第10章 反攻
投光器で赤々と照らされた飛行場に巫女達は勢揃いしていた。
一同の前にリフェルドルフ総司令が立って檄を飛ばす。
「これより本格的な宮国に対する反攻作戦を開始する。この戦いの結果如何でこの戦争全体の帰趨が決する! だから巫女諸君、みんな、よろしく頼む。君たちがこの世界に平和をもたらすのだ!」
「はいっ!」
巫女達は一斉にうなずいた。
こんな風に発進するのはこれで二度目だが……今回は前回に比べて全然気分が違う。あの時は正直、生きて戻って来られるとは思ってもいなかった。みんなと一緒にアニムスの御許に行けるというのは喜ばしいことではあるが、でもこちらの世界にもまだやり残したことがあるような気がして……やっぱり怖かったのだ。
だが今回は違う。もちろん不安は山ほどあるが、でも前のような恐れはない。しかも前回は泥棒に行くようでちょっと気が引ける所もあったが、今回は悪い奴らをやっつけに行くのだ。
《見てなさいよ! 今度はいいようにはされないからねっ!》
巫女達は一斉に背後に並んだ六機のアンシエンシムーンの元に走った。
その下でパル達はごく自然に微笑み合い、軽いキスを交わす。最初は少々抵抗のある儀式だったが、今ではもうごく自然な行為になっている。
巫女達が各々の座席に着くとアニムスの心臓に挨拶を交わす。シムーンは低い唸りを上げるとふわっと離陸した。
あたりから礁国兵士達の歓声が上がる。それを聞いてアリエスが言った。
『ねえ、ここでちょっとリ・マージョンしていかない?』
「どんな?」
『みんなが無事に戻れますようにって』
「あ、それいいね。やってこ。みんな、聞いた?」
『ええ!』
全員一致だ。だがそこにウルガヌフの声が割り込んだ。
『おいおい。あんまり寄り道するなよ』
『でもいいでしょ? これなら』
アリエスの甘えるような声にウルガヌフが答える。
『ああ。分かった。とっとと済ませろよ』
『了解! えっとそれじゃヴォルケ、お願い』
『え? もう、分かったわ。えーっと……』
ヴォルケはちょっと考えると即席の詩を読み始める。
『きらきらと舞い上がる光の粒。
一つ一つによく知った顔を携えて。
彼らはこれから戦いに赴く。我らが祖国を守るために。
ああ、アニムスよ。我らの願いを聞きたまえ。
彼らが皆無事に帰還できますように!』
こういうときにリードするのはもうヴォルケの役割みたいになっている。
皆は一斉に祈った。
「「「「「「彼らが皆無事に帰還できますように!」
それと共に基地の上空に六機のシムーンが美しい模様を描き出す。
すると基地の投光器や飛んでいく僚機が一斉にちかちかと発光信号を送ってきた。
『ワレラガメガミニエイコウアレ』
グレイスはちょっと背中がかゆくなった。
「うわ、女神なんて大げさな」
それを聞いてアントレーネが笑いながら言う。
「いいじゃないの、褒められるときに褒められておかないと、あと一生ないかもしれないし」
「なにそれ~」
『さて、それじゃ行くわよ。気を引き締めてね』
あれ? 今のも流れてた?
「分かってるって。ヴォルケこそ居眠り運転しないようにね」
『当たり前よ!』
これから彼女達は戦いに行く。今までも何度か戦いはあったが、それは敵から逃げ惑っていたり偵察機を追い回していただけだ。だが今回は違う。今度はこちらから行って敵をやっつけてやるのだ。
何だか体が震えてくる。これが武者震いという奴なのだろうか?
《それにしても……ちょっと急すぎじゃない?》
何しろ彼女達はあれから数時間しか寝ていないのだ。昨日はいろいろあったのであの後ぐったりと寝ていたら、深夜に叩き起こされてこれから作戦だという。
しかも彼女達はこれから二連戦なのだ。
最初の攻略目標は黒カタツムリこと、アルクス・ニゲルだ。こいつは墜ちた雛鳥の時に遠くから見えた奴だが、彼らには囮になってくれた仲間がたくさん消されている。確かにお礼をする相手としては一番ふさわしい。
だがそれが終わったら今度は彼女達だけ移動して、白カタツムリの方にも打撃を与えろと言うのだ。
確かにそれができるのは彼女達だけだった。礁国の新型機リベッラは航続距離がないので二カ所を連続して回ることはできない。だがシムーンなら楽勝だ。最悪疲れたらどこかに降りて一眠りすればいい。
「だからって……ちょっと人使い荒くないかな?」
グレイスがこぼすとアントレーネも苦笑いしながら答える。
「今回だけだって言うし」
「それにしてもよ……」
とにかく長期戦になったらまずいので最初の一撃に全てを賭けたいから無理を承知で頼むということらしいのだが……
―――グレイス達はウルガヌフの説明を、さすがに少々引き気味で聞いていた。
「ん? その顔は、何か納得がいかない様子だな?」
そう問うウルガヌフにグレイスが答える。
「あの、そうまでして今日やらないといけないんですか? みんなまだそんなに飛ぶのに慣れてないし……」
追加のシムーンが来たのは一昨日のことだ。それまではみんな二台のシムーンに交互に乗っていたのだ。だから彼女達の飛行時間はまだほんの僅かで、もう少し訓練を積んでからでもいいように思うのだが……だがウルガヌフは首を振った。
「ああ。言いたいことは分かるが、でも今すぐやることが重要なんだ」
ウルガヌフ続ける。
「前にも言ったが、俺にはお祈りのやり方はわからん。でも喧嘩のやり方なら教えてやれる」
「これって喧嘩なんですか?」
グレイスの問いにウルガヌフはうなずいた。
「そうだ。喧嘩みたいなもんだ。どうやったら喧嘩に勝てるか知ってるか?」
「え? やっつければいいんじゃ?」
「はは。それはそうだ。でも相手が強くて勝てないこともあるだろ? そんなときどうする?」
「えーっと……それは……」
グレイスが口ごもるとウルガヌフが言った。
「例えばお前らをいじめるいじめっ子がいたとする。相手は年上なのでお前らは素では勝てない。そこで大人を呼んできた。それを見ていじめっ子は仕方なく逃げていった。こうすればお前らの勝ちだな?」
ん、まあ、それはそうだが……そこにヴォルケが口を挟んだ。
「あの。でも……その大人ってもしかして私たちのことでは?」
「鋭いな。そのとおり」
ウルガヌフはにやりと笑う。
「だったらやっぱり私たち勝てないと思うんですけど」
正直自分たちの操縦技術は未熟だ。控えの子達はシムーンに乗ってまだ二週間程度。まともな戦闘など無理だ。だがウルガヌフは首を振った。
「そんなことはない。今の話聞いてなかったか? いじめっ子は大人の姿を見ただけで逃げ出したわけだ」
「え? それじゃ……」
ウルガヌフはうなずいた。
「そうだ。お前達の役目は、後ろで腕組みしてじっと立ってることだ。なるべく怖そうな顔してな」
「えーっと……」
巫女達は顔を見合わせる。それにウルガヌフがたたみかける。
「だからとっととやらなきゃいけないんだよ。相手がお前らが実は素人だって気づく前にな。逆を言えば、それに気づかれちまったらもうお終いってことだからな」
巫女達は再び互いに顔を見合わせた。
「ま、怖いのは分かる。でもな、実は相手だって怖がってるって事を忘れちゃならない。お前達は既にリ・マージョンはして見せてるわけだ。だとしたら相手はどう思う? 自分たちと同じ実力を持ってるって思うのが普通だ」
それを聞いてファールケがウルガヌフに言った。
「えっと……要するに相手を呑んだ方が勝ちだ、みたいな?」
彼女は気の強さだけで言えば、西カテドラル随一だ。
ウルガヌフはうなずいた。
「よくわかったな。その通りだ。だからお前らはまずなるべく高いところに上がって相手を偉そうに見下ろしてやれ。敵がやってこようとしたら、一斉にリ・マージョンを行え。そうしたら迂闊には近寄れなくなる。そうやって睨み合いになってくれれば……」
ウルガヌフがグレイス達四人の顔を見る。
「その間にお前らが一発がつんとお見舞いしてやるんだ」
グレイス達はうなずいた。そもそもこの作戦は、彼女達にそれができると答えたからこそ実行されるのだ。今回もまた彼女達がキーポイントなのだ。
だがそのことに対する不安はなかった。間違いなくやればできる。そういう祈りを唱えることはできる。それによってどんなリ・マージョンが描かれるかは知らないが……少なくとも暗い夜道や悪い奴らのリ・マージョンよりは強力な一撃になるのは間違いない。
「それとお前らにはもう一つ、相手にはない強力な武器があることを忘れるな」
それを聞いてグレイスはちょっと訝った。そんなものあっただろうか? 他の巫女達も同様のようだった。その表情を見てウルガヌフはまたにやっと笑う。
「ああ。それは通信機だ。あれはお喋りするためだけにあるんじゃないからな?」
巫女達からクスクス笑いが起こる。慣れていないうちはよく通信のチャンネルというのを間違えて、内輪話を基地中に公開してしまうことがあるのだ。だがそれはともかく……
「知っての通り宮国シムーンには通信機がない。他のシムーンと話すときには一々ケーブルをつながなきゃならない。これがどういう事か分かるか?」
ウルガヌフは巫女達を見渡す。
「要するにあれに乗ってる奴は、お前らが前でふらふらしていても誰にも相談できないって事だ。もし仲間と相談できたなら、もしかしてあれってびびってるんじゃないかとか色々話せるが、それができないとしたら? 逆に誰かが怖がっていても、誰も励ましてやることさえできないとしたら?」
巫女達は目を見張った。確かにその通りだ。彼女達は何かあればちょっと誰かと相談することができる。それがもうずっと当たり前のことだった。だが宮国の巫女達にはそれができないのだ。ただ自分のパルとしか話すことができない。ということは?
「でもお前達は違う。常に自分たちの周りには仲間がいることを確信しながら戦える。でもあいつらは戦場でずっと一人ぼっちなんだ。どうだ?」
巫女達の表情がぱっと明るくなった。
《戦場で一人ぼっち!?》
これを聞いてしまうと、宮国の巫女達の方が可哀相になってきたくらいだ―――
ともかくこんなわけで新米も含む十二人の嶺国巫女は、この真夜中に出撃したのだ。
一行は礁国新型機の一団と共に宮国を目指す。今からだと報告にある黒カタツムリの場所に着くのは明け方くらいだろうか。
「なーんか眠くなってくるね」
グレイスがつぶやくとアントレーネが答える。
「そうねえ。でもヴォルケに言った手前居眠りしちゃだめよ」
「うー。じゃ、何か歌でも歌ってよ」
「えー? あたし下手なの知ってるでしょ」
その時ファールケの声がした。
『グレイス。あんた達、凄い余裕だな』
あれ? また通信機がONになったままか?
「え? そう?」
『ええ。さすが歴戦の勇者は違うわね』
「そんなことないって。最初の時なんかひどかったのよ」
そこでグレイスは遺跡から這々の体で逃げてきた話を始めた。これは今までは思い出すのも恐ろしかったので大雑把にしか話していなかったのだが、何故か今は結構平気だった。それを話すことで全員の眠気覚ましにもなったし、おかげでアルクス・ニゲルが見えてくるまで誰も居眠りせずに済んだ。
東の空がうっすらと明るくなっているが、まだ空には星が輝いている。その光の下、おぼろげに真っ黒いカタツムリ型の宮国航空母艦が浮かんでいるのが見えた。
よし! これからが本番だ!
そう思ったと同時に黒カタツムリからぱらぱらと何かが飛び出してきた。敵シムーンだ。
「ヴォルケ! よろしくね」
グレイスがヴォルケに通信を送る。
『了解』
『任せといて!』
二人の返事と共にヴォルケ機がぐっと降下していった。
「じゃ、あたし達も行くよっ!」
『了解!』
新人パイロット達の元気のよい返事。確かに彼女達は一人ではない。
《さーてと!》
ここではグレイス達が囮役だ。彼女は新人シムーン四機を率いて敵シムーンを引きつけるのが任務だ。やることは囮だから面と向かって戦う必要はない。
《ともかく偉そうに、強そうにしてみせること!》
まずは一回派手にリ・マージョンして見せて、敵が躊躇したならそこで黙ってじっと見つめてやるのだ。相手が疑心暗鬼になって動けなくなってくれれば、その間にヴォルケ達が潜行して母艦に対して一発がつんとかましてやる。
それができるのは彼女達だけだ。ヘリファルテやイーグレッタ、カナーリ、ブリッサ、シュトラーレ……数限りない仲間を失って、毎晩夢でうなされて……そんなことになった元凶。あの黒カタツムリなら心の底から憎むことができるから。
だからこれは誰にも任せられない。
だから今回はヴォルケ達が行く。そして白カタツムリにはグレイス達が行く。
それがどの程度の破壊力になるのかは全く分からないが、鮫とか隼のリ・マージョンに比べたら与えられるダメージが大きいことは間違いないだろう。
ともかくそれであの馬鹿でかい母艦の屋根に大穴でも開けてやれれば大成功だ。雨が降ったら自室でびしょ濡れになってしまえ!
グレイス達の前方に敵シムーンが近づいてきた。グレイスは全員に通信を送る。
「みんな、用意はいい? 暗い夜道、行くよ!」
『いいわよ!』
グレイスは発動詩を唱え始めた。
「家路失いし闇の森、
炉端の灯火は彼方にありて、
背後に響ける遠吠えの声。
ああ、アニムスよ、我らの願いをききたまえ、
獣の群れを遠ざけたまえ!」
「「「「「獣の群れを遠ざけたまえ!」
途端にグレイス達五機のアンシエンシムーンは一斉にリ・マージョンを開始する。
夜空に五つの閃光が輝いた。
「よし! 上昇!」
その声と共にグレイス達は敵より高いところに陣取った。
相手はどう出て来る? びびってくれるだろうか? それとも?
「見て!」
どうやら賭には勝ったらしい。
宮国シムーンはグレイス達の動作を見るとぴたりと動きを止めたのだ。ウルガヌフ司令の言ったとおりだ。彼女達はシムーンと本格的に戦ったことはない。そんなことは今まで考えもしなかっただろう。だから目の前の敵にどう対処していいか分からないのだ。
『どうするの?』
「じっとこのまま」
『大丈夫?』
「大丈夫よ。でも悪い奴らがやってきたって気分にしといて。一気にそれ行くかもしれないから」
『了解』
グレイス達は動きを止めて高い位置から敵を見下ろした。相手が何か動こうとしたならば、そこでもう一発全員でリ・マージョンをかましてやろう。
その時だった。黒カタツムリの斜め前方上空に不思議な星のような図形が描かれ始めたのだ。
ヴォルケとアリエスは本隊と分かれると海面ぎりぎりまでの低空まで降下して、それから一直線に黒カタツムリこと、敵主力航空母艦アルクス・ニゲルに向かった。
「あの子達、大丈夫かしら?」
アリエスがちょっと心配そうにつぶやく。
「グレイス達が付いてるし。それにファールケとかは度胸だけはあるから大丈夫よ」
「そうよね」
その時後方でぴかっとリ・マージョンの輝きが見えた。鮫のリ・マージョンが五つ、輝いては消えていく。
「手はずどおりね」
「ええ」
既に目標の黒カタツムリが眼前に迫っている。
「一気に行くわよ」
「大丈夫。まだこちらには気づいてないわ」
彼女達は全速力で黒カタツムリの下をくぐると、その前方で一気に急浮上した。
「うわ! 大きいわね……」
「うん」
あれをこんな間近から見るのは初めてだが……まるで小山のようだ。
ヴォルケはシムーンを更に上昇させて、眼下に巨大な船体が見下ろせる位置に着いた。
「じゃ行くわよ」
「ええ。いつでも!」
ヴォルケは大きく深呼吸すると、用意してきた詩を読んだ。
「ただ一人戦いしシヴュラ
異郷の地 傷つき倒れしシヴュラ
瞼に浮かぶ古里の春
ただ守りたかった愛しき光景」
続きをアリエスが読む。
「だが人々は囁いた
なぜそのような惨めな姿で
虚ろな瞳をこちらに向けるか?
勝利の杯はどこにあるかと」
再びヴォルケが続きを読む。
「敗亡のシヴュラを顧りみる者はなく
屍は野辺にうち捨てられた
ああ呪われよ 魂なき国民よ
汝らにこそ……真の滅びがふさわしい!」
二人は共に祈った。
「「汝らにこそ、真の滅びがふさわしい!!」
リ・マージョンが始まった。二人はその動きに身を委ねる。
どんな恐ろしい姿のリ・マージョンなのだろうかと思っていたが、なぜかそれはひどく美しかった。だがそれは雪の結晶を思わせる形をしていて、美しくはあったが、ひどく冷たかった。
ヴォルケとアリエスの祈りが明け方の空にまばゆく輝く星として完成すると……それは急に薄黒くなって消えた。
「え?」
これだけ? 何も起こらなかったのか?
二人がそう思った瞬間だ。黒カタツムリの上に小さな光球が現れると、一気に大きさを増していった。眼前が真っ白になったと同時に、凄い衝撃がヴォルケ達の機体をも包み込む。
「きゃあああ!」
その衝撃波にヴォルケ達のシムーンも吹っ飛ばされる。
「な……」
幸運なことに彼女達のシムーンはかろうじて無事だったようだ。
やがて光が消えていく。
目を開いた二人の前には、相変わらず黒カタツムリが無傷な姿で浮かんでいた……かに見えた。
だが次の瞬間、その巨大な船体がいきなり傾き始めると、急に降下を始めたのだ。
「え?」
何が起こったのだ?
その時彼女達は黒カタツムリから何かがぱらぱらとこぼれていくのを見た。
「え?」
それは人だった。
黒カタツムリは更に大きく傾くと、その中央部付近で大きな爆発が起こる。
「え?」
黒いカタツムリは降下していたのではない。落下していたのだ。
彼女達の見ている前で、それは三度目の爆発を起こすと……巨大な船体は真っ二つに裂けて、海面にゆっくりとスローモーションのように激突していった。
「え?」
そう。結果は……一撃だった。
たった一機のシムーンによるたった一発のリ・マージョンで、アルクス・ニゲルは沈んだ。
その様はグレイス達も見ていた。信じられない光景だった。
そして宮国のシムーンにとっては、それはもはや悪夢以外の何物でもなかっただろう。宮国シムーンの一機がふらふらっとその場を離脱する。と、同時に他のシムーンもてんでんばらばらに飛び去り始めた。
グレイスには彼女達の悲鳴が聞こえたような気がした。
だが周囲には礁国のリベッラの大軍が待ち構えている。ただパニックになって飛び回っているだけでは、もはやそれは宮国の悪魔ではない。はぐれた羊だ。彼らの機銃が火を噴くと宮国シムーンは次々に撃墜されていった。
グレイス達はそれを無言で見下ろしていた。
《えっと、これで?》
どうやら勝ったらしい……
だが……そこに誇らしさはなく、なぜかただ涙が溢れてきた。
始まりの巫女は言った。憎むよりもたくさん許していかないと世は憎しみだらけになってしまうと。
でもこれはその反対だ。この一瞬にどれだけの憎しみが生み出されてしまったのだ?
「グレイス!」
アントレーネの声だ。
「え?」
「ヴォルケ達、大丈夫かしら」
「あ!」
グレイス達は慌ててヴォルケ機の方に向かった。あれから通信がないが……まさかあの爆発に巻き込まれてしまったのか?
「ヴォルケ! アリエス!」
グレイスは何度も通信機に向かって叫ぶ。返事は……
『……はい』
グレイスとアントレーネは大きく安堵のため息をついた。よかった!
「大丈夫? 二人とも?」
そのとき通信機から大きな叫び声が聞こえてくる。
『うああああああ!』
「アリエス?」
ヴォルケの声がする。
『ちょっと……アリエス! 落ち着いて……あの、ごめんなさい。無理かも』
「無理って? なにが?」
『作戦の続き……』
何を寝ぼけている! そんなことを言っている場合ではないだろ!
「そんなのもうしなくていいって。二人とも基地に帰還して。残りは私たちがやるから」
『でもそれじゃ……』
その時だ。通信機からウルガヌフの声が割り込んだ。
『おい! こら! 何勝手なこと言ってやがる!』
「え? ごめんなさい。でも、ヴォルケ達はもう無理だから……」
たとえ司令が何と言おうと……
『だからあいつらを一人で帰らせる気か? 俺たちと合流するよう言え』
あ、そういうことか。
「あ、はい。じゃ、ヴォルケ。聞こえた? そうしてくれる?」
『……分かったわ。ありがとうございます』
ヴォルケとアリエスは戦線離脱した。
通信を切るとヴォルケはぐったりと自分の座席に体を預けた。
もう何もする気力がわかない。
そうなのだ。彼女達はやってはならないことをやってしまたのだ。取り返しのつかない……
彼女達が軍人だったのであれば、それは上司から命令されたやったことだと言えただろう。
だが彼女達は巫女なのだ。
それはまごうことのなき彼女達の祈りだったのだ。
あれをもたらしたのは、もはや神の前では絶対に言い逃れができない、彼女達の魂の叫びだったのだから。
その時アリエスがすすり上げながら言った。
「私、悪魔になっちゃった……もうみんなの所には……お姉ちゃんの所には行けない……どうしよう……」
みんなの所には行けない?
《ヘリファルテ……》
そう思うとヴォルケも涙で前が見えなくなる。
だが……
ヴォルケもすすり上げるとアリエスに言った。
「あなたの行くところには……そこには、あなたのパルも一緒だから……」
アリエスが息を呑む音。
そう。一人ではない。一人ではないのがせめてもの救いだ……
「ともかく……戻りましょう。今はまだ、行けない……」
「うん……」
二人はウルガヌフの部隊と合流すべくシムーンを発進させた。
とりあえずふらつきもせずに戻っていくヴォルケとアリエスを見て、グレイスは少し安心した。
だがそう思った途端に彼女達がいなくなることについての重大な意味が身に染みてきた。
《ヴォルケ達がいないってことは?》
そうなのだ。今まではずっと彼女達とは一緒だった。だが今は……全てがグレイス達の肩にかかっている。
正直今までグレイスが色々好き勝手できたのも、彼女達が支えていてくれると思っていたからこそだ。
「アントレ、とにかく頑張ろうね」
「ええ。もちろんよ」
彼女達がリタイアしたってまだアントレーネがいる。それだけでとても心強い。
ともかく今は自分たちが頑張らねばならないのだ。
その時再びウルガヌフから通信が入った。
『それとグレイス。アントレーネ。お前らは大丈夫か?』
「え? こちらは大丈夫ですっ!」
何だか少し声がひっくり返ったような気がするが……
『ならいいが……成果は十分上がった。予想以上だ。間違いなくこれで奴らは震え上がるだろう。だからあっちじゃあまり無理する必要はないぞ』
「無理しなくていいって言うのは?」
『とりあえず一発かますのは保留しておけ』
それを聞いてアントレーネが尋ねた。
「えっと、あれをしなくていいって事ですか?」
『ああ。よっぽどの必要がないかぎりな』
「よっぽどの必要って?」
『そんなのケース・バイ・ケースに決まってるだろ。ともかくあっちじゃなるべくじっとしてろ。いいな?』
「了解しました。それじゃヴォルケ達、よろしくお願いします」
『おう。そっちは任せとけ!』
グレイスは安堵のため息をつく。確かに通信機というのはいい物だ。
ともかくこれで気が楽になった。それから仲間に向かって通信を送る。
「それじゃあたし達は白カタツムリに向かいます」
『はいっ!』
グレイス率いる五機のアンシエンシムーンは、そのまま一路白カタツムリのいる宮国中央部に向かった。
道中しばらく時間がある。するとポルフィーから通信が入る。
『えっと、グレイス、結局あっちじゃどうするの?』
「司令はあれはやらなくていいって言ったから、とりあえず見てるだけかな? ほら、移動作戦の目的はこちらの数がたくさんあるように見せるためって言ってたじゃない。とりあえず顔を見せておけばいいんじゃない?」
『そう』
「それにみんなを残して行けないもんね。ヴォルケ達いないし」
『分かったわ』
元々の作戦は黒カタツムリにしたことと同じ事を、今度は攻撃役がグレイス=アントレーネ、囮役がヴォルケ=アリエスと控え巫女達で行う予定だった。だがヴォルケ達が離脱してしまった今、囮を彼女達だけにさせるのはさすがに無理だろう。
その時ファールケが尋ねた。
『でも、それじゃ宮国のシムーンが来たときはどうすれば?』
それに答えたのはラリッサだ。
『逃げるしかないんじゃないの?』
本来ならば適当に時間を稼いでいる間に母艦にダメージを与えて、相手が混乱した隙に離脱という作戦だったが、今回はそれができないわけで。
『でもいきなり逃げたりしたら弱腰だってと思われたりしない?』
ファールケの問いにラリッサは沈黙する。
確かにそう言われれば……それに対して巫女達は口々に語り始めた。
『司令も来られたら良かったんだけどね』
『リベッラじゃ届かないしね』
やっぱり実戦では喧嘩に強い司令がいてくれていろいろ指示してくれた方がこちらは断然楽なのだが……
『シミレで来ればどうだだったのかな?』
『スピード遅いじゃない。いざというとき置いてかれたら可哀相だし』
『そうよねえ……』
そこでグレイスは言った。
「ともかくまず行ってみて、危なそうだったら引き返したらいいと思う」
『そうよね』
そのような会話をみんなでしながら飛んでいるうちに、朝日が昇ってきた。
「うわあ! 綺麗!」
アントレーネが思わず声を挙げる。通信機からも歓声が聞こえてくる。
こうやってみると宮国の大地は本当に美しい。
《この空に思いっきりリ・マージョンしたらどんな気分かな……》
飛ぶのはもう大好きだ。シムーンももう大好きだ。リ・マージョンはもっと大好きだ。
この大空をずっとずっと飛んでいきたい。
それなのに彼女達の向かう先には……
グレイスは黙って首を振る。今はそのことは考えないようにしよう。考えて思い悩んでも仕方がない。こんなことになってしまった以上、今目の前の事を一つ一つ片付けていくしかないのだ。
それに彼女達の行く先には不幸や苦しみだけが待っているわけではない。彼女達がこうすることによって、この戦いを終わらせることができるかもしれないのだ。そうすれば……
《そうすれば?》
その先には自由な空が広がっているのだ。空を飛びたいと願う子供達が、思いのままに祈りを描くことのできる空が……
やがて遙か彼方に宮国の大聖廟が見えてきた。
「目標。確認しました」
「了解。みんな、気を引き締めてね!」
『了解っ!』
さてこれから二回目の本番だ。
遠くに見える大聖廟のあたりで既にちかちかっと輝きが見える。礁国から送り込んだ飛行爆弾ベスポラドールの爆発に違いない。
黒カタツムリ攻略の際には本国基地にまだ近いこともあって、攻撃の主力はリベッラ部隊だったが、ここは宮国のかなり深奥だ。そのため一方通行でも問題のない無人飛行爆弾が攻撃の主力だ。
《途中で撃墜されてないのね……》
無人爆弾は見つかれば簡単に撃墜されてしまう。最初に計画を聞いたときにはそこが心配だったのだが、実際ここまでこんなに届いているということは、宮国のシムーンは本当に数が減ってしまったのだろう。
グレイス達は白カタツムリと宮国大聖廟の見える高空に陣取って下を見下ろした。
ここは今までの場所と違ってすぐ近くに町がある。味方の飛行爆弾はもちろん町だろうとどこだろうと区別などできないが……
《それって……》
グレイスは背筋がぞくっとした。
その時遠くの白カタツムリからぱらぱらっと数機のシムーンが飛び出して来るのが見えた。
「来たわ。えっと……四機かしら……いや、一機はシミレみたいだけど」
「たったそれだけ?」
「ええ」
どういう事なのだろうか? 他の機体はどこにいるのだろうか? まさかどこかで待ち伏せとか?
「みんな! 周りにも気をつけて。敵が潜んでるかもしれない」
『了解』
グレイス達は周囲を目を皿のようにして探したが、伏兵の姿はないようだが……彼女は出撃してきた宮国シムーンを睨んだ。
《さて、それじゃどうするつもりなの?》
彼女達はこちらに向かってくるだろうか? だとしたら……
その時一発の飛行爆弾が町の近くに落ちた。その瞬間グレイスは確信した。
《いや、来ないわ!》
当然ではないか。自分たちの町に爆弾が向かっているのだ。そこにはたくさんの人が住んでいる。一発でも落ちたら大被害が出る。だとしたら何をすべきかなど決まっているではないか!
「みんな! 敵は来ないわ。だからここで待機」
それを聞いてファールケが尋ねる。
『どうして?』
「だって町が危ないのよ。当然でしょ」
『あ、ああ……でも、あの人達がそうじゃなかったら?』
そうじゃなかったら……
「その時はファールケ、さっきやったみたいにお願いね。私たちがあれ、やりに行くから」
『ええ?……はい。了解』
だがグレイスにはほぼ確信があった。もし宮国の巫女があの銀の巫女のような、グレイスの想像しているような優しい人達ならば必ず町を守る。グレイス達が同じ立場だったら絶対そうするように。
でも……もしそうじゃなかったら……
《そんな奴ら、あたしがやっつけてやるから!》
グレイスも、そしてアントレーネも腹の底ではどす黒い怒りが渦巻いている。大切な仲間達を失ったあの日からずっと。
だが彼女達はアニムスの巫女だ。始まりの巫女様は言ったのだ。だから彼女達は許してやらねばならないのだ。どんな相手でも……それは彼女達の矜恃だ。彼女達は巫女だ。巫女でなければならない。だから……
《でももしあいつらがそんな奴らだったら……》
グレイスは歯を食いしばる。
その瞬間、シムーンと混じって発進したシミレが飛行爆弾に向かって銃撃するのが見えた。続いてシムーンがリ・マージョンを行った。その輝きで一瞬にして多数の飛行爆弾が消滅する。それは……町に向かおうとしていた一団だった。
グレイスの中に得も言われぬ喜びが湧き上がってきた。
「やっぱり……」
宮国シムーンは次々にリ・マージョンを行って町に向かう飛行爆弾を消していく。そのうちの一つはあの時見た、螺旋型に飛んで引き返してくる奴だ。
『あああ……』
控え巫女達から驚きの声が聞こえてくる。
彼女達は今回が初めてなのだ。大空に自分の力だけで自在にリ・マージョンを描ける宮国巫女の実力を目の当たりにするのは……
「あ!」
その時一機の宮国シムーンが飛行爆弾と接触する。
『あれ……体当たりに行ってなかった?』
彼女達は間違いなく町を救おうと、人々を救おうと、それしか考えていない。
グレイスはここが潮時だと思った。
「それじゃみんな、撤退します」
『了解!』
五機のアンシエンシムーンは戦場を後にした。
その日、彼女達が基地に帰還すると、出迎えてくれたウルガヌフから礁国と嶺国が連名で宮国に対して休戦協定を申し入れたことを知らされた。
「本当ですか? 司令!」
「ああ。だがまだ申し入れたと言うだけだ。相手が呑んでくれなきゃただの紙くずだ」
「あ、はい……」
それでも頬が緩んでくる。これでこんな辛い日々とはおさらばできる……かもしれないのだ。
先の全く見えなかった今までとは雲泥の差だ。
「あの、それでヴォルケ達は?」
「部屋だ。行ってやれ」
「はい!」
グレイス達は自室に走る。
そこではヴォルケとアリエスがぴったりと身を寄せ合ってベッドの上に座っていた。
「ヴォルケ! アリエス! ただいま!」
二人は入ってきたグレイス達巫女を見る。だが彼女達は答えず、虚ろな微笑みを浮かべてただ軽くうなずいただけだ。
えーっと……こういう場合は……
「あの、二人ともお腹空いてない? ごはん、食べた?」
二人は穴が空くほどグレイスの顔を見つめると、いきなり吹き出した。
「なによ!」
「どうして、グレイスはグレイスなのかしら……」
アリエスがそう言って背中を丸めて体をひくひくさせる。
「それってどういう意味よ?」
「確かにちょっとお腹空いてるかも……」
ヴォルケもそう言って微笑んだ。
「じゃ、私たちが持ってくるわ」
控え巫女の二人が食堂に走っていく。
まあ何はともあれ、元気が出て良かった。ちょっとほっとしたグレイスに、ヴォルケが言った。
「それから……ちょっとベッドくっつけていい?」
「え? もちろんよ。あたしもちょうどそんな気分だったし」
夜中に叩き起こされて戦場を二カ所も回ってきたのだ。さすがにくたくただ。食事をしたらすぐひっくり返ってしまいそうだ。
「ありがとう」
その日四人の巫女はベッドをくっつけてまた、お団子になって眠った。
その翌々日、彼女達は再び飛び立っていた。
一昨日の侵攻で礁国嶺国連合軍は宮国に対して大打撃を与えている。グレイス達は心の中でこれでもう戦わずに済むのではないかと期待していた。
だが世の中はそう甘くなかった。宮国側が例の休戦協定についての返答を渋っているらしく、ならばまたということらしい。
だが今回はさすがに二連戦はしなくて良さそうだった。前回の戦いでアルクス・ニゲルがなくなっているので、現在の宮国の主戦力は白カタツムリ―――アルクス・プリーマのみだ。
それにこちらの実力は既に見せている。これ以上手の内を見せる必要はない。だから作戦には参加するが、今度はもうそこにいるだけでいいという話だった。
実際、ヴォルケとアリエスはちょっとまだ実戦に参加できるコンディションではない。
そこで今回はグレイスとアントレーネの他、ラリッサとポルフィー、ファールケとアヴェラーナは引き続きで、残りは前回参加できなかった控えの四人、クリアーネ、ラグーナ、ステラ、ウィオリナを含めた合計五機で出撃となった。
残った一機はドクター達がいろいろまた調べたいらしい。
こうしてグレイス以下五機のアンシエンシムーンは、やや軽い気持ちで再び戦いの場にやって来たのだが……
『きゃああ! 来たわ!』
『避けて! 避けて!』
「みんな! 落ち着いて! 聞こえる?」
『グレイス! これどうすればいいの』
通信機から仲間の悲鳴が次々に聞こえてくる。
彼女は目の前が真っ白だった。
ここに来て敵はいきなり戦術を変えてきたのだ。
それまで宮国のシムーンは基本的にバラバラでリ・マージョンに頼って戦ってきた。だから敵の攻撃を避けること自体は難しくないし、こちらも同じ事をしてみせれば、迂闊に近寄っても来ない。
だが今回はいきなり高空から集団で機銃を乱射しながら突っ込んできたのだ。
「落ち着いて! みんな周りをよく見ながら、集結地点に戻って! 聞こえる?」
グレイスも周囲が大混乱の中、敵だけでなく味方の機体や流れ弾を回避するので精一杯だ。その間アントレーネが無線機に向かって叫び続けている。
敵がそんな戦い方をしてくるなど正直想定外だ。グレイスはともかく仲間をはぐれさせないためだけで精一杯で、後は何が何やら分からない状態になってしまった。
味方のリベッラ部隊も同様だ。そして気づいたら白カタツムリに上をとられて砲弾の雨を降らされている。
彼女達は這々の体で集結地点に戻った。
だが戻って来たのは四機しかいない。
「こちらグレイス。今いるのは誰?」
『こちらはファールケとアヴェラーナ』
『クリアーネとラグーナです』
『ステラとウィオリナです』
返事はそれだけだ。
「ちょっと! ポルフィーとラリッサは?」
グレイスの問いかけに、返事はない。
『ポルフィー? 嘘でしょ?』
ファールケの泣きそうな声が聞こえる。
ポルフィーが? 彼女にはグレイスが西カテドラルに来たときからずっとお姉さんのように世話をしてもらったのだ。いや、彼女は誰にだって優しかった。ここに今いる西カテドラルの巫女達は全て、全て同じように彼女を敬愛していたのだ……
『ラリッサ? どこ?』
アヴェラーナの声がする。彼女は同じ東カテドラルの出身でラリッサとは仲がよかった。
ラリッサはグレイスが最初にリ・マージョンを教えた料理下手の子だ。それ以来グレイスも結構親しくしていて、戻ったら遊びに行く約束までしていたというのに……
『どうして? ポルフィー!』
ラグーナの声だ。それと共に通信機は堰を切ったように巫女達の悲鳴とも怒声とも言えない鳴き声で埋め尽くされる。
グレイスが呆然としていると、アントレーネが言った。
「ともかく……戻りましょう」
その通りだ。今ここで泣いていても仕方がない。
「基地に……帰還します」
『……了解』
グレイス達は重い足取りで基地に帰投した。
その日の夕方、巫女達は青い顔で基地のブリーフィングルームに座っていた。何名かは帰るなりぶっ倒れてしまって療養中だ。
状況を聞いたリフェルドルフ総司令は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
「こんなに早く対応してくるとはな……」
ベネトラルフ副司令も同様だ。
「どうしましょうか」
「だが敵戦力もそんなに残っていないはず。最後のあがきだ」
「しかし、奴らは軽くあがいただけで我々を吹き飛ばせるだけの力が……」
リフェルドルフは副司令をじろっと睨むと、黙って唇を噛んだ。
そうなのだ。それは一昨日グレイス達がしてみせたことなのだ。シムーンは……力を持っている。たった一機であの黒カタツムリを撃沈できる。かつて嶺国の機甲部隊を壊滅させたのは僅か三機のシムーンだ。
それが何を意味するかというと、そう。数機のシムーンさえあれば、その気になれば嶺国や礁国を消滅させることだって可能だと言うことだ。
総司令はちらっとグレイス達の顔を見た。
グレイスは背筋に冷たい物が走った。
《もしかして……あたし達が?》
そう。彼女達は切り札をもう一枚だけ残している。
敗亡の巫女の詩―――グレイスとアントレーネなら、それを詠んで心から祈ることができるだろう。
いや、本当にできるだろうか? あの時はそれがどれほどの力を持っているか知らなかった。だが今はもうその凶悪な破壊力を知ってしまっている。
《でもそうしないと?》
ここで振り出しに戻ってしまったら、それこそ何もかもが無駄になってしまうのでは? 先に行った皆の想いが無になってしまうのでは?
だとしたら……ここで彼女達がとどめを刺してやらないといけないのか? そうすることが一番人々のためになることなのか?
《でもそれって……》
本当にそうなのだろうか?
分からない。彼女達に分かるはずもない。
そもそもこれは彼女達のお勤めなのだろうか? アニムスは本当にそんなことを望んでいるのだろうか?
結局その時総司令は何も言わなかった。
《本当にどうすれば……》
ブリーフィングを終えた巫女達は、何となくグレイス達の部屋に集まってきた。
ヴォルケとアリエスはもう起きられるようにはなっている。
巫女達はしばらく無言で互いの顔を見あわせた。
グレイスにとっては朝一緒だった仲間が夜にはいないというのは、これが三度目だった。だが控えの巫女達にとっては初めてのことだ。
何と言っていいのか、言葉が全く浮かんでこない。
その時、アントレーネがぽつっと言った。
「ねえ。お祈りしない?」
「お祈り?」
「まず。追悼の……」
「あ、そうよね」
確かに。彼女達にはまずそれがふさわしい。
グレイス達の顔に少し精気が戻る。それを見て更にアントレーネは言った。
「それからみんなで、早くこの戦いが終わりますようにって……どう?」
「え?」
巫女達が一斉に彼女の顔を見る。
《早くこの戦いが終わりますように?》
巫女達は一斉にうなずいた。
「そうよね。そうよ!」
「うん。やろうよ!」
「ヴォルケ達は大丈夫? それからあなた達も」
グレイスはヴォルケ達や、今日の作戦後倒れてしまった巫女達に尋ねる。
だが彼女達も一瞬で元気を回復していた。
「もちろんよ!」
「えっと……あたし達」
控えの巫女達が自分たちを指さす。彼女達も当然行きたいのだが、シムーンは五機しかない。人数が四人余ってしまう。
「じゃあ交替でやりましょう。ごめん。最初はちょっと待っててね」
「ええ!」
巫女達は一斉に立ち上がると、滑走路に向かって走った。それから驚く整備員達を尻目に、五機のアンシエンシムーンが舞い上がる。
その夜、基地の兵士達は見た。夜空一杯に広がる美しい紋様が、生まれては消えていく様を。
その紋様の一つ一つが弾けてゆく度に、遠くから響く鐘のような音が聞こえた。
その数日後、宮国は和平条約を受け入れた。
巫女達の祈りは叶えられたのだ。