知りあいのIさんは、すすめられた仏教の本を読み仏教に関心が向いたそうである。私に何回か疑問を寄せてきた。理解の範囲でお答えしたが、下記の文章はそれに追加した内容である。
「初期仏教」をアマゾンで購入して拾い読みしました。
よく理解できないとこらが多くありましたが、仏教はインドで2,500年前にブッタによりガンジス川流域で都市社会が成立し、新たに諸思想が乱れる中で出家教団を作ったことから始まった。この時代の社会的、宗教的背景のもとで悟り得て、多くに弟子を育成して、東南アジアでの社会生活の中に拡がり今日に至っている。
仏教は文字による経典が書かれてさらに広まり、あるときは時の王朝政治とも結びつき、絵画、仏像、文学などの人類文明の発展にも大きく貢献してきている。
次の箇所で理解できないところがありますので見解を教えてください。
1)第4章贈与と自律P116 :「5戒」の内 不殺生戒(生き物を殺さないこと)とありますが、この生き物とは何処までの範囲を示すのか? マムシなど人間に危害を与える生き物や地球の全ての生物を指しているのでしようか?
東京大学准教授馬場紀寿著『初期仏教』p122には次のように記しています。
【 仏教は、行為の原動力として意思に焦点を当てることによって、意思にもとづく倫理を組立てたのである。
「意思」を核として行為論を組立てたことは、仏教が生命の範囲を人間と動物にとどめ、植物に拡げなかったことを裏付ける。人間や動物には意思があるのに対し、植物には意思がないと考えたからである。意思がなければ行為をすることもないから、植物は輪廻せず、生命がないことになる。インド仏教には、日本仏教において顕著な「草木国土悉皆成仏」の思想はなかったのである。
また仏教は、意思の自発性を否定する見解を認めなかった。仏典は、全てが「前世で行われることを原因とする」とう運命論、全てが「主宰神による創造を原因とする」とう主宰神論、すべてに「原因もなく条件もない」という偶然論をみな斥ける(『増支部』3・61「外教処経」)。これらの説に立てば、全ての行為が運命なり主宰神なり偶然なりの産物になってしまうからである。そのように意思の自由がないところには、行為の善悪は成り立たないし、必然的に倫理は否定されることになる。
こうして仏教は、自業自得論を意思の自由を認めることによって基礎づけた。(略)
この論理的帰結として、自らの心を正すことによって、自らの行為を正すことが目指される。それは、あくまで自分で自分の行為を律することだから、共同体の秩序に従うとか、神の命令に従うといった他律ではない。・・・】
このように初期仏教では、マムシなどの動物は範囲に入るが、植物などは不殺生戒の範囲にあてはまらないとされている。
追記1
臨済宗の僧侶である松原泰道師は著書のなかで、「自然は人間がいなくとも生きていける。しかし、人間は自然がないと生きていけない」と記している。原発事故・気候温暖化などにより、人間は自然をなくし続けている。このように考えると、人間中心ではなく、自然と共生する「草木国土悉皆成仏」の思想が、現在とくに必要であると思う。
追記2
不殺生戒の戒律から修行者(僧侶)は肉食をしない。しかし、初期仏教時代には、修行者に布施するために殺した肉は禁じられているが、それ以外で布施された肉は食べたようである。
追記3
花園大学佐々木閑教授は、著書『日々是修行』のなかで、「不殺生は出来ない時代に」と題して、一文を書いている。
【 「殺生するな」と釈迦は言う。「殺している」と思う気持ちが、私たちの精神を劣化させ、苦しみを生み出すからだという。だから修行者は、一切の殺生をやめるよう命じられる。当時は、それが可能だと考えられていた。
だが今はどうか。この世は目に見えない微生物でびっしり覆われている。せっけんで手を洗えば、何億もの微生物が死ぬ。大根や人参もDNAでつながった生き物だから、一本でも引き抜けば、紛れもない殺生である。科学の発達は、私たちが殺生なしで生きられないことを明らかにした。日々是殺生の私たちは、とうてい釈迦の望んだ生活は送れない。
ではどうするか。基本は、心を劣化させないように努めるという一点にある。殺生せずに生きられないなら、それはそれとして受け止めよう。生きるために殺すのは仕方がない。教育や文化を守るためにどうしても必要な殺生もある。だが少なくとも、殺しそのものを楽しむ行為はやめる。他者の苦しみを見て喜びが生まれるなら、その人の心は間違いなく劣化していくからである。
食べもしない魚を遊びで釣ったり、害のない動物を娯楽のために殺したり、それはやめる。これが私の結論である。全国愛好家の皆さんには申し訳ないが、釈迦の思いを現代に生かす、これが唯一の方法であろうと考えている。 】
「私見―1」
日本仏教の「草木国上悉皆成仏」の思想がインド仏教にはなく、「不殺生戒」と結びつかなったことは理解できました。
2)第6章再生なき世を生きる P193:如来の死後は不可知である。
「如来は死後存在しないし、また存在しないのでもない」などと如来の死後に関する見解は無益だと答えている。
何となくわかる様で分かりませんので見解をお願いします。
死後の世界や仏や神の存在を信じますか。私自身は無神論者のつもりですが困ったときの神頼みの口ですが。
浅はかの知識で仏教などを論じるのは恥ずかしい次第ですが、一番関心のあるところでもありますのでよろしくお願いします。
岩波講座 『宗教と科学1 宗教と科学の対話』から、河合隼雄氏が序論に記している内容をお送りしたことがあります。
【 科学の知と神話の知を分けて考えるとき、前者については「知る」と言えるが、後者については「信じる」としか言えない、という考え方をする人がある。地球が球形であると知っているのであって、信じているというのではない。これに対して、来世があると信じることはできるが、知ることはできない、という具合にである。したがって、科学と宗教は次元が異なっているので「対話」の対象にならないと考えるわけである。】
私としては、すでに黄泉の国へいっている同級生、同僚、世話になった上司に黄泉の国で再会し、現世でのお礼や謝罪、苦労話、経験談などを話し合いたいものだと思っている。そういう意味で、来世があればいいなと思っている。
しかしブッダは、来世については、否定も肯定もしていない。『初期仏教』p193では次のように記している。
【 ブッダは、「如来の死後」についての問いそのものを斥けた。ブッダが明らかにするのを拒んだ10の見解のうち、4つがブッダの滅後に関するものである。「如来は死後存在する」「如来は死後存在しない」「如来は死後存在し、また存在しない」「如来は死後存在しないし、また存在しないものでもない」という見解である。
仏典によれば、ブッダの姿勢に不満をもったマールンキヤープッタという弟子は、これらの見解について明らかにしなければ、出家をやめて還俗すると迫ったという。これに対し、ブッダは見事な喩えを挙げて答えている。 たとえば、マールンキヤープッタよ、毒の塗られた矢に射られた人がおり、その友人仲間たちや親族縁者たちが矢を抜いてくれる医者を彼のもとに連れて来たとしよう。
彼がこう言うとしよう。「私は、私を射た人が王族か、祭官か、庶民か、隷民かわからないうちは、この矢を抜き取りません」と。
彼がこう言うとしよう。「私は、私を射た人がこのような名で、このような姓だとわからないうちは、この矢を抜き取りません」と。
かれがこう言うとしよう。「私は、私を射た人が長身か、短身か、中位かわからないうちは、この矢を抜き取りません」と・・・マールンキヤープッタよ、その人によって、それが知られなければ、その人は死ぬことになるだろう。 (『中部』「マールンキヤ小経」)
ブッダはこうまとめる。この毒矢に射られた人が尋ねている問と同様、マールンキヤープッタの問いが答えられことはない。如来の死後に関する見解は、涅槃に資さず、無益である。そのような主題は取り上げず、四聖諦という、涅槃に資し、有益なことこそが明らかにするに価する、と。】
涅槃とは、貪(熱望)、瞋(憎悪)、痴(錯誤)――「三毒」――の消滅とも定義される。この貪瞋痴をコントロールすることを、仏教修行は目指している。
「私見―2」
「知る」=科学で「信ずる」=宗教で、この二つは次元が異なるので「対話」の対象にならにいとの見解ですが、人類は宇宙の成り立ちの不思議などを知るために知識を原動力に未知の世界をあくなき探求して人類の発展があり、将来の継続されて行くとものだと思います。
アインシュタインはキリスト教徒でありながら、神の存在を認めず、信じていがなかったと聞きました。人間は分からなく理解できないものや、経験できないこと(例え死や死後の世界など)などがあると不安や恐れを感じた神や仏を信じ宗教に帰依するのでは思えます。この世の未知なるものが科学で全て解明されてたときには宗教、信じることの存在はなくなり、人類は安泰なユウートピアで暮らせるようになるのでは思えますが、少し飛躍しすぎていますか?
「私見―3」
如来の死後の問いかけに対してのブッタの見解「如来の死後に関するは無益だとする」は私に理解の範疇を超えており、理解できません。
「私の考え」
釈迦が王子のときに修行者の道に入るきっかけとなった伝説がある。若いときに経験した「四門出遊」の物語である。王子が住む城壁には東西南北に出入り門があった。
ある日、王子がある門から出てゆくと向こうから、背が曲がり、杖をついて、皺だらけの顔をした、痩せた人がとぼとぼとやってくるのに出会った。王子は付き人に「あの人はどうしたのか」とたずねた。付き人は、「あれは老人です。人は年を重ねるとだれでもあのようになるのです」と答えた。王子は考え込んでしまった。
またある日、ほかの門から出てゆくと、人が横たわっていた。顔は青ざめ、目はうつろで痛みをこらえながら苦しそうに息をしている。王子は付き人にたずねた。「あの人はどうしたのか。何があったのか」。付き人は「あの人は、病にかかっているのです。病はだれでもいつか、突然にでもかかります」と答えた。王子はふさぎこんでしまった。
また後日、三つめの門から出てゆくと、葬儀の列に出会った。運ばれている人は、青黒く変色し異臭を放って腐りかけていた。付き人が「あれは死人です。どんな身分の人も、どんな財産があっても、どんな善いことをしても、いずれ人は死を免れることはできません」と王子の問に答えた。王子はショックを受けた。
今は若く健康であり、何一つ不自由のない生活を送っていても、いずれ「老・病・死」が避けられないことを知った王子は、深く悩み苦しんだ。
その後、四つ目の門を出た。そこでは髪やヒゲはのび放題、ぼろ布をまとい、あばら骨が飛び出ているほど痩せてはいるが、何も憂いを感じない顔つきと生き生きとした目をした人に出会った。付き人は「あの方は身一つになって出家した、修行者です」と答えた。王子には感じるものがあった。
成長するにつれ、人生についてますます思い悩み、苦悩を深めた王子は、その解決のため出家し、修行の道に入ることを選んだ。
生きている限り、老病死は避けられない。そういう世界に生まれること自体も苦しみの始まりである。いわゆる「生老病死」の四苦である。
科学の発展により、老いを生ずる遺伝子の操作で老いがなくなり、いかなる病に対しても原因と治療が確立し、人間の寿命が200年、300年になり老病死からの苦しみから解放される可能性は考えられる。しかし、四苦八苦といわれる残りの四苦、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦はどうであろうか。
愛別離苦(親愛な者との別れの苦しみ)
•子どもを事故で亡くす
•愛する妻(夫)が男(女)をつくって逃げる
怨憎会苦(怨み憎み会う者に会う苦しみ)
•年月とともに相性が悪くなり家庭内別居を余儀なくされ、顔もみたくない
•指導した部下の能力に問題ありと思っていた部下が、上司となり、面と向かって指図してくる
五蘊盛苦(人間の肉体・精神が思うがままにならない)
•性欲に悩まされる
•他人と比較し卑下し、自分を見失う
求不得苦(求めているものが得られない)
•金がなくいつも金に不自由しない人をうらやむ
•自分の働きが評価されず、社内営業に励む人が評価されることが不満である
•自分に才能がないこと、これを自覚せざるを得ないことを嘆く
適切な例が思いいたらず、思いついたまま挙げてみた。
これらの時間的繋がりの変化(諸行無常)や社会的繋がり(諸法無我)から生ずる苦は、科学が発展しても無くならない「苦」ではないだろうか。
釈迦は、人間の煩悩の根源は、貪(熱望)、瞋(憎悪)、痴(錯誤)であり、これらが苦を生むとした。これを三毒と呼び、この三毒を消滅させることが涅槃にいたるとした。この三毒を消滅させる方法として、戒(習慣)、定(心の集中)、慧(英知)の修行を説いた。その処方が八正道(八聖道)の実践である。
八正道とは、正しい見解(正見)、正しい意思(正思)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生計(正命)、正しい努力(正精進)、正しい留意(正念)、正しい〔心の〕集中(正定)である。
八正道(八聖道)と戒・定・慧の関係は次の通りである。
戒(習慣)・・正語・正業・正命
定(心の集中)・・正精進・正念・正定
慧(英知)・・正見・正思
「のどの渇きを訴えるあなた達に、水のある場所への方向と行き方を示した。その道を歩むか否かは、あなた方自身がきめることで、私が決めることではない」という。
釈迦は、自立して歩むことを求めた。弟子たちを涅槃に導くため、弟子たちが納得し理解できる修行を指導した。誰もが知り得ないことにとらわれることは、修行に資さないとして是とも非とも答えず、避けたのである(無記という)。
追 記
釈迦が亡くなって500年、紀元前後に、出家修行主義を自利に専心する小さな乗り物、小乗仏教と非難する人たちが出てきた。彼らは、出家でも在家でもブッダ(目覚めた人)を目指せるとして大乗仏教運動を起こした。そして自分たちの正当性を主張するため、次々と大乗経典を創作した。初期大乗経典に属する般若経と呼ばれる一連のお経がある。このなかに日本でよく読まれている『般若心経』がある。
花園大学佐々木閑教授は、『100分de名著 般若心経』の著書なかで、この『般若心経』を「釈迦の時代(初期仏教)の教えを否定することによって、釈迦を超えようとしている経典」であるとし、次のように述べている。
釈迦時代の仏教(初期仏教)を教理面から支えた「アビダルマ(ダルマ=法、の研究の意:論書)――ここには人がこの世を認識する仕組み・・心身を構成する五蘊、認識する器官としての六根、認識する対象としての六境、結果として生ずる六識、・・などの関係が詳細に記され、出家者の修行の指針となった。――に書かれた五蘊、六根、六境、六識などは空であるとし、さらに釈迦が苦労して得た「十二支縁起」、「四諦八正道」などのメカニズムも空と断じた。そして次のように記している、
【 大乗仏教の登場には、修行の道に入りたくても入れない人々の気持ちに応えるとう側面もあったのです。
日本はほぼ完全な大乗仏教国で、「祈って救われる仏教」がスタンダードだと思われていますが、それに比べておおもとの「釈迦の仏教(初期仏教)」がどのくらい厳しいものか、例を挙げて説明しましょう。
たとえば、心に大きな苦しみを抱いていて、仏教の助けを借りたいと思っている人がいるとします。大乗仏教ならば、毎日仏像に向って祈りを捧げるとか、仏の名前を一心に唱えるとか、お経を読むとか、いろいろな方法があります。とにかく仏の力を信じ崇めれば救われるという思いがあります。しかし、「釈迦の仏教(初期仏教)」はそのようなわけにはいかないのです。
本気で仏道に励みたいと思ったら、出家して「サンガ(僧団)」と呼ばれる組織に入らなければなりません。そのためには、仕事も、地位も、財産も、家族も、それまで持っていたものすべてを手放さなければいけません。よほど決意がなければできないことです。まずここからハードルが高いのです。
なぜ在家ではいけないかというと、「釈迦の仏教(初期仏教)」は自力で修行し、自力で煩悩を滅し、自力で自分を救うことを求めます。その実現のためには毎日瞑想を続け、悟りを目指して自分の心と向きあわなければなりません。これは並大抵のことではなく、そのための集中した生活に入らなければ無理なのです。】
そして般若経について次のように記している。
【 「般若経」では、何億年にもわたって善い行いを積むよりも「般若経」を一度唱えるほうが価値があると言います。もっと極端なところでは、「般若経」を世の中の人にどんどん広めていくのが最高の功徳であるとも言います。しかし、釈迦自身は「自分の教えを広めることが、さとりのための功徳になる」とは、一言もいっていないのです。】
『般若心経』では、最後のサンスクリット語を音写して書かれた呪文
「羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶」(意味:行きましょう。行きましょう。とらわれなき世界へ。素晴らしいところへ、ひとり残らず。さとりよ、幸いあれ。)
を唱えることが最も肝心であるとした。
さらに日本では、平安から鎌倉時代にかけて、民衆のなかに仏教が広がるきっかけとなる宗派が生まれる。
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることが最も肝心である。唱えることで、この穢土から阿弥陀仏のいる極楽浄土に生まれ変わり、なんの憂いもなく修行にはげみ「さとり」を得ることができるとした浄土宗系。
「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることが最も肝心とする日蓮宗系や法華宗系。
宇宙と一体と考えられる汎神論的な大日如来をいただき、護摩を焚き、加持祈祷をして現世利益を重視する密教系。
仏教は、伝わった地域の異文化を受容する柔軟性「接触――受容――融合=変容」を持った宗教である。これが、良い意味でも悪い意味でも民衆に支持され広がった。
ダーウィンは、生き残る動物は、賢い動物でも強い動物でもない、変化できる動物であるといっている。これからも、高齢化による孤独、将来が見通せない不安からくる苦しみなどに寄り添う仏教が求められるのではないか。
|