プロローグ 怪しい旅人

プロローグ 怪しい旅人


 トレンテ村の宿屋の前に置かれたベンチの上で、まだあどけない少年が小さなおもちゃの木馬で遊んでいる。その横ではもう老境に達した宿屋の主人が、目を閉じて膝に載せた黒猫を撫でていた。

 初夏の強い日差しが目前の街道を照りつけている。座しているだけでも汗ばんでくるような陽気だ。

 それだけに、ときおり山から吹き下ろしてくる風が心地よい。

 仕事が一段落してぽっかりと空いてしまった午後の一時。

 何ということもない田舎の村の平穏な光景だった。

 そのとき少年がふっと遠くを指さした。

「ねえ、じいちゃん」

 その言葉に釣られて老人が目を開く。

 見ると村はずれの街道の曲がり口に、馬に乗った二人の旅人が現れた所だった。

 この街道はアイフィロス王国と自由都市グラテスを結ぶメイン街道だから、旅人が来ること自体は別段不思議でも何でもない。

 だが老人はその姿を見てちょっと目を潜め、その二人連れをじっと観察し始めた。

 やって来た二人はお揃いの薄いグレーのマントをまとった夫婦連れのようだった。

 見たところ二人ともかなり若い。二十歳をちょっと過ぎたあたりか。

 それだけなら珍しくもないが、彼らが少し普通の夫婦と違っていたのは、女の方が長い刀のようなものを背中に担いでいることだった。

 更に彼らが近づいて来るに連れて、二人の着ているマントが相当な高級品だということも明らかになってきた。

 やがて二人は宿屋の前までやって来ると馬の歩みを止める。

 夫らしき男がさっと馬から降りて妻とおぼしき女性に手を差し伸べると、その手を取った女性が見事に優雅な身のこなしで馬から滑り降りた。

 老人は長年の経験から、これは上客だと確信した。

 横の少年も二人の仕草を目を丸くして見つめている。

 主人はそれに気づいて少年を突っついた。

「おら、ぼけっとしてないで、飲み物を準備するように言っておいで」

 少年は弾かれたように立ち上がって、店の奥に駆け込んでいく。それを見送ると主人は膝の黒猫を脇にのけると、立ち上がって挨拶した。

「やあ、いらっしゃいまし。旦那様方はどちらまで?」

 すると若い男の方が軽く会釈してから答えた。

「ああ。グラテスにね」

「今日はお泊まりですか?」

「いや、ちょっとばかり急ぎなんだ。今日中にもう一駅は行きたいんで、休ませてもらうだけにするよ」

「そうですか。それじゃ仕方ありませんね」

 主人は少し残念そうだった。

 街道の旅人は多くても、こういった上客はなかなかいるものではない。

「それにしても暑いね」

「全くです。まだ五月だってのに」

「冷たい物は何かあるかい?」

「ございますよ。さあどうぞ」

 こういった“高貴なお方”は、たとえ泊まってもらえなくとも上手にもてなせば多額のチップを期待できる。

 だがもちろん怒らせたりしたらその逆になったりもする。主人は粗相がないようにと緊張しながら二人を食堂の上席に導いた。

 そのせいで宿屋の主人はこの二人連れが、何故か妙にそわそわしているのに気づいていなかったのだが……

 もちろんこの二人連れというのはフィンとアウラだ。

 彼らがまたなぜこんなところを旅していたのかというと……

 ―――それには次のような訳があった。