プロローグ 永遠なる業火(マグナ・フレイム・エテルナム)

プロローグ 永遠なる業火(マグナ・フレイム・エテルナム)


 その酒場は町外れの川沿いにあった。

 広大な夜空には満天の星が輝き、体の芯まで凍り付きそうな風が大河アルバの水面を震わせながら吹き寄せてくる。

 一見そんな寒々しい場所だったが、酒場は今日もたくさんの兵士達で賑わっていた。

 なぜならここは駐屯地に一番近い酒場で、この付近の兵士達の憩いの場だったからだ。

 そんな田舎の酒場の一角に今日はちょっとした人だかりができていた。

 その中心には見慣れない男が二人いる。どうやら行商人のようだ。

 一人はひげ面の少し太り気味の中年の男で、もう一人はやせ気味の若い男だったが、その若者の方が兵士の一人に昼間売った商品の説明をしているようだった。

「……そういったわけで最近クレアスとかフラン産の絹織物が安く出回って来てるんだよ。だから心配するなって。盗品なんかじゃないから。それとももっと高い値段にしといた方が良かったか? こっちはそれでもいいけどさ」

 聞いていた兵士は慌てたように首を振る。

「そういう訳じゃねえ。こんだけの物があの値段って、まあヤバい物じゃなくて安心したさ」

 そう言いながら兵士は手にした絹のスカーフを丁寧にしまった。多分彼女へのプレゼントにでもするのだろう。

 そのとき横でその話を聞いていた別な兵士が尋ねた。

「にしてもあんた、ベラなんて遠くのことに随分詳しいな?」

 若い行商人はにっと笑った。

「こういう仕事だとあちこち回るからな。今まで主にあっちで商売してたし」

「へえ。でもあんたの喋り方、あまり東っぽくないんじゃね?」

 若い行商人はちょっと年配の行商人と顔を見合わせると答えた。

「まあな。生まれは実は都なんで」

 兵士達は少し驚いた。

「都ってあの白銀の? そんな奴がどうして?」

「え? まあちょっとあってな」

 若い男は曖昧にうなずく。それを聞いて年配の男がぼそっと言う。

「お前もあんな馬鹿なことをしでかさなきゃな……」

「うっさいな」

 若い男は明らかに嫌そうな顔をした。それを見たある兵士が尋ねた。

「一体何があったんだよ?」

 若い男は答えた。

「まあ、ちょっと魔導師様とあれこれあってな。それで都にはいられなくなって」

「魔導師様と? いったいどんな?」

「それはちょっと……」

 男は首を振った。だが兵士達は興味津々だ。そして別な兵士が男に酒を奢るということになって、若い男は渋々といった調子で話し始めた。

「実はな、俺が生まれたのは都の下町だったんだが。まあ大した家じゃない。ただの荷馬車屋だったんだけどな。まあそれでこういった商売の奴らとは色々つきあいがあったんだけどな……」

 だが元来喋り好きと見えて、酒が入るにつれて男の舌は滑らかになっていった。

「……まあ、そういったわけで旦那と知り合って、一緒に仕事しないかと誘われてたんだが、やっぱり都から出たくなかったんで断ってたのさ。ところがだ。思いもかけないことで都にいられなくなっちまったんだ」

 男はそこで一息ついてグラスをぐっと空けると、兵士達を見回した。それからおもむろに話し出す。

「実はな、バーボ・レアルにすげえいい女がいたんだ」

「バーボ・レアル?」

 兵士達がどよめいた。

 白銀の都にあるその高級遊郭の名前は、この田舎にも轟いていた。

「ああ。ユーノっていったんだが、俺はずっと通い詰めてたんだよ。ああ、いい女だったな……すらっとした体で、胸はあんまりでかくなかったんだけど、まるで猫みたいにしなやかでさ、その腰つきったらもう、抱きしめてたら天国みたいで……」

 男が半ば夢現にのろけたことを言い始めて止めそうにないので、兵士の一人が口を挟んだ。

「わかったわかった。それで?」

 男は気づいて苦笑いしながらうなずくと続けた。

「ああ。そうそう。でさ、そんな女をだ。もう少しで身請けできそうな所までいったんだよ。そのときはもう天にも昇る気持ちっていうのかな……ところがだ。もうちょっとって所で、何だか知らないけどいきなり呼び出されてさ、あいつが言うことには『やっぱりだめなの、ごめんなさい』だぜ? 訳を聞いても話しちゃくれない。それで小娘に握らせて相手が誰か聞いてみたら、なんと銀の塔の魔導師様だって言うじゃねえか!」

 兵士達の間から低いどよめきが上がる。年配の行商人が言った。

「相手が悪かったんだよ」

 若い男はむっとした顔で年配の男を睨むと言った。

「そりゃ悪いさ。でも簡単に諦めるなんてできねえだろ? あいつはもう、なんて言うか俺の人生すべて、みたいな、誰だろうと絶対渡したくねえって思ってたし、そんなことってあるよな?」

 男は周囲の兵士達に同意を求める。それを聞いて兵士達の何人かがうなずいた。

 若い男は力づけられたように続きを話し始める。

「だから、そいつにちょっと直談判しに行ったのさ」

 驚いた兵士の一人が尋ねた。

「直談判って……銀の塔に乗り込んだのか?」

「馬鹿言うな。んなわけないだろ。ちょっと一人になった所を見計らって、仲間を三人連れて“談判”に行ったんだよ。そんだけいりゃ大丈夫だって思うだろ?」

 兵士達は曖昧にうなずいた。

「でさ、まずは最初は平和的に言ったのさ。ユーノを返せってね。ところがそいつも首を縦に振らない。後から横恋慕したくせにさ。ユーノと俺のことは誰だって知ってたはずなんだ。そりゃ俺みたいな荷馬車屋の倅と魔導師様じゃ格が違うよ? でもさ、だからと言ってゴミみたいに扱われる筋合いはねえ。そこで今度は剣を抜いて、みんなで詰め寄ってもう一度尋ねたんだよ」

「本当かよ?」

 兵士の一人がつぶやく。若い男はその兵士を見て言った。

「本当さ。あんときは俺だって必死だったんだ。ともかくな、それを見ればそいつも少しヤバいって思ったらしくてな、少々青ざめた顔で言ったのさ。『私も彼女が気に入っているし手放したくない。それなら代わりに彼女よりいい女を紹介してやればどうだ?』ってな」

 兵士達はちょっと混乱したように顔を見合わせる。

 それを見て若い男はうなずいた。

「今から考えりゃな、そんないい女がいるんならお前がそっち取りゃいいじゃねえか、とか答えりゃ良かったんだがな。そう来られるとは思ってなかったんで、つい『相手によるさ』とか答えちまったんだよ」

 若い男はそういって兵士達を見まわすと、おもむろに続きを話す。

「その途端、奴は妙な笑いを浮かべやがった。そして『もう後ろに来てるから見てごらん』とか言うんだ……振り返ってみたら……はっきり言って我が目を疑ったよ。もうまるで天女かって思うような女がさ、もうなんて言うか、にこっとしてくれただけで、ギンギンになって逝っちゃいそうな女がさ、それも三人も立ってるんだ。俺、もう頭に血がのぼっちまって。わかった。ユーノは好きにしろ、とか言っちまって……」

 聞いていた兵士達は顔を見合わせた。

「そのとき気づきゃよかったんだが……ってか、あんな女を目の前にしてそんなこと考えてられないって。そん中の一番美人でグラマーな女がさ、手招きするんだ。俺がふらふらとそっちに行くと、そいつは近くの茂みに誘い込んで、いきなりこう、おっぱい丸出しにしてさ。俺はもう何も考えられなくってさ、すると今度はその女、俺のがちがちになった奴を取り出して……いきなり舌でさ、あっという間に昇天しちまってさ、そして今度は自分のあそこを開いて、こんなに濡れちゃったからあんたの口できれいにしてとか言うし……」

 兵士達はあんぐり口を開けて男の話を聞いていたが、一人が恐る恐る尋ねた。

「お前……仲間“三人”連れてったって言ったよな? その女も三人だったが……」

 若い男は引きつったような笑いをあげて、それからぼそっと答えた。

「ああ。女に見えてただけだった」

 しばらくの間場はしんとして、次いで爆笑に包まれる。

「じゃあ何か? あんたの口できれいにしてやったってのは?」

 若い男はじろっとその兵士を睨むだけで何も答えない。

 辺りは再び爆笑に包まれた。それを見ていた年配の行商人が言った。

「まあそんなわけでこいつは都にいられなくなったってんで、俺と一緒にこうして商売することになったのさ」

 兵士達の笑いはまだ止まらない。

 その様子を見て若い男はむっとしたような顔で言った。

「お前らな、自分がそんな目に会ったことがないから笑ってられるのさ」

 兵士達は笑い続けていたが、中の一人がちょっと黙り込むと心配そうな顔で尋ねた。

「その魔導師様って、まさか部隊全体にそんな魔法をかけられたり……しないよな?」

 それを聞いた途端に残りの兵士達もしんとなって一斉に顔を見合わせた。

 だが年配の行商人が即座に手を振った。

「そりゃない。ない。超一級の魔導師様でもまあ一度に五~六人がいいとこだ。それに戦場の距離じゃ遠すぎるしさ」

 それを聞いて兵達は内心ほっとしたようだ。兵の一人が言った。

「まあそりゃそうだよな。炎だったら水で消せるし、飛んでくる物なら避けりゃいいしな」

「まったくだぜ」

 安堵したようなどよめきがあがり、酒場はまた元の喧噪に戻ろうとした。

 だがそのとき若い男が怒ったような声で言った。

「あんまり舐めてかかるのもどうかと思うぞ?」

「ん? なんだ?」

 一人の兵士が尋ねる。男は答えた。

「あんたら、あのシフラ戦の後のこと知ってるか?」

「え? 確か奴らはアイフィロスに逃げ込んだんだろう?」

 兵士はそう言って隣の兵士に同意を求める。隣の兵士もそれを聞いてうなずいた。だが若い男は言った。

「その途中ベルジュで奴ら最終決戦をしようとしてたってことは?」

「最終決戦?」

「ああ。二度も煮え湯を飲まされたんだ。奴らが黙って放っておくと思うか?」

 兵士達は顔を見合わせた。

「でも何も起こらなかっただろ? 結局」

 兵士の一人が言った。だが若い男はその兵士の目を見つめながら答えた。

「ああ。あまりにも危険すぎて、使えなかったからなんだよ」

「使えなかった? 何が?」

 兵士達は顔を見合わせる。それを見て若い男が言った。

「恐ろしい魔法だ。その名もマグナ・フレイム・エテルナム……」

 ―――だがそれを言い終わる前に、年配の行商人が手にしていたグラスの中身を若い男にぶちまけた。

「な……」

 びしょ濡れになった若い男がくってかかろうとするが、その前に年配の男は若い男の胸ぐらを掴むと、小声で囁いた。

「馬鹿野郎! それだけは出しちゃならねえとあれほど……」

 それを聞いて若い男は目を見開いた。それからおどおどとした顔で辺りを見回す。

「いや、まあそういうことだから、な。ははははは」

 そのやりとりは近くにいる兵士達には聞こえていた。

「何がそういうことなんだよ?」

「マグナ……なんだって?」

 兵士達が尋ねるが、行商人はそれを無視すると立ち上がって言った。

「何か酔っちまった。今日はごちそうさん。それじゃ」

 そして二人はそそくさと勘定を済まして出て行ってしまった。

 後にはあっけにとられた兵士達だけが残された……


 ―――この二人連れの若い方の男とは、もちろんフィンである。

 彼がなぜこんな所でこんな芝居をしているのか?―――その訳を説明するには、フィンとアウラがシルヴェストの王宮で大暴れしたあの晩まで遡る必要がある……