第3章 アルガシティー
その日の夜遅くに下界に戻ってからは、ゼナは落ち込んでしまったスーチを慰めるので精一杯だった。はっきり言って今回のプレイはスーチの初心者誘導訓練にはならなかった。
「ねえ、スーちゃん、気を落としちゃだめよ」
「でも……あたし全然自信がなくなってきました」
「あなたは良くやってたわ。あたしだって今回はどうしようもなかったのよ。こんなのリブシェとジシュカがぶっ飛んで以来よ」
「そ、そうなんですか?」
「その上完全な不意打ちだし。だからあなたはもう忘れちゃった方がいいわ。ビギナーガイドの練習はまたしましょう」
「ううう……でも……」
その時隣の部屋からアルマとウォンが大声で喋りながら出てきた。
「なに? 33匹じゃと? おのれ! 5匹足りぬわ!」
「はっはっは! 俺の勝ちだな!」
「ふん! 妾はここは初めてじゃ! 負けて当然じゃ!」
「でも負けは負けだよな。100アウルム出しな」
「おのれ、本気で妾から取り立てる気かや? 何と業晒しな奴じゃ!」
「お前こそ約束破る気かよ!」
二人はぎろっと睨み合う。あの後二人はどっちがたくさん敵を倒せるか競争を始めた挙げ句そんな賭までしていたのだ。
それから二人がまたわめき始めようとしたときゼナが割って入って、いきなりウォンの耳たぶをひねり上げた。
「うあああああ! 何しやがる……んでしょうか?」
ゼナの表情が本気で掛け値なしに心の底から怒っている時の物だとウォンが分からないはずがない。
「アルマ、ちょっとスーちゃんと先に行っててもらえる?」
「あ、はい」
アルマもその表情に一瞬たじろいだようだが、それが自分に向けられたものではないと分かると、すぐにウォンに向かって舌を出してからスーチと一緒に行ってしまった。ウォンは何か言いたかったが、ゼナに耳をひねられたままだ。
二人が見えなくなるとゼナはきつい声でウォンを叱りつける。
「ちょっと! あなた何年インストラクターやってるのよ!」
「え? でも今回は……」
「そうよ! 今回はスーちゃんの訓練だったわよね?」
「え、まあ、そうですが……」
「だったら何なのよ。このお祭り騒ぎは!」
「え? いや、だってアルマが突っ込んでくし……」
「アルマはいいのよ。でもどうしてあなたまで一緒に突っ込んでくのよ?」
「いや、その……」
「ああいう場合もっと他にやりようがあるでしょ? あなたがアルマを抑えてくれても良かったし、黙って退いてスーちゃんに任せててもいいし。ぶち切れてるのがせめて一人だけだったらスーちゃんでも何とかできたかもしれないでしょ?」
ウォンはアルマにつられて街を破壊しまくった以上、反論のしようがなかった。
「その、すみません」
ゼナはウォンの耳を離すとため息をついた。
「ウォン。あなたの技術はみんな認めてるのよ。でもこういうところがイオ君に遅れてるの。だから本当に気をつけて欲しいのよ」
ウォンは返す言葉がなかった。
そんな調子でウォンがしぼられながらミーティングルームに戻ると、もう深夜零時近いというのに先に戻ったスーチとアルマの他に、イオ、ギメル、それにラーンまでが残っていた。
二人が部屋に入るとちょうどイオがアルマに言っているところだ。
「……てすごかったじゃない。びっくりしちゃったよ」
「それほどでもないと思うがのう……」
「ファイナルブレードってレベルが上がると急激に相手が強くなるんだよね。ギメルなんか絶対死ぬって言ってたけど。ウォンだったらともかくね」
それを聞いてギメルも言う。
「絶対外からは手を出すなって言われてたので、気が気じゃありませんでしたよ」
その時入ってきたウォンが割り込んだ。
「なんだ? お前何でこんな所にいるんだよ?」
「今回は早く終わったんだ。帰ろうと思ったらギメルに引き留められてさ。でもすごかったじゃないか。剣聖ウォン様が新人に5ポイントしか勝てなかったって?」
「うるせえなあ! ほっとけ!」
それを聞いてアルマがウォンを驚いたように見つめる。
「何? こ奴が剣聖だとな?」
「ん? 知ってるの?」
「ロクス・エテルナの称号ならばな。最も強く最も高潔なる者に与えられる称号じゃったが」
「あ、こっちのも何かそんな感じだね」
イオがにやにやしながら言う。
「ほう? で、そのような高潔なるお方が妾から100アウルムふんだくろうとしておるのかや?」
「賭けようって言ったのはてめえだろ!」
ウォンはアルマをにらみ返した。
「哀れな初心者の娘に対して本気を出してからに! 最初は花を持たせるのが当然であろうが!」
「敵ボス瞬殺しといてお前、何が初心者だよ! 図々しいっての!」
それを聞いてラーンが突っ込む。
「ああ? ウォン君? 給料日はまだなんだけど、無一文の子からお金を巻き上げようとしてるのかしら?」
ウォンはあたりを見回した。だが味方になってくれそうな奴はいない。
「……わかった、わかったよ」
ウォンがそう言った途端だった。
「うむ。おのれはなかなかうい奴じゃな。まあ今までの非礼も含めてこれで我慢しておれ」
アルマはそう言ってウォンにパック入りのコーヒーを投げて寄越したのだ。ウォンは慌ててそれを受け取ると反射的に礼を言ってしまった。
「あ、サンキュ……」
それからしばらく考えてからウォンは叫んだ。
「今までの非礼? 何発もぶん殴られた代償がこんだけかよ?」
ウォンはアルマに詰め寄った。その途端にアルマはウォンの手をねじり上げる。
「いてえええ、うああ、折れる!」
「おのれは、誰が近寄って良いと言うたかや?」
ウォンはぶつくさ言いながらアルマから一番離れた席に退散した。やられた割にはあまり腹が立たないの不思議がりながら。彼はそういうことは疎かったので、このあたりのアルマの行動の意味に気づいたのは、それからずいぶん後のことだった。
そんなウォンのささやかな幸せなど他のメンバーにはどうでもよいことだった。みんな興味があったのはもちろんアルマの方だ。
「それにしてもアルマ、見てたわよ。あれってプロ並みじゃない? 昔のこともっと聞かせてちょうだいよ?」
ラーンがまず尋ねる。続いてゼナも尋ねる。
「やったのはロクス・エテルナとベラトリックスって言ってたけど、本当にそれだけなの?」
「妾の時にはそれしかなかったのじゃ。ただずいぶんやったのは確かじゃな。ロクス・エテルナは5回ぐらい通したかの」
「5回?」
ウォンとスーチを除く全員が一斉に言った。それを聞いてスーチがギメルに尋ねる。
「え? それってそんなにすごいの?」
「ロクス・エテルナって、クリアまでには全速でプレイしても半月はかかるんだよ。普通のペースだと1~2ヶ月はかかると見た方がいい」
「へえ!」
ギメルの答えを聞いてスーチは目を丸くした。これは現在の基準から言うと極めて大規模なゲームということになる。
だがそれを聞いてアルマはぽかんとした顔で言った。
「いや、慣れれば1週間で何とかなるぞよ」
「そんなにやってたの?」
ゼナが驚いて尋ねる。
「だからそれしか無かったのじゃ。4~5回目になるとほとんど惰性じゃ。他にあればそっちをやっておったわ。それにシステムのテストのためにも何度も繰り返す必要があったのじゃ」
アルマはみんながどうしてそんなに驚くのかよく分からない風だった。だが突っ込みは更に続いた。
「システム? テスト?」
今度はラーンが不思議そうな顔をして尋ねる。それに対してアルマはさらっと答える。
「パラシータ通りのアジトにNSEシステムを入れたのじゃが、その時まともに動かせる物はロクスしかなかったのじゃ。だから妾はタダでやりまくることができたのじゃが」
「えっ? パラシータ通りのアジトって? まさか……」
ラーンの顔がますます真剣になっていく。
「ああ、すまぬ。チームDXの開発本部じゃ。カイと妾がおったところじゃ。カイがロジックを担当しておったのじゃ。妾はずっとテストプレイと言いつつ遊んでおった」
「チームDX?」
それを聞いて今度は全員が突っ込んだ。その剣幕にアルマもたじたじとなる。
それも仕方ないだろう。チームDX。NSEゲーム業界でその名前を知らない者はいない。例えて言えば物理学者にとってのアインシュタインに相当するとでも言えば分かりやすいだろうか? そして、先週雇ったアルバイトが『一般相対論を作るときお手伝いしてました』と言っているようなものなのである。
「いや、隠すつもりではなかったのじゃ。ただ何となく言いそびれてな」
しどろもどろのアルマにラーンが更に尋ねる。
「じゃ、テストプレイしてたってのは、ベラトリックス?」
「ベラトリックスが動き出してからは、そうじゃ。あのころはパンタシオと言うておったが」
そして宇宙を語るときには相対論が欠かせないように、現在のNSEゲームを語るときチームDXの作った“ベラトリックス”というゲームを抜きにしては語れないのだ。現在当然のように使用されている様々な仕組みがこのゲームによって確立されたようなものなのだから。
「何でもっと早く言わないのよ!」
ラーンが叫んだ。アルマは小さくなって答える。
「でも、1500年も前のことじゃ! スリーパー社会復帰センターの者も、そんな昔の技など今の時代には全く通用せんと言うておったし……」
確かに一般論としてはその通りなのだが……
「まあ、とにかくこれで分かったわ。上手なはずだわ」
ゼナがつぶやいた。ベラトリックスのシステム開発時のテストプレイヤーであれば、当然と言えば当然である。
謎が一つ解けて全員が納得した所で、スーチがぼそっと言った。
「あの。でもそれだったら、アシスタントとかじゃもったいなくないですか」
それを聞いてゼナがはたと手を打った。
「そういえばそうよね。アルマ、あなたインストラクターをやってみる気はない?」
アルマはぽかんとした顔で問い返す。
「あの、いま一つよく分かっておらぬのじゃが、インストラクターとはゲームの中でいったい何をしておるのじゃ? 妾の頃にはそのようなものはなかったのじゃが……スー殿がされておったような案内かや?」
「それも一つの仕事だけど、それだけじゃないのよ。他にもエキスパートゲームでのサポートとか、ゲームマスターをする場合もあるの」
「?」
そこでゼナはインストラクターの役割について説明を始めた。
「インストラクターっていうのは、スーちゃんがやってたのを見れば分かるように、まずは初心者の誘導が仕事ね。お客様に何度も来て頂くためには、このゲームがおもしろいって思ってもらえないとだめでしょ? そのためには上手な誘導がとても大切なのよ」
「ふむ。それはそうじゃな」
アルマはうなずいた。それを見てゼナは続けた。
「でもね、それだけじゃなくて今度はとても難しいゲームをプレイするときにもインストラクターが必要なの。エキスパートゲームって言ってるけど。そういうところに一緒に行ってあげて、プレーヤーの手に余るところをやってあげたり、サポートしてあげたりね。こういう依頼も結構あるのよ。だからインストラクターはゲームに深く習熟してないとお話にならないのよ」
「アルマの場合そこは心配ないものね」
スーチの言葉にアルマはまだ半信半疑のようだ。
「そうじゃろうか?」
「ウォン君とタメ張れるんなら大丈夫よ」
それに対してゼナも太鼓判を押す。アルマはウォンの顔をちらっと見る。そこでウォンが彼女に笑いかけると彼女はそっぽを向いてしまった。
「それからゲームマスターだけど、スーチがちょっとやってたわよね? 最初あなたがザコを何人か叩きのめしたとき、彼女はゲームのレベルを調整したでしょ?」
「ああ、それで敵がたくさん出過ぎたというあれかや?」
「すみません……」
「まああれはともかくね、インストラクターが一緒に行けば、知らない間にプレーヤーのレベルに合わせてゲームバランスを調整してあげることもできるわけ。また状況に応じて設定にない事件を起こしてあげたりすることもあるわ。こうやってうまく介入してあげることで、ゲームをずっとおもしろくしてあげられるのよ」
ゼナの説明にアルマは納得したようだ。
「ほう。そんな仕事じゃったのか……じゃがそのようなことが妾にできるじゃろうか? 妾は客相手の商売などは疎くてな」
「最初からみんなできる人はいないわよ。あなたの場合ゲームの熟練度は十分じゃない。何するにしてもまず熟達したプレーヤーであることが必須条件なのよ。後はすぐ覚えられると思うわ」
「ふむ……しかし妾がインストラクターになってしまったらスー殿は?」
アルマはちらっとスーチの顔を見た。彼女が一生懸命勉強しているのは見ての通りだ。それを横からやってきてさらってしまうような気がしたのだ。だがゼナは笑って手を振った。
「あ、それなら全然大丈夫よ。今でも手が足りないぐらいなのに、近々拡張しようかという話もあるの。そうなったら二人増えたって十分忙しいわよ」
それを聞いてアルマは笑みを浮かべた。大いに興味が出てきたようだ。
「ふうむ。で、インストラクターになるにはどのぐらい時間がかかるのじゃ?」
「人によりけりね。でもやっぱり一人前になるには速くても1年はかかるかしら……それまではアシスタントをしながらトレーニング期間ね。何年経っても仕事を覚えてくれない人もいるけどね」
そう言ってゼナはウォンの顔を見る。
「そ、そんなことないでしょ。俺だって頑張ってるんですから」
「別にあなたのことを言ってないじゃない?」
ウォンは返す言葉もなく黙り込んだ。だがアルマはその間考え込んでいた。
「ふうむ。妾にできるというのであれば、是非やってみたいものじゃ……」
アルマはそうつぶやいたが、すぐに大きな声を上げた。
「ああ! でもだめじゃ。妾はジェストコーストに行かねばならなかったのじゃ!」
それを聞いて他のメンバーもアルマの当初の目的を思いだした。スーチがアルマに尋ねる。
「ねえ、行ったらもう戻ってこれないの?」
「それが、全然分からんのじゃ」
それを聞いてイオが言った。
「いくらうちが安月給でも、1~2年働けばそのぐらいの旅費は溜まるよねえ。ってことはアルマがいられるのはそのぐらいの期間てこと?」
「安月給は余計でしょ!」
そう言ってラーンがイオをにらみつける。
「ううむ、そんなトレーニングまでしてもろうて、すぐ出ていってしまうというのはあまりにも恩知らずじゃのう。やはりアシスタントに留めておくしかなさそうじゃ」
そう言ってアルマはがっくり肩を落とした。それが残念なのはゼナも同様だった。
「でもあまりにも惜しいわ。営業スマイルなら練習ですぐ身に付くけど、ゲームに熟達するには時間がかかるし、才能がいるわ。あなたなら十分なのに」
といってもどうしようもないものはどうしようもない。重苦しい沈黙が場を支配した。
その時それまで黙っていたギメルが言った。
「ねえアルマさん。アルガシティーに行く理由は、そういう伝言があったからだって言いましたよね。それだけが頼りだと」
「そうじゃが?」
アルマは訝しそうに答える。
「他には何もなかったんですか?」
「なかったとは?」
「いちいち現地に行かずともここでも調べられることはたくさんありますよ。その辺はみんな調べられたんですか?」
「といってもメッセージが一つあっただけじゃ。社会復帰センターの者も、これでは行ってみるしかないだろうと言うておった」
「アルガシティーに来いと一言ですか?」
「正確にはな、『ジェストコーストのプーマ地方の首都。良く知ってるところだ。俺はそこにいる』とかいうメッセージじゃったがな」
「え?」
それを聞いてギメルは少し驚いたような声を上げて、それから不思議そうに尋ねた。
「あの、本当にそういうメッセージだったんですか?」
「ああ。間違いない。で調べたら、プーマ地方の首都がアルガシティーじゃった」
ギメルはちょっと考え込むと、手首に手をやった。すると壁にモニターが現れる。
ギメルの指の動きに合わせてモニター上に情報が流れていく。すぐに画面上にはプーマ地方の地図が現れた。それを見ながらラーンが言った。
「間違いはなさそうね」
「そうですね……でも何か引っかかりません?」
「ええ。びんびんにね」
そう言ってラーンがにやっと笑う。
「あの、一体何が問題なのじゃ?」
よく分からないという風のアルマの問いに、ギメルが答えた。
「だって何でそんなナゾナゾみたいな言い方したんでしょうか? 素直にアルガシティーで待っているって言えば良さそうなのに」
それを聞いてイオが口を挟んだ。
「首都って変わってないの?」
それを聞いてギメルがまた指を動かす。同時に地図が1500年前のアルマが生まれた時代の物に変わった。
「首都の場所は変わってませんね……あ、ただ名前が違いますよ。ローウェルタウンだって。この辺の街が合併してアルガシティーになったんでしょうかね。それ以外には別に変わったことは……」
だがその途端にアルマが弾かれたように立ち上がった。
「ローウェルじゃと?」
一同は驚いてアルマを見る。彼女はしばらく宙を見つめるようにして両手を握りしめていたが、やがて大きな声で笑い出した。
「あそこか! あっははは! それならば納得もいくと言うものじゃ!」
「あの、分かるように説明してちょうだいよ」
笑い続けるアルマにラーンが尋ねた。
「ローウェルタウンじゃ。アリエス島にある街じゃ。最初はゴーストタウンになっておってな、夜になったら幽霊がわんさと出てくるので、うっかりキャンプしたら大変なのじゃ。でも昼間は景色はいいのじゃ」
それを聞いて一同は思った。幽霊が出てくるゴーストタウン? 彼女は正気なのか? だがなぜか同時に異常に親しみの湧く場所でもあるのだが……
「ちょっとアルマ! そこってもしかして、どっかのゲームの中?」
ラーンの言葉にアルマは平然と答える。
「そうじゃ! ローウェルタウンとはベラトリックスの中にある街じゃ」
それを聞いて一同は呆気にとられた。
「そうじゃ、ラーン殿、ここにベラトリックスはござらぬか?」
アルマの問いにラーンは目を見開いた。
「ちょっとアルマ、ってことはその伝言の主はゲームの中にあなたに対するメッセージを残したってこと?」
「カイのことじゃ。間違いござらん! ベラトリックスのロジック部はカイが手がけておるのじゃ。そのようなことは朝飯前じゃ!」
「今手元にはないんだけど、ちょっとギィ、探してみて。多分そう簡単には手に入らないと思うけど……」
「わかりました」
それからギメルはあっちこっちにつないではベラトリックスを検索した。しばらくしてギメルが顔を上げたのでラーンが尋ねる。
「どうだった?」
「うーん。あることはありましたが、やっぱり移植じゃなくてリメイク物ですね」
「オリジナルは?」
「バイナリのアーカイブは見つけましたが、ソースはなしです。どっちにしろ動きませんが」
「そう。やっぱりね……」
それを聞いてラーンは残念そうに言った。
「どうなったのじゃ?」
アルマの問いにラーンはばつが悪そうに答えた。
「実はね、今から600年ぐらい前にAPIセットのメジャーバージョンアップがあったのよ。それでそれ以前のバイナリはもう動かないの。今動いてるベラトリックスはその後に仕様を元にどこかがもう一度作り直した物なの。だからあなたへのメッセージはまず無いわね。それが仕様書にあったんなら別だけど」
その言葉にアルマの顔が曇った。
「ということは、動くベラトリックスのオリジナルはもうござらんと言うことかや?」
「まあ、そう言うことになるわ」
「さようか……お手数をおかけしたのう……」
それを聞いたアルマはどよーんと沈みこんでしまったが、誰も彼女にかける言葉が見つからない。それからしばらくしてイオがギメルに言った。
「なあギィ。アーカイブはあるって言ってたよな。コードからそのメッセージを探せないのか?」
だがギメルは首を振る。
「そりゃちょっと無理ですよ。140ペタもあるのに。それに暗号化されてたらどうしようもありませんし」
「だよな……」
だがその時ラーンがふっと顔を上げるとギメルに言った。
「ねえギィ。あなたアルマがかわいそうだと思う?」
「え? いったいどういうことです?」
ラーンは何故か妙に嬉しそうな顔をしている。アルマを除く周囲の者は嫌~な予感がした。この顔はラーンが何かとてつもないことを思いついたときの顔だ。
「しばらくあたしの仕事の分も働いてくんない? 1週間ぐらいでいいと思うんだけど」
「そんな、死にますよ。いったい何されるんです?」
彼の場合人間とは違うので顔色はよく分からないが、いわゆる“真っ青”という状態だっただろう。こういう場合一番しわ寄せが来るのがギメルだ。
「あのさ、ちょっとエミュレータ作ってみようかなって。うまく行けばそのぐらいで動かせるんじゃないかしら」
「マジですか? 1週間で?」
「あたしを誰だと思ってるのよ? そんなに信じられないの? 大体基本的な部分のエミュレータはあるんだし、本体がネイティブでしか動かないっていっても、UNSFから逆コンバートしてつなげばうまく動くはずでしょ?」
「確かに理論的にはそうですが……」
ギメルは頭を抱えている。
「二人ともいったい何を話しておるのじゃ?」
何か妙な風向きになってきたのでアルマはゼナに尋ねた。だが、ゼナが答える前にラーンがアルマに言った。
「アルマ、あなたそのカイのメッセージを聞きたいんでしょ?」
「え? それはそうじゃが」
「だったら私に任せなさい! 1週間後にはベラトリックスに入れるようにしてあげるわ」
「でもラーン、1週間後は予約が一杯なんだけど……」
慌てたようにゼナが口を挟む。
「そんなのキャンセルよ!」
「できるわけないでしょ!」
「何言ってるのよ。キャンセルして頂くのよ!」
「ラーン、まさかあなた……」
ゼナは青くなって止めようとした。だがラーンは取り合わない。
「何よ! 才能あるインストラクターを雇えるかどうかの瀬戸際でしょ! ゼナ、あたしはあなたのためを思ってやってるのよ!」
「ああ! もう……」
ゼナは諦めた。こうなってしまったラーンが誰にも止められないのはもう長年のつき合いで明らかなのだ。
「じゃあ準備があるんであたしは帰るわ」
そう言ってラーンはさっさと帰ってしまった。
残った者はぽかんとして互いの顔を見合わせるばかりだ。
「あの、いったいどうなったのじゃ?」
そう言うアルマの問いにゼナが諦めたように答える。
「聞いたでしょ。ラーンがやる気になっちゃったの。たぶん来週本当にベラトリックスに入れるわ」
アルマの顔がぱっと明るくなる。
「ほ、本当かや?」
「ええ。間違いなくね。ついでにギィが半死半生になって、予約入れてたお客さんの元に悪い知らせが行ったりするかもしれないけど……」
その言葉の意味が理解できるまでアルマはしばらくかかった。
「ちょっと、ちょっと待たれ! そ、そこまでせずとも……」
だがアルマを取り巻く一同の顔には何か悟りのような表情が浮かんでいた。それを代表するようにギメルが言う。
「まあいつものことです。気にしないで下さい」
「……」
「それより少し質問があるんですがいいですか?」
いまだに状況が掴めずぽかんとしているアルマにギメルが尋ねた。
「何じゃ?」
「コールドスリープの目覚めのメッセージってやっぱり重要ですよね。でもあなたの兄君のカイさんですか。そんな重要な物を、どうしてゲームの中なんかに残したんでしょう? 冗談やってる場合じゃないと思うんですが」
「う……それは……」
なぜかアルマは言葉に詰まった。更にギメルは畳みかけた。
「それにゲームの開発をしていた彼がどうして系外惑星探査に行ってしまったんですか? あなたがコールドスリープに入った理由は確かそうでしたよね?」
「……」
アルマは下を向いて黙り込んでしまった。周囲の者は互いに顔を見合わせる。
「あの、すみません、何かまずいことを聞いてしまいましたか?」
あまりにもアルマが黙り込んでいるのでギメルが恐る恐る尋ねる。それに対してアルマは顔を上げて答えた。
「ううむ……どうせ短いつきあいじゃと思っておったから隠しておったが……こうなっては話しておいた方が良さそうじゃ」
アルマは一同の顔をゆっくり見渡しながら言った。
「実はな、カイが系外惑星探査に行ったというのは嘘じゃ。コールドスリープの申し込みをするときでっち上げたのじゃ」
「嘘? それじゃどこに?」
ゼナが驚いて言う。
「それは知らぬ。どうせ人には言えぬ所であろう。カイが妾を眠らせたのは、足手まといにならないようにしたのじゃろうて」
「足手まとい?」
イオが繰り返した。足手まといといえば足手まといだろうか? これってよく聞く言葉だが、使われる文脈が結構限定されるような……
「妾が捕まって人質にでもされたら、カイは動きが取れぬようになる故」
それを聞いて全員が凍り付いた。
「ちょっと、アルマ、あなた……」
ゼナが何か言おうとしているがろれつが回っていない。素直な質問をしたのはウォンだった。
「人質? おまえそんなやばいことに首突っ込んでたのか?」
「妾ではない! カイじゃ。妾はカイにひっついておっただけなのじゃ」
「はあ。でそのカイは何でゲームなんか作ってたんだ?」
「追っ手を欺くためじゃ。最初はチームDXなど田舎の零細企業であったから適当だったのじゃろう。元々カイが何をしておったのかは知らぬ。物心付いたときには妾はカイと共に暮らしておった。カイはしょっちゅう仕事や住む場所を変えておった。思えばあのころからずっと逃げ回っておったのじゃな」
「逃げるって誰からだよ?」
「妾は知らぬ。ただ何度か怖い輩に襲われたことは覚えておる。それ故カイは妾に身の守り方なども教えてくれたのじゃ」
「って、人のぶん殴り方か?」
「そうじゃ。ついでに言うなら、刃物や銃の使い方もな。おかげでゲームをするときにも困らずに済んだし、おのれの毒牙にもかからずに済んだのじゃ!」
そう言いながらアルマは笑った。どうやらウォンの質問はアルマの緊張を解くには非常に有効だったようだ。
「あっはっはっは、良かったな。役に立って」
ともかくアルマの過去がこんなだったとは全くの予想外だった。ウォンのせいで少し場は和んだにしても、基本的に状況が重たいことには変わりない。またみんなは黙り込んでしまった。
しばらくしてイオが言った。
「でもそうするとそのメッセージって、結構やばい情報だったりしないか?」
それを聞いてウォンが言い返す。
「やばい情報ってどんなんだよ?」
「ええ? 例えば……どこかの犯罪組織の名簿とか……秘密取引の情報とか……」
一同は顔を見合わせた。
「アルマ、何か思い当たることある?」
ゼナの問いにアルマは首を振る。
「……妾にはさっぱりじゃ」
「本当にそんなのがあったらみんな狙われたりしないの?」
スーチがおびえたような顔で言う。だがそれを聞いたギメルが落ち着いて答えた。
「多分そういうことはないんじゃないでしょうか?」
それを聞いたゼナが言った。
「どうしてなの?」
「ゲームの中って、そういう物の隠し場所としてはあまり適してないでしょう? 個人宛のメッセージでもオペレーターからは丸見えですよ」
「たしかに、それはそうね」
「それにそもそもこれって1500年も前の話ですよね」
それを聞いて全員が吹き出した。いかにもそうだ。アルマが目の前にいるのでつい先日のような気になっていたのだ。
安堵したウォンが言い出しっぺのイオに突っ込む。
「何だよ! イオ! てめえもう少し考えてから物を言えよ!」
「ああ? 一緒になって心配してたのは誰だよ!」
二人は口論を始めたがもちろん誰も気にとめない。そんな物は無視してゼナはアルマに言った。
「アルマ、ありがとう。話してくれて」
「すまぬな。嘘をついておって」
「気にすることないわよ。これからはね。でも公式にどう記録しておくのがいいかはちょっと考えた方がいいわね。これは明日ミースやエイドリアンと相談しましょう」
「かたじけない」
「それじゃ今日は遅くなったし、明日からはギメルは忙しくなるでしょ? 今日は終わりにしましょう」
確かにインパクトのありすぎる話で、みんな頭がくらくらし始めていた。もっといろいろ聞きたいことがあるような気もしたが、今日はそろそろ限界のようだ。
一同は立ち上がって帰り支度を始めた。だがウォンは最後の最後にまたボケをかましてしまった。
「お前も結構大変だったんだな」
「ああ、大変じゃったな」
「ま、ここにはろくな奴はいないけど、悪い奴はいないからな。でさ、でそのカイってそれからどうなったんだ?」
それを聞いた途端にアルマの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「え? え? うわ! いてててて!」
ゼナがまたウォンの耳をひねりあげたのだ。
「お、俺が何か悪いことしましたか?」
抗弁しようとするウォンにゼナは以下のように一言ささやいた。
『殺されたのよ!』
「!」
カイは危険を避けるためにアルマを眠らせたのだ。当然危機を脱してほとぼりが冷めたら彼女を迎えに来るはずだ。だが彼はついに彼女を目覚めさせることはなかった。彼のおかれた立場からその理由を考えてみれば、結論はただ一つ。そう。来たくても来られなくなってしまったのだ。
ウォンは慌ててフォローしようとして更に墓穴を掘る。
「あ、アルマ、まあそう気を落とすなって」
その時どんなお気持ちでした? と聞くよりはまだましだったとはいえ、デリカシーのない慰めである。アルマは黙って背を震わせている。
「えっと、なあ、アルマ……」
その時アルマが冷たい声で言った。
「ゼナ殿、このたわけを絞め殺してよろしいか?」
「しょうがないわね。死体の後始末はちゃんとやってよ」
「承知した」
「おい、待てよ、ちょ、ちょっと!」
もちろんだれも待ってはくれなかった。