賞金首はもっと楽じゃない! 第8章 賽は投げられた

第8章 賽は投げられた


 それから数日の後、フィンとアウラはグリシーナとベルジュを結ぶ街道脇にある道中宿の一室にいた。

 まだ日は高いのにアウラは夜着を着てベッドに座っている―――といっても別段怪しいことをしているわけではなく、アウラは“病気”ということになっているためだ。要するに仮病である。

 それは彼らがこれからやろうとしている作戦の一環だった。

 もうしばらくしたらこの宿に男娼の一行がやってくるのだが、その彼らから“卵”を奪おうというのである。

「あーっ! 退屈!」

「しょうがないだろ? もう少し我慢しろよ」

「でも……」

 作戦にハスミンとバラノスが協力してくれたのは大変な幸運だった。

 男娼達を待ち受けるためにはそれなりの事前工作が必要だが、フィンとアウラは追われる身だ。表だって動くと敵に見つかる可能性がある。

 だから情報収集やその他諸々の準備をハスミン達に任せて、彼ら自身はここにこうして潜んでいたわけだ。

 この宿を選んだのも偶然ではない。

 ディレクトスの男娼の一行が泊まる際には大抵ここが使われるということを調査してのことだ。

 だが道中宿というのはその名の通り旅の宿として一晩泊まる場所だ。そこに意味もなく長期滞在すると不思議に思われてしまう。

 そこで今回の仮病作戦だった。

 とある農夫の一行がここに来ると妻の姉が急に病気になって寝込んでしまい、仕方なくしばらく逗留するという筋書きになっていたのだ。

 だが元々アウラは暇さえあれば体を動かしていたい性分だ。仕方ないとはいえこんなに何日もベッドに押し込められて、いい加減退屈しているのは明白だった。

「ハスミンまだかな」

「もうちょっとしたら帰ってくるんじゃないか?」

「もうちょっとってどのくらいかな?」

「さあ、そんなにかからないんじゃないか?」

 彼女がいらついているのは分かるが、こればっかりは仕方がない。

《それにしても……ハスミンをあそこで帰さなくて本当に良かったよなあ……》

 何しろ今のところ一番役に立ってくれているのが彼女だったのだから―――というのは、彼女はフィンの想像を超えた情報収集能力を持っていたのだ。

 彼女は普段あれだけ喋りまくるのに、あまり話題がループしないのである。何故そんなことができるかというと、それは普段から地道にネタ収集を行っていたからに他ならない。

 実際に話していると彼女は一方的に話すだけではなく、結構いろいろな質問も交えてくる。そこで答えた様々なことを、後になっても妙に細かい所まで覚えていたりするのだ。

 そんな調子で彼女は男娼の馬車の来るスケジュールや、中にどんな奴らが乗っているか、街道のどの宿のどの部屋に良く泊まっているのかなどを、あっという間に聞き出してしまったのである。

《ありゃ……はっきり言って才能だよな。もはや……》

 端で聞いていて感嘆したのだが、あれでは訊かれた方はハスミンが喋りまくったその他のことに圧倒されて、間違いなく自分が何を訊かれたか覚えてないに違いない。

 自分でやっていたらまず絶対にディレクトスの馬車のことを聞き込んでる変な奴がいると思われたことだろう。そんな細かい所から所在が敵にばれてしまうこともある―――というわけで今では彼女は無くてはならない存在になっていた。

 その彼女の仕入れてくれた情報によれば、近々この宿にベルジュ方面からグリシーナに向かって男娼一行が来るはずだった。

 男娼は屈強な護衛二名がついていて、この宿の最高級の部屋に泊まることになっていた。

 また彼らが行き来するスケジュールはかなり長い間、ほとんど変わらず継続されていることも分かった。

 ヴィニエーラなどの郭でも遊女の郭替えはよくあったが、一般的にはかなり不定期だ。

 だがディレクトスの馬車はおおむね月に一往復といった感じで、まるで定期便のようにやってくるらしかった。

 その理由をハスミンが訊いたら宿屋の親父は、ディレクトスみたいな所はどこでもこんな感じだと答えていたが……

 ともかく調べれば調べるほど、フィンの推測を裏付けるような事実ばかり出てくる。ここまで予想が当たってしまうと逆に怖くなってくるくらいだ……

《本当に本当なのか?》

 最初はある意味気楽に始めた作戦だった。

 もちろんいい加減な、という意味ではない。思いっきり真剣だったのだが、同時に『まさか本当のはずがない、どこかで考え違いをしているに違いない』という気持ちも大いにあったのだ。

 間違いだったなら謝れば済むことで、国を出る際に『やるべき事はやった』と心の底から思えることの方が重要だったのだ。

《何か……この手のって俺、よくあるよなあ……》

 あのフレーノ卿の件のときも、そしてあの夜話茶会のときも―――それはともかく、もし本当に本当だったとしたら、もはやただでは済まない。その“敵対勢力”と正面から対決することになるのだから……

 当然正面から斬り合うなんてやりたくない。だから敵とどう対峙するのか、その作戦までも考えておかねばならなかった。

 フィンは溜息をついた。

 もし男娼から密書だか何だかを奪うことができたとしたらどうするのだ?

 奪った物が何だったかによって状況は変わるので、結局ケースバイケースとしか言いようがない。

 だがいずれにしても何らかの動かぬ証拠を握ったのであれば、最終的にはそのことをアラン王に通報しなければならない。

 そこでフィンは壁に当たっていた。

《どうやって王と接触すればいいんだ?》

 正面から行けないわけではなかった―――だが城には間違いなく敵がいる。

 フェデレ公が敵の親玉かどうかは不明だが、少なくとも彼が絡んでいる可能性は高い。すると普通に姿を現してしまえば彼に知られるのは間違いない―――そうなったらもう何をされるか分かったものではない。

 そんな危険がなかったとしても、少なくとも敵に対応する余裕を与えてしまう。できることならこれを利用して敵を一網打尽にしたい……

 そのため可能な限りこっそりと王だけにコンタクトを取りたかった。

《んじゃ、忍び込むか?》

 堂々と行けないのであればそうせざるを得ないわけだが―――だが誰にも見つからずに王の居室まで行くなんて、ほとんど無理としか言いようがなかった。

 確かにフィンの魔法を使えば外壁を登ったりはできる。だが王の居室まで誰にも見られずに行けるかとなると……

《城の構造だってよく分からないし……》

 この間の滞在ではあの大きな城の一部をちょっと見ただけなのだ。

《鹿狩りかなんかに行ってくれればいいんだけど……》

 だがハスミンが調べてくれた結果、近々そういった行事は予定されていないとのことだった。

「ふあぁ」

 考えるのに行き詰まって、フィンはアウラの横に寝転がった。

「なに?」

 驚き顔でアウラが尋ねる。フィンはアウラを見上げながら答えた。

「ああ、どうしようかってね」

「なにが?」

 アウラに話してもあまり仕方のないことだとは思いつつも、フィンは話し始めた。他人に説明しているうちにいいアイデアが出てくるというのも良くあるわけで……

「いやな、どうやって城に忍び込もうかってな」

「城に入ってどうするの?」

「アラン様に会いに行く。もし卵の中にヤバいブツが見つかったら、の話だけどね」

 アウラはちょっと首をかしげてから答えた。

「ふうん。でもフィンなら飛び上がって窓から入れば入れるんじゃないの?」

「まあそうなんだがね、どこから見られてるかわかんないだろ? それに窓から入ったあと、城の中で誰に出くわすか分からないし」

「まあ、そうよね」

 そう言ってアウラは考え出した。

「衛兵をやっつけたらだめなのよね?」

「もちろんだ。騒ぎになっちゃまずい」

 アウラはお手上げという感じで首をかしげる。

「どうすればいいのかしら。ナーザさんがいたらこういうのって得意そうなんだけど……」

「ああ、そうだよな……」

 フィンはナーザとアウラがフランの屋敷に忍び込んだ話を思い出した。確かにこんなときに彼女がいればどれほど心強いか―――などと考えても仕方がない。

 と、そこでアウラが言った。

「じゃあ手紙出したら?」

「それもだめだよ。王様への手紙なんて事務官が開けて中を見て、必要そうな物だけ王様に見せるのが普通だし……内通者がいますなんて手紙だったら、やっぱり城中が大騒ぎになっちまうし……」

「ふうん。そうなんだ……」

 そうなのだ。

 そもそも敵が城のどこに食い込んでるかが全く分からないのだから、どう行けば安全なのかも分からないのだ。とは言っても、こればっかりは調べようがないし……

《やっぱ忍び込むしかないのか?》

 しかしそうなるとどういう経路で?―――と、考えがループを始めてしまうわけで……

 そんな調子でフィンが悩んでいると、ドアの辺りでがたがた音がした。それからばたんと部屋のドアが開いて、大きな包みを抱えたハスミンとバラノスが入ってきた。

 ハスミンは起きあがってベッドの端に座っているアウラを見て大きな声で言った。

「お姉ちゃん! 寝てなきゃだめじゃない!」

「え? でももうどうもないし」

「だめよ! それにフィンさん、どうしてお姉ちゃんのベッドで寝てるのよ。どきなさい!」

 ハスミンはフィンをベッドから追い出すとアウラを寝かしつけてしまった。

 それから持ってきた包みを開けて中を確認し始める。

「えっと、まずこれがお薬ね。熱冷ましと、痛み止め。それからこれがあれね。よく眠れるお薬」

「お、ありがとう」

 この“よく眠れる薬”が今回の作戦のキーポイントだ。

 ユーリスは少々荒っぽくやり過ぎたようだった。実はその話もハスミンが仕入れて来ていたのだが、三年くらい前にグリシーナ近くの街道上でディレクトスの馬車が襲われたことがあったという。それ以来男娼の護衛は一人だったのが二人に増えているということだが……

 今回は当然そんなへまはしたくない。

 可能であれば相手に気づかれさえしない方法が望ましい。

 そこで彼らはこうやって宿で待ち伏せて、来た男娼一行に一晩ぐっすり眠ってもらうことにしたのだ。

「それとお米も買ってきたのよ。グリンピースにトマトに、カシューも。お姉ちゃん好きだったわよね。これの入ったピラフ」

 アウラの目が輝く。

「うんうん」

「今晩あたしが作ってあげる。あ、これはお茶ね。淹れてくるから待ってて」

 ハスミンは食材の包みを抱えて厨房の方に行ってしまった。

 これもまたハスミンがいて非常に助かったところだった。

 アウラが“病気”になって寝込んでしまったのでここにしばらく逗留することになったわけだが、宿屋の人にそうそう迷惑はかけられない。

 そこでハスミンがアウラを看病するという目的で厨房を使わせてもらってもいたのだ。

 その過程でハスミンはすぐ宿屋の人と馴染んでしまって、今では手の空いたときに宿屋の仕事を手伝ったりもしている。

 そして彼女が厨房に出入り自由ということは―――眠り薬を仕込む作戦が非常にやりやすいということを意味していた。

 そんな調子で彼女は大変役に立っていてくれるのだが、難点もあった。

 その最たる物は彼女がいまだに半分ピクニック気分だということだ。

 これはとんでもなく危険な事なんだと何度も説明をしたのだが、あまりぴんと来ないようで……

《まあこいつがそうだからなのかもしれないけど……》

 アウラもこの調子であまり緊張感がないのだが、彼女の場合少々の危機ならばちょっと暴れればいいわけで……

 だがおかげでそのせいで場が和んでいるのも事実だった。

 もし三人だけだったら毎日がかなり暗い空気になってしまっただろうが、彼女がいるとそれだけで何だか平和な雰囲気になってしまう。そんな意味でも彼女の存在は有り難かった。

 それだけに彼女を危険にさらすのだけは避けたかった。

 自分一人の命で済むなら諦めもつく。

 しかし他人の命がかかってくるとなると話は別だ。

 アウラはともかく、ハスミンとバラノス氏は本当にたまたま巻き込まれてしまっただけなのだ。

 フィンはその責任をひしひしと感じていた。

《王様ってすごいよな……国民全員の命の責任があるんだから……俺にはちょっと無理だよな……》

 だからこそ、アイザック王やエルミーラ王女に仕える決心をしたのだ。

 シルヴェストの混乱は小国連合の崩壊を招くかも知れない。そうなったらフォレスも中原の争乱と無関係ではいられなくなる。

 だからこれから行うことは彼らのために必要なことなのだ……

 そう考えてフィンは首を振る。余計なことをがたがた考えている暇はあまりないのだ。

《ともかくどう忍び込むか考えないと……》

 フィンは再び、城に忍び込むなら具体的にどうすべきかを考え直してみた。

 グリシーナ城は丘の頂に建っている。

 正門以外は高い壁に囲まれており、周囲は深い空堀が掘られている。

 普通ならばそんなところからは行けないと思うだろうが、そこはフィンにはそれほどの障害ではなかった。軽身の魔法をかけた状態なら、ほんのちょっとの凸凹があればそれを手がかりに登っていけるし、間違えて落ちても大したことがない。

 問題は上がった後だ。

 城の中はあの数日滞在したときに見ただけだ。もちろんそのときはこんな事になるなんて思ってもいなかったから、城の構造なんてほとんど気にしていなかった。

 だから客間から広間や王の執務室といったあたりの表通路しか分からない。使用人通路が分かればまた違うのだが―――もちろん城の平面図なんて機密だろうし……

 そんな状況で誰にも出会わずにアラン王の私室まで行くなんどほとんど無理だ。間違いなく誰かに出会い、何らかの方法で口封じする必要があるが―――そんな騒ぎを起こすなんてほとんど論外だ……

《こういうとき消える魔法とかがありゃなあ……》

 都の大魔導師にはそんな力を持った者もいたが、無い袖は振れない。

 フィンは溜息をついた。

《ともかく城の中のどこに敵がいるかもわからないし……》

 彼らの行動が筒抜けになってあんな風に襲われた以上、城に敵の手が伸びているのは間違いないのだが―――そのときフィンは気がついた。

「ああ?」

 急にフィンが声を上げたので、バラノスがびっくりして顔を上げる。

「はい?」

「いえ、ちょっと」

 城に敵がいるのは確かだが―――うようよはしていないのではないか?

 以前考えたときには敵がどんな奴らか、その目的は何かが全く不明な状況だった。

 だとすれば敵の数も不明で、ならばうようよしているという前提で考えるしかなかったわけだが……

 でも今は状況が違う。フィンの推測が当たっていれば、敵はレイモンと通じているのだ。

《そんな秘密……ばれたら最後なんて物じゃないよな?》

 まさにそのせいでフィン達は消されかかっているわけで―――とすれば、秘密を知る者の数は最小限にして、漏洩を予防するのが当然なのでは?

 例えば黒幕が仮にフェデレ公とすれば、それこそ他には不要なくらいだ。もちろんフェデレ公本人でなくとも、その側近であれば十分だが―――だとすれば……

《使用人とかだったら……もしかして安全?》

 下っ端にそんな大それた秘密を知らせるわけがないとすれば、そういった人に手引きしてもらえばあるいは……

「あの、バラノスさん?」

「はい?」

「唐突なんですが、グリシーナ城にお知り合いとかいませんか?」

 だがバラノスは首を振った。

「え? いえ、城には……出入りしている商人なら知ってますが」

「……ですよね」

 フィンはまた考え込んだ。早々上手くいくものではない。

《そういう人がいたとして、本当に敵でないという保証はないし……》

 それに味方だったにしてもそんな人にこんな秘密を伝えて、こっそりと王に取り次げというのも酷な話だ。その人が慌てふためいてしまったら、それを敵に感づかれる可能性もあるわけで―――だが理由も言わず、いきなり王にこっそり会わせろなんて……

 フィンはため息をついてつぶやいた。

「うう……ブルガードさん、生きててくれればなあ……」

 彼かストーディが生きててくれれば、ほとんど何も考える必要はなかったのに……

 それを聞いたバラノスが尋ねた。

「亡くなった親衛隊の方ですか?」

「はい……」

 フィンはうなずいた。と、そこにアウラが口を挟む。

「いい人だったわよね」

「ああ、そうだな……」

「あたしの色紙で大喜びしたりして……」

 ぶはっ!

 慌ててフィンはアウラの顔を見るが―――彼女はまるで平然としている。

 だがそれを聞いたバラノスが目を丸くした。

「え? あの、色紙ですか?」

 その様子にアウラも自分の言った意味に気づいた。いきなり顔が赤くなると……

「あ、いや、違うのよ。色紙の代わりに剣見せてもらったの」

「はい?」

 それじゃバラノス氏には分からないのでは?―――そこでフィンが説明する。

「いやさ、こいつ実は結構な刀剣マニアで、ほら、親衛隊の人ってすごく立派な短剣を持ってるの知りませんか? それを手に取らせてもらえる代わりに、こいつ色紙をやったりして」

「はあ……?」

「いいじゃないの! すごい剣なんだから」

「でもそれで色紙って……」

 相変わらずバラノス氏は信じられない風だ―――その表情にアウラは少々かちんと来たようだ。


「それだけの価値があるのよ! 見たい?」


 そう言ってしまって―――アウラははっとして口を押さえた。

 もちろんフィンはそれを聞き逃してはいなかった。

「お、おい! 今なんつった?」

「え? いや、あの……」

「お前、あの剣持ってるのか?」

 アウラは真っ赤になった。

「どうなんだ?」

 アウラは黙ってうなずいた。

「ちょっと見せてくれ!」

 アウラはおずおずと立ち上がると自分の背嚢を取り上げ、その奥を探った。

 中からは見覚えのある短刀が出てきた。

「盗むつもりじゃなかったの……でも目の前にあったから、残骸覗いたら……で、つい……」

 フィンはアウラの手にした短刀をじっと見つめる。

 それから彼女の手から取り上げて再びよくよく見る。

 どう見ても本物だ―――あのときブルガードが持っていた物だが……

 フィンはアウラを見た。

 アウラは半分泣き出しそうな表情だが―――そんなアウラをフィンはいきなり抱きしめた。

「サンキュ! アウラ! 良くやってくれた!」

「え? でも……盗るのって……」

「あ? ああ。いや、確かにまずいっちゃまずいけど。でも今度だけはブルガードさんも許してくれる。絶対」

「どうして?」

「これで手紙が送れるんだ。王様に!」

「え?」

「ほら、この印章。これでブルガードさん封印してただろ?」

 フィンはアウラに柄の印章を示した。

「あ!」

 そうなのだ。

 これは親衛隊の身分を証明する印章なのだ。

 だとすれば、それで封印した手紙であれば少なくとも親衛隊に直接届くはずだ。

 そもそも親衛隊というのは王の直属部隊で、エリート中のエリートが選りすぐられている。王とその家族の命を預かるのが彼らなのだから当然だが―――すなわちこの短剣を使って封印した手紙は、アラン王にほぼ直接届くことになる‼

「よくやってくれたよ!」

 フィンは再びアウラを抱きしめたのだが、そのまま勢い余ってベッドに倒れ込んでしまった。

 ハスミンがお茶とお菓子を乗せた盆を持って入ってきたのはそのときだった。

「お茶、入ったわよ! お姉ちゃん……って、きゃあ! なにしてるのよ? 二人とも?」

 彼女の眼前でフィンがアウラをベッドに押し倒していて、しかもアウラの顔が妙に赤い―――彼女がそう誤解するもの無理はないが……

「パパ、どうして止めないのよ? さすがに真っ昼間からこれってどうなのかしら?」

「いや、違うんだ。これはな」

 慌ててフィンが起きあがって状況を説明する。

 だがハスミンは分かったような分からないような顔だ。

「……あ、なるほど! お姉ちゃんがその剣を持って来ちゃったせいで、王様に大切なお知らせができるようになったんだ。ああ、分かった! それでフィンさんがお姉ちゃんにご褒美をあげようとしてたって、そういうわけなのね? でもやっぱり真っ昼間からそんなことはどうかと思うの。まだ外は明るいし」

 だから何でそうなる⁈―――そう二人が突っ込む前に、ハスミンは別なことを話し出していた。

「あ! そういえば、さっき来てた早馬の人、来る途中でディレクトスの馬車追い越してきたって言ってたわよ? ベルジュ出てちょっとの所とか言ってたから、多分明日くらいに来るんじゃないかしら」

「なんだって? 本当か?」

「うん。それでね、その早馬の人なんだけど……」

 ハスミンはまたそこで聞いた様々なゴシップを話し始める。

 それを適当に聞き流しながらフィンは思った。

《ともかく今のところ、運はこっちに向いてるよな?》

 最後までこの調子で行ってくれればいいのだが……



 次の日の深夜、フィンは宿屋の外壁に張り付いて、物音を立てないように慎重に宿屋の窓枠を伝っていた。

 窓からハスミンが心配そうに顔を出している。

「どうでしたか?」

 彼女が小声で尋ねる。

 フィンが黙って腰の袋を叩くと、中からからからと乾いた音がした。

 ハスミンはぱっと笑顔になると、頭を引っ込めた。

 その後からフィンは窓をくぐって自室に戻った。

 中にはアウラとバラノス氏が心配そうな顔で待ちかまえていた。

「あったの?」

 アウラが尋ねた。フィンはうなずいた。

「ああ、あったよ。とりあえず全部持ってきてみたが……」

 そしてフィンは腰に付けた袋を開けると、中から幾つかの“卵”を取りだした。

 そうしながら彼自身もまだ完全には信じられなかった。

「これなんだけどね」

 その卵を見た途端にハスミンが言った。

「あら? これってすごく上等! みてみて! お姉ちゃん」

「あ、本当ね」

 アウラもうなずく。

「そんないい物なのか?」

 もちろんフィンやバラノス氏がこういった物の善し悪しを判定できるわけがない。

 だがハスミンは大きくうなずいて得意そうに話し始めた。

「そうなのよ。これってほら、漆の塗りがすごくしっかりしてるでしょ? これがいい加減だとすぐ臭いが付いたりするの。小娘の時にはこれの手入れずっとやらされてて、大変だったのよ。それにねえ、安いのを仕入れてすぐだと漆が乾いてなかったりするのよ。そんなの入れたらもう大変なことになるのよ。かぶれちゃって……」

 普段ならばなかなか興味深い話だが、今日はそれを聞いて夜明かしするわけにはいかない。

 フィンは人差し指を口に当ててハスミンを黙らせると、卵の一つを取り上げて三人に見せた。

「でさ、これなんだけど……」

 あの手触りは確かだっただろうか? 暗くてよく分からなかったが、他の卵はつるつるの表面だったのに、これだけは筋が入っているような感触がしたのだ。

 フィンはその卵を取り上げて明かりにかざした。

 綺麗に漆が塗られた真っ黒の球で、ウズラの卵と鶏の卵の中間くらいの大きさだ。

 完全な球体ではなく、横から見ると楕円形をしている。そしてよく見ると真ん中あたりに確かにつなぎ目が見える。

「開きそう……ですね?」

 横で見ていたバラノス氏が言う。フィンは黙ってうなずいた。

 それからその卵を引っ張ってみたが―――びくともしない。

《使い捨てか? だとしたら減ったのがばれちまうぞ?》

 一瞬フィンは蒼くなった。

 だが、ひねってみるとそこはネジになっていて、卵が二つに分かれると中から丸めた紙片が出てきたのだ。

《マジかよ……》

 見た瞬間、心ならずも体が震えるのを止められなかった。

 残りの三人も同様だ。紙片が出てきた瞬間、みんなが息を呑んだ。

 四人は黙って顔を見合わせる。

 それからバラノス氏がフィンに軽く目配せした。フィンはうなずくとその紙片を開いた。

 そこにはこう書かれていた。

こちらも色々努力はしたのだが、結局作戦の方針は変更はできなかった。そのため以前示唆したように第四軍を投入せざるを得なくなったことをお伝えする。従ってサルトス方面も手薄になる。少々困難はあるとは思うが、そちらの牽制もお願いしたい。

グラテス方面の攪乱作戦の終了に関しては了解した。

T

 フィンは黙って顔を上げると、手紙をバラノス氏に渡す。

 バラノスもそれを見ると黙って顔を上げて、ハスミンとアウラに渡す。二人は一緒に手紙を覗き込んだ。

 それからしばらくは誰も口を開かなかった。

 ハスミンでさえも一言も喋らない。

 短い手紙だが、その内容は驚くべきものだ。

 確かにこれだけでは具体的なことはよく分からない―――だが少なくともレイモンは近々何らかの軍事作戦を予定している事が分かる。

 それだけでも大変なことだ。

 視察に旅立つ前、アイザック王は中原の不気味な沈黙について心配していたが―――まさにそれが杞憂ではなかったのだ!

 そしてもう一点重大なことは、これが間違いなくレイモンからシルヴェスト国内の内通者に対する指示書だったということだ。

 もはや紛れはなかった―――フィンの推理は大当たりだったのだ。

 全く予想通りの事態のはずなのに、何故か体の震えが止まらない。

 フィンは悟った。結局ほんの今の今まで自分でその推理を信じていなかったのだ。

 こんなことは間違いに決まっている! あるはずがない!―――本心ではずっとそう思っていたのだ。

 だからこそパニックにもならずにこんな計画を遂行できていたのだろうが……

「本当に見つけちゃいましたよ……参ったな……」

 三人は黙って顔を見合わせる。

「フィンさん……」

 バラノスが心配そうにフィンに言うが……

「分かってます。でも、ちょっと……」

 フィンは何度か深呼吸すると、それからバラノスに言った。

「で、何ですが……ここが引き返す最後のチャンスですよね?」

「え? やめるの?」

 アウラがびっくりしたように言う。フィンは彼女の顔を見てうなずいた。

「ああ。今ならまだやめられるってことだ」

 アウラは明らかに不満そうな顔をしたが、フィンは黙っていろと手でサインを出す。

 彼女はそれ以上は何も言わずに黙り込んだ。

 それからフィンはバラノスの方に向くと、テーブル上に転がっている二つに割れた“卵”を指さした。

「その中にこの手紙を戻して卵も返してくれば、ここでは何も起きなかったって事にできますが……」

 それにはバラノス氏もすぐには返事できなかった。

 当然だ。

 ここで戻れば今までと同じ生活が続けられるのだから。何の危険もない普通の生活が。

 だが戻らなければ、この先どんな事になるのだ?

 バラノス氏はじっと考え込み、それから今度はハスミンの顔を見た。

「パパ……」

 彼女の表情に怯えはなかった―――それを見てバラノス氏は心を決めたのだろう。

「ここまで荷担した以上、後には退けないでしょう?」

「でも農園とかがありますよね?」

 フィンは痛そうな所を突いてみるが、もうバラノス氏は迷わなかった。

「確かにそうですが……でも、やると決めた以上は最後までやれって、息子達にはそう教えてますから」

 そう言ってバラノス氏は笑った。

 フィンはうなずいた―――了解だ。

 それからアウラの顔を見る。もちろん彼女の心も決まっている―――ならば決定だ。やるしかない。

 フィンはバラノス氏とハスミンに向かって頭を下げた。

「分かりました。ありがとうございます。それじゃこれからのことをお話しします」

 フィンは既にこうなった場合の計画をおおむね作っていた。

 だが具体的なことはバラノス達にはまだ話していなかった。どう転ぶか分からなかったし、それに彼らがここで離脱したのならば、余計なことは知らない方がよかったからだ。

 だがこうなった以上、彼らに今後の作戦の詳細を知っておいてもらわなければならない。

「えっとそれじゃまず、これから僕達がどうしようとしているか説明します」

 フィンはこれからの作戦についてバラノス達に説明した。

 二人は黙ってフィンの話を聞いていた。

 だがその作戦はフィンとアウラの二人だけで行われ、バラノス達は登場しなかった。

「……そういうわけで、上手くいけばスパイ組織は壊滅できると思います。でも絶対と言うことはありません。そこで僕達が失敗した場合、バラノスさん、それにハスミン、あなた方に頼みたいことがあるんです」

 バラノスは大きくうなずいた。

「何でしょうか?」


「このことをフォレスのアイザック王に伝えて欲しいのです」


「は?」

 バラノスは目を見張った。ハスミンもぽかんとしているが―――やがてバラノスが再度確かめるように尋ねた。

「フォレスというと、フォレス王国ですか? グラテスの先の?」

「そうです」

 フィンはうなずいた。

「多分薄々は気づかれていたかと思いますが、俺達は単なる賞金稼ぎというわけでもないんです」

 バラノスとハスミンは顔を見合わせる。

「じゃあ……あのとき言われてた王妃様とかは……本物の王妃様のことでしたか?」

 フィンは再びうなずいた。

「ははは、まあそうです。俺達、今はフォレスに仕えてる身で……俺の本当の名前はル・ウーダ・フィナルフィンといいます」

 それを聞いてバラノスは再び目を見開いた。同時に今度はハスミンが声を上げた。

「ええ? ル・ウーダって、フィンさんって都の人だったの?」

 その声が高かったのでフィンは慌てて指を口に当てる。ハスミンもすぐに気づいて声のトーンを下げる。

「ええ。出身は白銀の都で。でもあちこち旅してる間にフォレスで仕えることになってしまって……それで今回の旅は、アイザック様に言われてこの中原地帯の視察をしに来てたんです」

 まだ目を丸くしているハスミンに、フィンは更に続ける。

「それから。アウラの方なんだけど、彼女はフォレスの親衛隊で、エルミーラ王女の警護をしています」

「ええ? 本物の王女様の?」

 ハスミンが驚愕の表情でアウラを見た。

「うん」

 アウラは少々気まずそうな顔でうなずいた。

「すごい! すっごーーーい‼」

 さすがのハスミンもそれを聞いては驚きの声しか出てこない。

 そんな彼女にフィンは更に畳みかけた。

「あとそれと驚きついでなんだけど、彼女の育ての親ブレスのことは知ってる?」

「え? あまり聞いたことがないけど」

「そのブレスって人は、実はフェレントム・ガルブレスといって、ベラの王族の人だったんだ。彼女その人の養女ってことになって、今ではフェレントム家の一員なんだ」

 それはハスミンをしばらく黙らせる効果があった。

「え? ええ? えええええ? フェレントムって、聞いたことありますよ。ベラの長の人の名字ですよね? 長って確か、王様みたいなものですよね? じゃあ、お姉様って、その……」

「知らなかったのよ。あたしだって。フィンとフォレスに行くまで」

 アウラが少し顔を赤らめながら言った。

「す、すごい、すごいです! アウラお姉様の正体がお姫様だったなんて、もうすごいです。すごすぎます!」

「だから養女だって言ったじゃない」

「ええ? だって今はもうフェレントム・アウラお姉様なんでしょ? うわああ! あは~! やっぱり違うと思ってたんです。お姉様ってどこか。だってそうでしょ? あんなに強いのなんて普通じゃないですよ。でもベラの長の一族って言うんなら当然ですよね? あそこってすごい魔法使いとか剣士の人とかが一杯いるじゃないですか? やっぱり触っただけで女の子を逝かせられるなんて、魔法使いだったんですね? うわあ! 素敵! でもでもどうして黙ってたんですか? 言ってくれればみんな大喜びしたのに……」

 ハスミンがしばらくこんな調子で舞い上がってしまってなだめるのが大変だった。

 彼女がやっと落ち着いたところで、フィンはバラノスに言った。

「と、こういった訳ですので、作戦が上手くいかなかった場合、それをアイザック様に伝えて欲しいんです。俺達、実はもう顔が知られてるんですよ。だから失敗した場合にフォレスの手の者が国内で工作した、とか言われてしまう可能性があるんです。そうなったら国際問題です。そのときにあなた方が真実を伝えてくれないと、アイザック様も手の打ちようがないはずなんです」

 これは実際その通りだった。

 フィン達が失敗したということは、王の敵対勢力が勝利したということであり、彼らはこれをいかようにも利用できるだろう。

 現在シルヴェストとフォレスは非常な友好関係にあるが、これを一気にぶち壊すことだってできるわけだ。

 そのときフィン達が何故そのような行動をしたかを知らなければ、アイザック王はシルヴェストの脅しに屈してしまうかも知れない。

 だが真実を知っていれば正しい判断ができるはずだ。

「失敗とは……例えば?」

「そうですね。上手くいったならほとんど誰も知らないうちに事は成就します。その場合は即座にこちらから連絡を入れます。上手くいかなかったときは……まあ色々考えられますが、例えば俺達が捕まって首をさらされてたとか……」

「ええ? そんな!」

 ハスミンが息を呑んだ。

「いや、最悪の場合ね。最悪の。そうでなくても捕まって閉じこめられるとか、敵に追われて逃げ出すとかまあ色々あり得るけど」

 フィンは慌ててフォローするが―――実際のところ失敗したら生きてられない事の方が多そうなのだが、彼女を怖がらせても仕方がない。

「ともかくそんなときは連絡は取れないと思いますので、計画の日からそうですね、十日くらいしても音沙汰が無ければ、失敗したと見なして、このことをアイザック王に伝えに行って欲しいのです」

 バラノスとハスミンは顔を見合わせる。

 それからバラノスはフィンの顔を見るとうなずいた。

「わかりました」

 真剣な表情だ。

 実際もし失敗したときには彼らも命がけの旅になるだろう。

 でも悪いことばかり考えていても仕方がない。フィンは笑いながら言った。

「もちろんこっちだって失敗するつもりでやってはいませんから。成功だったら何もすることありませんし。どっちかって言うと失敗する確率の方が低いと思いますよ。なにしろこっちは王様に直接協力を頼めますしね?」

 それを聞いてバラノスもちょっと笑みを浮かべる。

「そうですね」

 アウラがブルガードの短剣をかすめて来たせいで、今では王と親衛隊が味方に付いたも同然なのだから―――彼らが動いてくれれば、ほぼ間違いなく計画は成功するだろう。

 たとえ黒幕を取り逃がしたとしても、さすがにもう狙われる事はないだろう。奴らは王の追及をかわすのに精一杯になるはずだ。

 だとすれば、後は実行あるのみだ。

「それじゃ最後の仕上げをしてきます」

 そこでフィンは懐からあらかじめ用意していた小さな紙切れを取り出すと、テーブルの上にある卵に入れて、二つの殻を合わせて閉じた。

 それから三人に軽く会釈をすると、開いた窓から外を窺い、誰もいないことを確かめると外に出る。

 そのままフィンは窓枠を伝って二つ先の部屋に入った。

 この部屋に忍び込むのは今日は二度目なので、今度は全然手際がいい。

 部屋の中には三人の男が眠っている。

 二つのベッドに二人の男、一人はソファの上だ。

 彼は不寝番だったのだろうが、ハスミンの盛った“よく眠れる薬”のせいで朝まで目を覚まさないはずだ。

 フィンは部屋の片隅にある男娼の荷物の中に先ほどの卵を再び忍ばせて、元通りに閉じた。

 これで彼らは明日確認しても異常は発見しないだろう。

 彼らが卵の中身まで確認するとは思えない。単なるメッセンジャーがいちいち密書の中身など見るわけがない。

 仕事を終えてからフィンは眠っている男達をもう一度眺めた。

 ソファの上の男と手前のベッドの男は護衛のようで、ごつい体をしている。

 奥のベッドに寝ているのは華奢な若い、まだ少年と言っていいような男で、月明かりに見るとまるで娘のようだ。

《ごめんな。あんたらに恨みはないんだが……ボスにいじめられないといいけど……》

 敵のボスが届けられた卵の中身を見たときの顔は間違いなく見物だろうが―――だが、それでぶち切れたボスの怒りの矛先が向かいそうなのが、この三人なのだ。

 とはいってもこんな任務についている以上、命の危険があるのは納得ずくのはずだ。

 フィン達が今、命を張っているのと同じように……


 ともかく賽は投げられた―――後はもう、行く所まで行くまでだ。