エピローグ 不思議な旅人
その茶屋は銀の湖を臨む丘の上に建っていた。
丘はもう枯れ草で覆われていて、吹き抜ける風も冷たい。
十月に入ればこのあたりは冬も近い。
茶屋の主人がそろそろ店じまいをしようかと考えていたときだ。遠くから馬に乗った旅人が一人やってくるのが見えた。
主人は立ち上がると黙ってその客を待った。
来たのは若い娘だった。
身に纏っているのは一見地味なポンチョのようだったが、近くで見るとそれがなかなか良い生地でできているのがわかる。乗っている馬の毛並みも良い。
ちょっと変わった所はその背中に見慣れない長い剣を担いでいることだが……
娘は茶屋の前で馬から降りると、眼前に広がった銀の湖の光景を見て目を見張った。
「こちらは初めてですか?」
主人が声をかける。娘は黙ってうなずいた。
「どうですか? 都は?」
「うん」
娘は一言そう言って再び広がる光景に目を奪われる。
眼下には青く澄み切った湖が広がっている。
その対岸には美しい街が見えた。
街の建物は大理石のような白い石で造られ、それが湖畔から左奥の山の斜面にまでずっと広がっている。その街並みだけでも遠来の旅行者の目を見張らせる効果はあった。
だがその先にはさらに驚くべき光景があった。
街の背後には台地があって、街との間はかなりの急斜面で隔てられていた。一部は岩肌を露わにした崖だが、その斜面には何条ものつづら折りの道が刻まれている。
その台地の上には立派な宮殿が幾つも建っているのが見えた―――その一つ一つが小国ならば王宮クラスの建物だ。
だがそれも白銀の都を真に特徴づける“銀の塔”のささやかな装飾にしか過ぎない。
台地は銀の湖の湖岸にまで続いていて、そこですとんと絶壁になっている。
その断崖の上に、まるで天から落ちてきて突き刺さったような銀色の塔が建っていた。
その美しさもそうだが、驚くべきはその高さだ。
今立っている丘は湖をずっと見下ろすような高さがある。だが塔の頂上はここから見てもさらにずっと見上げなければならない……
その光景に圧倒されている娘に店主が声をかけた。
「ちょっとお休みになりませんか?」
「うん」
娘は素直に馬をつなぐと店先のベンチに座って、店主が出したお茶を美味しそうに啜った。
店主はこの娘に少し興味を持った。
彼女が着ている服はこのあたりではあまり見かけない仕立てだ。担いでいたのは近くから見たらどうやら小さな薙刀らしかった。そういった物を使うのは確か旧界の方だったはずだが―――だとしたら彼女ははるばるそちらからやって来たのだろうか?
それと共に店主はその娘の物腰にも魅了されていた。
馬から降りてここまで歩いてくる姿は、どう見てもただ者ではない。高貴な貴婦人のように思えるが―――そんな女性が一人でこんな姿で旅をしたりするのだろうか?
と、そのとき娘が尋ねた。
「ねえ、おじさん、ファラって知らない?」
「え? ファラ? 知ってるといえば知ってますが?」
「え? どこにいるの?」
「私の従兄弟の娘で、今年四つになりますが?」
それを聞いた娘はあからさまにがっかりした表情だ。
その様子を見て店主はますます不思議に思った。
この話し方はどう見たって低地の平民だが?―――ならばさっき受けた印象は何だったのだ?
「ファラってだけじゃねえ……ファラちゃんなんて今じゃ一杯いますし」
「じゃああたしと同じくらいの歳だったら?」
店主は眉をひそめた。それともこれは何かの冗談なんだろうか?
店主が答えないのを見て娘は言った。
「多分あたしくらいの歳で、いいお屋敷に住んでると思うの。多分そこにはこんな紋章がついてて……」
そう言って娘は持っていた薙刀の石突きで地面に絵を描き始めた。
それは見間違えようもなかった。
「そのファラ様でしたら、あちらのお屋敷にいらっしゃいますが?」
店主は絶壁の上の宮殿群を指し示した。
「やっぱりそうなんだ……ありがと」
娘は礼を言うと店主にチップを渡す。
それからすっと立ち上がるとひらりと馬にまたがって先を急いだ。
その物腰はやはり高貴な人のそれにしか見えないのだが……
小さくなっていく娘の後ろ姿を見送りながら店主はつぶやいた。
「大皇后様に一体何の用があるんだろうね? まさかまた?」
店主はそうつぶやくとふっと鼻で笑って首を振る。
「そんなことあるわけないさね」
そうつぶやいて店主は店じまいを始めた。
シルバーレイク物語 賞金稼ぎは楽じゃない 完
(あとがきは次ページです)