消えた王女 第9章 盗賊狩り

第9章 盗賊狩り


 ナーザとアウラがエルヴールの滝に着いたのはその日の午後になってからだった。

「うあぁ!」

 滝を見下ろしてアウラは思わず歓声とも悲鳴ともとれるような声を上げていた。

「これは……すごいわね」

 少し離れたところでナーザがそう言ったが、滝の轟音が激しくアウラにはやっと聞き取れる程度だ。アウラがナーザの方を振り返ると、彼女は馬を置いて滝の下に降りて行こうとしている。アウラも慌てて後を追った。

 ここに来るまでアウラはまだ淡い希望を抱いていた。滝と言うからには川が切れて垂直に水が落ちている物のはずだ。そこから滝壺に落ちることができればもしかしたら助かるかも知れない。

 だがエルヴールの滝はそういったアウラの想像とはかなり異なっていた。ここでは川が六〇度ぐらいの角度の急傾斜を一気に流れ下っているのだ。その斜面にはいくつも大きな岩があって、川の流れはそれによっていくつにも分断されている。これではどうやったって流れ下る最中にどこかの岩に叩きつけられてしまう。

 再びアウラの心に絶望が沸き上がってきた。ナーザは王女がまだ死んだとは限らないと言ったが、これでどうやって生きていられるのだろう?

 二人が歩きにくい小道を下り続けると、やがて滝の真下の所に出た。ここではもう耳の側で大声で話さないと声が聞こえないぐらいだ。

 そのときナーザがアウラに手招きする。アウラが彼女の側まで行くと、向こう側の岩陰に何かの残骸が見える。二人は大急ぎでその側に行った。間違いなく小舟の残骸だ。上から落ちてきて叩きつけられたようで、見事に真っ二つになっている……

 二人は顔を見合わせた。アウラの目から涙がこぼれ落ちた。アウラはそのまま地面にへたり込んでしまった。

《また救えなかった……》

 どうして自分が関わるとこうなってしまうのだろうか?

 もしかして自分は疫病神なのだろうか?

 これから一体どうすればいいのだろう?

 確かにアイザック王はああ言ってはくれたが、王女がさらわれたのはやはり彼女の責任なのだ。挙げ句に彼女はエルミーラ王女を救い出すという任務まで果たせなかったのだ―――だとすればもうフォレスにいるわけにはいかない。このままどこか遠くに行ってしまいたい……

 だがそうするとフィンはどうなる? いや、彼女がいなくともフィンが困ることなどないだろう。ただフィンは出立のとき絶対戻ってこいと言っていた。その約束を破るのは嫌だ。でも……

 そのときナーザが彼女の肩を掴んで耳元で叫んだ。

「何やっているの! しっかりしなさい!」

 アウラは涙目でナーザを見返した。

 だがナーザは何故か笑っている。

 笑う? 一体どういうことだ? 彼女は王女が死んで嬉しいのだろうか?

 そう思うとアウラはいきなり腹が立ってきた。

「何がおかしいのよ!」

 アウラはナーザの胸ぐらを掴んで叫んでいた。ナーザはあからさまに驚いた表情を浮かべる。

「どうしたのよ?」

「ミーラが死んでどうしておかしいのよ!」

「ええ?」

「だ・か・ら、ミーラが、死んで、どうして、おかしいのよ!」

 アウラは大声で叫んだ。それでナーザはアウラの言うことをどうやら理解したようで彼女を引っ張って滝から少し離れた。

「ここなら言うことが良く聞こえるわね。だから、王女様は滝からは落ちてないのよ」

「え? どうして?」

 ぽかんとしたアウラにナーザは説明を始めた。

「見たでしょ。あの滝。それにあの舟の残骸が落ちてたところ。あなたもしあの舟に乗っていたら、間違いなくバラバラよね?」

 アウラは黙ってうなずいた。そんなことは一目瞭然だ。

「だったらもし王女様が舟に乗っていたら、あの残骸のあたりでやっぱりバラバラになって見つからないとおかしいわけでしょ?」

「だからどうしてそれが……ああ?!」

 アウラは納得した。あのバラガスという奴は舟の残骸を発見したとは言ったが、王女の遺体を見つけたとは言っていない。だが王女が舟に乗っていたとしたならば、残骸と遺体はセットで発見されなければならないはずだ。

「じゃあミーラは舟に乗ってなかったの?」

「だからそう言ったんじゃない。あいつらは王女が流されていったって言ってたけど、ほら、見てご覧なさい。これじゃ遺体があっても流れてはいかないわ」

 ナーザは舟の残骸がある付近を指さした。そのあたりで川は非常に浅くなっていてそう簡単に遺体が流されていったりはしないだろう。

 アウラの目から再び涙がこぼれ落ちた。

「じゃあミーラは……」

 そう言ってアウラは口ごもった。

 舟に乗っていなかったとしたら一体彼女はどこに消えてしまったのだろうか?

「そうね。それが問題だわ。多分王女様は途中のどこかで舟を下りたのよ。それから多分追っ手がかかることを予測して舟だけ流したんじゃないかしら。そして陸路で……どちらかしら……」

 ナーザはしばらく考え込む。

「王女様が脱出後向かう可能性のある場所は二カ所しかないわよね。一つはガルサ・ブランカ、もう一つはハビタル。でもガルサ・ブランカはここからは遠すぎるわ。主街道まで出られればまあ何とかなるかもしれないけど……それにそのためにはあの間道を通らなければならないし。あそこで王女様は行きがけに盗賊に襲われてるし、そんなところに一人で行こうと思うかしら。ハビタルならフランからの街道をまっすぐ行くだけでいいし、道もしっかりしてるわ。だから多分王女様はハビタルに向かったんだろうけど……」

 そこまで言ってナーザはまた考え込む。

「じゃあハビタルに行きましょ」

「ちょっと待って。そう簡単じゃないのよ。もし王女様が追っ手を捲くために途中で舟を下りたとしたなら、王女様はさらに追っ手を捲くために違う方に行ったかも……追っ手だって王女様がハビタルに向かったって予想しそうだし……」

 またナーザはなにやら難しいことを考えているようだ。こういったパズルみたいなことになるとアウラにはもうお手上げだ。ナーザに任せておくしかない。

「ああ、でもそれだったら王女様はあいつらに捕まっていた公算が高いわね。だとすれば、やはりハビタルね」

 ナーザは結論を出したようだ。

「あいつらって?」

「ほら、来る途中に出てきたあの盗賊よ。王女様が裏をかいてガルサ・ブランカに向かったとしたら、あの間道であいつらに見つかった可能性が高いわ。でもあいつらはああだったでしょ? だからやっぱり王女様はハビタルに向かったのよ」

「それじゃ目的地はハビタルね? じゃあ行きましょうよ」

 そう言って戻り始めたアウラをナーザが引き留めた。

「ちょっと待って。そんなに急がないの。ここで間違ったらどうしようもないんだから」

 アウラは言葉に詰まった。確かにその通りなのだが……

「でもハビタルじゃなかったら後はどっちに? まさかフィブラ峠なんて……」

「いえ、それはないでしょ。王女様はまず間違いなくハビタルに向かったわ。でもまだハビタルには行き着いていないのもほぼ確かなのよ」

「え? どうして? だってミーラが逃げたのは二週間も前でしょ?」

 フランからハビタルまではそんな時間がかかる距離ではない。

「でも、エルミーラ様がハビタルに行き着いたとしたらどうなると思う?」

「どうなるって……」

「そうなったら絶対大きな騒ぎになるわよね。だって今回のことはエルミーラ様が行方不明になったことがそもそもの始まりなんだから。でもそんな騒ぎにはなってないでしょ?」

「え、ええ」

「ただハビタルでエルミーラ様が身を寄せた相手が実はプリムスの仲間だったとしたら、エルミーラ様がハビタルに来たことは秘密にされるかもしれないけど……」

「じゃあミーラはプリムスに捕まったの?」

 その問いに対してナーザは首を振った。

「いいえ。それもないわ。そんなことになったら間違いなくフランの館には知らせが行くでしょ。だったらあいつらがあんなにのんびりしていられたかしら? もし私がプリムスだったらあんな奴ら全員吊してるところよ」

 アウラはうなずいた。確かにその通りだ。

「だからまず確実に王女様はハビタルにはまだ着いていないのよ。要するに王女様は今ハビタルに行く途中のどこかにいる、ということになるわ」

「でも、そんなに時間かかってるのかしら? フランからハビタルまで歩いたって五日ぐらいでしょ?」

「そう。だから問題なのよ」

「問題って?」

「エルミーラ様はたった一人で歩いてハビタルに行こうとしてるのよ。でも途中で宿とかには泊まれないでしょ? プリムスの手がのびているかも知れないんだから。それに昼間歩いていて人に見られたらやっぱりまずいでしょ? だとしたら動けるのは夜だけになるし……」

 それを聞いてアウラは愕然とした。

 確かにそうだ―――一人で歩いて旅をしていて、宿に泊まれないなんて……

 彼女自身であれば大したことではないのだが、それが王女だったら?

「途中天気の悪い日もたくさんあったわ。そんなときにはあなただって野宿はきついでしょ?」

 アウラは体ががたがた震えてきた。

「そんな! じゃあまさかミーラは途中で……」

 ナーザはアウラの口を押さえた。

「あまり悪いことは考えない方がいいわ。王女様は誰かに匿われているとか、そういった可能性だってあるでしょ?」

 アウラは黙ってうなずいた。

「ただもし匿ってくれている人がいい人だったら、何とかしてハビタルとの連絡を取ろうとしてくれるでしょうね。でもその知らせも行っていないみたいだし。だとすると匿ってくれてる人が必ずしもいい人とは限らないかも知れないけど……」

「じゃあどうするの?」

 ナーザは空を見上げた。日はずいぶん傾いている。

「今日はここで野宿をしましょう。それから明日このあたりをもう一度詳しく調べましょう。奇跡的に王女様はあの滝を無事に落ちた可能性もあるし」

 アウラは一刻も早く先を急ぎたかったのだが、これはナーザの判断だ。彼女の考えよりはずっとあてになるだろう。アウラは不承不承うなずいた。

「それで明日はあの河畔の宿に泊まりましょう。そこであなたにはまた踊ってもらうわ」

「え? でも……」

 アウラは昨夜フランで踊ったことはある意味楽しい経験だったのだが、今ここで王女を探索している最中にそんなことをするのはどうかと思った。

 だがもちろんナーザには目的があった。

「王女様がこのあたりの猟師とかに匿われているとして、もし彼女が“ディーネ”と“ドニカ”っていう二人組の噂を聞いたらどう思うかしら?」

「ああ! だからこの名前にしたのね?」

「まあこういうこともあるかもしれないと思ってね」

 アウラは旅に出るときナーザが今回はこの偽名で行こうといったとき、特に深くは考えていなかったのだが、ここに来て初めてその意味を納得した。

 “ディーネ”とはもちろんロンディーネの愛称だ。また“ドニカ”とはエルミーラ王女がロンディーネに会いに郭に行ったとき、そこで初めて買った遊女の名前だ。

 いずれにしても王女にとっては共に忘れがたい名前だが、王女本人とアウラ達以外にその意味が分かる者などいない。

 それは王女にとって助けが来たことを示す素晴らしい符丁になるはずだった。

「ともかくそういった噂が広まるまでしばらくかかるから、ハビタルまでは少しゆっくり行かなければならないのよ」

 アウラはうなずいた。こういう状況では仕方がない。

「じゃあ、取りあえず火を起こしましょうか。夜はそろそろ寒いし」

「はい」

 こうして二人はその日は滝の下で野宿した。

 次の日二人は川のもっと下流の方まで色々調査してみたが、変わったことは何も発見できなかった。午後まで二人は頑張ったが、結局諦めて探索を切り上げるしかなかった。

 二人が川を遡って元来た道を戻っていくと、川にかかった吊り橋が見えてきた。ハビタルへの街道がシルマ川を渡る場所だ。その側に一軒の道中宿がある。このあたりの人には河畔の宿と呼ばれている。

 二人が宿に近づくと、その前に座っていた中年の男が立ち上がって手を振りながら走ってきた。この宿の主人だ。エルヴールの滝に行くときに道を尋ねたのだが、もちろん彼女たちをそう簡単に忘れることはないだろう。

 主人は息を切らしながら言った。

「ドニカさん、ディーネちゃん、戻ってこないんで心配してましたよ」

「え? あの、それはご心配おかけしました。いえ、あそこってなかなか神々しい雰囲気でしょ? 踊りのインスピレーションが沸かないかって、一晩泊まってみたんですが」

「そうならそうと言ってくれないとですよ。よっぽど捜索隊を出そうかと思ってたんですよ」

「あら、それは申し訳ありませんでした。なんだかここって想像以上に治安が悪いんですのね」

 ナーザがまた口から出任せを言っている間、アウラはその宿の回りを眺めていた。見ると荷馬車が何台か止まっいてる。荷馬もたくさんいる。

「今日はお泊まりですよね?」

「ええ。もちろんですわ。でも何だか繁盛してらっしゃいますわね」

「ああ、これはフランからクレアスまでの定期便ですよ。週に二回、行きと帰りにここで泊まるんです。だからちょっと空き部屋は少ないんですが……お二人は同じ部屋で構いませんよね」

「もちろんですわ」

 二人が宿に入っていくと、食堂に座っていた男達が一斉に振り返った。そして二人の姿を見て男の一人が言った。

「ありゃあ、ドニカさん達じゃないですか!」

 それを聞いて奥に座っていた大男がその男に言うのが聞こえた。

「なんだって? 本当か?」

「本当でさ」

 普通に喋っているのだろうが地声が大きくてまるで叫んでいるようだ。それから男はナーザとアウラの方を見ると、いきなり立ち上がって二人の方にやってきた。

 アウラはちょっと緊張した。だが男は二人の前に来ると帽子を取って挨拶した。

「いや、お目にかかれて光栄です。あっしはフェロスといいます。この荷馬隊の仕切りをやらさしてもらってます。って、昨日ちょっとお会いしました?」

「え? ああ、あの時の」

 昨日二人がエルヴールの滝に急ぐ途中でクレアスからの荷馬隊とすれ違ったが、たしかにその時この男はいたような気がする。

「あ、どうも。私がドニカ、こちらがディーネです」

 ナーザがそう言ってアウラを男に紹介する。アウラも黙って挨拶した。それを見て男はひどく嬉しそうだ。

「いやあ、こんなところで会えるなんて。昨日発ったって言ったから、もっと先まで行ってるかと思ってたんですがね。いや、すごく悔しかったんでさ。昨日フランに着いたら何だか大騒ぎで、お館様の屋敷に強盗が入るわ、そのせいで美人の旅芸人が逃げちまったって話で持ちきりで」

 そう言って男は二人に笑いかけた。ナーザは作り笑いを浮かべながら答える。

「ええ? 逃げただなんて人聞きの悪い。ただちょっと女将さんから滝のことを聞いて、見てみたくなったんで早発ちしたんですのよ。で……今なんておっしゃいました? 強盗?」

 ナーザは驚いたふりをする。フェロスはそれを聞いてうなずいた。

「ああ、そうでなんでさ。ま、このあたりじゃ珍しくもないですけどね。ただお館様の所に押し入るなんて、相当の強者だなってみんな言ってまさ」

「まあ! つてがあればお屋敷に入れて頂こうって思ってましたのに。女将さんがあそこは全然だめだって言うから……じゃあ私たち運が良かったんでしょうか?」

「あっはは。そうかもしれませんがね。あっしにはそうじゃないすよ。何でもう一日いてくれなかったんですか? 村の奴らからディーネちゃんの噂を散々聞かされて、あんたの踊りを見ずには死ねないとか言う奴までいやがって」

 そう言ってフェロスはアウラに笑いかけた。

 アウラは今までそんな風に褒められたことはなかったのでどう反応していいか分からず固まってしまった。

 それを見てナーザが言った。

「それでしたら今日の夕食後にでもまた演し物をしましょうか? 構いませんか?」

 ナーザの最後の問いは宿の主人に向けられた物だった。主人は大喜びでうなずいた。

「もちろん構いませんよ。でもここの食堂はちょっと狭いですか」

「だったら表に火をたいてそちらでしません? ちょっと寒いでしょうか?」

 だがフェロスが笑って答える。

「ああ、あっしたちは構いませんぜ。アルカさえ用意してもらえりゃ、ですがね」

 それを聞いて主人も答える。

「ああ、こちらも構いませんよ。お代金さえ払っていただければ、ですがね」

 こうして時ならぬキャンプファイヤー風の宴会が始まった。

 そこでアウラはまた何度も踊ることになったが、今回は二回目だし客の数も少なかったので、この間よりは落ち着いて踊ることができた。

 そうやって慣れてくると、自分の仕草に対して客がどのように受けているのかが見えてくる。そこでアウラはつい興味が出てきて、ナーザに教わった動きをもっと誇張してみた。

 すると男達の反応がまた変わってくることが分かる……

 それに気が付くとアウラは段々面白くなってきた。彼女は調子に乗って色々な動きを試し始めた。するとふっとナーザのリュート伴奏の音色が変わった。アウラは驚いてナーザの方を見る。もしかして勝手なことをしてナーザは怒っているのだろうか?

 だがナーザはちらっとアウラに笑いかけると、何事もないかのように伴奏を続ける。そのうちにアウラは曲の変化がアウラが試し始めた動きにマッチしていることに気が付いた。

《じゃあいいのかしら?》

 考えてみればどうせ彼女は素人だし、ここにいる人だってただの荷馬隊の一行だ。少々失敗したってどうということはないだろう。そう思ったらアウラは何だか気が大きくなってきた。まあ失敗して元々だ。それにそもそもこうやって体を動かすことは大好きだ。

 そうしてアウラは思うがままに踊り続けた。

 気づくと彼女はまた大喝采の中にいる。アウラはしばらく呆然としていた。果たしてこれで良かったのだろうか? だがその時だった。

「ディーネちゃ~ん!」

 あのフェロスが両手を広げてアウラに抱きつこうとしてきた。アウラは慌ててそれをいなすとフェロスは思いあまって隣の別な男に抱きついてしまった。

「うわあ! 何すんですか!」

 下敷きになった男が悲鳴を上げる。

「ディーネちゃ~ん!」

 フェロスは相当酔っぱらっているようだ。無理もない。中央に大きな火が燃えているとはいえ、夜風は相当冷たい。みんなアルカ酒をがぶ飲みして体を暖めている。このままフェロスがアウラを追い回し始めたらどうしようか? 昔だったらそれこそフェロスを一刀両断していたところだが、今ではそこまで不愉快ではない。だがそうは言っても彼といちゃつくなんて問題外だ。一体こういう場合どうしたら―――アウラがそう思った時だった。

「フェロスさん、踊り子には触れないで下さいな」

 そう言いながらナーザがフェロスの介抱を始めた。アウラはほっとした。

「ドニカしゃん。あんたも美人だねえ」

 フェロスはナーザの背中をなで始める。酔うと相当手癖が悪そうだ。だがナーザは心得たものでそれを適当に受け流すと、ちょっと離れた所にフェロスを座らせた。

「ディーネちゃん、ディーネちゃん」

 今度はフェロスがそこからアウラに向かって手招きする。アウラはどうしようか迷ったが、横にいるナーザも来いという仕草をするので、仕方なくフェロスの前に座った。

「ディーネ、ちょっとお酌して差し上げて」

「あ、はい」

 慌ててアウラはアルカ酒の壺を手に取ると、フェロスの杯を満たした。

 最近はこのぐらいまでなら何とかサービスはできるのだが、ここでまた彼が迫ってきたら一体どうしてくれようとアウラが思案し始めたときだった。

「いや~、ありがとよ」

 そう言ってフェロスは杯から一口飲むと、ちらっと二人の方を見た。目つきが何か真剣だ。アウラは反射的に身構えた。

「にしてもあんたら、その踊り、凄いじゃねえの。こっちを本職にしてみたらどうなんだ?」

 フェロスがにっと笑う。

 それを聞いてナーザも微笑み返すが、なぜか彼女も緊張しているのが分かる。

「あら? 何だか言ってることがよく分かりませんが」

 そう言いながらナーザはアウラに合図した。アウラは薙刀をいつでも抜けるように準備した。その動きに男は気づいたようだ。

「おいおい。ちょっとやめてくれよ。そんな気はないんだから」

「え? 何がですの?」

「だからさ、何となく空気で分かっちまうんだよね。ほら、平気でこんな危ないところをうろうろできるなんて、よっぽどの馬鹿か、それとも腕に覚えがあるかのどっちかだろ?」

 それから男は杯のアルカ酒をもう一口飲むと声を潜めた。

「俺が思うに、あんたら賞金稼ぎじゃねえの? 違うか?」

 その言葉を聞いてナーザは緊張を解くとアウラに小さく合図をする。アウラもそれで緊張を解いた。

 それからナーザはがっかりしたような表情を浮かべて言った。

「やっぱり、分かります?」

 それを聞いた男は嬉しそうに笑った。

「まあな。俺も昔やってたからね」

「やってたって……それじゃ何故今はこんなことを?」

「はっはっは、まあ、ほら、最初は賞金首を追っかけてここまで来たんだが、もっとやばい奴にとっつかまっちまってな。で、仕方なくこう安定収入が入る道でだな」

 アウラは男が何を言っているのか分からなかったが、ナーザはすぐにそのやばい奴の正体に気が付いたようだ。

「あら! じゃあいいんですの? こんなところでディーネにちょっかい出してて?」

 すると男はあからさまに慌てた。

「ちょ、ちょ、それはなしだよ」

 ナーザは微笑む。

「もちろん。言いませんわ。それじゃ私たちのことも内密にお願いできます?」

「はは、もちろんさ」

 その話はかなりまずかったのだろう。男は慌てて話を逸らした。

「でもどうしてフランなんかに? あんたらの商売にはならないだろ?」

「いえ、こちらに来てから賞金が全然かかってないことを知ったんですの。いったい何なんです? こんなの聞いたこともありませんわ」

 このあたりでは犯罪者を退治するためには大抵賞金がかけられる。だからその賞金目当てのハンターはあちこちにかなりたくさんいる。

 だがこのフランではこれほど盗賊が出て治安が悪いのにも関わらず、そういった賞金がいっさいかけられていなかった。

 それを聞いてフェロスの顔が沈んだ。

「あのお館様じゃね。だいたい屋敷に盗賊上がりが出入りしてるようじゃ、どうしようもないさね」

「その辺って詳しく話してもらえます?」

「ああ、いいよ」

 フェロスは話し始めた。話しているうちに段々彼のグチになってきたのだが……

 彼がこの地方にやってきたのはまだフランの先代領主の頃だった。その男もあまり評判の良い男ではなかったのだが、今よりはまだましだったという。その家がごたごたで国長の逆鱗に触れて断絶になり、その後に領主になったのがプリムスだった。

 プリムスは見かけは良さそうな男だったのでフランの人々は少し期待したのだが、彼は前の領主以上に領地を顧みなかった。国元は留守居役のバラガスに任せっきりで、滅多に領地に戻ってくることさえしない。やがて人々はプリムスの顔さえ忘れてしまった。

 この留守居役だったバラガスだが、こいつは私腹を肥やすこと以外には興味のない男で、盗賊への賞金がなくなったのもそのせいだと言われている。

 それでも領内が無法地帯にならなかったのは、実はこの地域にはモースという名の大盗賊がいて、彼が他の盗賊団を押さえ込んでいたからだった。もちろんこの男もろくでもない奴ではあったが、彼らにみかじめ料を払っている限りは一般民は一応安全だった―――もちろん民は領主とモースへ二重に税金を払っているような物だったのだが……

 ところが先年このモースの盗賊団が分裂して親玉が殺された。それはそれでいいことなのだが、今度はそのせいでそれまで抑えられていた中小の盗賊団がこのあたりで割拠し始めたというのだ。

「んだから、もう前よりずっと危ねえんだよ。モースの奴は金さえ握らせときゃ約束は守る奴だったからな。今いやがるのは雑魚ばっかなんで、まあ来れば叩きのめせばいいんだが、それでもあの手この手でちょっかいをかけてきやがる。全く気が休まらねえんだ」

「まあ、そういうことでしたの……」

「だのにあのお館様ときたら、何もしようとはしねえんだぜ。おかげであいつら最近どんどんつけあがって来やがって、この間はクレアスの村まで襲われたし……」

「まあ……」

 ナーザとアウラは顔を見合わせる。このあたりの治安は想像以上に悪くなっているらしい。

《ミーラはそんなところを⁈》

 アウラは今すぐにでも助けに走りたかったが、行先が分からない。ナーザもまた同様に唇を噛みしめている。

「だから俺も何度か陳情に行ってみたけどさ、答えはなしのつぶてで。だからあの強盗には笑ったぜ。久々に溜飲が下がったって奴は大勢いるよ」

 そう言ってフェロスは笑ったが、ナーザは真剣な顔をして答える。

「まあ……でもあまり笑い事じゃないんでは? 領主の館を襲撃するほどの大物がこの地域にやってきてるとしたら?」

 フェロスの笑いが止まった。

「は? ああ、そんな風には考えなかったが……そういうこともあるのか?」

「考えなかったって、どうして?」

「どうせ仲間割れかなんかと思ったんでな。大体屋敷が襲われたなんて大事だから、こちとらも素人じゃねえし、何か手伝ってやろうかって言ったんだよ。ところがあいつら知らぬ存ぜぬ関係ないの一点張りで……よっぽど中に見られたらまずいようなものがあるんだろうぜ」

「まあ……」

「こっちだって銅貨一枚にもならないことに首を突っこんでるほど暇じゃねえんで。勝手にやってろってことだ」

 そう言ってフェロスはぐびりと酒を飲んだ。

 彼の杯が空になったのを見てアウラがまたそれを満たしてやった。フェロスがにっこりとアウラに笑いかける。

 そのときナーザが問いかけた。

「そういえばフェロスさん、お屋敷に出入りしていたフェデルタって男はご存じですか?」

「え? さあ……何なんだ? そいつ」

 フェロスはぽかんとした顔でナーザを見た。どうも本当に知らないようだ。

「いえ、前に私たちが追ってた賞金首かもしれないと思って」

「うーん。屋敷にはほとんど行ったことないんでね。すまんね」

「いえ、いいんです。ありがとうございます」

 そんな話をしていると後ろの方でフェロスの配下達が騒ぎ始めた。

「いつまで話してるんですよ」

「親方! 独り占めはずるいですぜ!」

 それを聞いてナーザが口を押さえながら立ち上がった。

「あらいけない! つい話し込んでしまいましたわ。それじゃディーネ、もう一曲行きましょうか?」

「あ、はい」

 二人はそう言ってまた仮設ステージの方に向かった。その途中ナーザがアウラにささやいた。

「あ、そうそう。でディーネ、今度踊るときはちょっとセーブしてくれない?」

「え?」

 一瞬アウラはナーザが何を言っているのか分からなかったが、すぐにさっき勝手に振り付けを変えてしまったことを言っていることに気がついた。

「あの、ごめんなさい……」

「違うのよ。あなたが自由に踊るのはいいんだけど、私の方がちょっと付いていけないのよ。本物の楽師ならあのぐらい合わせられるのでしょうけど」

 そう言ってナーザが笑った。アウラは何と答えていいか分からなかった。

「じゃあいいわね?」

「はい」

 ナーザがリュートの調弦をするとまた弾き始める。アウラはそれに合わせて踊り始めた。

 男達がまた喝采する。

 その頃にはアウラも確信できていた。彼女の踊りが彼らを喜ばせているのだ。男達が彼女を見ながら歓声を上げる。今までは男達にそんな風に見られるだけで胸の傷が疼いていたというのに、今は何だか気持ちいいぐらいだ。

 アウラはずっとこのまま踊っていたかった。

 もしエルミーラ王女を助け出すという責務がなければの話だが……



 それから一週間近くが過ぎ去った。

 ナーザとアウラは内心いらいらしながらもゆっくりとクレアス村に向かって移動していた。

 二人は河畔の宿に三泊して王女からのコンタクトを待ったのだが、結局そこでは何の情報も得ることはできなかった。昼間は二人で宿からかなり離れたところまで思いきり“不用意”に出歩いてみたりもしたのだが、普段なら大抵出てくる怪しい奴らさえ出てこなかった。

 三日目に二人は仕方なく、次の道中宿である“山の宿”に向かうことにした。

 その途中二人はやっと盗賊に襲われたのだが、彼らは王女のことは何も知らなかった。

 二人の落胆は激しかったのだが、そのときは彼女たちにもまだもう少しだけ心の余裕があったので、盗賊達は散々叩きのめされるだけで済んだ。

 次に着いた山の宿も彼女たちの噂でもちきりだった。ここでもアウラは何度も踊りを披露することになってかなりの小銭を稼ぐことはできたが、相変わらず王女の情報は手に入らなかった。

 二人はそこでもまた三日ほど同様にして過ごしたが、結局諦めて次の拠点であるクレアス村に行くことにしたのだ。

「本当にここが街道なのかしら」

 ナーザの声に棘がある。

 フランからハビタルに向かうこの街道はこのあたりではメインストリートのはずなのだが、その割には整備は全くなっていなかった。まあこの間通った間道よりはましとはいえ、荷馬車隊は相当な苦労を強いられるだろう。

「メイちゃんも言ってたわ。ベラの道はひどいって」

「ああ……そういえば彼女にゆっくり話を聞く余裕はなかったわねえ……」

 ナーザがエクシーレから帰ったその翌日に誘拐事件は起こったのだ。

 今から思えばフィンやメイは黒幕プリムスと実際に会って話もしてきたのだ。詳しく聞き出していればなにか役に立つ情報も知っていたかもしれない。

 だがフォレスにいる頃はもちろんそれが重要なこととは誰も思っていなかった。

《でもあの子だと馬車が汚れた話ばっかりしてたんじゃないかしら?》

 メイがベラから帰ってから王女のお茶会に参加して旅行のことをいろいろ話してくれたのだが、すごい馬車の話とすごい料理の話と、あとフィンが歓待を受けて一日腰が抜けていた話で盛り上がっていたのだが……

《もっとそこでいろいろ聞いておければ……》

 悔しさが腹の底からわき上がってくる。

 アウラは全力で駆け出したくなる気持ちを抑えつけた。

 ナーザが言ったことは分かっているつもりだ。あんまり急いで通り過ぎてしまっては、王女からコンタクトを取ろうとした場合に行き過ぎている可能性がある。だがそれが分かっていてもあえてゆっくり行くというのは辛かった。本当にこんなことをしていて王女を助けられるのだろうか?

 そしてついにアウラはナーザに尋ねた。

「ねえ、ドニカ……あたし思ったんだけど……」

 最近はなんだかこっちの名前で会話する方が自然になってきている。

「え? なに?」

「先にハビタルに行って、プリムスをやっつけちゃった方が良くない? そうしたらロムルース様も一緒に大きな捜索隊を出してくれるんじゃない?」

「そうねえ……」

 ナーザも少し考え込んだが、すぐにため息をついて首を振る。

「それも考えたんだけど……うまく行かなかったときがひどいわ」

「どうして?」

「だって私たちが行って、悪の親玉はプリムスですって言っても、ロムルース様は信じて下さるかしら?」

「……」

「私たち証拠といったらエルミーラ様のハンカチしか持ってないけど、これだけじゃあまり説得力がないわよね」

「……」

「もしプリムスが慌ててしっぽを出してくれたらいいでしょうけど、もしとぼけられたらどうしようもないし……」

「でもじゃあどうすれば?」

 それを聞いてナーザの方が黙りこくってしまった。アウラは更に畳みかけた。

「ねえ、ナーザ!」

 ナーザは鋭い目つきでアウラを睨んだ。ナーザがこんなに感情を表すのはなかなか見られない。アウラはそれに気圧されて口ごもった。

 それからしばらくしてナーザが怒りを押し殺すように言った。

「ともかくエルミーラ様ご本人をお連れするのが一番なのよ。どうせ途中通るんだから、エルミーラ様を捜しながら行った方がいいと思うの。それでもし見つからなかったときは、あなたの言ったとおりにするしかないわ」

「……」

 アウラは黙ってうなずいた。

 彼女だっていい考えがあるわけではない。ただ今の状況に耐えられないのだ。このままではおかしくなってしまいそうだ。

 そんな調子で二人が鬱々として馬を進めているときだった。

 がさがさっと音がして前後に柄の悪そうな男達が現れた。前と後ろ合わせて四人だ。

 ナーザとアウラは目配せをした。アウラはいつでも飛び出せるように心の準備をする。それからナーザがまたいつもの調子で男達に話しかける。

「あら、こんにちは」

「やあ、あんたたちどこまで行くんだ?」

 男の一人がいやらしい笑いを浮かべながら言った。

「取りあえずクレアスまで行きますわ。その後ハビタルに出ようかと」

「そんなとこ行かずに俺たちの所に遊びに来ねえか?」

 男達はげらげら笑った。

「それは遠慮させてもらいますわ。何だか帰れる保証がなさそうですし」

「ああ? 信用がねえなあ。いいじゃねえかよ」

「先を急ぎますので。ごきげんよう」

 ナーザは男達の横を通り過ぎようとした。だが男達は彼女の前に回り込んだ。

「そういうわけにはいかないよな」

 相変わらずだ。どうしてこう盗賊というのは行動がワンパターンなのだろうか。アウラはナーザからの合図を待ち望んでいた。すると盗賊の一人が言った。

「お前らいい度胸してるじゃん。こないだの奴なんか泣きわめいてたのに」

「そうそう。お前ら頭大丈夫か?」

 男達はまた笑い出した。

 だが今度はナーザの顔が変わった。もちろんアウラもだ。

「こないだの奴って? 女の子?」

 ナーザが鋭い口調で尋ねる。男達はそれにすこし気圧された。

「だったらどうだってんだ?」

 途端にナーザがアウラに合図を出すなり馬から飛び降りて、その男に襲いかかった。

 待ってましたとばかりにアウラも馬から飛び降りると、すぐ後ろの男を斬り倒す。

 続いて振り向きざま、残りの二人を瞬殺する。アウラは男達に剣に手をかける暇さえ与えなかった。

 その間にナーザは男の髪を掴んで喉元に懐剣をぴたりと当てている。

 男は起こったことが理解できてないようだ。

「な、なんだ? てめえ、何しやがった!」

「黙りなさい!」

 ナーザが男を一喝した。男はすくみ上がった。ナーザはアウラに目配せする。アウラがそれに応じて血塗られた薙刀を男に突きつける。残りの三人の男はもうぴくりとも動かない。

 男は地面にへたり込んだ。

 それを見てナーザが尋ねた。

「あなたさっき最近女の子を捕まえたって言ったわね?」

 それを聞いてその盗賊は涙目で答えた。

「つ、捕まえたが……助けてくれ! お願いだ!」

「名前は?」

「シ、シレンとか言ったが……わあ! 助けてくれよ!」

 それを聞いて二人は顔を見合わせた。

「シレン? シルエラじゃないの?」

 ナーザの声が震えている。シルエラならば王女が来る途中に使っていた偽名だ。

「ああ? そんな名前かも知れない……うわあ!」

 男はナーザから顔を逸らそうとして、アウラの顔を正面から見てしまったのだ。そのアウラのすさまじい形相を見て男はほとんど腰を抜かした。

「彼女はどこ?」

 アウラが男に尋ねる。その際に勢い余って薙刀の刃が男の頬を傷つけた。

「ひいいいい!」

 男は心底おびえたようだった。

「だめ! まだ殺してはだめよ」

 アウラは慌てて薙刀を引く。

 確かにここで殺してしまっては元も子もない―――それからナーザが男に尋ねる。

「で、彼女は今どこにいるの?」

「ア、アジトにいるよ!」

「無事なんでしょうね?」

 尋ねたナーザの言葉に対して男はがくがくうなずいた。

「あ、ああ。ボスに気に入られっちまって、俺達は触ることも……」

「気に入られた?」

「そ、そうだよ。だから毎晩……」

「何ですって?」

 それを聞いてアウラが叫んだ。途端に胸の古傷がずきっと疼いた。

 この男の言うことは本当なのか?―――だとしたら王女は毎晩盗賊の親玉風情に辱められているというのか?

 アウラの体が勝手に震え始めた。

 それは突きつけられた薙刀の先にも伝わり、男の喉から血の滴がしたたり落ちる。

「いいいいい」

 男の喉から声にならない声が漏れる。ナーザが慌ててアウラの手首を押さえて薙刀を引けと合図する。アウラは渋々それに従った。

 それを確認するとナーザはやにわに男の顔を思いっきり蹴飛ばした。

「ぐあぁ!」

 男は顔を押さえて地面にうずくまった。

「今言ったのは嘘じゃないわよね?」

「お、俺のせいじゃないよ!」

 男は口から血を垂らしながら答える。それからしばらくナーザもぶるぶると体を震わせていたが、それから冷たい声で言った。

「それじゃアジトまで案内してもらいましょうか?」

 ナーザがまたアウラに目配せすると、アウラはうなずいて男を薙刀で突っついた。

 男はそれ以上抵抗する気力はなかったようだ。二人はその男に盗賊団のアジトの近くまで案内させる。そこで男を手近な木に縛り付けると、更にアジトの構造や彼らの仲間のことを喋らせた。

 この盗賊団もこのあたりに巣くう小規模な盗賊団の一つだった。

 人数は全部で九名。そのうち三人は既にアウラによって葬られ、一名はここで木に縛り付けられている。そうすれば残りは五人だ。奇襲をかければ二人でも何とかなる人数だ。

 そのときにはもうあたりは暗くなっていた。だがそれはこちらには好都合だ。

 二人は男から情報を聞くだけ聞いた後、薙刀でぶん殴って気絶させた。

 続いてアジトの方を窺う。

「それじゃいい?」

 ナーザが小声でつぶやいた。アウラは黙ってうなずいたが、心の中は怒りで煮えくり返っていた。胸の傷がずきずき疼いた。この何ヶ月も感じたことがなかったのに……

《ミーラ! 絶対助けるからね!》

 アウラはそう思っては歯を食いしばった。


 二人は盗賊団のアジトにこっそりと近づいていった。

 あたりはもう真っ暗だが、アジトの中からは煌々と明かりが漏れている。男達がなにやら喋っている声も聞こえる。だが外に見張りはいないようだ。

「アウラ」

 ナーザがまた小声で言う。久々にその名で呼ばれたのでアウラは一瞬自分が呼ばれていることに気づかなかった。アウラが驚いて振り返る。するとナーザがアウラの頬を優しく撫でた。

「あなたの目、獣みたいよ」

「ええ?」

 その言葉は全く予想外だった。

「いい? 忘れちゃだめよ。私たちはエルミーラ様をお助けするためにここにいるのよ。こいつらを殺すことが目的じゃないのよ」

「は、はい……」

「王女様を助けて、ガルサ・ブランカに帰るんでしょ?」

 ナーザがそう言ったとき、なぜかアウラのまぶたにフィンの顔が浮かび上がってきた。ずきんと胸が疼く。だが傷の痛みではない。その途端に傷の痛みがすっと退いていく。

「分かってるわね?」

 アウラは黙ってうなずいた。

 そうだ。あのときとは違うのだ。王女を助ければ、またガルサ・ブランカに戻れる。そうしたらこんな事も終わりだ。

「じゃあ行くわよ!」

「はい!」

 それから二人はドアを蹴破った。

 入ってすぐの所には男が何人か座って酒を飲んでいた。

「な、なんだ?」

 男達はそれ以上何も言えなかった。次の瞬間には彼らは全員アウラに斬り捨てられていたからだ。

 同時にナーザが隣の部屋に突っ込んでいく。ナーザがそこの男達を始末している間に、アウラは二階につながる急なはしご段を駆け上がった。

 さっきの男からアジトの様子は聞いている。そこがボスの部屋だ!

 はしご段の上には扉があって今はぴったり閉じられている。だがまだ宵の口だというのに中からは女の喘ぎ声が聞こえてくる。アウラはどうしようもなく頭に血が上ってきた。

 この声がどういうときに発せられる声なのか、それが本気なのか嫌がっているのかそれとも芝居なのか、アウラはこれ以上ないというぐらいによく知っていたからだ。再び胸の傷がずきっと疼いた。

《許せない!》

 アウラは部屋の扉を蹴破った。

 奥のベッドの上で大きな男が背を向けている。男は裸だ。そしてその下には若い娘の手足が見え隠れしている。

 男はその音を聞いて振り向いた。

「なんだ? 入ってくるなと、貴様……」

 しかしボスはそれ以上は何も言えなかった。首がアウラの薙刀で跳ね飛ばされていたからだ。

 頭がごろんと床に落ちて、切り口から血がぶしゅっと噴き出す。男の体はそのまま前のめりに倒れる。下になっていた娘が血まみれになった。

「いやああああああ!」

 娘の絶叫がこだまする。

「ミーラ!」

 アウラはそう叫んで男の体を彼女から引きはがした。

 だが……

 その娘の顔をまじまじと見つめる。あまりのショックに気を失っている。

 だが―――これはどう見ても王女ではない!

 アウラの目の前が真っ白になった。彼女は呆然としてそこに立ちつくす。

 そのとき下からナーザが上がってきた。

「王女様は?」

 アウラは振り返ってベッドに横たわる娘を示した。それを見てナーザも人違いに気づいたようだ。

「まあ!」

 二人はしばらくそうして裸で血にまみれて気を失っている見知らぬ娘を見つめていた。

「ど、どうしよう……」

 そういうアウラの言葉にナーザもやっと我に返ったようだ。

「どうしようって……残して行くわけにはいかないでしょう?」

 二人は仕方なくその娘を下に運び下ろした。だがアジト内はどこもかしこも盗賊の死体だらけだ。二人は唯一死体がない台所に娘を運び込んだ。

 そこでナーザが濡れタオルで彼女の返り血を拭き清めてから服を着せてやる。

 その最中に娘が目を覚ました。まだ目の焦点が合っていない。

「気づいた?」

「え? あの……あなた方は?」

 娘はまるで夢を見ているようだ。それを見てナーザが微笑んだ。

「私はドニカ。この子がディーネ。助けに来たの」

 娘はおびえたように二人を見つめる。それから彼女の視線がドアの向こうに行ったとき、娘はまた叫び声をあげた。そこからは男の首なし死体が見える。

「大丈夫。もうみんなやっつけたから」

 そういってアウラがなだめたが、もちろんそういう問題ではない。

 ナーザが慌てて台所の扉を閉めて死体を見えなくする。

 それからアウラがその間に台所にあった食材で簡単な食事を作って食べさせると、娘はやっと落ち着いた。

 そこでナーザが彼女に尋ねた。

「こいつらに捕まっていたの?」

「ええ……」

 娘は力無くうなずいた。

「あなた、名前は?」

「シレンといいます……」

 ナーザとアウラは顔を見合わせた。紛らわしい名前をして! と怒り出すわけにもいかない。

 二人はため息をついた。その様子を見てシレンがおずおずと尋ねた。

「あの、すみません。あなた方は?」

 声が震えている。無理もない。

 目の前にいるのは屈強な盗賊達をたった二人でやっつけてしまえる者達なのだ。下手をすると盗賊よりもっと恐ろしい相手なのでは?―――と彼女は思っているのではないだろうか?

 それを感じてナーザが答えた。

「ああ、私たち賞金稼ぎなの。ちょっとこちらの方に人捜しに来たの。そしたら似た名前の子が盗賊に捕まってるって聞いてやってきたのよ」

 その言葉を聞いたシレンは納得したようにうなずいた。

「そうだったんですか。本当は誰をお捜しなんですか?」

「シルエラって娘なんだけど、あなた知らない?」

 シレンは黙って首を振る。まあ当然のことだ。ナーザもアウラもそれは期待していなかった。

 それからまだおびえているシレンにナーザが尋ねた。

「あなた、住んでいるのは?」

「え? あの、クレアスです」

「どこに行く所だったの?」

「え? あの、フランです」

「フランまで一人で?」

「ええ……」

 そう言ってシレンはうつむいた。

「でもこのあたりは危ないんでしょ? どうしてまた一人で?」

 ナーザの問いにシレンは真剣な表情で答えた。

「布の買い付けに行かなければならなかったんです。最初は定期便と一緒に行くはずだったんです。でもちょっと出立が遅れてしまって、後から追いかけたんです。すぐに追いつけると思ったんですけど……そうしたら追いつく前にあいつらが現れて……」

 そう言ってまたシレンは下を向いた。

 ちょっとしたミス、ちょっとした気のゆるみ―――アウラもナーザも彼女を責めることはできなかった。それからナーザが尋ねる。

「いつもあなたが布を買い付けに行ってるの?」

「いえ、いつもだったら父が行くんですが……戦争に行ってて……だから……」

 それを聞いてアウラは彼女が可哀想になった。それはナーザも同様だ。彼女は優しくシレンに言った。

「そうなの。でも今度の戦争はそんなに長続きはしないと思うわ。もう少ししたらお父様はお帰りになるわよ」

 それを聞いてシレンが明るい表情になる。

「本当ですか?」

「多分本当よ。最初からそれが分かってれば良かったんでしょうけど……」

 だが娘は首を振った。

「それでも行きました。布が必要だったんです……どうしても必要だったんです」

「布が必要って、あなたの家のお仕事は?」

「仕立屋です」

「ああ、そうなの。私もフランの絹でできたドレスを持ってるわ。とても着心地がいいわよね。それに彼女もいいスカーフを持ってるのよ」

 そういってナーザがアウラを指さした。それを聞いて娘にも笑顔が戻る。

「はい。やはり高級品はあそこの布地でないと」

「もう一杯お茶いる?」

 シレンのカップが空になっているのを見てアウラが言った。

「ありがとうございます」

 アウラが彼女のカップにお茶をついでやっている間にまたナーザが尋ねた。

「でも、どうしてそんなに急に布が必要になったの? ストックはなかったの?」

「あの、それが、村の雑貨屋さんが襲われて、何でか知らないけど、女物の服がたくさん奪われてしまったんです。それでうちに注文が来たんですが、そんな数を作るだけの在庫がなくって……でも全部納めないと別なところに注文するって言うんです。だから……」

 そう言ってシレンはまたうつむいた。

「まあ……大変ね……」

 と、そこでナーザが目を見開いた。

「って、今、女物の服って言った?」

「え? はい……」

 ナーザの口調に驚いてアウラは振り返った。彼女の目が今までになく真剣だ。いったいどうして?

「どうしてそいつらはそんな物を盗んでいったの? よく来るの?」

「ええ? あんなこと初めてです。服なんかよりもっと値打ちのある物はたくさんあったのに。みんな女装趣味の盗賊なのかって笑ってたんですけど……」

 シレンは笑うが、ナーザとアウラは笑わなかった。それで彼女はばつが悪そうに下を向いて黙ってしまう。

 そのときにはアウラもなぜナーザが驚いたか想像が付いていた。

 盗っていくのであれば現金が一番いいに決まっている。確かにフラン織りの服ならかなりの価値はあるが、換金するのに手間がかかる上足が付きやすい。それにそれならどうして女物の服だけなのだ? わざわざ区別する必要はないはずだ。

 これが何を意味しているかというと―――そう! その盗賊の所に女がいるのだ!

「これって……」

「ええ」

 ナーザがうなずく。そしてシレンに尋ねた。

「取られたのは服だけだったの? 他には?」

「ええ? そう言えば……置いてあった本も一緒に持ってかれたとか……」

「本?」

 ナーザとアウラが同時にそう言って二人でシレンににじり寄った。シレンは怯えて身をすくませながら言った。

「は、はい。そうです」

 アウラがナーザの顔を見る。ナーザも驚いたような表情を浮かべているが―――やがてこくんとうなずいた。

 途端にアウラがシレンを抱きしめる。

「きゃああ!」

 驚いてシレンが叫び声をあげる。だがアウラは彼女を抱きしめたまま離さない。さらに彼女はそのまま大混乱のシレンの背中をばんばん叩く。

「ありがとう! シレン!」

 そう言ってアウラはシレンの頬にキスをした。

 シレンはこんな愛情表現には慣れていなかったのだろう。もう完全にパニック状態だ。それを見てやっとナーザが我に返って、アウラをシレンから引きはがした。

「まあ、大変。ごめんなさいね。大丈夫?」

 アウラは踊り出したい気分だった。王女の手がかりが掴めたのだ。盗賊が本などを読みたがるわけがない。その盗賊の所に王女はいるのだ!

 そうと分かれば一刻も早くクレアスに行きたい。だが外はもうかなり遅い時間だ。ここからだと宿もクレアスも遠すぎる。だが死体だらけのこのアジトで夜明かしするのも嫌だ。三人は近くにある街道沿いの避難小屋に行くことにした。

 二人はシレンを急かせるとすぐにアジトを出た。

 三人が避難小屋に着いたときには既に深夜だった。彼女たちは当然そこは無人だと思っていた。だが着いてみると先客がいるようだ。しかもこんな時間なのにまだ明かりがついて話し声が聞こえる。

 三人が入っていくと、中にいた旅人が驚いたように振り返った。

「どうしたんです? こんな時間に?」

「ええ? ちょっと盗賊に襲われて逃げ回ってたの。何とかやり過ごせたんだけど」

 確かに彼女たちの格好はそう見えないこともない。旅人は心底驚いた風で慌てて中央の炉のそばを開けた。

「それは大変な、女ばっかりでよく逃げられましたね」

「まあ、逃げ足だけは自信がありますから」

 そんな出任せを言っているナーザをシレンが驚いたように見つめている。

 アウラが彼女にささやいた。

「ごめん。あれ秘密にしといて」

 シレンはうなずくと黙って炉のそばに座った。

 旅人達はナーザの言ったことを全然疑ってないようだった。彼らは彼女たちに温かいお茶を入れてくれた。一通り落ち着いたところでナーザが尋ねた。

「それにしても皆さんはこんな遅くまでいつも起きてらっしゃるんですか?」

 それを聞いた旅人の一人が言った。

「そんなこたないです。でもちょっとみんな頭を抱えてたんですよ」

「何か問題でも?」

「ご存じないですか? お館様が今度はフォレスを攻めるって言うんですから」

 ………………

 …………

 ……

 フォレスを―――攻める⁈

「な、何ですって? いったいどうして?」

 そう叫んでナーザがその男に詰めよる。男はその剣幕に慌てぎみに答えた。

「よく分かりませんよ。あたしには……息子が行ってるんですよ。エクシーレから帰ってきたって言うから、こうして急いで戻ってたっていうのに」

 そう答えて旅人はため息をついた。

 するとそれまでずっと黙っていた別な旅人が口を挟んできた。

「何でも、今回の事件はフォレスの陰謀だって話だぜ」

「ええ? どういうことです?」

 ナーザが振り返って尋ねる。

「俺が聞いた話じゃ、フォレスのアイザック様が、悪い奴にたぶらかされてるんだってさ」

「悪い奴?」

 ナーザとアウラは顔を見合わせる。王宮にそんな奴がいただろうか?

「えーと、なんだったけ、そうそう。確かル・ウーダとか言ってたな」

 ………………

 …………

 ……

「は?」

 ナーザはぽかんとして男の顔を見つめたが―――次の瞬間、横からでアウラが飛び上がって、いきなり男の襟首を掴んで引きずり倒した

「今、なんて言った?」

「うわあああ!」

「ちょっと! ディーネ!」

 ナーザが慌ててアウラを引き離す。

「な、何だよ! お前は!」

 男はアウラを睨んだが、彼女はもう完全に野獣と化している。

 ナーザはアウラを無理矢理シレンの横に座らせると、苦笑いを浮かべながら男に尋ねた。

「ごめんなさい。でもちょっと詳しい話を聞かせて頂けません?」

 ナーザの笑みに、男は少し怒りを収めたようだった。

「ったく! 俺に言われたってお門違いだろ。ともかくそのル・ウーダって奴にアイザック様が騙されているからってんで、お館様がその悪人を処刑しろって手紙を出したそうだ。でもそれをアイザック様が拒否されたってんで、お館様がフォレスに攻め込んだんだそうだ」

 それを聞いてアウラがまた男に飛びかかりそうになるが……

「フィンはそんなこと……」

 アウラがそう言いかけた所で、ナーザはアウラの口を押さえて、厳しい声で言った。

「落ち着きなさい! 彼のわけないでしょ?」

「え? でも……」

「とにかく黙ってなさい!」

 アウラはうつむいた。

 それからナーザは旅人の方に振り返ると尋ねた。

「ごめんなさい。それって確かな情報なんですか?」

「確かも何も、ハビタルじゃその話でもちきりだぜ。それにフォレスへの街道を軍隊が通ってくのを俺はこの目で見たし」

 ナーザは口を押さえて驚きを隠す。

「出陣なされたのはいつかご存じですか?」

「えーと……俺が出る前の日だから、四日ぐらい前かな」

 ナーザはアウラの顔を見る。アウラもこれがどういう状況かは理解できた。

 顔を見合わせている二人に旅人が不思議そうに尋ねた。

「そいつ、そのル・ウーダとかと知り合いなのか?」

 それを聞いてナーザが慌ててごまかした。

「ごめんなさいね。彼女早とちりなのよ。彼女ね、昔いい夢を見たことがあるの。その相手の名字がル・ウーダだったのよ。ほらル・ウーダなんて、都に行けばいくらでもいるでしょ? さっさと忘れろって言ってるのに。都の貴族様が私たちなんかを本気で相手してくれるわけないでしょ?」

 聞いた男は少し同情したようだ。

「なんだ……そうだったのか。まあ、貴族なんて高望みしないでさ、いい男は他にもいっぱいいるんだぜ。あんたかわいいし。俺なんかどうだ?」

 旅人はにやっと笑ってアウラにウインクする。

「え? け、結構です」

「ちぇ!」

 その場は何とか取り繕ったものの、今度は頭を抱えるのはナーザとアウラの方だった。

 事は急を要するようになってきた。下手をすると帰る場所がなくなってしまうかもしれないのだ。だとすると大急ぎで戻ってロムルースに現状を伝えるのが最善なのではないだろうか? そこでプリムスが開き直ったら暴れてでも事を収めるということで……

 だがクレアス付近にいる盗賊はかなり怪しそうだった。盗賊達は王女に着せるためにその服を強奪した可能性が非常に高い。本を持っていったというのもうなずける。

 だが世の中に絶対ということはあり得ない。もしそこに行ってまたハズレだったら、とんでもない時間のロスになってしまうのだが……

「どうする? ドニカ」

 アウラに問われてナーザは考え込んだ。それから顔を上げると言った。

「クレアスに行きましょう。フォレスがそう簡単に落ちることはないわ。クレアスの盗賊の所にエルミーラ様がいなかったら、仕方ないから即座に引き返します」

 アウラはうなずいた。

「とにかく今日は寝ましょう。明日は早いわよ」

「はい」

 そのとき二人はまだエクシーレまでが動き出したということは知らなかった。それを知っていたらナーザは確実に引き返す道を選んだだろう。

 ある意味それは幸運だった。