賞金稼ぎは楽じゃない 第5章 金貨五十枚

第5章 金貨五十枚


「えー! ちょっと! それってどういうことよ?」

 それから二日後の夕方、シルヴェスト王国領のツィガロ村では、ジェイルの係官が時ならぬ災難に見舞われていた。

「ですから、首を取った人間じゃなくて持ってきた人間に賞金は渡されるんですよ」

「それって変でしょ!」

「いや、変と言われても、そういったルールですし……」

 頭の禿げた中年の係官がアウラの剣幕にたじたじとなっている。

 それだけならまだいい。彼女の後ろにはグラテスの大物賞金稼ぎのバルコが睨みを利かしているのだ。

 バルコはこのツィガロでもその名をよく知られている男だ。その武勇伝は数知れないが、それら全てに共通して言えることは“この男を怒らせてはいけない”ということだった。

「あいつらが自分で取った首なんてザコ何人かだけじゃない! 残りはみんなあたし達が取ったのよ⁉」

「それを否定してる訳じゃありませんが……」

 もちろん彼らがここにいるのは、逃げたロゲロ達を追ってきたからだ。

 今回の賞金の支給はグラテスでもツィガロでも行われる。そこで街道の道中宿の主人にロゲロ達がツィガロ方面に向かったと聞いて、彼らは全速力で馬を飛ばしてきたのだ。

 怪我をしたデプレスはテルマンに任せてきたので、ここにいるのはフィンとアウラ、それにバルコの三人だ。

 来る途中、フィンは果たして三人で大丈夫かちょっと不安だった。

 ツィガロはロゲロの本拠地だし、あいつが大勢集めて待ちかまえていたりしたら……

 ―――だが運良くその予想は外れてくれた。彼らは何の障害もなくツィガロに到着して、その足でジェイルにやってくると、ロゲロ達が昨晩ここで首を換金して今日の朝には旅立っていったことを聞いたのだ。

「あんたねえ、あの首取るのがどんだけ大変だったか分かるの? あたしなんか頭から煮えた脳みそかぶって、服がぐちゃぐちゃになったのよ⁉」

「で、ですから……」

 アウラの言うことはそろそろ滅茶苦茶になりつつある。これ以上この可哀想な係官をいじめても仕方ない―――そう思ってフィンはアウラの肩に手をかけて言った。

「まあ、アウラ、この人にそれ以上言っても仕方ないから」

「でもこいつがロゲロに金を渡したんでしょ?」

「そうだけど、それが仕事なんだから」

 フィンが割って入ってくれたおかげで、係官はほっと息をついた。

 今の彼にとってはフィンだけが頼みの綱だった。彼がが二人をこうして抑えていてくれるので彼は血反吐を吐かずに済んでいるのだが……

 しかし彼は思っていた。この若い男、もしかしたらこの中で一番ヤバいのでは?―――何しろロゲロ達の持ってきたボルトスの首だが、あんなのは見たこともなかった。まるで頭が内部から破裂したような……

 もちろんどうしてこんな状態なのか尋ねたのだが、ロゲロはバルコが連れてきた奴がやったと言うだけで―――それに来たときからずっとバルコはこの男に一目置いている。とすれば、こいつがそれをやった張本人なのか? だとしたらこういう奴こそ本気で怒らせたら一番ヤバいのでは……

 彼はそんなことを考えていたのだが、そこにバルコが割って入った。

「そうだよ。姉ちゃん。この旦那にいちゃもんつけてもそりゃ筋違いってもんだ」

 アウラはむっとした顔で彼を睨んだが、それ以上は何も言わなかった。係官は安堵のため息をついた。

 だが代わってバルコが係官ににじり寄ると怖い顔で尋ねた。

「で、ロゲロの野郎は村を出てどっちに行った?」

「さあ、それは……」

「隠すとためにならねえぞ」

 バルコは係官の胸ぐらをねじり上げる。

「ですから私は……」

「あいつはここが根城なんだろ? 行きそうな所ぐらい知ってるよな?」

 バルコは係官を締め上げる。係官はひいひい言いながら答える。

「それが、今回は知らないんですって。いつもだったらその足で博打に行っちまうんですがね、今回は足を洗うとか言って出てってそれっきりですよ」

「行き先の見当もつかねえのか?」

「分かりません。ともかく村にはもういませんって。グリシーナに行ったかピーノに行ったかでしょう」

 バルコは係官を離すと怒声を上げてテーブルをどんと叩いた。

 係官がひっと声を上げて飛び下がる―――だが彼のその気持ちはよく分かった。フィンだってわめき出したい気分なのだから……

 だがこうなったらもう仕方がない。

 そこでフィンは気を取り直すとバルコとアウラに向かって言った。

「ちょっと酒場に行ってみないか?」

「ああ?」

 バルコがこんなときに? という顔で見る。

「もしかしたらあいつらの行き先を知ってる奴がいるかもしれないぜ?」

 彼もその答えを聞いてうなずいた。

「なるほど。そうだな」

 それからフィンは係官の方に向き直ると尋ねた。

「それでさ、ロゲロ達の行きつけだったとこはどこだ? さすがにそのぐらいは知ってるよな?」

 係官は慌ててうなずいた。

「もちろんです。ヴィットリーナって店ですよ。ここを出て左にずっと行けば分かります」

「ありがとう」

 そこで三人はジェイルを出て係官に言われた酒場に向かった。



 その酒場はグラテスのラファーダ同様、賞金稼ぎ好みの、言い換えれば一般的には客筋の悪そうな店だった。

 彼らが店に入ると何人かいた先客が振り返る。

 だが彼らはすぐにまた向き直って知らんふりを決め込んだ。かなりあからさまに無視されている。カウンターの一人は明らかに『バルコだ』とつぶやいていたし―――どうやら今回の騒ぎはここでも知られているらしい。

 するとアウラがフィンの腕をつついて小声で言った。

「ねえ。あの壁際のテーブルの奴」

「うん?」

「怪しそうよ?」

 フィンはアウラが示した男を盗み見た。確かにかなり彼らが気になるようで、妙に落ち着きがない。こういった際のアウラの勘は確かだ。そこでフィンはバルコにささやいた。

「あの壁際の奴知ってるか?」

「え? いや」

「ちょっと尋ねてみよう」

 と言ってフィンが近づこうとすると、男は見るからに不自然に立ち上がった。

「ちょっと待った!」

 男は慌てて逃げようとする。

 だが次の瞬間、バルコとアウラに挟み撃ちにされていた。

 酒場の中が一挙に緊張する。

「な、何だよ。俺は、ちょっとトイレに……」

 男はしどろもどろだ。そんな彼にバルコが言った。

「ああ? 何か勘違いしてないか? ちょっと奢ってやろうと思っただけだぜ?」

 更にフィンも彼に言った。

「まあ座れよ。俺たちはちょっとロゲロのことを聞きたいだけなんだよ」

 男の目が定まらない。どうやら何か知ってるらしいが……

 彼は逃げ場を捜してあちこち目を泳がせていたが、やがて観念したように元いた席に着いた。

 その横にバルコが、対面にフィンとアウラが座る。

 それからバルコが尋ねた。

「なあ、別にあんたに恨みがある訳じゃない。知ってたらな、ちょっとあいつの居所を教えてくれたらいいだけなんだがな」

 バルコの声が妙に優しいが、逆にその方が怖い。男はすくみ上がった。

「ああ、話を訊くのにタダじゃまずいよなあ。おい、アルカを四杯持ってきてくれ。湯で割ってな。ついでにつまみも何か」

 酒場のマスターが慌てて準備を始める。すぐに四人の前に湯気を上げたアルカ酒と揚げた豆の皿が置かれた。

「そうそう。自己紹介してなかったよな。俺はバルコ。まあグラテスを根城にしてる賞金稼ぎだ」

「あ、ああ」

 男はうなずいた。彼の顔は知っているらしい。

「それから彼女がな、ベルト切りのアウラ。先年グラテスでダッソの野郎をとっつかまえた話は聞いてないか?」

 男の目が丸くなった。どうやらその噂も聞いているらしい。

「その彼女がな、昔パロマ峠でギアデスの手を切り落とした縁で、今回は首も落としちまったんだけどな、その首がどこに行ったかよく分からねえんだよ」

 男は横目でアウラをちらっと見ると、それからがくがくとうなずいた。

 賞金稼ぎであれば、バルコの言ったことがどれほどのことか良く理解できるはずだ。

「それからな、彼が闇の魔導師、フィンだ」

 フィンはさすがに突っ込もうかと考えた。

《闇の魔導師って……あのなあ……》

 トレンテの奴もそうだったが、ちょっと魔法使いに対して偏見がありすぎないか?

 だが今回はそれが役立ちそうだ。なぜなら男はそれを聞いた途端、完全に凍りついてしまったのだ。まるで石化してしまったようだ。

「ロゲロが持ってきたボルトスの首、見たか? 普通の奴にあんなことできないよなあ?」

 バルコがにやにやと笑いながら続ける。

 男は真っ青になってほとんど気絶しそうになった。

「おい。せっかくの酒が冷めちまうぜ」

 男は言われるままにアルカ酒を(あお)る。それで少しは緊張が解けたようなので、バルコが更に尋ねた。

「でなあ、あんたも知ってるだろ? 今回のボルトス一派の討伐の話。そっちからグラテスまで持ちかけてきたんだからなあ」

 男はがくがくとうなずいた。

「だよな? それでちょっと訊きたいんだが、もしあんたがさ、たんまりとお宝を溜め込んだ盗賊の討伐話を持ちかけられたとする。いい話なんで、仲間を一杯集めて参加したとする。でも行ってみたら敵はやたらに強くて、何とかやっつけた後お宝を探しに行ったら、お宝なんて全然無くて、戻ってみたら首を全部持ち逃げされてたとしたらどうする?」

「………………」

「まあ、バカが引っかかったって思うよな?」

 バルコは笑った。男も引きつった笑いを返すが―――バルコが男をぎろっと睨むと男は黙り込んだ。

「そりゃなあ、俺たちの世界じゃ首ってのは持ってった奴の物だぜ。でもなあ、こんな風にあからさまに嵌められりしたら、そりゃ本人同士で話してみたいって思うのは当然だよな?」

 男は歯をがくがく言わせながらうなずいた。

「じゃあ教えてくれよ。ロゲロは今どこだ?」

 男は堰を切ったように喋り始めた。

「し、知らねえんだよ。確かに俺はロゲロとつるんでたけどな、今回は関係ねえ! 大体あいつはヤバい橋を渡りすぎるんだよ。あんたらを出し抜こうなんて、あいつどうにかしてるんだ。だから俺は乗らなかったんだよ」

「ほう。やっぱり最初からそのつもりだったか」

 バルコが眉をひそめた。

 フィンも同感だった。ロゲロの奴は最初から計画的だったのだ。

「とにかく奴は金がなかったんだ。博打でえらい借金をこさえたみたいで。そしたらラゴスとかいう奴に、ボルトスの首を取ってきたら借金をチャラにしてやるって持ちかけられたそうだ」

「ラゴスだ?」

 バルコが尋ねると男は首を振った。

「よそ者だよ。俺もそれ以上は知らねえ。ともかくそれで人を集めたんだが、なんせ相手はボルトス一派だ。相当の人数を集めねえと。ここだけじゃ足りねえ。でもグラテスにまで持ちかけるとなると分け前が減っちまう。ってんであいつはあんな話をでっち上げたんだ。俺は言ったんだよ。そんなことして恨みを買ったら今後やってけないって。でも俺の言うことなんか聞く奴じゃないんだよ……」

 男はくどくど自己弁護を始めた。それを聞いてバルコが吠えた。

「あー! もうそんなこたどうでもいいんだ。要するにてめえは本当に知らねえんだな?」

 男は慌ててうなずいた。

「それじゃロゲロの行き先を知ってそうな奴は知らねえか?」

 男はちょっと考え込むと答えた。

「いるとしたらラヌラだが……」

「ラヌラ? 誰だ? あいつの女か?」

 だがそれ聞いて、近くで聞き耳を立てていた男が言った。

「ああ? そりゃ望み薄だな。ラヌラなら置いて行かれたって滅茶苦茶怒ってたぜ。あいつにずいぶん金を貸してたみたいだが、返してもくれなかったってさ」

 バルコは振り返ってその男を睨む。だが男は手を振って向こうを向いてしまった。

「ひでえ奴だな」

 バルコがつぶやく。それを聞いて男が言った。

「なあ、そろそろいいか?」

「ああ。ありがとよ」

 解放された男はそそくさと立ち去ってしまった。

 二人のやりとりを聞いていたフィンは大きくため息をついた。

「こりゃもうどうしようもないんじゃないか? 簡単に行き先は分かりそうもないし。今日はもう疲れてるから休もうぜ?」

 ボルトス一派のアジトはグラテスとツィガロを結ぶ街道からちょっと離れた所にあった。

 フィン達はそこから街道に出て馬を飛ばしてきたのだが、グラテスとツィガロの間にはアンゴル峠というこれも結構高い峠がある。普通なら三日はかかる所を二日で飛ばしてきたのだ。はっきり言って今はへとへとだ。それにもう外は日が暮れて暗くなっている。

 だがバルコは首を振った。

「ふざけるな! こうなったら飲み明かす!」

 バルコは完全にやけ酒モードになっている。疲れているせいで今飲んだ一杯が結構効いたのかもしれない。

「そーよそーよ!」

 振り返ればアウラまで赤くなっている。よく見ればさっき出てきたアルカ酒を完全に飲み干しているではないか。フィンは慌てた。

「おい。アウラ。お前あんまり強くないだろ?」

「何よー! こんなとき飲まないでどうするのよー! もう一杯!」

「お、行けるのか? 姉ちゃん!」

 バルコが嬉しそうだ。

 くそ。こうなったらこっちももう飲むしかないか。とりあえず後は明日だ。村人にもう少し聞き込みをすれば、ロゲロの行き先だって分かるかもしれない……

「じゃあ俺も。もう一杯だ!」

 そんな調子で彼らが本格的に酒盛りを始めようとしたときだ。

 酒場の表が急に慌ただしくなったのだ

「ああ? なんだ?」

 そうバルコが言ったときだ。外から女の金切り声が聞こえた。それを聞いた近くの男がつぶやく。

「ああ? ありゃラヌラじゃね?」

 続いて誰かが叫ぶ声が聞こえてくる。


「ロゲロが殺された! ロゲロが殺された!」


 三人は顔を見合わせた。

 それから弾かれたように立ち上がると酒場を飛び出す。すると―――ちょうど荷車に乗せられた男達の死体が運ばれてきた所だった。

 首を持ち逃げした三人に間違いない!

 荷車の横で女が一人泣き叫んでいる。もう野次馬がたくさん出ている。

 三人は人混みをかき分けて前に出た。

「おい。一体どうした?」

 バルコが尋ねると死体を運んできた男が答える。

「ピーノへ行く途中の街道でこいつらがばっさりやられてたんでさ」

「殺ったのは誰だ?」

 そんなのが簡単に分かるのか?

「それが……」

 だがその男は心当たりがあるようだ。

「なんだ?」

 バルコの問いに男が答える。

「どうもエレバスみたいなんでさ」

「エレバス⁉」

 バルコが凍り付いた。それから小声でつぶやく。

「何で……そんな奴が?」

 同じく野次馬として出てきていた賞金稼ぎも、一様に唖然とした表情だ。

 フィンはアウラの顔を見る。だが彼女は何も知らないようすだ。そこで彼は尋ねたのだが……

「エレバスって誰だ?」

 バルコは答えた。

「金貨五十枚だ」

 フィンは一瞬、訳が分からなかった。金貨五十枚? この状況でいったい何の意味が?―――と、そこでそれが多分そのエレバスという奴にかかっている賞金の額だということに思い至った瞬間、背筋に冷たい物が走った。

 当然だ。

 先の討伐で、手練れの賞金稼ぎ達が苦戦していたゲオルやギアデスが金貨十枚、首領のボルトスで二十枚なのだ。

 大体ボルトス一派全員の首全部合わせて金貨が六十枚そこそこだ。一人で五十枚なんて―――もはや途轍もない奴としか言いようがない。

 だがアウラは呑気だった。

「ええ? じゃあそいつやっつけた方が早かったじゃない」

 聞いたバルコが泡を食ったように答える。

「バカ野郎! そうやって何人死んだか知ってるのか?」

「知らないけど、何人?」

 そのあまりにも無邪気な問いに、バルコも力が抜けたようだ。

「ともかく……一杯だ」

「ふうん」

 全くこんなときに緊張感の無い奴だ……

 フィンがそんなことを思っていると、アウラはつっと荷車に寄っていって死体を覗き込んだ。

「おい、ちょっと」

 何を考えてるんだ? フィンは彼女を連れ戻そうとしたが―――その瞬間アウラの表情が一変する。

「凄い……」

「凄いって?」

 フィンはアウラの顔と死体を見比べる。

「こいつ……凄く強いよ」

 フィンはアウラの横顔を見る。

 そこには何だか今まで見たことのない表情が浮かんでいた。

《どうしたんだ?》

 そう思った瞬間、アウラが言った。

「じゃあー、追っかけましょー」

「はあ?」

「そいつやっつけたらー、金貨五十枚なんでしょ?」

 そのとんでもない意見にフィンとバルコが同時に突っ込んむ。

「バカ! やめろ!」

「冗談じゃねえぞ!」

 だがアウラは不思議そうだ。

「ええー? どうして?」

 どうしてもこうしても……

「あのなあ、今から行ってどうする! もう夜だ!」

「あらー、そうね」

「そうねじゃないって!」

「うーん」

 そしていきなりアウラはフィンにしなだれかかってきた。

「今度は一体なんだ?」

「あはー」

 いかん。どうやらさっき飲んだのが回ってしまったらしい……

 これも旅に出てから分かったことの一つなのだが、アウラはあまり酒には強くない。

 そしてこんな風になったら間違いなく彼女は寝てしまうのだ。ただの物体と化したアウラははっきり言って重い。始末に困る。

《はあ……》

 フィンは何とかアウラを宿屋に連れ帰ると、明日からのことを考えた。

 結局のところ、今回の仕事では一文にもならなかったわけで―――やはり一発当てようとするよりは、もっと地道なやり方を考えた方が良かったということで……



「ねえねえ、フィン! 起きてよ!」

 夢現にアウラの呼ぶ声が聞こえる。

 フィンはとろんとした目で布団から顔を出した。

 朝日が顔に当たってまぶしい―――だが、この光だと日が昇ってまだ大して経っていない時間だ。

「なんだよ。こんな早く?」

「あ、やっと起きた」

 フィンは目をこすりながらアウラを見る。彼女はもう着替えも済ませていた。

「んん? どこ行くんだ?」

 そんな急ぐ用事があっただろうか?

 フィンは寝ぼけた頭で考えるが、何も思い出せない。

「宿屋の人に聞いたんだけど、エレバスが次の宿屋に泊まってたんだって。だから行ってくるから」

「ああ?」

 フィンは曖昧にうなずいた。

 それを見たアウラはさっさと出て行ってしまった。

《ええっと、何だって?》

 うーむ。アウラが言わんとすることがいまいち掴めないが……

《うう……頭ががんがんする……》

 夕べアウラをここまで運んできて寝かせつけた後、バルコと結構飲んでいたのだ。

 二人とも疲れていたから、そこそこでお開きにはなったのだが、それでも結構な二日酔い気味だ。もうちょっと寝かせておいて欲しいのだが……

 そう思ってフィンは布団に潜り込む。

 それからもう一度考え直す。

《えーっとアウラは誰に会いに行くって言っていた?》

 確かエレバスとか言ってたが―――エレバス? って誰だったっけ? 確か……


「金貨五十枚⁉」


 そう叫んでフィンは弾かれたように飛び起きた。

《ちょと待てーっ!》

 途端に頭がくらっとするが―――もちろん部屋の中にアウラの姿はない。

 フィンは裸足でベッドから降りると窓際に走った。見るとちょうどアウラが馬で発とうとしているところだった。

「アウラ!」

 フィンは窓から叫ぶ。それを聞いたアウラはフィンに手を振ると、振り返って一目散に馬を走らせていってしまった。

《あいつ、一体何を考えてやがる!》

 もちろんその理由は明白だ。

 彼女はエレバスをやっつけるつもりなのだ。

《ちょっと待てよ!》

 そりゃアウラが常人離れした強さなのはもう分かっている。

 だが彼女が無敵ではないこともまた事実なのだ。実際、つい先日ボルトスに殺されかかっていたではないか?

 エレバスというのはとんでもなく強い奴だそうだが、それは昨夜、ロゲロの死体の切り口を見て自分でも言っていたではないか!

 大体ロゲロだって決して弱い奴じゃない。というより、その辺の奴らの中じゃ滅茶苦茶強い方だろう? それをみんな一太刀で絶命させているのだから―――化け物じみた奴だってことは明らかではないか!

 フィンは慌てて服を着替えると部屋を飛び出した。

 階下に降りると宿屋の主人が驚いた顔で迎える。フィンはいきなり彼に尋ねる。

「エレバスがいたってのは?」

 主人は驚いた顔で答えた。

「次の道中宿だそうですが……ピーノとの分岐点のところにある」

「わかった」

 主人は彼に何か尋ねたさそうだったが、フィンはそんなことには関わっていられなかった。

 驚く主人を横目に、フィンは厩に走って自分の馬に鞍を乗せるとそのままアウラの後を追った。

 だが何だかだでずいぶん出遅れてしまった。もちろんアウラの姿は影も形もない。

《追いつけるだろうか?》

 何しろアウラは馬に乗るのも得意だ。

 フィンも乗馬ならば昔からずいぶんやっていたからそれなりに自信はあったのだが、早駆け競争をしても五回に一回ぐらいしか勝てない。悔しいから彼女の体重が軽いからだということにしているが―――ともかく体を動かすことにかけては彼女は抜群の才能を示すのだ。

 フィンは可能な限りの速度で街道を突っ走った。

 おかげで次の道中宿に着いたときは彼も馬もへとへとだった。

 そんなフィンを宿屋の主人が驚いて迎えた。

「どうなさったんですか」

「今若い女が来なかったか? 薙刀担いだ」

 主人も大きくうなずいた。

「来ましたよ」

「どっち行った?」

 宿屋の主人はグリシーナの方向を指した。

「いつだ?」

「ちょっと前ですが……あの娘さんは一体? どうしてエレバスを追って……」

 どうやらアウラはここで主人にエレバスの行き先を訊いたのだろう。宿屋の主人が訝しむのも当然だ。どう見たって逢い引きしに行くようには見えなかっただろうし―――だが彼女がエレバスの首を狩りに行ったなんて考えられるはずがないし……

「いや、ちょっとな」

 説明したって信じてもらえそうもないのでフィンはごまかした。

 だがそれよりも馬がやばいことの方が問題だった。こいつにへたばられたら―――そのときフィンはいいことを思いついた。

「なあ、ちょっと駅伝の馬とこれを交換してもらえないか?」

「え? それは……」

「こいつ見てくれよ。いい馬だろ? ちょっと今走らせすぎただけだから」

 フィンの愛馬はフォレスを出る際に少し奮発して買った、見事な毛並みの黒馬だった。ここまでずっと一緒にやってきた仲なのだが、こんな場合なら仕方ない。

 それに戻ってこられないと決まったわけではないし……

「でもですねえ……」

 主人は考え込んだ。本当はこういうことはいけないのだが、別に彼が損をするわけではない。フィンは馬から飛び降りると主人ににじり寄る。

「頼む! どうしても急ぎなんだ。あいつに追いつかないと大変なんだよ」

 宿屋の主人はうなずいた。

「分かりました。それじゃお使い下さい」

 フィンは疲れていない新しい馬に乗り継ぐと、再びグリシーナに向かう本街道に馬を走らせた。

 新しい馬の効果は絶大だった。やがて前方にアウラの姿が見えてきたのだ。

《やった!》

 フィンは大声でアウラに向かって叫んだ。

「アウラ!」

 それを聞いて彼女が振り返る。そしてフィンの姿に気が付くと手を振って馬の歩みを緩めた。

 やっとの事で追いついて並ぶと、アウラは呑気な声で言う。

「あら? フィンも来たの?」

「来たのじゃない! 戻るんだ!」

 アウラは眉をひそめた。

「どうしてよ」

「相手が悪すぎるだろ⁉」

「そんなの分からないでしょ?」

 確かにそりゃ分からないといえば分からない。

 すなわち運が良ければ楽勝で勝てるかもしれないが、運が悪いと命を落とすかもしれないということだ。

 フィンは何とか彼女を説得しようとしたが、彼女は戻る気配もない。一体どうしてくれようとフィンが頭を抱えたときだった。前方に馬に乗った男の姿が見えたのだ。

 急ぎ旅ではないのだろう。男はひどくのんびりと馬を歩ませている。

 もう少し近づくと背中に大きな剣を担いでいるのが分かった。

《じゃあまさかあいつが?》

 そう思った瞬間だ。

「いた!」

 途端にアウラが馬に拍車をかけたのだ。

「おい、こら!」

 フィンは慌てて後を追う。だがアウラは走り続ける。

 そしてとうとう二人はその男に追いついてしまった。

 アウラ達が近づいてくる気配に男が振り返った。

 それから男は道端に馬を止める。

 アウラとフィンは男から少し離れたところで馬を止めた。

 男はあまり身だしなみに気を遣わない性格と見えて、髪はもじゃもじゃで、髭も長く伸びていた。服もかなりくたびれた感じだったが、薄汚いというわけではない。

 そんなことよりも、その髪の間からフィン達を見据えるその眼光がフィンを痺れさせた。

 フィンはそれに射竦められたように動けなかった。

《こいつ……やばいか? まじに》

 男は二人をじっと見つめた。

 中肉中背でそれ程大きな体格をしていたわけではないが、フィンにはなぜか大男に見える。こんなタイプの奴は見たことがない……

 だがその眼光はアウラにはあまり効いていないようだった。

 彼女はつっと前に出ると、フィンに下がっていろと合図をした。

「ちょっと……」

 そう言いかけた所で、彼女が再び下がれと合図する。

 もうそれ以上逆らえなかった。

 それからアウラは更に馬を数歩進めた。男とアウラは馬上でしばらく見つめ合った―――ただそれだけで二人は一言も声も発さない。名乗りも上げない。

 こうなったらもうフィンにはどうしようもなかった。

 ………………

 しばらくその状態が続いた。

 間の空気が軋んでいるような感じがするが―――フィンの胃が痛くなり出した頃、突然動きがあった。

 二人はちょっとうなずきあったかと思うと、ほぼ同時に馬から飛び降りたのだ。

《え?》

 それを見てフィンも釣られて馬から降りた。

 別にそうしなければならない理由は無かったのだが……

 続いてアウラが数歩前に出る。

 男も同様に前に出る。

 それに合わせるようにアウラがさっと薙刀を抜いた。フィンは斜め後ろに立っていたが、その瞬間の彼女の表情を見ることができたのだが……

《誰だ⁉ こいつ……》

 いや、それはアウラだったのだが、何だかいつもの彼女とは全く別人のように見えたのだ。

《本当にこれが……アウラ⁉》

 ―――今まで彼女が立ち会うシーンは何度も見てきた。

 パロマ峠での盗賊相手のときも、アサンシオンでガルガラスと対決したときも、城で何度か行った立ち会いのときも、最近ではギアデスを瞬殺したときも―――そんな際の彼女の姿は何というか、もうほとんど無造作としか言いようがなかった。

 相手が剣を構えているのに自身は薙刀を片手に持って立てていたりして――― 一見ほとんどやる気がないようにさえ見える。だがそれでも常に勝つのは彼女の方だったのだが……

 だが今回は少し違った。

《あれって?》

 アウラが抜いた薙刀を肩に担ぐようにして、左半身でエレバスに対しているのだ。

 フィンには剣術のことはよく分からない。だからこれが彼女の正式な構えなのかどうかは分からないが―――ともかく今までの立ち会いとは一線を画していた。

 その証拠にいつもなら無造作に相手に近づいていったりするのに、今回は相手の横に回り込むように動いていく。

 しかもその目は一時たりとも相手から離れない。

《あいつ笑ってるか?》

 一番の違いはその表情だった。

 この位置からだとアウラの口元しか見えないが―――明らかに微笑んでいるように吊り上がっている。

 それはフィンが初めて見る、心底本気で戦っているアウラだった。

 いま目の前にいる男は、アウラが真に戦うに値すると確信した相手なのだ―――だとすればもちろんそれは金貨五十枚の男、エレバスに間違いない。

 そんな様子のアウラを見て、エレバスもすらっと剣を抜く。

 かなり長い湾曲した剣だ。

 彼はその剣を左斜め前の下段に構えた。

 その状態で二人はしばらく見合っていた。

 最初に動いたのはアウラだった。

 彼女がつつっと間合いを詰め始めたのだ。それを見た剣士が―――そこから一気に踏み込んで間合いを詰めると逆袈裟に薙ぎ上げたのだ。

《アウラ!》

 フィンは叫ぼうと思ったが、声が出なかった。

 その刹那、アウラが両断されてしまったように見えたのだが―――その刃は空を切っていた。

 何故だか分からないが、それはぎりぎりアウラには届かなかったのだ。

 次の瞬間、今度はアウラの薙刀が一閃する。

《!》

 やったか? しかし―――それもまた空を切っていた。

 その剣士もまたアウラの斬撃を、それこそ紙一重で避けたのだ。

 ―――次いで二人は弾かれるように間合いをとる。

 するとアウラがまた先ほどと同じように薙刀を肩に担いで構えるが、剣士の方は今度は上段に構えてきた。

 アウラの口元からちらっと歯が覗く。

《また笑ってる?》

 もはやフィンには理解不能の世界だが―――二人はまたじっと見合った。

 次いで今度はエレバスの方が打ち込んで来た―――と、同時にアウラも一気に突進する。

《うわぁ!》

 フィンにはまるでアウラが自分から斬られに突っ込んでいったかに見えたのだが―――何故か次の瞬間、後ろに飛び下がって避けたのはエレバスの方だった。

《え? どうしてだ》

 そのときやっとフィンはアウラが刃ではなく、石突きの方で思いっきり突いていたことに気がついた。

 薙刀の柄の最後尾には石突きといって金属の冠が嵌められている。これが結構な殺傷力を持っているのだ。昔ガルサ・ブランカ城でフィンがいじめられていた頃、これでずいぶん突っつかれたのでその痛みはよく知っているが―――本気で食らったら骨が砕けてしまうだろう。

 だが並の相手なら引っかかたであろうこの攻撃も、目前の剣士には通用しなかったようだ。

 しかしフィンはそのときエレバスの口元にも同じく笑みが浮かんでいるのに気がついた。

《あいつも?》

 次いで剣士は一段低く腰を落とすと、手にした剣を中段斜めに構えて、アウラを鋭い目で見据える。だがアウラは全くそれに臆することなく、嬉しそうな笑みを返す。

 それから今度はアウラが下段に薙刀を構え直した。

 ただ通常とは逆で、刃が上向きになっているが……

 二人はそのまま凍り付いたようにじりじりと睨み合った。

《どうすればいいんだ?》

 もしかして小手調べは終わって、これからが本番なのだろうか? だとしたら―――次の交錯で決着がつくのだろうか? 決着がつく? いったいどういう?

 その先に起こりうる出来事をちょっとだけ想像してみて、フィンは喉がからからになった。

 そこでもう考えるのをやめると、意識をアウラの顔に集中させる。

 フィンは目に焼き付けるようにアウラを見つめ続ける。

 そこにいる娘は彼のよく知っている娘でありながら、同時に初めて見る娘でもあった。

《あいつ……いい顔してるよな?》

 フィンは思い出そうとした。

 こんな彼女の笑顔を見たことはあっただろうか?―――だがいくら考えても記憶にない。だとすると、これは初めて見る彼女の一面なのだ。今までほとんど表に出てくることのなかった“剣士”としての彼女の真の姿なのだ。

 ならばもうこれは彼が口を出していい領域ではないのかもしれない。

 薙刀で戦うということは、アウラにとって最も根元的な悦びの得られる行為なのかもしれない。

 彼女がガルブレスと旅をしていた頃は、ずっとこんなだったのだろうか?

 こんな悦びをフィンがアウラに与えてやることは不可能だ。

 そして少なくとも彼女は今、この状況を久々に楽しんでいる。

 そこに一つだけ問題があったとすれば―――下手をすると彼女が死んでしまうかもしれないということだった。

 今までの交錯を見て、両者が生きていること自体フィンにとっては奇跡に見える。

 これは予定通りのことなのか? それとも偶然なのか?

 一寸先は闇というのはこのことだ。最悪の場合、ここでアウラを失ってしまうかもしれないのだが―――だがそう思ってみても実感がない。

 あのアウラがいなくなる? そんな馬鹿な! あいつが自分を残して行くようなことなどあり得ない! そうとしか考えられないのだが……

 こうなったらもう信じるしかない。結果がどうであろうと―――彼のアウラを!

 そう思うとほんの少しだけ心が軽くなったが―――体の方は相変わらず胃がきりきり痛んでいる。

 ―――そのときだ。

 エレバスがふっと構えを解いたのだ。

《え?》

 フィンがそう思った瞬間、アウラの方も構えを解いていた。

 そしてエレバスがアウラに尋ねた。

「それで、俺に何の用だ?」

 男の声はちょっとしゃがれ気味だ。聞いたアウラが一瞬ぽかんとする。

「え? ああ。えっと……そうそう。あんた金貨五十枚でしょ?」

 フィンはどっと力が抜けた。あの様子は―――どう見ても忘れていたに違いない!

「ほう。じゃあお前、賞金稼ぎか?」

 アウラは首を振った。

「違うわ。旅してたんだけど、ちょっとお金が足りなくなっちゃったの」

 エレバスは妙な顔をした。当然だろう。旅の途中に金欠になったからといって賞金首を狙う女なんて普通いない。

「それは残念だな。でもそれじゃお門違いだ。ここじゃ俺に賞金はかかってない」

「ええ? 嘘!」

「嘘じゃない」

「でもバルコが金貨五十枚だって……じゃああいつ嘘教えたのね⁉」

 エレバスは首を振ると答えた。

「そいつが誰かは知らないがな。一応嘘つきじゃあないな」

「どういうことよ?」

「グラテスとかアイフィロスじゃそうだってことだ」

 それを聞いてアウラはしばらくぽかんとしてから、さも嫌そうに言う。

「えー? じゃあ首持ってあの距離戻るの? あ、塩の袋も持ってきてないし……」

 何というか、本人を前に言うことか? そもそもどこかに買い出しに行くのと間違えてないか?

「だから首をやるのは断る」

 彼の主張は当然だ。そこでアウラが言った。

「じゃあグラテスまで一緒に行ってよ」

「それも断る。」

「でもあたし達お金がいるのよ」

 それを聞いたエレバスはくっくっと笑った。それからアウラに尋ねる。

「どのぐらいいるんだ」

「金貨十枚でいいんだけど」

 その答えを聞いたエレバスの目が丸くなる。それを見たアウラが言う。

「でしょ? 金貨十枚なんて大金なんだから」

 エレバスは笑いながら首を振った。

「それだったら金貨二十枚やろう。だったら文句ないか?」

 だがアウラは首をふる。

「ええ? 多すぎるわ」

 途端にエレバスは下を向いて肩を震わせ始めた。あれは明らかに笑いを堪えているに違いないが―――そしてアウラに突っ込んだ。

「お前は今、金貨五十枚を狙ってたんじゃないのか?」

 その問いにアウラはあっといった顔で口ごもり、それからぼそっと答える。

「だって……他に手頃なのがいなかったから」

 エレバスはとうとう声を出して笑い出した。

「とっとけ。どうせあぶく銭だ」

 そう言って彼は懐から金貨の入った袋を投げて渡したのだが―――それをアウラが受け取ろうとした瞬間だ。やにわにアウラに斬りかかったのだ。

《あ! 汚え!》

 驚きのあまりフィンは心臓が止まりそうになった―――だがアウラはそれをひょいと避けるとむっとした表情になる。

「何やってんのよ。セコいわね?」

 ちょっと今のは面白くなかったらしい。その顔を見てエレバスはまた大声で笑い出した。

「わははは。すまんな」

 そうして剣を鞘に戻した。それを見たアウラも薙刀をしまう。

 それから彼女は落ちていた金貨の袋を拾って中を確かめると、振り返ってフィンに言った。

「ねえねえ。儲かっちゃった」

 フィンはどっと地面にへたりこんだ。

 もうほとんど腰が抜けていた。

 戦っている最中は緊張で体が動かず、終わった今は脱力で体が動かない。

「後ろにいる奴も仲間か?」

 そんなフィンを見てエレバスが言う。

「うん。そうだけど?」

 エレバスはフィンを上から下まで変な目つきでじろじろと眺めた。だがそれ以上は何も言わずにアウラに尋ねる。

「その技、誰に習った?」

「ブレス」

「ブレス?」

「うん。ガルブレス」

 エレバスの目が見開かれた。

「なに? 本当か?」

「え? 知ってるの?」

「ああ。奴とは何度か手合わせしたことがあるぞ。ずいぶん前だがな」

 その言葉にアウラが目を輝かせる。

「え? 本当? どうだった?」

「そうだな……高貴な剣だった」

 エレバスが独り言のように答えたが……

「??」

 アウラはよく分からないという様子でぽかんとしている。

 そんな彼女にエレバスがまた尋ねる。

「なるほどな……それで納得だ。で、お前、名は何という」

「アウラ」

 その名を聞いて少し何かを思い出そうとしていたようだが―――次いで愕然とした表情になった。

「アウラ、だと?」

 その声は妙に真剣だ。

「うん?」

 その調子の変化に気づいたのだろう。アウラも少し身構えて答える。

「もしかして、お前、ヴィニエーラのアウラか?」

 今度驚くのはまたアウラだ。

「え? 知ってるの?」

 そんな彼女の表情を見て、なぜかまたエレバスは笑い出した。

 今度はどこかの壺にはまったらしく、延々といつまで経っても笑いが止まらない。いい加減アウラが怒ってきた。

「一体何がそんなにおかしいのよ!」

 エレバスはやっと笑いを止める。

「お前、アビエスの丘で四人ぐらいバラしただろう?」

 アウラの表情が変わる。

「あんた……あいつらの仲間?」

 彼女が薙刀の柄に手をかけるが、それを見たエレバスが慌てて答えた。

「とんでもない。関係ねえって。そうじゃなくて、お前のせいで間違えられたんだよ」

「間違えられた?」

「あのとき俺は近くの宿屋に泊まってたんだ。そしたらいきなり寝込みを襲われてふんじばられてな。挙げ句に“プロ”を四人も瞬殺なんてお前しかできないだろうとか言われて、もうちょっとで縛り首だ。往生したぜ」

「ああ? そうだったんだ」

 アウラは納得したようにうなずいた。

 だがエレバスの方は真剣な表情で矢継ぎ早に質問を始めた。

「何でそんなことをした?」

「何でって、あいつらが襲ってきたから」

「何でそいつらが襲ってきたんだ?」

「知らないわ」

「じゃあ何でそんな所に行ってたんだ?」

「レジェが行こうとしてたからよ」

「何で彼女に付いてったんだ?」

「だって一人で行かせられるわけないじゃない。あたし夜番だったんだから」

 そう言ってアウラがエレバスを睨む。

 エレバスはしばらくの間そんなアウラをまじまじと見つめていたが、再び大声で笑い出した。

「何よ! 一体!」

 アウラが怒り出す。

「いやな、確かにあんたみたいな娘がやったなんて普通は信じられねえだろうしな。こうして手合わせしなきゃ俺だってそうだったがな」

 エレバスは笑い続ける。

「だから……何なのよ?」

「知らなきゃいいのさ」

 アウラは何が何やら分からないといった表情だが―――フィンは少し心配になっていた。

《この会話はいったい何なんだ?》

 エレバスはどうしてアウラにあんな質問をするのだ? そもそもそこで一体何が起こったのだ? 話の感じではまともな出来事とは思えないが……

 そんなことを考えていると―――いきなりエレバスがフィンの方にやってきたのだ。

 てフィンは内心すくみ上がった。

「や、やあ……」

 フィンは精一杯の勇気を振り絞って挨拶する。こいつが斬りかかってきたら避けられる気がしないが―――いざというときにはアウラがいるから何とかなるだろうけど……

 だがこいつが本気で仕掛けてきたら、彼女でも間に合うのか?

 そんな様子のフィンをまた妙な目つきで見つめながらエレバスが言った。

「それはそうとあんたは?」

「え? フィンって言いますが?」

「お前が彼女の?」

 そう言って斜め後ろにいるアウラを示す。

「え? まあ、その」

 フィンは曖昧にうなずいた。それを見たエレバスはまた妙な笑いを浮かべた。

「もったいねえな。そりゃ」

 もったいないって? 一体それはどういう意味だ? 要するにフィンにとってアウラがもったいないとでも言いたいのか? 余計なお世話だ! 大体……

《いや、ちょっと待て。こいつまさかアウラのことを?》

 その瞬間、フィンは頭をがんと殴られたような気がした。

 考えてみれば―――彼がアウラに惚れてしまったからといって何がおかしい?

 この広い世界で彼と互角に剣を交えることのできる女なのだ。

 そんな女が気にならないわけがないじゃないか!

《冗談じゃない!》

 だがこればかりは退くわけにはいかなかった。

 命を賭けたってアウラを渡すわけにはいかない!

 フィンは決心すると立ち上がり、エレバスを正面から睨み返した。

「それってどういう意味だ?」

 いざとなったらまたあの魔法をやるしかないか? だがこの男はどうだろう? フィンが怪しい素振りをしたら即座に抜いてきそうだ。そうなったら避けようがない。だが……

 しかしそんなフィンの思いをよそに、エレバスはにやりと笑うとこう答えたのだ。


「お前をこんな男女の物にしとくのはもったいないって、そう言ってんのさ」


「え?」

 フィンは彼の言ったことが理解できなかった。そこにエレバスがつっと近づいてきてフィンの顎を持ちあげると……

「なかなかいい顔立ちだな」

 そう言ってキスしようとしてきたのだ。

「だわあわわわわあわああ」

 フィンは訳の分からない叫びを挙げながら、慌てて飛び下がって尻餅をつく。次の瞬間、抜き身の薙刀を手にしたアウラが割り込んできた。

「だめよ! フィンはあげないから!」

 それを見てエレバスがまたまた大爆笑する。

 彼はひとしきり笑った後、踵を返すと言った。

「いや、久々に面白かった。また縁があればな!」

 そして自分の馬に跨るとそのまま立ち去っていった。

 フィンとアウラは呆然とその後ろ姿を見送った。


 ―――まさに危険な奴だった……



 それからしばらくして、戦いを終えた二人はツィガロに向かって仲良く馬の轡を並べていた。

《疲れた……本気で疲れた……》

 今回のはもう今までの一生のうちで間違いなくトップスリーに入るぐらいに疲れる出来事だった―――なのに……

「ねえ、フィン、どうしたの? お腹すいた?」

 アウラはまったく平然としていた。

《これがほんのちょっと前まで、生きるか死ぬかの戦いをやってた奴なのか?》

 彼女がこうして生きているということ自体、フィンにとっては奇跡だったというのに―――こいつときたらほとんど観光気分だ。

 フィンは少し腹が立ってきた。

「お前なあ、もうちょっと命を大切にしろよ!」

 フィンは怒りを抑えながら言う―――だがアウラは不思議な顔になる。

「え? どうして?」

「どうしてって、死んでたかもしれないんだぞ⁉」

 そんなフィンの言葉に、アウラはあっさりと答えた。

「え? 斬られっこないわよ? 大体あいつ本気出してなかったし」

「ええ? じゃあお前、あれ、本気じゃなかったのか?」

 アウラは首を振る。

「ううん? あたしは結構本気だったけど?」

 フィンはのけぞった。

「ちょっと待て! ってことは、向こうが本気だったらやられてたってことか?」

 それにはさすがに呑気なアウラもちょっとは堪えたようだった。

 彼女は少し口に手を当てて考え込むと……

「え? ああ、そうねえ……でも結構いい人だったし。全然心配なかったじゃない」

 だーかーら、そういう問題じゃないって!

 フィンはがっくりして馬からずり落ちそうになった。

「ちょっとアウラ、やめてくれよ。そんなのは」

 半分泣きが入っている。

「え? どうして?」

「だから、あいつが本気だったらヤバかったってことだろ?」

 だが彼女はフィンの言いたいことを理解してくれなかった。

「うん。でも本気じゃなかったじゃない?」

「そういう問題じゃなくて、もしかしたら命が危なかったってことだろ?」

「え? だって悪い人じゃないのにどうして?」

 うう、話が通じない……

 確かにあいつは危険ではあったが、あまり悪人にも見えなかったのは確かだ―――でなければ見ず知らずの俺たちに金貨二十枚なんて大盤振る舞いはしないだろうし……

 あいつも同様に戦いを楽しんでたって思えば、この結末は納得いくが……

《そんなこと俺に分かるか⁉》

 一体どうしてくれよう? そうフィンが考えていると、彼方から馬に乗って爆走してくる男が見えた。

「あら? あれバルコじゃない?」

 確かに男の姿には見覚えがある。

《一体どうしたんだ? あんなに慌てて……》

 バルコは二人の姿を認めると、更に全速力で近づいてきた。そして彼らの横にやってくるとターンして轡を並べる。フィンはそんな彼に話しかけた。

「どうした? 何かあったか?」

 だがそれを聞いたバルコはいきなり怒り出した。

「どうしたもこうしたもあるか! エレバスを追ってくなんて、バカか? お前ら!」

「え? あ……」

 バルコは朝起きてフィン達がいないことに気づき、宿屋の親父から二人の行き先を聞いて仰天し、慌てて追いかけてきた所だったのだ。

「いや、あはははは。心配してくれてありがとう」

 フィンは何とかごまかそうとしたが、バルコはカンカンだ。

「笑い事じゃねえ‼」

「すまん。せめて言ってから行った方がよかったかな?」

「そういう問題じゃねえだろ‼‼」

 これでは―――さっきのアウラと同じである。

「まあ怒るなって。ともかくこうして帰ってこれたんだし」

 バルコは首を振った。

「全く……じゃあエレバスはいなかったってことか?」

 フィンは考えた。ここは適当にごまかした方がいいだろうか? だが彼を騙しても仕方がないし―――そこでフィンは答えた。

「いや、いたんだが……」

 バルコの目が丸くなった。

「いたって? じゃあ戦いにはならなかったってことか?」

 そこにアウラが口を挟む。

「ううん。()ったけど?」

 バルコはそれを聞いて黙り込む。それからフィンの顔を見て……

「ってことは……あんたの魔法で追い払ったんだな?」

 だがそこでまたアウラが言った。

「ううん? フィンは手出してないわよ?」

 バルコは再び仰天する。

「なんだと? じゃあ、あいつとまともに戦ったってのか?」

「うん」

 ………………

 …………

 ……

 バルコはちょっとこいつ何者だ? という表情でアウラをまじまじと見つめた。

 俄には信じがたい話だろう。

 ここにいる若い娘が金貨五十枚の賞金首と互角に戦ったというのだから―――いや、それはフィンにとっても同じだ。彼はバルコ以上にアウラが戦う所を見てきたが、未だにどうして彼女がこんなに強いのか全く理解できていないのだ。

 しばらく絶句してしていたバルコが呆れたように言う。

「……にしても、エレバスと戦って生き残った賞金稼ぎなんて、あんたが初めてじゃねえか?」

 それを聞いたアウラが驚いて答える。

「え? そうなの? あたし金貨もらっちゃったんだけど」

「ああ? 何だって?」

 バルコの目がまたまた丸くなる。

 そこでフィンは仕方なく、あそこで起こったことを端から説明しなければならなかった。

 説明が終わった後、バルコはもうしばらく言葉が出なかった。

「……で、金貨二十枚くれただ?」

「うん。まあな」

「でしょ。だからエレバスって悪い人じゃないのよ」

 バルコはもう何が何やら分からないといった風だ。

 そんな彼にフィンは尋ねた。

「うん。俺も確かにあいつってそんな悪人には見えなかったんだが、何の罪でそんな賞金をかけられてるんだ?」

 バルコは答えた。

「ああ? そりゃ確か最初はアイフィロスで役人を斬ったからだったな。そのときは確か金貨五枚ぐらいだったと思うが……その後、賞金稼ぎをみんな返り討ちにしてったせいで、額が跳ね上がってったんだよ」

「なるほど……」

 フィンはうなずいた。大変納得のいく話だ。

 だが金貨五十枚になるには何人の賞金稼ぎを倒さなければならないんだろう? 相当な数のはずだが……

「にしても金貨二十枚ね……」

 バルコが少しうらやましそうに二人を見る。それを見てアウラが言った。

「少し分けてあげようか?」

 バルコはぽかんとして―――次いで吹き出した。

 そして首を振りながら言う。

「お申し出は嬉しいけどな、そりゃあんたが奴と戦って得た報酬だ。俺のじゃねえ。もらうわけにはいかないな」

 それは賞金稼ぎの矜持だったのだろう。倒した盗賊の貯め込んだお宝を頂くのは構わないが、ただでお金を恵んでもらうわけにはいかないのだ。

 だが考えてみたら今回の作戦ではバルコ達は一銭も儲かっていない。フィン達が結果的にこれだけ儲けられたのは、バルコに討伐隊に入れてもらったからだとも言える。

 そこでフィンはバルコに尋ねてみた。

「なあ、バルコ。えっとさ、俺がさ、フォレスのネブロス連隊にあんた達を紹介できるって言ったらどうする?」

 バルコが目を見開いた。

 ネブロス連隊はこの間のセロの戦いで大きく株を上げている。この討伐隊にフィンが入れてもらえたのも、彼がセロの戦いでネブロス連隊に属していたと言ったのが大きい。

 今度はさしものバルコもしばし考え込んだ。間違いない。腕に自信のある者にとっては結構魅力的な職場に違いないのだ。

 しかし彼は黙って首を振った。

「やっぱやめとくぜ。今更軍隊なんてな。気ままな今の仕事を続けるさ。でも気持ちは嬉しく頂いとくよ」

 フィンはうなずいた。

 前方にツィガロの村が見えてきた。

「それよかフィン。あんたら今後どうする気だ?」

「ええ?」

「賞金稼ぎを続けるのか?」

 フィンは慌てて首を振った。

「いや、これからシルヴェストの方に行かなきゃならないんだ」

 バルコは残念そうに言った。

「そうかい。そりゃ仕方ないな。あんた達と組んでられたらずっと仕事がはかどりそうだったんだがな」

「ああ、悪い。そりゃちょっと無理だ」

 フィンが首を振るとバルコはそれ以上は何も言わなかった。

「わかった。じゃあ俺は今日中にグラテスに帰るから。デプレスがくたばってねえか見て来なきゃならねえしな」

「ああ」

 そしてバルコは二人に別れの挨拶を交わすと、一人先行して村に戻っていった。

 フィン達はその後からゆっくりと村に戻った。

 二人が宿に戻ると、宿屋の親父がまるで幽霊でも見たかのような表情で二人を迎えた。間違いない。絶対死体で帰ってくると信じていたのだ。

 そこでフィンは彼が何か言い出す前に豪勢な料理を注文した。

 幽霊は料理を食べないだろうし、今回は今までになく懐は暖かい。それに考えてみたら朝からまともな物を食べていないのだから……



 二人は部屋に戻った。

「ふうっ!」

 大きくため息をついてアウラがベッドに転がる。

 さすがの彼女も少々疲れたらしい。料理がやって来るまでもうしばらくかかるだろう。その間フィンはぼうっと今日のことを思い起こしていた。

《まったくこいつ……一緒にいるだけでこれほど命が縮む奴がいるなんて……》

 それなのに何故か彼女がますます愛おしくなってくる。

《何だ? これって……?》

 もう自分でもよく分からないのだが―――ともかくあの戦いは思い出すだけでも心臓に悪かった。

《二度と嫌だぞ? あんなの……》

 目の前で“彼女”が命を失うかもしれない―――なのに彼は全く無力で、ただそれを見ているだけなどというのは……

「はあ……」

 フィンは大きくため息をついた。

 まあ、ともかく終わり良ければ全て良しだ。こんなことがそういつもいつも起こるはずがないわけで―――とそのときだ。フィンはあそこでアウラとエレバスが話していたことが気になってきた。

 その後の衝撃の展開のせいですっかり忘れかけていたが……

《何だったっけ? どこぞの丘で、四人だかをバラしたとか何とか?》

 どういうことなのだ?

 アウラからそんな話は聞いたことがなかった。

 その中で出てきたレジェという名前は覚えているが―――確かヴィニエーラで仲が良かった遊女のはずだが?

《あいつ……一体何をしたんだ?》

 そのレジェを護衛していて暴漢に襲われたのだろうか?

《こんなことならあのときもっと聞いておけば……》

 彼らがハビタルを出立する前、アウラとパサデラと一緒に一晩楽しんだことがあったのだが―――このあたりの話を聞くチャンスだったというのに!

《でも、ま、無理だよな?》

 あの晩は、世界がピンク色だったことしか覚えていない。世には不可抗力という物があるわけで―――だがそれにしても……

《でも……プロって言ってたよな?》

 プロ?

 その瞬間フィンは何か嫌~な気分に襲われた。

 特に理由はない―――だが妙に心に引っかかる……

《そういやエレバスはどうしてロゲロ達をぶっ殺したんだ?》

 賞金稼ぎが賞金首に返り討ちに遭うことは良くある。だからつい見過ごしていたが、考えてみたらこの場合、何かがおかしい。

 まずロゲロ達がエレバスのことを知らなかったはずがない。

 宿屋の主人でさえ知っていたのだから、このあたりの賞金稼ぎなら誰だってエレバスの強さは知っていたはずだ。

 それに彼らはボルトス一派の賞金総額である、金貨六十枚前後を持っていたはずだ。それだけあれば金に困っているとは言えない―――なのにどうしてそんな危険を冒してまでエレバスに挑んだのだ?

《んなこと、あり得ないよな?》

 だとすれば―――エレバスの方がロゲロ達を襲ったのだろうか?

《どうして?》

 金目当てとはあまり考えられなかった。会ってみたかぎりそんな奴には見えなかったし、だったらあんなに気前よくアウラに金貨二十枚もくれないだろうし……

 ではロゲロに恨みでも持っていたのだろうか?

 まあそれはあるかもしれないが―――でも今このタイミングで?

 だとしたらエレバスが誰かに雇われてロゲロ達を殺したとか?

 ………………

 …………

《え?》

 そういえば夕べ酒場でロゲロの仲間だった奴を問いただしたとき、彼が誰かに依頼されてボルトス討伐を始めたとか言っていた気がするが……

《それが実は何かヤバい話で、終わったあと口封じされたとか?》

 ………………

 …………

 口封じ?

 そう思った瞬間、フィンの背筋が冷たくなる。

《だったらこっちにも関係があったりしないか?》

 何しろしばらくの間、彼らと一緒にいたのだから……

《いや、だったらあそこで本気で襲ってくるよな?》

 エレバスが口封じのために関係者を殺して回っているのであれば、フィン達だって関係者になるわけで……

《でも……知らなかったってことも?》

 フィンは首をふった。

《あはは。ちょっと考えすぎだよ!》

 さすがに今日のことで神経が参っているのだ。ともかくここは食事してゆっくり寝たいところだ。

 だが……

《まさかアウラが“プロ”をやっつけたって話に関係は……?》

 その話を聞いてエレバスも真剣に驚いていたようだが……

《あるはずないよな? あはは!》

 あまりにも漠然としすぎている話だ。

 だがそのことは―――アウラが倒した“プロ”に関する話はフィンも、聞いておいた方がいいのでは?

 ………………

 …………

 彼女には思い出したくない過去がいろいろあるらしい。だからフィンは今まで無理に尋ねるようなことはしてこなかった。

 だが今回は?

 しばらく考えた挙げ句、フィンはアウラに恐る恐る尋ねた。

「なあ、そのさ、アビエス、だっけ? その丘で何があったんだ?」

 アウラが目を見張る。それからしばらくして……

「どうして?」

 一言、そう答えた。

 アウラがフィンの目を見つめる。真剣なまなざしだ。

 だがフィンもまっすぐに彼女の目を見つめ返した。

「できれば、話して欲しいんだけど……」

 だが―――アウラはうつむいて黙り込んでしまった。やっぱり嫌らしい。しかし……

 そこでフィンは立ち上がると自分の荷物を開けて、例のファラの短剣を取り出した。

「なあ、話してくれたらさ、都でこれと同じの、特注してやるよ?」

 途端にアウラの表情が一変した。

「え? それ本当?」

「ああ。もちろん」

「うん。分かった。じゃあ話すね」

 アウラは大喜びだ。その豹変ぶりにはフィンの方がびっくりだ。

 これは元々、彼女との結婚祝いにと内々考えていたことだった。あんまり普通ではないような気もするが、もしかしてこれが一番いいのではないかと……

 それをここで引き合いに出すのはちょっと気が引けたのだが―――でも今フィンが感じている何だか嫌な気分。これをどうにかして晴らしておかなければ、先行き不味いことになるかもしれない……

 何が不味いかは全く説明できない。

 単にそんな気がするだけで……

 別に放っておいたからと言って、誰に咎められるようなものでもない。

 だが、かつてこんな気分になったとき、彼はその勘を信じて行動した。

 もしそのときそうしていなければ―――アイザック王やエルミーラ王女に信頼されるようなことはなかっただろうし、アウラとこうして共にいることもなかったのだ。


第二話「ヴィニエーラのアウラお姉様」に続く

(あとがきは次ページです)