消えた王女 第3章 微かな手がかり

第3章 微かな手がかり


 王女が誘拐されてから三週間が経過した。

 フォレス国内もガルサ・ブランカ城内もその間ずっと大混乱状態が続いている。なにしろ王女誘拐だけで大問題なのに、ベラへ遣わしていたコルンバンが更に驚愕すべき知らせを持って帰って来たからだ。ロムルースがいきなり兵を挙げてエクシーレに攻め込んでいったというのだ。

 それを聞いたときはさすがのアイザック王も茫然自失だった。いくら親密な関係とはいえ、ベラという他国の行った行動だ。フォレスにはそれを止める権限はない。本気でそうしようと思うのならば力ずくしかなかったが―――それは火に油を注ぐようなものだ。

 王は可能な限りの手段を使ってベラとエクシーレの間を調停しようと努力していた。だが伝え聞くところによればそれで状況は全く改善する気配がないどころか、さらに悪化しつつあるという。

 おかげで城の中はずっとてんてこ舞い状態だ。そんな中フィンは図書館のデスクに一人ぽつんと座って頭を抱えていた。

《ロムルースはいったい何を考えてるんだよ! こんなタイミングで出て行ったら相手はグルと思うに決まってるだろ!》

 エクシーレはどうやらこの事件はフォレスの自作自演だと疑っているらしい。そう思うのも無理もない。エクシーレやベラが無関係だとすれば残るはそれ以外だが、普通に考えて他国の王女を誘拐しようなどと考えるような非常識な国があるはずない。だとするとある意味最も怪しいのがフォレスによる狂言という可能性だ。

 もちろんフィンはそんなことがあるはずないことは知っていたが、それをエクシーレに納得させるのは普通に至難と言っていいだろう。そのうえ今度のベラの行動だ。これではフォレスとベラが組んでエクシーレに言いがかりをつけているようにしか見えないではないか。

 フィンは大きくため息を吐いてからつぶやいた。

「俺はいったいどうすりゃいいんだ?」

 フィンはあのとき一応フォレスに仕官する約束はしたが、このどさくさのせいで未だ正式な誓いを立てる暇がなかった。従ってここでの立場上はまだ一介の客人でしかないのだ。

 しかも彼はアウラと違って城で何か役割を持っていたわけでもない。要するにできることが何もないのだ。みんなが忙しく立ち働いている中で、一人だけぼうっとしているというのはひどく気が引ける話だ。フィンは一人のけ者にされたような気がしていた。

 あれ以来アウラはほとんど毎日出突っ張りで、帰ってくるのは何日かに一度だ。おかげでフィンはひさびさに夜はゆっくり寝られたのだが、そうすると今度は寂しさで目が冴えてしまう。フィンは一人鬱々としながら毎日を過ごすしていた。

《それにしてもこれだけ経ってもまだ見つからないなんて……》

 最近フィンはずっとそのことばかりを考えていた。

 三週間とはかなりの期間だ。今まで城にこんなに長期間王女がいなかったことはなかった。王女のいなくなった城内はまるで火が消えたようだ。それまでは気づかなかった彼女の存在の大きさがひしひしと伝わってくる。こうしてみると王女は王や王妃だけでなく城の侍従達にも深く愛されていたのだ。

 それはフィンも同様だった。彼もまた今では王女を深く尊敬していた。だから一刻も早く王女には戻ってきてもらいたかった。当然それは王女の元気な姿を再び見たかったこともあるが、それ以上にアウラが日一日とやつれていくのが見ていられなかったからだ。

 最近では国王やナーザともほとんど話す機会がない。国王はエルミーラ王女探索よりも、ベラとエクシーレの戦争回避策を考えることで手一杯だ。その結果王女探索の方はナーザが陣頭指揮をしている状態だ。ルクレティア王妃はしばらく寝込んでいたが、もうそれどころではないと今では内政や雑務を全て背負っている。当然王やナーザはほとんど城にはいないし、いてもフィンが話しかけられる状態ではない。

 そんなことを思いながらフィンはまたため息をついた。

《いったい王女はどこに消えてしまったんだ?》

 フォレスは小国だといっても、やはり一国だ。その広さはこうしてみると際限ないように見える。それからフィンは考えた。これだけ探して手がかりも出てこないなんて、誘拐団はいったいどうやって彼女を隠したのだろう?

 これは今までも何度も何度も考えたことだった。人を一人隠すというのは、簡単なようで結構大変なはずだ。少なくとも食事を持っていかなければならない。世話をする人間も必要だろう。人手がかかればかかるほど、情報も漏れやすくなる。これだけ大がかりな探索に引っかからないようにするためには、並大抵の努力ではないはずだ。

 何しろ王女の捜索隊は実質的に驚くべき規模になっていたからだ。王女の捜索には城や軍の関係者だけでなく、国民の多くが自発的に手を貸してくれているのだ。

 それというのも実のところエルミーラ王女は、あのような所行にもかかわらず国民の間に根強い人気があったからだ。

 それは郭に行くときの馬車の相乗りの習慣が幸いしていた。相乗りの習慣は城の女官達の隠れた人気イベントだった。そこで彼女たちは豪華な馬車に乗って、王女その人と語らうことができた。そこで彼女たちはエルミーラ王女の真の人となりを知って王女を深く尊敬するようになっていった。

 そんな彼女たちの出身地は当然フォレス国内の様々な場所だ。彼女たちは休暇をもらえたら故郷に帰って身内や知り合いにその話を吹聴して回ることになる。もちろん郭に向かう王女の馬車に乗ったなどという話を人々が聞き逃すはずがない。そしてその結果として王女の真の姿が一般の国民の間にも徐々に知られていったのだ。

 なので王女探索には非常に多くの人々が積極的に協力してくれていたのだ。だから初期の頃はみんな相当に楽観的だった。実際フィンもアウラからその話を聞いて、この調子なら王女はすぐに見つかるに違いないと思ったものだ。

 だがその期待は徐々にしぼんでいった。それだけの人手をかけているにもかかわらず、いつまでたっても王女の行方は杳として知れないのだ。

《ということはもう国内にはいないんだろうか?》

 フィンはそう思ったがすぐに首を振った。

 なぜなら国境は事件当日から厳重なチェック体制が敷かれている。あの会議でも出たとおり、フォレスから外に出る街道は三本しかない。その全てについてあの日以来何重にも検問が敷かれている。

 街道以外のルートもナーザが言ったようにほとんどシロだろう。もちろんロパスは国境周辺の猟師達にもくまなく調査の手を広げていた。人気のないところに行けば逆にそういう一行は目立ってしまう。だが誰もそんな怪しい一行を見た者はいなかった。

《だとすると残るは……》

 そう思ってフィンは頭を振った。それは絶対考えたくない可能性だ。そう。残る可能性は、すでに王女は殺害されているということなのだが……

《だったらあそこで簡単に殺せたはずだ!》

 誘拐団がわざわざ王女をさらっていったということは、生きている王女が必要だからなのだ。わざわざ拉致してそれから人知れず殺すことにどういう意味がある?

 そこまで考えてフィンははっとして顔を上げた。

「い、意味無くはないんじゃないか?」

 フィンの顔から血の気が引いた。

「いや、気のせいだ。そんなことがあるはずない!」

 フィンはそう独り言を言ったが、勝手に体ががくがくしてきた。そういえば王はどんなことでもいいから思いついたら言えと言っていたが……

《こんなこと言うなんて……》

 フィンは頭を抱え込んだ。

 そのときどすんと背中を叩かれた。

「まーたこんな所で!」

 振り返るとアウラが立っている。顔は笑っているが目の回りには隈ができている。フィンは胸が痛くなった。

「ああ、帰ったのか? どうだった?」

 アウラは悲しそうな顔をして黙って首を振った。

「そうか……」

 フィンは何と言っていいか分からなかった。城のメンバーの中では彼女が今回の事件に一番責任を感じているのは間違いない。また中にはアウラがそのとき王女達を置いて城に戻っていたことについて陰でとやかく言う者もいた。

「お前、一日ぐらい休んだのか?」

 それを聞いてアウラは無理に笑みを浮かべると首を振った。

「大丈夫だって。このくらい」

「だったらいいが、あんまり根をつめていると病気になるぞ」

 フィンは心配だった。できることならアウラに休んでもらいたかった。だが面と向かってそう言うわけにもいかない。アウラ本人が絶対納得しないだろう。

「いいの。あたしが好きでやってるんだから」

 好きで? そんなわけじゃないだろ? とフィンは言いたかった。体を動かしていないとどうしようもないからだからなんだろ? フィンはアウラのそういう所をもう十分に知っていた。

 フィンはそこまで思って、またはっとした。

《好きで?》

 その瞬間ぴんとひらめいた物があった。フィンはばたんと立ち上がる。アウラが驚いてフィンの顔を見た。

「アイザック様は帰られてたよな?」

「ええ? 確か昨晩戻られたと思うけど……」

「ナーザさんは?」

「さっき一緒に帰ってきたわ」

 これはちょうどいい!

「二人は今どこか知ってる?」

「たぶんアイザック様は自室だと思うけど……ナーザ様は知らない」

 フィンはそのままつかつかと歩き出した。

「どこ行くの?」

「アイザック様の所へ」

「何しにいくの?」

「ちょっと思いついたことがある」

 フィンが部屋を出ようとするとそのままアウラも一緒について来ようとする。

「おいおい。ちょっと話しに行くだけだよ。お前は休んでろよ。疲れてるんだろ?」

「え? でも」

「すぐ戻ってくるよ」

「わかったわ」

 アウラはおとなしく引き下がった。心なしか少しふらついているようだ。実際相当に疲れているのだろう。

 そのままフィンは王の居室に走った。



 フィンが来たとき、そこでは運良くアイザック王はとナーザと何か話し合っているところだった。

「おお? どうしたのだ? ル・ウーダ殿」

 侍従に招き入れられたフィンを見て王が言った。いきなりやってきたフィンに、アイザック王は怪訝そうだ。王も激務で顔がやつれている。ナーザも同様に少し驚いたようにフィンを見つめている。そんな二人を見てフィンは言った。

「いえ、ちょっと思いついたことがあったのですが……お話中であれば終わるまで外で待っておりますが」

「いや、大方の話は終わった所だ」

「でしたら……以前王様は言われましたね? 何でもいいから思いついたら言うようにと」

「ああ。もしかして何か分かったのか?」

「あの……ちょっとした思いつきなんですが……」

 そのときナーザが手招きした。

「ともかく立ったままではなくて、こちらにお座りなさいな」

 そう言ってナーザは彼女の横の席を指す。彼女の表情にもずいぶん焦燥の色が現れている。フィンは王の顔を見ると王も軽くうなずいた。

「それでは恐れ入ります」

 フィンはナーザの横に座った。

「それでどういう事かな?」

 腰を下ろしたフィンを見て王は言った。フィンは一呼吸してから話し始めた。

「あの……今まで三週間もエルミーラ様を探索なされたわけですが……その、私の知るところでは、いまだ手がかりがないように聞いております」

 それを聞いて二人の表情が更に暗くなった。

「確かに……その通りだが……もしや何か手がかりでも見つけられたか?」

「いえ、そういうわけではないのですが、聞けばガルサ・ブランカだけでなく、辺境の村でも私設の捜索隊が組織されて探索が行われているそうですね。だとするとちょっと変だと思ったのです。というのは国を挙げてこれだけ探しても、手がかりさえ見つからないというのが……」

 王とナーザはちらっと顔を見合わせた。

「それはわしらも感じておったことだ。もしかしてわしらはとんでもなく的外れなことをしておるのではないかとな」

「そ、そうでしたか……でそちらでは何か?」

 王は力無く笑った。

「さっぱりだ」

「あの……それで二つばかり思いついたことがあるのですが……悪い可能性と良い可能性ですが……」

 二人はちょっと互いに顔を見合わせ、それからフィンの顔を見つめた。

「ほう……言ってみなさい」

 フィンはごくりと唾を呑んだ。王の目は真剣だ。

「まず悪い可能性ですが……もしかしたらエルミーラ様はもうこの世に……」

 アイザック王がきっとフィンを見つめた。

「何を根拠にそういうことを言う?」

 フィンは少ししどろもどろになった。

「いえ、そんな大した根拠ではないのですが、あの、私たちは相手がエルミーラ様を拉致したのだから、エルミーラ様のお命だけは逆に保証されているだろうと考えておりました……しかしそこが相手のつけ目だったらと、そう私たちに信じさせることが……」

 それを聞いて王は一瞬ぽかんとした顔をしてから、次いで真っ青になった。

「そんな……まさか!」

「それでは相手の目的はいったい何なのです?」

 ナーザが同じく青い顔で尋ねる。

「あの、フォレスの混乱を狙ったのではと……実際十分混乱していますし……」

「そんなことが!」

 アイザック王が激高して立ち上がろうとする。それを慌ててナーザが抑えた。

「アイザック様!」

 王ははっとしたようにフィンを見ると、再び座った。それから王は頭を抱えて下を向いた。

 フィンは少し慌てて言った。

「あ、あの、アイザック様、これはまだ私が単に想像したことですので……」

 それを聞いて王は顔を上げる。

「ああ、そうだな。すまぬ……だが……それにしてもやはり、その敵は最終的には何を狙っておるのだ? 我々にそう信じさせたとしてだ」

 そう聞かれてもフィンには答えようがなかった。

「申し訳ありません。そこまでは……」

 王は大きくため息をついた。それからまた顔を上げると言った。

「それで、もう一つの良い可能性を聞いておらなかったな」

「あ……はい。その良いと言いましても、最初のに比べて良いだけですので……」

 少々しどろもどろのフィンを王は睨み付ける。

「能書きはいい! さっさと話したまえ」

 フィンは慌ててうなずいた。

「はい……えっと、あの、私たちはエルミーラ様が国内にいると考えておりました。それでこの三週間ずっとフォレス国内を探索していたわけですが、しかしもし実はそうではなかったらと……」

 それを聞いてナーザが尋ねた。

「ではどうやってエルミーラ様を運び出したのです?」

 ナーザの口調は少し冷たかった。当然だ。あれだけのチェックをそう簡単に逃れるわけにはいかないだろう。だがフィンはここぞとばかりに言葉に力を込めた。

「そこなんです。どうやって運び出したかって考えていたから、間違えてしまったのではないでしょうか」

 それを聞いて王とナーザの顔に驚きが走った。

「どういうことです?」

 ナーザの声は少し震えていた。

「あの、もしかしてエルミーラ様が自分から出ていったとしたらどうでしょう?」

「なに?」

「なんですって?」

 二人が同時に叫んだ。

「いえ、これも単なる想像なんですが、みんな敵はエルミーラ様を“無理矢理に”さらって行ったと信じ込みすぎたのではないかと……いや、確かにグルナさんの証言を聞けばその通りなんですが、当然無理にさらったとすれば、例えばエルミーラ様を眠らせて荷物に紛れ込ませるとか、そういった方法を採らないと国外に連れ出すことは不可能です。でもここでもしエルミーラ様ご本人の協力が得られたのだとすれば、国外に脱出する方法はもっとたくさん考えられるのではと……」

 アイザック王とナーザは目を丸くしてフィンを見つめた。それから互いに顔を見合わせる。

「だがどうやって敵はミーラを協力させたというのだ?」

 王がフィンに尋ねた。

「え? あの、そこまでは……」

「いや、そんなことはどうでもいい!」

 そして王はナーザを見た。ナーザはうなずくと立ち上がって言った。

「私調べて参ります」

 それから彼女は部屋の外に走り出していった。驚いてその後ろ姿を追うフィンに向かって王が言った。

「感謝するぞ! ル・ウーダ殿。これはもしかしたらかなり行ける線かも知れぬ。確かに何らかの理由であ奴が敵に協力すれば、例えば変装するなりして検問をごまかすことは可能であろう」

「は、はい……」

「いったいどうやってこんなことを思いついたのだ?」

「え? いや何というか、アウラが結構よろよろになるまでやってるんで、休むように言ったんですが、自分が好きでやってるんだからって言うことを聞かなくて……で、そのとき王女様が好きで出て行ったらどうだったかと思ったんです」

「なるほどな」

 王はうなずいた。

「アウラは今どうしておる?」

「多分部屋で寝ているんじゃないでしょうか?」

「そうか。ならばル・ウーダ殿もとりあえず部屋に戻っていなさい。後でまた何か相談するかも知れんので、部屋から出るときは行き先を誰かに教えておいてくれ」

「はい。承知しました」

 フィンは王の部屋を退出して自室に戻った。

 部屋に入るとベッドの上ではアウラが着替えもせずにすやすや眠っている。

《よっぽど疲れてたんだな》

 フィンはアウラの髪をなでた。アウラが何かつぶやいて寝返りをうつ。

《運が良かったら、明日から休めるかも知れないぞ》

 フィンはそう心の中でつぶやいて、アウラの頬にキスをした。



 王から呼び出しがかかったのはその日の深夜だった。

 眠い目をこすりながらフィンがドアの所まで現れると、呼び出しに来た兵士が言った。

「夜分遅く失礼いたします。アイザック様がル・ウーダ様とアウラ様をお呼びです」

「え? アウラもですか」

「はい。そうおっしゃっております」

 兵士が答えた。いったいどうして彼女まで呼び出すのだろうか?

「フィン? なんなの」

 奥から声がする。騒ぎを聞きつけてアウラが起きたようだ。

「アイザック様がお呼びみたいだ」

 フィンは兵士に礼を言って返すと、部屋の中に戻った。

「何なのかしら?」

「多分何か分かったのかもしれない」

「え? 本当に?」

 アウラの表情が一気に明るくなる。

「いや、それはまだ王様に聞いてみないことには。ともかく急ごう」

 それから二人は慌てて身支度を整えると王の居室に向かった。

 そこには王とナーザ、それに王宮警備隊長ロパスなどが既に集まっていた。

「来たな? そこに座りたまえ」

 二人がうなずいて示された席につくと、王がフィンに向かって言った。

「ル・ウーダ殿の言ったことは大当たりだったぞ」

「え? 本当ですか?」

 アウラが驚いてフィンの顔をを見る。

 フィンは喜びで胸が溢れた。やっと一つ役に立つことができた! フィンは少し胸の支えが下りた気がした。

「もう一度彼らに事情を説明してくれたまえ」

 王がロパスに言う。ロパスは礼をして話し始めた。

「はい。ナーザ様のご指示どおり、私たちはもう一度国境を通った者のリストをチェックし直しました。今までは大きな荷を運ぶ者達を中心に調べておりましたが、それ以外の者も全て記録にはとどめてありましたので。すると出てきたのです。事件の翌々日にアサンシオンのシルエラという名の遊女が一名、ベラに出国しておりました。ところが先ほどアサンシオンに問い合わせた所、そのような遊女はいたことがないという話なのです」

「ええ?」

 フィンは改めて驚いた。まさか本当だったなんて……

「たまたまその一行を取り調べた兵士がこちらに戻っておりましたので状況を尋ねてみました。その一行は男三名とその遊女の計四名でした。その遊女はベールで半分顔を隠していましたが、堂々とやってきてアサンシオンのシルエラと名乗り、その兵士にねぎらいの言葉までかけたそうです。その兵士はエルミーラ様の顔は知らなかったものの、その振る舞いや喋り方が遊女独特のものだったこともあって、問題ないと思って通したとのことでした。その男に先ほどエルミーラ様の肖像を見せたのですが、彼はその遊女に間違いないと答えました。もうほとんど卒倒しそうな様子で……」

 フィンは呆然として王の顔を見た。王の顔には疲れた表情が浮かんでいる。フィンが見ていることに気づくと、王は力無く笑って言った。

「あの娘ならその気になればその程度のことはするであろうな……」

「でも……いったいどういう理由があったのでしょう?」

「分からぬ。だがともかくその女がミーラであったことはほぼ間違いがないな」

 そう言って王はふっとため息をついた。フィンは同席している人々の顔を見る。みんな喜んでいるような疲れているような複雑な表情だ。

「で、今後どうなさるのでしょうか?」

 フィンの問いに王が答えた。

「それでアウラを呼んだのだ」

 それまでは目を丸くして話を聞いていたアウラが、はっとして王の顔を見る。

「私ですか?」

「そうだ。今聞いたとおり、エルミーラは敵と共にベラに行ったのだ。そこでお前はナーザ殿と共にベラに潜入してもらいたいのだ」

「ええ?」

 フィンとアウラが同時に叫んだ。そういう二人にナーザが言った。

「事は少しややこしくなってきました。エルミーラ様がベラに行ったということで、今回の事件の犯人がベラの者である可能性が非常に高くなりました。誘拐団にベラの訛りがある男が混じっていたこともそうですし、それ以外の国の者が犯人だとしたら普通ならグラテスに向かうはずです。もちろんベラを経由して脱出する可能性がないとは言い切れませんが、単に遠回りになるだけです」

 確かにその通りだ。

「しかしベラの盗賊風情がこのような大それた事を実行できるでしょうか? とてもそんなことは考えられません。だとしたら、この事件の背後にはもっと力のある者が関わっているということになります」

「ちょっと待って下さい。ってことはベラの領主とか高官クラスが関わっていると?」

 フィンは思わずナーザに問い返した。フィンでなくともそうしたことだろう。何しろフォレスとベラは長年の最友好国なのだ。その王女を拉致するような真似をしていいことなどあるはずがない。

 そんなフィンの問いを聞いて、ナーザは首を振った。

「何というか、他に考えようがありますか?」

 そう問い返されてフィンには返す言葉がなかった。

「でも、ロムルース様がこのようなことを企むとはちょっと考えられません。だとすれば側近に誰か裏切り者がいて、その裏切り者によって進められた陰謀なのでしょう。もしこの考えが正しければ、正式なルートで抗議しても意味がないことになります。それどころかエルミーラ様に危害が加わる可能性さえあります。ですからまず私がベラに潜入して事実の調査を行い、もしできうればエルミーラ様をお救いして来ようと思うのです」

 それに王が付け加えた。

「それとな、言いそびれておったが、最新の報告によればどうやらロムルース殿はティベリウスに説得されて兵を退いたらしい。これでベラとエクシーレの全面衝突は避けられたが、こういった行いのせいで国内は相当に混乱しておるという。そんなところにいきなりミーラ誘拐の嫌疑を突きつけるのは外交的にもあまり得策ではない。そこでともかくナーザ殿に調査してもらってその結果を見てからベラには働きかけようと思っておるのだ」

 フィンはうなずいた。

「わかりました……でも、それにアウラを連れていくのですか?」

 そう言ってフィンは慌てて口を閉じた。そんなことを言う権利は彼にはない。だがそれを聞いてナーザが笑った。

「ル・ウーダ様が心配なされるのは分かりますが、私の護衛としていったい誰が最もふさわしいでしょうか?」

「え? まあそれは……」

 確かに戦いになれば彼女ほど心強い味方はいないだろう。

「それにもし彼女を置いて私一人で行ったとします。そうしたらどうする? アウラ。じっとここで待ってられる?」

 いきなり問われてアウラはぴくっと跳ね上がったが、間髪を置かずに首を振った。

「嫌だと言っても付いていきます!」

「おい!」

 フィンはそうは言ったものの、十分分かっていた。彼女は今でさえ最も責任を感じているのだ。自分の力で王女を助けられるかもしれないという状況でおとなしく城にいられるはずがない。どうしても行かせたくなければ、地下牢にでも閉じ込めておく他はない。

「ということなのだが、ル・ウーダ殿、よろしいかな?」

 フィンの本音としてはやめて欲しかった。だがまずここで同意を求めてもらえること自体が、王の好意なのだ。アウラは王女の侍従なのだから王は単に命令すればいいのだから。

「はい。わかりました」

 フィンはうなずいた。まあ、アウラは普通の娘とは少し違う。少々の敵に出会ったからといって危なくなることなど滅多にないはずだ。どちらかといえば彼女が暴走する方が怖いぐらいだが、ナーザが一緒ならそれも抑えてくれるだろう。

 それを見てナーザが言った。

「それではアウラ。出発は明日の早朝です。それまでにいろいろ準備しないといけないから、一緒に来て下さる?」

「はい」

 アウラとナーザは立ち上がった。

「じゃ!」

 アウラがそう言って手を振る。フィンは手を振り返したが、嫌な気持ちで一杯だった。

《こういうのが最後の別れになるなんて腐ったオチじゃないよな!》

 二人が出ていくと、思いだしたように王が言った。

「そうだ。それと一つ言い忘れておった」

「はい。なんでしょう?」

「ル・ウーダ殿、ちょっと今後のことなのだがな。良ければこれより相談役という形で会議なりに出ては頂けぬかな?」

「え?」

「どうも娘のことになるとわしもなかなか冷静にはなれんのでな。側に客観的に見てもらえる者がいると、わしも助かるのだ」

 フィンは驚いた。

「あの……私などで良いのでしょうか?」

「何を言っておる! ル・ウーダ殿がああ言って下さらなかったら、わしらはまだその辺を探し回っておったところではないか?」

 それを聞いてフィンは嬉しくなった。

「わかりました……微力ではありますが、お手伝いさせていただきます」

 やっとこれでやることができる。みんなに協力することができる。一人で図書館にいなくてもよくなる!

「感謝する。それではさっそくだが、明日からの予定について……」

 ナーザとアウラが発ったからといって、国内の捜索をやめるわけにはいかない。そのシルエラという遊女が人違いや替え玉である可能性はまだあるし、いきなり国内捜索をやめると相手に感づかれる恐れもある。

 アイザック王にはまだまだしなければならないことが山のように残されていた。

 フィンは自分がどれだけそれを助けられるのかはわからないが、ともかく自分にできる限りの最善を尽くそうと心に決めていた。