エピローグ
ウォンが次に気づいたのは見知らぬ部屋の中だった。
そこで彼が最初に思ったことは、今度はどこに飛ばされたのだろうかということだった。ゲーム中ではこんな感じで場面転換してくれることは良くある。だが妙だ。この部屋のデザインは何ともファンタジー世界には似つかわしくない。まるで病院みたいだ。いったいどういう設定なんだ?
そこまで考えたとき、もしかして彼は現実世界に戻ってきたのでは? という可能性に行き当たった。
ウォンは体を起こした。窓の外には逆さになった極彩色ピラミッドが見える。
「まじか?」
こんなイカレた建物はルフティ・ベイの市庁舎しかあり得ない。ゲームの中の建物というのはもっと落ち着いたまともなデザインをしているに決まっている。
では本当に彼はあそこから生還したのか? ものすごく嬉しくても良さそうなのに、なぜかそういう感情は湧いてこない。まるで夢を見ていたようだ……
その時だった。
「おお? 目覚めておったのか?」
この声は? ウォンは部屋の入り口を見た。そこにはアルマが立っている。
「全くおのれは心配させおって! いきなりぶっ倒れてしまったから、死んだと思ったぞよ」
「……」
「そうしたら何じゃ? 緊張が解けて気絶しておったじゃと? 冗談もたいがいにせい!」
そんな元気そうなアルマを見てウォンはぽかんとして問い返した。
「お前、大丈夫だったんだ?」
「はあ? あれはゲームであろう? 大丈夫に決まっておろうが?」
アルマがおかしな顔でウォンを見る。言われてみれば当然だ。初めてゲームをやった初心者じゃあるまいし、こんなボケをかますなんてどうかしている。ウォンは慌てて話を逸らした。
「……はは、そりゃそうだよな。でもイオは? スーチは?」
それを聞いてアルマはがっくりとうなだれた。
「それなんじゃが……」
「ど、どうしたんだ? まさか……」
「何を言っておる! 両者ともぴんぴんしておるわ! 確かに20分ほど死んではおったから少々頭がぼけておるがの」
それを聞いてウォンは心の底から安堵のため息をついた。
「あのなあ! おどかすんじゃねえ! だったら何萎れてやがるんだよ?」
それを聞いてアルマがウォンを睨んだ。
「おのれはギィ殿にあんな剣幕で怒鳴られて平気なのかや? もう妾は殺されるかと思ったぞよ。トロールなんぞよりよっぽど恐ろしかったわ」
ギメルは身長2メートルを優に超え、ウォンを片手で軽々と吊り上げることも朝飯前な怪力を誇るが、異界の門では最も心優しい男だ。だから普段なら恐れることなど全くない。ただしスーチに危害が加えられるようなことさえなければの話だが。
「あはは、なるほど」
「その上次にイオ殿の見舞いに行ったら、ティルナ殿にいきなり詰め寄られたのじゃぞ! ゼノス族の大アップじゃ! フェニックスなんぞよりもっともっと恐ろしかったわ」
「あ、そ、そうか、そりゃそうかもね」
ゼノス族とはその存在自体が神のようなものなのだ。なぜイオにそんな彼女がいるのかはともかく、話しかけてもらえるだけでも畏れ多いとしたものである。
「その上じゃ! それが終わったらこんどはゼナ殿とラーン殿とミース殿に吊し上げられておったのじゃ。もう少しで大惨事になるところじゃったというてな」
それを聞いてウォンは背筋が冷たくなった。
「大惨事って……もしかしてカーゴが?」
「そうじゃ」
「ま、まじかよ?」
「結果としてはニアミスが何件かあっただけで事故はなかったそうじゃが……」
その時になってウォンは急に怖くなってきた。ではあのときフェニックスが死んでくれなければ本当にカーゴが突入してきていたのか?
「ははは! まあ、その、終わりよければって言うじゃない」
だがそれを聞いてアルマはむっとした顔でウォンを睨みつける。
「そういうわけにはいかぬであろう?」
「ああ?」
「今回はたまたま奇跡が起こったから良かったよのう?」
「奇跡?」
訳が分からないという様子のウォンにアルマがにじり寄る。
「そうじゃろう? だいたいおのれは何であそこでフェニックスに斬りかかるのじゃ?」
ウォンはあの時のことを思い起こした。
「いや、まあ……」
「あれでやっつけられたのを奇跡と言わずして何というか?」
ウォンは言葉に詰まる。1回に1割ずつしか体力削れない相手なのだ。あの時のフェニックスは少なくとも3割以上体力が残っていたはずだから……
「でもさ、結局やっつけられたじゃないかよ」
それを聞いてまたアルマはウォンを睨みつけた。
「そういう問題ではない! 一体何を根拠に奴を倒せると思ったのじゃ?」
そう言われてウォンは言葉に詰まった。もちろん根拠などない。単にあの時はぶち切れていただけなのだから。
「え? だって、だってな……精神を集中したらダメージが上がるって言っただろう?」
もちろん出任せである。それを聞いてアルマは真っ赤になってウォンの胸ぐらを掴んだ。
「お・の・れ・は・そんな物に賭けておったのか? そんなんでフェニックスが倒せれば苦労などせんわ!」
「じゃあどうすりゃ良かったんだよ!」
アルマはウォンの襟から手を離すと言った。
「あの時妾はまだ死んでおらなんだのじゃ! 妾を回復させるのが先じゃろう!」
そう言って彼女は胸を叩いた。
「え? 俺はてっきり……」
「ちゃんと確認せい!」
ウォンは返す言葉がなかった。確かに二度目に彼女が吹っ飛ばされた後、ぴくりともしなかったのでそれだけで彼女が死んだと判断してしまったのだが……
「でもあれじゃ、俺の治療魔法ぐらいじゃどっちにしたって……」
その途端アルマはまたウォンの胸ぐらを掴んでわめいた。
「そうじゃ! 大体おのれはどうしてあそこで呪文などを唱えおったのじゃ?」
「はあ? だってお前が死んだらまずいだろう?」
「おのれは気づかなかったのかえ?」
アルマの目は完全に据わっている。
「な、なにを?」
「妾がおのれの手を取った時じゃ! 妾は懐に薬を持っておったのじゃ! じゃからそこにおのれの手を導いたのじゃ!」
「え? え?」
ウォンはあの“感動的な瞬間”を思いだした。ということは、あれは死を前にした女性が最後の想いを伝えようとしていた……はずがないに決まっている。
「ま・さ・か・妾が血迷うたとでも思ったのではなかろうな?」
ウォンは口をぱくぱくさせるだけで何も答えられない。それを見てアルマはウォンが想像通りの誤解をしていたことを確信したようだった。
「おのれはなあ! あのような状況で乳を触らせてどうするか! このおやごだわけが! いっぺんその脳味噌引きずり出して洗濯してくれるわ!」
そう言ってアルマはウォンの頭をぽかぽか殴り始めた。
「いて、いてて! だぁから、ちゃんと戻って来れたんだからいいじゃねえかよ!」
「そんなに行き当たりばったりで、よくインストラクターなどを勤められたものじゃ!」
「なんだと? 言わせておけば言いたい放題……」
だがその途端アルマはウォンの両肩をぎゅっと掴むとじっとウォンの目を見据えた。
「そうなのじゃ……戻って来れたのじゃ……」
「え?」
急に改まった口調にウォンは驚いてアルマの顔を見た。彼女の目は潤んでいる。
「ウォン。特にうぬには感謝しておる……」
そして驚いたことにアルマは、そう言うとウォンの肩に顔を埋めてきたのだ。
《え? ああ? えーと?》
こんな状況に免疫のある人間はそうはいないだろう。もちろんウォンはそれ以前の免疫さえ乏しかったので、彼の手は宙に広げられたまま、アルマを抱くでなく押しのけるでなく、痙攣のような意味不明の動作を行っていた。
そのままアルマはウォンにつぶやいた。
「そういえば、褒美の話があったよな?」
「褒美?」
何のことやらといった様子のウォンに、アルマは少しむっとした顔をした。
「敵に攻撃を当てたときの褒美じゃ! いらぬのなら良いのじゃ」
そのときウォンはやっと思いだした。だがちょっと、なんだっけ? 本当にいいのだろうか?
ウォンは恐る恐る答えた。
「い、いや、いる……」
それを聞いてアルマは微笑んだ。
「ウォン……うぬがノートスの奇跡を呼んだのじゃ……」
それからアルマは目を閉じるとそっとウォンの唇に唇を重ねた。
ウォンはまるで天国に昇ったような気分だった。
その時後ろの方からせっかくの雰囲気をぶち壊す声がした。
「えーっと、ちょっといいかしら?」
戸口に立っているのはラーンだ。
「うわああ!」
ウォンは慌ててアルマを押し離す。
「い、いつからいたんだよ?」
「さっきからずっとよ。忙しいんならまた後にするけど」
「そんな! こっそり見てるなら見てるって言えよ」
ウォンは混乱の極みだ。だがアルマの方はちょっと顔は赤いが遙かにしっかりしている。アルマは平然とラーンに言った。
「もしや妾に用かや?」
「ええ。さっきの調べが付いたわ」
「おお、でどうじゃった?」
「やっぱりだめね」
「あはは! そうであろうな。あまりにも虫が良すぎる話じゃな」
「ああ? どうしたんだ?」
話が見えていないウォンが尋ねると、アルマが答える。
「実はな、ローウェルタウンでカイから本来聞くはずのメッセージじゃが……」
その時ウォンは初めて今回の旅の目的を思いだした。
「そういえばそんなのがあったな」
それを聞いてアルマが笑う。
「そうなのじゃ。実はな、あのカイと最初に話したことがそれだったのじゃ。でも本当にどうでもよい話じゃったので、妾もすっかり忘れておったのじゃ」
「へえ。で、どんな話だったんだ?」
「それがな、奴が妾のために秘密の銀行口座を残しておったと言う話でな」
「銀行口座?」
「戻ってきて考えてみたのじゃが、そんな物があったとして、もし今も残っておったらどういうことになると思うかや?」
アルマの言わんとすることは、ウォンにも簡単に推測がついた。
「まさか、1500年分の利息とか?」
「そうじゃ! そうなっておれば妾は大金持ちではないかえ?」
それを聞いてウォンはこう言っていた。
「まじかよ? じゃあもうここをやめるのか?」
だがそれを聞いてアルマはウォンの頭を小突いた。
「おのれは何を聞いておるのじゃ? ラーン殿はそれがだめだったと言いに来て下さったのであろう?」
それを聞いてラーンがうなずいた。
「あ……だよな」
「だから仕方がない故、妾はもう少しここで働かせてもらうのじゃ」
そう言ってアルマは微笑んだ。
「あ、そう。せいぜい頑張るんだな」
口ではそういいながらもウォンはもう顔がにやけてしまうのを止めることはできなかった。
そんな二人を見ながらラーンが妙な笑みを浮かべながら尋ねた。
「ところで二人とも、こういうクイズ知ってる? 深さ10メートルの穴に芋虫が落っこちて、昼間に3メートル這い上がるけど夜に2メートルずりおちるっていうの。芋虫が脱出できるまでに何日かかるかって」
それを聞いてウォンが答える。
「ああ? 10日じゃないのか? 3メートル上がって2メートル落ちれば結局1日1メートルだろ?」
「アルマは?」
「妾もそう思うが? どうしていきなりそのような話をされる?」
それを聞いてラーンはさらに妙な笑いを浮かべながら言った。
「ま、奇跡の方がドラマチックかしらね?」
「?」
「?」
かくしてこの事件は異界の門では“ノートスの奇跡”と言う名で末永く語り継がれることとなってしまったのだった。
ようこそ異界の門へ ~ノートスの奇跡~ END
(あとがきは次ページです)