賞金稼ぎは楽じゃない 第4章 アジト襲撃

第4章 アジト襲撃


 フィンの足下はすとんと切り落とされたような絶壁になっていた。

「おおぅ。こりゃ凄い眺めだ……」

 遥か下の方からは何段もの小滝になって流れて下っていく激流の音が響き上がって来る。

 対岸は更に高い絶壁だ。所々にテラス状の岩の突き出しはあるが、上の方は大部分がオーバーハングになっている。

 普通の神経をした者なら間違いなくこんな所を渡って行こうと思わないだろう。

 しかもその上に連なっている岩尾根は鋸のようにギザギザになっている。どこか上流に谷を渡れる場所があったとしても、そこから尾根づたいにやってくることもほぼ不可能だ。

「あはは。確かにこれじゃこっちは無理って思うよな」

 素晴らしい光景を見ながらフィンがつぶやいた。

 横でそれを聞いていたデプレスという男が不安そうに言った。

「おい。本当に大丈夫なのかよ?」

 デプレスはフィンの横から怖々と下を見下ろしている。

 彼はバルコの仲間で、彼らの中では最も身が軽かったためフィンとアウラに同行することになったのだ。

 身軽さという点では彼もそれなりに自信があったらしく、計画の時点では自信満々だったのたが―――いざ目の前の光景を見ると相当に肝を冷やしたようだった。

 だがフィンの反対側で同じように下を見下ろしていたアウラは呑気だった。

 彼女はこれから飛び移ろうとしている岩棚を指して言った。

「あんな所に百合の花が咲いてる」

「ああ。そうだな」

 フィンもそれに呑気に答える。

 その会話を聞いてデプレスが怯えたように二人の顔を見るが―――まあ経験がなければ仕方がない。

 その岩棚は絶壁の途中に申し訳程度に出っ張っているところだ。三人立ったら一杯になるのは間違いない。ジャンプに失敗したらその下の川まで真っ逆さまなのだが……

 しかしアウラの方はもうこういうことに完全に慣れきっていた。

 いつぞやガルサ・ブランカ城の塔の上で初デートして以来、アウラはフィンとの空中散歩に味を占めていたのだ。

 あれ以来二人は何度となく塔の上でデートしていたし、この旅に出てからも機会があればそういったジャンプを楽しんでいたのだ。今ではそんな場所があるとアウラの方からせがんでくる始末だ。

 例えばベラからアイフィロスに向かうフィブラ峠は、二人がフォレスに来た際に越えたパロマ峠以上の難所だった。おかげで飛び降りる場所には事欠かなかったのだが、今回は盗賊から逃げていたわけではない。そのため乗っている馬を一旦下ろしてからわざわざ崖を登り直して再び飛び降りたりして楽しんでいたのだ。

 それだけ遊んでいれば前より色々上達してくる。

 以前なら飛び降りる先にはかなり広い平地が必要だったのだが、今ではかなりの距離があっても狙った所にほぼピンポイントで降りられるようになっていた。

 そんな調子だったので、二人にとっては目の前の谷川などほんの一っ飛びでしかなかった。

「まあそれじゃまずアウラをあそこのテラスまで運ぶから見ててくれよ」

 フィンはデプレスに向かって言った。彼は黙ってうなずいた。

「じゃ」

 フィンはアウラに向かって目配せする。アウラはすぐにフィンの背中に飛び乗ってきた。フィンはアウラの感触を背中に感じながら思った。

 そうなのだ。今ではもうごく当たり前の行為なのだが、かつてはこれが別な意味で“命がけ”だったのだ……

《隔世の感っていうのはこういうことなんだろうなあ……あはは》

 そんな感慨に少々耽ってから、フィンは少し助走してジャンプする。

 二人はそのままふわっと谷を飛び越えてぴったりと対岸のテラスに着地した。

 次いでフィンはアウラを下ろすと今度は一人で元の所に戻る。

 デプレスは無言でフィンを迎えた。今まで何度も練習はしてきたのだが、本番ともなると相当に緊張しているようだ。

「簡単だろ? じゃあいくよ」

 デプレスはおっかなびっくりといった様子でフィンに負ぶさった。

 彼はこういった行動に向くだけあって賞金稼ぎの中では最も小柄だったのだが、それでもフィンよりも横幅がある。そのため彼を負ぶった瞬間に少しよろめいてしまったので、デプレスは驚いて声を上げた。

「おい! おい!」

「悪い。アウラばっかり負ぶってたんでな。まあ気にするな。いくぜ」

 そしてデプレスに有無を言わさずフィンはジャンプした。

「わあああああああ」

 デプレスが大声を上げる。

「静かに!」

「す、すまん」

 ここはアジトの反対側だからそうは声は聞こえないはずだが―――それでも騒がないに越したことはない。

 フィンがアウラの待っているテラスに飛び移ってデプレスを下ろすと、彼は大きく息をつくとがっくりしゃがみ込んだ。

「おい、大丈夫か?」

「ああ、まあな」

 そう言って彼は何度も深呼吸した。

 それから立ち上がると頭を何度も振って、何とか平静に戻る。それから上を見て言った。

「それでこれからどうするんだ?」

 フィンは岸壁の斜め上の方を指さした。

「ほら、所々岩が出っ張ってるところがあるだろ? そういった所を伝って上に上がる。あの岩の向こうが見張り台になってるはずだ。行けそうだろ?」

 デプレスは言われた方を見る。絶壁はほとんど垂直だが、確かに所々乗れそうな出っ張りは存在している。

 だが出っ張りと出っ張りの間は下手をすると十メートルはあるだろう。普通ならあり得ない話だ―――だが彼は今、この幅が二十メートルもあるかという峡谷をあっさりと飛び越してきた後なのだ。

 デプレスは黙ってうなずいた。

「じゃまたアウラから行くよ」

 フィンは再びアウラを背負うと、斜め上にある岩の出っ張りに飛び移った。

 そこでアウラを下ろして元の所に戻り、今度はデプレスを連れて行く。

 デプレスだけは毎回緊張していたが、こういったことはフィンとアウラにとってはもう鼻歌交じりの行為だった。

 そんな調子でジャンプを何度か繰り返すと、三人は頂の直下の岩棚に到達した。

 そこでフィンは二人に静かにしていろと合図をしてから、岩陰からこっそりと頭を出した。そこからは尾根の“見張り台”がよく見える。

 見張り台といっても別に建物があるわけではなく、岩尾根の突端の上が平たくなっている大きな岩の上だ。そこで盗賊の手下が一人岩にぼうっと座っているのが見えた。

「いたぞ」

 フィンは小声で二人に言った。

 このアジトを攻略する際にはこの見張り台がキーポイントだ。

 ここからアジトに至る道がよく監視できるため、昼間こっそりと侵入することは難しい。しかも今見てきたような理由で、アジトの反対側からここに近づくのはほぼ不可能だ。

 このアジトが難攻不落を誇っているのはこの見張り台があるからだと言っても過言ではない。

 それ故に、ここをどうにかして潰せれば、白昼堂々と正面から奇襲ができるというわけだ。

 フィンはアウラに合図した。

 アウラは軽くうなずいてすっと薙刀を抜くと、そのままフィンの両肩の上にしゃがみ込んだ。もちろん彼女には軽身の魔法をかけているので重くはない。だが彼女が飛び出すときにはそれなりの衝撃が来る。

 フィンは近くの岩をしっかり掴んで体を固定した。

「いいぞ」

 フィンはアウラにささやいた。

 アウラは小さくうなずくとフィンの両肩を蹴って飛び上がった。そしてそのまますうっと宙を飛んで見張りに近づいていく―――もちろん背後から宙を飛んでくる敵だ。相手は全く気づかない。そして間合いに入った瞬間……


 ゲシッ!


 首筋に峰打ちを叩き込まれた見張りは、声も上げずに気絶した。

 同時にアウラがふわっと着地する。

 見ていたデプレスが嘆息した。いつもながら見事なものだ。

 ―――これも旅の途中に二人で編み出した小技だった。

 軽身の魔法はフィンから少しぐらい離れていても効果がある。

 そこで二人で川遊びをしていたとき、フィンがアウラを面白がって放り投げてやったのだ。

 アウラは最初のうちこそじたばたしていたのだが、すぐに空中でバランスをとることを覚えてしまったのだ。

《こういう運動神経ってすごいんだよなあ、こいつ……》

 おかげで今ではちょっとした段差なら、先にアウラがこうして飛び上がってから、後からフィンが一人で上がるようなこともできるようになっていた。

 川に飛びこむような場合だったらもはや、空中で一回転してから飛びこむようなことも自由自在だ。

 もちろんさすがにさっきの絶壁を渡る際は失敗したら大変なので昔ながらのやり方を使ったのだが……

 そんなアウラをデプレスは目を丸くして眺めるばかりだった。



 見張り台の上は絶景だった。

 三方向に遮るものとてなく、下方にはさっきの谷よりもっと深い峡谷が流れ落ちている。谷の対岸をみると、アジトに通じる道が斜面にへばりつくように続いているのがよく見えた。

「これじゃやって来たら丸見えだな」

 デプレスがつぶやく。フィンも同感だった。

「ああ。あんな所通って来たりしたら、そりゃ返り討ちにあうよなあ」

 本当ならこの景色のいいところで一休みしたい所だが、さすがに今はそうもいかない。

 フィンは懐から白いハンカチを取り出すと、下流の森に向かって振った。あそこに仲間が隠れているはずだ。しばらくすると森から討伐隊の本隊が出て来るのが見えた。

「よし。来たぞ。じゃあ続きだ」

 フィンは尾根のアジト側の方に向かった。

 その先もまた絶壁になっているが―――フィンはこっそり顔を出して下を覗いた。

 絶壁の斜め下に跳ね橋が見える。真下には見張り小屋の屋根があって、そこから百メートルぐらい離れた先にアジトの屋根が見えた。

 外には誰も出ていない。

 だが、下の見張り小屋には何人かの手下がいるのは間違いない。

「じゃあ行くか」

 デプレスが下りの梯子を下りようとしたが、フィンはそれを押しとどめる。

「おい。待てよ。そんなもんじゃ降りないよ」

「え?」

 デプレスは一瞬戸惑った表情をしたが、すぐフィンの言いたいことを理解したようだ。

 それから彼は崖の下の方を覗き込む。相当な高さだ。登るときは上だけ見ていたらいいからそれ程怖くはないだろうが今度は……

 だが彼は黙ってその恐怖を克服した。

 いきなりだとビビって動けなくなる奴も多いのだが、こいつは結構肝が座っているらしい。

「じゃあ」

 三人は絶壁の上でフィンを中心に肩を組んだ形になった。

「いくぞ」

 二人がうなずくと―――フィンは岸壁から飛び降りた。

 横でデプレスが悲鳴を上げないように必死に堪えている。

 反対ではアウラが歓声を上げないように堪えている。

 おかしかったが笑ってはいられない。

 三人がすとんと見張り小屋の前に着地すると、小屋の前では盗賊の手下が二人ベンチに座ってカードをしていた。

「やあ」

 フィンがにやにや笑いながら挨拶する。

 二人の手下はいきなり現れた見知らぬ客を見て肝を潰した。それから一人が驚いた声を上げたが……

「な、なんだ? お前ら……」

 彼はそれ以上言えなかった。

 そのときにはもうアウラとデプレスが二人の首を刎ねてしまった後だからだ。

 次いで二人は見張り小屋に突入した。

 中にはもう二人手下がいたが、彼らも一言も発する余裕もなく倒されてしまった。

 その間にフィンは跳ね橋のたもとの巻き上げ装置の所に走る。

「うわ、こりゃごついな」

 装置を見てフィンは思わずつぶやいた。

 跳ね橋は重いので数名がかりで操作する。そのためデプレスも連れてきたのだが―――三人でも動かせるだろうか?

 フィンはとりあえず滑車のロックをはずそうとしたが、それ自体ががっちりと止まっていて簡単には動かせそうもない。多分数名で滑車を逆に回して緩んだ所を抜き取るのだろうが……

 そうこうしているうちに敵を倒したアウラとデプレスがやってきた。

「どうだ?」

 デプレスが尋ねる。フィンは滑車を指して言った。

「こりゃ回すのは大変だ」

 デプレスは装置を見てフィンと同じ感想を抱いたようだ。

「じゃあどうする?」

「縄を叩っ切るしかないな」

 デプレスは装置を眺めた。確かに跳ね橋を引き上げている縄を切れば橋は落ちるが……

「壊れたりしないか?」

 確かに普通なら橋が落ちた時かなりの衝撃がありそうだ。下手をすると壊れてしまうかもしれない。

「じゃあまた魔法で軽くしておこう」

 デプレスの目がまた丸くなる。

「なるほど。便利だな」

「まあな」

 フィンは彼に笑いかけて、それからアウラに指示した。

「あっち見張っててくれ」

「うん」

 今の騒ぎはまだ気づかれてないはずだが、用心するに越したことはない。

 彼女がアジトからの道を見張る位置についたのを見届けると、フィンは跳ね橋に近づいてまた魔法をかける。

「さあ、今だ」

 それを聞いてデプレスが橋を吊っていた二本の縄を切った。

 縄が切れた途端に橋がゆっくりと落ち始めた。

 普通に倒したときよりはずっとゆっくりだったが―――それでも落ちた時にはかなりの轟音が上がった。

 振り返るとアウラが手を振っている。あれは誰かが来るというサインだ。

「見つかったみたいだ」

 デプレスの目が鋭くなる。

「聞かれたのかよ?」

「仕方ないだろ?」

 二人がアウラの側まで行くと、アジトから誰かが走り出してくるのが見えた。

 だが橋の向こう側には賞金稼ぎ達の姿も現れている。

「さて、どっちが速いかな」

 この調子だとちょうどこのあたりで両者が出会うことになりそうだが―――本当の乱戦になったらフィンはもう用済みだ。

 彼は剣の腕はからきしなので、そんな状況になったら足手まといにしかならない。それに彼らは今まで見張りを含めて五人を倒している。もう敵の数の方が少ないはずだ。だったら後は彼らに任せておいていいだろう……

 そこでフィンはアウラに言った。

「後は先生達に任せようか」

「うん」

 アウラはあっさりとうなずいた。

 ―――このあたりの所もこの旅に出てから知ったアウラの側面の一つだ。

 彼女が喧嘩っ早いのは相変わらずなのだが、決して血を好んでいるわけではなかった。

 今まで彼女は色々な所で乱暴を働いてきたが、それも全ては相手から仕掛けられたためだ―――まあ、ちょっとお釣りが多すぎたのは事実だが……

 そんな彼女が自分から戦いを仕掛けるというのは、任務の場合を除けば、もうあのプリムスと再会したときのような場合以外ないのだ。

 なので今回も彼女は率先して盗賊達を斬りまくろうとはしなかった。それにそんなことをすると別な意味で問題が生じてしまうわけで……

「じゃあ俺、上の金貨三枚を回収してくるから、後は頼むぜ」

 フィンはデプレスに言った。

「ええ? ああ」

 デプレスはうなずいた。

 続いてフィンは見張り小屋の横の小道から再び見張り台に向かう。

 ちょっと登った所で、下方を賞金稼ぎ達が突っ走っていくのが見えた。

 フィンはバルコとロゲロに手を振った。二人も親指を上げて答える。それを確認してからフィンは小道を上がっていった。

 一応は道といっても、ほとんど岩登り状態だ。

 どうしようもない所にははしごやロープがかかっているが―――こうなれば跳んだ方が良さそうだ。フィンは自分に魔法をかけて、飛び跳ねながら再び見張り台に登りついた。

 そこではさっきの見張りがまだ伸びている。息はあるようだが目を覚ます気配もない。

 フィンはそいつをひっ掴むと、そのまま肩に担いで崖から飛び降りた。

 着地すると下にはアウラが待っていた。

「そいつ入れて金貨九枚分ね」

「ああ。これだけでも大体元は取れてるな」

 別な問題とはこれのことだった。

 この討伐の本当の目的は盗賊の溜め込んだ財宝の方だった。だから喧嘩にならないようにそちらは山分けすることになっていたのだが、賞金首の方は狩った者取りということになっていたのだ。

《少しくらいは競争要素がないと身が入らないだろうしな……》

 だからといって独り占めしてしまったら、それはそれで角が立つ。

 何しろアウラが本気で暴れたらザコの四~五人など一瞬なのだ。だがこのあたりは適度に相手に譲っておいた方が後々トラブルになりにくいはずだ。元々彼らは金貨十枚ほど稼げればそれで良かったのだから……

 フィンは見張り小屋からロープを探し出してくると、盗賊が目を覚ましても逃げられないよう手足を縛り上げた。

 それが終わるとフィンはアウラに言った。

「それじゃあっちの方でも見に行くか?」

「うん」

 アジトの方からは盗賊と賞金稼ぎの戦う音が聞こえてくる。

 だがフィンは全然心配していなかった。なにしろ奇襲は完全に成功だ。人数的にそこまでの差があるわけではないが、準備万端の手練れ達と不意をつかれた盗賊達だ。一気に蹴散らしてしまえるのは間違いない。

 最初彼らにこの計画を説明したときは一同半信半疑だった。

 何しろ魔法使いとの共同作戦などを行ったことのある奴がそうそういるはずがない。

 それにその辺の国に実際に存在する魔道軍は、こんな戦い方などしないのが普通である。そういうところでは壁役兵士に守られながら大魔法をぶっ放していくスタイルが今だに基本なのだ。

 すなわちこんな作戦が可能だということ自体、大抵の者は思いも及ばないのである。

 フィンだってあの戦いに巻き込まれて、しかも本人の首がかかっていたような状況だったからこそ、何とかあんな作戦を思いつけたのだから……

 というわけで、あんな険しい岩尾根を越えて侵入されるなどとは基本的には考えられず、盗賊達もアジトがこんな直接的な襲撃を受けるとは考えていなかったに違いない……

「さて、そろそろ片づいたか?」

 そんなことを考えながらアジトの前までやってくると……

 そこはちょっとした広場になっていて、地面に何人も人が倒れている。

 だがまだ戦いは終わっていない。広場の二ヶ所で賞金稼ぎと盗賊が対峙しているが―――片方が追いつめられているといった様子でもない。

「結構粘るな?」

 フィンはつぶやいた。

 敵の人数が予想以上に多かったのだろうか?―――と、そのときだ。

「ねえ、あれってみんな味方じゃない?」

 アウラが言った。

「ええ?」

 フィンは倒れている男達をよく観察した。制服を着ているわけではないから、敵も味方も区別が付きにくいが―――あ? 確かにあの手前で倒れてる奴は、確かモルツァって奴じゃ? バルコの仲間の……

「えええ?」

 フィンは少し慌てて戦っている奴らをもう一度よく観察した。

 味方は―――六人? 敵も同じくらいいるし……

《ええ? これって苦戦っていうんじゃないのか?》

 広場の手前と向こうの方で二つのグループに分かれて戦闘が起こっている。

 手前にはバルコとデプレス、それにテルマンという男だ。

 向こうにはロゲロと他二名、顔はよく分からないが……

 バルコ達は二刀流の男と戦っていた。

 男の両脇を二人の手下が固めており、三人でかなり連携の取れた動きをしている。そのせいで最初フィンはそっちの方が賞金稼ぎだと思ったぐらいだが―――実際の賞金稼ぎ達はそれに比べて遥かにてんでんばらばらだった。

《あちゃー……》

 その様子は向こう側のグループも同様だった。

 あちらの方は長剣を持ったリーダー格の男を中心に、同じく二名の手下が連携して動いている。それに対して味方がばらばらに攻撃を仕掛けている所も同じだ……

「おい! どうなってるんだよ?」

 フィンは小声でつぶやいた。これは結構まずい状況かもしれない。おまけにあんな戦い方じゃ本当に返り討ちにあうかも―――そんなことになったら……

《二人だけであいつらみんなを⁈ いや、さすがにそれはちょっとそれは……》

 そう思ってアウラを見ると、彼女も状況は一目で理解していたようだ。

「やるか?」

 アウラは黙ってうなずくと、バルコ達が戦っている所に近づいていった。

 まずは彼らに加勢して、片方だけでも何とかしておかねば……

 それに気づいて盗賊の一人が大声を上げた。

「ギイ! 新手だぜ!」

 それを聞いて副官の男が振り返っると―――男は驚いたような声を上げる。

「てめえ、あのときの女だな!」

 それまでその男は二刀を使っているのだと思っていたが、よく見ると片方の剣は腕から直接生えているように見える。間違いない! こいつがギアデスだ!

「だったらどうだってのよ?」

「ふはははは! こんなところでてめえに会えるとはな!」

 こいつはアウラに片手を落とされたことを思いっきり恨んでいるようだ。まあ当然といえば当然だろうが……

「アウラ! 気を付けろ!」

 フィンは思わず後ろから声をかける。それを聞いたギアデスがフィンに気づいた。

「ああ! てめえあのときの!」

 などと言われても、何とも答えようがない。フィンは笑ってギアデスに手を振った。

「やあ」

 男は激昂した。

「今度は逃がさねえぞ⁉」

「それよかまず自分の心配しろよ?」

 アウラはフィンとギアデスの会話など耳に入らないという様子だった。そしてまるで王女と一緒に散歩に行くかのように、平然としてギアデスに近づいていく。薙刀を構えてさえいない。

 その姿を見てギアデスと戦っていた仲間のテルマンが叫んだ。

「気を付けろ! そいつ手に仕込んでやがるぞ!」

「そう?」

 それを聞いてもアウラに動揺の色は全く見えない。

 ギアデスはバカにされたと思ったのだろう。更に頭に血を上らせた。

「このアマ! 切り刻んでやる!」

 ギアデスはそう叫ぶとアウラに向かって突進してきた。

 男は突進しながら義手の方の剣をアウラに向ける。

「アブねえ!」

 テルマンがそう叫ぶのと同時に、ギアデスの腕から小さな矢が飛び出した。

「アウラ!」

 だがそれとほぼ同時にアウラはちょっと体をひねっていた。

 ギアデスの発した矢はぎりぎりアウラをかすめたが、そのまま後ろに飛び去っていく。

 次の瞬間アウラの薙刀が一閃すると―――二人はそのまますれ違った。

 アウラは数歩行った所で立ち止まり、ゆっくりと振り返る。だが―――ギアデスの方はそのまま全速力で顔から地面に突っ込んでいった。

 途端にその首筋から鮮血がほとばしる……

 見る者に息を呑む暇さえ与えなかった。

「アウラ!」

 心臓が止まるかと思ったのは、それからしばらく呆けてからのことだ。

 だがギアデスの手下の方はもっと呆然としていた。

 無理もない。小娘としか言いようのない娘に自分達の信頼していたボスが、一瞬でひねり潰されたのだから―――戦いですらなかった……

「ギイ!」

 手下の一人がやっと言葉を発するが―――それを聞いたアウラがふり返ってじろっと睨む。手下達は泡を食って逃げ出そうとした。

 だがそのとき、彼らの退路は既にバルコ達に塞がれていたのだ。

 ―――こうなったらもう勝負はあった。

 ギアデスの最期はもう一人の副官のゲオルも見ていた。

 彼らはロゲロ達に対してかなり有利に戦っていたのだが、こうなったら話は別だ。

「クソ! 退け!」

 隙を見てゲオル達はアジトに撤退する。

「深追いするな!」

 追いかけようとした部下にロゲロが叫ぶ。

 案の定それと同時にアジトの窓から矢が飛んできた。

 運良くそれは誰にも当たらなかったが、この状況で迂闊に近づかない方がいい。

 こうして残った盗賊達はアジトに籠城してしまった。こうなると簡単には手を出せない。賞金稼ぎ達は仕方なく、矢の来ない大岩の陰に集まって体勢を立て直すことになった。



 戻ってきたロゲロ達にバルコが言った。

「こっちはモルツァとマクマランがやられた。そっちは?」

 ロゲロも首を振りながら答える。

「クマドールとビーバだ。あとペトロスが食らっている」

 一同は顔を見合わせた。十二人が七人だ。うちフィンは直接戦闘では役に立たない。実質六人というところか?

「残りは?」

 バルコの問いにロゲロが答える。

「五人だな……でもボルトスとゲオルが残っている。それに手下に弓が上手い奴もいる」

 フィンはアジトの周辺をもう一度観察した。

 周囲は結構開けている。迂闊に出て行くと弓の的になってしまいそうだ。

 だが敵の数もそう多くはない。ならば一気に突入すれば何とかなるか?

《いや、こちらの人数だって似たようなもんだし……》

 これから更に怪我人を増やすのは得策ではない。

「立て籠もられたらお手上げか?」

 バルコの言葉に一同はまた顔を見合わせた。

 明るいうちはともかく、このまま夜になってしまったらどうしようもないのだが……

 一同はしばらく無言で互いの顔を見合っているだけだった。

 それからデプレスがロゲロ達に言う。

「だからてめえらが勝手に突っ込んでいくからだろうが?」

 ロゲロ達の顔が赤くなる。

「あんだと? どっちが先に抜け駆けしようとしたんだ?」

 バルコの仲間とロゲロの仲間が互いに睨み合う。

《うわ! まずいな》

 フィンとアウラは後から行ったので見ていなかったが、どうやら先陣争いで足を引っ張り合っていたらしい。そもそもこいつらは一枚岩のグループではない。それがこの状況だ。このまま空中分解というのも……

《だったらそれこそ骨折り損じゃないか⁉》

 そういうことは本気で避けたいのだが……

 そこでフィンは間に割って入った。

「えっといいかな?」

 一同がフィンの顔に注目する。

「とりあえず取れた首だけ持って帰るってのは? ほらみんなで分ければ一人あたり四枚ぐらいにはなるし……」

 フィン達にとってはそれでも問題なかった。

 二人で金貨八枚になればまあ我慢できる範疇だ。最初の約束通りならアウラが倒したのはギアデスとザコ三人なので、本来金貨十九枚要求する権利があるのだが……

 もちろん今それを言い出すと更に話が紛糾しそうなので黙っていたのだが、もちろん彼らがそれで納得するはずがなかった。

「馬鹿言うな!」

 バルコとロゲロが同時にわめく。

「いや、言ってみただけだって」

 更にデプレスが突っ込んだ。

「それにあの死体をどうやって回収するんだ?」

「え?」

 言われてみればギアデスやザコ数名の死体は、今はあのアジトの前に転がっている。迂闊に取りに行ったりしたら中から射られてしまうわけで……

 ということは、安全に持って帰れる首は橋の見張り小屋の所にあるザコ五名分ということだ。

《あちゃー……》

 これではさすがにフィン達にしても元が取れない。

 フィンはがっかりしてため息をついた。

 だがフィンが口を挟んだせいで、賞金稼ぎ達も少し頭を冷やす余裕ができたようだ。

 バルコがため息をつきながら言った。

「はあ。喧嘩しててもしょうがねえな。ともかくどうにかしないと」

「そうだな」

 ロゲロもうなずくと、ちょっと考えてから言った。

「ともかくおめおめ逃げ帰ってなんかいられねえよな。ってことはどうにかしてあの中の奴らを追ん出さなきゃならねえわけだ」

 それを聞いたバルコが尋ねる。

「あ? いい考えがあるのか?」

「その兄ちゃん、確か火の玉も出せるって言ってたよな?」

 いきなり振られてフィンはちょっと驚いた。

「え? まあな」

「じゃああのアジトに火を付けられるだろ?」

「え?」

 フィンは考え込んだ。もしかして悪い考えではないかも―――いやだめだ。

「すまん。ちょっと無理だ」

「どうしてだ?」

「俺の火の玉ってこの程度なんだよ」

 そう言ってフィンは手の上に火の玉を出して見せた。彼の能力では思いっきり頑張っても大きめのメロン大の火球しか出せない。

「これじゃあの家を燃やすことなんて無理だ。周りに藁とかを積んでてくれるんなら別だが……それにあの距離じゃ遠すぎて玉が持たなそうだし。火矢を作った方が確実だな。でも弓はなかったっけ……」

「あんだよ。役に立たねえな」

 ロゲロの言葉にフィンはちょっとむっとした。

「最初から言ってるだろ? それにアジトを燃しちまったら中の財宝まで燃えちまわねえか?」

 ロゲロは言葉に詰まる。

「確かにな。お宝まで燃やしちまったら元も子もねえや」

 バルコの言葉に一同が笑う―――が、声にはみんな力がない。

 だがロゲロの提案はある意味悪くはなかった。

 もしお宝がなかったのであれば、奴らをいぶり出すというのは極めて有効な作戦だ―――だとすれば、他にも何か方法が考えられるのでは?

 フィンは考えた。

 まず単純に突っ込んでいくのは無謀だ。アジトの中から狙い撃ちにされてしまうだろう。

 ならばアジトの裏手に回るとか? いや、油断しているときならともかく、今の状況じゃ相手だってそれは想定するはずだ。この盗賊団が決してバカじゃないのは見ての通りだ。

 では相手が想定しそうもない方向とは? 例えば真上からとかは?

 フィンはアジトの上方を観察した。だが、屋根に飛び移れそうな手頃な場所はなさそうだ。この手もだめそうだが―――ならば下からはどうだ?

《下から?》

 フィンは自分の考えに吹き出しそうになった。モグラじゃあるまいし。ここから穴を掘って行くとでも?

 だがそのときだ。フィンはアジトが平地の上に建てられているのではないことに気がついたのだ。

 ここは山の中なので建物を建てるための平地は簡単には確保できないからだろう。アジトの前半分は地面の上に建てられているが、後ろ半分が斜面に突き出すような形になっており、床下の柱で支えられている構造になっている。

 それを見てフィンはひらめいた。

「ちょっと裏手の方を偵察して来たいんだがいいか?」

 フィンがそう言うとバルコがうなずいた。

「ああ。かまわんが?」

 そこでフィンはアウラに目配せする。アウラもうなずくと黙って付いてきた。多分アジトの外に敵はいないはずだが、それでも用心に越したことはない。

 二人は一度戻って遠回りしながらアジトの裏手に回り込んだ。

 こちら側は渓谷に下っていくかなり急な斜面になっている。二人はその下からアジトを見上げる形になった。そこからはアジトの張り出した部分がよく見えた。

 さっき見た通りに斜面側はかなり高い柱の上に建っている。フィンはこちら側に裏口がないか捜した。だがそういった場所は見つけられない。

 入れそうな所と言えば地上からかなり高い所にある窓だけだ。しかもその窓には頻繁に人影が現れる。こっちから突入というわけにはいきそうもない。

「どうするの? こっちからは入れないわよ」

 その状況を見てアウラが尋ねる。それを聞いてフィンは小声で答えた。

「いや、最初から入る気なんてないさ」

「え? じゃあ?」

 アウラが驚いてフィンの顔を見る。フィンはにやっと笑った。

「あのアジトをぶっ潰そうって思ってるだけさ」

 アウラは目が丸くなった。

「潰す? あんたそんな魔法使えたの?」

 彼女がそう言うのも尤もだ。

 確かにフィンは物を吹っ飛ばす魔法を使えるが、それはせいぜい安定の悪い石像を倒す程度だ。至近距離ならともかく、ちょっと距離が開いたら転ばせることさえできない。実際そんなことをしたければ手で押した方が百倍確実だ。

 だがフィンにはちょっとした勝算があった。

「一発じゃ無理だが……」

 フィンはアウラに指示を出した。

「……ともかくそうなったら奴ら中に籠もってるわけにはいかないだろうから、出てきたとこをやっつけるんだ。そんときは手伝ってやれよ? あのゲオルって奴も結構できるみたいだし。出てこなきゃ突入してもいい。あいつら待ち伏せてる余裕なんてないはずだから。その辺はバルコ達の判断に任せるって」

「うん。分かった」

 アウラはうなずくと元来た道を戻っていった。

 それを確認するとフィンは場所を移動した。

 このあたりには岩陰が沢山あって、アジトは見えるが裏の窓からは死角になっているようなところも何カ所もある。そのうちの一ヶ所にフィンは隠れた。そこからアジトの床を支える柱の一本がよく見えるが―――これなら相手は何をされているか分からないはずだ。

 それからフィンは心を落ち着かせると、手を前に差しのばして例の遠当ての魔法を発した。

 低いどすっという音がしてアジトが少しきしんだ。

 都とかベラの一級魔導師ならこの程度の柱なら一撃でへし折ることさえ可能なのだが、この距離だとフィンの能力では少し揺らせるのが精一杯だ。

 だがフィンは時間をかけてもいいのならば彼の力でも何とかなることを知っていた。

 フィンはアジトをよく観察する。

 屋根のとがった所をよく見ると、今の魔法でアジトがゆっくり揺れているのが分かった。

 そこで彼はその揺れにあわせて魔法を放ち始めたのだ。揺れる度に加えられる力によって、最初は微かな揺れでしかなかったものが段々大きな揺れに増幅されていく―――やがては揺れるたびにアジトがぎしぎし悲鳴をあげ始めた。

《ふふっ。よしよし》

 その頃には中から盗賊達の怒声が聞こえるようになった。

 だが彼らには何が起こっているか分かるはずがないだろう。窓から見たって何も見えないのだし、フィンのいるあたりを確認したければアジトから出て見に来なければならない。

 そして……


 ムェリムェリメリッ‼ グッシャァァァァァァァァン‼


 ―――ついに大きな音を立てて柱が折れたのだ。

 中からは悲鳴のような声が聞こえてくる。

 続いてアジトがみしみしといいながら傾いていく。

 表の方からは別な怒声が聞こえてきた。どうやら賞金稼ぎとアウラ達が突入したらしい。

《よし! 完了!》

 フィンは岩陰から頭を出した。

 見るとアジト全体が大きく後ろ側に傾いている。思ったより強度がなかったようだ。

《まさか、いきなりぶっ壊れないよな?》

 そうなったら危険なのでフィンは岩陰から飛び出すと斜面を駆け上がった。アジトの中から戦いの騒音が聞こえてくる。

 フィンがやってくると、玄関前に盗賊の手下が二人息絶えていた。慌てて出て来たところをやられたのだろう。

 だがその横にデプレスが倒れていた。

「おい! デプレス」

 フィンは慌ててデプレスの肩を抱いた。デプレスは顔を上げると答えた。

「だ、大丈夫だ。へましちまった」

 かなりひどい怪我だが、命には別状なさそうだ。

「みんなは?」

 デプレスは顎でアジトの中を指す。フィンは心配になった。

「中は危ないぞ。潰れるぞ」

 これは彼らにも伝えておかねばならないだろう。

 フィンは注意しながらアジトの入り口まで行って中を覗きこんだ。

《えーっと……どこだ?》

 アジトの入り口付近はちょっとしたホールになっていた。

 だがもう全体が傾いていて、床はひっくり返ったテーブルや椅子などが散乱して足の踏み場もない。

 部屋の端には賞金稼ぎが一人足から血を流して座り込んでいる。

《あれはフムールという奴だったか?》

 そしてホールの奥ではゲオルと手下が一人剣を構えている。

 対峙するのはバルコとロゲロだが―――狭いのと足場が悪いのとで膠着状態になっているらしい。

 その少し後ろにアウラがいたが、この状況では彼女も手を出せないようだ。

「てめえか?」

 入り口に現れたフィンの姿に気がつくと、ゲオルの目に憎悪の光が浮かんだ。

 どうやら今回の奇襲でフィンの果たした役割に気づいたらしい。

「あのときにさっさとてめえを殺しておくんだったな」

 それが以前パロマ峠で会ったときのことだと気づくのにちょっと時間がかかった。

 フィンは鼻を鳴らす。

「人の馬を持ってったくせに。それで我慢してろよ」

「ふざけるな!」

 ゲオルは激昂する。だが彼もそれ以上は何もできなかった。こいつとこれ以上話していても仕方がない。それよりも―――フィンはこの状況が何か不自然なことに気づいていた。

《えっと……何だ?》

 結構重要なことのような気がするのだが――― 一体何なんだ?

 そしてフィンは大変なことに気づいた。

「おい。ボスはどうしたんだ?」

 そうなのだ。討伐が始まってから随分になるが、この盗賊団のリーダーであるボルトスという奴をまだ見てさえいないのだ。

「何でこんなときに出てこないんだ? もしかして逃げたか?」

 フィンがそう言った瞬間だ。アジトがまた大きくきしむとがくんと傾いた―――それと同時に……

「きゃあああ!」

 アウラの叫び声が響き渡ったのだ!

「なに?」

 見ると―――アウラが大きな男に組み敷かれているのだ!

 アジトが傾いた瞬間に二階から飛び降りてきたのに違いない―――もちろんこいつが盗賊団の首領のボルトスだ!

 そこにいる一同、誰もが全く予期していなかった。

 アウラは床に叩きつけられて必死で脱出しようともがいていたが、こうなってしまったらもう動きが取れない。男はアウラに完全に馬乗りになると喉笛にぴたりとナイフを当てた。

「よう。ねえちゃん。久しぶりだな」

 男は下卑た笑いを浮かべながら言った。

「あんたなんて知らないわよ!」

「ギイの腕をぶったぎる所にいたってのに、つれないねえ」

 アウラはもがく―――だが上に乗った男はびくともしない。

 フィンは真っ青になった。

 それを見た賞金稼ぎ達も色を失っている。

「お前らちょっとでも動いたらこいつを殺すぞ」

 ボルトスが言った。それを聞いてロゲロが言う。

「それがどうした! やればどうだ?」

「止めろ!」

 フィンが叫ぶ。

「どっちだよ?」

 ボルトスがにやにや笑う。

「ともかくまずここから出て行きな。そうすりゃこいつが助かるかもよ」

「………………」

 男達が動揺した。

 そもそも賞金稼ぎというのは仁義に厚い職業ではない。

 これが他のメンバーであればこんな人質作戦など通用しない。それどころか取り分が増えるといって喜ばれるだけだ。

 だがアウラだけはそうではなかった。

 彼女はこのメンバーの中の紅一点というだけでなく、これまでの実績からも男達に尊敬の念を受けつつあったのだ。

 もちろんこの女を見捨ててしまえばボルトスとゲオルの首は取れるだろう。

 だが打算の塊の賞金稼ぎであっても、一生に一度ぐらいは採算度外視の行為をしてもいいのでは?

 ―――その場にいる男達の胸の内にはそんな葛藤が渦巻いていたのだ。

《アウラ!》

 フィンは言葉が出せなかった。

 アウラが必死になってもがいているのに―――どうすればいいんだ? この状況でどうやったら彼女が助けられる?

 フィンはアウラを見た。それに気づいたのか、アウラもちらっとフィンの顔を見る。

 その目から涙が一筋こぼれ落ちた……

《!!》

 その瞬間、フィンは心臓が貫かれたような気持ちになった。

 アウラの目から涙がこぼれ落ちている!

 アウラが泣いている!

 ―――普通の女なら別にそれだけの話だ。

 だが今泣いているのはアウラなのだ。

 彼女の場合、それがどんな意味を持つのかフィンはもうこれ以上ないぐらいに知っていた。

 そう。彼女は普通の女とは違って滅多なことでは泣き叫んだりしない。そんな状況に陥ったときでも、彼女は黙ってじっと堪え忍ぶ。

 そしてそれさえも不可能な場合、彼女は一筋の涙をこぼすのだ―――ただ無言で……

 今のアウラがどれほどの感情を押し殺しているか分からずして、彼女の恋人などと名乗れるわけがない。


 そして彼女にそんな想いをさせた奴を許しておけるはずがない!


 フィンの中に赤黒い怒りが渦巻いた。

「おい。この豚野郎! その汚え手をのけろよ」

 フィンは冷たい声でボルトスに言った。

 その迫力にボルトスも一瞬怯んだぐらいだが―――すぐに鼻で笑い返す。この状況をよく見ればハッタリでしかあり得ないと思ったのだろう。

「プッ。何言ってやがる? こうされるのがそんなに嫌か?」

 そう言いながらボルトスはアウラの胸をぎゅっと揉みしだいた。アウラがうっと声を上げる。

「やめろ!」

 フィンは思わずボルトスに飛びかかりそうになる。

 だがボルトスはアウラの首に当てているナイフを示しながら言った。

「動くなって言ってるだろうが! 分かったらさっさと……」

 ボルトスがそこまで言ったときだ―――フィンが氷のような声でそれを遮ったのだ。

「動かなきゃいいんだな?」

「あ?」


「動かなきゃ、い・い・ん・だ・な?」


 ボルトスにフィンの意図が分かったわけではない。

 だがこれは何か危険だと感じた。

 彼は長年こういった盗賊団の首領をしているだけあって、危険に対する嗅覚は優れていた。だからこそ今までこうやって生きてこられたのだ。

 実際今回もその感覚は正しかった。

 ―――ただ不運だったのは、ちょっとだけ気づくのが遅すぎたことだ。

 次の瞬間、ボルトスの頭がいきなり膨れあがったかと思うと、ばしゅっと音がして破裂した。同時に四方八方に脳漿が飛び散って―――文字通りあたりは血の海となった。

「いやあああ!」

 それを見て敵も味方も肝を潰したが―――何よりも一番驚いたのはアウラだろう。いかに我慢強いと言ってもこればかり限度を超えていた。

 しかも降りかかった脳漿は、煮えたぎっていた。

「いやあああああっ! 熱いっ! 熱いっ!」

「うわわわ!」

 フィンは慌ててボルトスの体を蹴飛ばして除けると、アウラを助け起こす。

「水! 水!」

 部屋の隅に水瓶が転がっている。大部分はこぼれてしまっていたが、まだ少し中に入っている。フィンはそれを持ち上げてアウラにふりかけた。

「大丈夫か?」

 おろおろしながらフィンが尋ねる。だがアウラはいきなり彼を張り飛ばした。

「大丈夫じゃないわよ! 何よぉ! これ!」

「いてっ! 助けてやったんだろうが!」

「もっとましな方法は無かったのよ?」

 アウラはカンカンだ。まあ無理もない。目の前で男の頭が破裂して、煮えた脳漿まみれにされてしまったのだから……

 だがそれ以外の男達は、盗賊達も含めてもっと仰天していた。

「て、てめえ、なにしやがった……」

 やっとの事でゲオルが言った。罪もない旅人をたくさん惨殺してきた奴だが、それでもこんな光景に免疫はなかったらしい。

 それに対してフィンが言った。

「武器を捨てろ」

「な……」

 ゲオルは躊躇する。フィンが怒鳴った。

「武器を捨てろって言ってんだろう‼」

 そう言いながらフィンは手を前に差し出した。

 それを見るなりゲオルと部下は慌てて剣を捨てる。フィンはバルコとロゲロに目配せした。二人は一瞬ぽかんとしていたが、すぐに理解して慌ててゲオルと手下を取り押さえた。

 それはともかくアウラが大変だ。

「ひりひりする~」

「もっと水がいるな」

 早く冷やしてやらないと、顔に跡が残ったりしたら一生恨まれてしまう……

 フィンは辺りを見回したがさっき以上の水はなさそうだ。

「ちょっと谷川まで降りてくるけどいいよな?」

「あ、ああ」

 バルコ達に断る理由はなかった。今ので戦いは終了なのだから。

 フィンはアウラを抱え上げるとそのままアジトの外に飛び出した。

 アジトの外で待っていたデプレスがびっくりして二人を見上げるが、説明している余裕はない。フィンはアジトの裏手まで走ると、そのままジャンプして下の渓谷まで下った。

 アジトの下には綺麗な谷川があって、ちょっとした淵もあった。

 川の側でアウラはフィンの腕から滑り降りると、そのまま川の中に飛びこんだ。

「あー気持ちいい!」

「大丈夫か?」

「まだちょっとひりひりするわ」

 フィンはアウラを招き寄せると脳漿を浴びた所をよく観察した。

「ああ、赤くなってるな……でもひどい火傷じゃないな。もうちょっと浸かってれば大丈夫だな」

 フィンはひとまず安心したが―――アウラはまだ怒っている。

「あれなんて魔法よ! あんなの使えるなんて言ってなかったじゃない!」

 言葉に刺がある。だがこれは秘密にしていたわけではない。

「いや、その、別にいつも使ってる奴なんだが……」

 フィンは説明した。

 そう。彼が使ったのは例の火の玉を出す魔法だった。だがそれを普通に使ったのではだめだ。ボルトスはちょっと驚くかもしれないがそれだけで、それからおもむろにアウラの喉を切り裂いてしまっただろう。

 だからボルトスにそんなことをする暇を与えず即死させるために、その頭の中に炎を出すしかなかったのだ。そのせいで脳が瞬時に沸騰して破裂してしまったのだが……

「すまん。これ、人間にやったらだめなんで……スイカでやってもひどいことになるし……でもあの場合しょうがなかったから……」

 妙にしどろもどろなフィンの説明にアウラも何とか納得したようだった。

「……うん。ありがと」

 それに考えてみれば今回は途轍もなく危険な状況だったのだ。

 大体あそこでボルトスがアウラを人質にしようとしてくれたから彼女は生きているわけで、そうでなければ間違いなく殺されていた―――まあそうなれば結局奴も生きてはいないはずだから、ボルトスの判断としてはこれが最善だったのかもしれないが……

 にしても……

「うえー。服がぐちゃぐちゃ……」

 アウラが川から上がってくるとそう言いながら服を脱ぎ始めた。服は血と脳漿まみれで水で洗ったぐらいじゃ落ちそうもない。

「あー、こりゃだめだな」

「うー。気持ち悪い! もう脱いじゃえ!」

 アウラは服を脱ぎ捨ててしまった。彼女の美しい裸身が露わになる。これは今ではある意味見慣れた光景とも言えるが―――しかしやはりいつ見ても惚れ惚れする。

 こんな状況だとむらむらとこみ上げてくる物があるが―――いや、さすがにこの状況でそれはまずい。とりあえずキスぐらいにしとかないと……

《と、待てっ!》

 フィンはあたりを見回す。

「おいおい。まさか見えないだろうな」

「え?」

 二人はは慌てて上を見上げた。あいつらまさか覗いたりは―――だが、ここは十分大きな岩の陰だった。

 フィンはアウラの肩を抱くとそっと唇を合わせた。アウラもいつものように応えてくれる。こうなったらもういいか⁉ とフィンが思った矢先だ。

「ねえ、服ない? ちょっと寒いの」

 言われてみたら当然だった。六月とはいえここは高原だ。日陰だとちょっと涼しいぐらいのところで、彼女は裸でびしょ濡れなのだ。

「ごめん。それじゃ上から服を取ってくるよ」

「うん」

 フィンは歩き出しながら考えた。

《全く盛りのついたネコじゃあるまいし……いつでもどこでもって、ちょっとアレなんじゃないか?》

 そう思ってフィンは少し自己嫌悪したが―――考えてみたら、この旅から戻ればもうこんなことをする余裕さえないかもしれないのだ。

《だったらこんなときは最大限楽しんどいた方がいいのかな? あは

 ―――そんなどうしようもない葛藤を覚えたときだ。

 上から男の悲鳴が聞こえてきた。それから馬が何頭も走っていく音が聞こえる。

「え? なんだ?」

 振り返るとアウラも驚いた表情だ。二人は顔を見合わせる。アウラは慌てて脱いだ服を着直したが、ぐしょ濡れで冷たい服の感触にちょっと顔をしかめる。

「動けるか?」

「何とか」

 そこでフィンはアウラを背負うと斜面を飛び上がって行った。

 二人がアジトの前までやってくると、デプレスの横にバルコとテルマンも倒れている。

「一体どうしたんだ?」

 敵はもういないはずだが……

「畜生!」

 そう呻きながら、バルコは顎を押さえてよろよろ立ち上がった。

「何が起こったんだ?」

 フィンの問いにバルコが答えた。

「ロゲロの野郎だ!」

「ああ?」

 確かに彼らがいないが……

「あいつら、首持って逃げやがった」

「何だって?」

 フィンとアウラは顔を見合わせた。

 バルコの話では、フィン達が谷川に降りていくとすぐにロゲロ達は盗賊達の首を集め始めたという。そんな作業は誰だってやりたくないことだから、えらくまめな奴らだなと思って見ていたら、いきなりバルコ達に襲いかかってきたという。

 彼らは完全に油断していたので見事にやられてしまった。そしてロゲロ達はそのまま逃げ去ってしまったのだ。その際にアジトにいた馬を全て持って行ってしまったので、後を追うことも不可能だと……

「首を独り占めしたいんだろう。クソ! 騙しやがって……」

 怒りさめやらないバルコにフィンが言った。

「ちょっと待ってくれよ。何でそんなことするんだ? だってアジトにはお宝があるんだろ?」

 バルコははっと目を見張ると、次いでフィンと一緒にアジトの中に駆け込んだ。

 二人はアジトの中を捜し回った。地下室があるかもしれないと床板もはがしてみた。だが―――目指すお宝は見つからない。

 大して広いアジトではない。これ以上隠す場所など無いはずだ。ということは……?

 フィンはつぶやいた。

「あいつら最初っから無いってこと知ってたのか?」

 ならば納得はいく―――賞金稼ぎは首を狩るのが商売だ。他人の狩った首を奪おうとすれば当然命を賭けた戦いになる。

 だがアジトに盗賊の盗んだ財宝があるということにしておけば、グラテス派の連中は首には注意を向けないだろう。その隙に持って行ってしまえばいいのだ。あれをあいつらだけで分配すれば一人あたりはかなりの額になるわけで……

「くそ! やられた!」

 バルコは床にへたり込んでしまった。

 フィンもどっと疲れが出てきて彼の横にしゃがみ込む。

「じゃ何か? これって本当に骨折り損の?」

「そう。くたびれ儲けって奴だ」

 なんてことだ!

 大体考えてみたら、最初の約束ならばフィンとアウラでボルトスとギアデス、それにザコ三人倒したのだから金貨三十九枚もらえるはずではないか? なのにどうやら銅貨一枚さえ手に入りそうもないのだから……

 フィンは目の前がくらくらしてきた。

 そこにアウラがやってきて脳天気に尋ねる。

「お宝あった?」

 なんて答えればいいんだ?―――そんなフィンの代わりにバルコが答えてくれた。

「いや、どこにもない。すっからかんだ」

 それを聞いてさすがのアウラも怒り出した。

「ええ? 何よ! それ!」

 フィンは黙って首を振るばかりだ。バルコも落胆してそれ以上声も出ない。

 だがその姿を見てアウラが言った。

「じゃあ帰らないとだめなんじゃない? デプレスが何か死にそうなんだけど」

 二人は飛び上がった。確かにそうだ。彼が重傷を負っていたのだ。このまま放置するわけにはいかないではないか?

 彼らはあり合わせの物で担架を作り、デプレスを乗せて街道まで歩くしかなかった。

 へとへとになった一行が道中宿にたどり着けたのは、夜も更けてのことだった。