第3章 初めての夜
その日アウラ達が戻ったのは別の屋敷だった。
そこは最初アウラが押し入った屋敷とは異なって、街並みから少しはずれた所にあった―――というよりは、その屋敷があったせいでその辺りが郊外に見えていたと言った方がいい。
それほどまでにその屋敷の敷地は広大だった。
一行が屋敷の正門をくぐると白い砂で舗装された道があって、その先に大理石で造られた小山のような建物があった。
道の両脇には一定間隔ごとに同じく大理石できた柱が立っている。夜には明るく篝火が焚かれるのだろう。
道から外れた所は一見、深い森が広がっているように見える。
だが普通の森とは異なり、この森の木々は一本一本丁寧に手入れされており、下草も同様に刈り込まれている。どうやらここは巨大な庭園の一部なのだ。
きょろきょろしているアウラにメルファラが言った。
「ここはジアーナ屋敷といって私の実家に当たります」
「ここがお話に出てきたお屋敷?」
「ええ。そうです」
微笑みながらメルファラが言う。
都に来てからというもの、アウラは圧倒されっぱなしっだった。
ガルサ・ブランカ城に初めて入ったときも大概驚いたものだが、ここは何もかもが桁はずれだ。
一行は屋敷の玄関に着くまでしばらく馬を歩ませなければならなかった。
着いてから後ろを振り返ってみると、まるで丘の上から麓を見下ろすように正門から続く道が続いている。
《彼はここを走ったんだ……》
あのときメルフロウがこの道を全力で駆け下りたのかと思うと、何故か妙に親近感がわいてくる。
彼女たちが到着するのを何人かの侍従が待ちかまえていた。
メルファラは彼らと二言三言言葉を交わすと言った。
「今晩はここの離宮で続きをお話ししましょう」
アウラは黙ってうなずいた。
屋敷の中はまさに豪華絢爛の一言だった。
床は磨き抜かれた大理石で、見事な絨毯が縦横に敷かれている。
ホールの柱はどれにも華麗な彫刻が施され、細々とした丁度はすべて金でできているようだ。
あのベラの水上庭園にも驚いたものだが、ここは遥かにそれ以上だ。
だがメルファラにとっては見慣れた光景なのだろう。周囲ことなど全く気にも留めず、その間を縫って歩いていく。
アウラは見とれそうになる気持ちを抑えて彼女の後に従った。
やがて二人は長い廊下を抜けると屋敷の裏手に来た。
廊下の突き当たりには館の外に通じる扉がある。それを開くと庭園を突っ切る長い渡り廊下が延びており―――その先に“離宮”はあった。
「見えました。あれです」
「うわあ! なに? あれ」
メルファラがその離宮を指さした瞬間、思わずアウラは声をあげていた。
そこはまるで物語に出てくるような別世界だった。
不思議な形の木と奇妙な形の岩で構成された森の中央に、巨大なガラス細工の宮殿が建っていたのだ。壁面のガラスに夕陽が当たって、まるで赤い炎のように煌めいている。
「曾祖父がミュージアーナ姫のために建設した離宮です」
「え? ミュージアーナ姫?」
知った名前が出てきたのでアウラは訊き返した。
「ご存じですか?」
「あのすごく踊りが上手だったっていう?」
「はいそうです」
ミュージアーナ姫の話は幾度となく聞いている。
そしてアラン王からアウラの得意なあの舞のオリジナルを完成させた人だと聞いた後は、尊敬する人ともなっていた。
「踊りはお好きですか?」
「ええ? はい……」
「それでは今度ルナ・プレーナ劇場に行きましょうか?」
「ええ? はい……」
いいも悪いもない。アウラはただうなずくだけだ。
二人は渡り廊下を抜けて離宮に入った。
離宮のホールでアウラはまた目を丸くした。
そこには様々な芸術品や工芸品が所狭しと並べられていて、まるで博物館のようだ。
「これは私の先祖があちこちから集めた物なんです」
続いて彼女は驚いて声も出ないアウラをホールの奥に導いた。
導かれた先は、プライベートルームらしかった。
だが部屋の庭に向かった壁面はすべてガラスでできていて、その方向には壁がないかのように庭の景色が見渡せる。こんな部屋は初めてだ。
だがその先の光景もまた不思議だった。
それはアウラが今まで見たことのないタイプの庭園だった。
地面には白い砂が敷き詰められ、所々に大きな石が頭を出している。
中央には瓢箪型をした池があって、その向こうにはちょっとした岩山があり、その上から滝が流れ落ちている。
池の周囲には様々な形に刈り込まれた木々が聳え、その間を小径が縫うように走っているのが見える。
「さあどうぞ」
ぽかんと外を見ていたアウラにメルファラが言った。
彼女が部屋の中程にあるテーブルを指さすと、その上には既にたくさんの料理が並べられていた。今出てきたばかりのようでほかほかと湯気を立てている。
「お腹がすいたでしょう? まず夕食に致しましょうか」
アウラは一も二もなくうなずいた。実際ずいぶん遠乗りしてきたせいかお腹がぺこぺこだ。
二人が食事を終える頃には、外はとっぷりと日が暮れていた。
同時にあちらこちらに篝火が立てられて、その光に照らされた庭園は先ほどとはまったく異なった幻想的な雰囲気を醸し出している。
人心地ついたところでメルファラはアウラを窓際の長椅子に誘った。
「ここにあなたをお呼びしたのは他でもありません。ここは兄とティアの一番重要な思い出の場所なのです」
「思い出? それって……」
こんな場所での二人の思い出といえば―――初夜のことだろうか? この雰囲気でそれを想像するなと言う方が無理だが……
果たしてメルファラは少し顔を赤らめながら言った。
「はい。兄とティアはここで初めての夜を迎えました。そのときのことをこれからお話ししなければなりません」
「う、うん……」
アウラは曖昧にうなずいた。
確かに興味があるのは間違いないが―――そんな話を聞いてしまっていいものだろうか?
戸惑うアウラにメルファラがにこっと微笑みかける。
「これから話すことは私がティアから直接聞いたことなのですが、あの晩彼女たちはここにこうして二人で座っていたそうです……」
メルファラは再び語り始めた。
そのときエルセティアは窓辺の長椅子に座って一生懸命に庭の篝火の数を数えていた。
《えーい! 静まれぇぇぇ! あたしの心!》
彼女の正面にはメルフロウが座っている。
いつもならばその顔を眺めているだけで幾らでも時は過ごせるのだが―――今日ばかりはさすがに無理だ。
こんな時間にこんな場所で彼と二人きり……
しかも二人はもう婚約者同士―――ならばこれから起こることといえば……
《きゃああああああ!》
まるでだまし討ち―――とは言わないが、唐突にも程がある。
確かに正式に婚約している以上、お呼ばれされたのならばいつこうなったっておかしくはない。
《でもやっぱりもう少し手順ってものがあるわよね?》
せめて『今度一緒に星を見ましょうか』とか言っててくれれば、それなりの心の準備だってできていたものを―――もちろん嫌なのではない。というより、心から望んでいたことなのだが、やはりその、何というか、今までそんな素振りを全然見せなかったところに急にこう来られてしまうと……
エルセティアはそんなことを思いながらちらちらとメルフロウの顔を見た。
しかしさっきから彼はずっとうつむいて自分の膝を見つめるばかりだ。
《一体何を考えてるのかしら……》
今日の彼はちょっと変だ。
いつもならにこにこと色々な話をするのに、今日は会ってからほとんど口を開かない。
でも彼もまた緊張しているのかと思えば納得は行く。これがカロンデュールならともかく、メルフロウが下町を遊び回ったりしている光景が全く思い浮かばない。
ということは……?
《……もしかして、彼も初めて?》
それってどうなんだろう? 郭にも行ったことがないのだろうか? だからどうやっていいか分からないとか?―――そう思うとかっと顔が熱くなった。
《そりゃ初めての人になれるのっていうのは嬉しいけど……》
男にとっても初めての女性というのは一生忘れられないらしいし……
でもどうなんだろう? 初めてが上手く行かなかったら一生のトラウマになるとかいった話もあるし……
かといって彼女からリードしようにも、彼女だって詳しいわけではない。
なら一体どうしたら?
そんなことを考えながらちらっとメルフロウを見ると―――偶然顔を上げた彼と目が合った。
「はい?」
「いえっ、何でもないの!」
二人はまたそっぽを向き、気まずい沈黙が訪れる。
空気が重い……
《でもこっちからせがむわけにもいかないし……》
そんな重苦しい空気に、ついにエルセティアは耐えられなくなった。
「あの……」
「はい?」
だが、彼の顔を見てしまうとやはりそれ以上は何も言えない。
《だめっ! やっぱ訊けないわよ!》
これから二人でナニをしたいのか? なんてっ!
「えっと、ちょっとその辺見回っていい?」
彼女は思わずそう言っていた。
「え? どうぞ」
メルフロウはうなずく。
そこでエルセティアは立ち上がって部屋の中を歩き出した。
とりあえずは何とかなったが―――彼女は改めて部屋の中を見回した。
ここは伝説の舞姫ミュージアーナのためにメルフロウの曾祖父が建造した離宮だ。
一時期は彼女本人がここで暮らしていた。
そしてまさにこの部屋で彼女とジークⅣ世が愛を語り合っていて―――などということを考えたらまた顔が熱くなってしまう。
《それにしても広いお部屋……》
部屋の反対側まで歩いたら窓際のメルフロウが小さく見えてしまう。
彼は相変わらず下を向いて何か考え込んでいるようだが―――エルセティアはとりあえずそれを気にかけないようにした。
それから目の前の扉を何の気なしに開けてみるが、その中を見た瞬間……
「ひゃっ!」
彼女は小声で叫ぶと慌てて扉を閉じた。
その部屋が何の部屋かを見て取るには、その一瞬で十分だった。
こちらと同じような豪華な部屋で、広さはやや狭かったが、部屋の中央には天蓋付きの広いベッドがあって、その上には枕が二つ置いてあって……
彼女は慌てて扉の前を離れると、部屋の別な一角に向かった。
そちらにもまた扉があった。
彼女がその扉を細く開けて中を覗くと、扉の隙間からほわっと湿気が流れ出した。
その先は浴場の脱衣場のようだが……
「ティア……」
「ひゃん!」
唐突に後ろから話しかけられて、エルセティアは飛び上がる。
床には厚い絨毯が敷き詰められているので足音がほとんどしないのだ。
「な、なに? フロウ……」
振り返ったエルセティアをメルフロウがじっと見つめていた。何か思い詰めたような目なのだが……
《え? まさかこんなところで?》
それはちょっと性急なのでは?
とは言っても、もし彼がそうしてきたのなら間違いなく抵抗なんてできない!
―――だがメルフロウはいきなり襲いかかってきたりはしなかった。
「湯浴み、してきますか?」
「え? ああ、そうね。うん。あはは」
言われてみれば今日はちょっと暖かかったし、それにいろいろ緊張して冷や汗もかいていたりでその申し出は確かに嬉しい。
エルセティアがうなずくのを見てメルフロウは言った。
「そちらが浴室です。私も後から行きますから……」
途端にエルセティアは顔から火が出た。
私も後から行きますから?
後から行きますから?
行きますから?
…………
彼女はかくかくと人形のようにうなずくとそのまま脱衣場に飛びこんだ。
しばらくは周りの光景も目に入らなかった。
《きゃあああ! どうしましょう?》
ついに、ついにその時が来てしまう! 夢にまで見たその時が!
でもまだ少し心の準備ができていない。
確かにここは―――そう思ってあたりを見回すと、そこは天然の岩場のような内装になっていて、ほの暗い間接照明に照らされいた。
奥に通じる通路も岩のトンネルのようになっていて、両側からは流れ落ちる幾条かの小滝から湯気が湧き上がっている。
トンネルの先はぼうっと明るくなっており、広い湯船に反射する月明かりが湯気を通してうっすらと見えている。
《うわ……》
ムード満点なんてものではない。
彼女はそこで力尽きてしまいそうになったが、何とか気合いを込めると着ていたドレスを脱ぎ捨てた。
暖かな空気が素肌に絡みついてくる。
エルセティアはそのままトンネルに歩み入ると、流れ落ちる滝の一つの下に入った。
「きもちいい!」
そこから奥に歩いていくとぽっかりと明るい空間になって、色々な形をした岩の間になみなみと湯が満たされている。
岩は一見ごつごつして冷たそうだったが、触ってみるとみんな綺麗に磨かれていて温かい。
高窓からは月の光が差し込んでいる。
エルセティアは湯船にざぶんと身を滑り込ませる。
《すごい! 泳げるわ。これ……》
そう思ったら何だか楽しくなってきた。
エルセティアは湯船の中を犬かきでぐるっと一周してみた。
広い。広すぎる……
彼女の屋敷の浴場だって狭いわけではないが、こんなのは見たこともない。
端に行ったら湯気で反対側が見えないし、天井も霞んでいてどのくらい高いのかもよく分からない。林立している岩陰を使って思いっきりかくれんぼができそうだ。
エルセティアはひとしきり浴室の中を探検した後、湯船の中央の岩にもたれかかって一息ついた。
お湯の温度も丁度いいし、体だけでなく心まで洗われるような気分だ―――これならば彼がいつ来ても恥ずかしくない……
《きゃあああああ!》
などと思った瞬間また赤面する。
もうだめだ。
期待するなと言っても無理だ―――そして彼女は首を振った。
《そうよ。目を逸らそうとするから余計気になっちゃうのよ。逃げちゃ駄目なんだわ。こうなったら……》
彼女は心の中でそうつぶやいて、これからのことを想像し始めた。
メルフロウはどんな風に始めるのだろうか?
最初は何て声をかけてくるのだろうか?―――それとも黙っていきなりぎゅっと抱きしめてくるのだろうか? それはそれで構わなけど……
でも多分彼はいきなりは彼女に触れることはしないだろう。
少し離れた所から『本当なら式を待った方がよかったかもしれませんが……』などと言ってくるに違いない。
それからちょっと恥ずかしそうな声で『でも私はもう待てませんでした。だから今晩あなたの全てを知りたくて……』とか言って……
それからおずおずと彼女の肩に触れてきたりして……
振り向くとそこに彼の顔があったりして……
まずは熱いキッスを交わして……
それから彼の手が彼女の……
《だめえぇぇぇぇ!》
だめだ、だめだ! やっぱりこんな想像をしていたらここでのぼせてしまう。
実際顔が熱いのは想像のせいだけではない。随分長く浸かりすぎたせいもあるのだが―――エルセティアはそれに気づいてふと思った。
《遅いわねえ……》
あれからずいぶん経っているが、彼は何をしているのだろう?
《後から来るって言ってたわよね?》
彼女の聞き違えではなかったはずだが……
それとも“後から”というのは、彼女がお風呂か上がった後に入るという意味だったのだろうか?―――だとすれば、彼は外で彼女が上がってくるのを待っている?
《え?》
エルセティアは顔を上げてあたりを見回した。
《でもここって……》
こんな広い浴場で一人ずつ入ってどうするのだろう? 一人よりも二人の方が絶対面白そうなのに―――そう思ってまた顔が熱くなる。
ともかくこのままでは本当に湯あたりしてしまいそうなので、少し体を冷やそうかと思ったときだった。
入り口のあたりに人の気配がした。
「フロウ?」
彼女がそう言うとメルフロウの声がした。
「ティア? どこです?」
エルセティアは慌てて首まで湯に浸かる。
「ここ。真ん中の岩のところ」
「ああ、そこですか……」
続いてぴしゃぴしゃと彼の足音がする。
やがてざぶんという音がして微かな湯をかき分ける音が近づいてくる。
その音は彼女がいる岩の反対側で止まった。
エルセティアは恐る恐る振り返る。
だが彼の姿は岩に隠れて見えなかった。
彼女はちょっとほっとすると同時に、少しがっかりした。
それからしばらくどちらも何も言わなかった。
いい加減浸かりすぎで頭がカッカしてきている。
だが彼が動かないのにこちらから行くのも少し気が引けるし……
《フロウ! もうちょっとしっかりしてよ》
エルセティアは心の中でそう叫んでいたが、もちろん口に出す勇気はない。
そのときだった。
「ティア……」
メルフロウの声がした。
「なに?」
「私は……ずっと悩んでいました……」
「え? 何を?」
「こうするべきか……やめておくべきか……」
「え? あたしは、その、気にしてないから、うん」
一体自分は何を言っているのだ?
「ありがとう……ティア。でも違うんです。結婚してからでは遅すぎると思ったから……それに……私はもう耐えられなかったから……」
いやあああああ! これって? これって⁈
心臓がばくばくと鼓動を始める。
「だから今晩あなたに全てを……」
いや、これってまるでさっきの想像通りの展開では? ならば次は?
―――果たしてそれは当たっていた。
後ろからメルフロウがこちらに近寄ってくる音が聞こえた。
エルセティアは慌ててそれに背を向ける。
やがてすぐ後ろに彼の気配がする。
「ティア……」
その声はほんの耳元から聞こえてきた。
《来るわ!》
エルセティアは体を固くしてぎゅっと目を閉じた。
それと同時にメルフロウの手が彼女の肩に掛かる。
そして軽い水音と共に彼が正面に回り込むのが感じられる。
「ティア……目を開けて下さい」
彼の声が聞こえる。
まるで心臓が張り裂けそうに脈打っている。
エルセティアは言われるままにゆっくりと目を開いた。
「そのときの彼女の顔は多分一生忘れないでしょうね」
そう言ってメルファラは笑った。
「何しろそのとき私は跪いていたので、丁度彼女の目の高さに私の胸があったんです。彼女は目の前にはフロウの顔があるとばかり思っていたらしくて。だから目の前に大きなおっぱいが二つあったのを見て、目と口をまん丸にして固まってしまったんです」
「え?」
アウラは彼女が何を言っているのか分からなかった。
「私は何度か彼女に呼びかけたのですが、彼女が答えないので仕方なく彼女の手を取って、こうやって導いて私の胸に当てました。それで彼女はやっと正気を取り戻したようで、私の胸が本物であることを何度も確かめると、あなたは誰かと訊きました」
「えっと、あの……」
「そこで私は答えたんです。私がメルフロウだって。そして謝りました。今まで彼女を騙してきたことを。私が実は女だったということを……」
「え、ええええええ?」
アウラは仰天していた。
その表情を見てメルファラはくすっと笑った。
―――確かに少しは気になっていたのだ。メルフロウは彼女の兄だと言っていたが、これまでの話の中にその妹のことが一切出て来なかったことに。
兄妹なら一緒に育つのが普通だと思うし、そうでなかったにしても時々会ったりはするだろう。肉親なのだから……
それならば彼女は一体その頃どうしていたのだろうかと……
「じゃあ……今までのってみんな貴女のお話だったの?」
「はい。そうです」
メルファラはそう言ってくすくす笑った。
「それじゃずっと男のふりを? どうしてそんな……」
「それをこれからお話ししますわ。ティアにもあのときこうやって話したんです……」
そう言ってメルファラは続きを話し始めた。
「フ、フ、フ、フロウ! あなた、お、お、お、女だったの!?」
「ええ……」
メルフロウは赤くなってうなずいた。
エルセティアはいまだにその事実が信じられないといった表情だ。
それからもう一度メルフロウの胸の感触を確かめるが―――間違いなくそれは本物だ。
エルセティアはその胸と自分の胸を見比べた。
「何でよ……」
そう言って彼女は白目を剥いてしまった。
「ティア! ティア!」
メルフロウは慌てて彼女を湯船から引きずり出すと涼しい岩の上の寝かせた。
エルセティアはすぐに息を吹き返した。
彼女は目を覚ましてもぼうっとメルフロウを見るだけで何も言わない。
それも仕方がなかった。彼女はある意味一番ひどい裏切りをしてしまったのだから……
メルフロウの目から涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、ティア……ごめんなさい……」
「フロウ……どうして……」
エルセティアが力無く尋ねる。
「ティア……あなたと一緒にいたかったから。だから……断われなかった……」
「フロウ……」
「一緒にいても……でも、楽しくなかった……あなたを騙していると思うと……でも……行って欲しくなかった……」
それもこれで終わりだろう―――そう思うとメルフロウの目からとめどなく涙が溢れてくる。
エルセティアは泣き崩れるメルフロウをしばらく見つめていた。
それから体を起こすと彼女の隣に座ると、彼女の肩に手をかけて言った。
「フロウ……言って。怒らないから……」
メルフロウは顔を上げる。
エルセティアが彼女を見つめている。
「ティア、許して……」
「フロウ、いいの、いいのよ。でも教えて。どうしてなのか……」
メルフロウはゆっくりとうなずいた。
「もっと前に言うべきだったのですが……」
しばしの沈黙。
エルセティアは彼女が話し始めるのをじっと待った。
やがてメルフロウは話し始めた。
「私は女です。見ての通り……私の本当の名前は“メルファラ”というはずでした」
「メルファラ?」
「ええ。メルフロウの双子の妹です。私たちは双子でした」
エルセティアが軽くうなずいた。
「それって聞いたことがあるわ。でも片方は生まれたと同時に亡くなったんじゃ?」
「ええ」
メルフロウはうなずいた。
「でも男の双子だったって聞いたけど」
「そう発表しただけです。実際は男女の双子だったのです。そして男がメルフロウ、女の方がメルファラと名付けられました」
エルセティアは黙ってうなずいた。
「御存知の通り、母の出産は難産でした。そして私たちを産むと母は天に召されました。そのとき兄も共に旅立ったのです……兄の死は父に大きなショックを与えました。なぜなら父は男の子だけを心待ちにしていたからです。でも残った私は女でした……だから父は……生き残った私を見て決心したのです……私を男として育てようと」
エルセティアはぽかんとした顔で訊き返す。
「何? それ? どうしてそんなことをしなくちゃならないの? おかしいわよ!」
メルフロウは静かに首を振る。
「ええ。そうですね……でも、父は私を大皇にしなければならなかったのです。それができなければ、それまでの父の行いすべてが水泡に帰してしまうから……エイニーア皇女を手放してまでしてきたこと全てがです……」
「エイニーア皇女? もしかして……それって……」
「ええ。カロンデュールの母君です」
エルセティアは混乱した。無理もない。
「御存知でしょう。私の父とデュールの父君であるダアルⅤ世の仲のことを」
エルセティアはうなずいた。
メルフロウの家であるジークの家とカロンデュールの属するダアルの家の間にはひどい確執があることを都で知らない者はない。
だがエルセティアはその細かい経緯までは知らなかった。
そこでメルフロウは説明を始めた。
―――反目の起こりはメルフロウの曾祖父の代だった。
それまではジークの家とダアルの家は同じベルガ一族の有力な分家というだけの間柄だった。
事の起こりは当時の当主であるジークⅤ世とダアルⅢ世が同じ女性を好きになったことだった。その女性というのがかのミュージアーナ姫だ。
当初姫はダアルⅢ世の恋人として知られていた。
ところがあるとき彼女が心変わりしてジークⅤ世の元に走る。それは都を挙げた大スキャンダルになった。
彼女がそうした理由に関して色々取りざたされたが、公式にはダアルⅢ世に芸術に対する理解がなかったからだということになっていた。
しかし本当の理由はジークⅤ世の方が男前だったからだ。要するに寝取られたのである。
そしてジークⅤ世は屋敷を大改造して離宮を造営したりしてこの世の春を謳歌する。元は単にジークの屋敷だったところが“ジアーナ屋敷”と呼ばれるようになったのはそのときからだ。
それに対してダアルⅢ世は都の笑いものになってしまった。彼はどちらかといえば被害者の立場だったというのにだ。
そのことを腹に据えかねていたのが息子のダアルⅣ世だった。
彼は心の中でジークに対する復讐を誓っていたが、やがてそれが実現する時がくる。
あるとき銀の塔の内務大臣のポストに空きができた。そのポストは都の税収の責任者であり、当然大きな実権と実利を得ることができるのだが、その座を巡ってジークⅥ世とダアルⅣ世が争うことになったのだ。
両家はその家の全力を傾けて工作を始めて、最後には都を二分した大抗争状態になってしまった。
その最終決着は両家の当主の決闘で行われることになったのだが―――その戦いでダアルⅣ世がジークⅥ世に完勝してそのポストを得る結果となった。
だがダアルⅣ世はそれで満足しなかった。
彼は得たポストの力を最大限に利用して、ジーク一族とその支持派を弾圧し始める。
ジーク関係者は都の重要なポストからみな外されてしまい、しかも領地に不平等な税を課されたりして都から落ちていく公家もあった。
宴の日程を合わされてしまって客がどちらに行くかを選択しなければならなくなったのもこのときからだ。
こうしてジーク一族は没落した。
メルフロウの父、ジークⅦ世が当主となるころには、屋敷の整備もままならない程の落ちぶれようとなっていた―――
「父が家を継いだ頃にはそんな状況になっていたのです。父はこのままではジアーナ屋敷を手放す他はないという状況にまで追いつめられていました……そのような父を愛したのがエイニーア様でした」
「うん……」
「二人は当初純粋に愛し合っていました。二人が出会ったのはハヤセ様の屋敷で開かれた仮面舞踏会だったと言います。最初二人は互いの身分を知らぬままに逢瀬を重ねていたそうです。もちろんそれがいつまでも続くわけではなく、すぐに互いの身分は明らかになってしまったわけですが……それ自体は問題ではありませんでした。落ちぶれていたとはいえ、ジークの家は名門です。それよりも問題は大皇位の継承に関してでした」
エルセティアはうなずいた。彼女も大皇の継承ルールに関してくらいは知っていた。
大皇は血縁の男子から選ばれることになっている。その際に男系か女系かは問われない。
すなわち大皇の娘に皇子が生まれれば、彼には継承権が与えられるのだ。
「ご存じの通り大皇様のご子息はエイジニア皇女とエイニーア皇女のお二人だけでした。その王女と結婚できれば“大皇父”となる可能性が生まれるのです。もちろん必ずそうなるというわけではありませんが、それでも大皇の近親であるということだけでも大きな意味があります。父はこれでジークの家を立て直せると思ったことでしょう。しかしそうは上手くは話は進みませんでした」
「ってことは……ダアルも?」
メルフロウはうなずいた。
「そうです。彼らは恐れたのです。もしジークの家ににそんな権力ができてしまったら……特に大皇父などになってしまったらどのような報復が来るかと……当時の父がどうするつもりだったかは分かりませんが、ダアルⅤ世達はそれを恐れたのです。そして彼らはあらゆる手管を使ってエイジニア様に接近し始めたのです。理由はお分かりだと思いますが……」
エルセティアは黙ってうなずいた。
エイニーア皇女の姉であるエイジニア皇女に生まれた皇子ならば、エイニーア皇女の皇子より継承権が高いのだ。
「それを知ってエイニーア様が父にエイジニア皇女を紹介したそうです」
「え? どうして?」
「はい。父の怒りと悲しみは……どこまでも自分達を妨害してくるダアルに対する怒りと悲しみは、それほどまでに大きかったのだと思います。エイニーア様は心優しいお方ですから、それを感じて身を引かれたのだと思います……そして父がエイジニア皇女と、ダアルⅤ世が何とエイニーア皇女と結婚するという結末になってしまったのです」
そこまで話してメルフロウは少し沈黙した。
「エイニーア様がダアルⅤ世との結婚を承諾したのは、これで両家のバランスが取れれば反目もなくせると考えたのかもしれません。実際本心で憎しみ合っていたのは祖父の代で、父の代になるともうそれは単なる習慣のようなものになっていました。だからきっかけさえあれば関係の修復もできるのでは? と考えたのかもしれません……しかし結果は最悪なものになってしまったのです」
そう言ってメルフロウはエルセティアの顔を見た。
それから自分の胸に軽く触れて小さな溜息をついた。
「母はこうして私だけを残して死んでしまったのです……」
「だから……お父様はあなたを?」
「そうです……そうでもしなければもはや父には何も残されてはいませんでした。片やダアルの家にはカロンデュールが生まれていました。このままではカロンデュールが世継ぎです。それが父に取って何を意味していたか……そこで父は狂ったとしか言えない計画に手を染めてしまったのです……」
しばらく二人は無言だった。
それからエルセティアが尋ねる。
「でも……回りの人は? 止めなかったの?」
メルフロウは首を振った。
「反対できなかったそうです。そのときの父は世にも恐ろしい形相だったそうで……それに彼らもまた、それまでダアルにやられたことを身をもって知っていましたし……それにその事実を知る人はまだ多くはありませんでした。ですから父はその僅かな人達だけを説得できれば良かったのです」
「その人達って……ムートと……」
「ルウ。それにあと数名です。私の知る限り……ともかくこうして私は男として育てられました。事が露見するのを防ぐため、外とのつながりを完全に遮断されて育てられました。私は体があまり強くないということにされて、生まれてからほとんどの期間をあの湖北の別邸で過ごしました……だからティア、あなた方に出会うまで、私の身近な人といえばムートとルウと父だけだったのです」
「えええ?」
エルセティアは口に手を当てる。
「身の回りの世話はすべてルウがしてくれました。昼間に外に出たときはムートが遊び相手と警護を兼ねていつも近くにいてくれました。父はほとんど来ませんでした。私の知っていたのはそれだけでした。あなたに会うまで……だから……あなた方に会って私がどう思ったか……あなた方がいきなり現われたときの私の驚きは、もう表現のしようもないほどでした」
エルセティアは無言でメルフロウの顔を見つめた。
「ティア……あなたとあなたのお兄様が私の最初の、そして唯一の友人でした。でも父はそれを許してはくれませんでした……今から考えれば理由は明白ですが……でもあのときほど悔しかったことはありませんでした。約束を守れないということがあんなに辛いことだったとは……だから私は忘れようと努めました。あれは一夏の夢だったと……」
「約束ってあの?」
「はい。あのとねりこの木の約束です……本当ならばどうにでもなったのです。あなた方のことは調べればすぐ分かりました。あの近くにル・ウーダの別邸があることはすぐ分かりましたし、ヤーマンの家に“フィナルフィン”と“エルセティア”という兄妹がいたことも……だから会いに行くのは無理でも、例えば手紙を出そうと思えば出せました……いえ、実際何度か書こうかとも思ったのです。でも書けませんでした。あなたが怒ってるんじゃないかと思うと……だから……ごめんなさい……」
メルフロウの目からまた涙がこぼれ落ちる。
「いいのよ。もう……」
エルセティアは指でそれをそっと拭ってやった。
メルフロウはしばらく目を押さえて下を向いていたが、やがて続きを話し出した。
「それから何年か後のことです。私が世継ぎとしてお披露目を受けたときでした。父が言ったのです。私は結婚しなければならないと」
「ええ? それってなに?」
「はい。私もそれを尋ねました。でも父は大皇になるには形式的にでもいいから結婚していなければならないと言うのです。そう言われて納得したのですが……当然ながら結婚相手を捜すのは難航しました」
「そうよねえ……」
エルセティアはうなずいた。
「妃候補の第一はアンシャーラ姫でした。彼女の家には多大な恩恵を受けていました。零落していた時期にも彼女の父君のアルヴィーロ様が支援して下さったからこそ、ジークの家は持っていたようなものです。そのような方に形式的な結婚などということを持ちかけることはできなかったのです。だからあれだけ取りざたされながらも正式な婚約は発表できませんでした」
「そうだったんだ……」
「そんなときだったのです。あなたと再会してしまったのは……」
エルセティアは息を呑んだ。
「あなたのことは忘れていたつもりでした。でもあなたに再会した瞬間、何もかもが蘇ってきました……あなたにひっぱたかれて、あなたもまだ覚えていてくれたと知ったとき……もう押さえきれませんでした……私はあなたといたかった。ずっとこれからも一緒にいたかった。だからあの夜、父に言ったのです。あなたと結婚していいかと……そうすればあなたと一緒にいられると思ったから……」
そう言ってメルフロウは唇を噛んだ。
「でもフロウ……結婚って、女同士で……」
メルフロウは寂しく笑った。
「そうですね。そうですよね……やはり……婚約は解消しましょう。私もそれがいちばんいいと思います」
「え? でも……」
エルセティアは驚愕する。
メルフロウは首を振る。
「あなたはやはりもっと自然な結婚するべきです」
エルセティアはしばらく無言だったが、それから小さな声で尋ねた。
「でも……それじゃあなたは?」
再びメルフロウは首を振る。
「私はもう誰にも関わりません」
「え?」
エルセティアは目を丸くする。
「やはりこんな事は不自然ですから……もう誰にも関わらず独りで暮らしていきます。今までもそうでしたし……同じ事です」
メルフロウはそう言って黙り込んだ。
エルセティアは大きく目を見開いたままメルフロウの横顔を見つめ続けていた。
しばしの沈黙の後、メルフロウは顔を上げるとエルセティアに微笑みかけた。
「ありがとう。ティア。これですっきりしました」
それからざぶんと湯船の中から立ち上がる。
「ちょっと浸かりすぎましたか? 風に当たると気持ちいいですよ」
そう言って彼女が離れようとしたときだ。
「待ってよ。フロウ」
エルセティアが去ろうとするメルフロウの手を握ったのだ。
「はい?」
驚いたメルフロウが振り返るとエルセティアもざぶんと立ち上がった。
それからじっと彼女の目を見て―――それから言い放ったのだ。
「フロウ、あたし決めたわ」
「え? 何をですか?」
今度ぽかんとするのはメルフロウの方だった。
「何をって、決まってるじゃない。結婚することに決めたって言うの!」
「えっ?!」
メルフロウの目が丸くなる。一体どういう冗談だ?―――だが彼女は間違いなく真剣な目つきだ。
「あたしとじゃやだ?」
そう言って彼女が睨む。
メルフロウは思わず一歩下がった。
「いえ、いえ……」
「じゃあいいじゃないの」
エルセティアはそう言って更ににじり寄ってきた。
「でも……」
「フロウ! あなた言ったでしょ。ずっとあたしといたいって。あれ嘘だったの?」
「ち、違います。でも……」
メルフロウは愕然としていた。彼女は一体どうしてしまったんだ?
呆然と見つめるメルフロウを見て、エルセティアは首を振るとまくし立てた。
「確かにね、ちょっとびっくりはしたわ。だっていきなりあなたが女だったんだから……誰だってそうでしょ? でもね、あたしね、ずっと“フロウ”のことが好きだったの。あの日からずっとよ。そしてもう一度出会えて嬉しかった。本当に嬉しかったの……この気持ちは嘘じゃないし。で、思ったの。確かにおかしいと言えばおかしいと思うけど。でもそれで止めちゃったらどうなるのかなって。今まで好きだったこの気持ち、嬉しかったこの気持ちは全部嘘だったのかなって……」
「ティア……」
エルセティアは正面からメルフロウの目を見据えた。
「でもあれは絶対嘘じゃなかったわ。じゃなきゃ、じゃなきゃ……あたしの今までの人生って何もなかったみたいなものじゃない……」
ティアの目が涙で潤む。
「ねえ、フロウ。もう一度聞くけど、あなたの気持ちだって嘘なんかじゃなかったんでしょ?」
メルフロウは目を見開いた。
自分の人生は何だかよく分からないことだらけだ。
だがこれはその中で数少ないはっきりと答えられる質問だ。
「はい」
メルフロウはきっぱりとうなずいた。
それを見たエルセティアの顔がくしゃくしゃに崩れる。
「だったらどっちも嘘じゃないんだもん。あなたは私と一緒にいたくて、私だってあなたと一緒にいたくて。嘘なんてどこにもないじゃない! じゃあいいじゃない! ねえ!」
「ええ? でも……」
メルフロウの心の壁が崩れ始める。
「フロウのお父様だって認めてるんでしょ? これ」
「そうですが……」
いいのだろうか? 本当にいいのだろうか? こんなことをして……
「じゃあいいじゃないの。あたし、あなたとずっといたいのよ!」
エルセティアはメルフロウを抱きしめて肩に顔を埋めた。
「ティア……」
メルフロウの顔がかっと熱くなる。
それからゆっくりとエルセティアの頭を撫でる。
それと共に彼女は顔を上げると―――二人の目と目がすぐ側にある。
「本当に……ですか?」
「本当よ! 約束じゃない!」
彼女は微笑んだ。
メルフロウはもう沸き起こる感情の抑制ができなかった。
「ティア!」
彼女はエルセティアを抱きしめた。
エルセティアも彼女を抱きしめ返す。
それから二人はキスを交わそうとして―――はっとして体を離した。
互いに顔が赤い。
「えっと……」
「婚約してるんならいいんじゃない?」
「そうですね」
エルセティアが目を閉じる。
メルフロウの唇が彼女の唇と重なる……
同時に肌と肌がぴったりと重なる。
心地よい暖かさと共に、何か穏やかな甘い感覚が湧き上がってくる……
その夜二人は一緒に眠った。
当初の想像とは随分異なってはいたが―――最高の夜だった……
メルファラは話を終えると一息ついた。
アウラは呆然としていた。
「……えっと……」
これは何とコメントしたらいいのだろうか? 何かとんでもない話を聞いているような気がするのだが……
そんな彼女の表情を見てメルファラは微笑んだ。
「狐につままれたような顔をされてますね」
「ええ? まあ……」
曖昧なアウラの顔を見て、メルファラが笑った。
「女同士で、はしたないとか思ってらっしゃいますか?」
「ううん。それは全然」
アウラは即座に首を振る。この程度、彼女にとっては児戯ですらない。
だがもちろんメルファラはそのことをまだ知らなかったので、彼女の反応に少し驚いた。
「全然、ですか?」
アウラはそれに気づくと慌ててごまかした。
「え? まあ、その……それよりこれって大丈夫だったの? ほら、王女様とかが結婚される場合、相手が誰かって重要でしょ?」
それに関してはつい最近までエルミーラ王女の結婚問題でいろいろと振り回されていたせいで、アウラも重々承知していた。
それを聞いたメルファラがぷっと吹き出した。
「大丈夫では……ありませんでした。今考えればどうしてあのときあれでいいと思えたのか……若かったというよりは、幼かったのですね。どちらも共に……」
そう言ってメルファラは軽く溜息をついた。