ノートスの奇跡 第9章 トロール

第9章 トロール


 一行はなだらかな丘陵の続く草原地帯を進んだ。街道から外れると腰まであるような草が茂っており、所々にこんもりとした森が点在している。草むらではぶんぶんと羽虫が飛び回り、空には鳥の姿も見える。見事に長閑な田園風景だ。

 だがそれ以外の大きな生き物の姿は見えない。これがルフティ・ベイの郊外であれば何の問題もないのだが、ここはゲームの中だ。こんなに平穏だと逆に何か罠がないかと不安になってくる。それを感じてスーチがアルマに尋ねた。

「ねえ。このあたりって敵は出てこないの?」

「道を外れて遠くに行かねば大丈夫じゃ」

 そう言ってアルマは道ばたの所々にある石像を指さした。

「これがな、獣よけになっておるのじゃ。じゃからこの道を通っておる限りは絶対大丈夫なのじゃ」

 それを聞いてウォンが尋ねる。

「へえ。じゃあそいつぶっ壊したらどうなるんだ?」

「言わずとも分かるであろう? 試してみるかや?」

 ウォンは慌てて首を振る。もちろんどうなるか分からずに聞いたわけではない。だが彼はこの類のことはそうと分かっていてもとりあえず試してみるというのがモットーだった。だがさすがに今そうするのはまずそうだ。

 そんな調子で四人は歩き続けた。しばらく歩いても風景は変わらない。

「にしても平和だな」

 イオがつぶやいた。それを聞いてアルマが答える。

「当然じゃ。そうでなければ連れてきたりはせぬわ。それに街から出たらどこでも怪物だらけなんて変じゃろう?」

「まあそうだけど、短気な客も多いしな」

 イオの言葉にウォンも相づちをうつ。

「1ヶ月もかかるわけだ」

 現在の異界の門でプレイできるようなシステムでは、ここまで広いワールドを持っている物はあまりなかった。もちろんそういった物が作れないわけではない。しかしあくまでこれは客あってのシステムだ。大抵の客は週末などに気晴らしにやってくるのが普通だ。そういうプレーヤーが対象となると、1泊2日程度で話が完結できるぐらいの規模が望ましいのだ。その結果、例えば敵と戦うのが目的のゲームであれば、途中だらだらと移動することなしにすぐに敵のいるフィールドに行けるようになっている。

 だがこのベラトリックスというシステムのコンセプトは、その中にリアルな異世界を構築することだった。そのためゲーム内の“生活感”は今見ても素晴らしい物がある。しかしその反面無駄も多く、イベント発生の間隔が間延びしてしまうように思えるのも否めない。

「のんびりやれたら面白そうなのにね」

 スーチがつぶやいた。それを聞いてアルマが伏し目がちに答える。

「うむ。こんなことにならねばもっとゆっくり案内できたものを……アリエス島の夕暮れは絶品なのじゃ。是非皆にも見てもらいたかったのじゃが……」

「終わったらまた来ましょうよ! 今度はいろいろやりながら」

 それを聞いてウォンやイオも口を挟む。

「だな。あんなザコ共から逃げ回ってんなんてのは性に合わねえしな」

「ザコ共にボコボコにされるのはもっと性に合わないけどね」

「あんだ? 喧嘩売ってんのか?」

「だってこのゲームじゃ最初はそうなりそうだろ?」

 彼らがそんな話をしているうちに道は下り坂になって幅の広い谷の中に入り込んでいった。谷の中央に村が見える。それを指さしてアルマが言った。

「あれがトロールの村じゃ」

「はあ? あれが?」

 ウォンはそれを見るなりそう口に出していた。彼がそう言ったのも無理はない。イオとスーチも同様に目を丸くしていた。

 なぜなら一般的に“トロール”とは残忍で醜い巨人というイメージができている。現在のゲームでもそういう扱いなの普通だ。そのためもしトロールの村なる場所があれば、それは薄汚くて地面には人骨などがごろごろしているような陰惨な場所になるのが普通だった。

 だが今目前に見えるのは、細長いとんがり屋根の建物が散在する、どこの絵本から抜け出してきたかとしか言えないような平和その物の村だ。そしてその村の中には水色をした丸っこいカバが立ちあがったような生き物が歩いているのが見える。

「トロールって……あれ?」

 スーチが目をこらしながら尋ねる。それを聞いてアルマが言った。

「そうじゃ。うぬらの言うことも分かるがな、オブルの奴がこのゲームのトロールは絶対こうするんだとしつこく主張してな。昔の童話から採ってきたらしいが」

「オブルって? さっき魔法使いが得意だったとか言ってた奴? スタッフだったのか?」

 イオが訊くとアルマが答えた。

「ああ。そうじゃ。モンスターのデザインなどは大体奴がやっておったのじゃ」

「でもまたどうしてあんなデザインに?」

「さあ。グログロの奴らばかりで少々うんざりしたのではないか?」

 そんな話をしているうちに、一行はトロールの村に到着した。村の中は閑散としている。スーチがあたりを見回しながらつぶやいた。

「さっきの人はどこ行ったのかしら?」

 だが彼女がそう言った途端に近くの茂みの中から、ぬっと水色のトロールが現れた。

「きゃ!」

 そいつは丸っこい体はしているが、彼らより2回りは体格が大きい。少なくとも腕力勝負ではかなり不利と思われる。

「やあ~」

 だがそのトロールは間延びした声で挨拶してきた。何だか緊張感が殺がれる声だが、この調子なら腕力勝負になるような事態はそうは起こらないだろう。

「あ、あら、こんにちは」

 スーチが慌てて答えるとトロールは言った。

「もうそろそろ『こんばんは』だよ~」

 確かにそろそろ日が暮れている。

「あ、そうね。こんばんは」

「こんばんは~」

 スーチの顔は少々引きつり気味だ。ともかく何だか気が抜ける奴だ。

 そのトロールに向かってアルマが尋ねた。

「やあ、ちと物を尋ねたいんじゃがな、ええと、ワンダラーは今どこにおるかの?」

「ワンダラーかぁ? さあ、あちこちうろうろしてると思うけどなぁ。でもそろそろ夜だから酒場に戻ってるんじゃないかなぁ」

「おお、そうか。感謝するぞよ」

「ど~いたしましてぇ」

 そのトロールの情報に従って四人は村の酒場に向かった。酒場は村の中央にあるひときわ大きな建物だった。しかし彼らが中に入った時はまだ客はほとんど来ていなかった。

 アルマは酒場のマスターにワンダラーのことを尋ねた。

「ああ? ワンダラーかぁ? 多分すぐ来ると思うよ」

「すぐとはどのくらいじゃ?」

「まあ5~6分もかからないと思うけどねぇ」

 それを聞いてアルマがほっとした様子で答えた。

「そうか。それではここで待たしてもらうぞ」

「構わないよぉ」

 四人は酒場の隅に陣取ってその“ワンダラー”が来るのを待つことにした。席に着くとスーチがアルマに尋ねた。

「そのワンダラーって人が案内してくれるの?」

「いや、案内は妾が行う。ワンダラーは獣よけじゃ」

「獣よけ?」

「ああ。先ほども申した通り、この領域は街道筋と村の周辺は獣よけの彫像があるせいで安全じゃ。じゃがそれから一歩外に出れば、それこそ今の我らでは手に負えん奴らがぞろぞろ出てくるのじゃ。じゃが、トロールが同行しておればそ奴らが寄って来ぬので安全なのじゃ」

 それを聞いてイオが尋ねた。

「安全って、じゃああのトロールって魔よけの魔法か何かがかかってるのか?」

 だがアルマは首を振った。

「いや、単に獣共は奴らを恐れておるだけじゃ」

「恐れる? あいつらを?」

 ウォンが思わず訊き返す。あのトロール達がそんなに危険な存在とは到底思えないのだが。だがまたアルマは首を振る。

「いいや、あ奴らをなめてかかってはならんぞ。ここのトロールはな、普段は穏和なのじゃがいざ怒らせたら途轍もなく恐ろしいのじゃ。獣共はそれがよく分かっておるからトロールの気配がしただけで逃げて行ってしまうのじゃ」

 ウォン達三人は振り返って酒場のマスターを見る。どう見たって冗談にしか見えないのだが……

「一体どこがそんなにすげえんだよ」

 ウォンの問いにアルマが答える。

「まずはあの体じゃ。あれは実はゴムみたいになっておってな、剣とかがほとんど効かぬのじゃ」

「へえ。じゃあ離れて魔法でやっつけるしかないのか?」

 だがそれを聞いてアルマは首を振る。

「いや、それもだめじゃ。魔法の耐性の方が高いぐらいじゃ。じゃから接近して剣で戦うしかないのじゃ」

「はあ、結構うっとうしそうな奴らだな」

 それを聞いてウォンも納得した。

「まあ、こちらから喧嘩を売らぬ限りは、向こうから襲ってくることはないからのう。ああ、展開によっては奴らが狂って襲いかかって来ることもあるがな」

「あんまり願い下げだね。そりゃ。で、攻撃は何してくるんだ? でっかい棍棒か何かをぶんまわすのか?」

 こういう見知らぬ種族に出会った時は可能な限りその特徴について聞き込むというのは彼らの性となっていた。そのことは当然アルマも理解していたはずだが、ウォンのその問いに彼女は少し妙な表情をして口ごもった。

「ん? どうした?」

「いや、ちょっとな。オブルがやられた時を思い出してな」

「どんなやられかたしたんだよ?」

 ウォンだけでなく他の二人も興味津々の顔でアルマを見る。アルマは口ごもりながら答えた。

「……喰われたのじゃ」

「喰われた?」

 驚き顔の三人に対して、アルマはジェスチャー付きで説明を始める。

「ああ……奴らの攻撃なんじゃが、あの体がうにゅっと伸びてきてな、こうろくろ首みたいになって、口がこうがばっと1メートルぐらい開いて、そのまま一呑みにされてしまうのじゃ……うわあ、思い出しただけでも気色悪いわ」

 それを聞いてウォンが呆れて言った。

「それのどこがトロールなんだよ!」

「ここのトロールとはそういう物なのじゃ!」

「プ! 何かさあ、こいつらのデザインした奴頭が沸いてたんじゃねえのか?」

 それを聞いてアルマが真っ赤になって叫んだ。

「悪かったのう。そのアイデアを出したのは妾じゃ」

「はあ?」

 三人は驚いてアルマの顔をのぞき込んだ。それに気づいてアルマは恥ずかしそうにまくしたてた。

「大体カイの奴が悪いのじゃ! 妾は嫌じゃと言ったのじゃぞ? 奴らがネタ切れになったのは妾のせいではないわ。大体トロールなどさっさと普通ののろまな腕力バカにしておけば良かったのじゃ! なのにオブルが昔の童話なんぞを見つけ出してきてからに」

 それを聞いてスーチが不思議そうに尋ねた。

「じゃあその童話のトロルがそんなだったの?」

 だがアルマはまた首を振る。

「いや、童話じゃからそいつらが他人を襲ったりはしないのじゃ。でもゲームに出す以上攻撃手段が必要じゃ。で、ああだこうだ言っている所に妾が、首が伸びて相手を一のみにするようなのだけは嫌じゃと言ったのじゃ。そしたらカイもオブルもそれがいいと言い出しおって! あの外道共め、こういった嫌がらせとなればもう手段を選ばんのじゃ……」

 そう言いながら何故かアルマの勢いは段々トーンダウンしていった。

 アルマの目前にはその時の光景がありありと浮かんでいた。そしてその結果として生まれたトロール達もまた目前をうろついている。だがそれのあった時というのは今から1500年前なのだ。いくらリアルな思い出であろうと、それはもう二度と戻らない時なのだ……そう思った瞬間アルマは泣き出したくなった。だが今そんなことでめそめそしているわけにはいかなかった。

 アルマがそんな葛藤に襲われていることに気づいてか、スーチが言った。

「あはは。すごい! でもそれってそんなに変? あたし見てみたいわ。それ」

 それを聞いてアルマが驚いてスーチの顔を見る。

「ああ? スー殿は大丈夫なのかや? 妾はもうああいう軟体動物系は気色悪くてだめなのじゃ」

 それを聞いてウォンがにやにや笑いながら言った。

「へえ。お前ってナメクジがダメだったんだ」

「何じゃ? おのれは? 人の弱みにつけ込む気かや?」

「何を言いやがる。仲間の弱点は知ってないと困るだろ? べつにお前を騙してナメクジの穴に放り込もうなんて思ってても口に出すもんか!」

「こ、このガキが!」

 そう言ってアルマがウォンをはたき倒そうとした時だった。

 酒場の扉が開くとトロールが一人入ってきた。それを見て酒場の主人が言った。

「ワンダラーが来たよ」

 四人は顔を見合わせる。それからアルマが軽くうなずくと立ち上がり、荷物からスモークサーモンを取り出した。そして彼女はワンダラーに近寄っていった。他の三人も後に続く。

「やあ、ぬしがワンダラーかや?」

 アルマは笑みを浮かべながら言った。

「ああ。そうだよ。何か用かい?」

 ワンダラーがぬぼっとした声で答える。アルマはワンダラーにスモークサーモンを差し出しながら言った。

「ぬしがこれが好物だったと聞いてな、それでちょっと頼みがあるのじゃが……」

 しかしワンダラーの答えは彼女の予想外だった。

「いや、別に好きじゃないけど?」

「は?」

 アルマは驚いて訊き返す。だがワンダラーの答えは変わらなかった。

「いや、別に好きじゃないよ」

「好きじゃないって……」

「オイルサーディンだったら欲しかっただけどね。僕はスモークサーモンはあまり好きじゃないんだ」

 それを聞いたアルマは大口を開けたままたっぷり10秒間ほど凍り付いた。それから三人の方を向き直ると言った。

「間違えたのじゃ……」

 それを聞いた残りの三人も同様だった。同じように10秒ほど凍り付くと、ウォンが言う。

「おい、間違えたって、スモークサーモンとオイルサーディンをどうして間違えるんだよ!」

「だ、だってな、名前が似ておるではないか! 同じ魚だし……」

 アルマの声はほとんど泣き声だ。

「あのなあ、アホか! お前は!」

「おいおい、どうするんだよ」

「あはは、アルマって結構慌てんぼなんだ……」

 アルマの答えを聞いて三人が口々にそう言った瞬間、彼女は手にしていたスモークサーモンをウォンに押しつけると、酒場の外に駆け出して行った。

「あ、アルマ!」

 スーチが慌てて彼女の後を追う。呆然としていたイオとウォンもその後を追った。

 酒場から出るとアルマが四つんばいになって地面に頭を叩きつけながら泣き叫んでいた。

「あああああああああ! バカじゃ! 妾はバカじゃ!!」

「ねえ、アルマ、落ち着いてよ」

「皆の苦労をみんなふいにしてしもうた! ああ! 何をしておるのじゃ! このたわけは!」

 そう言いながらアルマは地面に頭を叩きつけ続ける。ここがゲーム内で、しかもその地面には柔らかな草が生えていたから良かったような物の、これがもしリアルワールドだったら彼女は顔面がぐちゃぐちゃになっているような勢いだ。

 あまりのアルマの落ち込みようにかける言葉が見あたらない。それに実際これはどうすればいいのだろう? ここでトロールを仲間にできなければ、計画はここで頓挫と言う他はないのだが。

 スーチが大慌てでアルマをなだめようとしている間、ウォンとイオは呆然とそれを見守ることしかできなかった。

「うう、済まぬのじゃ。本当に済まぬのじゃ……」

 しばらくしてアルマはやっと落ち着いてきた。泥だらけの顔をスーチが拭いてやっている。それを見ながらウォンがイオを指さしながら言う。

「まあそう気を落とすなって。ボケてんのはこいつだって同じだし」

「ああ? なんでそうなる?」

「だってさっきのだって、あそこでお前がひっくりこけなきゃスーがあんな目に会うこともなかったわけだろ? 下手すりゃリアルに危なかったわけだろ」

 イオがむっとした顔をするが、そのこと自体には反論できなかったので何も言わなかった。だがもちろんそれでアルマの気が晴れるわけではない。

「何という愚か者なのじゃ、妾は……ああ、本当に目覚めて来ねば良かったのじゃ……」

 このままではまたアルマがだめになってしまいそうだ。そこでスーチがアルマに尋ねる。

「ねえアルマ。他に方法はないの?」

「ああ?」

 アルマが顔を上げて焦点の合わない目でスーチを見る。

「例えばほら、街道に獣よけのおまじないがあったじゃない。あれを抜いて持っていったら?」

 それを聞いてイオがぽんと手を打った。

「なるほど。そんな手があるか?」

 だがそれを聞いてウォンが言った。

「ああ? あんな石像、誰が担いでいくんだよ!」

「二人で持ったら何とかならないか?」

 だがそこにアルマが割り込んで言った。

「いや、だめじゃ。あれは抜いたら効力がなくなってしまうのじゃ」

 三人はがっくりとうなだれた。だがまたすぐにスーチが顔を上げて言う。

「じゃあ、トロールさん達に来てもらえるように頼む方法って他にはないのかしら?」

 それを聞いてイオも言った。

「そうだよ。要するに誰でもいいから来てもらえればいいんだろ?」

 二人の言葉を聞いて、アルマも涙を拭いて考え込んだ。だがしばらくして首を振った。

「……確かに村長の頼みを聞いてやれば村全体から信頼されるようにはなるのじゃが、そのためだけに1日2日は確実にかかってしまうのじゃ。手っ取り早く親しくなれるのはあれだけなのじゃ」

 その答えを聞いて今度はウォンが言った。

「ここの雑貨屋にオイルサーディン置いてたりしない?」

 だがアルマはウォンをぎろっと睨むと冷たい声で答える。

「ないからあ奴が欲しがっておるのじゃ」

 まあその通りだ。だがそれを聞いてイオが言った。

「でもせめて確認ぐらいはしておいても悪くないんじゃないか?」

 かなり無駄なような気がしたが、そこで座り込んでいても仕方がないので一行は雑貨屋に行くことにした。

 もちろんその予想通り、村の雑貨屋にはオイルサーディンは置いていなかった。雑貨屋の主人に尋ねると彼は答えた。

「そうなんだよぅ。仕入れても仕入れてもワンダラーの奴が食べちゃうんだよぅ」

 四人は雑貨屋の前でがっくりと座り込む。

 外はもう夜だ。星空が綺麗だ。それを見上げながらウォンが言った。

「考えたら置いてたってもう買う金もなかったよな?」

 彼らはペルナタウンの買い物で有り金を使い果たしていた。もちろんその後にお金が必要になる予定がなかったからだ。それを聞いてスーチが答える。

「それだったら大丈夫よ。いざとなったらあたしが盗ってくるから」

「ハハハ。確かにスー殿はそれが本職じゃからな」

 スーチの冗談にアルマが笑う。だが彼女の笑い声には元気がない。無理をしているのが見え見えだ。このままではまた彼女が落ち込んでしまうのでは……とスーチが思った矢先だった。いきなりイオが尋ねた。

「なあアルマ、あの店で何かかっぱらったらあの親父どうするんだ?」

 アルマは驚いてイオの顔を見る。

「はあ? そりゃ怒るじゃろう。そんなこと考えたくもないぞよ」

「いや、そりゃそうだが、逃げたらどうするんだ? 追いかけてこないか?」

「もちろん追いかけてくるぞよ。村中のトロールがな」

 その答えを聞いてイオがにたっと笑った。残り三人はイオの顔を訝しそうに見つめる。

「何がおかしいのじゃ?」

 アルマの問いにイオは答えた。

「いや、あいつらに追っかけられるってことはさ、それって一緒に来てもらってるってことだよな?」

「は?」

 一瞬残りの三人はぽかんとした。次いでイオの言わんとすることが理解できてきた。

「要するにトロールが追っかけて来たら、獣とかも怖がって逃げちゃうってこと?」

 スーチがイオに尋ねる。イオはそれにうなずくとアルマの方を向いて言った。

「ああ。どうなんだ? アルマ」

「そ、そりゃそうじゃが……」

 アルマは目を見開いてそうなった場合のことを考えているようだ。

「それに奴らって多分領域の外までは追ってこないよな?」

「……確かにそうじゃ。でも奴らは結構足が速いぞよ」

「全力で走っても追いつかれるか?」

「そこまでではないが……奴らのスタミナは化け物じみておるのじゃ」

「じゃあさ、そこの店で疲労回復薬をたくさん万引きしてさ、そいつを飲みながら逃げたらどうだろう?」

 それを聞いてアルマは驚いたようにイオを見つめて、それから下を向いてぶつぶつと何か考え込み始めた。

 しばらくして彼女は顔を上げると言った。

「これは……いけるかも知れぬぞよ」

 三人は顔を見合わせた。

「本当か?」

 イオが得意満面といった笑みを浮かべる。それを見てアルマは言った。

「じゃがそうなると疲労回復薬の他にびっくり玉も必要じゃな。裂け目を越えるには必要であろう」

「裂け目って?」

 イオが尋ねるとアルマは説明を始めた。

「ああ、この領域の境界部には深い裂け目があるのじゃ。そこを飛び越えねばならんのじゃが、それにはイオ殿に大ジャンプの魔法をかけてもらわねばならんのじゃ」

「ああ? あれか? でも今のレベルだとそんなに長い間は効かないけど」

「なに、裂け目を越えるだけならそれで十分じゃ。じゃが、後ろからトロールが迫って来ている状況じゃ。奴らを足止めできねば呪文を詠唱できぬであろう?」

「ああ、そうだね、それにびっくり玉ってのを使うのか?」

「そうじゃ。びっくり玉はもの凄い音と光を出すのじゃ。あ奴らは意外に小心じゃから、詠唱時間程度ならば十分稼げるであろうぞ」

 そう言ってアルマは三人の顔を見た。

「よっしゃ。それじゃまあ行ってみるか?」

 ウォンの言葉に一行は立ち上がると、更に細かい手はずを決める。それが決まると一同顔を見合わせ、それから雑貨屋に押し入った。