第6章 カイ
この時点での三人の感想は“何だかひどく疲れた”というものだった。
彼らは見事にはめられたのだ。どうやらアルマの兄貴が仕掛けた悪ふざけにひっかかってしまったらしい。だがそれを怒ってもしょうがなかった。このたぐいのイースターエッグはどういうゲームでも一つ二つは仕掛けられている物なのだ。
三人はしばらくぽかんとして出てきた男の顔を見つめていた。
それからウォンがこっそりとアルマに尋ねる。
「おい、アルマ。なんだよ? これ」
「だから……カイじゃ」
アルマがうつむきながら答える。
「お前の兄貴ってこんなバカだったの?」
「まあ……そう言われても仕方ないぞな……」
スーチも同様にアルマに尋ねる。
「お兄さんってこんな顔だったの?」
「それは……うり二つじゃ」
最後にイオも尋ねる。
「君、マーって呼ばれてたんだ」
「……ああ、そうじゃ」
そして三人は口々に言う。
「こりゃちょっと洒落にならなかったぞ」
「全く驚かさないでよ」
「死ぬかと思ったぞ! コラァ!」
ところがそれを聞いてもアルマはうつむいたままだ。いつもならすぐ何か言い返すはずなのに。
「えっと、アルマ?」
スーチが心配そうにアルマの顔をのぞき込んだ。その途端アルマがスーチに抱きついて泣き始めたのだ。
「すまぬ! すまぬ! 妾は取り返しのつかぬことをしてしもうた!」
「ど、どうしたのよ、アルマ? ねえ、どうなったの?」
驚いたスーチがそう言った途端、それまで黙っていたカイがアルマに向かって喋り始めた。
「おや? マーは何だか取り乱してるようだね? どうしたんだい?」
それを聞いてアルマは振り返ると大声でわめいた。
「お、おのれのせいじゃろうが!」
「そう言われてもなあ」
カイはそう言って肩をすくめる。
「おのれは、どうにかできんのか!」
「さっきも言ったとおりそりゃ無理だって。僕は単なるシェルなんだよ。人格は付いてるけどね。物事を判断して実行する機能なんてないんだよ。っていうか、僕みたいなAIが大切な判断を下してしまったら、怒るのは君たちだろう?」
「そんなことは聞いておらぬわ! コマンドを中断する方法はないかと聞いておるのじゃ!」
「ああ? そうは取れなかったけどなあ。まあともかく、残念だけどそれはできないみたいだね。繰り返すけどカイはこのコマンドをすごく短時間でハックしなければならなかったんだ。だから行くところまで行かないと止まらないようにできてるんだな」
再びアルマはへたりこんだ。
周囲の者は二人の会話がどうもかみ合っていないことしか分からない。そこでスーチが割り込んだ。
「あの、アルマ、なんなの? これ……」
アルマは大きなため息をついた。
「おお、妾は頭痛がしてきおった。カイ、おのれ、こ奴らにもう一度状況を説明せい」
「ふむ。それならば簡単だ。頭痛の処置はいいのかい?」
「放っておけ!」
アルマが凄い顔でカイを睨む。だがカイは相変わらず涼しい顔をしている。
「それなら仕方ないね。でもひどくなったら言うんだよ。じゃあ説明しようか。その前に君たちの名前を教えてくれないか? どこのメモリーの隙間に突っ込まれたのか知らないんだが、君たちのことアクセスもできないんだ」
呆気にとられながらも三人は名前を教えた。
「うんそうか、イオ君にスーチちゃんにウォン君だね? それじゃ説明しよう。まず僕たちの置かれた状況だね。これはこういうことのはずだ。マーはコールドスリープから目覚めた。ところが起こしに来たのは最愛の兄ちゃんじゃなくて、どこぞの見知らぬ怖いおじさん達だった。あ、もしかしたらお兄さんとかおばさんとかかもしれないけど、おじさんにしとくよ」
三人は顔を見合わせた。こいつ何を言っているのだ?
「おじさん達はマーを無理矢理に連れ出して、ベラトリックスに突っ込んだ。おじさん達は少しは頭が回ったんだね。マーをジェストコーストまで連れていく代わりに、本当の場所を見つけちゃったんだから。そしてマーに強制したんだ。ローウェルタウンまで行って、カイのメッセージとやらを聞いて来いって。実はここには奴らにとって有用なメッセージなんてないんだけど、奴らがそんなこと知ってるわけがないだろ。だからこそこうしてマーを連れてきたんだけど、とにかくそういうわけでマーは宇宙で一番孤立無援な女の子になっちゃったわけだ」
「……」
「でもその時にマーはすてきなことを思いついたんだ。おじさん達にとってささやかな誤算だったのは、マーが宇宙で一番ベラトリックスに詳しい女の子だったってことなんだ。だからマーはこんな時に使えそうな素敵な呪文を知ってたんだ。これはとっても秘密の呪文だったんで、僕とマーしか知らなかったんだね。その呪文の効果はいろいろだった。必要に応じてどんどん入れ替えられてたからしょうがないけど。確か最後はみんなが無敵になる効果だったかな? あのブルードラゴンの谷を手っ取り早く通り抜けるにはそうしないとしょうがなかったからね。ともかくその呪文は“マーちゃんが困ってどうしようもなくなったときのすてきな呪文”っていうのが正式名称だったんだ」
三人はアルマの顔を見た。アルマは赤くなってうつむいた。カイというのはあまりネーミングセンスは良くないらしい。
「考えてみたら、今ほどマーが困ってどうしようもない状況ってないだろう? だったらそういう呪文を唱えてみたからってバチは当たらないよね。そうして奇跡は起こったんだ!」
「いったいどうなったんだよ?」
「君はウォン君だっけ? まあそう急ぐなって。とっても素敵なんだから。まずカイはこんな状況にマーが陥る可能性は最初っから想定してたってことだ。だからそこからマーが脱出するための方策もあらかじめ組み込んでおいたんだよ。そういうわけで今の“マーちゃんが困ってどうしようもなくなったときのすてきな呪文”の中身は“マーちゃんの極悪人のアジトから脱出大作戦”って内容になってるんだ。いいだろ?」
三人はやっと自分たちが置かれた状況を理解し始めた。だがそれにしてもこの男は何か非常に途方もないことを言ってないか? そこでイオが率直にその点を尋ねた。
「あの、ちょっと訊いていいですか?」
「もう僕たちは友達だからね。何なりとどうぞ」
「要するにあなたは、アルマを悪い奴らから逃がしてやろうとそういうことなんですよね?」
「おおむね正解だね。でもマーだけじゃなくて君たちも一緒に逃げられるように全力を尽くすさ」
「そりゃどうも。で、その場合、ゲームの中ならともかく、ゲームから抜けた後はどうするんです? そこにも敵はうようよいるんだし、あなたはゲーム中の存在でしかないですよね?」
それに対してカイは全く動じることはなかった。
「おお、君はイオ君っていったっけ? ナイスな質問だね。確かにゲーム外になると僕もここほど簡単には手出しできないね。だからこれから言うことはしっかり把握しといてくれよ。でないと思いも寄らぬゲームオーバーになっちゃうからね」
三人はまた顔を見合わせた。
「でも物事には順序ってもんがあるんだ。だからゲームから抜けた後の話の前に、ゲームの中での話をすべきだよね。いいかな?」
「え? そりゃまあ……」
「じゃあ、最初にまずちょっと確認をしておこうか。ベラトリックスを稼働させるには結構な設備が必要だよね。ベラトリックスのシステムをインストールして動かさないといけないし、NSEシステムはとっても高価だし、大量生産している物でもない。だからおじさん達がマーのためだけに自前のシステムを構築するなんて、あまり考えなくていいよね。既にベラトリックスが動いてるどこかのゲームセンターを貸し切りにするとか、ゲームの開発元を占領するとかするはずさ。ってことは物理的なセキュリティはあってもそこまでは厳しくないと想像できるね。軍事施設からの脱出みたいなことにはならないわけさ。でもそこにいる奴らはみんな敵だって思っておいた方がいいけどね。マーが決死の脱出をするのはこんな状況からなんだ。わくわくするだろ?」
そう言ってカイはイオにウインクした。イオはため息をつきながら答える。
「あまりそういう気にはなれないけどね」
「イオ君。君って悲観的なんだね。まあ人それぞれさ。それはともかく、マーが素敵な呪文を唱えたら何が起こるか説明しようね。まず第一にマーはコンソールから四六時中監視されてるはずだね。だから彼女をまずそこから自由にしないといけないのは分かるだろ?」
「ええ、まあ……」
「で、見たかな? 君たちのゴーストデータ。あの瞬間システムはあっちの方を本体だと勘違いしちゃったわけだ。当然コンソールにもあっちのデータがずっと映ってるんだよ。そうしたらそれを見てる奴だって、あっちの方が本物だと思っちゃうよね?」
そう言われて彼らは思い当たった。
「じゃあ、さっきの幽霊みたいなのは……」
イオの言葉にカイがにこにこ笑いながら答える。
「そうそう。あれがゴーストデータ。こうなってれば本物のマーは好きなことし放題だろ?」
いろいろありすぎてさっきの霊体のことはほとんど忘れかけていたのだが、彼らはやっと納得がいった。だがそれと同時に彼らは恐ろしい事実にも気が付いた。
「はあ、なるほどね……ってちょっと待てよ! じゃあラーンはこのことに気づいてないってことか?」
イオの問いにカイは眉をひそめた。
「ラーンって誰だい?」
「オペレーターだよ」
「あのさあ、イオ君。僕はそいつに気づかれないように必死にやってるんだぜ。あまり変なこと言うなよな」
この時になってやっと一行はとてつもなくまずい状況に陥っていることに気づいた。
《我が名はイオ・クロウリーなり。ここに真の名を以て異界の扉を開かん!》
イオは慌ててシステムコマンドの呪文を唱えてみる。当然ながら未だに効果がない。
「おいおい。僕がそんな手抜かりをするはずがないだろ? マーの敵にこっそりと通信されたりしたら困るじゃないか。何かやりたかったら僕を通してくれなきゃ」
「じゃあ……ラーンと通信できないかな?」
「残念だけどそれは却下だね」
カイはにべもなかった。
「でもそうしてくれないとまずいんだ!」
イオは必死に頼む。だがカイは首を振った。
「うまいとかまずいとかいった問題ではないんだ。僕はカイの人格を持ってはいるけどその実体は単なるコマンドシェルであって、この事件を管理しているプロセスとは全く別物なんだよ。僕にできるのはそのプロセスにお伺いをたてることだけであって、そっちがだめって言ったら僕にはどうしようもないのさ」
「ってことは、君がそうしたくてもできないってことなのか?」
「ああ。残念だけどそうなんだ」
イオも何かわめきたくなったが『モニターに怒鳴っても問題は解決しない』とかいう昔のことわざを思いだして、その思いをぐっと押さえつけた。
「……うう、わかったよ……で、何の話だったっけ?」
「そうそう。まだたくさん話さないといけないことがあるんだよね。それでさっきの続きだが、ゴーストデータを作った後は、君たちが動けないようにする必要があった」
「何でそんなことを?」
「ああ? 簡単さ。マーが確実に君たちの首をはねられるようにさ」
一同は全員吹き出した。
「何だって? この野郎! どうしてそんなこと」
ウォンがわめいた。
「ああ? 何で分からないんだい? 普通だったら絶対マーと一緒に入ってきた奴だって敵の仲間だろ? 当然そいつらも始末しないといけないよね。もちろん僕が問答無用に殺すこともできたんだけど、でもいくら敵だからってただ殺せばいいってのはちょっと短絡的な考え方だよね。だって生かしておいた方が利用価値が高いってこともよくあるじゃないか。だからマーが殺すタイミングを判断できるようにしたんだ」
それを聞いてイオが突っ込んだ。
「たしかにそういう前提ならそうですけど……でもここで首をはねたって、冥界送りになるだけで……」
「はっはっは。僕がカイ・ヴェッセルってことを知らないとそう考えるかもね。でも大丈夫なんだな。これが」
一行はまたまた嫌な予感に襲われた。
「君たちがどの程度知ってるかは分からないけど、NSE、すなわち神経情報代替技術てのは諸刃の剣なんだ。君たちの体を管理しているブースってのは、当然ながらゲームシステムにも密接につながってるんだよ。ってことはもう分かるだろ? 僕がその気になれば君たちの本体の心臓を一ひねりすることもできるんだ」
もちろん彼らはこの道で飯を食っているから、カイの言ったことは120パーセント理解できた。
「じゃ……まさか……」
イオが枯れた声で尋ねる。
「そう。そのために僕は君たちがゲーム中に死んだら、本体まで本当に死んじゃうような仕組みを作ったんだ。とってもクールだろ?」
三人はそれを聞いて絶句した。それからウォンが激高してわめいた。
「あのなあ! 俺達はマーの味方なんだよ! そんな仕組みさっさと解除しろよ!」
「ウォン君、そんな大声を出さないでも聞こえるよ。でも残念だけどそれはできないみたいだね。カイはこのコマンドを短時間でハックしなければならなかったんだ。だからそんなにかゆいところに手が届くような設計はされてないんだ。死なないように努力してもらうしかないね」
「勝手なこと抜かしてるんじゃねえぞ!」
暴れ出しそうになったウォンをスーチとイオはかろうじて止めた。イオがウォンにささやく。
『バカ、あまり刺激するなよ。何が起こるかわかんないぞ』
『す、すまん……』
その言葉を理解するぐらいの理性はまだウォンにも残っていた。
「そういうわけでこうなったらこのゲームの中ではマーが女王様なんだ。何でも言うことを聞かないと、ざっくりと殺されちゃうんだから、口の聞き方には注意するんだよ。特にウォン君って言ったっけ? 君、言い方が何か生意気っぽいから、真っ先にやられちゃいそうだね」
ウォンは真っ赤になったが何とか自制した。
「さてゲームの中はこんな感じなんだけど、重要なのはやっぱりゲームを抜けてからだよね。ようやくさっきのイオ君の質問の答えになるわけだ。そこでまず外の奴らがマーが脱出する邪魔をしないようにしなくちゃいけないわけだ。これがゲームの中の奴らなら好きなように手加減してやることもできるんだけどね、外となるとちょっと手荒なことをしなくちゃいけないよね」
「外にって、いったいどうやって手を出すつもりなんだ?」
それを聞いてイオが尋ねると、カイはあっさり答えた。
「ああ? 大体僕がどうして悪い奴に追われてるか知ってるかい? 実はね、僕はその筋ではちょっとは名を知られたクラッカーだったんだよ。ある日ちょっと愛に目覚めてね、足を洗おうとしたらこんなざまになっちゃったんだけど、それはともかく僕は、オンラインであればまあ大抵の物は思い通りにすることができるのさ」
イオ達はいきなりがんと殴られたような気がした。今時サイバーネットにつながってないシステムなんてあるはずがない。
「もし空調がマクロスイート社製だったらこれが一番いいんだ。これの大気成分調節機能が間抜けでね、追加する香料の分子構造をエディットできる仕組みが付いてるんだけど、ある種の猛毒になる分子がチェックにかからないんだ。これなら眠らせるのも狂わせるのも結構自由自在なんだけど、まあそうはうまくいかないだろうね。でも普通二酸化炭素の消火システムぐらいはあるからね、これを使うことになるだろうね」
一行は今度は目の前が真っ暗になった。
「や、やめて下さい! 外にいるのもみんな味方なんです!」
イオは叫んだ。だがカイは取り合わない。
「みんな? そんなことあるわけないだろ? まあそうだったとしてもこればっかりはあきらめてもらわないと」
「外にはギィがいるのよ!」
スーチも叫ぶ。だがそれを聞いてカイはきっぱりと言ってくれた。
「マーが生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ。僕はマーを助けるんだ。たとえ世界を滅ぼすことになろうとも、ね」
「……」
もはや処置なしである。それでもイオは最後の希望を託して言ってみた。
「あのですね、そもそも前提からして違っている可能性ってのは、考えてみないんですか? 例えばアルマがまったく違った理由であの呪文を唱えてしまったとか」
「例えばどんな理由だい?」
「ローウェルに効率よく行きたいためとか」
「そんなことのためにあの呪文を使うはずがないだろ? だってマーはレベル99のセーブデータを持ってるんだ。それを使ったほうが遙かに効率はいいよ」
「でも、そのデータはなかったんですよ。あれから1500年も経ってるんです」
「うん。そういう話はマーもしていたね」
「なら理解できるでしょ? まず状況が根本的に違うんです。だからこのままプログラムを実行させる意味はないんです」
「うん。その点は理解はできるんだけどね。僕は単なる人格付きのシェルに過ぎないことを忘れないで欲しいね。このたぐいの処理をしたいときには邪魔されないようにプライオリティーを最優先にするよね。ということは僕ごときではこのプロセスはどうやったって止められないんだ。分かるだろ?」
「じゃあ止めるためにはどうすればいいんです?」
「そうだね。無理に止めようとするならハードウェアの非常スイッチしかないね。でもそういうことをされたらまずいから、システムコマンドを殺して中から外には通信できないようになってるんだ」
イオは頭を抱えて座り込んでしまった。今彼らは最初にアルマがどうしてへたりこんでしまったか心の底から理解していた。
「そういうわけでこのプログラムを止めてしまうのは無理だってわかったかな。じゃあその続きの話をしよう。特にマーには聞いといてもらわないとね。さっきこのあたりで中断したけど、この後の方が重要なんだから」
それを聞いてアルマは顔を上げた。だが目の焦点はあまり合っていない。それでもカイは喋り続ける。
「さて外部制圧の準備が完了したら僕が合図をすることになっている。それに対してマーの方の準備もOKだったらそう言うんだ。すると実際に外部制圧実行ということになる。そして外の奴らがみんな逝ってくれて、安全になったらまた僕が合図するよ。そうしたら……」
「ちょい待ちや!」
アルマが大きな声を挙げた。
「何だい?」
「妾の準備とは何ぞや?」
「だってマーの都合を無視して進めてしまうとまずいこともあるだろう? 例えば捕虜からまだ聞き出さないといけないことがあるかもしれないし」
それを聞いて彼らに希望の光が見えてきた。
「ならば妾がOKせなんだったら?」
「そりゃ待ってるしかないよね。でもあんまり待たせたらタイミングを逸してしまうかもしれないよ」
「そうなったどうなるのじゃ?」
「そりゃ失敗ってことになるな。だからそんなことにならないように行動は迅速にするんだ。わかったかい?」
「……ああ、わかった」
「それじゃ続きを話そうか」
「結構じゃ」
「ええ? でもそりゃまずいぞ」
「いいから黙っておれ!」
それを聞くとカイは黙り込んだ。付加されている性格にはやや難があるが、人の命令は聞くようだ。
それから一行は思いっきり安堵の息をついた。どうやら最悪の事態は脱したようだ。ともかくそこでアルマがOKさえしなければ、プログラムはその先に進まないようになっているらしい。先にさえ進まなければそのうちラーンかギメルが何かおかしいことに気づくだろう。ラーンが目を覚ましたなら当然彼らにコンタクトをとろうとするだろうし、ギメルがいれば絶対スーチと話したがるはずだ。だがあのゴーストデータが彼らの細かい記憶を持っているとは思えない。すぐにぼろが出るはずだ。
それに対してカイが天才的な回避法を考えていたとしても、最悪でも3日我慢すればいいのだ。そうすれば有無を言わさずコネクションが切られるはずだ。
一同はやっとアルマの方に注意を向ける余裕ができた。アルマは真っ赤になってうつむいている。
「すまぬ。本当にすまぬ。妾が考えなしに行動したばっかりに、うぬらをとんでもない危険にさらしてしもうた」
アルマの言葉に三人は口々に答えた。
「まあしょうがないだろ」
「本当にもうどうなることかと思ったわ」
「あとでゆっくりと落とし前つけてやるからな」
ウォンは冗談のつもりで言ったのだが、アルマは肩を落としたまま突っかかってこない。
「な、何だよ、お前マジに落ち込んでんのか?」
「すまぬな……」
こうなるとウォンにはどうしていいか分からない。嫌な沈黙が場を支配する。それを破ったのはスーチだった。
「ねえ、そろそろ日が傾いてきたけど、ここ夜になったら出るわよねえ」
それを聞いてアルマが顔を上げた。
「そ、そうじゃ。早いうちに街に戻っておかねば。夜中に出てくる奴は相当始末に悪いぞよ。まかり間違って死んでしまったら大事じゃ!」
それを聞いてウォン達三人は背筋が冷たくなった。
一行は慌てて荷物をまとめると、街に向かって歩き出した。カイも後ろから付いてくる。何だかうっとうしいが、追い払うわけにもいかない。
街までは小一時間かかったが、来た道をそのまま引き返したので敵は出てこなかった。
街の門が見えたとき、後から付いてくるカイに対してふっとイオが尋ねた。
「なあカイ。準備ってどのくらいかかるか聞いてなかったけど?」
それを聞いてカイはすぐに答える。
「そうだな。普通なら10分、長くてその倍ってとこかな」
「な、なんだって?」
他のメンバーも驚いて立ち止まる。
「あのさ、あれから1時間は優に経ってるぜ」
ウォンの言葉にカイが応える。
「そうだね。どうも敵さんはそうとうやるみたいだね」
「やるって何を?」
「どうも制圧の試みがことごとく失敗したみたいだな。屋内の装置を使って制圧するのは不可能みたいだ。で、モードが切り替わってるね」
「モード? 一体なんのことだ?」
「だから、別なやり方に変更したんだ。現在の結論はカーゴ・スライダーの運航管理システムを乗っ取って、この建物に1台突入させるのがいいってことだね。この建物は最上階に管理系統が固まってるから、狙いやすいんだね。もちろん潰すのは管理室だけだ。マーに危険はないよ。でもこれだと皆殺しってわけには行かないかもね。マー、少し誰かと戦う必要があるかもしれないよ。すまないけど覚悟しといてくれ。やり方は教えたよね?」
一同はあまりのことに凍り付いてしまった。
「ちょっと待てい! どうしてさっさと言わぬのじゃ!」
「だって黙ってろって言ったのはマーだろ?」
「貴様! 妾の忍耐を試しておるか!」
「僕は単なるシェルに過ぎないんだ。だからあまり難しい判断はできないんだよ」
アルマはまたへなへなと崩れ落ちる。慌ててそれをスーチが支える。
「あ、そうそう。それでこの作戦に切り替わったんで、実行タイミングをいちいちマーに確認するわけにはいかなくなったんだ。相手が公共輸送機関ではそうそう突入タイミングを自由にはできないんだよ。だからそのときはこっちの指示に従ってくれよな。捕虜を尋問したり拷問するんだったら今のうちだよ」
「アホンダラ! やめんか! ボケ!」
「だから僕はシェルに過ぎないんだって。このプロセスを止める権限はないんだ」
「おのれ! そこに直れ! 叩き殺してくれるわ!」
そう言ってアルマはカイに斬りかかった。だが残念なことにカイには実体がなかった。おかげでアルマの攻撃は空を切るだけだった。
「やめてよ! アルマ! だめだって!」
完全にキれたアルマにはしばらく危なくて近づけなかった。そのうちアルマが疲れてへたりこんだ所をやっとスーチが子供をあやすように取り押さえる。
それからイオがカイに質問をした。
「ひとついいか? カーゴの管理システムを乗っ取るまでにどのくらいかかる?」
「さすがにこれは結構難物なんだよ。お子ちゃま共に一番人気の標的だからね。だからあっちもアタック慣れしてるんで、普通の方法じゃ歯が立たない。でも僕はカイ・ヴェッセルなんだ。その筋では伝説を残してる男なんだぜ。時間さえあれば確実に落として見せるさ」
それを聞いてウォンが言った。
「うちの社内システムでさえ落とせなかったくせに」
「だから敵さんは相当やるなって誉めただろ? どうもAPIの挙動がおかしいんだよね。普通なら絶対通るはずのコードがエラーで落っこちてくれるんだ。その理由がシステム全体がケージに入ってるからだとしたならば、あまり無茶はできないよね。敵さんの思う壺にはまってしまうかもしれないからね」
それを聞いてイオが納得したように言う。
「そうか! エミュレータで動かしてたからか!」
それを聞いて他のメンバーも納得した。ウォンでもそのぐらいの勉強はしている。アルマだけが今一つ分かってない顔だ。
彼らの入っていたベラトリックスシステムは、要するに古いOS上でないと動かないバージョンと思えば良い。それを無理矢理動かすためのエミュレータをラーンが不眠不休で作っていたのだ。
ところがクラックするときは通常システムの微妙な欠陥を突くことが多いが、エミュレータではそういった欠陥まで再現されないことはよくある。これがよくエミュレータではうまく動かないという騒ぎの原因になるのだが……
それに気づいたウォンがイオに言った。
「それじゃこいつ、外に行っても何もできないんじゃないのか?」
イオとウォンは顔を見合わせる。確かにエミュレータなどを持ち出さなければならなかったのは、平たく言えばこのシステムが過去の遺物だからだ。ならばもう心配しなくてもいいのではなかろうか?
「どうなんだろう。なあ、カイ、アタックの手応えはどうだ?」
「すごく順調だよ」
「順調? どこかのAPIとかで変なエラーは出たりしないか?」
「だからそういうのが出ないところを探したら、カーゴの運航管理システムだったのさ。ここは昔からクラック対策で、自前のシステムを使ってるからだろうね」
イオ達はそれを聞いてのけぞった。はっきり言って嫌な奴だ。
「そ、そうかい……で、結局どのくらい時間がかかる見込みだい? あはは」
「そうだね6時間から9時間ってとこかな? さすがに相手が大物だからね。ちょちょいってわけにはいかないんだ。でも千里の道も一歩から。蟻の巣穴から堤防は崩れるってね。そこの所は僕を信じて待っててくれ。だからその間あまり怪しいことはせず、おとなしくしてた方がいいよ」
「……」
一行は見事に振り出しに戻ってしまったようだ。