第12章 祝福
その日の午後、グレイスとヴォルケは配置換えで宮国シムーン格納庫の通訳担当に回された。
礁国のエンジニア達はシムーン整備のために宮国の文献を読む必要があったのでかなり宮国語は分かるのだが、それでも通訳がないと困る場面も多い。そして実際にシムーンに乗った巫女の方が色々捗るので、その場合は主に航空隊の巫女達が担当になっていた。
だが上からのお達しで移管は滅茶苦茶な短期間で実行することになっている。その引き継ぎ作業で昼も夜も会議の連続だ。更にその合間には現場でもいろいろ細々とした話し合いがあって、忙しいなんて物ではない。
そういうわけで格納庫仕事は巫女達の間では大変評判が悪かった。実際グレイスも昨日はそれで深夜まで付きあわされて、今日は外れてラッキーと思っていたところなのだ。
《でもそのおかげでフリーパスなのよね》
シムーン周辺は当然のことながら最重要警備ポイントだ。関係者以外はもちろん、関係者であっても原則として警備兵と一緒でないと近づけてもらえない。
だが彼女達だけは例外だった。通訳担当で来たと言えば、ほぼ自由にそのあたりを歩き回ることができるのだ。
格納庫内には五機の宮国シムーンが鎮座している。その周辺では礁国と宮国のエンジニア達がいろいろと忙しそうに立ち回っているのが見える。
グレイスはちょっと間が空いたのでその間をぶらぶら歩き回っていた。
《んー、何か見かけは全然違うわよね……》
こうしていると宮国シムーンはどちらかというと訓練で使ったシミレの方によく似ている。アンシエンシムーンがどかんといった感じで鎮座しているのに対して、こちらはちょこんと座っている感じで可愛らしい。こちらに来たときちょっと乗せてもらったこともあるが、操作感も結構ソフトだ。
「あ、グレイスさん。ちょっといいですか」
「はい。なんでしょう」
だがこうやってすぐ呼び止められてしまって、ゆっくりシムーンを眺めている暇はあまりない。
「えっと彼に、このケーブルとこれを一緒に通すと干渉してノイズが乗ったりしないかって伝えてもらえますか」
「あ、はい……えーっと、このケーブルとこのケーブルを同じ所に通すと、何か悪いことは起こりませんか。干渉しませんか。雑音は乗りませんか」
「ああ、それなら遮蔽されているから大丈夫でしょう」
「大丈夫だそうです。“しゃへい”されているそうです」
「ありがとう」
こんな簡単な話ならまだいいのだが……と思っていると、見張りの兵士がグレイスに手招きした。その側に巫女が一人立っているのが見える。マリキータだ。
グレイスが駆け寄っていくと兵士が言った。
「何か言づてだそうだ」
「ありがとうございます」
グレイスがは兵士に笑顔で挨拶して、マリキータの側に寄った。
「お二人はどう?」
グレイスが尋ねるとマリキータはひそひそ声で答えた。
「お二人は大丈夫よ。あれからは大人しくされてるみたいで。でもその代わりに泉から帰った方々がちょっと騒ぎを起こしそうになって……」
「騒ぎ?」
「ええ。お二方を助けようとして、営倉の警備員室に乱入しようとして……」
あちゃー!
「で?」
「そのまま捕まっちゃって。今はお部屋に軟禁されてるわ。でもそれだけ」
グレイスはちょっとあたりを見回してから小声で尋ねた。
「それじゃ、計画に変更はないのね?」
マリキータはうなずいた。
「ええ。そこは。だからそんな話を聞いても心配するなって伝えに来たの」
「ありがとう!」
既にこうして嶺国巫女達は全員が味方だった。艦内をこのように自由に歩き回れる上、どの国の言葉も理解できる彼女達がこちら側ということは、もう“敵”の情報は全て筒抜けということだ。
それにしても兵隊相手にそんなことをするとは勇気があるというか無謀というか……本気で殺る覚悟がなければ兵隊なんて取り押さえられないのに……
まあともかく軟禁で済んでいるらしいから、下手に動かれるよりはそちらの方がいいだろう。
グレイスはマリキータと分かれると、一台のシムーンの側に行った。そこではエンジニア達が話し合っていて、ヴォルケがちょうど通訳しているところだった。
「宮国型の場合、ヘリカルモートリスの位置関係が離着陸時に変わりますが、それはどう調整しているのでしょうか」
それに答えたのはこの間の黒髪のかっこいい整備士だ。
「それに関してはこのユニットです。これは宮国シムーンに独特で、そのため離着陸時に急激に反応が変わるの防いでいます。またこのため古代型のように、低速時に反応がきつすぎることもありません」
「開けてよろしいですか?」
「もちろん。どうぞ。そのネジを外すと中を見ることができます。コードには気をつけて下さい」
それをヴォルケが通訳すると、礁国エンジニア達は歓声をあげてそのユニットを弄り始めた。それでちょっとフリーになったヴォルケと整備士に、グレイスが目配せした。二人が近づいて来ると彼女は両方に分かるように宮国語で囁いた。
「戻って来たシヴュラの方々にトラブルがありました。警備室に入ろううとして、捕まってしまいました」
二人の目が見開かれる。だがグレイスは微笑んで首を振る。
「でも問題ありません。計画に変更はないそうです」
「わかりました」
整備士とヴォルケはほっとしたようにうなずいた。
それからグレイスは少し離れたところにある機体を見て言った。
「あれですね? 準備ができているのは?」
「ええ。いつでも飛べますよ」
グレイスがにっこりと笑うと、整備士も微笑み返した。
これから起こることを思うと、何だか胸のドキドキが止まらないって感じだが……
そのようにして午後は過ぎ、やがて夕暮れ時が近づいてきた。そろそろ時間だ。
その時、ちょうど礁国技官が宮国にエンジニアに尋ねているところだった。
「宮国シムーンは一つ一つ型が違うが、それによる飛行安定性の差異は?」
グレイスがそれを通訳する。
「全部の宮国のシムーンは形が異なっています。飛ぶときの安定性は違いますか?」
それを聞いて宮国エンジニアが答える。
「高速飛行中には大きな差はありません。でも悪天の場合、特に横風が強い場合はウイングの形状によっては……」
その時だった。格納庫の一角からもくもくと煙が上がったかと思うと、誰かが叫ぶ声が聞こえてきたのだ。
「危ない! 逃げろ!」
技官達がびっくりしてその方に目をやった。
「危ないから逃げろと言っています」
「ええ?」
あたりが騒然となる。技官達は浮き足だった。
《よしっ!》
グレイスはその隙にその場を抜け出して、シヴュラ・アウレアのシムーンの下に走った。見るとヴォルケも反対側から走ってくる。
二人は軽く目配せをするとそのままシムーンに乗り込もうとしたのだが……
「この機構ってちょっと複雑すぎですよね。視界改善のためなら古代型のモートリスを羽みたいに上下させるだけでいいと思いますが」
「いや、縦型なのは視界改善だけではないと思う。そのためにはもっとデータをとらないと分からないが……」
そのシムーンの真下で二人の礁国エンジニアが議論の真っ最中だ。そこを抜けていかないと操縦席に上がれないのだが……
「あの、大変です!」
グレイスは煙の方を指さした。
「なんだ? 蒸気漏れか。まあすぐ止まるだろう。実際そのために制御系がかなり変わっているわけで……」
だがエンジニアはそちらをちらっと見ただけで、再び議論を再開しようとする。
《この人達は……》
いや、彼らがそういう人種なのは重々承知していた。二人ともシュネルギアにいたときからの整備士で顔なじみなのだが、ともかくこうなったら仕方がない。
グレイスはミニステリウムを抜くと安全装置を外す。
「ごめんなさい。ちょっとだけ大人しくしてもらえますか?」
二人はびっくりした顔でグレイスの顔と……彼女の手にした銃を見て凍り付いた。
「おい……」
「十秒だけ黙っててもらえますか?」
「……」
それだけあれば十分だ。その間を抜けてヴォルケがさっとシムーンのサジッタ席に乗り込んだ。そこで今度は彼女がミニステリウムを抜くと、エンジニア達にぴたりと照準を合わせる。
「動かないで!」
それを見たグレイスがするっとシムーンによじ登り、アウリーガ席に座る。
「本当にごめんなさい!」
「おい! 何のつもりだ!」
だが答えている暇はない。グレイスとヴォルケはシムーン球に口づけして起動させた。
その時になって警備兵達がやっと事態に気づいた。
「おい! こらーっ!」
「ごめんなさーい!」
それからグレイスがあの黒髪の整備士の方を見ると、彼は軽くうなずいて親指を立てた。グレイスも思わず親指を立てて返すが……
《あ! あの人グルだったってばれたらまずかったかな?》
だが誰もそんなことには気づかなかったようだった。兵士達が慌てて銃を構えて走ってきたが、もう後の祭りだ。
グレイスは風防を開いたままシムーンを上昇させると、そのまま一気に艦の外に飛び出した。
彼女はヴォルケに尋ねる。
「時間は?」
「ぴったりよ」
「じゃ、行くわよ!」
「ぶつけないようにね」
「分かってるって!」
彼女達は巨大なアルクス・プリーマの下に回り込むと、船首の下に空いた穴を捜す。そこはマージュプールという場所らしく、宮国のシヴュラはそこでリ・マージョンの練習をするのだそうだ。特殊な服を着てそこに入るとシムーンみたいに自在に動けるので、リ・マージョンの形を“体感”するのにすごく効果があるらしいのだが……
だが一度グレイスはその練習を―――マージュと呼ぶらしいが―――見てびっくりした。
《あれってほとんど裸よね?》
宮国巫女が一人でそれをしていたのを遠くからちらっと見ただけなのだが、何だか体にぴったり密着した下着のようなスーツ一枚で、どう見ても肌が透けていたし……あんな格好で人前に出て行くなど、さすがにちょっと無理なのだが……
それはともかく今はシムーンの操作に集中しなければならない。マージュプールの内径はシムーンより少し大きいだけだ。せっかくの二人の門出に凹んだり傷ついたりしたシムーンを渡すわけにはいかない。
グレイスは慎重に位置取りをすると、マージュプールに突入した。
シムーンは暗い煙突の中のような場所を上がっていく。思ったより長さがあるが……やがて再び明るい広間にぽっこりと頭が出た。
《!!》
そこで彼女達が見たのは……まず大勢の宮国の巫女達だ。彼女達がコール・テンペストのシヴュラなのは間違いない。その側にはアヌビトゥーフ艦長とあのグラギエフさんがいる。
彼らの側には銃を持った兵士がいるが、更にその後ろにアリエスとアントレーネの姿が見える。どうやらうまく潜り込めたらしい。
そしてちょうどその時、向こう側からシヴュラ・アウレアともう一人の巫女が兵士に追い立てられるように歩いてくるのが見えた。その後ろから付いてくるのはステラだ。
《ばっちりね!》
ここまでは計画通りだ。
だがここで気を抜いてはいけない。
そう思った瞬間だ。アリエスとアントレーネが動いた。
「武器を捨てて!」
「動くと怪我をしますよ!」
二人はミニステリウムを抜き放つと、兵士達にぴたりと狙いを定める。それに逆らう度胸のある礁国兵士はそうはいないだろう。
それを見たグラギエフの手刀が一閃して、彼の前にいた兵士が倒れる。
シヴュラ・アウレアともう一人の巫女は一瞬驚いた様子だったが、すぐに状況を理解したらしく何かを囁き合うと脱兎のごとくにこちらに向かって走り始めた。
同時にグレイスとヴォルケもシムーンから駈け降りるとマージュプールの脇に跪いた。
二人の前をシヴュラ・アウレアが駆け抜けていく。
その後に続く巫女は、間近からは見るのは初めてだったが、彼女はグレイスとヴォルケの前でちょっと立ち止まるとこちらを見て言った。
「ありがとう」
「お急ぎください」
このもう一人のシヴュラ、シヴュラ・アーエルと話したのはこれが最初で最後だった。透き通るようなエメラルド色の眼がとても印象的だった。
そのシヴュラ・アーエルはグレイス達が持ち込んだシムーンのアウリーガ席に乗り込んだ。
《え? 彼女がアウリーガなんだ》
てっきりシビュラ・アウレアがアウリーガだと思っていたのだが……あの時もそうだったし……だが彼女は先にサジッタ席に座っている。
「アーエル! ネヴィリル!」
見送る宮国の巫女の一人が叫ぶ。
それと共に宮国の巫女達が口々に別れの言葉をかけはじめた。泣いている子もいる。
「泣くな、フロエ」
「だって……」
「お願いね!」
「お別れです。シヴュラ・アウレア」
「さようなら。お二人とも!」
「二人で、きっと……」
こうやってみると、彼女達もやっぱりグレイス達のような少女にしか見えない。
そんな彼女達にシヴュラ・アーエルとシヴュラ・ネヴィリルが答えた。
「さようなら」
「きっとまた、いつか」
そうか……きっと、またいつか、なのか……
二人が風防を閉じるとシムーンはふわっと浮かび上がる。
「お気を付けて」
「さようなら。永遠の巫女」
グラギエフとアヌビトゥーフがつぶやくのが聞こえた。
次いで……驚いたことに彼女達のシムーンは、舞踏室の天井をぶち破って出て行ったのだ。
《ええ?》
てっきりマージュプールを下って行くと思っていたのだが、あのシヴュラ・アーエルというのも随分荒っぽいアウリーガのようだ。
その姿が消え去っていくのを見送ると、グレイスとヴォルケはグラギエフとアヌビトゥーフの方を振り返った。
二人は帽子を取って深く礼をした。
「お二人とも、本当にありがとう」
「ありがとうございました。何とお礼を申して良いのか」
「いえ。そんなことありませんって」
グレイスはちょっと赤くなって手を振ると、アリエスとアントレーネ、それにステラの方を見る。グラギエフとアヌビトゥーフは彼女達にも礼をした。
そこに遅まきながら兵士達がばらばらと入ってくる。
さてともかく仕事は終わりだ。後はもう“彼女達”に任せるしかないだろう……
こうしてグレイスとヴォルケ、それにアヌビトゥーフとグラギエフはやってきた兵士達に嶺国首領の元に連行されていった。
国家元首の前に引き出されて、さすがにグレイスも心臓が縮み上がっていた。だが心強いことには首領の側にはプリマヴェーラが通訳として控えている。彼女がにこっと笑ってくれたのを見てグレイスは少し安心した。
嶺国首領は捕まってきた巫女達を見て目を丸くした。
「お前達がやったのか?」
こうなればもう思ったことを言うまでだ。
「はい。私たちがやりました」
二人は頭を下げた。首領はぎろっとアヌビトゥーフとグラギエフの顔を見ると、再びグレイス達に向かって恐ろしい声で言う。
「こいつらにそそのかされたのだな?」
だがグレイスは顔を上げると答えた。
「え? いえ、確かにこの方に依頼はされましたが、それを受けたのは私たちです」
首領は眉を顰める。
「依頼? お前達はこれがどういう事か分かっているのか?」
グレイスはうなずいた。
「はい。彼女達はお祈りに行くのです」
「あ?」
「大好きなあなたとこの時をずっと、というお祈りだそうです。そのお祈りが翠玉のリ・マージョンになるそうです。ご存じの通り、リ・マージョンとは空に祈ることです。私たちは巫女ですから、お祈りをしようとする人を助けるのは当然だと思いました」
「大好きなあなたと? そんな……下らない祈りのためにか?」
首領は額に八の字の皺を寄せて聞いていたが、彼女を恐ろしい顔で睨む。
だがグレイスはなぜか全然怖くなかった。
「はい。そうかもしれません。でも何が大切かはその人によって異なります。それがお二人にとって、とても大切なことだったのです。アニムス様はそんなお祈りこそを聞いて下さいます。それに……私達はとても素敵なお祈りだと思いました」
首領はグレイスをぎろっと睨み付けた。
「だが、奴らは異教の巫女だ!」
それを聞いて今度はヴォルケが真っ正面から首領の顔を見据えると答えた。
「アニムスは魂を分け隔ていたしません。たとえそれが異なった名前の神を信奉する巫女であったとしても、祈りを捧げようとする想いを妨げることは、私たちにはできませんでした」
全く悪びれないグレイスとヴォルケを見て、首領は今度は矛先を艦長達に向けた。こうなってしまったアニムスの巫女がどれほど頑固な存在なのかは、彼もまたよく知っていたからだ。
首領はアヌビトゥーフを睨んだ。
「お前達、シムーンを盗んでシヴュラを逃亡させるなど、これがどれほど重大な反逆行為か分かっているんだろうな? あのシヴュラ達が我々に刃向かってくるようなことがあったら……」
その言葉をプリマヴェーラが通訳するのを聞いて、アヌビトゥーフが答える。
「違います。彼女達はただ、運ばれるだけなのです。希望の大地へ」
その言葉が逆に通訳されるの聞いて、首領は目を見張った。
「希望の大地だと? 確かに巫女時代、そんな話は聞いたが……単なる伝説だろうが? 大体その伝説が真実だったとしてもだ、今ここでその翠玉のリ・マージョンとやらをする意味はいったい何だ!」
その問いにアヌビトゥーフは答えた。
「意味などという言葉に何の価値もないのです」
それは横にいたグラギエフにも少し意外だったのだろう。小声で彼の名前を呼ぶが、アヌビトゥーフはそれには答えず続けた。
「我々が今、意味を見つけることは可能です。しかし、意味を見いだしたとすれば、彼女達は選ばなかったでしょう」
プリマヴェーラの通訳を聞いて首領は鼻を鳴らした。
「話にならん!」
確かにグレイスにもよく分からない。これでは首領が怒るのも無理ない気がした。
それから首領は兵士達に向かって叫んだ。
「シムーンを出せ! 奴らを行かすな!」
兵士達がわらわらと行動を始める。
その様子を見たアヌビトゥーフがグレイスに尋ねた。
「何と?」
いきなり尋ねられてグレイスはちょっと言葉に詰まった。
「シムーンを……」
「え?」
そこにプリマヴェーラが言った。
「我々のシムーンで、シヴュラ・アウレアのシムーンを追えと」
それを聞いてグラギエフが叫ぶ。
「バカな。撃ち落とそうとでも言うのですか?」
だがもう誰も彼の言葉を聞いてはいなかった。
「ここまで来て……」
グラギエフは両手を握りしめるとばんとテーブルを叩く……その様子をみると、どうやら彼は協力しているのは嶺国巫女の一部だけと思っているらしい。そこでグレイスは小声で囁いた。
「大丈夫です。心配しなくて、構いません」
「え?」
「私、言ったと思います。みんなが協力してくれると」
グレイスはみんなという言葉にアクセントを置いた。
「え?」
グラギエフとアヌビトゥーフは少し驚いた表情でグレイスを見た。それからヴォルケとまだ居残っていたプリマヴェーラを見ると……巫女達は微笑みながらうなずいた。
プリマヴェーラが言った。
「彼女の言うとおりです。私たちは全員、あなた方の味方です。だから心配はご無用です」
驚く二人にヴォルケも言った。
「ともかく何が起こるか見たくありませんか?」
この様子は絶対本人が一番見たがっているが……
「ああ……」
一同はそこから艦首展望に向かった。彼らが到着するとちょうど左舷甲板から四機のアンシエンシムーンが飛び立つところだった。
《さ、始まるぞ!》
グレイスはわくわくしながら成り行きを見守った。
何しろ、これから新しい素敵なリ・マージョンが二つも見られるのだから!
その後当然のことながらグレイス達は、全員営倉に放り込まれた。
殺風景な牢内にいるのはグレイス、ヴォルケ、アリエス、アントレーネ、それに控えだったステラとウィオリナ。さらにプリマヴェーラ、フィアルカを初めとする通訳巫女もいる。
だが、巫女達の表情はみんな晴れ晴れとしていた。
「今度は一晩じゃ済まないわよね?」
「あはは。そうだね」
「でもここならいいんじゃない?」
「そうね。基地の牢屋って、本当に汚かったものね」
グレイス達四人がそんな話をしているとプリマヴェーラが口を挟んだ。
「あ、あなた達二度目だったかしら?」
「あはは」
グレイス達は笑いながらうなずいた。でもあれは、正直二度と思い出したくない体験だった。牢に入れられたということよりも、後悔のためにほとんど眠れなかった辛い夜が……
だがプリマヴェーラは言った。
「でもそんなに長くないと思うわよ」
「どうして? 全員で命令違反しちゃったんだし」
アントレーネの問いに彼女は笑いながら答えた。
「だってあたし達がいないと何も動かないでしょ」
グレイス達は顔を見合わせる。
確かに言われてみたらそうだった。ここで通訳の彼女達がいなかったら、もはや協議は何も進まないと言って良い。
「あはは。そうだよね」
それを聞いてヴォルケがプリマヴェーラに尋ねた。
「もしかしてプリマヴェーラ、それも最初から計算に入れてた?」
「え? ちょっとね」
そう言って彼女はにやっと笑う。
多分この人は……絶対敵に回したらいけないタイプなのだろう。
だがヴォルケは少しうつむきながら言った。
「ごめんなさいね。あなたの経歴に傷つけちゃって……」
「何言ってるのよ。これがヘリファルテだったらどうしたと思う?」
ヴォルケははっとした様子で顔を上げる。プリマヴェーラは相変わらずにこにこしている。
「それにこんなに楽しかった事って生まれて初めてだし」
「それはそうよね」
フィアルカもそう言って笑った。
そこでグレイスが言った。
「でもプリマヴェーラがいてくれて本当に良かった。首領様の前に引き出されたときとか、本当にどうしようかと思ってたんだけど、プリマヴェーラがいたからなんとか喋れて」
だが今度は彼女は真顔で答えた。
「そんなことないわよ。全然助けなんていらなかったじゃない。本当にあなた達かっこよかったわよ」
「え? そうかな」
頬の緩んだグレイスを見てヴォルケが突っ込む。
「すぐそうやって調子に乗るんだから」
「えー? いいじゃないの」
そこにプリマヴェーラも言う。
「でも、宮国語はもう少し勉強した方がいいかもね」
「えー?」
牢獄内に巫女達の笑い声が響いた。
やがてそれが止むと今度はふっと静寂が訪れる。そこにアリエスがぽつっとつぶやいた。
「あの人達、死んじゃったのかな?」
巫女達はぴくりと体を震わせる。
翠玉のリ・マージョンが完成した後、そのあとに宮国シムーンの機影はどこにもなかったのだ。完成してから光が消えるまでの間はそれほど長くはなかった。飛んで行ったのなら見えるはずで……ということは彼女達はあそこで“消えてしまった”としか言いようがないのだが……
「んー、でもそうだとしても絶対二人で幸せにいるでしょ」
グレイスの言葉にアントレーネもうなずいた。
「それはそうよね」
それを聞いてアリエスもうなずいた。
「うん。そうだよね。あの光、凄く優しかったしね」
それはみんなも感じていることだった。あの翠玉のリ・マージョンの輝きは、美しく、心の中を照らしてくれるような暖かさに満ちていたからだ。
だがそのときアントレーネがぽつりとつぶやく。
「でもあたし……素敵なお祈りには素敵なリ・マージョンしかできないって思ってた……」
その言葉はグレイスの心に突き刺さった。
「アントレ……」
「あ、ごめんなさい……」
きっとまたいつか、アニムスの御許でお会いしましょう、というのは嶺国の巫女達が死に臨む際に言い習わしてきた言葉だ。
だが彼女達は心の奥底では知っていた。死んでしまったら終わりなのだと。そう言い習わすことで、避けられぬ死の恐怖を少しでも和らげることができるから、だから彼女達はそれを信じてきた。信じなければならなかった……
たとえそれがどんなに暖かな輝きだろうと、人の命を奪ってしまうのならただの凶器だ。
重たい空気をプリマヴェーラが破る。
「でもあの艦長さん、言ってたじゃない。どこか別なところに運ばれていくんだって」
グレイスが顔を上げる。確かに彼はそんなことを言っていたが……
「希望の大地へって?」
「もしかしてそんなところが本当にあるのかしら?」
「それは……」
グレイスとヴォルケの問いにプリマヴェーラは言葉を濁す。もちろん彼女を問い詰めたって仕方がない。
グレイスは思った。
《でも本当にそんな場所があったなら……》
その場所を信じてみることには意味があるかもしれない……
そのとき牢の扉ががちゃがちゃっと開けられると、更に八名の巫女―――ファールケ、アヴェラーナ、アリアーテ、ラティオーネ、マリキータ、アギーラ、クリアーネそしてラグーナが送り込まれてきた。もちろん逃亡したシムーンを撃墜しろという命令に違反した咎である。
これで嶺国巫女は全員勢揃いだ。比較的広さだけはあった牢内だがさすがに一杯だ。
「ただいま。すごかったよ!」
興奮した顔で開口一番そう言ったのはファールケだ。
「近くから見たら、綺麗だった!」
「そうよね。特等席だったものね」
「あれ見られただけでも当分牢屋暮らしでいいね」
他の巫女達も口々に、興奮冷めやらぬ様子で話し始める。
「ちょっと。こっちは遠くからしか見られなかったんだからね」
グレイスの突っ込みににこやかに笑って答えたのはファールケだ。
「あはは。残念でした!」
こいつは……性格の悪さはカナーリとどっこいなのだ。
「で、結局見つからなかったの?」
プリマヴェーラの問いにファールケが答えた。
「うん。あの後随分探したんだけど。文字通り影も形もって感じ。消えちゃったとしか思えないよね。あれ。近くでも爆発みたいな衝撃は全然感じなかったし」
「そのことこっちでも話してたんだけど」
そう言ってヴォルケが今の話を彼女達にした。
それを聞いてファールケは言った。
「じゃ、なに? それじゃ二人は生きたままあちらの世界に行っちゃったってこと?」
「え?」
「希望の大地へ送られるって言うならそうなんじゃないの?」
生きたままだって? こいつはやっぱりバカだった。グレイスでさえそんなことは思いつきもしなかったが……
でも……
「そんなことあるのかしら?」
「やっぱりちょっと信じられないんだけど」
ファールケは口々に突っ込まれて、むっとした顔で言い返す。
「だってシムーンなんだよ?」
それを聞いて巫女達は全員言葉を失った。そして……爆笑した。
言われてみれば誰も二人の遺体を見たわけではない。だったらそう考えて何がいけないだろう?
「確かにそうよね。シムーンだし」
「それじゃお二人で本当にその……素敵な場所に送られて行って、そこで今もずっと一緒に?」
アヴェラーナがこぼした言葉に、みんなが一瞬言葉を失う。
あは!
「うん。そうだ!」
「そう言われたら私、信じちゃうかも」
「そうなんだ。送られて行っちゃったんだ……」
そうなのだ。
彼女達にはそう信じることができる。
信じていれば……いつかまた、きっと……
巫女達が穏やかな気分になれたところで、フィアルカがつぶやいた。
「何か凄いリ・マージョンだったのね。翠玉のリ・マージョンって」
それを聞いてプリマヴェーラがファールケに言った。
「でも、凄いって言えば、あなた方のも凄かったのよ」
「え? そうだった?」
ファールケの顔が輝く。
「あれって朝凪のリ・マージョンって言って、何でも旅立つ仲間を送るためのリ・マージョンだって言ってたわ。グラギエフ様が」
それを聞いたファールケ達は一様に首をかしげた。
「旅立つ仲間を送る?」
「そんな感じだったかしら?」
「何かちょっと違うわよね」
「それじゃどんなのだったの?」
ヴォルケの問いにファールケが答えた。
「頑張れ~~~!! だよ?」
「あ?」
見守り組がぽかんとしてしまったので、アヴェラーナが説明を始めた。
「ええ。本当にみんなで応援してるって感じだったわ。例えば初めてのコースを滑降しようとしてる子がいたとするじゃない。その子に向かってみんなで頑張れーっ、行けーって囃してるみたいな気分で……旅立つ仲間なのかしら? あれって」
「ああ。でもそれって時々本当にあっちに旅立っちゃったりするじゃない。そういう意味じゃ間違いじゃないかもしれないけどね!」
などという不謹慎なことを言うファールケをアヴェラーナがじろっと睨んだ。
「何てこというのよ。あなたは」
「だってそうじゃない。あたしだって足折ったことがあるんだから」
「そういう問題じゃないでしょ!」
ああ、前々からこいつはバカだったから……でもアヴェラーナは彼女のいいパルになってくれたみたいだ。
そこに巫女の一人がぽつっとつぶやいた。
「でも、終わった後はちょっと普通だったわね」
「うん。音も香りもなかったし」
それを聞いたプリマヴェーラが言った。
「ううん、もの凄い効能があったわよ?」
「もの凄い効能? どんな?」
だが巫女達の視線が集まった途端に、何故か彼女はいきなり後ろを向くとお腹を押さえて体を震わせた。
「え? どうしたの? どこか悪い?」
驚いて手を貸そうとした巫女にプリマヴェーラが手を振る。
「違うの。別にどこも悪くないから」
それから彼女は何度か深呼吸すると、思わせぶりに巫女達の顔を見渡す。
「それがね、あれ見て首領様がおっしゃったのよ」
彼女は額に八の字の皺を寄せると、首領の口まねをした。
「私にもその時があった。みな、少女だった」
あたりに沈黙が訪れ……続いて全員が大爆笑する。
「あの首領様が? そんなことを?」
「ええ。あのお顔でそんなことおっしゃるから……」
「あのお顔でなんて、そんなこと言って……ぶはっ!」
アリエスが諫めようとしてそのまま転げ回る。
「でもその時はね、何かじわっときちゃったんだけど、後からはもう、思い出す度にお腹が痛くって……」
プリマヴェーラはもう涙目だ。
「凄いリ・マージョンだね。それって」
「国家元首に恥ずかしいセリフを言わせるリ・マージョンって、それ、最強じゃないの?」
再び巫女達は爆笑した。
などといった調子で盛り上がっているところにまたガチャガチャと音がすると、牢の扉が開いて見張りの兵が顔を出した。
「おまえら、ちっとは静かにしてろ!」
「あ、すみませーん」
「それから面会者だ」
面会者? 一体誰だろう? そう思って入り口を見ると……そこから入ってきたのは七名の宮国のシヴュラ達だった。
《え?》
いきなりのことで言葉が出てこない。
だが相手も同じようで、しばらく両者の間に気まずい沈黙が訪れた。
《えっと……どうしよう?》
何か言わなければならないのだろうか? でもさすがにここでお腹が空いているかなどとは聞けないし……そう思った瞬間だ。ショートカットの地味な少女が言ったのだ。
「あの時……私が引き金を引いたの……遺跡で……」
彼女はそれ以上は言えずにへたへたと泣き崩れる。
「ロードレアモン……」
それを側にいた別な少女が慌てて抱きとめた。
嶺国巫女達もそれを聞いて力が抜けそうになる。
《遺跡で? 引き金を?》
そう。忘れようにも忘れられない、辛い記憶……
だがその時、後ろにいたアリエスが巫女達をかき分けるように前に出ると、泣き崩れる少女の前に立ったのだ。
ロードレアモンと呼ばれた少女が顔を上げる。アリエスは言った。
「あれには……私の姉が乗っていました」
それを聞いてその少女だけでなく、その場にいた全員が身をこわばらせた。
《アリエス! 何言い出す気なのよ?》
だが続けてアリエスが言う。
「そして……私はこれを使いました。あのシヴュラに」
アリエスはローブの下に常に身につけているミニステリウムのホルスターを見せる。
ロードレアモンの目がそれに釘付けになる。
中身は取り上げられてしまっているが……それが何を入れておく物かは一目瞭然だ。
《ここでそんなことを言い出してどうするのよ?》
止めた方がいいのだろうか?
だがその時グレイスはアリエスの顔を見て気がついた。
凍り付いている少女に向かってアリエスは言った。
「でも、最初に許してくださったのは、あのお方なんです」
ロードレアモンがはっと顔を上げると……そこにはアリエスの優しい笑顔があった。
―――その日グレイスとヴォルケ、そしてアリエスの三人は、仕事の合間にたまたま食堂の方に来ていた。すると向こうの方で何やら騒ぎが起こっている。
「ちょっと足邪魔なんだけど。その臭い足どかしてよ。って言っても、あんた達には分かんないだろうけど」
「ナンダ? コノガキハ!」
「ふーん。けなされているってのだけは分かるんだ」
「ブッコロサレタイカ! ガキ!」
礁国の兵士と宮国巫女がトラブルらしい。宮国巫女が二人兵士達に絡まれている……いや、絡んでいるのは巫女の方か? だとしたら何と命知らずな。兵士というのはぶち切れたら何をしでかすか分からない人種なのだが。
グレイス達は慌ててそこに向かった。
「チョットアナタタチ、オヤメナサイ!」
彼女達を見て兵士達は大人しく引いてくれた。グレイスは内心ほっと胸をなで下ろす。
《全く……》
昼間で酒が入っていなかったのが幸運だったに違いない。でなければ……
ともかくあまり変な挑発は止めてもらった方がいいだろう。そう思ってその宮国巫女達を見て……三人は息を呑んだ。
《この人……あの時の……》
間違いない。そこにいた巫女の一人は、あの銀の巫女が命がけで助けようとしたシビュラ・アウレアだ!
「あ、貴女たち……」
彼女もまたグレイス達を見て目を見張った。
《あっと……えっと……》
様々な想いが頭の中を駆け巡った。
そう。彼女達はこの人の大切なパルを撃ってしまった……しかもそれだけではない。更にその後、怒りに任せてそれ以上の破壊と殺戮を行ってしまったのだから……
そう思った途端に力が抜ける。三人は彼女の前にがくっと膝をついた。
「お許しください。シヴュラ・アウレア・ネヴィリル」
口を開いてそう言ったのはアリエスだ。グレイスも続けて言った。
「私たちは恐ろしい大罪を……」
彼女はグレイス達に怒りを向けるだろう。それとも単に無視して行ってしまうだろうか。当然のことだ。でも自分たちはこうするしかない。自分たちにできるのは、ただ何と言われても受け入れることだけだ……
だがしばらく彼女は何も言わなかった。
「ネヴィリル?」
先ほどの威勢のいい巫女が不思議そうに彼女の顔を見る。
するとシヴュラ・アウレアは静かな声で言った。
「祝福を」
「は?」
三人の巫女は思わず彼女の顔を見る。
「祝福?」
思わずグレイスが尋ねたその言葉にシビュラ・アウレアは……
「祝福を」
穏やかにそう答えて手をかざした―――
ロードレアモンの表情が変わる。彼女もその場を見ていたのだ。
そしてアリエスが言った。
「だから今度は……私たちの祝福を、受けて頂けますか?」
ロードレアモンは、いや、宮国巫女達はみんなそれを聞いて目を見張る。次いでロードレアモンの目から涙がこぼれ落ちた。彼女がアリエスの前に跪くと、宮国の巫女達も皆それに倣った。
アリエスが片手を小さく挙げる。嶺国巫女が全員それに倣う。
続いてアリエスがみんなを代表して祈り始めた。
不思議な気分だった。
目の前に跪いている人達のことを自分たちは何も知らない。国も違えば信奉する神も異なっている。
でも彼女達は信じられる。そう確信できる。なぜなら彼女達はあのシビュラ・アウレアの大切な仲間達なのだから。彼女と祈りを共有した人達なのだから。
グレイス達の敬愛する始まりの巫女の言葉―――憎むより多く許していかないと、世界は憎しみだらけになってしまう―――彼女はその言葉は知らなかっただろうが、でも彼女はそうした。まるでごく当たり前のことのように。グレイス達にはできなかったことを……
祈りが終わっても宮国の巫女達は立ち上がろうとしなかった。そこでグレイスが彼女達に言った。
「どうかお立ちください。シヴュラの方々」
だがそれを聞いて赤毛の背の高い巫女が答えた。
「いえ、私たちはもうシヴュラではありません。今はあなた方がシムーン・シビュラです」
「え? でも私たちは、あなた方に比べれば、所詮真似事の……」
巫女の一人がそれを遮って言った。
「違うよ。昔っから空に祈りを捧げる巫女のことを、シムーン・シビュラって言うんだから」
あの時の威勢の良かった少女だ。続けて眼鏡をかけた少女が口を開いた。
「嶺国式のこと、グラギエフに聞いたよ。ちょっと聞くのが遅すぎたみたいだけど……」
そう言いながら彼女は横にいた少女の顔をちらっと見る。その少女は髪の色は違うが顔立ちがそっくりだ。もしかして姉妹なのだろうか?
彼女ははにかんだようにうなずいた。
「ええ。もっと早く知ってれば……」
「早く知ってれば~?」
先ほどの威勢のよい少女が混ぜっ返すと二人は揃ってじろっと睨み返す。何かあったのだろうか?
「それについてはちょっと心残りだけどね」
そう言ったのは顎にほくろのあるスタイルの良い少女だ。彼女に続いて黒髪のボーイッシュな少女が言う。
「でもだから私たちは満足してあなた方に託せます」
最後に再びロードレアモンがにっこり笑った。
「あなた方に会えて本当に良かった。ありがとう」
彼女はアリエスに手を差し伸べた。
アリエスがその手を握ると、それが合図のように巫女達は互いの手を握り合い、抱擁し合った。
こうして彼女達は出会い、そして別れた。