消えた王女 第6章 旅芸人と踊り子

第6章 旅芸人と踊り子


 低い尾根を越えると目の前に美しい紅葉に覆われた盆地が広がった。

 ナーザとアウラはそこで馬の歩みを止めてその盆地を見下ろした。盆地の中央には川が流れており、その川岸にかなり大きな村が見える。

「あれがフランみたいね」

 ナーザの声にはさすがに安堵の色が隠せない。

 二人がここに着いたのはアウラが初めて踊りを習った日から一週間近く経っていた。本来ならば二~三日で行ける距離のはずだったから、二倍以上かかっていることになる。

「お屋敷って……もしかしてあれかしら?」

 そう言ってアウラは村の背後にある丘の上を指さした。そこには大きな屋敷と言うよりも城のような建物が見える。ナーザも少し訝しげにそれを見つめた。

「確かに、すごいお屋敷みたいね」

 二人は顔を見合わせた。そしてアウラが言う。

「じゃああそこにミーラが?」

「そうね……でもまだそうと決まったわけじゃないわ。でも何か証拠はあるはずよ」

 ナーザも少し緊張気味だ。

「ともかくまず村に行きましょう」

 アウラはうなずいた。それからまた二人は馬を走らせ始めた。

 村に入る直前のところでナーザはアウラに言った。

「ディーネ。いい?」

「はい。ドニカ」

 ここからはまた旅芸人の二人連れだ。ナーザは満足したようにうなずいた。それから少し声を落としてアウラに言った。

「それからここではシルエラの話はしないでね」

「え? どうして?」

「村に敵の手下がいるかもしれないでしょ? そんなところで彼女のことを聞き回ったら疑われちゃうでしょ?」

「あ、はい」

 アウラは慌ててうなずいた。確かにその通りだ。釘を刺されなかったらアウラはうっかり尋ねていたところだ。こういった所に関してはアウラはなかなか考えが至らなかった。

 それから二人は村に入っていった。

 アウラはフランという土地の名前はこの旅に出る以前から知っていた。もちろんフィンがくれたあのフラン織りのスカーフのせいだ。あれは今回の旅にも大切に持ってきている。そして何の因果かそのフランに行くと分かったとき、彼女はちょっと期待していたのだ。

 今までアウラは一人でいるときは何度となくあのスカーフを取り出しては見つめていた。繊細な手触りで、淡くリリウムの花が織り込まれている。縁は綺麗なレースで縁取りされている。

 アウラはよく一人で想像していた。こんな物を作っている場所とはどんな所なんだろうか? 一体どうやって作るのだろうか?

 彼女は小さい頃どこかの村で機織りをしているのを見たことはある。だがそこで作られていたのはもっとごわごわした布だった。こんなさらさらした物が同じように作れるのだろうか? 多分こんな物を作れる所なのだから、すごく綺麗な村に違いない。そこの人々はみんなフラン織りの服を着ていて、通りにはフラン織りの店がたくさん並んでいて……

 ―――だがこの村はそんなアウラの想像とは全然異なっていた。

 遠くから見るとかなり大きな村に見えたが、入ってみれば何の変哲もない、それどころかかなり貧しい村に見える。昼間の時間だからかもしれないが人通りも少なく、時々通る村人も何だか元気がなさそうだ。

《本当にここがフランなのかしら?》

 そんなことを考えながら歩いているうちに二人はすぐに村の中央まで来ていた。

 宿屋はすぐに見つかった。二人が馬を留めて中に入ると、奥から宿屋の女将が出てきた。

「あらあら、まあまあ、いらっしゃい! 旅の楽師さんですか? そちらは?」

「私ドニカと申します。こちらはディーネ。部屋はございますか?」

 ナーザが答えると女将は満面の笑みを浮かべて言った。

「もちろんですわ! ございますよ。あら、でもいきなりそんなこと言ったらお客が少ないことが丸分かりですわね。ほほほほほ」

 親切そうだがかなりおしゃべりな女将とみえる。

「お二人はどちらからいらしたんですか? ハビタルから?」

「いえ、ガルサ・ブランカから来ました」

 それを聞いて女将はあからさまに驚いた。

「ええ? ガルサ・ブランカ? じゃどこを通って来られたんですの? もしかしてヴィドロからの間道ですか?」

「ええ。そうですけど」

 ナーザが少し訝しげに答えた。彼女は何を一体驚いているのだ?

「そんな! あそこは崖崩れで通れなくなってませんでした?」

 それを聞いて二人は納得した。まさにその通りだったからだ。

「ええ、そうでしたわ。おかげで捲き道を探して森に入ったら道に迷ってしまって、二日ぐらいずっと森の中をうろうろしていたんです」

 ナーザの答えに女将は目を丸くした。

「まあまあ、そうなんですの? それはまた大変でしたわねえ。じゃあ夜は野宿で?」

「ええ。まあ」

「あらあら、まあまあ、もう夜は冷えたでしょうに。大変でしたわねえ。それじゃエストラテ川は? あそこも去年の大雨で橋が流されてからそのままになってますのよ」

 ナーザとアウラは顔を見合わせて苦笑いした。

「ええ。おかげでそこでも一日足止めを食らいましたわ。川がすごく増水していて、とてもじゃなくて」

「あらあら、まあまあ、それはそれは。本当に大変でしたのねえ。あそこの橋は早く直してくれってお館様にお頼みしてるんですけど、いつまでたってもそのままで。まあ土地の者は渡るのにいい場所を知ってるからまだいいんですけどね、旅の方はみんなびしょぬれになってしまうんですのよ。ガルサ・ブランカの方からいらっしゃる方は皆さん大抵そこでひどい目に会ってるみたいで……それはそうと、それじゃまさか盗賊は出ませんでしたわよね?」

 それを聞いてナーザがアウラの顔を見て、黙っていろという合図をした。それからナーザは女将に答えた。

「さすがにそこまでひどい目には会いませんでしたわ。盗賊どころか他の旅人にも全然出会いませんでしたし。それにそんなことになってたらここまで来られませんでしたわ」

 そう言ってナーザは笑った。

 だが女将は一緒に笑うどころか真顔で怒り始めた。

「まあ、何をおっしゃるんですか? 笑い事じゃありませんよ。あなた。まあ、運の良いこと。あそこは本当に危ないんですのよ。男のお客さんでもたくさんで固まっていくようにって、口を酸っぱくして言ってるんですけど。人の言うことを聞かない人が多くて、それで襲われる人が後を絶たないんですのよ。もう女の二人連れなんて論外ですわ!」

 それを聞いてナーザが真顔になって答えた。

「ええ! そ、そうだったんですか? まあ、どうしましょう。今になって何だか足ががくがくしてきましたわ」

 アウラはぽかんとしてナーザの芝居を見ていた。なにしろ二人は昨日その盗賊にしっかりと出会っていたのだから―――もちろん普通ならそれは女将の言うとおり不幸な出会いにしかならないのだが、彼女たちにとっては実に幸運な出会いだったのだ……



 そのとき二人はぶつぶつ文句を言いながら森の中を進み続けていた。

「それにしても悪い道ね」

 道の上に横たわる倒木を越えながらナーザが言った。

 ナーザの声がとんがっている。それもそのはずだ。昨日と一昨日は森の中で迷ってしまってあらぬ所をぐるぐる回っていたのだ。途中に崖崩れで全く通れないところがあって、そこの迂回路を見つけるために森に分け入ったらそのまま迷ってしまったのだ。

 そんなことになってしまった理由はその前日、エストラテ川の畔で一日ぼうっと待たされてしまったからだ。あの晩降り出した雨はこのあたりでは大したことはなかったのだが、上流の方では大雨だったらしい。おかげで川は増水してとても渡れる状態ではなかった。

 しかも橋は土台から流されていた。おかげで二人はそこで水が引くまでじっと待っていなければならなかったのだ。その間仕方なくアウラの踊りの特訓をしていたのだが、内心は二人とも気が気でなかった。

 次の日やっと川を渡れたのもの束の間、今度は崖崩れの場所に行き当たってしまったのを見て、二人はつい短気を起こして森の最短コースと思われる方向に分け入ってしまったのだ。

 ところが得てしてそういう場合にはそうではない。何かおかしいと思ったときには、自分たちの位置を完全に見失っていたのだ。

 その日の晩の野宿は最低だった。

 アウラはナーザがあんなに落ち込んでいる姿は初めて見た。その夜はいつもと逆でアウラの方がナーザを慰めることになった。といっても新しいステップを教えてくれと言っただけだが―――だがそれができたことで、二人は何とか精神の安定を保つことができたのだ。

 ともかくそんな二人が街道に戻れたときには相当の時間が失われていた。

「さあ、急ぐわよ」

 そのときナーザはこう言ったのだが、またすぐにそれが不可能なことが判明した。

 前述の通りにこの間道は整備が悪く、あちこちが崩れていたり倒木が倒れていたりしてひどく歩きにくいのだ。中途半端に馬を急がせて転んだり落馬したりしてしまったら大事だ。結局彼女たちは馬をゆっくりと歩ませるしかなく、場合によっては馬を下りて歩かねばならなかった。

 そんな調子でいらいらしながら二人が歩みを進めて、フランの村までもう一日行程という所まで来たときだ。

 ナーザがまたぴたっと止まる。

「どうしたの?」

「ここで争いがあったみたいね」

 アウラは驚いて辺りをよく見た。注意してみると、あちこちの木の枝が折れていたり斬られた傷がついていたりする。

「ミーラ達かしら?」

「分からないわ」

 そのときだ。周囲でがさがさっと音がした。

 ナーザがアウラに静かにするようにという素振りをする。それにはアウラも気づいていた。これは獣の出す音ではない。人間が何人か近くにいるのだ。

「逃げる?」

 アウラはナーザにささやいた。だがナーザは小声で答える。

「いえ、話を聞いていきましょう」

 アウラは黙ってうなずいた。

 すぐに前に三人、後ろに二人の計五人の男が現れて、ナーザとアウラを前後から挟むように立った。その様子からまっとうな奴らではないことはすぐ分かる。

「お嬢さん方、どちらまで行かれるのかな?」

 男の一人が言った。

「フランまで行こうと思っておりますが」

 ナーザがにこにこ笑いながら答える。

「だったらお供しましょうかい?」

 男もにやにや笑いながら答える。

「いえ、間に合ってますわ」

「だったら通行料をすこし置いていってもらいましょうかい?」

「通行料? 幾らですの?」

「一人につき金貨五枚といったところかな?」

「それは高すぎるわ。銅貨五枚なら払ってあげてもいいけど」

「ないって言うんなら、別の払い方でも構いませんぜ!」

 それを聞いて他の男達が一斉に笑った。

 アウラはそれを聞いて頭に血が上ってくるのを感じた。だがすぐにナーザがアウラの方を見て制止する。アウラは歯を食いしばって我慢した。

「あんまり気が進まないんですけど、一つ聞いてよろしいかしら?」

「ああ?」

「半月ほど前、ここを四人連れの一行が通りませんでした? 一人は女性なんですが」

 それを聞いて男の表情が変わった。

「ああ? てめえあいつらの知り合いか?」

 ナーザとアウラは顔を見合わせた。ナーザはまたアウラに黙っていろという指示をする。アウラは軽くうなずく。それからナーザは芝居がかった調子で答えた。

「まあ! ご存じなんですね? 教えて頂いたら、銀貨五枚差し上げますわ」

「はあ? ちょっとそれは安いんじゃないか?」

「あまり持ち合わせがありませんので。それにちょっとお話をしていただくだけで銀貨五枚になるんですのよ。ずいぶんお得じゃなくて?」

「おまえら、あいつらの行き先を知りたいんだろ?」

「ええ。そうですけど」

「じゃあやっぱり金貨五枚かな」

「ですからそんなに持ち合わせがないと言っております」

「それじゃやっぱり別な支払いにしてもらおうか?」

 再び男達がげらげら笑いだした。

「どうしてもだめみたいですね」

 そう言ってナーザはアウラの方を振り返った。

「仕方ないわ。ディーネ。あの方達にお支払いして」

 アウラは一瞬びっくりしたが、ナーザの表情から全てを読みとった。

「とりあえず四人分ね」

「はいっ!」

 アウラは色々な意味でいい加減頭に来ていた。そこにナーザのお許しが出たのだ。アウラは嬉しくなった。

 今までの旅の間、アウラは本当にナーザのおまけでしかなかった。宿で話をするのもナーザだし、いろんな細かいことに気づくのもナーザだ。アウラはほとんど何もせず彼女にくっついていただけだ。

 だがこれなら役に立てる!

 アウラはちらりと後ろを見た。後ろにいた男達は彼女たちをなめきっていて、二人一緒にアウラのすぐ後ろの方に立っている。それを確認してアウラはひらりと馬から飛び降りた。

 同時にアウラの薙刀が一閃する。その途端に二人は同時に首筋から鮮血をほとばしらせながら絶命していた。

「えっ?」

 男達はぽかんとした顔で成り行きを見ていたが、アウラが振り返って彼らの方に突進してきてから初めて事態を認識したようだ。

「てめえ!」

 残った男達はそうわめいて剣を抜こうとしたがもう遅すぎた。そのときにはアウラはもう彼らのすぐ間近まで迫っていた。一人は何とか剣を抜けたがそれだけだった。アウラはその剣先を余裕でかわすとの薙刀の刃を男の首に突き刺した。

 次の瞬間今度はもう一人の男の鼻っ柱が石突きで叩きつぶされ、次の一振りで首がはねとばされる。

 最後の一人のリーダー格の男が慌てて剣を半分ほど抜いたそのときには、すでにアウラの薙刀の血に染まった先端が男の鼻先に突きつけられている。

 アウラはにこりともせずに男に言った。

「あんたもああなりたい?」

 切っ先からぽたりと血が滴った。

 男は訳の分からない声をあげて、地面にへたり込んだ。それを見ながらナーザがゆっくりと馬から下りてきた。

「まあ、これじゃこの子の運動にもならないわ」

 実際アウラは息一つ切らしていなかった。

 それからナーザは男に対して笑いながら尋ねた。

「お支払いはこれで十分かしら?」

「あ、あ」

「いいみたいですわね。じゃあお聞きしますが、その一行はどこに行こうとしていたのかしら?」

「あ、あ」

 男は声が出ないようだ。途端にナーザの厳しい声が飛んだ。

「口が聞けないの?」

「た、助けてくれ!」

「誰もそんなことは聞いていないわ。その一行はどこに行こうとしていたのか聞いているのよ!」

 ナーザの口調は恐ろしく冷たい。男の目に恐怖が浮かんだ。

「た、多分、フランのお館様の屋敷だ」

「多分? いい加減なことを言うと……」

 そういってナーザはアウラに目配せした。アウラはすぐにそれを察して薙刀の刃を男の頬に当てる。痛みを感じて男は悲鳴を上げた。

「い、いい加減なことなんて言ってないよ!」

「ふうん。じゃあどうしてそうだと分かるの?」

「や、奴らはお館様の屋敷に雇われてるんだ!」

 ナーザは少し目を見開いた。

「どうしてあなたがそんなことを知ってるの?」

「あいつらは、俺達を裏切りやがったんだ! 金につられてあんな犬になり下がりやがって!」

 それから男は延々と自分たちのことを話し始めた。恐怖のあまりかなり支離滅裂になっていたが、それはおおむね以下のようだった。


 ―――王女らしい女性を護送していった男達のうちの二人は、かつてはこの盗賊の仲間だったという。彼らはこのあたりを縄張りにした盗賊団だった。

 ところがある日フランの領主の使いという男が接触してきて、彼らを雇いたいと言ってきた。だが彼らのリーダーだった男はうまい話には裏があるといってその話を蹴った。しかし部下の何人かが金に釣られてリーダーを裏切って殺し、フラン領主の元に走った。その結果元の盗賊団は壊滅に追い込まれたのだった。

 この男達はその残党で、そいつらに仕返しをしようとずっとここで張っていたらしい―――


 ナーザが冷たい目で尋ねる。

「どうしてこんなところで待ち伏せしてたのよ?」

「あいつら、ガルサ・ブランカで大仕事をしてくるって言ってたんだよ。だから帰りがけに襲って獲物を頂いちまおうと思ってたんだ!」

 ナーザは軽くうなずいた。一応筋は通っている。

「それでここで彼らを襲ったの?」

「ああ」

「それでどうなったの?」

「糞! こっちは倍以上もいたってのによ、あの野郎」

 そう言って男は唾を吐いた。

「どうなったか聞いてるのよ!」

 ナーザが声を荒げる。

 それで男は渋々答えた。彼らは六人で一行を襲ったのだが、一行のリーダー格の男がひどく腕の立つ男で、六人がほとんどその一人にやられてしまったというのだ。それでも何とかその男に手傷を負わせることはできたのだが、結局そのまま退散するしかなかったとという情けない話だった。

「その傷を負った手強かった男って?」

「し、知らない顔だった」

 男は嘘は言っていないようだ。

「ふうん。で、そうそう。聞き忘れるところだったけど今のフランの領主って誰?」

「プ、プリムス様だ!」

「何ですって?」

 それを聞いてナーザは思わず声を挙げた。アウラはその名前は知らなかったが、ナーザは確実に思い当たるところがあるようだ。

 それからナーザは大きくため息をつくと、アウラに言った。

「そう。ありがとう! じゃディーネ。最後のお支払いを」

 途端に男は真っ青になって命乞いを始めた。それを聞いてアウラはますます腹が立った。

「うるさいわね!」

 アウラは薙刀の背を男の首にたたき込んだ。男はうっと言って気を失う。ちょっと力を込めすぎて首の骨が少し逝ってしまったような気もするが―――二人ともそんなことはどうでも良かった。

 終わったのを確認するとナーザはもう男達の方を見もせずに言った。

「じゃ行くわよ」

「はいっ!」

 そして二人は先を急いだ。



 ―――と、このようなことがあったのだった。

 アウラがそんなことを思い出しているあいだ、宿屋の女将はずっとこの付近の危険性についてしゃべり続けていた。

「今度出るときはちゃんと言って下さいよ。週に一回、反物を運ぶ荷馬隊が出るんですの。それと一緒に行ってれば安全ですわ。護衛も付いてますのよ」

「そうなんですか? それは心強いですわ」

 ナーザが相変わらず女将に調子を合わせている。確かに二人の女芸人が盗賊五人をやっつけたなんて言っても信じてもらえないだろうし、もし信じてもらえたとしたら今度はこの地方中の噂の的になってしまうだろう。今の二人の立場としては変に目立つことは厳禁だった。

「それにしてもどうしてヴィドロの連中はあなた方にあの道が危ないって教えなかったんでしょう? ひどいですわね」

 女将は二人が無事に着けたことを心底喜んでくれているようだ。

「いえ、あの村の方々は何の責任もないんですのよ。最初はハビタルに行くつもりでしたのよ。でも村を出てあの分かれ道に来たら、この子が急に行ってみたいって言い出して」

 ナーザはいきなりアウラを指さした。

「え? あの……」

 アウラは驚いて口ごもった。だがナーザは黙っていろという仕草をした。

「いえね、実はこの子がフラン織りのスカーフを一枚持っててとっても気に入ってるんですの。それでそこの道しるべにフランって書いてあるのを見て行きたいって言い出したんですの。ほら、そのときは私もこんな道だとは知らなくて……知ってたら絶対来ませんでしたわ。あ、ほら、ディーネ、女将さんに見せてみたら? あのスカーフ」

 アウラは言われるままにフィンからもらったスカーフを取り出した。

 それを見るなり女将が言った。

「まあまあ、すごくいい品じゃない? ちょっと見せて下さいな。あらあら、これはカーラの所のじゃない。カーラはこのあたりじゃ名人の一人なのよ。どうなさったの? これ」

「え? あの、もらったんです」

「まあ。誰に? いい人に?」

「え?」

 アウラは真っ赤になった。

 それを見て女将はにっこりと笑ってアウラにスカーフを返した。

「まあまあ、その人なかなかお目利きね。大事になさい。これ」

「はい」

 それから女将は二人に向かって話し始めた。

「このあたりはもうこんな感じで、森ばっかりで畑とかはなかなか作れないんですよ。それで昔のご領主様が織物を始めさせたのが、フラン織りの始まりなんですよ。このあたりには結構野生の桑の木がおおくて、それでいい絹糸が取れてたんです……」

 女将は今度はフラン織りの蘊蓄を始めそうになった。それまで聞いていてはいくら時間があっても足りなそうだ。そこでやんわりとナーザが口を挟んだ。

「あの、すみません。荷物を下ろさせて頂いて構いませんか?」

「あらまあ、ごめんなさい。そうよねえ。あんまりこんな話ばかりじゃね、お部屋は一緒でいいです? それとも別々に?」

「一緒で構いませんわ」

「それじゃいいお部屋をサービスしますわ。それとどうなさいます? 夜に出し物をなされます? それでしたらあちこちで言いふらしてきますわよ。みんな喜びますわよ」

「そうですか。でしたら喜んで。この子の踊りもお見せしますわ」

 それを聞いてアウラは少し慌てた。今まで泊まったところではナーザの曲だけでなくアウラの芸を求められることも良くあったが、これまではナーザはアウラがまだ未熟だからと言って断ってくれていたのだ。

「ちょっと、あの、ドニカ」

 慌ててアウラはナーザを突っついた。

「え? 何? 早く部屋に行きたいの? 分かったわ」

 ナーザがとぼける。

「どうなさいました?」

「いえ、何でも。長旅でちょっと疲れてまして」

「そうですの。そうでしょうねえ。さ、それじゃすぐに部屋にご案内しますよ」

「ありがとうございます。でももう一つだけ伺いたいんですが」

 そういったナーザの顔は少し真剣だった。女将はなんだろうという顔でナーザを見る。

「あのお館様のところでこういった出し物がお入り用じゃないかご存じですか?」

 それを聞いて女将は納得したようにうなずいた。

「まあまあ、そうでしょうねえ。でもごめんなさい。何だかここのお館様はそういったことには全然興味がおありじゃないみたいで」

「そうなんですか」

 ナーザが心底残念そうに言った。

「すみませんねえ。だからここにはそう言った楽師さんとかも滅多にやってこられなくて」

 もちろん普通の場合はそういった“お館様”に気に入られればかなりの収入が期待できる。女将はそういった収入が得られなくてナーザががっかりしたと理解した。

 だがもちろんナーザは館に正面から潜入する手段が失われたことに対してがっかりしていた。

「そうなんですか。今年はガルサ・ブランカで冬越ししようとしてたんですが、あの騒ぎで……ご存じですよね。収穫祭が中止なんて、何しに来たか分かりませんわ」

「まあまあ、そうですわよねえ。あなた方にとってはねえ。もう死活問題ですわよねえ」

 女将は大げさにうなずいたが、旅芸人にとっては実際そうだった。

 こういった出し物好きな領主の所にはあちこちからそういう旅芸人達が集まってくるのだが、ガルサ・ブランカもこの地方では彼らにとって重要な街だった。

 アイザック王自身はあまり城の中でそういう宴を開いたりはしなかったのだが、裕福な市民にはそういった物を好む者も多かった。また新年の祝いや収穫祭などはでは市内でかなり派手な催しが開かれるので、そのためにガルサ・ブランカで秋から冬を過ごす旅芸人達はかなり多かったのである。

 だが今年はこの騒ぎで収穫祭の催しは中止になっていた。このままでは新年の祝祭さえなくなりそうな勢いだ。

「そうなんですの。だから一度こちらの方にも来てみようかなって気になったんですが……」

「ごめんなさいね。でも大丈夫。それなら私に任せて下さいな。せっかく来て頂いたんだから無駄足にさせちゃいけませんわよね。村の連中をみんな集めてきますから」

「ええ? でもあんまりご迷惑はおかけできませんし」

「そんなことありませんわ。私に任せて下さい!」

 女将は既にやる気満々だ。彼女は二人を部屋に案内すると村中に触れ回るために早々に出て行ってしまった。

 その後ろ姿をみながらナーザが言った。

「まあ、親切な女将さんね」

 それを聞いてアウラがナーザの服の袖を引っ張った。

「ちょっと、ドニカ!」

「なに?」

「今の本当?」

「本当って? ああ、踊りのこと?」

 アウラはうなずいた。

「大丈夫よ。そのためにずっと練習してきたんでしょ?」

 確かに練習はしたが、まだあれから一週間そこそこだ。もちろんアウラは全く自信などなかった。

「ミーラのことはどうするのよ?」

 それを聞いてナーザが小声で話せと指示をした。そしてナーザが言った。

「いきなりは無理よ。まずいろいろ調べなきゃ。行くのはそれからよ。私はちょっと下見してくるから、その間あなたはステップのおさらいをしといてね」

「え? でも」

「大丈夫よ」

 そういってナーザは出て行ってしまった。

 仕方なくアウラは部屋の中で教わったステップを復習をしてみた。だが王女のことが心配で全然身が入らない。

 アウラは大きくため息をついてベッドに仰向けに寝ころんだ。

 ぼうっと天井を見ていると、何とはなしにあの川岸で稽古したときのことを思い出した。


 ―――数日前、増水したエストラテ川の河畔で二人は一日を過ごさざるを得なかった。川幅はかなり広い上、濁流が渦巻いている。そんなところを無理に渡るのは自殺行為だ。

 二人はしばらくあちこち渡渉できる場所を探して彷徨ったが、どこにもそんな場所はなかった。そこでついに諦めて水が引くまで待つことにしたのだ。

 その間何もすることがなかったので、ナーザはあの日の続きでアウラに色々な種類の踊りを教えてくれた。だがその日教えてもらった踊りはアウラにとっては今一つぴんと来なかった。

「昨日の踊りの方が綺麗だったわ」

 アウラがついそう言うと、ナーザはにっこり微笑んだ。

「まあ、そうよね。でも普通の人にはこっちの方が受けるのよ」

 そういうものかと思いつつアウラは練習に励んだ。その日最初教わった物は軽快なステップの元気のいい踊りだった。これはアウラは難なく覚えることができた。だが次にナーザが遣って見せた踊りは何故か難しかった。比較的ゆっくりだが、体をくねらせるような動きを主体にした踊りだ。

「うーん。もっとこう、こんな感じで」

 そう言ってナーザが手本を見せてくれるのだが、なぜかアウラがやるとうまくいかない。同じような踊りは昔ヴィニエーラにいた頃にも見たことがある。だから体の動かし方そのものは間違いないはずだ。だがナーザからOKは出てこない。

「ちょっと休憩にしましょうか」

 ナーザは諦めたように言った。アウラは黙ってうなずいた。秋風が冷たいが火照った体にはちょうどいい。

 二人はしばらく黙って渦巻く川を眺めた。それからナーザが言った。

「こっちの方はやめにしておきましょうか」

 アウラははっとしてナーザの顔を見る。ナーザは何か考え込むような表情だ。

「ごめんなさい」

「あなたが謝ることはないのよ。ただちょっとまだ時期が来てないみたいね」

「ええ?」

 それからナーザはアウラの方を見ていった。

「今の、あなたも分かるわよね? これが何を表しているのかは」

 アウラは曖昧にうなずいた。それは分かる。多分分かる。そのような仕草はヴィニエーラにいた頃は非常に頻繁に目にしていたし、それが何を意味するかも明白だ。

 だがそうは思いつつアウラは自信がなかった。彼女は本当に分かっていると言えるのだろうか?

「実はね、前にル・ウーダ様から相談を受けたのよ」

 いきなりフィンの名前が出てきてアウラは驚いて顔を上げた。ナーザが真剣な表情で彼女を見ている。

「本当だったらもっと前にどうにかしなければいけなかったんでしょうけど、ほら、急にエクシーレが攻めてきたりして」

「え? あの、じゃあ……」

「ええ。何かうまくいってないんですって?」

 アウラは真っ赤になってうつむいた。それを見てナーザが彼女の横に座って肩に手をかけた。

「いいのよ。あなたのせいじゃないんだから」

「そうでしょうか?」

 アウラはナーザを横目で恐る恐る見た。

「そうよ」

 ナーザの顔は真剣だ。冗談めかしているような所はない。アウラは少し希望がわいてきた。

「じゃあ、直りますか?」

 だがそう問われるとナーザは少し口ごもった。

「直ると……思うわ。でも今すぐはちょっと分からないけど」

 それを聞いてアウラはがっかりした。やっぱりナーザでもだめなのか? だがそれを見てナーザがすぐに続けた。

「諦めたらだめよ。ほら、思い出してご覧なさい。ガルサ・ブランカに来たときと今とで、あなたはずいぶん変わったでしょ?」

 アウラは驚いたようにナーザを見た。

「人は変われるのよ。本人にその意志さえあればね。だからそう。あれが素晴らしいことだってことさえ分かればいいんだけど……本来なら怖がることなんて何もないのよ。でもやり方を間違えたらひどく傷ついてしまう。体じゃなくて、心の方にね。あなたはそんな傷を付けられてしまったの。でも傷なら治せるわ。あなたのその胸の傷、傷跡は残ってしまったけどもう痛まないでしょ? それと同じよ。だから信じるのよ。変われるって」

 ナーザはアウラの肩を抱いた。

「はい」

 抑えようのない涙がこぼれてくる。アウラはナーザの言ったことが完全に分かったわけではなかった、ナーザの優しさだけは感じ取っていた。今はともかくそれが嬉しかった―――


 気づいたらアウラは宿屋のベッドの上だった。頬が濡れている。どうやらうたた寝しながら泣いていたようだ。アウラは慌てて涙を拭うと顔を洗った。

《今はこんなこと考えてる暇はないのよ!》

 そうなのだ。こんなところでうじうじと泣いているわけにはいかない。今このときにもエルミーラ王女はひどい目に会っているかもしれないのだ!

 それからアウラは再び習ったステップの復習を始めた。

 ナーザが帰ってきたのは夜になってからだった。アウラはかなりやきもきしていた。

「ドニカ、どうだった?」

「ええ。色々分かったわ。王女様は多分あのお屋敷にいらっしゃるわ」

 ナーザの表情は明るかった。アウラもそれを聞いて表情が輝く。

「さあ、じゃあ行きましょうか」

「ええ。で、どうやって行くの?」

 ナーザの呼びかけにアウラが答える。だがそれを聞いてナーザは妙な顔をした。

「どうやってって、何言ってるの。みんなが待ってるわ。まず着替えなきゃ」

「え?」

 もちろんナーザはアウラの初舞台に行こうと言っていたのだった。

 ナーザにせかされてアウラが着替えてから宿屋の一階に下りてくると、そこは村人達で満杯だった。アウラが現れるなりいきなりの大歓声だ。

 アウラは目の前が真っ暗になった気がした。こんな風に人前に立ったことなど初めてだ。

「初めまして、フランの皆様。私は旅楽師のドニカと申します。こちらはディーネ。まだつたない技ではございますが、どうかご覧下さいませ」

 ナーザが何か言っている。彼女が手招きしている。アウラは慌ててナーザの横に立って礼をした。それだけでまた大喝采だ。一体こんな中でどうすればいいのだ?

 そのときアウラの耳にナーザのリュートの響きが聞こえてきた。これはあの最初の晩にナーザが教えてくれた舞の音楽だ。これなら一番しっくりくる。

 その曲を聴くと同時にアウラに落ち着きが戻ってきた。

 アウラは目を閉じて踊り始めた。すぐに周りのことなど全然気にならなくなっていった。アウラはナーザのリュートの音と自らの舞の世界に没入していった。

 それからどのくらいの時間がたったのだろう―――気づいたらアウラは前にも増しての大喝采の中にいた。宿中の客と使用人全てがアウラを見て手を叩いて喜んでいる。

 アウラは途端に怖くなった。こんな事は初めてだ!

 だが同時にとても気分が良かった。

《この人達、どうしてこんなに喜んでるの?》

 その前をナーザが帽子を持って回っているのが見える。人々は皆その中に幾ばくかのお金を入れてくれているみたいだ。

 そうやってナーザが一回りして戻ってくると、今度はあの川岸で教えてくれた踊りのための軽快な音楽を弾き始めた。今度はもう少しアウラも落ち着いて踊ることができた。踊り終わるとまたさっき以上の大喝采だ。

 そんな調子でアウラはこの一週間で覚えた踊りをみんな披露した。それが終わったときアウラはほっとした。これでやっと休める。だが人々は全然満足していないようだった。そしてまたナーザがあの曲を弾き始める。

《え? まだやるの?》

 そう言った表情でアウラはナーザを見たが、彼女は黙って微笑むだけだ。

 結局アウラはその夜五回もリクエストに答えて踊る羽目になった。彼女が解放されたのは、深夜になってからだった。

 汗だくで部屋に戻ったアウラは、お湯を浴びるとばったりとベッドの上に倒れ込んでしまった。

 すると下からナーザが戻ってきた。

「ディーネ、大丈夫? 疲れた?」

 ナーザがそんな様子のアウラを見て心配そうに声をかけた。

「え? ちょっと……」

「ここまで大受けする予定じゃなかったのに……少し目立ちすぎたかしら?」

「え? あの、すみません……」

「あなたが謝ることはないのよ。ちょっと上手すぎただけよ」

 アウラは何と答えていいか分からなかった。あんなのでいいのだろうか? 彼女はそういう自分の才能をまだよく分かっていなかった。

「それにおかげでずいぶん儲かったし」

 そう言ってナーザが笑う。

「私一人じゃこんなに儲けられなかったわ。あなたもうどこでも食べていけるわよ」

「ドニカ! やめてよ」

 アウラは少しむっとして起きあがり、それから尋ねた。

「それよりもいつ行くの?」

 それを聞いてナーザも真顔になった。ナーザは窓の方に行くとブラインドを上げて外を眺めた。

「もうちょっと待ちましょう。まだ人通りがあるわ」

 それからナーザは振り返ってアウラを見た。

「体力は残ってるわね?」

「はい!」

 もちろんだ。アウラは意気込んだ―――とは言いつつ昼間ずっと旅をしてきて夜はこの騒ぎだ。疲れていないと言えば嘘になる。だがこれでとうとう王女を助けられるとあってはそんな疲れなど吹っ飛んでしまう。

 ナーザはそんなアウラの様子を見て微笑んだ。

「それじゃこれに着替えて」

 そう言ってナーザは荷物の中から黒い服を取りだした。体中をすっぽり覆い、闇には姿が紛れる動きやすい服だ。

《とうとう王女を助けるのね!》

 その服に着替えながらアウラは緊張が高まってくるのを感じた。大体彼女は踊りにやってきたのではなく、このためにここにやってきたのだ!

 着替え終わると二人は部屋の明かりを消して外を窺った。まだもう少し人の動きがある。

「じゃあこれからのことを説明しておくわ」

 ナーザは小声でこれからの潜入計画を話し始めた。

 当初の計画としては屋敷には旅芸人として入るつもりだったのだが、それが無理ならこっそりと潜入するしかない。昼間アウラが宿で踊りの練習をしている間、ナーザはあちこち偵察したり聞き込みをしたりしてきていたのだ。

 その結果は上々だった。

 まずすぐに屋敷に出入りしている料理女と会うことができて、彼女から屋敷のおおまかな構造や屋敷にいる配下の人数を聞き出すことができた。

 また現在は屋敷に領主本人がいないせいで、残っているのは少人数の留守番だけらしかった。小数とは言っても合わせれば十人近くにはなったが、こういった領主の屋敷にしては異様に少ない人数だ。おかげで屋敷のメンテナンスもあまり良くなく、周囲はかなり荒れているという。

 また屋敷の使用人は達はあまり素性が良くなく、村の人たちからも嫌われているらしかった。ともかくこのフランの領主は、あまり領主としてはまともな仕事をしていないようだった。

 そんなことが分かっただけでも大成果だったが、さらにとっておきの情報も聞き出せた。村人の中に屋敷の塔の窓に女性らしい人影を見たと言う者がいたことだ。屋敷にはその料理女以外は女はいないはずなのにだ。

 そのことをアウラに伝えたときはさすがのナーザも頬がゆるんでいた。

 続いてナーザはアウラに潜入の手順を説明した。

 アウラはこんな風にどこかに忍び込んだりしたような経験はなかったが、その計画を聞いてわくわくしてくる気持ちを抑えられなかった。



「いい? 分かった?」

 ナーザの説明が終わるとアウラはうなずいた。それを見てナーザは再び窓の外を見る。夜もすっかり更けている。通りにはもう誰もいない。

「じゃあ、アウラ」

 ナーザはアウラに目配せした。アウラはうなずいた。こういった場合には互いに相手の動きを読むことに長けていたことは意思疎通に大変便利だ。彼女たちならほとんど言葉なしに大抵のことを伝えることができたのだ。

 それから二人は窓から外に抜け出す。一階の窓にはかなり低いひさしがついているので、簡単に出て行くことができる。

 あたりの気配を伺って誰もいないことを確認すると、二人は丘の屋敷に向かった。

 空は薄く曇っていたが月はほとんど満月だ。移動するのに困難はない。屋敷は遠くからはかなり堅固に見えたが、先ほどのナーザの話通り、近づいてみればかなり荒れているのが分かる。二人は屋敷の外を回って、あらかじめ見つけておいた割れ目から中に忍び込んだ。

 屋敷の庭もあちこちに雑草が茂っており、身を隠すのに不便はない。

「いい? たぶん敵はエルミーラ様には手出ししないとは思うけど、怪しい素振りをしたらためらっちゃだめよ」

 アウラは黙ってうなずいた。

 二人は屋敷の裏手の通用門の前に来た。扉にはさすがに鍵がかかっている。

 アウラがナーザを見ると、彼女はそこにじっとしていろという合図をする。それから腰につけていたポーチから長い針を取り出すと、鍵穴に差し込んでごそごそやり始めた。すぐにかちりと音がして扉が開く。

 アウラは目を丸くして思わず尋ねていた。

「すごい! ナーザって泥棒もできるの?」

「人聞きの悪いことを言わないで。泥棒から教わっただけよ」

 ナーザが小声で答える。なんだか大差ないような気がしたが、それ以上は何も言わずにアウラは後に従った。

 中は薄暗い厨房で、誰もいない。

 ナーザは慎重に辺りを窺いながら、奥の廊下に入っていった。次の角を曲がるところで、ナーザが止まれと合図した。

“守衛がいるわ。私が行くから後ろを見張ってて”

 ナーザが微かな身振りでそういったことを伝える。アウラは黙ってうなずいた。

 それからタイミングを見計らってナーザはさっと飛び出すと、一気に守衛に向かって走った。

「あ?」

 守衛がそう言ったときには、ナーザの短剣がぴたりと喉に当てられている。ナーザが小声で尋ねた。

「ここにエルミーラ様はいるかしら?」

 守衛はびくんとして、それからがくがくと首を振った。

 だがその名を聞いて明らかにひどく動揺している。

「塔にいるの?」

 だが守衛は口をぱくぱくしながら首を振る。

 見事な動きだった。アウラはついナーザのそういった動きに見とれてしまって、背後から誰かがやってきたのに気づくのが一瞬遅れた。

「誰だ?」

 アウラは慌ててその男に突進した。だが一瞬遅かった。

「うわああああ!」

 男は大声を上げた。その直後アウラの薙刀が男の首に突き刺さっていたがもう手遅れだ。

「アウラ!」

 ナーザが小声で呼ぶ。見るとさっきの守衛がナーザの足下に倒れている。

“動かないで”

 ナーザの指示にアウラは身をすくませた。今の声で誰か起きてきたりしただろうか? 二人は黙って様子を窺った。一瞬の叫びだ。多分簡単には気づかれないはずだが―――しかしその悲鳴を聞いてか、あちこちから声がし始めたのだ。

 二人は顔を見合わせた。こんな夜更けにみんな起きていたのだろうか?

“急ぐわよ”

 ナーザが指示をした。アウラは慌ててうなずくとナーザの後に従った。アウラは真っ青だ。またドジを踏んでしまった! だが今はそんなことを考えている場合ではない。

 予定では侵入後、守衛を人質にとって王女の所までこっそり案内させるはずだったのに―――これでは強行突破しかないのか?

 二人はいきなり広い場所に出た。玄関前のホールのようだ。ホールは吹き抜けになっており、中央に二階に上がる階段がある。

 そのとき上の方から声がした。

「何だ? お前らは?」

 見ると二階の手すりの向こうにガウンを着た男が立っている。その横には弓を持った男が一人、剣を持った男が二人見える。一体どういうことなのだ? もしかして待ち伏せを食らったのか? だとしたら……

 だが驚いているのは男達も同様だった。

「お前達は何者だ!」

 再びガウンの男が叫んだ。その声にはあからさまな恐怖の響きが含まれている。

 それを聞きとってナーザがアウラにそこで待機するように身振りをしてから、男に向かって答えた。

「私たちはフォレスよりエルミーラ王女様をお迎えにあがりました」

 それを聞いて男は愕然としたようだ。

 ナーザは小声でアウラに指示した。

「弓!」

 ほぼそれと同時に男が叫んだ。

「やれ! やってしまえ!」

 次の瞬間弓を構えていた男が矢を放った。だがアウラもナーザもその前にさっとその場を離れたので、矢は床にぶつかってはじけただけだった。

 同時に騒ぎを聞きつけてか、彼女たちのいるフロアの奥の方からも誰かがやってくる気配がする。

“上は任せて。下をお願い”

 ナーザの身振りを見てアウラはうなずくと、彼女は音がする方の暗がりに身を潜めた。奥の廊下から誰かやってくる足音が段々大きくなる。次いで男が二人ばかり剣を構えて飛び出してきた。その瞬間アウラはその前に踊り出して、まず手前の男の首を貫いた。

 男は声にならない声を上げて後ろの男に寄りかかるように倒れる。

 それからアウラは前の男の肩越しに後ろの男の目を貫く。

「うぎゃああ!」

 男は剣を取り落とし顔を押さえてそのまま事切れた。

 そのとき上の方から別な悲鳴が聞こえた。

 見るとナーザが踊り場の階段の中央付近に立っている。一体何をしているだろう? アウラは一瞬何が起こったのか分からなかった。だがまた上にいる別な男がうめき声を上げた。今度はアウラも何が起こったか分かった。

 声を上げた男が肩から小さなナイフを抜き取っているのが見える。今の瞬間にナーザが投げナイフを男達に命中させたのだ。

《すごい!》

 彼女が投げる動作はアウラでさえもはっきりとは見て取れなかった。とてつもない早業だ。だが同時にアウラはちょっと心配になった。あんな小さいナイフでは致命傷は与えられないはずだが、大丈夫なのだろうか? だがそれは全くの杞憂だった。

「このアマ!」

 ナイフを抜き取っていた男が剣を抜き放ち、ドスのきいた声で威嚇している。男はナーザより二回りは体格がいい。しかし彼女は全く動じていなかった。ナーザは静かに言った。

「動かない方がいいわよ!」

「なに?」

「動くと毒が回るわよ!」

「なんだと?」

 男達が動揺した。

「そろそろ痺れてきたんじゃないの?」

 威嚇した男がナーザに突進してこようとしたが、いきなり足がもつれてそのまま階段から転げ落ちる。ナーザは落ちてきた男を避けると、ささっと二階のフロアに上がった。

 その頃には他の男も同様に倒れたり、手すりに掴まってもがいている。

「き、貴様!」

 ガウンを着ていた男がわめいた。だが声が裏返っている。威厳も何もあったものではない。そんな男に対してナーザは冷ややかに言った。

「もし命が惜しければ私たちの言うことを聞くことね。解毒のしかたを知ってるのは私だけだから。分かるわね? この意味」

 ガウンの男はがたがた震えだした。どうやら自分の命は惜しいらしい。

 それを見てナーザがアウラに向かって手招きした。アウラはナーザの元に走る。階段の下に転がっている男は意識はあるようだが体は全く動かせないらしい。アウラはそのまま階段を駆け上がるとナーザのすぐ後ろに立った。

 それから二人は慎重にガウンの男の側に近づいた。

 男は床にだらんとのびて体をぴくつかせている。毒は十分に回っているようだ。その顔は恐怖にゆがんでいる。やってきたアウラの血に濡れた薙刀を見て男は更におびえたようだ。

「貴様! な、何者だ?」

 かすれ声で男が尋ねる。それを聞いてナーザが答えた。

「だから聞いてなかったの? フォレスから来たって。ともかくこちらはエルミーラ様に用があるの」

 途端に男は目を見開いた。

「王女様はどちらにいらっしゃるのかしら?」

 ナーザがそう言って男の脇腹を蹴る。男は絞り出すように答えた。

「お、王女様はいない!」

 それを聞いてナーザとアウラは顔を見合わせた。ナーザの目に怒りが浮かんでいる。

「そんなに命知らずだったとは思わなかったわ」

「う、嘘じゃない! 本当にいないんだ!」

 ナーザは懐剣を抜くとその刃の横っ面で男の頬を叩いた。男はそのたびに身を震わせた。

「いないってどういうこと? それじゃどこに連れてかれたの?」

 ナーザが男を睨む目はアウラでさえ背筋がぞっとしたほどだ。

 だが同時にアウラもこれがかなりまずい状況であることは理解した。どうやら王女はここからまた別な場所に移されてしまったのだ。だとするとまた追跡を一からやり直すことになる。今度は一体王女はどこに連れて行かれたのだろう?

 ところがそれに対する男の答えは全く二人の予想外の物だった。

「つ、連れてったんじゃない。に、逃げられたんだ!」

 ………………

 …………

 ……

「ええっ?」

 その答えはさすがにナーザも予期していなかったようだ。

 しばらく彼女は呆然としていたが、続いて吹き出した。

 ナーザはしばらく声を押し殺して笑っていたが、やっとそれを抑えると男に言った。

「あなた、ジョークのセンスはなかなかね。でもまさかそれを信じろと?」

「う、嘘じゃない! 信じてくれ!」

 男の喋り方は哀願調になっている。見た感じあまり嘘を付いているようにも見えない。

 再びナーザとアウラは顔を見合わせた。それからナーザは真顔になって男に尋ねた。

「それじゃ訊くけど、王女様はいったいいつ逃げたの?」

「ちょうど二週間前だ」

「どうやって逃げたの?」

「塔から、シーツを破ってロープにして」

 それを聞いてアウラは少し納得した。エルミーラ王女なら確かにそういうことができるかもしれない。それはナーザも同様だった。彼女は軽くうなずくと男に更に尋ねた。

「それでどこに逃げたの?」

「分からない!」

 再びナーザが恐ろしい目で男をにらむ。

「分からない? どちらに行ったのかも? 大体逃げられたのに探しもしなかったの? 猟犬の一頭もいれば追跡は簡単でしょ?」

「抜け出した後、ふ、舟で逃げられたんだ。だから犬じゃ追えなかったんだ」

「ああ、なるほどね。でもそれなら川の下流は調べたわよね?」

 それを聞いて男は真っ青になった。

「どうしたの? 調べたんでしょ?」

 だが男は何も答えない。ナーザは男を睨み付けるとアウラに言った。

「こいつの手を押さえて」

 アウラは黙って言うとおりにする。

「な、何をする」

 男がかすれ声で叫ぶ。

「私が女だからってなめてるんじゃない?」

 次の瞬間ナーザは手にしていた懐剣をいきなり男の手に突き刺したのだ。

 男がすさまじい悲鳴をあげる。

「さあ、エルミーラ様はどこ?」

 それを聞いて男がわめいた。

「し、知らないんだ。本当に。舟は壊れてたんだ。滝の下で! 王女様は見つからなかったんだよ!」

 ナーザとアウラは一瞬絶句した。この男は今何と言った? 滝の下で舟が壊れていた?

「舟が壊れてたってどういうこと?」

 ナーザは男の手に突き刺している短剣をぐりぐり動かす。そのたびに男が悲鳴を上げる。

「だから、王女が乗ってった舟がエルヴールの滝の下で見つかったんだ。粉々になって。俺たちは王女を捜したんだけど、見つからなかったんだ。どこにも!」

 アウラは顎ががくがくしてきた。

 ということはどういうことだ? 王女は滝から落ちて―――それから流されていってしまったというのか?

 アウラは目の前が真っ暗になった。

「あんたが殺したの? ミーラを……」

 アウラが薙刀を男に突きつける。

「俺じゃない! 俺じゃないって!」

 アウラは怒りのあまりそのまま男を殺してしまいそうになったが、すんでの所でナーザがそれを止める。

「バカ! まだ訊くことがあるのよ」

 しかしそう言ってアウラを抑えたナーザの手も、やはりぶるぶる震えている。そのまま彼女もしばらく息を整える。それから男に尋ねた。

「本当にエルミーラ様は……見つからなかったの?」

「そ、そうだ。さ、探したが見つからなかったんだ。おおっぴらには探せなかったし……」

「ともかく探したときのことを詳しく話しなさい」

 男はがくがく震えながら王女を探索したときの経緯を話し始めた。

 彼らが滝の下で壊れた舟を見つけた後、遺体がないかその付近を探したが何も見つからなかったこと。途中で舟から下りた可能性を考えて、そこから上流に向かっても探してみたがやはり王女は見つからなかったこと。だから彼らは王女の遺体は流されてしまったと判断して捜索を打ち切ったこと。

 それを聞いてアウラは目から涙が溢れてきた。

 まさか、まさか、まさかそんな―――無意識に体ががたがた震えてくる。

 暴れ出しそうになったアウラをナーザが再び制止した。それから小声で彼女にささやいた。

「エルミーラ様はまだ死んだと決まったわけじゃないわ」

 アウラは驚いてナーザを見る。

「私を信じて」

 そう言ってナーザが軽くうなずく。その表情はハッタリとも思えない。

 ともかくアウラはうなずいた。こんな男の言うことなんかを信じるよりはナーザの言葉を信じた方が遙かにましだ。

 アウラが落ち着いたのを見てナーザはぎゅっと口元を噛みしめて考え込んだ。それからまた男に尋ねる。

「それじゃ話を変えるけど、どうやってエルミーラ様を騙したの?」

「え? なんだって?」

「あなた方はエルミーラ様を協力させたわよね? どうやってかしら?」

 男はそれを聞いてうなずいた。

「そ、それは……ロムルース様が内密に会いたがってると言ったのだ」

「別にロムルース様は内密でなくても会えるでしょ?」

「だから、ベラがこれからフォレスを攻めるので、エルミーラ様だけは逃がしておきたいと、そう言ったのだ」

 ナーザは驚きの表情を浮かべた。うまい言い訳があったものだ。これならば王女は黙って付いていって直接ロムルースを説得しようとする可能性大だ。

「なるほどね……で、これはあなたが仕組んだこと?」

「ち、違う!」

 男は苦しそうに首を振った。

「では誰?」

「プリムス様とフェデルタだ」

「フェデルタって?」

「プ、プリムス様と一緒にどっかからやってきた奴だ。どこから来たのかは知らない」

「それで何が目的でこんな事をしたの?」

「し、知らない!」

 それを聞いてナーザは再び男の手に突き刺した懐剣をねじり上げた。男がまた悲鳴をあげる。

「それじゃ指を一本ずつ切り落としていこうかしら。男の場合切り落とせる物が一本多いしね」

 男は口をぱくぱくさせるだけで何も言わない。

 さらには何やら異臭がするのでみると、男のズボンから湯気が立ち始めている。

「あら、ごめんなさい。怖かった? でも答えてくれないと本当にそうなるわよ」

 彼女は笑ったが、その声は氷のように冷たかった。

「ほ、本当なんだよ! これ以上は何も知らないんだ! 信じてくれよ!」

 男は既に泣き顔だ。

「それじゃ聞くけど、このことに関してプリムス様は何と言ってきたの? 領主様が言えば王女様を探索する理由ぐらいいくらでも作れるんじゃないの?」

 それを聞くと男は真っ青を通り越して、ほとんど白くなった。歯ががちがち鳴るのがアウラの所にまで聞こえてくる。

 ナーザは訝しげに男の顔を見た。

「さっさと答えなさい!」

 そう言ってまた手に突き立てた懐剣をひねる。

 すると男が悲鳴を上げて言ったのだ。

「知らないんだ!」

「知らないってどういうことよ?」

「だから、プリムス様は知らないんだ」

 ………………

 …………

 ……

 ナーザは驚きのあまりあんぐりと口を開けて固まってしまった。

 ややしてからナーザは男に信じられないという様子で尋ねる。

「まあ! それじゃ報告してないのね?」

「こ、こ、こ、こんな事を知られたら……こ、こ、こ、殺されてしまう!」

 それを聞いてナーザは呆れたという表情で言った。

「ならばさっさと逃げ出せばいいでしょう?」

「だ、だからさっき逃げ出す算段を……」

 男の答えにナーザは大声でヒステリックに笑い出した。

 彼女の笑いの発作が治まるまでにはしばらくかかった。それからナーザは笑いすぎて苦しそうに男に尋ねた。

「い、今頃? あれから何日経ってると思うのよ?」

 男はそれを聞いても口をぱくぱくさせるだけで何も言えない。

 ナーザは男を嘲笑した。

「プリムス様もとんでもないバカを手下に持って苦労なさってるのね! あんたみたいな無能は死んで当然よ。もし私の部下だったら即刻目玉をえぐり出してから火あぶりにしてやるわ!」

 ナーザは恐ろしい笑いを浮かべる。

「でもね。ちょっとあり得ないのよね」

「な、なんだ?」

「人間ってここまで馬鹿になれるのかしら?」

「ど、どういうことだ?」

「あなた、馬鹿のふりをして、実は王女様をどこかに隠してるんじゃない?」

 ナーザは懐剣を男の手から抜くと、今度は顔の上でぶらぶらさせ始めた。

「そ、そんなことはしてない!」

 それを横目で見ながらナーザはアウラに言った。

「ねえ、人間の目玉の中って神経がないから刺しても痛くないって知ってた?」

 男が絶叫する。

「だ、だから、ちがうんだって、王女様はここにはいないんだって」

 男はもう息も絶え絶えだ。顔は涙とも鼻水ともよだれとも言えないものでぐしょぐしょだし、下半身も同様にびしょびしょだ。アウラが見てもこの男は本気で怯えているようにしか見えない。

 ナーザもどうやら本気でそう信じているわけではなさそうだった。

 そんな男の様子を見てナーザははあっと息を吐くとアウラの顔を見た。そして何か言おうとしたとき、階上から更に別な男がやってくる気配がした。やっつけた男の数を勘定すれば、その男が最後のはずだ。

「何やってるんだよ、夜中に騒々しい」

 神経が図太いというのか単なる間抜けなのか、そいつはどうやら後者のようだった。

 男は階下の惨状を見て腰を抜かしそうになった。

「バ、バラガス様?」

 名前を聞いていなかったがどうやらこのガウン男はバラガスという名前だったようだ。

「まあ! ちょうどいいわ。あなた、すこし屋敷内を案内して下さらない?」

 そのとき初めて男はナーザとアウラに気づいたようだ。

「お前らは何者だ!」

 男はそう言って剣を抜いたが、それを遮るようにバラガスが叫んだ。

「こ、こいつらの言うとおりにしろ!」

「し、しかし……」

「この方もこうおっしゃってるでしょ?」

 ナーザがにこっと笑う。

「言うとおりにしろーっ!」

 バラガスの叫びに男は不承不承剣をしまう。

「それじゃとにかくエルミーラ様がいた所まで案内してちょうだい」

 男はまだ迷っている。

「いいから言うとおりにしろ!」

 バラガスが再び叫んだので、男は渋々案内を始めた。

 だが二~三歩歩いたところで男はいきなり抜き打ちをしようとする。だがその動きはアウラに完全に読まれており、男が剣に手をかけた瞬間にはアウラの薙刀の刃が喉元にぴたりと当てられていた。

「その剣、邪魔そうだし、ここに置いていったらどうかしら?」

 ナーザが笑いながら男に言う。男は歯をがちがち鳴らしながら剣を落とした。今ので男は反抗する気力を完全に喪失したようだ。

 それからナーザとアウラは男に屋敷中をくまなく案内させた。

 その結果、エルミーラ王女がここにいたのは間違いなかったようだ。彼女が閉じ込められていたという塔の上の部屋で、二人は王女の使っていたハンカチを発見した。

 しかしバラガスが言ったとおり王女本人の姿はどこにもない。

 アウラはそのハンカチを握りしめて泣き出しそうになった。だがそんなアウラをまたナーザが制止する。その通り。こんなところで泣くわけにはいかない。ナーザの表情もまるで能面のようだ。

 屋敷中を回って再び二人がバラガスの元に戻ってくると、バラガスは泣きそうな声で叫んだ。

「分かっただろう? ここには王女様はいないんだよ!」

「分かったわ」

 ナーザがうなずいた。

「それじゃ解毒剤を!」

「まだだめよ!」

 ナーザは毒の付いた投げナイフを取り出すと、案内していた男の腕を刺した。

「な、何しやがる!」

 男は怒ったが今は丸腰だ。アウラの薙刀を突きつけられて後ずさりするしかなかった。すぐにその男も毒が回って痺れて倒れてしまった。

「ひ、卑怯者!」

 バラガスが叫ぶ。それを聞いてナーザが冷ややかに笑う。

「人さらいにそんなこと言われたくないわね」

 そう言ってナーザは男を見下ろした。

 アウラはそんなナーザが少し怖くなってきた。

 ここに来てからの彼女の情け容赦のなさはいったいどういうことだ? いつものあの優しいナーザからは想像も付かなかった。

 アウラがそんなことを考えているとナーザが急に振り向いた。

「じゃ、行くわよ」

 続いてナーザはすたすたと歩き始める。アウラは慌てて後を追う。

「おい! 待て! 死んでしまう!」

 後ろからバラガスの声がする。だがナーザは振り返りもせずに答えた。

「大丈夫。その毒には即効性はないのよ。三日ぐらいしないと死なないわ」

 それを聞いて男達は泣きそうな声をあげた。その悲痛な響きに、アウラでさえちょっとかわいそうに思ったぐらいだ。

「た、助けて下さい! お願いします!」

 男達が口々に叫ぶ。ナーザはそれを無視して屋敷の玄関まで来たが、そこで振り返ってこう言った。

「朝になったら誰か来るでしょ? そうしたら宿屋に来いと言いなさい」

 男達は更に何か騒いでいたが、二人はそれを無視して屋敷から出ていった。

 そろそろ東の空が明るくなりかかっている。

 二人は無言で宿屋に戻るとまた窓から部屋に忍び込んだ。

 そこまで来てからナーザはいきなりベッドの上に突っ伏して毛布を引き裂かんばかりに握りしめた。

「畜生! ふざけてるんじゃないわよ!」

 ナーザはいきなり叫ぶと毛布をベッドから引きはがして壁に叩きつけた。

 その表情はまるで狂ってしまったかと思えるほどだ。普段温厚なだけにこんなナーザは側に寄るのも恐ろしかった。アウラはナーザのその剣幕に呑まれてしまってすっかり毒気が抜かれてしまった。暴れ出したかったのはアウラも同じだったのだが……

 ナーザはその格好のまましばらくぶるぶると体を震わせていた。アウラは段々心配になってきた。だがしばらくして彼女は大きく深呼吸すると、首を振ってから両頬をぴたぴたと叩いた。

 そして向き直るとアウラに言った。

「すぐに着替えて。出発するわ」

 その表情はいつも通りのナーザだ。アウラは安堵した。

 だが出発すると言っても一体どこに行けばいいのだ?

「でもどこに行くの?」

 それを聞いてナーザは即座に答えた。

「まずはエルヴールの滝に」

 アウラはうなずいた。王女の後をたどるとしたらそこからしかあり得ない。

 まだ暗いうちに出てきた二人を見て、慌てて宿屋の女将が起きてきた。

「あらまあ、お発ちなんですか? こんな時間に?」

「ええ。すみません。でもどうしても行かなければならない用ができてしまったんです。エルヴールの滝って距離はどのくらいになりますか?」

「ええ? あそこならハビタルへの街道にかかっている橋の所から下流に二キロほど行ったところですわ。ここからだと結構ありますわよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 そう言いながら出発の支度をするナーザ達を見て女将が言った。

「でもこのあたりは危ないんですのよ。あの、荷馬隊が出るのは明日なんですよ。もう一日お待ちになっては」

「ありがとうございます。でも行かなければいけないんです」

 そうきっぱり答えてナーザは宿代を支払った。

 さらに呆然としている女将に向かって言う。

「あ、そうそう。もしお館から誰かやってきたら、こう伝えておいて下さい。放っておけば直るって」

 アウラはそれを聞いて目が点になった。

「じゃ……あれ……」

 だがナーザはそんなアウラをちらっと見て陰鬱な笑みを浮かべた。

「もっと効くのにしておけば良かったわ」

 そしてさっさと出ていくナーザをアウラは慌てて追いかけた。

 後には呆然とした宿の女将だけが残された。