するが、洗濯機はどこでも貸してくれる。洗濯機を借りようとしたら、客の衣類は全部私が洗っていると、下着まで取り上げてしまった民宿もあった。 思いがけない宿に当たることもある。国民宿舎土佐は、予約では、2食付きで5000円、2段ベットの6人部屋だと聞いて覚悟していた。しかし、山の頂にある建物はきれいであり、温泉の露天ぶろは、太平洋を一望する絶壁の上につくられている。風呂上りに、夕闇せまる太平洋の絶景を前にして、 この民宿のそばに、ある宗教団体の新しい会館がある。近所で子供のころから知っている人の嫁が建てたそうだ。その嫁は同居していた一人息子である夫の両親が亡くなると、その宗教団体の宗教活動にのめり込み、夫は首吊り自殺。その後、一緒に暮らしていた嫁の実母は心労のあまり急死。夫の葬儀のとき、その子供たち3人が、何もないのではと相談し、花輪を飾った。しかしそれを怒った嫁(この子らの母)は花輪を投げ捨て、代々の位牌も廃棄。結局、その葬式には近所の人は誰も参列せず、その宗教団体の人たちだけで行った。一番下の男の子は家を出て自活し、上の二人が母について宗教団体に入り、家族は崩壊。先祖代代大切にしてきた田畑を売り払い、その金で会館を建てた、とその民宿の女将さんは下の男の子に同情していた。 信仰のために人生があるのか。信仰のためには、なにをしてもかまわないのか。
その他 40日の間には、いろいろな体験をしたが、多くは忘れて、メモ帳を見て思い出すばかりである。 歩き初めは、疲れているのに、体がほてって眠れない。寝不足の次の日は眠れるが、次の日は眠れない。シャワーで足や体を冷やしたりしたが眠れない。この状態が一週間ほど続いた。10日目を過ぎてから、体が順応してきて熟睡できるようになった。他の人に聞くと、その人も体がほてると言っていた。 6番札所の安楽寺に向かう途中、しょうぶん出版社?の人が、本に使用する写真を撮らしてくれと頼まれ、2回ほど満開の桜の下を歩いてモデルになった。 79番札所の高照院手前に、 結願寺の88番札所の
NHK高松支局の撮影クルーが資料館の人に、この先の山中で撮影に適した場所を相談しているところにたまたま出会った。時間を許すなら、遍路が山中を歩いているところの撮影に協力してくれと頼まれ、1時間ほど撮影に付き合った。インタビューでは、3回も同じ質問をする。意図している方向に話をさせたいのは分かるのだが。 二回目の遍路では、遍路道を歩きながら、この坂を登ったところにお寺がある、この先にトイレがあったはずだ、休憩所もあったはずだ、などと思いだす。一回目に比べると遍路行に余裕が生まれる。四国には八十八札所のほかに、別格二十札所、奥の院などを含む番外霊場が160ヶ所近く挙げられている。今回は、足をのばして番外霊場を何ヶ所かお参りをした。 四国の巡礼は循環する。四国を一周してもとに戻り、また始めから巡礼する。終わりがない。納経帳にはそのたびに朱印を押す。朱院で余白なく真っ赤になったページに、さらに朱印を押しているところを見た。
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