ヴィニエーラのアウラお姉様 第2章 新米夜番

第2章 新米夜番


 次の日、アウラはウィーギルに連れられてヴィニエーラの中を案内されていた。

 アウラにとってそれはまるで異世界も同然だった。

 第一に、そもそも彼女はそれまでこんな大きな建物に入ったことがほとんどなかった。

 今までで彼女が入った一番大きな建物と言えば、グリシーナのジェイルだ。そこは確かに大きな建物ではあったが、アウラが入ったのはそのホールまでで、奥の方に入ったことはない。もちろん入りたくもないが……

 グリシーナにはそれまでは何度か立ち寄ったことがあったので、ヴィニエーラもその存在だけは知っていた。

 シルヴェスト王国の首都グリシーナは、その名の通りの“グリシーナの丘”に建設された都市だったが、ヴィニエーラはその丘の中腹にある白い石造りの建物で、かなり複雑な構造になっているため遠くからもよく目立ったのだ。

 だから彼女はその門前に立っただけで既に圧倒されていた。

 門の周囲は艶めかしい女性の彫刻で飾られており、扉も黒檀のような上質の木材で作られている。

 その門をくぐると中はまさに別世界だった。

 壁面は地が真っ黒に塗られており、その上に浮き出すように極彩色の絵画が描かれている。

 絵のモチーフは神話に出てくるような美男美女達、それに幻想的な動物などで、当然ながら皆エロチックな絡みのシーンばっかりだ。

 置かれている調度も立派な物ばかりだった。アウラにはそれがどの程度の価値があるのか見当もつかない。

 その上に、天井から吊された豪華なシャンデリアからの光の文様が重なり合って、絢爛華麗な空間が生みだされていた。

 もちろんそれは、後に彼女が見ることになるガルサ・ブランカ城やハビタルの水上庭園などと比較すればB級でしかなかったのだが―――当時の彼女にとってはもちろんのこと、多くの一般市民にとっても彼らが見ることのできる最高級の世界だったのだ。

 二人は入り口から順に中を巡っていった。

 今は午前中だ。この時間は郭の中は人がほとんどおらず、ひっそりとした感じだ。

「ここが“見せ場”だ。要するに受付だな。そこの番台の後ろに姉御がいて客の相手をする」

 ウィーギルが空っぽの番台を指さした。

 それからその向こうの(すだれ)が下がった窓を指さす。

「その窓の向こうには娘っ子が並ぶんだ」

 そう言われてもアウラには簾しか見えない。そこで彼女は正直に感想を言った。

「何も見えないじゃない」

 ウィーギルは笑った。

「夜になったら向こう側に明かりが灯るんだよ。そうしたら透けて見えるようになるんだ」

「あ、そうなんだ」

 アウラはうなずいた。夜に家を外から覗き込むようなものらしい。

 それはともかく、彼女はこの男とこんな風に普通に話ができていることに少し驚いていた。

 あの冬の夜以来、ジェイルの係官と事務的な話をする以外はほとんど男とまともな会話をしていなかった。

 どうして彼だとそんなに気にならないのだろうか?

 彼がアウラのことを妙な目つきで見たりしないことが大きいのかもしれないが―――大抵の男は彼女を見るなり嫌な目つきで体を眺め回すものだが、ウィーギルはなぜか“そんな物”には全然興味がないようだった。

 それは容姿に自信のある女だったら逆に腹を立てそうなことなのだが、アウラにとっては心底有り難かった。

 そんなことを考えていると、ウィーギルはすたすたと番台の横の通路に入って行く。

 アウラは慌てて後を追った。

 二人が薄暗い通路を抜けると広い吹き抜けのホールに出た。

 ここは所々明かりが灯っているが、やはり全体は薄暗い。

 しかしそのホールは見せ場以上に豪華な造りになっているのが分かる。屋内だというのに中央には噴水のある池があり、周囲には様々な形の彫刻が立ち並んでいる。

 ホールの周囲には小さな部屋が幾つも並んでいる。

 ウィーギルはそのうちの一つをアウラに見せた。

「大きな宴会とかはここのホールでやるが、まあ普通は最初のもてなしにはこっちを使うことになる」

「最初のもてなしって?」

「飲んだり食ったり、とかだな」

「ふうん」

 その部屋はごく普通のソファやテーブルがある小部屋だった。

 もちろん普通というのはここにおける普通という意味で、アウラには御殿の一室にしか見えない。

 それからウィーギルはアウラを二階に連れて行った。

 吹き抜けホールの周囲に回廊があって、そこに面して一階と同じように小部屋がたくさんある。ウィーギルはそのうちの一つをまたアウラに見せる。

「で、本番はこっちってことになる」

 それを見たアウラは息を呑む。

 そこにはまた彼女が見たこともないような立派なベッドが置いてあったのだ。見るからに寝心地が良さそうで、思わずその上でごろごろしたくなるのだが―――そこで何が行われるか気がついた瞬間、胸の傷がずきっと痛んだ。

 アウラがうっと顔をしかめたのに気づいてウィーギルが尋ねた。

「どうしたんだ?」

「なんでもないわ」

 彼は訝しそうにアウラの顔を見たが、それ以上は何も言わずに次に行く。

 階下に降りて横の通路に入っていくと、その先には大きな浴場があった。

「ここが大浴場だ。ここはいつでも使えるようになっている。そこの横から入っていくと小浴場があるが、そっちは予約してないと使えない」

 二人が大浴場の中に入ると大きな湯船があって、この時間でも湯気が立ち上っている。

 アウラは湯に触れてみた。暖かくて気持ちいい。

「ここってあたしも入っていいの?」

「いいさ。この時間ならな。だが殿方用とかご婦人用みたいな区別はないから、いつ誰が入ってくるかは分からんぞ?」

 そう言ってウィーギルはにやっと笑う。アウラはむっとした顔で彼を睨み返した。

「じゃあ小さい方じゃ?」

 それを聞いてウィーギルはまたにやにや笑って答えた。

「見てみるか?」

 案内してくれた小浴場は何だかちょっと変わっていた。

 そこは完全な個室になっていて覗かれる心配はなさそうだった。また中には確かに小さな湯船もあって体を流すのには問題ない。

 だがそれだけでなく、そこにはベッドのような場所とか妙な形の椅子とか、その他よく分からない物がたくさんある。

「どうしてあの椅子割れてるのよ?」

「説明して欲しいのか?」

 ウィーギルは何やら嬉しそうだが―――アウラは何となく理由が分かったので首を振った。

「……やっぱいい」

 どうせろくでもない使い方をされるのだろう。

 複雑な表情のアウラを見てウィーギルがまた笑いながら言った。

「そういうことなんで、俺は大浴場で残花(ざんか)共と一緒に入るのがいいと思うがな」

「残花?」

「部屋無し遊女達のことだよ」

 そう言うと彼は浴場のあるブロックから出て、少し行った所の壁を押す。そこはよく見ると扉になっていて奥に向かって開いた。

「ここからは関係者以外立ち入り禁止だ」

 実際そこから内装はずっと質素で実用的な物に変わった。

 そして逆に今までなかった活気があった。

 二人がちょっと広めの廊下に出ると、配膳用の台を持った若い娘が何人かぺちゃくちゃ喋りながら通り過ぎていった。

 ウィーギルは彼女たちには構わず、アウラを廊下の突き当たりにある大部屋の前まで連れて行った。

 彼は扉を少し開けるとアウラに中を見せる。

 そこは大きな部屋で中にはベッドがたくさん並んでいて、その上で娘が大勢眠っていた。

 ウィーギルは声を潜めて言った。

「こいつらが部屋無し達だ。うちはこいつらに客をもてなしてもらってお代金を頂くという商売をしてるわけだ。で、こいつらの仕事は夜なんでこの時間はこうして休んでるんだ。起こさないようにしてやれよ」

 アウラはうなずいた。

 それからウィーギルはアウラを厨房に案内したが、ここならアウラにもよく理解できる世界だった。

 明々と照らされた中で大勢の料理人や使用人達が忙しく立ち働いている。ぷうんと良い香りが漂ってくる―――だがその広さは驚きだった。見渡す限りといった感じだ。

「晩に出す料理の仕込みは今からしとかなきゃならないからな」

 それから彼はまた郭の内部に戻ると、今度は建物の一番奥の方に彼女を連れて行った。

「ここからが部屋持ち達の一角だ」

「部屋持ち?」

「ああ。プリマのことだ。売れっ子になると専用の部屋が持てるんだよ」

 ウィーギルはその一角に入っていく。そこからは建物の内装もまた一段豪華になっている。

「うわあ」

 アウラはつい声を出した。

「あまり大声を出すなよ。寝てるのもいるから」

 アウラは口を押さえた。

「ごめん」

 二人が足音を潜めて通路を進むと、八角形をしたホールに出た。一面が今来た通路で、残り七面に七つの扉がある。

「ここを八角御殿って言ってな、各部屋に一人ずつ、七人の部屋持ちがいる。あの真ん中の部屋がアイリスの部屋。彼女がこのヴィニエーラのトッププリマだ」

「アイリスって昨日言ってた?」

「そうさ。あんたが男だったら天国を見せてやれたのにな」

 ウィーギルはまた笑う。アウラは曖昧にうなずいた。

 こんなことなら―――昨日そのアイリスの接待を受けると言っておけば良かっただろうか? こんな部屋で寝られるだけでも嬉しいかもしれないし……

「そしてその右隣がヴィオラ、左隣がレジェ、それからカロッタ、フラシカ、ミディア、クリスティだ。彼女たちはまず覚えとけよ。へそを曲げられたら大損害だからな?」

「うん」

 アウラはうなずいた。そのことは何となく理解できる。

 それからウィーギルはそこを離れると、その他細々とした場所をアウラに見せていった。

 そして最後に再び従業員用の一角に戻ると、先ほどの部屋無し遊女達の大部屋の裏手にアウラを導いた。そこにはもっと質素な部屋が幾つかあった。

「ここが従業員の部屋だ。あんたの部屋はそこになる」

 彼は小さな部屋を指さした。

「ここがあたしの?」

 アウラは何だか不思議な気分になった。

 確かにそこは飾りも何もなく、ベッドを置いたら一杯になってしまうような部屋だ。だがアウラは今までこういった“自分の部屋”という物を持ったことがなかったのだ。だからここが自分の場所だと言われてもぴんと来なかった。

 アウラはベッドを撫でると、その上におずおずと座る。

 さっき見たベッドに比べればかなりの安物なのは間違いないが、ベッドはベッドだ。地面の上で寝るのに比べたら断然いい。

「狭いか?」

 そんな彼女の様子を見てウィーギルが尋ねる。アウラは首を振った。

「まあ俺達は裏方だからな。我慢しな」

 そして彼もアウラの隣にどすんと座ると大きなあくびをした。

「ああ、さすがに眠くなってきたな」

「もしかして夕べ寝てないの?」

「夜番て言葉の意味、分かるよな? 当然夜の間は寝られないさ」

「じゃああたしも?」

「もちろんだ。しばらくはきついだろうが、そのうち慣れるさ」

 再び彼は大きなあくびをした。

 言われてみれば当然だった。

 だが彼女は今まで大抵日暮れと共に眠り、夜明けと共に起きる生活をしてきたのだ。果たしてそんな逆転生活なんてできるんだろうか?

 でも隣の部屋で眠っている娘達にだってできているのだから、彼女にだってできるのだろう。やってみなければ分からない。

 それから二人は黙って座っていた。

 しばらくしてアウラはウィーギルの顔を見る。いったい何をしているのだろう?

 そう思った途端アウラはちょっと不安になった。

 まさか―――よく考えてみたら、これってこの狭い部屋に彼と二人きりではないか? ここでこいつが何か不埒なことを考えていたなら?

 薙刀は表で預けたままだ。だとしたら―――どうやって抵抗すればいい?

 そう思うと胸がまたずきっと痛む。

 だがウィーギルには別に何も怪しい素振りはなかった。ただベッドに座って何か考え込んでいるだけだ。

 どうもこの男は女には興味がないらしい。おかげで彼と話をしていても嫌な気分にはならずに済んだのだが……

 考えてみれば老人や子供ならば別に相手が男でも普通に話はできていた。でもこのウィーギルという男、そんなに歳でもないのにどうして女に興味がないのだろうか?

 アウラがそんなことを考えていると、ウィーギルはふっと振り返る。

「一つ訊いていいか?」

「え?」

 アウラはびくっとした。ウィーギルは少し口ごもってから低い声で尋ねる。

「あんた……もしかして前にひどい目にあったとか?」

「………………」

 ひどい目っていうのはひどい目のことか? アウラが答えないのでウィーギルがまた言いにくそうに尋ねる。

「なんて言うか、無理矢理犯られたとか」

 アウラはまたびくっと体を震わせた。胸の古傷がずきっと痛む。

 それから一言答えた。

「どうしてよ?」

 ウィーギルはふっと口元に笑いを浮かべると言った。

「いやな、ここ回っててあんたみたいにしてられるのって珍しいんでな」

「………………」

「ここってな、男ならもちろん、女だって初めて来りゃそれは興奮しちまうもんでな。一渡り見たら大抵は顔真っ赤にしてるのが普通なんだが」

「………………」

「で、似たような娘を前見たことがあるんだ。そいつってさ、可哀想なことに輪姦(まわ)されちまってて、それ以来こういうのが全然だめになっててさ。そいつが一度ここに来たときの様子に何か似ててさ」

 アウラはウィーギルを睨み付けた。

「どうやら当たりか?」

「だったら何よ」

 ウィーギルは笑いながら首を振った。

「辛ければ無理にとは言わないさ。でもまあ、あんたの腕は惜しいからな。そこで一つアドバイスしとこうかと思ってな」

「アドバイス?」

 一体こいつは何を言い出すのだ?

 そんなアウラを見ながらウィーギルは言った。

「そういうのって、結構慣れちまえるもんなんだぜ」

 聞いた瞬間アウラはむかっ腹が立った。

《慣れる?……だって⁉》

 体験もしたこともない奴が偉そうに‼

「いい加減なこと言わないでよ!」

 その冷たい怒りのこもった声を聞いて―――ウィーギルは真剣な顔でアウラを見つめると……

「いい加減じゃないぜ?」

 そう言って―――いきなり自分のズボンを下ろしたのだ!

「何すんのよ!」

 アウラはぶち切れてウィーギルを叩き出そうとした―――のだが……

 ………………

 …………

 ……

《え⁉》

 彼女はそのとき気づいた。そこに―――ウィーギルの股間にあるべき物が、ないということに……

《ない?》

 こいつまさか女だった⁉―――なんて筈がないわけで……

 ぽかんとしたアウラの顔を見て、ウィーギルはおもむろにズボンを上げる。

「ま、以前つまらねえ決闘をやっちまってな。その結果がこれだ。おかげで俺は男じゃなくなっちまったんだ。もちろん女でもないがね。これがどういうことか分かるかな」

「………………」

 アウラは言葉もなくウィーギルの顔を見つめる。

「でもこんなんでも結構慣れることはできるんだぜ? いや、慣れるってのは違うかもな……毎晩毎晩後悔してるのは事実だ。どうしてあんなことをしちまったのかってね。でもなくなっちまったもんは仕方ねえ。そんな風に思ってこの状態となんとか折り合うことぐらいはできてるんだ」

「………………」

「だからさ、あんたもあまりそう思い詰めないでいたら、もうちょっと楽になれるかもよ? 何せあんたの場合、何かが減った訳じゃなし」

 そう言って男は笑った。

 彼の言葉は説得力があった。

 それが通り一遍の慰めではないことは確かだった―――のだが、最後の言葉はちょっと承服できなかった。

 アウラはむっとしてウィーギルの前に立ちはだかると、いきなり胸をはだけて見せたのだ。

「減っちゃないけどね!」

 もちろんウィーギルはアウラがそんな行動に出るなど想像もしていなかったわけで……

「うわわわわ!」

 慌ててベッドから転がり落ちてしまった。

 彼女の胸には、男が想像もしていなかった巨大な傷跡があった。

「痛てててて……うわ、すげえな……って、それもそいつに?」

 ウィーギルが尻餅をついたまま尋ねる。

「そうよ」

 そう言ってアウラはウィーギルを睨んだ。

「確かにな……増えてるな……でもせっかくの綺麗な肌が台無しじゃねえか」

 アウラは頭がかっとした。

「いいからもう出てってよ」

「ああ、分かった分かった」

 ウィーギルは部屋から出て行った。

 一人になってアウラは考えた。

 何だか腹が立って考えが良くまとまらなかったが―――でも今までよりは何だか少し気が楽になっていたのだ。

《できるのかしら? あたしに……》

 まだよく分からない。

 だが昨日姉御が言っていた通り、やってみて、それでだめならまた賞金稼ぎに戻ればいいのだ。



 こうしてアウラがヴィニエーラに就職してから数週間が経っていた。

 彼女は濃い灰色の地味な衣装を身に纏い、足音を忍ばせながら郭の内部を見回っていた。

 手には一メートル半ほどのスタッフが握られている―――そう称すれば格好はいいが、要するにただの棒だ。

 だが薙刀と持った感じが似ていたのでアウラは何となく安心できた。

 彼女はあたりを見回した。特に変わったことはない。

 そろそろ夜半になる。それまで色とりどりの娘達で華やかだった郭の中もこの時間になると人の姿は見えなくなり、代わりにあちらこちらの部屋から様々な声が聞こえてくるようになる。

「いや~ん! あん! あん! あん!」

 通り過ぎるドアの前から、男の呻き声に混じってそんな声が漏れてくる。

 この声はリーニカの声だ。彼女の声は特徴があって分かりやすい。

 その隣の部屋からは、ぱしぱしと肉の当たる音に合わせて低い喘ぎが聞こえてくるが、こちらは誰かよく分からない。

 ウィーギルだったら声だけで誰がどういう状況になっているかまで当ててしまうのだが、この頃のアウラにはまださっぱりだった。

 だが少なくとも彼女たちが順調に仕事をこなしていることだけは確かだ。

 そんな部屋の間を見回りながら、アウラはこの仕事に意外にも慣れてしまったことに対して自分ながら驚いていた。


 ―――それはアウラががウィーギルに連れられて初めて実際の夜勤を勤めたときだった。

 彼女は周囲の部屋から漏れてくる呻きとも叫びともいえない声に圧倒されてしまっていた。なにしろ悲鳴のような声に混じって「いや」だの「やめて」だの、場合によったら「死ぬ」だのといった言葉が漏れてくるのだから……

 それが額面通りではないにしても、彼女たちが虐められているとしか思えなかった。その声を聞く度に胸がずきずきと疼く。アウラはこんなことは今晩限りにしよう、とそう決意しかかっていた。

 だがそんなアウラの様子を見てウィーギルが尋ねてきたのだ。

「なあ、あんたどう思う? ラティーナの奴、大げさすぎなんだよな。も少し控えめにした方が客も付くと思うんだがな。あれじゃ引いちまうよな?」

「え?」

 アウラは面食らった。この男は一体何を言っているのだ?

 ぽかんとしている彼女に対してウィーギルが言った。

「ラティーナ。そこの部屋の中にいる奴さ。彼女の演技についての意見を聞いてるんだが?」

「演技?」

 相変わらずよく分からないといった表情のアウラを見てウィーギルはにやっと笑った。

「もちろんさ。ありゃ“振り”なんだが。もしかして本当にどうかなってるとか思ってないよな?」

「ええ?」

 もちろんアウラはそう思っていた。

 それからウィーギルは彼女と一緒に見回りをしながら、様々な部屋から聞こえてくる声について解説を始めた。

 それを聞いて分かったことは、遊女達はあんな声を上げてはいるが、ほとんどの場合はよがっている“振り”をしているだけだということだった。

 もちろん中には本当に感じてしまっている娘もいるのだが、それは客にサービスすべきプロとしてはあまり芳しくないことらしい。優れた遊女の条件はいかに真に迫ったよがりを聴かせられるかだという。

「ま、そういうわけでだな、この仕事を続けていくならまずあいつらの声の出し方はよく覚えておくんだ。俺達が部屋の中を覗くのは凄く失礼に当たるから、よっぽどのことがない限り踏み込めないんでな」

 そんな話をいきなり聞かされて、アウラは何だかすっかり醒めてしまった。

 それまで彼女は、いくらお金になるからといって、どうしてあんな苦痛に耐えられるのだろうかと思っていた。だから彼女たちの声を聞く度に自分の受けた痛みを思い出していた。

 だがこの話だと、何だか男達の方が金を払って騙されに来ているみたいではないか?

 アウラが素直にその話をしたらウィーギルは吹き出した。

「騙されるね、まあそうかもな。でも男だって気持ちいいんだぜ。両者満足できてるんだったらいいんじゃねえか?」

 ともかくそんなことがあったので、アウラはとりあえずはその声には我慢できるようになったのだが―――


 こうして勤めていくうちに、それにさえ慣れてしまえばここはアウラに非常に適した職場だということが分かってきたのである。

 なぜならここに来る男達は当然女を求めてやってくるのだが、艶やかな衣装を纏った娘達で溢れかえってる中に地味な服を着た夜番が混じっていても、誰も目もくれないのだ。

 町中をうろうろしていたときよりも、遥かに彼女は注目されずに済んでしまったのだ。

《もしかしてここっていいとこなのかしら……》

 始めの頃はとにかく眠くて大変だった。

 最初の数日は寝ても起きても頭がぼうっとしているような案配だった。

 だが慣れてくればそれも思ったほどにはきつくない。賞金首を捜してあてどなく彷徨い歩くよりは遥かにましだ……


 それからアウラはまた足音を忍ばせながら別な区画に向かった。

 こちらも特に問題はなさそうだ。それを確認してアウラが更に別の区画に行こうとしたとき、向こうから空になった酒瓶を下げる途中のハスミンがやってきた。

「あ」

 アウラに気づいてハスミンが挨拶する。

「うん」

 アウラも彼女に微笑む。

 こんな感じでコミュニケーションを行っているのはほとんど彼女だけだ。

 彼女以外の遊女や小娘達は、アウラを遠巻きに見ているだけで話しかけて来ようともしない。

 だが話しかけられたとして、アウラの方もどう答えていいか見当が付かなかったので、そうされて逆に助かっていた。

 だがその彼女ともあまりゆっくり話はしていられなかった。

 彼女は今“小娘”としてヴィニエーラのナンバースリーの座にいるレジェというプリマに付いていて、いろいろと多忙を極めていたのだ。

 小娘とは要するに遊女の見習いだ。だが彼女たちはすぐに客を取ることはなく、まずこうして夜間の雑用をしながら仕事のやり方を覚えていくのだ。

 アウラはハスミンとそのまま別れると、また一人で見回りを続けた。

 それから引き返すと、例の隠し扉を抜けて夜番の詰め所に戻ってきた。

 そこではウィーギルの他にもう一人、髪が真っ白になった老人がうたた寝をしていた。

「戻ったわよ」

 その声を聞いて老人が目を覚ます。彼は夜番の仲間でバルツァという。

「おや? 早かったですな」

 バルツァは伸びをすると、首を振った。

 だが早いと思えたのは彼が寝ていたせいで、アウラが手抜きしたからではない。彼はいつもこうなのでアウラはもう文句は言わなかった。

「特に変わったことは?」

 ウィーギルが目を開けて尋ねる。アウラは黙って首を振る。ウィーギルはうなずくとまた目を閉じた。

 それからアウラは詰め所の隅の椅子に座るとぼうっと天井を見上げた。

 夜番とはこのようにトラブルがなければ非常に暇な仕事だった。

 今まで出会ったトラブルは何件か、それもかなり些細な物ばかりだった。

 最初は少々乱暴な客が少しばかりやりすぎたときだ。

 そんな場合どうするのかと思って見ていたら、ウィーギルは手近な小娘にランプの油を見に行かせただけだ。

 だがこれはこういったところで遊ぶためには知っておかなければいけない常識の一つだった。

 ランプの油など当然始業前にきっちりと補充されていて、途中でなくなることなどあり得ない。だから夜中にわざわざ油を確認しに行くというのは、何か怪しいことをしていないか見に来たという意味なのだ。

 もちろんその客は遊女をいたぶっていたのではなく、少々舞い上がりすぎていただけだったのでそれはそれで片が付いた。

 別な件は支払いのトラブルだった。

 ヴィニエーラのような高級な郭の場合、客を信用して後払いになっているが、おかげで時々散々遊んだ挙げ句金が足りなかったという事例も発生する。

 中には確信的にそういうことをする輩もいたが、今回は単に財布を間違えていただけで家から金を届けさせるだけで済んだ。

 その他のことといったら、遊んでいた小娘をウィーギルが叱りつけたとかそんなレベルの話ばかりだ。

《こんなんなら夜番なんて、みんな女でもいいんじゃないの?》

 そんなことをアウラが考えていたときだ。

 表の方でどたばたと音がすると、小娘が一人駆け込んできたのだ。

「ウィーギルさん!」

 声の様子が尋常ではない。ウィーギルが顔を上げる。

「あんだ?」

「タンディ姉さんのところでお客様が暴れてるんです!」

「ああ?」

 ウィーギルががばっと立ち上がってアウラを見た。アウラは首を振る。あの辺は彼女が行ったときには変わったことはなかったはずだが……

 ウィーギルはそれ以上は何も言わず、小娘と共に駆け出していった。

 残されたアウラとバルツァは顔を見合わせた。

 耳を澄ますと遠くから怒声のような声が聞こえてきた。その合間に女の悲鳴も混じっている。あれは確かに悲鳴だ! これは何だかいつもと違う気がする。

「ありゃ? なんですか?」

 バルツァ老人も立ち上がると表に出て行った。アウラも後に続く。

 声のする方に行くと、ホールに人だかりができていた。二階の回廊に人影が見える。

「来るなぁぁぁぁ! 来るんじゃねぇぇぇぇぇ!」

「いやぁぁぁぁ!」

 誰かがわめいている。それに女の叫び声も混じっている。

 二人は野次馬をかき分けて前に出た。

 見ると何ということか、若い男がタンディという遊女を捕まえて、彼女の首にナイフを突きつけていたのだ。

「死ぬ! 死ぬんだ! 一緒に死ぬんだ!」

「やめてぇぇぇ!」

 そのときウィーギルが二人の側にやって来て、バルツァに向かって言った。

「こりゃ爺さんの出番ですぜ」

 バルツァは溜息をつくと、それから前に出て行った。

 出てきたバルツァ老人を見て男が叫ぶ。

「この野郎! 来やがったら殺す! 殺してやる!」

 それを聞いたバルツァが答える。

「旦那ぁ! どうなさったんですかい? そいつが何かやらかしましたかぁ?」

「来るんじゃねえぇぇぇ!」

 男は完全に頭が逝ってしまっているようだ。

 アウラの横でウィーギルがつぶやいた。

「あいつ、とうとうやっちまったか……」

「前からこうなの?」

「ああ。あの野郎、タンディにずっと粘着しててな、この間も無理矢理連れ出そうとしてトラブってた奴だ」

「ふうん」

 二人がそんな話をしている間、バルツァは男をなだめようと必死に努力していた。

 だが男は完全に頭に血が上っているようで、全く聞く耳を持たない。

「ここって武器の持ち込み禁止だったわよね」

 アウラがウィーギルに尋ねる。

「まあそうだがな、ボディーチェックまではできねえし」

 アウラはうなずいた。郭の中にはそんな無粋な物を持ち込んではいけないことになっている。だからそういった武器の類は受付で預かることになっているが―――中にはどうしてもこんな奴がいたりするのだ。

「で、どうするのよ?」

「爺さんに任せるしかねえだろ」

 アウラはうなずくしかなかった。

 実際男の説得なんてアウラには間違いなく不可能だ。そこでこういったことに関しては年の功でバルツァの役割になっているらしかった。

「ねえ旦那ぁ。こんなことしたって何もいいことありませんよ。ほら、そのナイフ下ろして。そしたらもっといいことがありますから」

「来るなぁぁぁぁぁ!」

 しかし彼の説得は難航していた。男はもう本気で心中する気らしい。ウィーギルも顔がこわばってきている。

「こりゃちょっとまずいな……」

 ウィーギルがつぶやく。それを聞いてアウラが言った。

「あいつやっつけたらだめなの?」

 それを聞いたウィーギルが鼻で笑いながら答える。

「バカか? タンディが人質になってんだぞ?」

 それは普通の感覚なら極めて真っ当な反応だったのだが―――アウラは答えた。

「彼女が怪我しなきゃいいんでしょ?」

「はあ? そんなことができるのか?」

「できるけど?」

 あまりにもあっさりアウラが首肯したので、ウィーギルの目が丸くなる。

 それからタンディを人質にしている男を観察する。男は片手でしっかりタンディを掴み、喉元にナイフを突きつけている。迂闊なことをやったら彼女の命はなさそうなのだが……

「とっととどっか行け! 消えろ!」

 男のヒステリックな叫びが響く。それをバルツァ老人が必死になだめようとしているが……

 それを見てウィーギルはアウラに尋ねた。

「どうやってやるんだ?」

 そこでアウラは何をしようとしているのかを説明した。

 それを聞いたウィーギルが目を見張った。

「そんなことが……できるのか?」

「うん」

 またあっさりとアウラはうなずく。

 ウィーギルは首を振った―――だがそれから彼女に言う。

「じゃあとりあえず薙刀取ってきなよ。爺さんとも相談しとくから」

 アウラはうなずくとその場を離れて、番台の方に走った。

 そこでは姉御が心配そうにしている。彼女は役割上そこから動けないので、非常に焦っているようだ。

「まあどうなってるの?」

 姉御は言った。だが説明していると長くなる。アウラは彼女に言った。

「武器庫の鍵、下さい」

「ええ?」

「タンディを助けるんです」

 それを聞いて姉御は驚いたが、それ以上は何も問わずに引き出しを開けるとアウラに鍵を渡した。

 アウラはそれを受け取ると、番台の後ろにある扉をくぐる。武器庫とは主に客から預かった武器を保管しておく部屋だが、アウラの薙刀もここに保管されていた。

 アウラは使い慣れた薙刀を取り出すと、外に出て姉御に鍵を返す。

「大丈夫なの?」

「はい」

 それから彼女はまた元の場所に戻る。

 そこでは相変わらず男が何やら訳の分からないことを叫び続けている。

 アウラが戻ったのに気づいてウィーギルが話しかけてきた。

「おい。爺さんもそれができるんなら仕方ないって言ってるが……本当に大丈夫なのか?」

 ウィーギルは心配そうな表情だ。だがアウラはまたもあっさりと答える。

「うん。大丈夫よ」

 ウィーギルは目を閉じて―――それから振り返って、わめき散らしている男とぐったりしているタンディを見る。それからもう一度尋ねた。

「本当に、だな?」

「うん」

 アウラはうなずいた。ウィーギルは言った。

「じゃ、やってきな」

 アウラは黙ってうなずくと、野次馬をかき分けて前に出た。

 それに気づいた男がまたわめく。

「なんだ? てめえ……」

 だがそのときは既にアウラの抜きはなった薙刀が、ぶんと振り下ろされていたのだ。

 ぼとっと音がしてナイフが男の手首ごと落ちる。

 先っぽが無くなった腕を見て男が驚愕する。

 その隙にアウラは男につかつかと近づくと、タンディの腕を取って男から引きはがした。

 彼女はそのままふらふらと床にくずおれるが―――人々は何が起こったのかすぐには理解できなかった。

「ちょっと!」

 アウラは倒れたタンディを指さしながら、最前列で見ていた遊女の一人に向かって言った。彼女とその側にいた小娘が慌ててタンディを抱き起こす。

「うわあああああ!」

 そのときやっと我に返ったのか男が再び大声を上げたのだが―――アウラが振り返りざま石突きで一発食らわすと、男は床にぶっ倒れてそのまま動かなくなった。

 あたりは一瞬静まりかえり、それから歓声に包まれた。

「お、おい! まじかよ?」

「よくまあこんなことが」

 気づくとウィーギルとバルツァ老人が彼女の両脇に立っていた。

「いくら素人だったからって、まさかほんとにやるとは……」

 ウィーギルは呆れたといった表情で言う。それを聞いてアウラはちょっとむっとした。

「え? 信じてなかったの?」

「信じられるか! 普通。でも何もせずにタンディの喉笛切り裂かれるよりは、やるだけやった方がましだろうが?」

 ウィーギルの言葉を聞いてバルツァ老人もうなずいた。

「確かにですね。あんな包丁持ちにしてたら、こう、隙間は空きますけどねえ……」

 そう言いながらバルツァ老人は、男がタンディにナイフを突きつけていた動作を真似した。

 確かに包丁のようにナイフを持って人質の首に突きつようとすれば、手首を返さなければならないから娘の体と少し隙間が空く。従って原理的には人質を傷つけずに手首だけを切り落とすことが可能なのだが―――だがそれはほんの僅かな隙間なのだ。常人にできる技ではないのだが……

 それまでも彼らはアウラが賞金稼ぎだったことは知っていたが、その腕に関しては話半分にしか信じていなかった。

 だが今それは確実な信頼へと変わっていた。

 そして信頼を得たのは、夜番の仲間だけではなかった。



 その事件のあった翌々日のことだった。

 その日は非番だったのでアウラは自室でごろごろしていた。

 大体非番とか言われてもすることなど何もない。今の生活では起きている時間は夜の間だ。どこかに行こうにも外は真っ暗だ。店も開いていない。薙刀の練習をしようにも郭の中で振り回すわけにもいかない。

 だからアウラは仕方なく狭い自室で悶々としていた。

 そのときドアをノックする音がした。

「誰?」

「あの、いいですか?」

 ドアを開けておずおずと入ってきたのは―――タンディだった。

 彼女は入って来るなり大きくお辞儀をする。

「あ……」

 アウラも何と答えていいか分からないから、黙ってうなずく。

 タンディがやがて顔を上げたが、入り口近くに立って何だかもじもじしている。しばらくの間二人の間に気まずい沈黙が降りた。

「えっと、あの……」

 やっとアウラがそう言った途端に、タンディはアウラに小さな包みを差し出した。

 包んでいるのは綺麗な縫い取りの入ったハンカチだ。

「あの、これ、ありがとうございました」

「え?」

 アウラはぽかんとしてその包みを見つめる。そんな物を彼女に貸した覚えはないが……?

「これ、あたしが作ったんです。お口に合うかどうか分かりませんが……」

 それを聞いてアウラは、やっと彼女が一昨日の事件のお礼にやってきたのだと気が付いた。

 アウラは黙ってうなずくとその包みを受け取った。ぷ~んと甘い香りが漂ってくる。

 包みを開くと中からは見るからにおいしそうなクッキーが現れた。途端に口の中に唾が湧いてくる。

「これ、あなたが作ったの?」

「はい」

 アウラは一つをつまんで口に入れた。

「おいしい! これ」

 そう言いながらアウラは、あっという間に包みに入っていたクッキーを食べてしまった。

 それからふっと気づいてタンディの顔を見る。

 彼女が驚いた表情でアウラを見つめている。

「あ……」

 アウラは恥ずかしくなって赤面した。彼女からのもらい物とはいえ、一つも分けずに全部食べてしまうなって―――だがそんな彼女を見てタンディはにっこりと微笑んだ。

「おいしかったですか?」

「うん……とっても」

「ありがとうございます」

 それを聞いてタンディもひどく嬉しそうだ―――どうやら分けてあげなかったことを怒ってはなさそうだ。

 そこでアウラは彼女に尋ねていた。

「あなたってお菓子作りが凄く上手なのね」

 タンディがうなずきながら答えた。

「ここに来る前から好きでしたから」

「ふうん。そうなんだ」

 アウラは彼女を見つめる。

 ここで彼女たちをこんな風に見たのは初めてだった。

 そもそもアウラは女の子とのつき合いがあまり無かった。

 ブレスと旅をしている頃は一つの場所に長く留まることがなかったし、村の子供と遊ぶこともあったが、そんな場合の相手はみんな男の子ばっかりだった。

 またあの事件があってからは彼女は意図的に他人と交わるのを避けていた。

 接触していたのは賞金稼ぎのために事務的に接しなければならない相手と、賞金首その物だ―――だから同い年ぐらいの女の子とは、今までほとんど話をしたことさえなかったのだ。

 そんな彼女をこうやって目前にしてみると、なんだか全然違う存在に見える。

 そんなことを考えていると、タンディが話しかけてきた。

「アウラさんって、もっと怖い人かって思ってました」

「怖いって、どうして?」

 アウラは尋ね返す。自分では別に怖がらせるようなことをした覚えはないのだが―――しかしそう問い返されて、タンディがまたちょっと身をすくませて答える。

「だって……いつも怖そうな顔して見回りしてたし、それにハスミンが……」

「え? ハスミンがどうしたの?」

「あの子がいろいろ凄いこと言うから……瞬きする間に二人のならず者をやっつけたとか、刎ねた首を道端に並べて置いて眺めてたとか……あの子いい加減なこと言ってるんですよね?」

 アウラは首を振った。

「え? そうしないと首からだらだら血が流れて、袋の中がぐしゃぐしゃになるから……」

 タンディは驚いて口を押さえた。

「じゃああの子の言ったこと本当だったの?」

 アウラはうなずいた。

「だって賞金稼ぎって首持って行かないとお金にならないし……でもハスミンがよくそんなこと話したのね」

「え?」

 タンディが意外そうにアウラを見返す。不思議に思ったのでアウラは尋ねた。

「だって、あの子って凄く無口でしょ?」

 ………………

 …………

「はあ?」

 タンディはますます訳が分からないと言う表情だ。

 いったいどういうことなのだ?

「あたしと来るときだって馬の上でも一言も口きかなかったのよ?」

 それを聞いてタンディはしばらく絶句した。

 それから―――なぜかいきなり吹き出すと、大爆笑を始めたのだ。

「きゃはははははは! 無口? 無口ですって? あっははははは! あの子が?」

 タンディはまた笑いの発作に襲われて、アウラのベッドに突っ伏してどんどんとマットレスを叩き始めた。

 その様子を見て驚いたのがアウラだ。

「え? どうして?」

 だがタンディは笑いやまない。ついには咳き込んでしゃっくりを始めた。

「どうしたの? 大丈夫?」

「ごめんなさ……ひっく。でもアウラさんがそういうこと言う……ひっく」

 アウラは慌ててタンディに水を飲ませる。

 タンディはしゃっくりがやっと収まるとアウラに言った。

「あの子が無口なんてとんでもないわ! あたし今まであの子ほどおしゃべりな子、見たこと無いのよ?」

「えええ?」

 それを聞いて驚くのはアウラだ。だがタンディは首を振った。

「この間だって姉御にもう少し黙ってろって怒られてたのよ。あの姉御によ。でも姉御が後ろ向いた瞬間にもうぺらぺら喋ってたし」

「………………」

 目を白黒させているアウラを見て、タンディはまた吹き出した。

「ハスミンが……無口って、そうなんだ。あの子を黙らせたきゃ生首を二つ目の前に並べてやればいいわけね!……って」

 タンディがそこまで言った瞬間、部屋のドアの外でがたーんという大きな音がした。

「あん?」

 アウラが驚いてドアを開けると―――外で立ち聞きしていた遊女達が、勢い余って部屋になだれ込んできたのだった。

 あっという間に狭い部屋は遊女達で一杯になった。

「きゃあ、ごめんなさい!」

 遊女達が口々に謝るが―――アウラはもう何と言っていいか分からない。

「えっと、その」

 口ごもるアウラにタンディが言う。

「ねえ、ここ狭いから大部屋の方に来ません?」

 それを聞いて別な遊女達も言う。

「そう。タンディのクッキーまだあるのよ」

「そうそう。お茶も入ってるし」

 それは非常に魅力的なお誘いだった。

「う、うん」

 こうしてこの事件をきっかけに、アウラは遊女達とも仲良くなることができたのだった。