銀嶺の巫女 第3章 朝と夜

第3章 朝と夜


 それからまた数ヶ月が経過して、季節は初夏になった。

 ここで巫女達は先日発表された期間成績に基づいて、実際の作戦時のグループに分けられた。

 作戦では巫女達は宮国の聖地まで二つの輸送機に六人ずつ乗って行くことになっている。そのため彼女達は実行部隊Aチーム、Bチーム各六人と、控え十二人のグループに分けられることになる。

 それに応じて巫女達はチームごとに部屋替えが行われた。

 グレイスは努力の甲斐あってAチームに入ることができた。

「うわー、ここが今度の部屋か!」

 前の部屋はかなりボロな感じだったが……やっぱりこっちも大差なかった。

 だが窓からの景色はちょっといい。以前は隣の建物しか見えなかったのだが、今度は飛行場が見渡せて遠くにはうっすらと山並みも見える。山育ちのグレイスにはこんな平べったい土地というのは何か物足りない。

 その時部屋に入ってきたのがヘリファルテとアントレーネ、それにヴォルケだ。

「や、よろしく」

 爽やかに手を振るヘリファルテはいつ見ても格好いい。

「グレイス!」

 アントレーネもにこやかに微笑む。グレイスも彼女にうなずき返すと、その横のヴォルケに言った。

「あ、これからもよろしくね!」

「ええ」

「ヴォルケと一緒で良かった~!」

 ヴォルケはグレイスをじろっと睨むとつんとした様子で答える。

「だからあなたは一々人に聞かないで、もっと自分で勉強しなさいよ!」

 そうは言いつつもヴォルケは実は結構親切なのだ。グレイスは体を動かすのは得意なのだが、座って勉強というのは苦手である。それなのにここでは地理とか数学とか天文学とかそんなのをやらなければならないのだ。

 それが必要な理由はよく分かる。これから彼女達は知らない国に飛んでいって、帰りは自分で操縦して帰ってこなければならないのだ。そんなところで自分のいる場所を知って帰りの方向をきっちりと定めることができなければ、もちろん迷子になってしまう。

 そして当然ながら前線ではどんなトラブルが起こるか分からない。従って行った者全てがパイロットとナビゲータの両方をこなせなければならないのだ。

 だが、そうはいっても難しい物は難しい。正直最初はこれはもうダメかと思ったくらいだ。

 そこで当たって砕けろと、いつも物静かに本を読んでいて座学の成績はトップクラスのヴォルケに、教えてくれと頼んでみることにしたのだ。

 彼女はアントレーネと同じ南カテドラルの出身で、彼女から一見怖そうだけど実は結構優しいと聞いていたからだ。すると本当にすんなりと教えてくれて、それ以来夜は大抵彼女と一緒に勉強をしていた。グレイスがペーパーテストでもそこそこの成績を収められたのは、ひとえに彼女のおかげだった。

 もちろん一方的に教えてもらったわけではない。

 ヴォルケがグレイスのノートに押されていたブラトゥフさんの判子を見て気に入った様子だったので、彼に紹介してあげたのだ。もちろんブラトゥフさんも喜んでヴォルケの顔の判子を作ってくれた。しかも今度のお礼はヴォルケが作ったのでブラトゥフさんも美味しいクッキーが食べられてみんなハッピーになれたのだから……って、何かちょっと自分だけ得してるような気もするが……

「で、あと誰でしたっけ?」

 アントレーネがヘリファルテに尋ねた。

「イーグレッタとモントーネだったな」

「ああ、イーグレッタ!」

 凄い人二人と一緒なんて、ちょっとドキドキしてしまう。

「でも彼女、ちょっとびっくりでしたよね」

「ああ」

 アントレーネの言葉にヘリファルテがうなずいた。

 イーグレッタは前にも述べたように、ヘリファルテ、シュトラーレと並んで常に成績トップを走っていた。だが最近になって彼女はなぜか調子を落としてしまい、結局総合成績は七位止まりだったのだ。おかげで何とグレイスが三位に入ることができたのだが!

「何か体の具合でも悪かったんでしょうか?」

「いや、そうも見えなかったけど……」

 首をかしげる二人に、ヴォルケがぼそっと言った。

「それよりモントーネは大丈夫なの?」

 それを聞いてグレイスが答えた。

「え? でも今日の朝は凄く元気そうだったけど?」

 確かにチーム分けが発表された後の彼女は、こればかりは時の運だとはいえ、周りが見ても可哀相なくらい落胆していたが……しかし今日の朝見た時は、何かすごくにこにこ顔で朝食のおかわりをしていたのだが?

 そんなことを話していると、部屋にイーグレッタと……もう一人入ってきたのは何故かモントーネではなくイーグレッタの妹アリエスだった。

「あれ? アリエス?」

 ヘリファルテが不思議そうな顔をする。するとアリエスが満面の笑みで答える。

「あ、それがね、モントーネがどうしてもBチームに行きたいって言うから替わってあげたの」

 一同は唖然とした。

 モントーネは東カテドラル出身の子だが、シュトラーレにぞっこんになってしまったらしく、誰彼となく自分はシュトラーレ様とパルになりたいと言いふらしまくっていた。だが、先日発表された組み分けで別のチームになってしまって、そのせいで落ち込んでいたわけだが……まさかこんな暴挙に出るとは……

「いいの? そんなこと」

 アントレーネが尋ねると、アリエスは胸を張って答えた。

「大丈夫よ。副司令にかけあってきたの。そうしたらモントーネとあたしならバランスも崩れないだろうからいいだろうって」

 そう言ってアリエスはイーグレッタの腕にしがみついた。

 確かモントーネが九位で、アリエスが十位だったか?

 グレイスはこれまでアリエスとはあまり話したことはなかった。彼女はイーグレッタの妹で東カテドラル出身で、しかも大抵いつも姉にくっついていたからだ。

《えーっと……これってもしかして?》

 実はお姉さんと一緒にいたかったからモントーネと利害が一致したからとか? そんなことで副司令に掛け合うとか、二人ともよく分からない度胸があるようだが……

「まあ、許可があるならいいんじゃないかな」

 ヘリファルテが苦笑いしながら言う。

「ともかくこれからずっと一緒だ。みんなよろしくな」

 一同はうなずいた。

 こうしてグレイス、アントレーネ、ヘリファルテ、イーグレッタ、ヴォルケ、アリエスのAチーム六名が揃った。

 互いに挨拶を交わした後、ヘリファルテが言った。

「で、何だっけ、パルを決めておけって言われてたね?」

 パルとはシムーンを操縦する二人組のことをそう呼ぶらしい。

「ええ」

 イーグレッタがうなずく。

「上位三人がアウリーガで、下位三人がサジッタでしたね」

「そうすると、こうなるのかな? 私とイーグレッタ、グレイスとアリエス、ヴォルケとアントレーネ」

 チーム分けは期間成績の順序を元に行われた。全員に1~24位の順序が付けられ、Aチームは1, 3, ... , 11位の奇数位、Bチームは同様に2,4,...,12位の偶数位の子が集められている。13位以降が控えチームだ。なのでA,Bの組み分けはたまたまで、実力差はほとんどない。

 またその中で原則として1~6位の子がアウリーガ、7~12位の子がサジッタをすると決められていた。またパルの組み合わせも特に問題なければ1-7、3-9、5ー11といった順位順で決める。だがそれはあくまで“原則”なのでバランスさえ崩れなければ相性を見て変更しても構わないが、その場合は報告して承認を受けろということになっていた。

 グレイスとアントレーネはちょっと顔を見合わせた。彼女の顔にも少し残念そうな表情が浮かんでいる。

 そこで恐る恐るグレイスは言った。

「あの、あたしアントレと組んだらだめ? やっぱり成績順じゃないと?」

「えーっとそれは……」

 ヘリファルテはちょっと首をかしげるが、イーグレッタが笑いながら答える。

「いいんじゃないかしら? チームごと替わってきた人もいるくらいだし」

「あはは」

 アリエスが笑いながら頭を掻く。それを見てヘリファルテがヴォルケに尋ねた。

「ヴォルケ、君は?」

「私は構わないわよ? 誰とでも」

「アリエスは?」

「あたしもいいわよ」

 グレイスとアントレーネは二人に頭を下げる。

「ありがとう!」

 ヴォルケがちょっと気まずそうに手を振る。

「いいえ。別にたいしたことではないから」

 パルというのは今後何をするにも基本的な単位になってくる。アリエスが悪いというわけではないが、できれば既に仲良くなった子の方がいいに決まっている。

「それじゃうちのチームはこういうことだね? 私とイーグレッタ、グレイスとアントレーネ、ヴォルケとアリエス、そう報告するよ?」

 ヘリファルテの言葉に一同はうなずいた。

 グレイスはちょっとウキウキしてきた。これでまた何か新鮮な気分で毎日が過ごせそうだ!



 だが世の中、そう何もかもがうまくいくわけがない。それからしばらくしてからだった。

「もう我慢がならないわ!」

 ヴォルケが叫んだ。アリエスがむくれた顔でそれに答える。

「だから謝ってるじゃない」

「あんたいつも口先だけでしょ?」

「こっちだって頑張ってるんだから……」

「何を頑張ってるのよ!」

 グレイスとアントレーネはおろおろしながら二人の様子を見守るだけだ。

「ヴォルケにあたしの気持ちなんか分かんないのよ!」

「何が気持ちよ! 単に怠け者なだけでしょ!」

「うるさい! 馬鹿!」

 そう叫ぶとアリエスは部屋から駈けだしていった。

「なんだってのよ!」

 いつもは冷静なヴォルケが枕をベッドに叩きつける。

 そのときヘリファルテとイーグレッタが戻ってきた。中の異様な様子を見てヘリファルテが尋ねる。

「いったいどうしたんだ?」

 それに対してアントレーネが答えた。

「それが、ヴォルケとアリエスが喧嘩しちゃって」

「喧嘩? 一体どうして」

「それが、今日ね、アリエスが寝坊しちゃって、それでシミレに乗れなかったの。そのうえ、ペナルティで基地の周り、二周もさせられちゃって……で、ヴォルケが怒っちゃって……」

「ええ? それ本当?」

 目を丸くしたのはイーグレッタだ。

「私はちゃんと声かけたんだから。もう起きないと遅くなるって。それなのに十五分も遅刻してきて、それなのに連帯責任だって、あたしまで走らされて……」

 そう言うヴォルケの目は真っ赤だ。

 彼女はグレイスとは違って町育ちなので長距離走とかはあまり得意ではない。そのうえシミレにまで乗れなかったのだ。腹が立つのはよく分かる。

「それなのに何よ? 声が聞こえなかったとか何とか。ふざけてるでしょ?」

 その言葉を聞いてイーグレッタが謝った。

「ごめんなさい。ヴォルケ」

「イーグレッタのせいじゃないから!」

「で、彼女さっき凄い勢いで走ってったのか……」

 ヘリファルテがどうしたもんかといった表情でつぶやく。

「どこにでも行けばいいじゃないの!」

「ごめんなさい。ヴォルケ。あの子ちょっと甘えん坊で……」

 再びイーグレッタが謝るが、ヴォルケは彼女を睨み付けた。

「だから、イーグレッタが謝ることないから」

「でも私の妹だし……」

「そんなこと言ってるからあの子がつけあがるのよ! 姉妹だったらもっとちゃんとさせなさいよ!」

 イーグレッタが少し眉を顰める。

「ん、まあまあ。でも困ったものだな……」

 今度はヴォルケとイーグレッタの喧嘩になりそうな雰囲気だったので、ヘリファルテがやんわりと間に挟まるが、ヴォルケの目から涙がこぼれだした。

「あたし、もうだめ。ごめんなさい。あの時、誰でもいいって言ったけど、アリエスじゃもうダメ!」

 えーっと、なんだか大変なことになりつつあるのだが……

 とはいってもどうすればいいのだろうか? できることは限られているわけで……

 そこでグレイスが小さく手を挙げると口を挟んだ。

「あのー、それじゃパル代わる?」

「え?」

 一同が彼女の方を向く。

「ほら、元々の組み合わせはあたしとアリエスだったし、ヴォルケとアントレは同じ南出身だから元々よく知ってる同士だし……」

 だがヴォルケはじろっと彼女を睨むと言った。

「それじゃあなたに迷惑がかかるじゃないの」

「え? 基地の周り二周くらい別にどってことないけど?」

 ヴォルケはがっくりとうつむくと、それからグレイスににじり寄った。

「あのね、何度も何度もそんなことしてたら、そのうち控えに落とされるわよ?」

「うっ」

 それはさすがに避けたいが……

 二人のやりとりを聞いてイーグレッタが言った。

「分かったわ。ねえ、ヴォルケ。あなたサジッタでもいいかしら?」

「え?」

 ヴォルケが驚いてイーグレッタの顔を見る。イーグレッタは彼女に向かって言った。

「ヘリファルテのサジッタにならない?」

「おい、イーグレッタ!」

 慌ててヘリファルテがイーグレッタの肩に触れるが、今度は彼女はヘリファルテを見て言った。

「私の妹だから。私が責任取らないと」

「……」

 そこにヴォルケが割って入る。

「イーグレッタ。別に私はサジッタでも構わないけど……でもあなた、どうしてもヘリファルテと組みたいんでしょ?」

「え? 別にそういうわけでは……」

「それじゃどうしてわざと七位を狙ったの?」

「え? 何のことかしら?」

 イーグレッタが目を反らす。ヴォルケがたたみかける。

「とぼけないでよ。おかしいと思ってたのよ。前やった模擬戦であたしが勝った時。あの時あなた撃てたのに撃たなかったでしょ?」

「……」

「どうしてそんなことするのかなって思ってたけど、ここに来てよく分かった。一位と七位がパルを組むって知ってたからよね?」

 イーグレッタは肩を落とすと、ちょこっと舌を出した。

「あら……ばれちゃった?」

「まあ、大体は気づいていたけどね」

 ヘリファルテもうなずく。

 だがグレイスには青天の霹靂だった。

「ええ? そうだったの?」

 ところが逆にびっくりした表情でみんながグレイスを見た。

 ぽかんとしたグレイスにアントレーネが尋ねる。

「グレイス、全然気づいてなかった?」

「え、じゃあ、みんな?」

「あたしも何となくだけど」

「えー、どうして分かるの?」

「まあ、もっと大きくなったら分かる、かな?」

 ヘリファルテが苦笑しながら言う。

「ちょっとー!」

 そんなこと気づかないのが普通だろうが! どうしていつも子供扱いなのだ?

 などとグレイスがぶつぶつ言っている隙に、ヘリファルテがイーグレッタに尋ねた。

「でも今更パルの組み替えとか認めてもらえるだろうか?」

「それは副司令に聞いてみないと……」

 二人の会話を聞いてヴォルケが言った。

「でも……せっかくみんな息が合って来てるのに」

「それは……」

 ヘリファルテ達もちょっと答えに迷う。

 現在AチームとBチームで六つのパルがあるが、ヴォルケとアリエスを除いてはそれぞれみんな上手くやっていた。

 グレイスとアントレーネは当然のこと、Bチームでもモントーネが念願のシュトラーレのパルになって張り切りまくりだし、カナーリとブリッサは西のスピード狂仲間だし、ラテルネとグラナータは射撃マニアと裁縫少女ではと当初は少し危ぶまれたのだが、今ではおしどり夫婦とか言われている。そして当然のことながらヘリファルテとイーグレッタのパルは個人の能力に加えてそのチームワークでも他の追随を許していなかった。

 すなわちヴォルケとアリエスのパル解消となれば、これらのどれかに影響があることになる。とすると……イーグレッタの提案が一番いいのだろうか? 実際彼女はアウリーガとしても十二分に実力はあるし、ヴォルケは航法の成績は一番だった。

《それって……》

 ヴォルケのアウリーガは凄く優雅で綺麗だからグレイスは好きだった。それにイーグレッタだってヘリファルテが好きなのだったら絶対内心では残念だって思ってるはずだし……

 そこでグレイスが言った。

「えっと、ねえ、いいかな?」

「なに?」

「要するにアリエスが朝起きればいいんでしょ?」

「いつも起こしてるのよ?」

 ヴォルケが怖い顔でグレイスに言う。

「うん。でもそれで起きないんなら、あたしが起こしてあげようか? 本気で」

「本気? で?」

 一同が首をかしげる。

「アリエスさえちゃんと起きたら、別にパル替えなくてもいいのよね?」

「それは……そうだけど」

「じゃあ、今度アリエスが寝てたらあたし呼んでよ」

「え? ええ。でもどうやって?」

「それは見ててのお楽しみ!」

 ヴォルケはちょっと困ったような顔でヘリファルテを見た。

「ここは彼女に任せてみたらどうかな?」

「……分かったわ」

「それに、これだけの騒ぎになれば、彼女だって改善努力はするだろうし」

 うん。確かにそれは言えるだろう。いかなアリエスでもこの期に及んでヴォルケに迷惑をかけるなど、普通の神経では無理なはずだ。少なくとも一ヶ月くらいは大丈夫なのでは? と、グレイスはそう思ったのだが、彼女の出番がやってきたのはそれから僅か三日後だった。



 その日はまた朝からヴォルケとアリエスのシミレ訓練がある日なのだが、ベッドの中でアリエスがまだ丸くなって眠っている。

 ヴォルケが震え声で言う。

「さっき、声かけたのよ。そしたら『うん』って言ったのに……」

「あはは。ねぼすけの『うん』っていうのは『うん。もうちょっと寝るから』って意味なのよ」

「で、どうするんだ? この眠り姫を」

 ヘリファルテとイーグレッタ、それにアントレーネも見物に来ている。

 そこでまず、グレイスはアリエスの枕元に行って突っついた。

「アリエス! アリエス! 朝だよ! みんな待ってるって!」

「うん」

「ほんとにわかった?」

「うん」

「よし。じゃ、避けろよ~!」

「うん……??」

 グレイスは部屋の端から助走を付けて、手前のベッドを踏み台に大きくジャンプすると、そのまま大の字になってアリエスの上にボディープレスを決めた。

「んぎゃーーーっ!」

「起っきろ! 起っきろ! 起っきろ~~!」

 そのままグレイスはアリエスの上で飛び跳ね始める。

「ちょっと……」

「アントレもおいでよ!」

 横で目を丸くしていたアントレーネだが、グレイスに引っ張られて思わず彼女もアリエスの上に倒れ込む。

「んぎゃっ!」

「ほら、みんなも、さあさあ」

 それを見て呆気にとられていたヘリファルテが、やがて笑いをこらえながら近づいてきてアリエスの鼻をつまむ。

「むぎゃっ!」

「あはは。確かに昔良くやったね」

「そうね」

 今度はイーグレッタがばたばたしているアリエスの足首を捕まえて、足の裏をくすぐり始めた。

「んぎゃーーーっ! んぎゃーーーっ!」

「ほら、ヴォルケもおいでよ」

 だが彼女はどん引きしていた。

「なによ、これ……ちょっと、アリエス大丈夫なの?」

 良くみると何だか本気でもがいているような気がするが……

 そこでみんながアリエスの上から退くと、アリエスが弾かれたバネのように跳ね起きた。

「人殺し!」

 アリエスが目に涙を浮かべながらみんなを睨む。

「何するのよ! 死んじゃうでしょ!」

「ええ? 意外に大丈夫なんだよ。西じゃいつもこんなんだったし。でも一度布団が破けて部屋中羽だらけになった時は怒られたな~」

「バカじゃないの? あんたんとこ子供の集団?」

「えー? みんなの所じゃやってなかったの?」

 ヘリファルテが笑いながら答える。

「大体十二歳までだな」

「えー?」

 そこでヴォルケがじろっとアリエスを睨んだ。

「で、どうするの? 起きるの?」

「起きるわよ! 起きなきゃ死ぬじゃない!」

 といったことが何度か繰り返された挙げ句、アリエスは今後は朝起きねば命がないことと、実はこのメンバーの中ではヴォルケが一番優しいことを学習したのだった。



 それからまたしばらくしてのこと、季節はもうすぐ夏だ。

 その日グレイス達は夕食をとりに大食堂まで来ていたが、機体トラブルがあったせいでいつもより少し遅くなっていた。

「わあ、この時間、いつも凄いね」

 食堂は兵士達で一杯だが、この時間帯はみんな酒が入って盛り上がっている。

 グレイスとヘリファルテ、イーグレッタは食堂の隅に席を見つけて陣取った。そこでヘリファルテが三人しかいないことに気づいて、グレイスに尋ねた。

「アントレーネはどうしたんだ?」

「後から来るって。油、髪の毛にも付いちゃってたし」

「え? そうだったんだ」

「油って取れにくいのよね」

 礁国機はそういう意味でも色々困った物なのだ。

「でもあの子達があんなに煽らなければ……」

「カナーリ達? あは、ごめんね」

 こっちの機体の調子が悪いことを知っていたくせに、あのアホ共が後ろからがんがん煽ってくるので無理をした挙げ句、油が漏れてしまったのだが。

「まあ、グレイスが謝らなくても」

「だって、ブリッサはあっちじゃあたしの“サ・ジェッター”だったんだし」

 西から来た暴走四天王ことグレイス、カナーリ、ブリッサ、ファールケだが、カナーリのパートナーだったファールケが残念ながらトップチームに入れなかった。そしてグレイスがAチーム、カナーリとブリッサがBチームと分かれてしまったことで、結果としてカナーリとブリッサがパルを組んでいた。

「あの子、もう煽るのが得意で得意で。で、カナーリってバカでしょ? だからすぐ挑発に乗っちゃって。もう止める子がいないからああなっちゃうのよ」

「あはは。そうか。バカだったのか。カナーリは」

 二人が何だか微妙な笑顔でグレイスを見ているのは気のせいか?

「で、ヴォルケとアリエスは今日は夜間飛行?」

「そうよ」

 あれ以来この二人はまあ何とかうまくやっているようだ。アリエスというのはやはりこの姉の妹だけあって基本的に能力は高いのだ。彼女がちゃんと集中できている時には姉をも凌ぐ力を発揮することさえあるのだが、むらっ気があるのが問題だった。

 例えばこの間のタイムトライアルだが、彼女達の総合成績は四位と平凡だった。だがそれを区間別に見てみると、最高タイムを叩きだしている区間があるかと思えば―――しかもそこは結構難しい区間なのだが―――どん尻の区間もあるといった具合で、教官達も頭を抱えていた。

 だがいずれにしてもA,Bチームのパルの相性問題はほぼなくなったと言って良い。そうなれば後は練習することで成績を上げていけるだろう……三人がそんなことを話しながら夕食を食べていた時だ。

「あら? あの子……」

 イーグレッタの指す方を見ると巫女が一人、酔った兵士に手を掴まれている姿が見えた。何か言っているようだが、周りがうるさくて聞こえないが……

「マリキータ?」

 間違えようがない。彼女はグレイスと同じ西出身の子だ。スキーが得意なのだが、ポルフィー同様ちょっと飛ぶ方は苦手だったらしく、彼女も残念ながら控え要員だが……

 グレイスは反射的に立ち上がる。

「あ、ちょっと行ってくるね」

「おい、グレイス?」

「大丈夫、大丈夫!」

 グレイスは心配そうなヘリファルテ達を尻目に一直線にマリキータの所に向かった。彼女は少し気弱なところがあるから振り切れないのだろう。

 グレイスはマリキータの手を握っている兵士の前につかつか歩み寄った。

「何してるのよ!」

「あん? なんら? お前は?」

 兵士は顔が真っ赤で思いっきり酒臭い。完全無欠の酔っぱらいだ。

「その子の手を離しなさい」

「グレイス!」

 マリキータがおろおろとした様子でグレイスの顔を見る。グレイスはにっこり彼女に笑った。

 そんな彼女を兵士がぎろっと睨み付ける。

「あん? ちょっとお酌してくれって、言っただけらろ?」

 グレイスは真っ向から兵士を睨み返した。

「そんなの自分で注げばいいでしょ?」

「ああ?」

「いいから、離しなさいって!」

 そう言ってグレイスはマリキータを掴んでいる男の腕に、全力でチョップを叩き込んだ。

「うあ! いてっ! このアマ」

 男はびっくりしてマリキータの手を離した。

「それじゃね。行こ!」

 グレイスはマリキータに目配せしてとっととその場を引き払おうとした。

 だが今度はグレイスの手を男ががっちり掴んだ。

「おい、待てよ」

「何よ! 痛いじゃないの!」

「お前、人殴っておいて、謝りもしないのか?」

「殴る? 先に彼女に手だしたの、あんたの方じゃない!」

「あんだと?」

 どうやら男はもうまともな思考ができなくなっているようだ。

「分かった分かった。痛いって。謝るから。はい、ごめんなさい。これでいい?」

「このガキ、なめてんのか?」

「じゃあどうすればいいってのよ?」

「俺たちの相手してもらおうじゃねえか。じっくりとな」

 それを聞いて周囲の兵隊達が嫌な笑い声を上げた。

 こいつら……巫女を何だと思っているのだ? グレイスの頭の中で何かがプチプチ切れた。

「あのねえ、あんた達なんか勘違いしてない?」

 グレイスは思い切り男を睨み付ける。

「巫女は“あそびめ”でもなんでもないのよ! 分かったらとっととその汚い手を退けてお似合いの“ばいたのけつ”でも追っかけてろってのよ!」

「なんだとぉぉ? この餓鬼ゃぁぁぁぁ!」

 男は赤い顔を更に赤くして激高した。

《あれ?》

 このセリフはグレイスがまだ小さかった頃、大人達の喧嘩を収拾するのにはなかなか効果的だったはずなのだが……

 男は本気でグレイスに手を振り上げた。

《ぎゃ!》

 殴られる! と思った瞬間だ。横から誰かが突っ込んできてその兵士に体当たりをした。男はよろめいて尻餅をつく。

「誰だ! この野郎!」

「グレイス! 下がれ!」

 飛び込んで来たのは……ヘリファルテだった。それから彼女は兵士に向かって頭を下げる。

「すみません。彼女ちょっと……」

「すまなくなんかないわよ! そっちが悪いんじゃない!」

「グレイス、ちょっと落ち着いてくれ」

「だってヘリファルテ……」

 ヘリファルテはグレイスと男の間に割り込むと、男に頭を下げる。

「すみません。謝りますから」

「だったらお前が俺たちの相手をするか?」

 ヘリファルテが歯を食いしばるのが後ろからでも分かる。

「それは……」

 男はのそっと立ち上がる。

「だったら……しゃしゃり出るな!」

 そう言っていきなりヘリファルテを張り倒した。何と言っても大人と子供だ。彼女は軽く吹っ飛んで近くのテーブルにぶち当たり、その拍子に皿が数枚床に落ちて割れた。

「ヘリファルテ!」

 彼女の口の端から血が垂れている。

 これは、一体どうすれば……と思った時だ。

「おやめなさい!」

 凛とした声が響いた。

 その方を見て酔っぱらった兵士も、グレイス達も息を呑んだ。

 そこにはイーグレッタがミニステリウムを―――巫女が常に所持している拳銃だ―――構えて立っていたのだ。

《ちょっと、それって……》

 それを軽々しく人に見せるのは禁じられているし、人に向けるのはなおさらだ。だが……

「おい、危ないだろ」

 兵士がちょっと青ざめた様子でイーグレッタに言う。

「だったらもう止めてください」

 だがそれを鼻で笑うと酔った兵士は言い始めた。

「子供がそんな玩具を扱うのは危ないって……」


 パン!


 その銃声に食堂内がしんと静まった。

 兵士が……真っ青な顔で立ち尽くしている。後ろの壁には銃弾のめり込んだ穴が空いている。

「お、お……」

 イーグレッタは男を見つめると冷たい声で言った。

「これは玩具ではありません」

 イーグレッタはそう言って今度はぴたりと男の額に照準を合わせた。その眼差しに男が息を呑む。

 それから静かに話し始めた。

「嶺国はとても寒く、貧しい国です。そのため毎年多くの人が、寒さのため死んでいきます……」

 ちょっと待て! 彼女は何を話そうとしているのか?

「でもどうして人は死ぬと思いますか? それは、お腹が減るからです。私たちの国は山ばかりで耕せる土地がほとんどありません。だから食べる物が足りません。だから人が死にます。そこで冬の厳しく寒い夜、カテドラルを尋ねてくる方が……いらっしゃいます」

 えっと、その話は、その……

「残り少ない食べ物をぎりぎりまで切り詰めて、もうそれ以上どうしようもなくなった時、それでも食べる人の数が減ったのならば、残った人は生き延びられるかもしれません。だから冬の寒い夜、そんな方がカテドラルに来るのです。私たちはその方が神の御許へ行かれる際の……お手伝いをします」

「え?」

 兵士の喉から困惑したような声がこぼれる。

《ああー! 言っちゃった!》

 これは教母様からも絶対にみだりに人に話してはならないと釘を刺されていた事なのだが……

 だがイーグレッタは話し続けた。

「かつてそのようなとき、人は森に行き、静かに雪の上に横たわったといいます。でも始まりの巫女様がおっしゃいました。それでは寂しすぎると。それは最上の愛と呼ぶべき行いだというのに、凍てつく寒さと暗闇の中、ただ一人で旅立っていくというのは、あまりにも悲しすぎると。そう言って始められたのが、冬の夜のお勤めです」

「って、こと、は、あんた、それで?」

 兵士は青い顔でイーグレッタの構えた拳銃を指して尋ねる。

 イーグレッタは答えた。

「はい。だから私たちは外しません。外したらその方が苦しんでしまいます。だから一発で、確実に神の御許にお送りして差し上げられますよう、私たちは修練いたします。私たちの額の紋様ですが、これはこのお勤めをこなした巫女だという証です」

 正確には“水渡りの儀式”、“心臓への祈り”、そしてこの“冬の夜のお勤め”の三つをこなした証だが……

「……」

「ですから私たちは自らの命をアニムスにお預けしております。神がそれをお求めになるのならば、いつでも差し出せますよう……それが私たちのお勤めですから」

 そしてイーグレッタはにっこりと笑った。

「でもあなた方にお酌をするのは、私たちのお勤めではありません。ですのでここは勘弁して頂けませんか?」

 兵士は絶句して声も出ないようだ。

 その時だった。ぱたぱたっという足音がしたかと思うとアントレーネが食堂に駆け込んできた。

 彼女はグレイスの姿を認めて手を振った。

「あ、遅くなってごめーん。油、なかなか落ちなくって」

 その声がしんとした食堂に響き渡る。それでアントレーネも食堂に満ちる異様な空気に気がついた。

 彼女が驚いてこちらをよく見ると、グレイスの他にヘリファルテが口から血を流しながら座り込んでいるし、イーグレッタは何かとんでもない物を手にしているようだ。

 彼女は一体何が起こったのかといった様子で口に手を当てた。

 そんなアントレーネを見て近くの兵士が尋ねた。

「あんたも……その冬の夜のお勤めってのを、やったのかい?」

「え? どうしてそれを?」

 彼女が驚いてあたりを見回すが、兵士達が彼女を見つめている。

 途端にアントレーネの目から涙がぽろぽろこぼれ始めると、そのままがくんとうずくまってしまった。

 尋ねた兵士が慌てふためいた。

「すまん。おい、ちょっと、お嬢ちゃん! 泣くなって!」

 その時だった。

 少し離れたテーブルに座っていた男が立ち上がると、うずくまったアントレーネの所に近づいていった。襟章を見るとどうやら中隊長のようだ。

 中隊長はアントレーネを泣かせた兵士をごつんと殴った。

「バカか? 子供を泣かせてるんじゃねえよ」

「申し訳ありませんっ!」

 それから男はつかつかとグレイス達の所にやってきた。

「おい、こら」

 兵士達は一斉に居住まいを正す。

 中隊長はミニステリウムを構えたままのイーグレッタに向かって言った。

「それ、危ないからしまえ」

 イーグレッタは一瞬戸惑ったが、すぐにそれをホルスターに収めた。

 次いで中隊長はじーっとイーグレッタを見つめると尋ねた。

「それってさ、冬の夜じゃないとだめなのか?」

「え?」

 イーグレッタは少し意表を突かれて戸惑った。

 中隊長は続けた。

「戦場じゃな、重傷を負って動けなくなった奴を残して来なきゃならんこともある。そういった場合そいつは自決する。それともあんたの所の宗教に入信してないとだめか?」

 それを聞いてイーグレッタは首を振った。

「いえ、アニムスは魂を分け隔てはいたしません。その方がそれを望み、その言葉を心から唱えるのであれば、それを叶えて差し上げるのが私たちの、勤めです」

「その言葉?」

「私たちの国で“最上の愛”を意味する言葉です」

「最上の……愛、か」

 中隊長はそれを小声で何度か繰り返すと、乾いた声で笑い始めた。

 次に振り返ると成り行きを見守っていた兵士達を見回して言った。

「おい! 聞いたか? この巫女様方はこんな俺たちでもよ、最後の最後まで一緒にいて下さるんだそうだ! そんなお方をお守りできるとか、てめえら、どう思うよ!」

 途端にあたりから歓声が沸き上がる。

 中隊長はグレイス達に絡んでいた兵士達に向かって言った。

「ってことだ。今後この巫女様方を、その辺の飯炊き女と一緒にしてんじゃねえぞ? 分かったか!!」

「はいっ。申し訳ありませんでしたっ」

 兵士達は弾かれたように敬礼する。

 それから中隊長は再びイーグレッタに向かって言った。

「だがな、食堂で発砲は禁止だ。残念だがしばらく営倉で過ごしてもらうことになる」

 ちょっと! それってないだろ!

「ええ? そんな! イーグレッタは悪くないのに!」

 思わずグレイスが中隊長に突っかかる。

 途端に中隊長がグレイスを怖い顔で睨み付けた。

「悪いんだよ。規則だ!」

「でも……」

 口ごもるグレイスに中隊長は続けた。

「大体あんた、あんな汚い言葉、どこで覚えたんだ? 巫女様なのによ?」

 汚い言葉って……さっき言った“ばいたのけつ”とかのことか?

「え? あれ? 小さい頃、父さん達がよく言い合ってたから」

 中隊長はちょっと眉を顰める。

「ああ? 父さん達って、一体何者だ?」

「え? 密輸業者だけど?」

「は?」

 あっけらかんと答えるグレイスに、中隊長も、近くで聞いていた兵士も言葉を失った。

「密輸業者って……」

「嶺国の国境地帯には一杯いるの。ほとんど密輸業者ばっかりの村だってあるんだから」

「何でそんな奴の娘が巫女様なんかを?」

「あ、それは父さん達が行ったっきり戻ってこなくて、母さんもっと前に死んでたし。それで仕方なくカテドラルに引き取ってもらって」

「あ……そりゃ、そうだったのか」

「ひどいのよ。どうして撃たれるのかしら。ちょっと国境超えて買い物に行ってるだけなのに」

「そりゃ、さあな……ともかくだ、子供がそんな言葉を使うのは止しとけ」

「どうして?」

「どうしてもだ!」

 そう言って中隊長はグレイスをごつんと殴った。



 イーグレッタの営倉入りは一晩で済んだ。聞けば勝手な発砲は相当の重罪だったらしいが、状況と正式な礁国兵士でないということを考慮してそういう処置になったらしい。

 だがその後グレイス達も含めて教母達には散々に絞られた。特にミニステリウムをみだりに人前にさらすのは厳禁とされているし、発射するなど以ての外だ。

 だが嶺国では巫女に絡む酔っぱらいなどあり得なかったので教母達も、ではそういう場合にどうすればいいかと問われると言葉を濁すしかなかった。

 しかしその心配はもう無用だった。それ以来、礁国の兵士達の態度が大きく変わったからだ。

 多分それまでは彼らも内心、どうしてこんな小娘達のお守りをしなければならないのだ? と思っていたに違いない。だが巫女達がここにどれほどの物を背負ってやって来たか知ったことで、彼女達を守るべき自分たちの仲間だと認めてくれたのだろう。

 それからは夜、食事が一緒になった時などには色々と礁国の話などを聞くことができた。

 彼らの祖国アルゲントゥム礁国は、昔はとても綺麗な国だったらしい。青く澄み渡った空。どこまでも透明な海。銀の砂浜。そこで人々は魚を捕ってのんびり暮らしていたのだという。

 でもやがて人々は飽き足らなくなった。もっと多くの幸せを求めて科学技術を発展させていった。生活は便利になり、今まで不治の病だった物が治るようになり、更には自力で空を飛ぶことさえできるようになったのだが、それはその美しい光景を犠牲にすることで達成されたのだった。

 空は淀み、砂浜は黒く染まり、海は死んだ。人は新しい不治の病に侵された。

 誰もそうなることを望んだわけではない。全ては人が幸せになるためのはずだったのに。彼らはどこで道を誤ってしまったのだろう?

 それは彼女達も同じだ。冬の寒い夜。愛の中の愛―――でも本当はみんな知っていた。それがただの人殺しなのだと。



 このようにして訓練の日々は過ぎ去っていき、ついに明日は本作戦を実行するために空中補給基地シュネルギアへと移動する日になった。

 今晩が地上基地最後の夜だ。

 夕食は作戦参加組の送別も兼ねて今までになく豪華な物が出てきた上に、居残り組の巫女達がケーキまで作ってくれた。何だかまるで誕生会でもしてもらっているような気分だ。

 だがそんな楽しい送別会もやがてお開きになり、グレイス達は部屋に戻って明日のために眠りにつく。

 いつもならそこですとんと眠ることができたのだが、さすがに今晩ばかりは寝付けなかった。

《んー……》

 寝返りを打ちながらグレイスは考えた。

 やっぱりもう二度とこの基地には戻ってこられないのだろうか?

 作戦の内容を考えれば考えるほど無理っぽく思われる。

 ということは、この基地で親しくなった人達とは多分もう二度と会えないということなのだ。こちらの世界では……

 ではあちらの世界とはどんな所なのだろうか?

 少なくとも始まりの巫女様方はいるだろうし、両親やアングラスなどもいるはずだ。悪いところではないと思うが……

「グレイス、グレイス」

 小声で囁く声が聞こえた。

「アントレ?」

「寝られないの?」

「え? ちょっとね」

「じゃ、ちょっとこっち来ない?」

「え? いいの?」

「うん」

 そうか。アントレーネも寝られなかったのか。

 グレイスは枕を持ち出すとアントレーネのベッドに潜り込んだ。

 だが……

「ちょっと狭いね」

「一人用のベッドだしね」

 子供の頃ならそれでも良かったが、今は二人ともそれなりに成長してしまっている。

「じゃあ、あたしのベッドとくっつけようか?」

「あ、それいいかも」

 二人はそうっと起き上がると、グレイスのベッドを持ち上げて動かそうとした。鉄パイプでできた骨組みだけみたいなベッドだからそうは重くないが……

 ぎぎぎぎぎ!

 結構派手な音を立ててベッドがきしんだ。

「何やってるのよ?」

 ヴォルケの声だ。

「あ、ごめん。ちょっとアントレと寝ようと思ったら、ベッドが狭くて。すぐ終わるから」

「ええ?」

 ところがそれを聞いて何故かヘリファルテががばっと起き上がった。

「そりゃいい考えだ」

「えええ?」

 途端にイーグレッタとアリエスも起き上がると、三人のベッドをくっつけ始める。

「これだったらお団子で眠れるな」

「まあ、何だか久しぶり」

「あたし真ん中だよ!」

 へえ? やっぱりみんな昔はやっていたんだ。

「ヘリファルテっておっきなお屋敷のお嬢様なんでしょ? お団子なんてしてたの?」

 グレイスの問いにヘリファルテは笑って答える。

「ん? 両親はさせてくれなかったけどね。でも使用人の子の所には良く潜り込んでたんだ」

「へえ……」

 お団子とは嶺国の子供達が夜、一つの寝床に集まって寝る習慣のことだ。特に田舎の農家などでは今でもごく普通に行われている。そのため子供用の寝床はちょっと大きめの真四角になっていて、その中で姉妹が固まって夜を過ごすのだ。

 寒い夜でも一緒にいれば暖かいし、布団の中でお話をしたりじゃれ合ったりするのはとても楽しい思い出だ。大きくなればさすがにみんな別々の寝床で寝ることになるが、それはお団子になるには子供用の寝床では狭くなりすぎるからだ。

 言い伝えではこの習慣は、始まりの巫女様が作ってくれた布団の下で子供達が一緒になって眠ったという故事に由来する。しかし本当は一緒に集まって暖め合うことで、乏しい燃料を節約できたというのが真の理由なのだろうが……

 そんな五人の様子を見てヴォルケがまごついている。

「ヴォルケ、こっちに来る?」

「来るって……」

「いいじゃない、ほらほら」

 グレイスとアントレーネはヴォルケをベッドから追い出すと、彼女のベッドも二人のベッドにくっつけた。ベッドが三つつながるとかなりの広さになる。

「じゃあ、ヴォルケそっちで、アントレが真ん中ね?」

「え? あ、うん……」

「えーっと……」

 ヴォルケが何だかもじもじしている。そんな彼女を見てグレイスが尋ねた。

「ヴォルケもお金持ちの家だったけど、もしかして初めてとか?」

 彼女はちょっと恥ずかしそうに答える。

「え、人とは、初めて……」

「人とは? って?」

「ミゲルと一緒だったの」

「ミゲル?」

「犬よ。牧羊犬なんだけど、最初は子犬で……」

「え? ほんと? いいなあ。子犬と寝て良かったの?」

「ええ、まあ、うちではね」

 それを聞いてアントレーネが尋ねる。

「だからあの時橇犬を?」

「え? あ、うん」

 ヴォルケがまた恥ずかしそうにうなずくが、橇犬って何のことだろう?

「ねえ? 何の話?」

「あ、実はね……ヴォルケ、話してもいい?」

「ええ」

 そこでアントレーネが話し出した。

「実はね、ヴォルケが南のカテドラルに来た時ね、夜に橇犬の子犬を抱いて寝てたの」

「ええ? そんなことしたら……」

 グレイスが思わず突っ込んだらヴォルケが答えた。

「別にそうするなとは言われなかったし、一人で心細かったから……」

 カテドラルに限らず橇犬は嶺国の人々の大切な家族だ。もちろんその子犬たちは子供達の大切な友達でもある。しかし寝床に犬を連れ込んでいいかと言えばまた別な話で、ばれたら教母様に滅茶苦茶怒られると思うのだが……

 アントレーネは続けた。

「でね、そうしてるのを誰かが見つけて、教母様に言いつけるって言い出して、それでヘリファルテが、じゃあ分かったって言って出て行って……」

「出て行って?」

「それで子犬を連れて戻ってきて、一緒に寝ちゃったの」

「え?」

「何してるんだって聞いたら、今日は大丈夫なんだって答えるから……で、みんなでそれじゃあっていうんで、子犬を連れてきて寝たのよ」

 グレイスはぽかんとして尋ねた。

「どうして教母様は許してくれたのかしら?」

 それを聞いてアントレーネはちょっと吹き出した。

「違うのよ。教母様が許してくれたんじゃなくって、ヘリファルテが勝手に子犬を連れてきただけで、もちろん次の日、みんなで犬小屋掃除とシーツの洗濯をさせられたわ」

「あははははは。どうしてそんなことを?」

 その時向こう側のベッドからヘリファルテの声がした。

「誰だって子犬と一緒に寝たかっただろ? いいチャンスだと思ったんだ。これなら一人で罰を受けなくてもいいし」

 本当なんだろうか? 新米のヴォルケをかばうためにわざとそうしたのでは? でも確かにそれで子犬と寝られたのなら、そちらの方が嬉しかったかもしれないし……

「ヘリファルテって優しいのね」

 イーグレッタの声だ。続いてアリエスの声がする。

「あたしはお姉ちゃんとずっと一緒だったから、子犬と寝たいって思ったことはなかったな」

「なによ? あたしは犬?」

「そんなこと言ってないって~!」

 自分だったらどうだっただろうか? やっぱり教母様に言いつけていただろうか? 少なくとも見て見ぬふりしてそれで終わりで……ヘリファルテの周りに人が集まるのはこんなわけなんだろう。

 そんなことを考えているとヴォルケが囁いた。

「アントレーネの体って……冷たい?」

「え?」

「いえ、ミゲルはもっと暖かかったから……」

「それって犬の方が体温が高いからじゃないの?」

「うん。普通だと思うよ?」

 アントレーネとグレイスが答える。

「そうなの?」

 少し訝るヴォルケにアントレーネが言った。

「寒いんなら、真ん中に来る?」

「そういうわけじゃ……」

「ヴォルケ、一番大きいし。やっぱり小さい子が真ん中じゃないと」

 そう言ってグレイスはアントレーネをきゅっと抱きしめた。

 抱きしめられたアントレーネはちょっと目を伏せると、小声で言った。

「グレイス。あのね、今まで言いそびれてたんだけど……」

「ん? なに?」

 改まって……一体何なんだろう?

「あたしね、もうすぐ十七歳なの」

「ふーん……って、えええ?」

「グレイスが勘違いしてたことは分かってたけど……ごめんね」

 ちょっと……これはショックかもしれない。アントレーネは小柄で童顔だったから、絶対にグレイスより年下だと思っていたのに……

「あははははは」

「でもちょっと嬉しかった。新しいお姉さんができたみたいで」

「あはは……??」

 グレイスの唇に何か柔らかい物がちょっと触れた。

「ありがと」

「あ、あははははは……」

「全くバカね。この子は」

 ヴォルケがぼそっとつぶやく。

「なにがバカよ。バカって言う奴が……」

「はいはい」

 今度はヴォルケがグレイスの髪を撫でてくれる。

 何だか凄く子供扱いされているような気がするのだが……でもまあ、いいだろう。暖かなお布団の中は子供達の世界なのだから。