神 秘 体 験 |
十余年前、中国人の気功師による実演を見に行ったことがある。見学者は30~40人であった。気功師が話した内容については忘れてしまったが、気功師が、皆さんの第三の目を見せてあげる、と言われて体験したことは忘れられない。
スライダック(電気の変圧器)につないだ二つの細い銅棒を、気功師が一本ずつ左右の手で握り、体に通電させながら電圧を上げていく。上げるにしたがい、途中でつながれた電球は明るさを増す。さらには、何個かの肉片を串刺しした銅棒を、同様に手で握って電圧を上げていく。肉片からは煙が出て、肉片は焼きあがってしまった。さらには、何個かの肉片を串刺しした銅棒を、同様に手で握って電圧を上げていく。肉片からは煙が出て、肉片は焼きあがってしまった。 その後、見学者に第三の目を見せるという話になったのである。
オーム真理教では、信者が経験した強烈な神秘体験が、オームに傾倒していく大きな動機であったことが言われている。例えば、光が見える、エネルギーが感じられる、かってない心身の快感や感動を味わう、意識が体を離れていく、過去世の自分を見る。これらの体験が解脱への道であるといい、煩悩からの解放・迷いの苦悩からの解放の証拠である、と教唆した教祖を絶対視する。教祖を絶対視するなかで、いわゆるマインドコントロール(心理操縦)が行われる。 信者を隔離して情報を与えず、睡眠不足と飢餓の生理的限界状況に信者を置き、教義を繰り返し繰り返し説く。こうして信者は、思考力を奪われ人格的整合性を損ない、指導者の意のままになっていくという。“神秘体験”という未知の経験を過大評価し、それを解脱と結びつけ、結果として自分の身を破滅させ、他人をも巻き込んだ。 日本の曹洞宗の開祖道元禅師(1200~1253)から四代目、曹洞宗大本山総持寺を開かれた瑩山禅師(1268~1325)は、曹洞宗の太祖と尊称され、高祖と尊称される道元禅師とともに、曹洞宗の両祖として敬われている。
『坐禅用心記』には、坐禅に対する心構え、作法などが綿密に述べられている。この中で、坐禅中に起こる心理現象を挙げておられる。例えば、 << 心若し或は沈むが如く、或は浮かぶが如く、或いは朦なるが如く、或は利なるが如く、或は室外を通見し、或は身中を通見し、或は仏身を見、或いは菩薩を見、或いは知見を起こし、或は経論に通利す。是の如き等の種々の奇特、種々の異相は悉く是れ念息不調の病なり。>> 心が、もし、あるいは沈みこんでしまったり、あるいは浮き浮きしてしまったり、頭の中がぼんやりしたり、あるいは頭の中がさえわたってきたり、あるいは部屋の外や身中を透視したり、あるいは仏や菩薩の姿が見えたり、あるいは頭の働きがするどくなったり、あるいは経典や論書の道理が分かるようになる。このようないろいろの奇特がおこることは悟りでも何でもなく、心と呼吸がととのわない禅病であると示されている。 ロボットを研究している人のエッセイに面白いことが書かれていた。ロボットに丸い物とそれ以外を分けるようにプログラムをする。ロボットは次々と丸い物とその他を取り分けてゆく。もしロボットに意識があれば、世界は丸い物とそれ以外だけで構成していると思っているに違いない。カエルの目は、おもに動いているものしか見えないという。動いているものが、カエルの目にとっての世界である。 参考 |