2008.10.7掲載)

法 句 経(友松圓諦訳) 

 
 

法句経(ほっくきょう)は、ダンマパダと()ばれ、現存経典(げんそんきょうてん)のうちの最古(さいこ)経典(きょうてん)の一つである。

ダンマは<(ほう)>すなわち<真理(しんり)>という意味(いみ)、パダは<ことば>という意味(いみ)である。

423()から()り、テーマごとに26(しょう)()けられている。

()かれている()は、()くは(やす)く、(おこな)うは(がた)し」である。このなから、()しめたい八つの()(えら)んだ。

 

 
法句経五番

まこと、(うら)みごころは

いかなるすべをもつとも

(うら)みを(いだ)くその日まで

(ひと)()にはやみがたし

うらみなさによりてのみ

うらみはついに()ゆるべし

こは(かわ)らざる真理(まこと)なり

 
法句経二十一番

精進(はげみ)こそ不死(ふし)(みち)

放逸(おこたり)こそは()(みち)なり

いそしみはげむ(もの)

()することなく

放逸(おこたり)にふける(もの)

生命(いのち)ありとも

すでに()せるなり

 
法句経五十番

他人(ひと)邪曲(よこしま)()るなかれ

他人(ひと)のこれを()

かれを()さざるを

()るなかれ

ただおのれの

(なに)()

(なに)()さざりしを

(おも)うべし

 
法句経百六十番

おのれこそ

おのれの救護者(よるべ)

おのれを()きて

(だれ)救護者(よるべ)

よくととのえし

おのれにこそ

まことえがたき

救護者(よるべ)をぞ()

 
法句経百八十五番

(そし)らず (そこな)わず

(いまし)めにおのれをまもり

(かて)において(ほど)()

(しづ)かなる(ところ)()して

しかも(やす)きに(じゅう)せざれ」と、

かく諸仏(ほとけ)(おし)えたまふ

 

法句経二百一番

()(もの)

(うら)みを(まね)かん

他人(ひと)(やぶ)れたる(もの)

くるしみて()

されど

そのいずれをも()

こころ寂静(しず)なる(ひと)

起居(おきふし)ともにさいはひなり

 

法句経二百四十番

(さび)

(てつ)より(しょう)ずれど

その(てつ)(みずか)らを

きづつくるがごとく

不浄(けがれ)ある行者(ひと)

おのれの

(わざ)により

悪処(あしき)にみちびかれん

 
法句経二百五十二番

他人(ひと)過失(あやまち)()やすく

おのれのとがは()がたし

他人(ひと)過失(あやまち)をただすこと

(ぬか)()()らすがごとし

おのれのとがは

(いつわり)りふかき賭者(かけし)

不利(ふり)骰子(さい)をかくすがごとく

(みずか)らをおほひかくすなり

 
 “坐禅へもどる”
 

トップページへもどる