銀嶺の巫女 第5章 聖域

第5章 聖域


 残り行程二十キロ―――平地だったら数時間で済みそうなこの行程が、実は半端ではなかった。

 この付近は宮国の聖域で何人たりとも入ることは禁じられているという。それは敵に発見されにくいというメリットもあるのだが、同時にまともな道がないことも意味していた。

 そのため、ある程度平らな場所を歩くのにも苦労する。大きな石がごろごろしているし、ちょっとした崖があっただけで大回りしなければならない。捗らないことおびただしい。

 彼女達が遺跡を取り囲む山の麓に何とかたどり着いた時には、もう陽は落ちていた。

「これは……」

「あれ、登るの?」

 巫女達の前には壁のように切り立った山がそそり立っている。

「資料だと聖地は丸く山に囲まれてるってことだったけど……」

 ヴォルケが山壁を見上げながらつぶやく。

 資料は皆も読んでいたが、当然盆地のようなところかと思っていたのだ。文字通りにこんな丸い外輪山に綺麗に取り囲まれていようとは……

「どうする?」

 イーグレッタがヘリファルテに尋ねる。

 ヘリファルテは空を見上げた。もう陽は落ちた後で夕焼けの光だけが山の側面を薄赤く照らしている。

「暗い中で登るのは危険だろう。それにみんな疲れてもいるし、明日の早朝から行動しよう」

 それを聞いてアリエスがつぶやいた。

「敵、来たりしないかな?」

 ヘリファルテが首を振る。

「夜は大丈夫だと思うけど……それに来るならとっくの昔に来てても良かっただろうし」

「そうだよね」

 それが少し不思議ではあった。どうして敵は追ってこなかったのだろうか?

 もしそうされていたらこの荒れ地では身を隠す場所もない。敵が来たなら見つかってしまった可能性は大だ。

 歩いている最中は最初はそればかりが気になった。だが結局敵はやってこなかった。天気は良かったので何かが飛んでいたらすぐ分かったと思うのだが……そのうち歩くこと自体がとても大変なことが分かってきて、後はそっちに気を取られて半ば忘れかかっていたのだが……

 巫女達は適当な場所を見つけてサバイバル用のシートを敷くと夕食を採った。味気ない非常食が今日ばかりはとても美味しく感じられる。

 食事を終えた後、彼女達は身を寄せ合って毛布を被る。季節は夏なのでこうすれば全然寒くない。

 グレイスは毛布の端から顔を出して夜空を見上げた。満天の星だ。

《あの向こうって……何があるのかな……》

 死んだ後みんなはどこに行くのだろう? 教主様はこちらの世界からは決して行けない所にある、としか教えてくれなかったが……あの空の向こうだろうか? だとしたら翼を手に入れれば飛んでいけるのだろうか?

 そんなことを考えていると、低いすすり泣きのような声が聞こえてくる。

「アリエス?」

 イーグレッタの声がする。

《どうしたのだろう?》

 グレイスは隣に寝ていたアリエスに触れてみた。すると彼女がぶるぶる震えているのが伝わってくる。

「どうしたの? 寒いの?」

 グレイスが尋ねるとアリエスが振り返るが……その目は涙に濡れている。

「えっと、あの、どこか悪いの?」

 だがアリエスはそれには答えず、うつぶせになって枕代わりの背嚢に顔を押しつけると、小声でつぶやいた。

「モントーネ……あたしが代わってなんて言ったから……」

 一瞬何のことかと思ったがすぐにグレイスは思い出した。チーム分けをしたあの日、アリエスは本来BチームだったのをAチームだったモントーネと交替していたのだ。

《!!》

 そう。もし彼女がそんな我が儘を通さなかったらモントーネは生きていたことになるが……

《でも……》

 それだと今度はアリエスがいなくなっていたということではないか?

 こういう場合何と言えばいいのだろう?

 グレイスがまごまごしているとヘリファルテが言った。

「誰のせいでもない。アニムスがそう望まれた。それだけだ」

「わかってる。でも……」

 そうなのだ。その通りなのだ。でも……

 その時イーグレッタが言った。

「アリエス。誰が何と言おうとあなたが生きていてくれて嬉しいから」

 アリエスがすすり上げる声がする。次いでヘリファルテが囁く。

「明日は早い。寝ておけ」

「うん」

 イーグレッタの言葉を聞いてグレイスもなぜかちょっと安心した。

 アニムスは魂の分け隔てをしない。だがグレイスは神ではない。どうしたって親しくなった彼女がいてくれた方が、やっぱり嬉しかったのだ。



 次の朝、一行はまだ暗いうちに起き出して山の周囲を回って登れそうな場所を見つけた。そこさえ見つけてしまえば外輪山の上まで登るのはすぐだった。

「うわあ……」

 何というか、絶景だ。丸い壁のような山に取り囲まれた窪地。

 窪地の中にはあちらこちらに壊れた神殿の一部が埋まっているのが見える。ここが聖地なのは間違いない。

 斜め下の山裾にひときわ大きな廃墟に囲まれた横穴が見えた。

「あれかしら?」

「多分そうだ」

 内側は更に切り立っていて降りる場所を見つけるのに苦労したが、巫女達は何とか窪地の中に降りることができた。

 巫女達は遺跡の入り口の前に立った。

「ここが?」

「多分そうだ」

 巫女達はお互いに顔を見合わせた。

 ついにここまで来たのだ!

 そして今まで心の奥底にしまい込んでいた本質的な疑問が湧き上がってきた。

 アントレーネがつぶやいた。

「本当にここにあるのかしら……」

 そう。もしこの中が空っぽで何もなかったとしたら……

「すぐ分かるさ」

 そう言ってヘリファルテが先頭に立って遺跡内に入っていった。巫女達は後に続いた。

 確かにすぐ分かることだ。

 遺跡の中はかなり広い空間になっていた。そして……

「ああ? あれ?」

 ヴォルケの指した方を見ると……そこには不思議な形をした乗り物とおぼしき物が放置されていた。

 思わず巫女達はその乗り物に駆け寄った。

 シミレとは違うが、それでも見間違えようがない。シミレに付いていたような渦巻き型の丸い構造物がVの字型に二つ付いていて、その間に人が一人ずつ二人乗れる胴体がある。そしてその中央に……

「アニムスの心臓?」

 彼女達が見まごうはずがない。だとしたら?

 巫女達は顔を見合わせて……それから一斉に飛び上がった!

「あった!」

「あったあった!」

 グレイスはアントレーネの手を取ると二人ではしゃぎ回る。

 それからじっくりとそのアンシエンシムーンを観察してみる。

 結構真新しい感じだ。大昔から放置されていたとはとても思えないのだが……それとも宮国の人達が定期的にメンテしていたのだろうか? だとしたらその人達には凄く悪い気がするが……

 ともかく第一段階クリアだ。

「じゃまず、乗ってみてよ!」

 アリエスがヘリファルテに言う。

「ああ」

 ヘリファルテがアンシエンシムーンのアウリーガ席に向かおうとするが、それをイーグレッタが引き留めた。

「あの、手順を踏まないと」

 イーグレッタの顔が妙に顔が赤い。

「え? ああ……」

 それを見て途端にヘリファルテも赤くなった。

 手順と言われてグレイスも思い出した。そう言えばドクターが言っていたが……

『シムーンを起動させるためには少女巫女が二人と、あと特定の手順が必要とされる』

 その手順なのだが……

「本当に必要なんだろうか? あれって……」

 ヘリファルテが不審そうにつぶやくのにイーグレッタが答える。

「分からないけど、省いて動かなかったら嫌だし」

「そうだな……」

 ヘリファルテはそう言って、意を決したようにイーグレッタを引き寄せる。

「えっと……いいかい?」

「ええ……」

 そう言って二人は見つめ合うと、両者ともますます顔が赤くなっていく。

 それからイーグレッタが目を閉じる。そこでヘリファルテはえいやっといった調子で、イーグレッタの唇に自分の唇を重ねた。

「うわあ……」

 アリエスが声を挙げる。グレイスもこれを直視していいのかどうなのか……

 だがマニュアルにそう書いてある以上仕方がない。シムーンに搭乗する際にはそのパル同士がまずキスを交わして互いの気持ちを確かめ合うこと、とあるのだ。

 グレイスはアントレーネに囁いた。

「あれ、どのくらいの長さやらなきゃならないんだろ?」

「さあ……」

 アントレーネも赤くなっている……というか、自分たちが乗る時にもあれを、しなければならないんじゃ? そう思った途端にグレイスまで顔が熱くなってきた。

 やがてヘリファルテとイーグレッタが体を離して、ちょっと決まり悪そうに顔を背け合うと、二人とも慌てたような調子で互いの席に座った。

 次いで今度は二人でアニムスの心臓に祈りを捧げるのだが……

「これはこの上からでいいのかな?」

 アニムスの心臓は透明なカバーの下にある。彼女達はいつも直接それにお祈りしていたのだが……

「まずやってみましょう」

 二人はカバーの上から祈りを捧げ始めた。すると……問題なく心臓はきらきらと緑色に輝き始めたのだ。それと同時にあの丸い部品がゆっくりと回り始める。

 これで第二段階クリアだ!

 二人はしばらく操縦席の様子を確かめていたが、やがてイーグレッタがヘリファルテに尋ねる。

「こちらは行けそうだけど、そちらは? 操縦できそう?」

「大丈夫だと思う。行ってみるよ」

「注意してね」

「ああ。みんな、ちょっと下がっていてくれ」

 それを聞いて残り四人の巫女は慌てて機体から離れた。

 ヘリファルテが軽くレバーを引くと……機体はかくんと浮かび上がった。

「うわ!」

 ヘリファルテが驚いて声を挙げる。

「大丈夫? どうしたの?」

「ちょっと引いただけなのに、すごく反応がいい! シミレとは大違いかも……」

 ヘリファルテは再び機体を着陸させる。それからグレイス達四人に向かって言う。

「ともかく動くことは分かった。君たちも」

「うん!」

 グレイス達は一斉にうなずくと、自分たちの機体を見つけるために遺跡の奥に向かった。

 発見はとても簡単だった。ちょっと奥に入ったところにすぐに別な機体が三機も転がっていたのだ。

 アリエスが言った。

「じゃああたし達右ので」

 それを聞いてグレイスとアントレーネは左側の手前の機体に向かう。

 二人はアンシエンシムーンの下に立って見上げた。

「これがあたし達の?」

 アントレーネがつぶやく。

 これが始まりの巫女が失った翼? それが本当かどうかはすぐ分かる!

「えっと、それじゃ……」

 グレイスはアントレーネの顔を見る。ちょっと恥ずかしくて目を直視できない。

「うん」

 アントレーネが目を閉じた。グレイスはちょっと慌てた。これでは自分からキスしてやらねばならないではないか!

「あの……」

「ん? なに?」

 アントレーネが目を開く。それを見てグレイスは顔が熱くなる。

「えーっと……」

 もじもじしているグレイスを見てアントレーネはにこっと笑うと、いきなりグレイスの肩を掴むと彼女の唇にキスをした。

《!!》

 柔らかい感触が……何だか一瞬それだけで幸せになってしまう。

「グレイス?」

 ぽけっとしているグレイスをアントレーネが促す。グレイスは慌ててアウリーガ席の風防を開いた。

 席に座るとグレイスは何度か顔をぴしゃぴしゃ叩く。こんなことで惚けている場合ではない。彼女は操縦席内部を観察した。

 内部の様子はシミレとそっくりだ。これなら操作に困るところはなさそうだ。付いているレバーや装置の意味が同じなら間違いなく飛べる!

「じゃあグレイス」

「うん」

 グレイスはアウリーガ席から乗り出すとアニムスの心臓を挟んでアントレーネを向き合った。それから二人でカバーに口づけして祈る。

 すると心臓への祈りの儀式のようにアニムスの心臓は輝き始めた。

「やった!」

「ええ!」

 グレイスとアントレーネは微笑み合った。それからグレイスは席に着いた。

「行ってみるよ」

「ええ」

 まず機体をちょっと上昇させてみよう……

「うわわ!」

 だが、彼女もヘリファルテ同様にその反応性の良さにびっくりした。

 シミレに比べて随分大きいのに軽く動かすだけで機体は鋭く反応する。これは今までのつもりでやっていたら大暴れしてしまいそうだ。練習した方が良いかも……そう思った時だった。

「ちょっと! みんな来て!」

 奥の方からアリエスの叫び声が聞こえた。

 彼女達はグレイス達より一足先に浮上していたのだが、最後に一つ残った機体を調べるため奥に向かっていたのだ。そこで降りた二人がみんなを呼んでいるのだ。

「どうしたのかしら?」

「行ってみよう」

 グレイスはシムーンをゆっくりと浮上させると、慎重にそちらに向かわせた。

「一体どうしたの?」

 グレイスが尋ねるとアリエスが最後の一機を指さして震えている。

「それ、その中に……」

 彼女の横で何故かヴォルケが顔を押さえてうずくまっている。

「中に何が?」

 グレイス達がその機体を見下ろすと、中に誰かが乗っているのが見えた。

「え?」

 敵兵士か何かか?

 いや、それだったら彼女達が呼ぶはずない。それだったら「敵だ! 逃げろ!」とか言うはずで……

 乗ったままではそれ以上観察できないのでグレイスはシムーンを近くに着地させた。

「あの、中の人は?」

「どうしたの?」

 降りた二人の問いにアリエスは首を振る。代わりにヴォルケが首を振りながら言った。

「アントレーネ、見てみて。私……」

「え?」

「あれって……アングラスにしか見えない」

「えええ?」

 アントレーネは目を見開くとそのままアンシエンシムーンによじ登る。途端に彼女は悲痛な叫び声を挙げた。

「アングラス!!」

 グレイスも恐る恐るその中を覗くとそこには小柄な―――額の徴から明らかな嶺国の巫女が眠って……ではない。死んでいる!

《 って、アングラス?》

 アントレーネがへたへたとその場に崩れて危うく機体から落ちそうになるのをグレイスは慌てて抱きとめた。

「この子が、アングラス?」

「そうよ。そう……」

 アントレーネはショックでぶるぶる震えている。

「どうしたんだ!」

 そこにヘリファルテもやってきた。

「イーグレッタは?」

 グレイスが尋ねると彼女は答えた。

「手が空いたから表で見張りを頼んでるんだが、一体?」

「それが、えっと、この中に、アングラスちゃん? が……」

「え?」

 ヘリファルテは不思議そうな顔でヴォルケに尋ねた。

「彼女は何を言ってるんだ?」

 だがヴォルケは首を振る。

「本当なんです」

 ヘリファルテは不思議そうな顔でシムーンに上ってきたが、そこで彼女もまた目を見開いたまま絶句した。

 アングラス―――アントレーネの親友で南カテドラルでお勤めをしていた巫女だ。グレイスは会ったことはないが、南から来た三人の様子を見ればここに横たわっている遺体が彼女なのは間違いない。

 だが彼女は先日の和平会談で自爆して先にあちらの世界に旅立っていったはずなのだが……どうして彼女の遺体がこのようなところに放置されているのだ? 宮国の連中の仕業か? ならばどうしてわざわざそんなことを? 大体彼女のすぐ側で高性能の爆薬が炸裂したはずなのだ。なのに彼女の遺骸には傷一つないのだが……

「どういう事なんだ?」

 ヘリファルテが尋ねるが、もちろん誰も分かるはずがない。

「ともかくこのままじゃ……」

 アントレーネがつぶやく。

 確かに放置しては帰れない。でもどうやって? アンシエンシムーンの操縦席もサジッタ席も狭くて同時に二人は入れない。棺があれば吊して帰る事もできるかもしれないが、もちろんそんな物はない。

 一同は顔を見合わせた。やがてアントレーネが言った。

「せめてお清めの儀式でも……」

「そうだね」

 それを聞いてアリエスが言った。

「それだったら奥に水面がちょっと見えたけど、ほら、確か言い伝えでは泉があるって言ってなかった?」

「ああ。そうだな」

 お清めの儀式なのだ。水筒の残り水などではなく、綺麗な水の方が良いに決まっている。

 そこで巫女達は洞窟の奥に向かった。

 坂道を下っていくと青い光に満たされた巨大な空洞があって、その下に透明な水をなみなみと湛えた泉、というより湖と言った方がいいような水面が広がっていた。

 その中央には小さな島があって、その少し左に高い柱が聳えている。柱の上端部には片方だけに鳥の羽のような構造物があった。

「これならいいみたいだな……」

 ヘリファルテがそうつぶやいて泉の水を汲もうとした時だった。

『その水に触れてはなりません』

 巫女達は驚いて一斉に体をすくめた。

 一体どこから聞こえてきたのだ? この声は……

「あそこ……」

 ヴォルケが指さす方を見ると……泉の中央の島に人影が見えた。

《見つかった?!》

 考えたら当たり前だった。ここが宮国の聖地なのだとしたら、そこを守っている守護者くらいいて当然ではないか?

 グレイスは背筋が冷たくなった。

 彼女達は何としてでも戻らなければならない。こんな所で躓いているわけにはいかないのだ。

 相手は今のところ一人だ。だとしたら?

「あなたは?」

 ヘリファルテが恐る恐る尋ねる。

『私はオナシア。この泉の番人です』

 オナシア? どこかで聞いたことがあるような……その時ヴォルケが小さな声を挙げる。

「大宮煌オナシア?」

 それを聞いて巫女達も思い出した。大宮煌。それは宮国のテンプス・パテューム教会の最高位の巫女に与えられる称号だ。すわなち宮国の大神官に相当する最も神聖な人なわけで……

『今日は珍しい方々がいらしたようですね』

 うわ! どうしよう!

 固まってしまった巫女達を見てその謎の女性は尋ねた。

『その姿、北の大地から?』

 それを聞いてヘリファルテが意を決したように背を正した。

「はい。そうです。私たちは嶺国より参りました。私たちは、どうしてもあの古代のシムーンが必要なのですだから……」

 グレイスは心配になった。そんなこと言っていいのだろうか? でもあの人に嘘なんか通用しそうもない気がする。だとしたら、堂々としていた方がいいだろうか?

 オナシアは黙ってヘリファルテの言葉を聞いた。

「あれが、あなた方の物だとは知っています。黙って持って行くのが悪いことだとも知っています。でも私たちは、私たちの国の人々と、もっと多くの仲間のために、あれが必要なんです」

 などと言って通用するとはとても思えない。多分次は彼女は衛兵を呼び出すに違いない。そうなったら仕方がない。力ずくでも何とかするしかない。

《だとしたら……》

 あの人を人質に取れば衛兵だろうと動けないに違いない。そうすればあるいは……グレイスは横目でヘリファルテの顔を見る。彼女も目配せを返す。

 グレイスは巫女服の下のミニステリウムを確認した。

 もし彼女が妙な動きをしたら……

『悪いこと? いいえ。そんなことはありません。シヴュラがシムーンに乗るのは当然のことです』

 その言葉に巫女達は虚を突かれた。

 それってどういう事だ? 乗って帰っていいと言うことなのか? でも彼女達は嶺国の巫女であって、シヴュラとやらではないし……

 巫女達は混乱して言葉が出ない。

『北の冷たい大地……アニムスを信奉する巫女……そうでしたか……』

 そんな彼女達を見て、オナシアは静かに語り出した。

『その昔……私たちの神には名前がありませんでした。神は神。それで良かったはずなのに……人は名前がないと不安に駆られるのです。そして神の名についての論争が始まりました。一体神の本質とは何か? その問いに対してある人は答えました。私たちの住むこの世界、それこそが神の体その物なのだと。別な人は答えました。この世界を感じ取る魂、その中にこそ神がおわすのだと。議論は果てしなく平行線を辿りました……』

 いきなり何を言っているのだろう? この人は……

『そんなときある者がこう主張したのです。かつて預言者オナシアはこう言った。彼女もまたこの時空の中に囚われた哀れな魂に過ぎないのだと。時空が魂を虜囚とすることができるのであれば、時空こそより本質的だということの証なのではないかと……その時より、神の名は時を表すテンプスと広がりを表すスパテュームを合わせて、テンプス・パテュームと呼ばれるようになりました』

 巫女達は目を見開いた。これって?

『そして神の本質が魂にあると言った神官は、神の名を汚したということで彼を信奉していた巫女と共に国を追われました。私は彼らがその後どうなったかを知りません。でもその後しばらくして北の国にアニムスという名の神を信奉する人々が生まれたことを知りました。アニムス……それは古い言葉で、魂を意味します』

「ええ?」

 巫女達は一斉に声を挙げる。

「それって、始まりの巫女様方のことですか?」

 思わずヴォルケが彼女に尋ねた。

『あなた方にはそう呼ばれているのですか? でしたらそうでしょう。それならば私はあなた方に謝らなければいけません……以前確かに私はそう言いました。私の魂は確かにこの時空に囚われていました。それは永遠の劫罰のようなもの。私はそこでずっと苦しみ続けていました……でも、実はいつだって抜け出すことはできたのです。そこからたった一歩踏み出すだけで良かったのです。とても……とても簡単なことでした……でもその簡単なことが私にはできなかったのです』

 巫女達はオナシアの話を聞き続けた。

『私には……勇気がなかったのです。そうすれば私は自由を得ることができました。でもその代わりに一つだけ失わなければならない物があったからです』

 オナシアはそう言ってしばらく言葉を句切る。

『私の長い灰色の時の中でのたった一瞬の儚い光輝。それは希望? それとも思い出? いえ、どちらでも同じ事。それ以外は虚無だった私の人生の中の唯一の宝……私はついにそれを手放すことができませんでした。そうして私は居続けたのです。ただここにずっと、居続けたのです……』

 何だかとてもこの人は寂しそうなのだが……こんな時でなければ、何か力になれないか尋ねてみたくなってしまうかもしれない。

 その時オナシアがはっとしたように顔を上げると言った。

『ああ、少しお喋りがすぎたようですね。北の巫女達よ。つい最近同じような問いをされたような気がしますが……もう一度あなた方にお答えしましょう』

 それから彼女はじっと嶺国の巫女達一人一人の顔を見る。

『シムーンと話し、大空に祈りを捧げる巫女、それがシムーン・シビュラなのです。そしてシムーンとは誰の持ち物でもなく、ただシムーン・シヴュラの祈りのためにあるのです』

 え?

 巫女達は顔を見合わせた。

 グレイスは小声で隣のヴォルケに尋ねた。

「あれに乗ってお祈りするなら乗っていいって事かな?」

「そうじゃないの?」

 少々混乱気味の巫女達に向かってオナシアが言う。

『さあ、お行きなさい』

 えーっと、これは本当に行っていいのか? あれを持って行くのを許してくれたって事なのか?

 などと悩んでいる余裕はなかった。

「ありがとうございますっ!」

 巫女達は一斉に礼をした。それから戻ろうとして当初の目的を思い出した。

「あの、オナシア様、泉の水を少し頂いていって構いませんか? アングラスのお清めをしたいのですが……」

 ヘリファルテの問いにオナシアは答えた。

『そういうことでしたら構いませんよ』

「ありがとうございます!」

 ヘリファルテが水筒に泉の水を汲む。

 それから巫女達は再びオナシアに礼をすると、アングラスの入ったアンシエンシムーンの元に戻った。

 その時だ。入り口の方から見張りをしていたイーグレッタが慌てた様子でやって来た。

「何してたの? 敵よ! 五機も!」

「なんだって?」

 巫女達に緊張が走る。

「それ、どうするの?」

 アントレーネがヘリファルテの持っている泉の水を汲んだ水筒を指して尋ねる。

「ともかくお祈りだけでも」

 そこでイーグレッタを除く巫女達は、アングラスの入っているアンシエンシムーンに向けて跪くとめいめい心の中で彼女を魂を慰める祈りを捧げ始めた。超略式のお祈りしか捧げている余裕はない。

「え? どうしたの? 何してるの?」

 一人だけ経緯を知らないイーグレッタが驚いた様子で一同を見るが、辛そうな顔で立ち上がったヘリファルテが彼女に言った。

「詳しい話は後だ。行くよ!」

「え、ええ……」

 それからヘリファルテは他の巫女達の顔も見た。

「君たちも。乗ったらもう話し合うことはできない。ともかくシュネルギアで会おう!」

「はいっ!」

 巫女達は一斉にうなずくと各パルのアンシエンシムーンに向かって走った。

 グレイスとアントレーネは彼女達の機体の下まで走ると顔を見合わせた。

「じゃ」

「ええ」

 グレイスはアントレーネの唇にキスしようとしたが、鼻がぶつかって失敗してしまった。

「痛っ!」

「あ、ごめん」

「もう……」

 グレイスは慌ててもう一度トライする。二回目はうまくいった!

 それから二人は各自の座席によじ登るとアニムスの心臓に祈りを捧げる。心臓は輝きを増してシムーンは動き出した。互いの席に座り風防を閉じる。

 見ると残り二機もちょうど浮かび上がったところだ。

 イーグレッタとアリエスが手を振るのが見える。アントレーネも彼女達に手を振り返すと言った。

「さ、行くわよ!」

「うん!」

 三機のアンシエンシムーンはそのまま一気に洞窟から飛び出した。

 だが、敵機はもう洞窟のすぐ目の前までやって来ていたのだ。

「うわあああ!」

 ほとんど進行方向の真っ正面に白い宮国シムーンが五機、ワイヤーでつながった状態で飛んでくる。

 すれ違う時に一瞬見ただけだから細かいことは分からないが、宮国シムーンはアンシエンシムーンとは随分形が違った。あの丸い回る奴がアンシエンシムーンではVの字型だが宮国のシムーンは縦に二つ付いているため、正面から見ると細長い十字型に見える。あれでどうやって着地するのだろうかと一瞬心配になったが、今はそれどころではない。

「危ない!」

 アントレーネが叫ぶ。途端に宮国シムーンがすぐ側を通り過ぎていく。もう少しでぶつかるところだった。

「みんなは?」

 アンシエンシムーンのアウリーガ席からはその構造上ほとんど正面の方しか見えない。周囲の観察などはすべてサジッタ任せだ。

「大丈夫。みんな避けたわ」

「じゃ、飛ばすよ!」

「ええ!」

 グレイスはスロットルレバーをぐんと引いた。



「きゃあああ! ぶつかる!」

 アリエスが叫ぶ。ヴォルケも一瞬心臓が止まったかと思った。

 だが彼女達の乗ったアンシエンシムーンは、敵の宮国シムーンをぎりぎりかすめて反対側に抜けた。

 危なかった……

 だがまたすぐにアリエスが叫んだ。

「追ってくるわ!」

「え?」

「分かれてやってくる! こちらに一機。右に二機、左に一機」

 一機、二機、一機? 数が合わないが……

「全部で五機いなかった? 残りの一機は?」

「分からない」

 では一体どこに? ヴォルケの背筋が冷たくなった。

「回り込もうとしてるの?」

「分からない。とにかくここからは見えないわ」

 分からないことを心配している場合ではない。

「とにかく逃げるわよ!」

「ええ!」

 ヴォルケはぐんとスロットルレバーを引く。シムーンは凄い勢いで加速していく。シミレの加速も凄かったが、これはその比ではない!

「うわあああ!」

 目前に一気に外輪山の山肌が迫ってきた。ヴォルケは慌てて機首を上に向ける。

《お願い!》

 これが礁国機だったらこんなスピードで突っ込んでいったら上昇しきれずに山腹に激突していたかもしれない。だがシムーンはそんな彼女の思いに軽々と答えてあっという間に山の上を越えていった。

「すごい……」

 後ろでアリエスがびっくりしたように独白するのが聞こえる。

《これなら逃げ切れる?》

 そう思った瞬間だ。再びアリエスが叫んだ。

「追ってきたわ!」

「ええ?」

 考えたら当然だった。相手だってシムーンなのだ。それも宮国の最新式の。追って来られない訳がない。

 その時だ。

 機体の横を閃光を引いた弾が走り、次いでタタタタタ! という機銃発射音が聞こえた。

 ヴォルケは反射的に横に逃げる。

「撃ってきた!」

「分かってるわ」

 その途端に第二射がやってくる。

「きゃあああ!」

 再びヴォルケは横に逃げる。

 それからしばらくの間、二機のシムーンは鬼ごっこのように飛び回った。だがこれは遊びではない。もし掴まった時は一巻の終わりなのだ。

 やがてヴォルケはどこをどう飛んでいたのか全く分からなくなってしまった。

「まだ来るの?」

「ええ。しつこい奴ね……ねえ、ヴォルケ! あれやり過ごせない?」

「え?」

 アリエスが何を言おうとしているかは明白だった。急制動をかけてやり過ごした後、すぐ後ろに付いて撃とうというのだ。基地での練習に空中戦も含まれていて、そういった練習もずっとこなしてきてはいたのだ。

 だがヴォルケは躊躇した。あれをするには特にサジッタの撃つタイミングが難しく、凄く息が合っていなければならない。ヘリファルテ=イーグレッタならともかく、正直彼女達以外は相手が礁国機だった場合でさえ何回かやってやっと一度成功するかどうかなのだ。

 おまけに今回の相手は礁国機どころか、シミレでさえない。シムーンなのだ! 今日始めてシムーンに乗った新米と、歴戦の勇士とでは正直戦いにすらならないだろう。

「そんなの無理よ!」

 今そんな賭をするわけにはいかないとヴォルケは思った。

「でも……えええ?」

「どうしたの? ああ?」

 アリエスの叫びの意味はすぐ分かった。

 何故か前方に見慣れた山が見えるのだ。どう見ても彼女達が逃げてきた遺跡そっくりなのだが……



「突破するぞ!」

「ええ!」

 ヘリファルテは敵一団をぎりぎりにかすめてすれ違った。

「みんなは?」

「大丈夫。抜けたわ」

「よし。このまま行くぞ」

「ええ」

 だが敵のシムーン達は一瞬虚を突かれた様子だったが、やがて分散して彼女達を追ってきた。

 ヘリファルテはシムーンを全速で飛ばす。だが初めての機体だ。しかも今まで乗っていたシミレより反応性が高すぎて、高速では安定性を保つのがかなり難しい。

「敵が来るわ。こちらには……二機」

「二機だって?」

「逃げられる?」

「分からない。やってみなきゃな」

 ヘリファルテは敵を振り切るべく、様々な機動を試してみた。

 相手が礁国機ならそれはとても簡単なことだった。旧型のメイフライならばもう普通に真っ直ぐ飛ぶだけで簡単に振り切れる。新型のリベッラだと速度は速いが旋回性能が論外だ。くっと横に曲がってやるだけで付いて来れない。ぐるっと大回りして来ないといけないから、それで簡単に距離は稼げる。

 だが今追ってくる敵にはそんな作戦は全く通用しなかった。

 彼女がどう曲がろうと上昇しようと下降しようといきなり引き返してみようと、軽々と追尾されてしまうのだ。しかも敵は二機だ。そうこうしているうちに上空の方を一機に抑えられてしまった。

「くそっ!」

 これでは遺跡の中から脱出することさえ困難だ。

「ヘリファルテ。攻撃するしかないわ」

「でも……」

「任せて。訓練したでしょ?」

「……分かった」

 こうなれば一か八かだ。

 後方から再び二機が迫ってくる。彼女達の前には遺跡の外輪山が立ちはだかっている。

「じゃ、やるよ!」

「ええ」

 ヘリファルテは一気に制動をかけた。

 追ってきた二機の敵機が勢い余って彼女達を追い越していく。ヘリファルテはそのうちの一機のほぼ真後ろにつけることに成功した。

「今だ!」

 イーグレッタが引き金を引こうとした瞬間だ。

 その瞬間彼女は狙いを付けた敵シムーンのサジッタ席にきらっと金色に輝く物を見てしまった。

《え?》

 それは……金髪の少女の頭だった。

 いけない!


 ダダダダダ!


 イーグレッタは機銃を発射する。だがその一瞬の躊躇のため、銃弾は敵には当たらずに虚空の中に消えていく。

「ああっ!」

 ヘリファルテが残念そうな声を上げる。

「ごめんなさい……」

「いや、気にするな!」

「でも……」

 もちろんヘリファルテも気づいていた。今までは敵も攻撃を控えていたと思われるが、こちらが手を出した以上確実に相手も撃ってくるだろう。そうなったら二対一で勝ち目があるのか?

 ヘリファルテは歯を食いしばる。

 その瞬間、敵機の機銃が火を噴いた。



 グレイスがスロットルレバーを引くと、アンシエンシムーンは低い唸りをあげて一気に加速していった。

《すごい!》

 この加速性能はシミレとは比較にならない! これなら行ける! 彼女がそう思った時だ。

「敵、追ってくるわ!」

「え?」

「別れて、こっちに一機来る! 付いてくるわ!」

 そうなのだ。これが礁国機やシミレなら簡単に振り切れる速度だ。

 だが相手は宮国の悪魔、シムーンだった。

「グレイス! 何かふらふらしてる!」

「真っ直ぐ飛ばしてるって」

 反応が良すぎていつものシミレのつもりで操作するとふらふらしてしまう。

「操縦桿、強く握りすぎてない?」

 あ!

 これは訓練初期の頃に散々言われた事なのだが、シミレは反応がいいから操縦桿を強く握りしめているとだめなのだ。

 グレイスは手の力を緩める。そうだ。シムーンはそっと優しく扱ってやらなければならないのだ。それでも彼女は軽々とグレイスの想いに答えてくれる!

《あ、これいい……》

 ドクターが言ったとおりだ。シムーンは、シミレとは全然違う! グレイスはまずはこのシムーンとゆっくり戯れたくなってきた。

 だがそんな余裕はない。

「追って来るわ! もっと速く!」

「これ以上無理だって!」

「でも!」

 追いつかれたら?

「きゃああ!」

 グレイスは思わず後ろを振り返った。敵シムーンは、後ろ斜め上に想像以上の近さで迫っていた。彼女は敵を振り切ろうと急旋回してみたが相手は軽々と付いてくる。

 グレイスは胃がぎゅっと掴まれるような気持ちになった。

「きゃあああ!」

「うわぁ! 来るなーっ!」

 その時だった。

「え?」

 アントレーネの驚く声が聞こえた。途端に体がふわっとするとあたりに不思議な光が満ち始める。

 と、グレイスは方向感覚を失った。

《え?》

 一体今、どちらを向いているのだ? 操作が全く効かない。どうしたのだ? 壊れてしまったのか?

 次の瞬間、方向感覚を失った理由が分かった。シムーンが何故かいきなり真上に向かって飛び始めていたからだ。

 だがそれはすぐに水平になり、今度はかくんと真下に向かって飛び始める!

 地面がいきなり迫ってくる。

「ああ!」

「わあああ!」

 このままでは激突! と思ったのもつかの間、シムーンは今度はまた水平に戻り、勝手に急角度で旋回を始めるが……

 その時二人は見た。

 彼女達のシムーンの航跡がきらきら輝いて光の筋になっていることを。

《!!》

 そして……その光跡が一瞬にじんだかと想うと、ぴかっと光ってはじけ飛んだ。

 一瞬あたりが真っ白になって……バシューンというすごい音がした。

 そして光が消えた後……シムーンは何事もないかのように制御できるようになっていた。

《何だったんだ? これって……もしかしてこれがリ・マージョン?》

 何が何やら分からない。

 その時アントレーネが叫んだ。

「敵、まごついてる! 今よ!」

「わかった!」

 ともかく考えるのは後だ!

 グレイスは再び全速力でシムーンを飛ばした。



 ヘリファルテは懸命の操縦で敵の攻撃をかわし続けていた。だが多勢に無勢、しかも始めて操縦する機体はなかなか思った通りには動いてくれない。


 タタタタタ!


 敵の発射音と共にバンという大きな音がして機体ががくっと揺れると、いきなり操縦が効かなくなった。

「この!」

 ヘリファルテは操縦桿をがたがた動かすが、シムーンは反応してくれない。

「ヘリファルテ! 心臓が……」

 振り返ると機体の側面からは黒い煙が吹き出していて、アニムスの心臓の輝きが減っていく。

《!!》

 ヘリファルテはサジッタ席のイーグレッタの顔を見る。

 彼女の顔には……満足げな笑みが浮かんでいた。それを見てヘリファルテも何か心安らかな気持ちになった。

「ヘリファルテ……」

「イーグレッタ……」

 二人は互いに手を差し伸べようとしたが、硬い風防に阻まれてしまった。

 遺跡の地面がぐんぐんと迫ってきた。



「ちょっと! どうしてまたここに?」

「知らないわよ!」

 ヴォルケとアリエスの機体は追ってくるシムーンを振り切ろうと色々やっている間に、ぐるっと回って元の場所に戻ってきてしまったのだ。

「見て! あれ!」

 遺跡の窪地の中で一機ののアンシエンシムーンが二機の宮国シムーンに追い回されている。

「あれって姉さんの!」

「そんなの……」

 ヴォルケがそう言った瞬間だ。宮国シムーンが機銃を発射すると同時にアンシエンシムーンが火を噴いた。

「え?」

 アンシエンシムーンは煙を吐きながら落下していくと……そのまま地面に衝突して粉々になった。

「え?」

 ヴォルケは思わず目を見張る。

 どういうことだ? あの中には確か、ヘリファルテと……ヘリファルテと……

 一瞬の沈黙の後、アリエスが悲痛な叫び声を挙げる。

「姉さん! 姉さぁぁぁぁん!」

 それから彼女は風防をがんがん叩きながら叫んだ。

「ヴォルケェェ! あいつらやっつけて!」

 それを聞いてヴォルケの腹の底からも、どす黒い怒りが沸き上がってくる。

 ヴォルケも思わず操縦桿を倒してヘリファルテとイーグレッタを殺した二機に向かって突っ込んでいた。

「落ちろぉぉぉぉ!」

 アリエスが叫びながら機銃を乱射するが……そんなに熱くなっていては当たるものも当たらない。

 だがその勢いに呑まれたのか相手が動きを乱した。

「行け! 今よ!」

 だがその時ヴォルケがはっと我に返った。

「何言ってるの! 離脱するわよ!」

「え?」

 ヴォルケはそのまま敵のど真ん中を突破すると全速力で遺跡を背にした。

「どうして! 何で逃げるのよ! あいつら姉さんを……」

「見たわよ! でも絶対帰れって言われてたでしょ! それがお勤めだって!」

「……」

 その途端に少し離れたところに機銃の弾道が見えた。ちょっと間を置いてタタタタタという発射音。

 ヴォルケは思わず機体をよろめかせる。

「後ろ! 見てて!」

「……あ、来る! あのT字型の奴だ! あいつだ! 姉さんを殺したのはあいつだ! ヴォルケ! あいつだけは許せない! 引き返して!」

 ヴォルケは唇を噛んだ。

「何言ってるのよ! 姉妹揃って殺されたいの? 振り切るわよ!」

「ヴォルケェェェ!」

 アリエスはかっと目を見開くと歯を食いしばり、やがてがんと風防を叩いた。

 それからまたどこをどう飛んだか分からない。気がついたら彼女達は敵を振り切ることに成功したらしく、ただ一機でぽつんと見知らぬ土地の上を飛んでいた。

 二人はしばらく呆然としていたが、やがてヴォルケが言った。

「アリエス。方向を示して。でないとまたあそこに戻ってしまうわ」

「……分かったわ」

 アリエスは涙声でナビゲーションを始めた。



 グレイス達のリ・マージョンを見てまごついていた敵はすぐに再び思い直したように後を追ってきたが、アンシエンシムーンでも全速力を出せば宮国シムーンとて距離を縮められないということが分かった。

《逃げてやる! 逃げ切ってやる!》

 グレイスは必死の形相で操縦する。


 タタタタタ!


「撃ってきたわ!」

「当たるもんか! この距離で!」

 実際敵の機銃弾は遙か明後日の方を通り過ぎていっただけだ。

 そうやってしばらく追いかけっこを続けていたが、やがてついに敵は諦めて去って行った。

「敵の姿……消えます」

 グレイスとアントレーネはほうっと同時に大きなため息をついた。

 生きているのか? 二人は生きているのか?

 二人はしばらくの間放心状態だったが、やがてアントレーネがぽつっと言った。

「さっき……神託が出たのよ」

「え?」

「そうしたら、グレイスが変な操縦始めて……そうしたらリ・マージョンができて……あんなの良くできたわね?」

「ううん。操縦なんて、あたし何もしてないんだけど。シムーンが勝手に動き出して……神託?」

「ええ? あれ、グレイスじゃないの?……じゃあ、もしかしてアニムスが私たちを?」

「そうかも……」

 二人は黙り込んだ。やがて……涙が溢れてきた。

《神様! ありがとうございます!》

 それからグレイスは涙を拭くと言った。

「アントレ。シュネルギアはどっち?」

「あ、ちょっと待って。すぐ調べるから……」

 ここで迷子なんてオチはないとは思うが……



 その日の夕方、礁国空中補給基地シュネルギアより本国へ緊急通信が送られた。

 通信で送られた文面には『墜ちた雛鳥は二羽、巣に還った』とあった。