ノートスの奇跡 第8章 ペルナタウン

第8章 ペルナタウン


 ステーションのゲートをくぐって現れたのは、石造りの壁に覆われた大きな八角形の広間だった。その場所は松明で明々と照らされ、八角形の各頂点に当たる所から同様に八方に向かって回廊が延びているのが見える。

「ここがペルナタウンか?」

「そうじゃ」

 彼らは今、あの必死の戦闘で得たなけなしのチケットを使ってこの南の大陸に渡ってきた所だ。といってもゲートを使っての移動なので、ほとんどエレベーターで別な階に行くのとやっていることは変わりがない。だがエレベーターと違う所は、チケットなしで元の大陸に戻ろうとすれば原野や密林や荒海を越えて旅をしなければならないというところだ。

「かなり雰囲気が違うのね」

 建物の内装の様子を見ながらスーチがつぶやいた。それを聞きつけてアルマが説明する。

「うむ。ここは古代ローマをモデルにしておるそうなのじゃ。だからここの浴場はゲーム中で一番出来が良いのじゃ」

「あはは。もっと余裕があるときに来られたら良かったのにねえ」

「うむ。それに闘技場に出ればかなりの小金が稼げるしのう」

 今度はそれを聞きつけてウォンが口を挟む。

「へえ。そんな所があるのか?」

「出てみたいか?」

 アルマはにやっと笑ってウォンの顔をみた。

「相手はどんなんだ?」

 ウォンも嬉しそうに尋ね返す。

「ピンキリじゃ。じゃが前座なら今のおのれでも何とかなろうぞ」

「へえ。そりゃ面白そうだな」

 ウォンがうずうずしてきているのは明白だ。それに気づいてイオが釘を刺す。

「おい、そんなことしてる場合じゃないんじゃないか?」

 それを聞いてアルマがうなずいた。

「もちろんじゃ。懐かしくてついな。さあ商店街はこっちじゃ」

 そう言って彼女は広場から発している回廊の一つに皆を案内した。回廊の灯火は広間より少し減って、灯火の下げられた柱と柱の間のはかなり薄暗くなっている。その付近には昼間の明かり取りと思われる窓が何カ所もあるが、外は墨のように真っ暗だ。

「ここはもう夜なのか?」

 イオがつぶやく。ゲートをくぐる前はまだ陽はかなり高かったし、この大陸は南の大陸のはずだ。こんなに早く夜になるのだろうか? それは他のメンバーも感じていた疑問だった。それを聞いてアルマが答える。

「いやそうではないのじゃ。時間は経っておらぬ。そうではなくて、この街は呪われておるのじゃ」

「え?」

 一行は振り返ってアルマの顔をみる。アルマは歩きながら説明する。

「この街にはな、かつて発狂した王に逆らった魔導師がおってな、そ奴は捕らえられて拷問された挙げ句殺されてしまったのじゃが、その魔導師の最後の呪いのせいでこうして光が失われてしまったのじゃ。それ以来、建物の多くがこういった回廊でつながれてな、その中はこうして照らされておるから明るいのじゃが、ここから一歩出れば真っ暗なのじゃ」

 三人はうなずいた。彼らにとってはかなりおなじみのシチュエーションだ。

「じゃあ朝は来ないのか?」

 イオが尋ねるとアルマが首を振る。

「その通りじゃ。光を取り戻すには、街の地下に広がるダンジョンの奥底に眠る、その魔導師の屍を見つけて浄化してやる必要があるのじゃ」

 それを聞いてウォンが笑う。

「わはは。面白そうじゃねえか」

「ああ。面白いぞ。このダンジョンは地下9層にまで広がっておってな、全部回ろうとするとそれだけで1週間はかかるのじゃ。でも手に入るお宝はもう極めつけの物ばかりなのじゃ」

「極めつけって、どんなのがあるんだ?」

「例えばムラマサブレードというのがあるのじゃが、これがグレーターデーモンに守られておってな……」

 アルマは延々とダンジョンの話を始めそうになった。その気配を感じ取ってスーチが釘を刺す。

「ねえアルマ。面白そうなんだけど、そのお話って今必要なの?」

 もちろん今の彼らにそんな暇があるはずがない。それを聞いてアルマはまた我に返る。

「そうじゃ! そうではないか! ウォン! 話を逸らすでない」

「あんだと? お前が勝手に始めたんだろうが!」

「なんじゃと?」

 ウォンとアルマがまたまた喧嘩を始めそうになるが、またスーチが割り込んだ。

「ねえ、やめてよ。今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ? で、ともかくあたし達この暗闇の街を通り抜けなきゃならないんでしょ?」

 それを聞いてアルマがうなずいた。

「うむ。そのとおりなのじゃ。でもそれ程心配には及ばぬのじゃ。なに、敵にさえ見つからねば良いのじゃからな」

「そんな! 簡単に言うけど……」

 スーチは心配そうだ。というかそう感じる方が普通だろう。夜間の行動はそれだけで難度が上がるし、何と言ってもここは呪われた闇の中ではないのか?

 だがアルマはぽんとスーチの肩を叩いて、三人の方に向き直った。

「こつさえ呑み込めば難しいことではないのじゃ。まずやってはいけないことは、明かりをつけることじゃ。最初はみな暗いからと言って明かりを灯すが、そうするとそれ目当てに色々なザコ共がやってきてしまうのじゃ。じゃから暗視の魔法やゴーグルを使うのが良いのじゃが、これはちょっと簡単には手に入らぬのじゃ」

 何だかあまり簡単そうではないような気がする。

「じゃあどうするんだ?」

 ウォンが尋ねるとアルマが答える。

「闇の中のザコ共は大体いる場所が決まっておる。そしてその場所は妾が知っておる。だからそこを避けて歩けば良いのじゃ。ここは何度も来たゆえ、目をつぶってでも案内できるわ。じゃがもう一つ問題があるのじゃ」

 それを聞いてイオが言った。

「夜行性の何かか?」

 アルマはうなずいた。

「そうじゃ。コウモリじゃ。奴らは強さ自体は大したことはないのじゃが、暗闇で動く物を見つけてしつこくまとわりついてきおる。そいつら相手にばたばたしていると他の奴らが物音を聞きつけて集まってくるのじゃ。じゃから奴らが来たら黙ってやり過ごすか、瞬殺せねばならぬのじゃ」

 一行はうなずいた。こういった暗い場所ではお約束のパターンだ。

「なるほど。うっとうしそうだな」

 イオはそう答えたが、それほど心配した口調ではない。そういった状況だと分かってしまえば対応のしようはある。

「暗闇で奴らが来たのを確かめるのって、やっぱり羽音か?」

 イオが尋ねる。だがアルマが答える前にスーチが口を挟んだ。

「ねえアルマ、ここのコウモリも超音波出してる?」

 アルマが訝しそうに答えた。

「え? そりゃもちろんそうじゃ。じゃから“コウモリ耳”を買って行かねばならんと言おうとしておったのじゃ。羽音でも分からぬことはないが、それを使えば奴らがこちらを発見したかどうかも分かるのじゃ」

 それを聞いてスーチは微笑んだ。

「じゃあ大丈夫よ。多分」

「はあ? 大丈夫とは?」

「そうだな。スーならOKだ」

 それを聞いてウォンやイオも何故か太鼓判を押す。訳が分からぬといったアルマに対してスーチが説明した。

「あたし達ユディ族って、大体38000ヘルツぐらいまで聴けるのよ。で、普通NSEシステムって物理レイヤは素通しだから、ゲーム中でもそのまま有効なの」

「ほう? そうなのかや?」

 驚いた表情のアルマに対してイオもうなずく。

「ああ。それはその通り。でもこのシステム古いけど大丈夫かな?」

 それを聞いてアルマはカイに尋ねた。もちろん誰も見ないふりをしていたが彼は彼らの後をずっと付いてきている。アルマの問いを聞いてカイは答えた。

「ああ? 物理レイヤの仕様? もちろん通常の物理シミュレータをそのまま使ってるさ。わざわざ変更しても意味ないしね」

 物理レイヤとは通常の三次元物体や流体運動などのシミュレートシステムのことだ。これには3000年以上昔から使われている定評あるシステムがあって、NSEのゲームシステムでの“世界構築”の基礎となっている部分だ。

 カイの答えを聞いてアルマはうなずいた。

「ふむ。それは便利じゃ。ならばここのコウモリはスー殿にお任せするのが良かろうか?」

「ええ。任しといて!」

「それではスー殿には奴らが来たときの警告をお願いするぞよ。それと……おお」

 アルマは道ばたにゴミの山を見つけると、そこの中から空き瓶を2本手にして戻ってきた。

「これをスー殿に預けておくぞよ」

 スーチは一瞬ぽかんとしたが、すぐにアルマの意図を理解した。

「これってもしかしてこうやってこするの?」

 スーチは瓶を軽くこすりあわせる。アルマは微笑んでうなずいた。

「ああ。コウモリの奴らはこれで落ちるのじゃ」

「きゃ! おもしろそう!」

 そう言ってスーチは軽く飛び上がった。それを見てウォンが言った。

「なあ、スーちゃんよ。あまり面白がってる場合じゃないんだぜ」

 スーチはばつが悪そうにうつむいたが、アルマがウォンに言った。

「こら、ウォン。何を絡んできておる」

「ああ? どうしてスーだと怒られないんだよ」

「なんじゃ? おのれはスー殿に嫉妬しておるのかや?」

「なんだと?」

 また喧嘩になりそうなところで、辺りの景色が一変した。

「おお?」

 気が付くと四人は広い建物の中に入っていた。その中は今までと打ってかわって人で賑わっている。ここはペルナタウンの中心部で、様々な商店が軒を連ねている。

「結構人が住んでるのね」

「ああ。曲がりなりにも南大陸の首都じゃからな」

 一行は人並みをかき分けるとまず道具屋に向かった。

 そこで一行はこれからの旅に不要な物をことごとく売り払った。今回の旅はそう長くはなりそうもない。だから次の作戦に必要な物だけ持っていればいいのだ。それにまだ彼らはゲームに入って浅いので思い入れのあるような品物もない。

 不要な物を売り払い終わると、まともな格好をしているのはアルマだけとなった。他の三人はシャツ一枚といった格好だ。ここは暖かいのでそれでも問題ないが。

「さて金はどのぐらいじゃ?」

 アルマの問いにスーチが答える。

「2200Gぐらいかしら」

「ふむ。まあまあじゃな。ではまずウォンの装備を調えねばなるまい」

 対フェニックス戦では二人の剣士が必要になる。アルマは今のままでよいとして、ウォンの装備は全て変える必要があった。もちろん彼は今は僧侶なので剣士の装備をするのは本来ミスマッチなのだが、彼らはまだレベル1だ。こんな駆け出し状態では職業に特化した特徴はまだ出ておらず、結果的にどういう装備をしても大差がなかった。

 一行は道具屋を一旦出ると武具屋に入る。

「何かお勧めの剣とかあるのか?」

 壁に掛けられた大量の剣を眺めながらウォンが尋ねる。

「いや、おのれの好きな物を選ぶが良い。できれば頑丈な方が良いぞ。それから鎧は金属の付いておらぬ物がよい」

「何でだ?」

「フェニックスは近寄るだけで熱いのじゃ」

「そういうことね」

 ウォンはうなずくと適当な武器と防具を物色し始めた。その間にアルマがウォンとスーチに言った。

「二人もそのままではちと恥ずかしいな。まあ動きやすければどのような服でも構わぬが、色は黒いのが良いぞ」

「やっぱそうか?」

「ああ。街を出るときはその方が見つかりにくくなるからな」

 それを聞いてイオは黒いローブを、スーチは盗賊衣装を物色し始める。普通だと敵の攻撃や魔法の防御がどうだということになって悩む作業なのだが、今はともかく黒ければ良かっただけなのですぐに決まった。

「こんな感じでどう?」

 黒装束をまとったスーチがポーズを取る。

「おお、なかなかにはまっておるぞ。スー殿がこんなに盗賊向きとは思わなんだ」

 普通だったら怒り出しそうなセリフだが、スーチはにこにこ笑って答える。

「そんな、まだまだよ。ゼナさんとかに比べたら。でも耳が良く聞こえるってのは盗賊にとっては凄く便利なのよ。ちょっと反則だけど」

「ほう? それでは小さな音でも良く聞こえるのかや?」

「それはそこまでじゃないんだけど、ほらこそこそ動いていても自分には聞こえない音だったらみんな平気でキューキュー言わしてるから、やっぱり色々便利なのよ」

 アルマはうなずいたが、そこではっとしたように顔を上げた。

「ああ、それなら“生命力ゲージ”を買うことができそうじゃな。コウモリ耳を買わなくとも良くなったのじゃから」

「何? それって敵の生命力を数値化する物? 何に使うの?」

 スーチの問いにアルマは答えた。

「ああ。以前やったときはそれを持たずに行ったのじゃ。ところが二人並んでフェニックスの奴をぶった切るわけじゃが、後どれくらいで倒しきれるのかが全然見当つかんので、えらく不安だったのじゃ」

「あ! それ分かる分かる。どのくらい減ってるか分かるだけでやる気出てくるものね」

「そうなのじゃ。何しろ一回一回が命がけじゃろう? 残りどれだけというのが分かるだけでも気構えが全然変わって来るじゃろう?」

 二人がそんなことを話しているとイオが戻ってきた。彼も黒いローブに身を包んでいる。

「こんなんでいいか?」

「ああ。立派じゃ。してウォンは?」

 イオは肩をすくめる。

 三人がウォンの所に戻ると彼はまだあれこれ選択中だった。

「こら! おのれは何をもたもたしておるのじゃ!」

「だってどれがいいんだ? ここのって」

 ウォンはウォンで彼の役割の重大さぐらいは理解できている。そのため最も適した装備にしようと色々考えてはいたのだ。だがアルマはにべもなく言った。

「ど阿呆が! 今のおのれではどれでも同じじゃ。のけ! 妾が選んでやろうぞ」

 そう言ってアルマは壁に掛かっていた剣をほとんど見もせずに選んではウォンに投げ渡す。

「おい。これでいいのか?」

「それは妾が素人の時によく使ったタイプの剣じゃ。バランスが良いので扱いやすいのじゃ」

「そ、そうかよ」

「今度はこっちじゃ」

 アルマはウォンの腕を掴むと武具のコーナーに行き、黒革の鎧と帽子を取るとウォンにいきなり着せる。

「サイズはどうじゃ?」

「あ? まあまあかな?」

「じゃあ今度は靴じゃ」

 そんな感じでアルマは有無を言わさずウォンの装備を揃えてしまった。

 当然ウォンはプロとしての誇りがある。本来ならこんな素人扱いに耐えられる男ではない。だがここでそう言って暴れるわけにはいかなかった。それ以前になぜかそうしてもらえるのが嬉しいような気もしていたのだ。

「どうじゃ?」

 できあがった格好を鏡で見ながら、ウォンは妙な気分だった。こんな気分になったのはいつのことだっただろう? ええとあれは……

 だがアルマはそんな回想に耽らせてくれなかった。彼の背中をどんと叩くと大声で言った。

「うむ。立派じゃな。それでは行こうか」

 そう言って彼女は支払いを済ませるとつかつかと店外に出て行く。三人は慌てて彼女の後を追う。彼らは武具屋を出ると向かいにある道具屋に再び入った。

 一行は残った金でザイルやハーケン、ハンマーなどの登攀道具と先ほどアルマが言っていた生命力ゲージを購入した。

 更に道具屋を出ると今度は薬屋に行き最低限の薬品類を購入する。だがその頃には所持金もそろそろ尽きてきていてあまりたくさんの薬は買えなかった。

「大丈夫かしら」

 ささやかな薬袋を見ながらスーチが心配そうに言う。だがアルマは手を振って答えた。

「高地に行くまでは戦闘など起こらぬはずじゃ。まかり間違ごうて戦いになってしまったら、まあそこで終いじゃ思うがよい。薬などあくまで気休めじゃ」

 そう言われた所で心配な物は心配だ。だが騒いでも仕方ない。

「さて、これで準備はそろったのか?」

 イオが残り三人を見回しながら言う。見たところ準備は万端なようだ。アルマがうなずく。ウォンも行く気満々だ。だがその時スーチが言った。

「えっとトロールへのおみやげは?」

 それを聞いてアルマがこけそうになった。

「おお! 忘れる所じゃった。これを忘れては洒落にならぬな」

 アルマは近くの食料品店に行くと残った金でスモークサーモンを買い込んだ。

「トロールってそんな物が好物なのか?」

 イオが尋ねるとアルマが答えた。

「全てのトロールがそうではないがな、そ奴が好物なのじゃ。これがあればそ奴が付いてきてくれるのじゃ」

 まあ良くある話だ。一行はそれをしまい込むと再び装備を確認した。今度は大丈夫のようだ。

「では行くぞよ。まずは妾が先頭で案内する。スー殿が殿(しんがり)で、コウモリに注意する。イオ殿とウォンはその間じゃ。良いか?」

 一行は互いに顔を見合わせてうなずく。そしてアルマの言った順に並ぶと建物の外の暗闇に足を踏み入れた。当然その後からカイも付いて来ているのだが、彼は他の誰からも見えていないようだし、荷物持ちにもならないので完全に勘定外だ。

 ペルナタウンの街は真っ暗だった。一行は市場の光が届かない所まで離れたところでちょっと留まって闇に目を慣らした。目が慣れてくればそこは完全な闇ではないことがわかる。とりあえず周囲の建物の輪郭が分かるぐらいの明るさはある。だが明かりなしでは足下はかなり覚束ない。

「スー殿? 奴らはおるか」

 アルマが小声で言った。

「いいえ。大丈夫よ。声はしないわ」

「うむ。では皆、前の者の腰紐を持つのじゃ」

 全員腰から尻尾のように数十センチの紐をぶら下げている。暗闇の中で利き手を自由にした状態で前の者からはぐれないようにするためだ。

 ウォンはアルマの腰から下がっているはずの紐を探した。だが彼の手が触れたのは何だか丸くて柔らかな……

「おのれはどこを触っておるか!」

「わ! すまん」

「腰紐はこれじゃ!」

 そういってアルマはウォンの手を取って紐を握らせる。ウォンはおもわず頬が緩んだ。先ほど感じたアルマの胸の感触もそうだったが、こちらの方の感触もまた大変リアルだった。味覚や触覚に関しては相当にいい加減な物が多いこのシステムで、制作者が限られたリソースをどこに投入したのかがよく分かる……などと喜んでいるわけにはいかない。

「準備は良いかや?」

 アルマは全員が紐を掴んだことを確認すると、ゆっくり慎重に歩き始めた。それと同時に全員が紐の引かれる方に向かって歩き出す。こういった状況は様々なゲームの中で難度も体験してきたことなので、四人ともそれで混乱することはなかった。

 一行はしばらく大きな建物の並ぶ街路を進んだ。今では暗闇に目が慣れているのでぼうっと様子が分かるが、それでもちょっと離れてしまったらすぐ別れ別れになってしまいそうだ。もちろんそんなことになったらどれほどまずいか分からないメンバーではない。その点に関しては今も昔も同じなのだ。四人は暗闇の中を息のあった動きで歩み続けた。

 アルマの足取りはしっかりしていた。彼女はほとんど戸惑うこともなく複雑な街路を導いていく。ウォンはアルマに手を引かれながら内心舌を巻いていた。

《こいつ本気でできるよな……》

 アルマと共に入ったのは、あの“ファイナルブレード”でザコを殺しまくった時以来これで二度目だ。イオに至っては今回が初めてだ。それなのに今彼らは彼女のことをまるで信頼してこうして暗闇の中を移動している。このパーティーはアルマがリーダーだ。それはベラトリックスは彼女がエキスパートだからという理由だが、それを度外視しても彼女は十分に信頼に足るリーダー役をこなしていた。

 こういうインストラクターをしていると様々な人とゲームに入ることがあるのだが、ゲーム経験は長いのに何故か今ひとつ信頼できない人も多い。その逆に経験は浅いのに何故かここぞという時には信頼できる者もいる。アルマには間違いなくそんな雰囲気があった。

 アルマが彼らを導いて幾つ目かの角を曲がった時、彼女はしっと言って一行を押しとどめた。

「ザコがおるぞよ」

 アルマがささやく。見るとアルマの指した方で微かに人影が動くのが見える。

「どうするんだ?」

 ウォンが小声で尋ねるとアルマは言った。

「こっそり行って、あの手前の角を入るのじゃ。音を立ててはならんぞ」

 本当ならそんなザコなどはこっそり(くび)り殺したいところなのだが、今回ばかりはそうも行かない。

 一行はザコに気づかれないように静かにその場を通り抜けた。手前の角を入ってしばらく行くと一行は低い住宅街の裏路地のような所に入り込んだ。そこまで来てアルマがふっと息をつくと足を止める。

「うむ。さすがみんな見事に静かだったのじゃ」

 そう言ってアルマが小声で誉める。こういったゲームではもちろん戦うだけが全てではない。特に敵に気づかれずにすり抜けたりやり過ごすというのはほぼ必須の技能といって良い。そういった状況でのエキスパートは盗賊であるスーチだが、この程度のところであればイオやウォンでももちろん問題はない。

 それを聞いてウォンが小声で突っ込んだ。

「当たり前じゃん。俺たちを誰だと思ってるんだよ」

 そして彼はアルマの返答に身構えた。彼はどうせ彼女がウォンが失敗しないか一番心配だったとか言うに違いないと思っていたのだ。

 だがアルマはそっとウォンの頬に触れると言った。

「うむ。そうじゃな。見直したぞよ」

「……」

 ウォンは返す言葉に詰まった。顔がまたかっと熱くなる。ここが呪われた街だったのは幸運だった。そうでなければウォンが赤面したところをスーチやイオに見つけられてしまったことだろう。

 その時だった。

「来たわ!」

 スーチが遠くから微かなチチチチという声がするのを聞きつけたのだ。それから彼女はさっと背嚢から例の空き瓶を取り出した。

「動くなや!」

 それを聞いてアルマが小声でささやいた。一行はその場に身をすくめた。

 しばらくして他の者にも微かな羽音が聞こえてきた。暗闇の中で黙ってその音を聞いているのは精神衛生上良くない。だがそれに慌てて逃げたりすると逆効果なのだ。コウモリは動く物を敵と認識する。しかし動きさえしなければ奴らは人と静物の区別が付かないのだ―――ということを頭では理解していても、それを実行するのは難しい。しかしその点に関しても彼らはエキスパートだった。

 コウモリの羽音が頭の上の方を通り過ぎていく。四人は息を潜めて待った。羽音がしなくなってからしばらく経ってスーチがささやいた。

「行ったわ」

 それを聞いて一行は一斉にふうっと息をした。分かっていても緊張するのは仕方ない。

 四人はまた歩き始めた。こんなところで休んでいるわけにはいかない。

 そうして四人はしばらくの間闇の中を歩き続けた。

「出口はまだかよ」

「急かすでない。大丈夫じゃ。もうそんなに遠くはないわ」

 彼らはもう1時間近く暗闇を歩いている気がしていた。だが時間を確認してみると歩き始めてからまだ20分ぐらいしか経っていない。アルマ以外の者は闇の中を引きずり回されてほとんど方向感覚を失っていたので、更に遠いような気がしていた。だがアルマの足取りは相変わらずしっかりしている。

 彼らは込み入った裏路地を抜けると広い通りに出た。途端にアルマが隠れろと合図をする。その理由は他の者にとっても明らかだった。通りの向こうからカンテラを持った誰かがやってくる。

「夜回りじゃ。隠れよ!」

 アルマがささやく。一同は暗がりに身を潜めた。

 やってきたのは兵士のような身なりをした二人連れだ。一行は緊張して身構える。今の状況で戦いになれば間違いなく終わりだ。

 しかしその兵士達は観察力はあまりないようだった。二人はアルマ達が隠れている前を何も気づかずに通り過ぎていった。

 明かりが見えなくなって四人はまたふうっと息をついた。

「あ奴らは城の衛兵なのじゃが、街の警備も担当しておるのじゃ。今のわしらではまず戦っても勝ち目はないのじゃ」

 それを聞いてスーチが言った。

「でも警備担当なら隠れることなかったんじゃないの? あたし達何も悪いことしてないし」

「暗闇をごそごそしているだけで十分問題じゃ。それに中には汚職兵士もおってな、賄賂を渡さねば言いがかりを付けられることもあるのじゃ」

「あはは。それじゃ仕方ないわね。でもそうするとやっぱりごっそりため込んでる奴もいるのかしら?」

「そりゃもちろんじゃ。で、スー殿、どうしてそのようなことを聞くのじゃな?」

 アルマがからかうような口調で言う。

「え? 何のこと? 聞いてみただけよ。もちろん。あはは」

 スーチがとぼける。それを聞いてイオが言った。

「余裕があれば色々楽しいことがありそうだな。ここは」

「ああ。色々案内したい所はあるのじゃがな」

 それを聞いてウォンが言った。

「どうでもいいけどそろそろ行かないとヤバいんじゃねえの?」

 彼はこういったこそこそした行動は好きではなかったのでさっさと抜けてしまいたかったのだ。

「分かっておるわ。そう急くな。出口はもうすぐじゃ」

 アルマはまた彼らを導いて歩き始めた。そこから次のブロックを曲がった先に、かなり広い広場があった。そのさらに向こうには城壁があってその上はうっすらと明るくなっている。

「あそこが出口じゃ。さあ行くぞ」

 アルマがそう言った時だった。

「また来たわ!」

 スーチが小声でささやいてまた瓶を取り出した。一行は先ほどと同じようにその場に身をすくめた。遠くからまたコウモリの羽音が近づいてくる。今回もさっきと同様に簡単にやり過ごせるはずだった。だがちょっと運が悪かったのは、彼らがいたのがあまり整備の行き届いていない道端だったことだ。

 きっかけは立ち位置の足場が良くなかったウォンがバランスを取るために少し重心を移動させたことだった。そのせいでウォンの剣の柄がイオの体に触れてしまったのだ。コウモリの羽音に集中していたイオはそれに驚いてぴくっと体を震わせる。その途端今度は彼の足下の敷石ががくっと傾いて、イオは側溝にずり落ちて派手な音を立ててしまった。

「わ!」

 途端にスーチが言った。

「見つかったわ!」

 彼女の鋭い耳はコウモリの声がチチチチという哨戒音からジーッという警戒音に変わるのを聞き逃さなかった。

「スー殿。頼む。引きつけるのじゃ」

「分かったわ」

 スーチはコウモリがやってくるのをぎりぎりまで引きつけて、おもむろに手にした瓶を思いっきりこすりあわせた。ギ~っと嫌な音がする。途端に飛んできたコウモリはいきなり変な旋回を始めてそのまま地面にぼとりと落ちた。見事成功! と思った矢先だった。

「いやああああああ!」

 何故かスーチが大声で叫んで手にした瓶を放り出し、両耳を押さえてそのままぶっ倒れてしまったのだ。放り出された瓶が近くの壁に当たって粉々に砕ける。

「どうした?」

 三人は慌てた。ウォンがスーチに触れると、彼女は体を震わせながら気絶しているようだ。

「何だよ? これは?」

「分からぬ! こんなことは初めてじゃ!」

「どうするよ?」

「ともかくスー殿を担げ! 走るぞよ!」

 言い争っている暇はなさそうだ。騒ぎを聞きつけたのか遠くから明かりを持った誰かが走ってくるのが見える。

 ウォンとイオは倒れているスーチを二人で抱え上げる。

「あそこじゃ。あの門に走るのじゃ!」

 言われた方を見ると城壁に微かに城門らしき輪郭が見える。二人はスーチを抱えて走り出した。

「番兵とかはいないのかよ?」

「おらぬ。大丈夫じゃ!」

 三人は全速力で走った。

 走りながらウォンが叫んだ。

「イオ! てめえ何してやがる!」

「お前が動いたからだろ!」

「無駄口を叩くでない!」

 三人が気絶したスーチを抱えて城門をくぐり、外堀にかかった橋を抜けると同時にぱっと光が戻ってきた。

 街の外は夕暮れ時だった。目前には長閑な田園風景が広がっている。その中を1本の街道がずっと先まで続いている。彼方には山頂が水平になった高い山が見える。

「ともかくあの茂みまで行くぞよ」

 三人はスーチを運ぶと近くの茂みの陰に横たえた。彼女は目を閉じて体を震わせているが、命に別状はないようだ。しばらくそうしていると彼女は息を吹き返した。

「おい、スーチ! 大丈夫か?」

 彼女は目の焦点が合っていないようだ。だが意識ははっきりしてきた。

「スー殿。一体何が起こったのじゃ?」

「それが、凄い音がして目の前が真っ白になっちゃったの」

「凄い音?」

 残りの三人は顔を見合わせた。もちろんそんな音を聞いた者はいない。

「何かの精神魔法みたいなものか?」

 イオの問いにアルマが答える。

「いや、こんな所にそんな物を使う奴などおらぬわ。それにかような魔法は妾も見たことないわ」

 それを聞いてスーチも言った。

「あたしも魔法じゃないと思う。あんな音聞かされたら本当に頭が壊れちゃうわ。それともここの攻撃魔法ってあんな苦痛がするものなの?」

 それを聞いてアルマが首を振る。

「とんでもない。ちょっとピリピリしたり痺れたりするぐらいじゃ。ぶっ倒れてしまったからといって意識までなくなることもないし。そんな本体に危険があるようなレベルの感覚があるはずないのじゃが……」

 それを聞いてイオが言った。

「ってことはエミュレートがうまくいってないってことか?」

「というと?」

 アルマはイオの顔を見る。イオは説明した。

「ええとさ、あの時スーが瓶をこすったらああなったんだよな? これって例えば超音波領域の処理がバグってたってことはないかな? それだったら俺たちには関係ないけど、スーなら食らうかもしれないし。詳しくはラーンに調べてもらわないと分からないけど……」

 それを聞いてスーチも言った。

「あ、言われてみれば、ほら、マイクをスピーカーに近づけるとハウリングするじゃない。そんな感じのキーンって音だったかも……」

 一行は顔を見合わせた。それからアルマが言った。

「ふーむ。だとすると今後スー殿が続けるのは危険なのであろうか?」

 だがスーチは首を振る。

「いやよ。あたし一緒に行くから」

「でも」

 スーチは頑として言った。

「ここに残ってるのなんて嫌よ。大体あたしがいないと作戦ができないじゃない。それにさっきまではあんなこと一度もなかったんだから、ああなるのは例外的な状況よ」

 その言葉には説得力があった。アルマもうなずかざるを得なかった。

「まあそうじゃな。それではスー殿。体はもう大丈夫かや?」

「ええ。もう大丈夫よ」

 そう言ってスーチは立ち上がる。

「そうか。ならば先を急がねばな。予想外に手間取ってしまった故」

 その言葉と共に他のメンバーも立ち上がり、次の目的地であるトロールの村に向けて歩き始めた。